かみさまはいいました。
あなたの願いを一つ叶えてあげましょう
わたしはいいました。
でしたら教えて下さい。神様、私の願いとは一体何なんですか?
かみさまは、なにもこたえてはくれませんでした。
4/せめて金色の風と共に KAZENI_MAU_HANA
新暦81年 四月二十日 ミッドチルダ 中央区画 ミッドチルダ地上本部
「何でや! 何で、分かってくれへんのや……!!」
だん、と机に拳をぶつけた。
八神はやては怒っていた。
その怒りの瞳は目の前のスクリーンに注がれている。
『此度の黒い影℃膜潤Aそしてカリム・グラシア理事官の予言の重要性と危険性を考慮し、対黒い影¢ホ策の一環として、古代遺物管理部機動六課の再編は認める。ただしそれはあくまで通常の規則の範囲内における許可であり、これを超える権限は与えられない。八神はやて一等陸佐の要請である旧機動六課の完全再編及び完全独立は、その範疇を超えており、容認は認められない。特に以下の局員は、編成することを厳禁とする。
○高町なのは戦技教導官
○フェイト・T・ハラオウン執務官
○スバル・ナカジマ特別救助隊員
○ティアナ・ランスター執務官
○エリオ・モンディアル自然保護隊員
○キャロ・ル・ルシエ自然保護隊員
上記の局員を全て保有することは、その魔導師ランクを見ても、明らかに戦力過多であり戦力の偏りである。なお、能力リミッターを使用した場合、この限りではない』
それがはやての機動六課再編要請に対する、本局からの詳しい指示だった。
一旦は再編を認められたものの、後日送られてきたソレは、とてもはやてが望むモノではなかった。
「あたしらだけじゃ意味がない……! エリオやスバルがやられとるんや。そんな相手に対して、どうして出し惜しみする……!!」
以前のように能力リミッターを付けることも考えた。だが、その解除には、何工程もの煩雑な容認作業が必要となる。相手の力は絶大だ。いちいちそんなことをしている暇はない。
――『海』や『空』の動きも緩慢や。本局からの支援を待っておったら、それこそ世界が滅びる。かといって今のミッドの戦力じゃジリ貧や。ある程度のオーバーSクラスの魔導師をまとめる部隊は絶対に必要。なのに、どうして本局は分かってくれない……!
黒い影だけではない。エリオやキャロ、スバルが致命傷を受けるほどの敵対個体が確認されている。おまけにそれらは神出鬼没。転移反応が全く観測できないのが致命的だ。黒い影が現れたとき、自由に動ける独立部隊でもなければ対応できない。それらのことから考えても、能力リミッター無しの機動六課は必要なのだ。全てを貫く絶対的で自由な矛。今のミッドにはそれが無い。
しかし、本局は六課の中核であるなのは達の編成を禁じるという。それでは意味がない。未だ経験が浅いはやてでも相手の技量は分かる。確かにはやてとヴォルケンリッターの力は強力無比だ。しかし今回はあまりにも分が悪い。槍の担い手、巨人、魔女(エリオが倒したようだが)、赤い外套の男、刀を持つ剣士、そして黒い影。恐らく一度に攻め込まれたら、間違いなく敗北するだろう。
その時、扉が開く音がした。
「――落ち着いて下さい、主はやて。廊下まで声が聞こえてましたよ。頭に血が上っていては、浮かぶ案も浮かびません」
「そーだぜ。茶でも飲んで、そのピリピリ、少しは落ち着かせろよ」
シグナムとアギトだった。シグナムの手には茶と菓子が乗った盆がある。
「ん。すまんなぁ、二人とも」
上げかけた腰を下ろす。出された茶を一口、ずず、と啜った。
アギトはひょいとスクリーンを覗き込み。
「ああ、これかぁ。はやてが怒っていた理由は。まぁしゃーねーだろ。なのはやフェイトはSS、スバル達も今じゃ、ほとんどSに匹敵する強さだからな。明らかに保有制限超えてるぜ」
「せやかて、現状の部隊じゃどーにもならんことは分かっとるやろ? 戦力を一極集中して一点突破。やないと損害が広がるだけでジリ貧や。上は数字だけ見て現場のことは何一つ分かってへん」
「まぁそれも仕方ないと言ったら仕方ないでしょう。常に人不足なのが管理局ですし――だけど、諦めるつもりは無いのでしょう?」
こと、と盆を置きながらシグナムは言った。
はやては出されたカステラを口の中に放り込み、咀嚼する。
「もぐもぐ……そうや。今回はどうにもきな臭い。あのJ・S事件以上にな。カリムの予言も単純すぎて、どう解釈したらええか分からんし……そもそもあの黒い影が何なのかも分からん。分からんことだらけや。だからこそ、早く手を打ちたい。最悪、本当に世界が滅ぶかも知れんしな」
「滅ぶって、どこの次元世界だよ。ミッドのことか?」
アギトはふわふわと浮かびながら聞いた。
それをはやては厳然とした目つきで。
「――全部。次元世界、全てが滅ぶ可能性すらある」
そう返した。
アギトはごくりと固唾を呑む。
「そんなことがありえるのかよ。どんなに危険なロストロギアでも、精々次元世界一個潰す程度の力しか持っていない。次元世界丸ごと消滅なんて……」
「アギト。物事は常に最悪の事態を想定して動かなければならない。戦場に身を置く者として、それは常識だ。世界≠ニいう言葉――それは個人個人が持つ精神世界のような極狭い範囲内なのか、主はやてが言うように次元世界全てを指すのか。それが特定出来ない以上、有り得ない≠ニ断ずることは出来ん」
シグナムもスクリーンを見ながら言った。
「しかし、管理局の言にも一理あります。主はやて、カリムの予言はあまりに不明瞭です。近年の予言と照らし合わせても該当するような予言はありませんし。何がどうなって世界が滅びるのか。あの黒い影の正体と、その総力は。それがある程度明確にならないと上も動かないでしょう。幾らカリムやクロノ、ミゼットの後ろ盾があったとしても、です」
世界が滅ぶ≠ニいうカリムの予言。それは管理局全体を揺るがした驚愕の事実だったが、時が経つにつれ、あまりにシンプルすぎる言葉に疑問の声も上がっている。
何せ不明瞭すぎるのだ。本格的に部隊を動かすには、その指標も決めることが出来ないほどに。そもそも黒い影≠ニ関連するかどうかすらも不明。年中似たような案件が上がる『海』や『空』が動くには、あまりに理由が足らなさすぎる。
だが、はやては確信している。
あの黒い影≠ニカリムの予言。その二つは、絶対に繋がっていると――
はやてはシグナムの言葉に頷いた。
「シグナムの言うとおりや。だけど悠長に待っている時間も無さそうやで? あれらがほんまに世界を滅ぼそうとしているなら、もう何らかの企みが動いていても不思議じゃあらへん。一刻も早い、真っ向から対抗できる専門部隊の創設は必要不可欠や。出し惜しみしている暇はない。現場の状況から見ても明らかなんやけどな……どうも上は書類の数字を重視するみたいや」
ふむ、と考える。
何はどうあれ、現状で機動六課を完全に再編することは不可能だ。もうこちらに手はない。いや、足りない。決定的な切り札が。
「――もう一手。上を黙らすには何らかの奇策が必要みたいやね」
奇策。飛びっきりのジョーカー。あの黒い影の総力、正体、目的が分からせるような、どんな反論をも許さない絶対的なカードが、今のはやてには必要だった。
その時。
「はやてちゃん、ちょっといいかな?」
「うん? なのはちゃんか。かまへんよ」
扉が開き、高町なのはが入ってきた。彼女が教導の空きに、『空』からミッドに派遣された1039航空部隊の様子を見にやってきているのを、はやては知っていた。
しかし。
「――高町。何だ、その男は」
なのはの横に厳然とした相貌の少年のことは聞いていなかった。
赤銅色の髪。体格と童顔に騙されそうになるが、恐らくエリオやキャロより、少し年上くらいか。見たところ局員でも無さそうだった。
なのはは頬を掻きながら、笑う。
「あはは。突然でごめん。でも――」
その顔が、一瞬にして不敵なものに変わる。
「――はやてちゃんに、会わせるべきだと思ったから」
シグナムはなのはを不審気に見つめ、それから少年を睨むように見た。
守護騎士の将の威圧。
だが、目の前の少年は全く狼狽えない。そこには確かに戦士≠ニしての強さが在った。
「お前――名前は」
少年はシグナムの視線を外すことなく、真っ直ぐ見つめ。
「――衛宮士郎。初対面で申し訳ないが、一つ、取引がしたい」
何事にも揺らぐことはない、不屈の意識で、言葉を綴った。
はやては突然の申し出に肩を竦め。
――さて。これがジョーカーとなるか。それともスペードの三に留まるか。ここが踏ん張りどころかもしれんな――
そう、確信した。
* * *
私には、ずっと、疑問に思っていることがある。
――最初は、ただ母さんの役に立ちたかった。
どんな扱いを受けても、それが間違っているだなんて思いもしなかった。だって母さんの事が好きだったから。母さんを信じていたから。
でも、母さんは私のことなんか何にも思って無くて。所詮私はただの道具でしかなくて。それでも母さんを無くしたくなくて――結局、母さんは死んじゃって。
悲しかった。悲しかったけど――私には、なのはという友達が居てくれた。名前を呼んでくれた、初めての友達、親友。
色んな人に出会った。家族も一杯出来た。リンディ母さんにクロノ兄さん、エイミィ姉さん。はやてやすずか、アリサ、シグナムやヴィータ、シャマルにザフィーラ。それに、私のことをずっと守ってくれたアルフ。
だから今度は、恩返しをしたいと思ったんだ。優しくしてくれた皆に、ありがとうを言いたくて。管理局に入って、皆の役に立ちたかった。
そこでも色んな人に出会った。エリオやキャロ――大切な私の子供のような存在も出来た。
周りを見渡す。
真っさらな荒野に、皆の姿が浮かんでいた。ああ、これは私の宝物。何よりも大切な、私の大事な大事な――
――でも、どこにも私≠ェ居なかった。
見渡す限りの地平線。皆は互いを見て、笑い合っていた。
だけど、誰も私を見ていない。当たり前だ。主観的意識の無い箱庭。無意識下に形成された私の世界。見下ろす私≠ニいう目は、神の視点に過ぎない。人は神を認識出来ない故に偶像を作り、崇めるのだ。
だから、居なければならない。存在していなくては齟齬が生じる。私の世界に私が居ないというのは矛盾している。
人間は誰しも自分の心の中に私≠飼っている。そうでなければおかしい。精神に自我がある限り、その法則からは逃れられない。空っぽの自分に心は宿らない。――だけども人形には自分がない。
私は、どこにいるの?
私は、そこにいるの?
私は、本当に――此処にいるの?
どこにもいなくて、此処にいる意味が無いんだとすれば。
――私は一体、何なの?
答えてくれる人は、どこにも居なかった。
私の疑問は、闇に沈み、虚空の彼方へと消え去っていく。
神の声は、世界に届かない。
そこに神はいないのだから。
私には、ずっと、疑問に思っていることがある。
私は何を疑問に思っているんだろう?
* * *
新暦81年 四月十一日 時空管理局本部
だん!と大きな音が、白亜に染められた廊下に響いた。
シグナムがフェイトの胸倉を掴み、壁に叩き付けた音だった。
「テスタロッサ……お前は、こんな所で何をしている」
「――――」
「シグナムさん! 止めて下さい! こんなときに……」
慌ててティアナが止めに入る。今はエリオとキャロの手術中だった。集中医療室のランプが煌々と赤を照らしている。
「こうなることは分かっていたはずだ。お前を追って管理局入りしたときから、お前があの子達を拾ったときから!!」
そのとおりかもしれない、と一瞬ティアナは思った。
管理局に入る、ということは常に危険と隣り合わせだ。あの高町なのはですら再起不能かと思われるほどの大怪我を負ったのだ。J・S事件の時はたまたま上手くいっただけ。管理局員、しかも武装隊員である以上、いつかは、今のエリオとキャロみたいに、命の危険に晒される。早いか遅いかの違いだけだ。自分も命の危険こそ無かったが、危ない橋は何度も渡った。
「――その覚悟、今更無かったなど言わせないぞ、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン!」
シグナムの怒号が響き渡る。
対し、フェイトは沈黙していた。長い髪が顔を隠し、その表情は伺い知れない。
「いいか! お前は執務官だろう! こんなところで油を売っている暇があるのか! お前は望んで執務官になったはずだ。身内が大怪我をしたくらいで仕事を放棄出来る立場ではないだろう!」
それは言い過ぎだ、とティアナは言おうとして、飲み込んだ。
執務官とは事件捜査や各種の調査などを取り仕切る役職――階級が上がるにつれて、その重要度は増してくる。ましてやフェイトの階級、一尉ともあれば、責任は重大だ。
幾つもの事件を兼任しているフェイト。今投げ出されると、その被害は甚大だ。酷な言い方かもしれないが、確かに、シグナムの言うとおりだった。自身も同様の立場――執務官だからこそ、ティアナはシグナムの言葉を正確に理解できた。できてしまった。
――私も、いつか今のフェイトさんみたいな状況に立たされるのかな……。
その時、自分はどんな選択をするのだろうか。シグナムの言うような選択は出来るのだろうか。
ティアナは少し、不安になった。
「……何を言っても、今は無駄か」
シグナムはその手を放した。支えられるモノが無くなり、フェイトは尻餅をつくように椅子に項垂れた。
「ティアナ。今のこいつに関わっていても時間の無駄だ。お前も執務官だろう。あまり煩っている暇はないはずだ」
こつ、と歩き出す。あまりに静かな空間で、その足音はどうしてもティアナの耳に響いた。
そして。
「――あまり私を失望させるなよ、テスタロッサ。私が認めたお前は、そんなにも脆弱なものだったのか?」
古代ベルカの騎士、守護騎士の将。鋼の背中が、吐き捨てるように告げた。
そのまま廊下の先へと歩みを進める。こつこつ、こつこつと音を立てながら。
「シグナムさん!」
その背中を追うように、ティアナは叫んだ。
だけど何も出来なかった。名を呼ぶことしかできなかった。そもそも何をしたらいいかも分からなかった。
フェイトは一人、項垂れた顔のまま、ぎり、と奥歯を噛み締めた。
「――シグナムには、分からないよ……!」
その呟きは、誰の耳にも届かず、ただ足音だけが辺りに響いていた。
◇
新暦81年 四月二十二日 第二十七管理世界
エリオとキャロは一命を取り留めた。迅速な対応が幸いしたのか、後遺症らしい後遺症も無いらしい。だが、未だ二人は昏睡状態にあった。
――私は一体、こんなところで何やってるんだろう……。二人の側にいなくちゃいけないのは私なのに。
フェイトは飛びながら一人ごちる。いつもは心地よいはずの頬を撫でる風が今は鬱陶しかった。周りには五人の自分と同じ任務を持った局員が居た。
ここは第二十七管理世界。依頼された仕事――管理局に保管されているロストロギアのデータベース。そのテキストデータを本局からの輸送の際における護衛、それが今のフェイトの仕事だった。
抱えているケースを一瞥した。この中には重要度・危険度、共に高レベルなディスクが納められている。
元来データは、普通転送という手段を用いられる。だが、今回はモノがモノだ。どこからハッキングを受けるとも限らない。手渡しが一番堅実だった。だが、よりにもよって本局の転送魔法を使用できる魔導師は全て出払っていた。
転送ポートから依頼された研究所まで約一時間。僅かな時間と言えばその通りだが、やはり護衛は付けなければならない。そこで今回、データの重要性・道中の危険性も伴い、実績ある執務官のフェイトが選ばれた。
だが、どこかフェイトは上の空だった。
聞けばスバルも黒い影≠ノ襲われ重傷と言うではないか。傷の度合いはエリオとキャロに及ばないものの、それでも瀕死の重傷であることには変わらない。なのに、顔を見ることすらままならなかった。
その事実が、どうしてもフェイトの胸を締め付ける。
数日前、シグナムに言われたこと――それは十分に理解できる。やらなきゃいけない仕事は山ほどあった。それを放棄することは出来ない。だからこそ自分は此処にいる。
だが――思ってしまう。考えてしまう。果たして自分の行動は正しいのか、と。
――私は望んで執務官になった。だから、仕方のないこと。これは仕方のないこと……。
そう思って自分を正当化させる。そうでなければ壊れそうだった。狂いそうだった。
自分は本当に望んで執務官になったのか。その疑問に押し潰されそうになる――
「フェイト執務官、あれを」
「え?」
近くの同じ護衛にそう言われて、思考の内側に沈んでいたフェイトは、ようやっと表層に浮かんでこれた。見れば、周りの護衛――五人全てがデバイスを構えて敵対意識を前方に向けていた。
何だ、と思う前に、遥か上空からフェイトはそれを見た。
山岳の合間に開けた荒野。その中心に
ゆらり、と黒い影を引き連れた女性が佇んでいた。
女性にしては高い身長。地面まで届くかと言わんばかりの紫色の髪。大胆にも肩口を大きく開け、そのしなやかなボディラインを強調させた黒い服。何より異形だったのが、顔のほとんどを隠してしまっている眼帯だ。酷く魔的な空気を放っている。
「黒い影=\―――!」
話には聞いていた。報告を見せられた。だからこそ、はっきりと認識できる。
あれは――スバル、エリオとキャロを傷つけた存在と同一のモノだと。つまり。
「――貴方達の、敵、ですよ」
ニヤリと。その美しい唇が歪んだ。
「っ!」
ぞくり。
酷く秀美な微笑みが、何故か、どうしようもなくフェイトに怖気を走らせた。
アレは本当に、自分と同じ人間なのか。
あまりに美しく、そしてあまりにおぞましい。
魔性。そう呼ぶのに相応しい姿だった。
「フェイト執務官!」
「――分かっています! そこの貴女! 私達は時空管理局です! 貴女は一体何者ですか!!」
女性から見て遥か上空、そこからフェイトは言葉を投げかける。何者か、という当たり前の疑問を。
しかし、それはあまりに愚問に過ぎなかった。紫色の女性と目があった瞬間から、この場、この空間は。
――戦場に、他ならなかったのだから。
女性はゆっくりと手を挙げる。それに呼応するように黒い影達が、遥か上空のフェイト達を見上げ。
「ふぅ。全く物わかりが悪い。言ったでしょう――私は敵だと」
ご、と一斉に黒い光線を放った。
「全員、散開して一斉砲撃!」
叫びながらフェイトは回避行動に移る。幾重にも渡った光芒はしかし、フェイト達の技量を以てすれば易々と躱せることが可能だ。
見れば、女性は飛行することが出来ないのか、その場から動かずに、ただ微笑んでいる。
それは紛れもない好機だった。
――プラズマスマッシャー。
勿論、フェイトはそんな隙を見逃さない。周りの局員も同様であった。自身の得意な砲撃魔法を撃ち込んでいく。
その、刹那の時だった。
黒い影がぐにょりと姿を変え――ローブを羽織った女性のような形になった。
「――!?――」
全員が全員、驚愕に目を見開いた。このような現象は今まで確認されていない。そして――――
ご、と破壊の音が来た。
着弾、直撃、目標の破壊。非殺傷設定であったが、フェイト達の砲撃は、そう確信するに値する感触を術者にもたらした。
にぃ、と誰かが笑った。
紫の女性、黒い影≠ェ何であろうと、どんなことをしようと、あの一斉砲撃に耐えられるはずがないのだ。今までは低ランクの魔導師相手だったろうが、今回は違う。オーバーSの執務官、フェイトを中心とした精鋭揃いだ。ざまぁみろ。よくも今まで好き勝手やってくれたな――
程度の差はあれ、そこにいる皆が思った。だがフェイトは違った。そんな感触など微塵もなかった。
フェイトだけは、その微弱な魔力反応を感じ取っていたのだ。爆煙の中、その向こう側で、何か嫌なことが起こっている――あるのはそんな確信のみだった。
そして、確信は現実のものへと昇華する。
「っ――皆、よけ――」
その言葉すらも遅い。爆煙が晴れるのも待たずに、ソレ≠ヘ一直線に飛び出した。
魔力砲撃。
先ほど叩き込まれたモノをそっくりそのまま――いや、二倍にして返すと言わんばかりの砲撃の群れが、フェイト達に撃ち放たれていた。
金色の閃光の異名を持つフェイトですら紙一重の弾幕だ。精鋭とはいえ、周りの局員が躱しきれるはずもなく。
「が――っ!」
「ぐ――!!」
次々と苦悶の声を上げ、衝撃を全身に受けた。フェイトが見たところ、恐らくAランク相当の砲撃。即死はなかったが、それでも十分なダメージを局員達に与えた。
ここに来て両者の立場が逆転した。
「なんて、こと……!」
フェイトは愕然とする。今までの報告と違う新たな黒い影≠フ形態、自分たちと同じように飛行し、魔力砲撃が放ったということ。それはあちら側の戦力が管理局側と同じ立場にたったということだ。
管理局側の有利――それは飛べること≠ニ遠距離から砲撃を放てる≠ニ数の利点≠フ三点に他ならない。しかしここに来て、それらの要素は有利ではなくなった。黒い影¢、にも同じような戦略が取れるということは今までの培った対黒い影≠フ戦略が全く通じないことと同意である――
「やるしかないのか――――!」
ならば、打つ手は一つだ。あの黒い影≠フ総力が分からない以上――少なくとも現状ではこちらよりも大火力である以上――間合いを詰めての近距離戦しかない。砲撃戦で不利ならば、それがベストだ。
――ソニックムーブ。
フェイトは加速する。砲撃の雨をかいくぐり、黒い影≠ヨと突撃する。周りの局員も同様の判断を下したようだ。同じように接敵を開始する。
だが、フェイトは理解していた。なまじ頭の回転が速いだけ、十二分に分かってしまった。
これは、罠だと。
思考する。
(どうする……今の任務はあくまでディスクの護衛、下手をすると奪取される危険性すらある。しかし、ここで相手を逃すわけにもいかない……)
(フェイト執務官! ここは我々に任せて、まずディスクを――)
(――!)
局員の言を受け、フェイトはそのまま直角に曲がり、研究所を目指そうとする。普段のフェイトなら、迷わず研究所へと向かっていただろう。しかし今の彼女は平常ではなかった。スバル、エリオ、キャロ――それらを害した正体不明の相手を、どうしても気にしてしまっているのだから。
そして、その一瞬の逡巡が、戦場では致命的になる――――
「――――他者封印・鮮血神殿=v
紫の女性。かつて第五次聖杯戦争で、他者を喰らい、最も人的被害を出したサーヴァント――――
ライダーは一言、そう呟いた。
瞬間、ごぅ、と大空が赤く染まった。
「しまった……!!」
分かっていた。これは自分たちをはめる罠だと。このまま進むと蜘蛛の糸に引っかかると、理解していたのに――――!
僅かな逡巡。それこそが、命運を分ける紙一重だった。
「が……!」
「ぐ、ぅ……!」
局員が呻いた。呼吸することすら苦しいと、喉を押さえる。重力が倍になったようだ。丘にあげられた魚。真空に放り投げられた有機物。摺り切れるような胸の痛みが、局員達を襲った。
無論、魔法など維持してられるはずもない。
翼を無くした鳥のように、ばたばたと地面へと落下していった。
それはフェイトも例外ではない。
「く、ぅぅううう!!」
だん、と強く音を立てて、地面に叩き付けられた。
そこに――黒い影≠フ容赦ない砲撃が撃ち込まれた。
捲り上がる大地・爆砕された破片・巻き上げられた噴煙・爆煙と爆音。
ありとあらゆるものが粉砕され、瓦礫へと化す。
苦悶の声は、轟音によって掻き消された。
静寂。ごぅ、と風が通り抜ける。
動くモノは誰もいなくなった――かに思われたが。
「――ど、うして」
フェイトだけは、その砲撃から逃れていた。いや、逃されていた。
ざ、とライダーが、長い髪をたなびかせ、一歩フェイトの前へと進み出た。
「ああ――単純ですよ。貴女の手元にあるソレ≠ェ欲しいだけです」
「ソレ=\―!?」
管理局に保存してあるロストロギアのリスト――それを、目の前の黒い影≠ェ欲しているというのか。
困惑。
今までずっと無差別な破壊を続けた黒い影≠ェどうしてこんなものを求めるのか、そして何故そのことを知っているのか。
何をされたのか分からない困惑。黒い影≠フ行動原理と、その理由は何なのかという疑問。それらが頭の中で乱舞する。
「……何故、という顔をしていますね。ああ、いい顔だ。その顔は非常に私の嗜虐心をそそる。遊んであげても良いのですが――今はとりあえず、仕事をしましょうか」
す、とライダーはケースに手を伸ばす。
「っ――! させるものか―――!」
ソニックムーブ。
フェイトの姿が残像を残し、ライダーの遥か前方に距離を取った。
ライダーは少しだけ驚いたように面を上げて。
「ほう。もう干渉魔術≠フ隙を見つけましたか。この世界の魔術師――いえ、魔導師でしたか。内面に魔力を通すのは不得手と睨んでいましたが――ああ、貴女は所謂天才≠ニいうやつですね」
面白い、と嗤った。
他者封印・鮮血神殿=Bそれは内部に取り込んだ人間を溶解し、赤い血液として術者が吸収する魔力喰らい≠フ結界。だが、人に干渉するこの魔術は、魔力を帯電させた者には弾かれる。干渉側と干渉される側――互いの魔力は水と油。干渉魔術が難しいと言われる所以である。
だが、魔導師には魔術回路を持たない。魔法≠ヘどちらかというとバリア・フィールド・シールド――つまり外部干渉に特化されている。エリオが使用した理論『U.T.O.B』の問題点の一つに上げられるように――内部に干渉する魔法は難度が高いとされている。故に治癒魔法は高度な魔法と認定され、専門の魔導師が存在しているのだ。
フェイトはその隙を瞬時に理解した。治癒魔法こそ使用できないが、体内に魔力を張り巡らせることくらいは可能。直ぐさま、その煩雑な術式を組み上げ、体内に魔力を通したのだ。
――天才魔導師。その渾名は、伊達ではない。
しかし、天才にも苦手なことはある。
(く……私の魔力では、この結界を破壊することは無理。この規模のバリアブレイクには時間が掛かりすぎる。アルフやユーノ、なのはでもないと)
何もかもを吹き飛ばす大火力魔法。今必要なのはソレだ。しかしフェイトは閃光≠ニ渾名されるように速さに特化された魔導師。大火力を生み出す破壊魔法は苦手としていた。
「う、ぅうう……」
「がぁ……あああ」
苦悶する同僚達を横目で見る。自身の体も慣れない魔法行使のためか、幾分重い。早くこの結界を解かなければ。
ならば、手段は一つ。
自らの愛機――バルディッシュをライダーに向けて宣言する。
「早くこの結界を解除しなさい! さもないと――」
「――さもないと、何ですか? ……ふぅ。どうやら貴女は天才ですが、火付けが悪いようですね。ならば言ってあげましょう。
――――この私を斃さないと結界は解除されませんよ」
それは紛れもない、戦闘開始の鐘の音に他ならなかった。
「……バルディッシュ」
シーリングモード。
ケースごとフェイトはバルディッシュに封印≠キる。
その隙に――ライダーが地面を蹴った。
「――!」
ソニックムーブ。同様にフェイトも地面を踏み砕く。周りの黒い影≠煬ゥつめているだけではない。雨霰と砲撃を撃ち込んでいく。バリアジェケットがあるとはいえ、ほぼ動けない局員。一人だけ逃げることなど出来ない。そのことを踏まえると、あまり時間は残されていなかった。
じゃら、とライダーは釘剣を投擲。恐るべき豪速で撃ち出される。
辛うじてフェイトはそれをバルディッシュ・ハーケンフォームで弾く。そのまま雷撃の鎌を以て、反撃する。
右から左へ薙がれたソレを易々とライダーは躱す。生まれた隙。そこに徒手空拳が打ち込まれる。だがフェイトは慣性を殺さないように宙へと舞う。そのまま縦に回転。バルディッシュを振り下ろす。
ご、と音がした。バルディッシュが地面を砕く音だ。フェイトが切り裂いたのはライダーの残像に過ぎなかった。
「く――!」
右後方から釘剣が迫る。空中に逃げるように回避。そこに空中になど逃がさないと言わんばかりに、黒い影≠ゥら砲撃が撃ち込まれる。
――自らの間合いからは逃さないということか……!
フェイトは確信した。出し惜しみしている場合ではない。また出し惜しみできる相手でもない、と。
「バルディッシュ――――っ!!」
ロードカートリッジ。オーバドライブ。真・ソニックフォーム――――
雷が煌めき、フェイトの真の力が解放される。
「――!」
流石のライダーも驚いた。目の前の相手は、今までの速度のおよそ数倍以上を以て、自身の背面に回り込んだからだ。
――ライオットザンバー・カラミティ。
二本のライオットブレードを連結させた大剣が、ライダーに振り下ろされた。
フェイトは確信する。
貰った。確かに目の前の相手は、この上なく速い。金色の閃光と呼ばれた自身と同等か、それ以上だ。だが、その速度を以てしても、この一撃は躱せまい――――!
にぃ、とライダーは凄惨な笑みを浮かべ。
瞬間、視界が、白い闇に浸食された。
一直線。
白い彗星が、目の前に存在する障害という障害を全て破砕し、大地を抉りながら駆け抜けた。
一瞬だった。真・ソニックフォームのフェイトすら上回る速度で、目の前の全てを蹂躙・破壊した。
ごん。
衝撃、轟音。辛うじて上空に逃げたフェイトが、蜘蛛の巣のように張り巡らせた砲撃に直撃・落下した音だった。
顔に刻まれているのは驚愕の二文字。
リミットブレイクしていなければ――死んでいた……!
それが全ての虚飾を剥ぎ取った真実だった。嘘ではないとフェイトに囁き続けるように、躱し損ねた左足が、じゅうじゅうと音を立てながら焼けていた。
そして、見た。見てしまった。その、姿を。
遥か前方。
白き天馬を横に、こちらを睥睨する――その、究極の魔眼を。
石化の魔眼――――
「――――っ!!??」
御伽噺に出てくるようなペガサスが目の前にいること、視認することも追いつかなかった先ほどの馬鹿みたいな一撃。疑問と困惑と衝撃が、駆け抜けていた。しかし此処にいたり、それら全てが些末に過ぎないことをフェイトは理解した。
――体が……動かない……!?
ぎちり、と周りの空気全体が石になったように、全身が動かなかった。
否、これではまるで――自分自身が石になったようではないか。
ぞわり、と石になった背筋が凍った。
「……やれやれ。出来れば、この眼帯は外したくはなかったんですが。しかし、貴女を相手にするのは少々骨のようだ。今回は他に目的もあることですし、この辺で妥協しておきましょう」
眼帯から解放されたライダーが、ふぅと嘆息した。フェイトはその両目に釘付けになる。いや、釘付けにされている。
虹彩が凝固した水晶のような四角い瞳孔。特例の中の特別。異常の中の異形。最高位の魔眼――それがライダー、真名メドゥーサが持つ石化の魔眼だった。
ライダーはそのまま、フェイトに向かって歩いてくる。だが、フェイトは小指一本すら動くことを許されていない。
「貴女は……一体……!!」
「だから言っているでしょう。貴女の――いえ、貴方達の敵だと」
真正面に立つ、人の形をした異形を、戦慄の思いでフェイトは見つめる。
何て化け物、と。
しかし、突如、ライダーは俯いた。苛立ったように奥歯を噛み締め。
「――この程度、この程度なのですか……これでは何も変わらない。何も止められない。今までの世界と何ら変わりない。ああ――本当に、いつ」
――を救うことが出来るのか。
ぼそりと独白のように呟いた。それは今までと違い、ライダーが初めて零した感情だった。それは――諦観じみた、怒り。
それを聞いたフェイトは、どうしようもない激情が全身を支配するのを感じた。
「……ふ、――ざけるなぁっ! そんな、そんな訳の分からない理由で、私達の世界を襲ったのか!! この世界を! 私の世界を! 日常を! 仲間を!」
泣いた。どうしようもなく涙が溢れていた。激情の奔流。いつもは制御出来るソレが、どうしても溢れだしてしまっていた。憎悪と自己嫌悪と憤怒がごちゃごちゃに混ざり合い、混沌となる。器ごと破壊する勢いで、負の感情が外へと吐き出されていく。
全てを砕いていく目の前の敵が許せなかった。何も出来ない自分が許せなかった。何よりも、何よりも許せないことは。
ああ――許せない。
――許せるはずもない。
――許して良いはずがない。
絶叫する。それは獣のような咆吼だった。
「――――私のエリオとキャロを、そんな理由で!!」
ぐちゃぐちゃに壊した相手は何であれ――それを許せることなど、出来るはずもない。
みっともないほどに擦れた声だった。言葉に出来ない言葉。目の前の全てを絶殺せんと言わんばかりの叫び声だった。
その感情は、紛れもなく、剥き出しのフェイト・テスタロッサ・ハラオウンそのものだった。
原初に刻まれた衝動そのまま。生きてきた年月。自らの象徴。自身の全てが、その言葉に込められていた。
その絶叫に、ライダーが目を見開き。
「ああ――貴女は、私と同じなのですね――」
やがて、静かに微笑んだ。それは自嘲を多分に含んだ笑みだった。
何故かフェイトは、それ以上、言わせてはならない気がした。
「そうだ。貴女と私は同類」
止めろ。
その一言が――言えなかった。唯一動くことを許された唇が戦慄いた。
「空っぽな自我。与えられなければ動けない自動人形。命令を与えなければ動かない偽りの行動原理。ぽっかりと開いた空洞」
ああ、止めてくれ。
「……言ってあげましょうか。その致命的な歪み。貴女の醜悪な闇を」
その箱を――開けるな。
壊れてしまう。狂ってしまう。
私が私であるために必要な何かが――――
「貴女と私は、誰かに依存しなければ生きていけない、只の人形なのですよ――――」
――――壊れた。
私には、ずっと、疑問に思っていることがある
母さんに言われて、魔法を学んだ(母さんに言われたから)。
傷ついた狼を拾って、可哀想になって使い魔にした(可哀想だったから)
母さんに言われて、ジュエルシードを集めた(母さんに言われたから)。
そして、なのはに出会った(再び巻かれるネジ)。
恩返しがしたくて、管理局に入った(なのはが友達だったから)。
兄さんみたいになりたくて、執務官になった(兄さんが家族だったから)。
エリオとキャロに出会って、可哀想になって保護した(可哀想だったから)。
はやての夢を聞いて、手伝ってあげたくなった(はやてが友達だから)。
ああ――何てこと。
どこにも自分≠ェいないじゃないか。
私の人生はずっと、誰かに与えられ続けた。最初は母さん、次はなのは。アルフやエリオとキャロを保護したのだって、そこに自分を重ねたからだ。
自分を分け与えることによって、自分を補完した。与えられた自我を何とか保ちたくて仕方がなかったんだ。自己憐憫の極地。ネジを回すための動力に過ぎない。
皆のために。誰かのために。ずっとそんな依存を追い求めてきた。
そうだ。私の人生には誰かに言われたから≠ニ可哀想に思ったから≠オか存在しない。
理解した。分かってしまった。私の疑問の正体が、あっさりと氷解した。
私は、一体、何がしたくて、生きているんだろう――――
今まで理解できなかったのも道理だ。その疑問は、私の中の醜悪な闇、そのものなのだから。
「は――ははははは」
笑うしかなかった。周りから天才執務官と褒め称えられる私は、単なるネジ回しの人形に過ぎなかったのだから。
人形は、何かに依存しなければ、生きていけない。だから、私は依存できる何かをずっと求め続けた。
そんな想いで誰かを救い、誰かを裁く――ああ、何て馬鹿みたいな話。
ネジ巻き人形が、舞台の上で、自覚も無しに踊り狂っていた。
ただ、それだけ。ただそれだけの――滑稽な話だった。
「……――壊れましたか。どうやら自覚してなかったようですね。私も、生きている内に気付きたかった」
かつてメドゥーサと呼ばれた女神が居た。女神には二人の姉が居て、世界と隔絶された孤島で、静かに暮らしていた。メドゥーサは二人の姉に支えられて生きてきた。その事にすごく感謝していた。だけども――醜い怪物に墜ち、姉を喰らう段階まで、終ぞ気付かなかった。二人の姉もまた――メドゥーサに支えられて、生きていたということに。
それは、紛れもない、自身の罪だ。
もしあの時。醜い化け物へと墜ちる瞬間――二人の姉のことをもっと知ってさえいれば、人形でさえなければ、違った結末を迎えたのかも知れない。
そうだ。もしあの時――
ライダーは一瞬だけ目を閉じ、そして開けた。
フェイトは、ただくつくつと笑っていた。
「その苦しみを、私が絶って上げましょう。かつて人形だった――そして、その事に気付いた今でも傀儡に過ぎない、この私が」
その時、バルディッシュが輝いた。
どすん、と地面に落ちたソレは――ディスクが入ったケースだった。
ライダーはそれを見て、微笑んだ。
「……優しい子。ですが、終わらせる優しさというのもあるのですよ」
フェイトの首筋に、その命を絶たんとする手が――
* * *
その通りだ、と思ってしまった。理解してしまった。
私を動かしているモノは、全て他人から与えられたモノ。誰かに巻いて貰ったネジのおかげで動ける只の人形。子供の玩具。
そんな私に、エリオやキャロを救うなんてことが出来るはずもなかった。事実、出来ていない。私のネジを回す。子供達に依存を求めた結果が、あの姿だ。シグナムに言われた通りだ。人として、誰かの責任を負うこと。私には覚悟どころか、何もかもが足りなかった――
――あまり私を失望させるなよ、テスタロッサ。私が認めたお前は、そんなにも脆弱なものだったのか?
それは買いかぶりすぎだよ。シグナム。
脆弱? ああ、そうかもしれない。私は誰かに依存しなければ自分を保てないほど、弱い存在なのだから。
笑ってしまう。
私の人生は全て誰かの上で成り立っている。否、誰かに回されて、動いている。
自己憐憫の極地。自己中心的思考の極北。結局、私は――自分のことしか考えていなかったのだ。
そんな自分が、他人を救うことを仕事にするなんて、間違っている。ましてや、可哀想だなんて理由で、誰かを救うなんて――
なんて、滑稽。無責任にも程がある。
ああ、もう何もかもがどうでもいい。出来ることなら、このまま。
このまま、この闇の中へ消えてしまいたい――――
『いいえ、フェイト。それだけは、それだけは――決して許しませんよ』
声が、聞こえた。
闇が支配するこの世界で。
凛、と。
――鈴を鳴らすような、声が聞こえた。
振り向く。そこで私は、泣きながら笑っていることに初めて気がついた。
目を見開く。
私だけしか存在を許さない、この空間で。
『リ――――ニス?』
リニスが、厳然とした相貌で、立っていた。
『許しませんよ、フェイト。全てを投げ出すなんていう無責任なことは、何よりも、この私が許しません』
いつも優しかったリニスの瞳には、かつて見たこともない静かな激情が感じられた。
会いたかった≠ニいう感情は来なかった。在るのは、ただ何を言っているんだ≠ニいう理不尽な怒りしか、私には湧かなかった。どうしようも、なかった。
『今更――今更だよ! リニス! 今更出てきて……そんなこと! 何も言わずに、どっか行っちゃった癖に!』
最悪だった。八つ当たりだった。自分も遥か前に、理解していたのに。使い魔の意味。契約を履行した使い魔が、どうなったかなんて。
プレシア・テスタロッサの使い魔、その意味。そんなことはとうの昔に、理解していた。自分でも分かっている。あんなに優しい日々をくれたリニスにこんなことを言うのは間違いだと。
でも、どうしようもなく感情は止まらなかった。
『なのに! 今更、そんなこと――――何も知らない癖に、そんなこと言わないで!』
『……そうかもしれません。それは確かに、私の罪です。ですが、一つ、否定させてもらいましょうか。何も知らない? いいえ。――私は、誰よりも貴女のことを理解している自信があります』
『何で!? 何で、リニスにそんなことが言えるの!?』
『言えます』
『っ!!』
リニスは断言した。その双眸には有無を言わせない威厳が込められていた。
私には理解できなかった。何故、そんなに自信満々なのだろうと。
す、とリニスは手を差し出した。
そこには――
『――だって、私はずっと貴女を見てきたもの。この子の、中から』
――金色に輝く、私のバルディッシュがあった。
『あ――』
卑怯だ。そんなことを言うのは卑怯だと思った。
『だから、言わせて貰います。貴女がこんなところで死を選ぶのなんて、ずっと見守ってきた私が許しません』
『それは……傲慢だよ、リニス。駄目なんだ。もう私は』
笑った。私には乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
『だって、知っちゃったから。気付いちゃったから。――私には何もないって。私は人形って。そんな人間が今まで何をやってきたと思う? 可哀想だと思って誰かを保護して、役に立たなきゃって思って誰かを助けて、裁いて、お説教して……本当、馬鹿みたい。やりたいことも見つからない、誰かに依存していないと生きていけない人間なんて……そこに価値はあるの?』
無い。在るはずがない。
知ってきたこと。してきたこと。全て、機械のように手を動かしてきたようなだけだ。そこに自分の意志など無く、だとすれば、やりたいことなど見つかるはずもない。
二十年以上生きてきて、ただ一つも本物がない。なのはやはやてのように強い人間には、とてもじゃないけど届かない。人間に憧れる人形。きっと、それが、私だ。
リニスは私の言葉を聞いて、肩を竦めた。
『ええ、そうですね。私も、そんなものに――価値があるとは思えません』
ほら、やっぱり。
言った通りじゃないか。はは、何でこんなに泣いているんだろう。
リニスに言って欲しかったのか。否定して欲しかったのか。そうではありません≠ニ。
ああ――こんなところでも私は、誰かに依存を求めている。
くだらない。私はやっぱり、此処にいては――――
『ですが、貴女が背負ったモノには価値があります。貴女はどうやら、そのことを失念しているみたいですね』
『え――』
リニスはす、と指を指す。見ると、そこには私の世界≠ェ在った。私≠ェ居ない世界。歪で間違った私を象徴する世界だ。
今更、こんなものを見せられて――何だというのだろう。
私は見つめ続ける。ああ――懐かしいな。
出会った頃のなのはやはやてが居た。母さんやアルフも勿論、目の前にいるはずのリニスも居た。エリオとキャロも居た。スバルやティアナやシャーリーも皆――
皆皆、笑っていた。そのことが羨ましかった。何かに一生懸命になれて、何かに向かう事の出来る、そんな皆が羨ましい、と思った。
リニスは、はっきりと、私に向けて、こう言った。
『――貴女は、この笑顔も、否定するつもりですか』
いつもの優しい声だった。
『リニ、ス……』
『人形でも、いいじゃないですか』
にこりと、リニスは微笑んでいた。
その時、どこからか、私を呼ぶ声が、聞こえた。
『さぁ、行きなさい。行って、やり遂げなさい。そして証明して見せなさい。貴女の人生は決して無価値ではないと』
意識が少しずつ、浮上していく。
闇の底から、光に向かって、声に導かれて――
『だって、貴女は――』
私は、その時、確かに――強くなろうと、そう思った。
* * *
「フェイト――――っ!」
「フェイトさんっ!!」
ライダーがフェイトの首に手を掛けようとした瞬間。
血の結界が崩壊し、橙色の巨大な魔力球が撃ち込まれた。
――――スターライト・ブレイカー。
高町なのはの必殺の一撃――には遠く及ばないものの、ライダーを警戒させるのに十分な威力を持っていた。
轟音。
黒い影≠イと大地を粉砕する。
ライダーは大地を蹴り、全体を見渡せる位置に付く。
石化の魔眼は視界に入れた全てを石化する。ライダーの戦闘とは、敵の攻撃から姿を捕捉するまでのことを指す。そして――
「見つけた」
――真上から飛び込んでくる使い魔アルフと執務官ティアナ・ランスターの姿を捉えた。
しかし。
「――!」
アルフとティアナは、止まらなかった。
石化の視線をモノともせずに、そのまま自由落下し――アルフは拳を、ティアナは二挺の拳銃、クロスミラージュから砲撃を放とうとする。
――私の魔眼を上回る対魔力? ……いや。
ライダーは、ある確信を以て、釘剣を放つ。
釘剣はティアナの頭を正確に捉え、そして撃ち込まれた。
瞬間、その姿が掻き消えた。
――やはり、幻影か……!
魔眼を通して、違和感は感じていた。ライダーほどの魔眼になれば、幻術の類は全て看破出来るはずだった。しかし、それは魔術師相手の話。この世界の魔導師には、まだ慣れていない。
ライダーは逡巡する。
わざわざ見せつけるような砲撃、幻影。それは一体何を意味しているのか――
まさか、と思い、振り向く。
そこには、居るはずのフェイトの姿が無かった。
「……やられました。どうやら逃げ足だけは一流のようですね。この世界の人間達は」
ですが、と呟き。
「――とりあえず、これを確保したことで良しとしましょうか」
手の中のディスクを弄びながら、そう言った。
直下、黒い影の中に沈んでいく。
その最中、山の向こうへ振り向き――其処に存在するだろう、かつて研究所と呼ばれた瓦礫の山を思った。
ふ、と笑みを浮かべる。そして、何千、何万回も思ったことを、再び繰り返した。
――私は、一体何をやっているんでしょうね――
最後に零した言葉は、誰にも届かず、体ごと闇の奥底へと消え去っていった。
◇
「どうやら、ここまでは追ってこないようね」
遠く離れた山の向こう側。そこでティアナは、ふぅと安堵の溜息を吐いた。
間一髪だった。幻影とスターライトブレイカーによる奇襲――それは一種の賭だった。一歩間違えば、彼処に転がっている局員達と同じ道を辿っただろう。
――ごめんなさい。貴方達を助けられなかった。そして、ありがとう。知らせてくれて。
俺たちは助からないかもしれない。だが、せめてフェイト執務官は、彼女だけは――助けてくれ
切なる通信。それも一つだけではなかった。フェイトと共に護衛の全てから、本局の方に、そんな内容の通信が届いていた。
でなければ、フェイトは恐らく死んでいただろう。念のため待機していて良かった、とティアナは思う。それでも、たまたま管理局にエリオとキャロの様子を見に来ているアルフが居なければ間に合っていたかどうか。
しかし、肝心のフェイトが――
「フェイト! 一体どうしちゃったんだよぉ」
だらり、と力なくアルフに担がれているのが、あの聡明な執務官、フェイト・T・ハラオウンだとは、ティアナには思えなかった。
これではまるで。
「――人形みたい」
思わず、呟いてしまった。
それに反応したのか、フェイトはぴくりと体を動かした。ゆらり、と幽鬼のようにアルフから離れる。
「……フェイト……?」
「……フェイトさん……?」
ふらふらと、山の向こう側に向けて歩き出した。
俯いている表情は、長い髪に隠れて見えない。それが余計に二人の不安を掻き立てた。
「――」
そして、あ、とも、お、とも言えない声がフェイトの口から僅かに漏れた。
どうした、と二人が聞こうとした瞬間――――
「あ、あぁ――――ああぁああああああああああああああああああああああああああああああぁぁああぁああああああああああああああああああああああ!!」
突然、天に向かって絶叫した。
それは叫びだった。腹の底から、五臓六腑の奥から、心の深奥から、全てを絞り出す声だった。
まるで自分そのものを破壊し、不純物を体の外へ排泄しているようだった。
より純粋に。より純粋に。
フェイトの咆吼は、正にこの世界に生まれ落ちるための産声――新生するために必要な儀式に他ならなかった。
アルフとティアナは呆然とするしかなかった。
あまりの狂態――そう狂態としか思えなかった。壊れたのか、とまで思ってしまった。思ってしまうほどの絶叫だった。
やがて声は止み、フェイトは目の前を見据えた。
――その目は爛々と輝いていた。その目が告げていた。私は狂ってなどいないと。壊れてなどいないと。
決意に満ちた、双眸だった。
* * *
――強くなろう、とそう思った。
ああ――認めよう。
私は何がやりたいのかも分からない人形に過ぎないのかも知れない。だけど――
人形でも、いいじゃないですか
人形には人形の誇りがあるのだ。
依存しなければ生きていけないというのなら、私はそれを貫こう。
私は助けたいと思ったから助けた。
それだけだ。きっと――それだけなんだ。
そうだ。
そこに理由はいらない。必要ない。自己憐憫のため、自己補完のためでも。
――あの笑顔を、否定させる理由には足らない。
気付いた。リニスが気付かせてくれた。
貴女が背負ったモノには価値があります――――
私はずっと誰かに支えられて生きてきた。それは私が人形だからだけど――そこには確かに誰か≠ヘ居たのだ。
私を否定すると言うことは、つまり、その誰かも否定することになる。
優しかった母さんも、初めて名前を呼んでくれたなのはも、出会ってきた人々の全てが、無くなってしまう。
嫌だ。
それだけは――嫌だ。
皆の笑顔を嘘にはしたくなかった。
確かに私の世界には私≠ヘいないけれど――皆の笑顔は、こんなにも沢山存在しているのだから。
確かにエリオとキャロを引き取り、結果、あのような姿にしてしまったのは、私の責任だ。覚悟が足りなかった。認識が及ばなかった。それは――私の罪だ。誰かに当たるなんてことは間違っていた。例え、それが、あの黒い影¢且閧セったとしても。
だけど、二人を引き取ったことそのものは間違いじゃない。そう断言できる。
ああ、そうだ。
あの笑顔を、あの暖かさを、嘘にすることだけは――絶対にしたくない
だから。
だから私は。
私はこれからも――助け続けるだろう。
私と同じような境遇の人達を、子供達を、可哀想と思った人達を。
傲慢と笑う? 偽善と蔑む?
ああ、言いたければ、言えばいい。だけど私は止めない。決して、止めてなんかやるものか。
笑ってくれた。私のことが好きだと、あの子達は笑ってくれたんだ。
それだけは。それだけは決して誰にも否定させない。
自己保存と他人依存を繰り返すだけの私でも、誰かを救うことは出来る。
泣いている誰かに、笑顔をもたらすことは出来る。
そのことを――残りの人生、私の全てを費やして、証明してみせよう。
それがきっと、ずっと私がやりたかったこと≠ネんだ。
ありがとう、リニス。
貴女が、教えてくれた。
あの時は言えなかったけど、会えて、嬉しかったよ。
さぁ、行きなさい。行って、やり遂げなさい。そして証明して見せなさい。貴女の人生は決して無価値ではないと
うん。
私を助けてくれた皆のために。皆の笑顔のために。
私は一生を賭して、証明しようと思う。私の存在は無価値ではないって。
だって。
だって、貴女は――
私は、プレシア母さんとリンディ母さんの娘であると同時に。
――――私の、娘なんですから
リニスの、娘なんだから。
私、もう泣かないよ。リニス。誓うよ。強くなる。こんなにも弱い自分だけど、あんなにも強い母さん達に負けないように。
だから――ずっと見守っててね。これからもバルディッシュと一緒に。
私は振り返る。
何もない空間。白くて黒い、どこまでも広がる荒野。
「行ってきます」
極上の笑みと共に、私は、静かに、そう告げた。
そして私は歩き出す。果ての見えない荒野に。途方もなく長い未来への道のりへと。
さぁ行こう。
誰かの笑顔を抱えて。
この金色の風と共に。
――――――――――――――――行ってらっしゃい。
* * *
「アルフ、ティアナ」
山の間に太陽が沈んでいく。茜色に照らされた世界で、フェイトは宣言する。
「私……管理局を辞めるよ」
「――――え」
驚きの声はアルフとティアナのものだ。あまりに突然な言葉に、ただ見ていることしかできない。
否、見惚れていたのだ。
夕日が辺りを照らす、夕から闇へと移行する刹那の時間。煌々と輝く朱の荒野。そこに、凛として佇む金色の女性。
綺麗だった。バリアジャケットはずたずたに裂け、体も擦り傷打ち身だらけだ。それでも夕日を背おった、その背中は――――
理由は分からない。ティアナは泣いた。荘厳で壮麗で、壮美で華麗で――圧倒的な存在感が目の前の存在する。そのことがどうしてもティアナの頬を濡らした。
その時、アルフは確かに見た。バルディッシュを手にしたフェイトに寄り添っている――かつて自分に優しくしてくれた人の姿を。逆光でよく見えないけれど、それでも、アルフは笑った。アンタはいつもフェイトを見守っててくれたんだねと。
――――その背中は、この世界のどんなものよりも美しく、そしてどうしようもなく尊く、そして貴かった。
フェイトは振り向く。ゆっくり。ゆっくりと――――
「私ね、孤児院を、作ろうと思うんだ」
――――それは穏やかな、それでいて極上の笑顔だった。夕日を背にしたその笑顔は、どこか儚く脆かった。しかし圧倒的な色彩を以て、見た者全てに鮮烈さを残す笑顔だった。
まるで風に舞う花のように――――
「だけど、それは少し先の話。今はまだ、やるべきことがある」
関わってしまった。知ってしまった。自身と同類だ、と呟いた、あの紫色の女性を。
スバルやエリオとキャロを傷つけた、黒い影≠このまま無視できそうにもない。――そして何より、伝えなければならない。この決意を。この宣言を。
あの女性の目の前で、この想いの丈をぶちまける。そうしなければ、きっと、私≠ヘ始まらない。何処にも進めない。
フェイトは見上げた。茜色の空を。少しずつ黒に染められていく空を。万感の思いで見上げる。
目を閉じる。
風が吹いた。大地を駆け、地平線の彼方へと吹き抜けた。
そうだ。
この茜空に誓おう。
今はせめて――この金色の風と共に――戦場を駆け抜けることを。
フェイトは茜色が黒色に染まるまで、悠久の空を見つめ続けていた。
◇
新暦81年 四月十二日 ミッドチルダ 中央区画 ミッドチルダ地上本部
「――ああ、そうか。世界は、きっとフラクタルなんだ」
ミッドチルダ地上本部、高町なのはは静かに呟いた。
「え、何ですか。なのはさん」
なのはの部屋、レポートを手にしたシャリオ・フィニーノは首を傾げながら言った。
「ん。今はまだ断言できない。もう少し、詳しい話を聞いてみないと」
なのははシャリオからレポートを受け取る。
「ありがとシャーリー。忙しいところ、ごめんね」
「いえ……でも、不思議ですよね」
シャリオは静かにレポートを覗き込み、その写真を見つめ。
「衛宮士郎なる人物は――既に死亡しているなんて」
言った。
そこに写っている写真、赤銅色の髪の青年の横に書かれている文字。――享年二十五歳。
その文字を見ながら、なのはは再び呟く。
「……世界はね、フラクタルなんだよ」
なのはの瞳は、どこか沈鬱で、物憂げだった。
◇
新暦81年 四月二十一日 ミッドチルダ 北部 聖王教会
「――何を、見ているんですか」
色とりどりの花が咲く中庭で、カリム・グラシアはそう尋ねた。
清々しいまでの快晴だった。頬を撫でる風が気持ちいい。
その人物は、す、と立ち上がり。
「花を……見ていました」
静かな笑みをカリムに向けた。
「……まだ何も思い出せませんか?」
カリムは少し目を伏して、尋ねた。
「ええ。そうですね。名前以外、ほとんど。……すみません」
「いえ、こちらこそすみません。まだ怪我も治りきっていないのに……」
「謝るのはこちらのほうですよ。これほど世話になっているのに、情報の一つも提供できない」
俯く。
カリムはそれを見て優しく微笑んだ。
「気にしないで下さい。アナタのような迷い子を保護するのも私達の仕事ですから。それより、どうですか? この中庭。綺麗でしょう。
――言峰綺礼さん。アナタの、名前のように」
この中庭はちょっとした自慢だった。どう思っているか聞いてみたかった。
綺礼、と呼ばれた人物は、僅かに笑い。
「ええ。とても。ああ――とても、美しいです」
全てに澄み渡る清冽なる声で、そう言った。
「そう、ですね。私も思いますよ。この光景は――実にアナタに似合うと」
カリムは笑う。
色鮮やかな花。抜けるような青空。気持ちの良い風。その全てが、目の前の人物を祝福しているような、そんな感覚。それが今のカリムには在った。
綺礼はカリムに背を向けた。そして誰にも聞こえないほどの声で、呟く。
――だからこそ、踏みつぶすことに価値がある、と。
桜の花は咲いて散るからこそ美しい。
綺礼は愉悦を抑えきれないという風に、静かに、その口の端を歪めた。
→EP:5
Index of L.O.B
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