王は人の心が分からない。
――それは王が人ではないからだ。
5/王は人の心が分からない
新暦81年 四月二十四日 ミッドチルダ 中央区画 ミッドチルダ地上本部
早朝と呼ぶには早すぎる時間帯。ミッド地上本部の白亜の廊下を、リンは苛立ちながら歩いていた。
あれから二週間が経っていた。首都クラナガンに黒い影≠ェ現れ、膨大な被害をもたらした、あの日から。あの少年に出会った日から。
全く以て苛だたしい。あの事件以降、何の情報も公開されていない。各地で散発的に起こっている似たような事件も、ほとんど内容は分かっていない。一応、黒い影¢ホ策くらいは聞かされたが、アレが何なのか、その目的は、その総力は、などといった疑問は全くと言って教わっていない。事務仕事がメインの局員はともかく、武装局員にすら伝えられていないというのは、一体どういう事なのか。
上に問いただしても、答えられない≠フ一点張りだ。
もしかして何も分かっていないのか、と思うが、だとすれば、自分が出会ったあの少年のことも伏せられているということに説明が付かない。第一発見者であるにも関わらず、リンは、彼の氏素性どころか、その後の動向すら聞かされていない。
――それだ。そのことがどうしても気に掛かる。そうだ。アイツなんかが気に掛かること。それがむかつくのよ……!!
何で私が名前も分からないような人間を気に掛けなきゃいけないのよ、と零しながら、リンは歩く。
だが、理解していた。リンは認めたくないが、あの赤銅色の髪を持つ少年を気にする理由を。
似すぎている――どうしても、そんな違和感が拭えないのだ。現実と事実の齟齬がずっとまとわりついてくる感覚。それが気持ち悪かった。
低血圧なリンがこんな早朝に歩いているのも、その事が原因だった。おかげでここ二週間ずっと寝不足が続いていた。そろそろ限界である。あまり薬に頼るのは好きではないが、このままでは眠剤の世話になりそうだ。
とりあえず食堂のおばちゃんに暖かいミルクでも作ってもらおう――そんなことを思いながら、ふらふらと廊下を歩く。
食堂の扉の前に付く。と、その時――
「士郎さーん、野菜切り終わりましたよー」
「おう、サンキューなヴィヴィオ。じゃ、次は卵割って貰おうかな。俺は鍋の機嫌見ているから」
「はーい」
そんな暢気な声が、扉越しに聞こえた。
「……」
頭を抱えながら、無言で食堂に入る。
そこには、ぱたぱたと可愛らしく走り回っている少女、ヴィヴィオと、仏頂面で鍋を睨んでいる赤銅色の髪の少年、衛宮士郎が居た。
あれから幾ら探しても見つからなかった、名前も知らない少年が、目の前で鍋を見ている。あまつさえ、意外と出来がよいのか、「うん、いける」などと呟いている。
――どこの主夫だ。
「アンタ――何やってんの?」
思わず尋ねる。いきなりの闖入者に驚いたのか、ヴィヴィオの手が止まった。そして、首を傾げながら士郎の方を見た。
士郎は一瞬だけ目を見開いて、言った。
「――――朝飯作ってる」
「んなこと聞いてるんじゃないわよっ!!」
思わず怒鳴る。
――こいつ、天然か……?
一層痛む頭を抱えながら、リンはつかつかと幾つも並んだ無機質なテーブルの前まで歩き、女子とは思えないほど豪快に、どかっと座った。
「……?」
ヴィヴィオが首を傾げる。士郎は鍋を見ている。リンは腕を組んで黙っている。
言いたいこと聞きたいことは、それこそ山のようにあるが。
とりあえず。
「――ホットミルク。暖めすぎたら承知しないんだから」
ふん、と鼻を鳴らしながら、リンは言い切った。
それを見た士郎は。
「ああ。任せろ、慣れてる」
何だか懐かしくなって、思わず笑いなら、準備を始めた。
ヴィヴィオはリンと士郎を見比べた後――何故か可笑しくなって
「――ふふ」
笑ってしまった。
◇
「――はぁ? 守秘義務ですって?」
リンは出されたホットミルクを啜りながら、素っ頓狂な声を上げた。とりあえず前に出会ったときよりも詳しい話を聞き出そうとして問い詰めてみたが、そんな四文字言葉で切り換えされた。
ひとまずの準備は終わったのか、士郎はエプロン姿のまま、リンと同じテーブルに座る。
ぼんやりと四日前のはやてとのやり取りを思い出す。
――ええか、士郎君。今のことは秘密や。皆を混乱させることになる――
「ああ、そうらしいぞ。俺の詳しい氏素性は話しちゃいかんそうだ。ええと、何だっけな。もしこのことが本当だったら、とんでもない混乱を引き起こす=\―らしいぞ。まぁ割と突拍子もない話だし、信じられないと思うけど。色々」
「……一応私、アンタ――ええと、士郎とか言ったっけ? から直接話を聞いたはずなんだけど。初めて会ったときに」
士郎。その発音に、どこかわざとらしさを士郎は感じながら、会話を続ける。
「そうだな。だから俺はとある事情で地球からミッドチルダに飛ばされた迷子で、基本的に只の民間人≠ニいうことになっている。何かその辺の情報操作もしといてくれるらしいぞ?」
「ええと……突っ込みどころ、沢山あるんだけど」
とある事情。とある事情である。そんな胡散臭すぎる理由が通じると思っているのだろうか。そうだとしても馬鹿正直にソレを明かす必要はない。コイツは暗に『誤魔化せ』と言われているのに気付いているのだろうか。いや、そもそもコイツにそんな壮大な理由が隠されているというのか。前に話を聞いた限りでは単なる迷子にしか思えない。守秘義務と言う割には、第一発見者である自分に話が来ていないのも引っかかる。いや、そんなことは些末に過ぎない。士郎=B最大の違和感は――
これら、怒濤の突っ込みが全て口から出そうになった。が、それに伴う莫大な労力を目の前の人物に振り分けることを考えたとき、リンは何だか馬鹿らしくなった。
だから、それらを全て飲み込み。
「――アンタ、やっぱり馬鹿でしょ」
一言でまとめた。
士郎は顔を顰め。
「……む。前も思ったけど、バカバカ言いすぎだぞ。女の子なんだから、あまりそういう言葉遣いは――」
「論点ずれてるし、やっぱ馬鹿だわアンタ。……頼むからそういうの止めてよ。ただでさえ混乱してるんだから」
リンはぐったりとテーブルに突っ伏した。
「?」
首を傾げる士郎。そこに。
「ねぇ、士郎さん。この人誰ー?」
会話についていけず、若干詰まらなさそうにしていたヴィヴィオが疑問の声を上げた。
「ああ、コイツは――リンだ」
「何その説明。ええと、ヴィヴィオちゃんって言ったっけ? 私は時空管理局の人で、リンよ。よろしくね」
そこでヴィヴィオはぽん、と手を叩き。
「ああ! 前にお母さんから聞いたことあるよ。何でも優秀だけど、ちょっと先行しすぎで危なっかしい子だって言ってた」
と朗らかに言った。
リンはきょとんと目を丸くする。
「――お母さん?」
「うん。お母さん。今思い出したよー。前にアルバムで見た。お母さんの横でリンさんが楽しそうに笑っているの、私見たよ!」
正確に言えば、楽しそう、ではなく、緊張のあまり顔が引き攣っていただけなのだが、とりあえず今はそんなことどうでもよかった。
「ええと。まさか……お母さんって」
嫌な予感に冷や汗が噴き出る。わざわざアルバムでそんな写真を娘に見せるような人物は一人しか思い浮かばない。
「?」
そこで、何となく茶を入れていた士郎が。
「なのはさん、だろ? 高町なのは、一等空尉だったか」
と、ぼんやりとした口調で、横やりを入れた。
そこで漸く、ヴィヴィオはリンが何を言わんとしているかに気付いた。
「うん、なのは母さんだよ。ちょっと前に色々あって、養子にして貰ってるんだ」
「ま、待って待って待って待って。とすると、アンタ――じゃなかったアナタが、あの噂の、ええと、エースオブエースの義娘で、後見人があのフェイト・T・ハラオウン執務官という噂の、ですか?」
――おお、混乱してる混乱してる。日本語無茶苦茶だ。
士郎はずず、と茶を啜りながら、それを見ていた。フェイト、という人には出会ったこと無かったが、高町なのは≠フ雷名が管理局に轟いていることは、この二週間で何となく知っていた。
高町なのは、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン、八神はやての三人の名前は、ここ地上本部でよく耳にする。曰く三人集まれば世界の一つや二つ、簡単に救うことが出来ると――
ヴィヴィオはそこで少し眉根を寄せた。
「確かにフェイト母さんは私の後見人だけど……あんまり驚かないで。私、ただの子供だよ?」
リンは、目を見開く。
――普通、そうは言っても納得出来ない人が大半だ。なのはの娘で、フェイトが後見人。名前≠フ重み。そのことを、ヴィヴィオは恐らく感じているのだろう。防衛長官以上に機嫌を損ねてはいけない人物=\―噂の最後に、そう付け加えられたことをリンは知っていた。管理局――特に地上本部において、ヴィヴィオは決して単なる子供≠ナはない。
だが――そのことを本人が望んでいるとは限らない。
ふぅ、とリンは一つ長い溜息を吐いた。目を細める。いつかの光景が、ホットミルクの湯気の向こう側に見えた。
そして。
「あのね、驚くなっていう方が無茶よ。何たって、あの≠ネのはさんの娘だからね」
ヴィヴィオは俯く。
「そう……だよね。お母さん、凄い人だもんね」
「――おい」
士郎は見るに堪えなかったのか、少し低い口調でリンに言った。
だが、リンはそんなこと知ったことか、と言う風にそれを無視した。
そしてぐい、とホットミルクを飲み干して。だん、と。
「当たり前でしょ? ――何たってなのはさんは私の憧れなんだから」
ヴィヴィオの目を真っ直ぐ見て、言った。顔を真っ赤にしながら。
「――へ?」
目をまん丸くするヴィヴィオ。矢継ぎ早に言葉を紡ぐリン。
「言っておくけど! これ誰にも言っちゃ駄目だからね! あとね、アンタなのはさんの娘でしょ! なら、もうちょっとしゃきっとしなさい! 背筋伸ばして、ちゃんと前を向きなさい! あの人は、アナタのお母さんは、いつも笑っていることが出来る――強い人なんだから」
ぎこちない、説教だった。だが――
こんな風に、他人≠ノ怒られるのは、久しぶりだったことにヴィヴィオは驚いた。
いや、きっと初めてだろう。皆褒めてくれることこそあれ、叱ってくれる赤の他人はいなかった。自分のことを叱ってくれるような大人は皆、どこかで母と繋がっており、他人と呼ぶには近すぎた。学校の同級生や先生ですら、どこか他人行儀だった。良く悪くも自分と対等な人間は少なかった。分かってくれる同級生の友達が居なかったら、今頃自分は――
だから、こんな風に初対面で説教されたことが――不謹慎だと思いつつも――嬉しかった。
ヴィヴィオはにんまりと。
「うん!」
笑った。
士郎もまた横で、くっくっくと抑えられないと言わんばかりに笑っていた。
「――何よ」
真っ赤な顔のまま、リンが言う。
「いや――うん」
そこで士郎は、目を細めて。
「――お前、やっぱり良いヤツだなって思ってさ」
笑いながら、言った。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
そこでリンの赤面度は最高潮に達した。最早耳まで真っ赤だ。しかしどこか、無意識下、心の最奥で――士郎の笑顔に微かな齟齬を感じているのをリンは見逃さなかった。
――乾いている。こんな乾いた笑顔を見るのは――
それら、一切合切を吹き飛ばすように、リンは言う。
「――ホットミルク」
「ん?」
「だから! ホットミルクおかわりって言ってるのよ!」
隠れていない照れ隠しだった。その事が可笑しくて、更に士郎はくつくつと笑った。
「笑うなぁ! しまいにゃ引っぱたくわよ!」
「悪い悪い。つい、な」
――どうしようもなく似ていたから。
士郎はその言葉を飲み込む。
「あ、私やるー」
カップを手に取り、とことことキッチンへ歩いていくヴィヴィオ。それを横目に、リンは天井を仰いだ。顔が熱いのが触らなくても分かる。何だこの展開は。天井の無機質な白さが何故か憎らしかった。
――柄じゃない。柄じゃないわ。
茹だった頭の中で、そんな言葉が乱舞する。
どうしてこんなことになってしまったんだろうか。どうにもコイツが現れてから調子が狂いっぱなしだ。いつもの優等生な自分はどうした。というかそもそも、何でこんなことになったんだろう……?
はた、と気づき、更に何やってるんだろう私、と軽く自己嫌悪する。ぐるっと一回りした思考に無意味さを感じる。まるで心の贅肉ね、といつの間にか口癖になった言葉を飲み込んだ。
そして、顔を士郎の方へと戻し、尋ねた。
「ところでアンタ――こんな朝っぱらから何してたの?」
士郎は目をぱちくりさせながら、首を傾げた。
「――朝飯作ってた」
さっき聞いただろう、とでも言いたげな風だった。
ああ、とリンは大きく息を吐き、テーブルに突っ伏した。何だかどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。まだ早朝だというのに。
――何だかもうどうでもよくなってきたわ。
そう思い、今日のスケジュールを頭の中に思い浮かべることによって現実逃避を開始する。
しかし、それは士郎のこの言葉によって、全部吹き飛んだ。
「? 何だかよく分からんが――
これから一緒に働く仲だろ?」
仲良くしようぜ、と後に続く言葉はリンの耳には入ってこなかった。
――は? 今コイツ、何て言った?
がばり、とバネのように跳ね起きる。色々驚かされてきたが、今のはクリティカルヒットだった。まるで脳髄を直接ハンマーでぶっ叩かれた感覚に陥る。
慌てて言葉を紡ぐ。
「ええと、アンタ。今なんて言った? 一緒に働くってどういうことよ」
「へ? ――ああ、まだ言ってなかったっけ。俺、アドバイザーとして……ええ、と機動六課に入れて貰えたんだ。まぁアドバイザーと言っても、こんな雑用だけどな。うん、だからその内リンにも俺の氏素性なんかの話もいくと思う。はやてさ、じゃなかった。八神部隊長から説明があるんじゃないかな」
「待って待って待って」
――何かおかしくない? 前提条件が食い違っている――というよりも自分が条件を知らないだけ? だとすればその条件って何? いや、それよりも機動六課に配属? 局員でもないコイツが? というか機動六課ってあの機動六課?
あまりの疑問の多さに言葉すらままならなかった。手を前に出した待って≠フ形のまま固まっているリンを見て、おかわりのホットミルクを持ってきたヴィヴィオが首を傾げた。
と、そこで、扉が開く音がした。
「――お前ら、朝っぱらからうるせぇーぞ」
「話すな、とは言わんが、もう少し静かにやれ。まだ六時前だぞ」
ヴィータとシグナムだった。二人とも目の下にうっすらと隈を作っていた。
士郎はそれを見て、苦笑する。
「……徹夜ですか。ご苦労様です。二人も飲みますか? ホットミルク」
「あ、ヴィータちゃんとシグナムさんだ。おはようございますー」
「だから、ちゃん付けは止めろって……まぁいいか。んじゃあ、一つ頼むかな」
椅子に座りながら、ヴィータは言った。そこでようやっと口をぱくぱくさせているリンに気がついた。
――シグナム二尉とヴィータ三尉!? あの『守護騎士』の……!?
ただでさえ様々な疑問が浮かんでいるところにこれである。完全に思考がオーバーフローしていた。敬礼も忘れて呆けていた。
だが、二人はそんなこと気にしない。
シグナムもまた、ヴィータの横に座り込む。
「お前のおかげで何とかなりそうだ。まぁもう後一押し必要だがな」
「おかげだなんて、とんでもないですよ。無茶な取引を持ちかけたのは俺ですから……はい」
ホットミルクが二つ。テーブルに置かれた。
リンはまだ呆けている。
「おぅ、サンキューな。しっかしお前、いつの間にかヴィヴィオと仲良くなってるのな。というか何でヴィヴィオが此処に居るんだ?」
「ええと、俺がおばちゃんの代わりに朝の下準備やるって言ったら、じゃあ私もやるって。朝早くて大変だから止めとけって言ったんですけどね」
「だって、それなら尚更手伝った方がいいでしょ? ほら、一応私、管理局魔導師希望だから、社会勉強も兼ねて……――早く、お母さんのお手伝いが出来るようになりたいから」
シグナムは少しだけ眉根を寄せて、目を閉じる。
リンはまだ呆けている。
「まぁ、それが本当にお前のやりたいことなら止めはせんよ」
ずず、とホットミルクを啜り、リンの方を見た。士郎には何となく少し怒っているように見える。
リンはその視線に気付き、漸く硬直が解けた。
「え、と。何でしょうか。シグナム二尉」
「何でしょうじゃないぞ、え――いや、リン一等空士。二日前から返事を待っているのだが、一向に来ないぞ。どういうことだ。――丁度良い機会だ。ここで返事を貰おうか」
厳、とした瞳でリンを見る。リンは再び混乱する。正直、雲の上にいるような人に射竦められ、思考が上手く回らなかった。というか名前を覚えられていることに仰天する。おまけにシグナムが何を言ってるのか全然見当が付かなかった。
だから。
「――何の、お話でしたっけ?」
馬鹿みたいにそんなことを聞くことしか出来なかった。ぶっちゃっけ恥も外聞もなかった。
シグナムは、はぁ、と溜息を吐く。
「お前、メールチェックもしていないのか。局員としてあるまじき行為だぞ……全く」
「ふぇ!?」
慌てて携帯機を取り出し、起動させる。そういえば、ここ二週間は考えることが多すぎて、まともにメールもチェックしていなかった。
未読≠フマークが並ぶスクリーン。その一覧の中で、一際目立つように赤く点滅する件名に手を触れる。
その内容――
――それは対黒い影&泊烽ニして再編される、機動六課への誘いのメールだった。
差出人の名は八神はやて二等陸佐――シグナム二尉より遥かに上の、雲の上どころか成層圏の彼方に居る人物だった。
――ああ、何だ。そういうこと。
今までの疑問がすとん、と解決した。が、それは現状の事態を打破できるというわけでもなかった。文面の最後に急な話で申し訳ないが、なるべく早めに返事が欲しい≠ニ書いてあった。目も眩むような大失態であった。
泡を食うリン。やれやれと嘆息するシグナム。関係ないとばかりにホットミルクを啜るヴィータ。肩を竦めて苦笑する士郎。何だかよく分からないという顔をしたヴィヴィオ。
それら朝の平穏な空気が。
管理局中に響き渡る、警告音によって、一切合切砕かれた。
「――――!」
空間が、一瞬にして硬直した。あちこちから慌ただしい動きが起こった。そこから先は一瞬だった。ヴィータとシグナムは士郎とヴィヴィオに此処で大人しくしていろ、と言い残し、駆け足で食堂から出る。リンもそれに少し遅れて駆け出す。その時。
――またアイツらか。
そう呟いたのを、確かに衛宮士郎は聞いた。
アイツら。その単語は不吉なニュアンスを含んでいた。その単語が士郎に囁いた。
また――人が死ぬのか、と。
ぎしり、と奥歯が軋んだ。
「ヴィヴィオ。――悪いが、朝食の準備の続き。任せるぞ」
正義の味方は止まらない。否、止まれない。それはその存在意義故に。
――体は剣で出来ている。
◇
新暦81年 四月二十四日 ミッドチルダ 北部 聖王教会付近
午前五時五七分。朝、突如としてソレ≠ヘやってきた。転移反応も音もなく――静かに、ゆっくりと現れた。早朝という時間もあったのだろう。ソレ≠ヘ誰にも気付かれず、魔力砲撃を撃ち出した。
まず響いたのは轟音。聖王教会のほぼ全員が、それで跳ね起きた。破壊されたのは、近くにある転送ポートだった。
急ぎ、管理局へ応援要請を打ち出すと同時に、教会騎士団が出撃した。ここまで約五分。訓練の賜物だった。
だが、彼らは知る。――そんなものは、人在らざる『何か』の前には何の役にも立たないということを。
聖王教会所属のシスター、シャッハ・ヌエラは、確かに見た。その恐怖の具現を。その暴力の具現を。
爆煙が辺りを黒く染める。
赤々と焔が舞う。
全てが砕かれ、瓦礫と化す。
その煉獄の中――嘲笑うかのようにキャスターの形をした黒い影≠ェ漂っていた。
そして――
それは恐怖の具現であり暴力の具現であり、そして絶望の具現だった。
午前六時五分。
管理局の武装局員が辿り着いたときには、既に教会騎士団は全滅していた。
教会騎士団が全滅する、その三分前――
新暦81年 四月二十四日 ミッドチルダ 中央区画 ミッドチルダ地上本部
「――スバル。アンタは病み上がりなのよ。無理して行って、どうするのよ」
管理局、地上本部の白亜の廊下で、ティアナ・ランスターは、まだ包帯の取れない体のスバル・ナカジマの背中に、そう声をかけた。未だ床に伏せているキャロやエリオと比べ、戦闘機人であるスバルはまだ軽傷と呼んで差し支えなかった。だが、まだ無茶をしていいような体ではない。
駆けようとしていた瞬間だった。スバルは振り向かない。今の自分にティアナの顔を見るなんて事は出来そうもなかったから。
俯きがちにスバルは、言葉を紡ぐ。
「だって――仕事だもの。私は人を救うのを仕事にしているんだから、それを投げ出す事なんて出来ないよ」
――最悪だ。全部仕事≠フせいにしている。あの事件のことを。レスタのことを。何て酷い、責任転嫁――
だが、そうでもしないと耐えられなかった。自我が保てなかった。壊れる一歩手前だった。ギリギリ残った防波堤、全部こんな仕事をしていた自分のせいだ≠ノ縋るしかないと思っていた。そこが境界線だった。全て無かったことにしたい、とまで思っていた。
今、スバルの中では管理局に対する疑念と、どうしようもない自己嫌悪が渦巻いていた。
――――お前に一つ、呪いを遺してやるよ
――――後悔しろ。これが愚者の行き着いた先だ
ああ、そうだ。全て、この仕事を選んだ自分が悪い。
あの日、あの時――なのはさんに出会ってさえいなければ、こんなことには――――
ぎしり、と血が滲むほど拳を握りしめた。噛み締めた奥歯が軋んだ。
憎かった。誰よりも、何よりも。
――こんな思考に至ってしまう、自分自身が許せなかった。
ティアナの見えない視線が痛かった。そんなつもりはないと分かってはいても、背中に突き刺さる視線が自分を責めているように感じた。
「っ――――!」
「あ、ちょっとスバル!」
駆けた。引き留める声を引き剥がすように、全力で駆ける。
もう何も考えたくはない。じっと一人で部屋にいると気が狂いそうだった。動いている方がまだマシだ。
そうだ。今は何も考えたくない。
だから、私に闘いをくれ。頭が真っ白になるくらいに激しい闘いを――
スバルは駆ける。敵を討つために。敵を打ち砕くために。自らを保つために。一心不乱に右腕を振るいたいがために。
スバルは気付かない。
口元が、酷く歪んでいることに。
星空は、いまだ遠く。故にその右腕に意味など無かった。
◇
新暦81年 四月二十四日 ミッドチルダ 中央区画 ミッドチルダ地上本部付近
士郎は駆ける。未だ地理は理解できていなかったが、その場所はすぐに分かった。誰にでも分かるだろう。あんなにも黒い煙が上がっているのだから。だが、かなりの距離がある。走っていくことは不可能なようだった。
既に何回か使ったことのある転送ポートを探してみたが、しかし、あちら側が破壊されてるため、使用不可。魔法も魔術も使えない士郎には、どうしようもなかった。
「おい君! 危ないから、早くシェルターに避難を!」
「――く」
おまけに、その足も局員に止められた。危ない=B確かにそうだ。こんな体たらくじゃ殺されに行くようなものだ。今の自分は少し事情を知っている只の民間人に過ぎない。
どうする――
そう思考した瞬間だった。
魔力砲撃による、爆音が上がった。
「まさか、本部の近くでこんな――!」
近くにいる局員が動揺している。しかし士郎は、それとはまた違う意味で驚愕していた。
――あれが、黒い影≠セと? あれではまるで――
真っ黒なシルエットは確かに、記憶にあるサーヴァント・キャスターに酷く酷似していた。キャスターは斃されたと聞いた。では、これは何だというのか。
しかし、深く考えている場合ではない。
キャスターの姿をした黒い影≠ヘ、本物には及ばないものの、並の魔導師では防げないような砲撃を、次々と撃ちだしてくる。
「くそっ!」
駆ける。先ほど自分が立っていた場所が破砕した。爆風が背中を撫で、冷や汗が一筋頬を伝う。
周りを見る。局員達は善戦しているものの、それでも一瞬で現れた三十近い数の影¢且閧ナは分が悪い。地上本部の前だから、すぐに援軍は来るだろうと思うが、それまで一人も死なないという保証はない。
かといって、このままじゃ只の足手まといだ。聖杯戦争の初期を思い出す。あの時も、自分はセイバーのお荷物だった。それが嫌で、鍛錬を続けたが、しかし今自分は確かに邪魔者に過ぎなかった。
迷う。理想と現実の狭間で揺れる。こうしている間にも、聖王教会の方から火の手が上がっている。自分は一体どうすれば――
その逡巡が、僅かに速度を緩ませた。黒い影≠ェ牙を見せる。存在しない口が喜悦の形に歪んだ。――砲撃。
「――あ」
躱せない。砲撃は五連の束にも及び、何処に動いても直撃する。魔術も魔法も使用できない士郎にとって、それは正に致命傷だった。
死ぬ。そう思考した瞬間。
「あぁぁあああああ――――――――っ!」
文字通り、弾丸のように飛び出したスバル・ナカジマが、その右腕を以て、士郎に撃ち出された砲撃を悉く弾き返した。
立ち上る魔力と爛々と輝いた黄金色の瞳が印象的だった。背中越しからでも伝わる殺気。何もかもをぶち壊すような金色の殺意は、正に破壊神のそれだ。
黄金の獣。破壊神の殺意。迸る慟哭。
ウイングロードを起動させ、弾丸のような速度で黒い影≠ノ拳を撃ち込む。ナックルスピナーが狂ったように回転し、魔力を加速させる。
お、とスバルが咆吼すると同時、ウイングロードが幾重も展開され、戦場に道を作る。駆ける。黒い影≠フ砲撃では、それを捉えきれない。
撃ち出される拳は鉄鋼弾だ。大砲のような一撃に、黒い影≠フシールドが耐えられるはずもなく、まるで発泡スチロールのように砕けて消える。スバルは、ただ我武者羅に、黒い影≠次々と蹴散らしていく。
殴る。蹴る。走る。突き入れ、裂いて、叩き潰す。破損・崩壊・損壊・粉砕・倒壊・圧砕――慟哭。敵は全て砕かんとばかりに、破壊を続けた。轟音と粉塵。大地が破砕され、瓦礫が宙に舞う。
それは最早戦闘ではなかった。殺戮と蹂躙。スバルは正に獣と化していた。破壊神の化身。黄金色に輝く、百獣の王。
暴力の嵐が吹き荒れる中、士郎と局員は、それを呆然と見ているしかない。あまつさえ、叫びながら、黒い影≠引き裂いていくスバルの口元に笑みが刻まれていた。歯を剥き出しにした、暴力的な喜悦≠フ形。
誰も助かった≠ネんて思わなかった。むしろ恐ろしかった。黒い影∴ネ上に――この黄金の獣が。
だが、しかし。士郎だけは違った。
「おぉぁぁああああああああ――――っ!」
どこか悲壮に満ちた慟哭――士郎には、それが涙を流しながらの哀哭にしか聞こえなかった。理由など自分でも分からない。だが、笑いながら咆吼を挙げるその姿は、泣いている子供にしか見えなかった。
だが――
「う……」
がらり、と瓦礫の底から局員らしき女性が現れた。恐らく初弾に巻き込まれたのだろう。見たところ致命傷ではない。が、場所が悪かった。
――そこは、丁度黒い影≠ノ向かって、スバルが拳を撃ち出そうとしている、場所だった。
スバルもようやっと、そこで我に返った。しかし拳は止まらない。直撃は無い。しかし、スバルのリボルバーナックルは今や台風と化している。余波、衝撃。ただでさえ、彼女は黒い影≠フ砲撃を受けている――
瞬間、スバルの脳裏にあの時の光景が蘇った。
結局誰も救えなくて。あの人のような力はなくて。
ただ私に在るのは、人を殺す力だけということなの?
ならさ。
私が今まで頑張ってきたことは。
私が見た星空は。
――――この拳の意味は。
一体、何だったのだろう――――
「うわぁぁああああああああああああああああああああああああ!」
拳を突き出す先。そこにあるのは自我の崩壊だ。壊れる。間違いなく瓦解する。今、この拳を撃ち放てば、スバル・ナカジマは狂って壊れてしまう――――
「ばっっっかやろぉおぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
――その瞬間、スバルは横転した。ぐるりと世界が回転する。拳は明後日の方向に撃ち込まれる。視界の先で怯えている女性。無事だ。
混乱した。助かって良かった、というよりも、何が起きたのかよく分からないといった感情の方が強かった。。足元を見ると、明らかに不自然な大きめの瓦礫があった。何故、こんなところにあるのだろうと思った。誰かが放り投げた瓦礫が足に当たったと気づくのに数秒かかった。
見上げる。
そこには赤銅色の髪の少年――衛宮士郎が、息を切らしながら立っていた。
士郎が行ったのは、単に女性を助けたという話だけではない。同時に、士郎はスバルをも、自我の崩壊から救ったのだ。
「――」
二人は、出会った。
異世界に放り投げられ、力を失った贋作者。異世界の侵略により、理想を失った傲慢者。
互いの邂逅――それが一つの始まりだった。
士郎はスバルを一瞥した後、間髪入れずに局員へと駆ける。加減なんかしていられない、とばかりに思い切り腕を引っ張り、その場から駆ける。
黒い影≠フ砲撃が、士郎の背中を焼いた。
「ぐ……!」
苦悶に歪む顔。だが、一瞬にしてそれを飲み込む。
「アンタ、動けるか。なら、早く逃げろ。俺はあっちのヤツに言いたいことがある」
完全に立場が逆転していた。市民を救うのが管理局員の仕事であり、衛宮士郎はミッド市民でないとしても、一般人に変わりないのだから。
しかし、士郎のあまりに場慣れした空気に飲み込まれ、局員の女性は言うとおりに動いた。動いてしまった。どっちみち戦闘が出来るような体ではなかったが、それでもその光景は異常だった。
士郎はスバルの方へ向き、一声怒号を上げた。どうしても許せないという感情が迸る。
「お前! 管理局の人間だろう!? 人を救うのが仕事なんだろう!? なのに、それを忘れて暴れるってどういうことだよ!」
許せなかった。八つ当たりに近い感情だと理解しても、ぶつけなければ気が済まなかった。
無力な自分。魔法も魔術も使えない只の一般人。燻る理想。
そう、何より許せないのは――
「――せっかくお前には力があるっていうのに、どうしてそれで人を救わない!?」
その事が、許せなかった。自身に無い人を救う事が出来る力≠持っているのに、それを忘れて我武者羅に拳を振るっていることが、どうしても許せなかった。
それは嫉妬に近かったのかも知れない。だが、善悪、力の是非はあれ、この場では確かに――士郎の言うことは正しかった。
呆然とするスバル。だが、すぐに激情が沸き上がる。
何を勝手なことを。バリアジャケットも無ければ、デバイスも持っていない。見たところ管理局員ですらない。なのに、どうしてそんなことを言われなければならないのか。そもそも逃げるのは目の前の少年であり、何故わざわざ危険な現場に突っ立っているのか。
迸る。
「な――君の方こそ何をやっているんだよ! こんな危ない所に来て!」
それは確かに、指摘通りだった。
「っ! 危ないと思ったら助けるのが当たり前だろう!? 何とかしたいと思うのが当たり前だろう!?」
「それは私達の仕事だよ! 君がやることじゃない!」
士郎にとって人を助けること≠ヘ息を吸うことと同意義であり、そこに疑問が入る余地はない。自分という天秤が無い士郎にとって、それは当たり前の常識だった。壊れた、常識だ。
しかしスバルは、そんなことを知らない。名前すら分からない少年に過ぎないのだ。
そんな互いの事情において、わかり合えるはずもない。だが、どこか二人は感じ取っていた。互いは――似ている、と。そして似ているが、決定的に違う何かがある、と。
二人の間にある感情は、同族嫌悪のソレに近かったのかも知れない。それが、初めての邂逅においての、互いの感情だった。
士郎は更に言い返そうとするが、視界に入った黒い影≠ェソレを許さなかった。
黒い影≠ヘいつの間にか三体に増えており、二人ごと全てを薙ぎ払わんと、砲撃を放とうとしている。
スバルは、士郎の方に意識を取られ、その事にまだ気付かない。警告している暇はない。士郎は駆けた。逃げるためではなく、スバルを助けるために。
「な――!」
士郎はそのままスバルを抱きかかえて、飛んだ。
黒い影≠ノよる砲撃の極光が、辺りに輝き、全てを薙ぎ払った。
轟音、爆砕。暴風が吹き狂い、破壊の光が、周辺を蹂躙していく。
ごき、と背中から嫌な音がするのを、士郎は聞いた。そして、抱きかかえられているスバルもまた、それを聞いた。
「おい……大丈夫、かよ……」
がらり、と辛うじて暴力の嵐から逃れた二人は、瓦礫の下から這い出た。
背中がやられたか。だが、動けないというわけではない――瞬時に自身の状態を察知し、振り向く。白煙の向こう側で、黒い影≠ェ破壊を続けていた。
くそ、と舌打ちし、直ぐさま士郎は駆けようとする。だが、それはスバルの手が服の端を掴むことによって、止められていた。
「大丈夫か、じゃないよ。それは私の台詞だよ。そんな怪我でどこに行こうとするの?」
既に激情は収まっていた。ただ、あるのは疑問の声だけだ。
分からなかった。魔導師でもない、自分よりも年下であろう、ただの少年がどうしてここまで危険を冒すのか。単なる正義感だけでは到底説明できなかった。死ぬような状況の中でも、何故そんな声を自分に掛けるのか、それが分からなかった。
だから、スバルは問うた。
「どうして――君は、そこまでして人を救おうとするの?」
どこか、縋るような目つきだった。
士郎は、それを見た。
何故か、あの時、あの夜。父親が零した、自らの始まりが脳内に蘇った。
それらを思い浮かべたとき、自然と言葉が裡に湧いた。そう名乗ることは烏滸がましいとも思ったが、言葉にしようと士郎は思った。多分、それが何よりも分かり易いと理解したからだ。
前を向く。鷹を彷彿させる鋭い目つきだった。
口にする。それは、いつか誰かが夢見た理想だった。
爺さんの夢は俺が――――――――
「――――――――俺が、正義の味方だからだ」
瞬間、スバルの手をふりほどいて、士郎は駆け出した。
その背中は、鋼のようだった。
呆然とした。何を言っているか分からなかった。だが、士郎を追うことも出来ないほど、衝撃が体を駆けめぐるのをスバルは感じた。
駆けていく背中。正義の味方と口にした少年のボロボロの姿。どうしてか――それが眩しくて堪らなかった。
こんな光景を、いつか見たような気がした。
多分、その光景を私は一生忘れない。
あの時、確かに私は生まれ変わった。
弱くて惨めな、守られるだけの私とさよならして。
――あの人のような、強くて優しい、誰をも救う人間になろうと思ったんだ
ああ――――何て綺麗な
星空なんだろう、と。
スバルは一人、涙した。
◇
士郎は駆けていた。あちこちから火の手が上がり、轟音が周辺から聞こえる。
「くそ……どっちに行けば――」
そう悩んでいる士郎のすぐ側に魔法陣が描かれた。輝く魔力光の中、二つの人影が現れる。
ヴィータとシャマルだった。
「衛宮! てめぇ、大人しくしていろって言っただろ!」
「探したわよ、士郎君!」
突如現れた二人に目を見開く。
「シャマルさんとヴィータ……さん」
「思い出したようにさん付けすんな! だったらまだ呼び捨ての方がマシだ! ってそんなこと言ってる場合じゃねぇよ、馬鹿!」
理不尽に怒鳴られる士郎。全くこの子は、と心中で呟く。だが次の言葉で、それが一切合切吹き飛んだ。
シャマルが、叫んだ。
「士郎君! 今すぐ来て! ――サーヴァントが現れたわ」
新暦81年 四月二十四日 ミッドチルダ 北部 聖王教会付近
「ち――これではキリがないな」
「そうですね、騎士シグナム。せっかく救援に来て貰ったのに、これでは我が騎士団を助ける事も出来ない」
シグナムは舌打ちし、シャッハが血を流しながら愚痴る。
(どうする? いっそ火龍一閃を使うか?)
アギトが裡からそう言うが、しかしシグナムは首を縦に振らない。
「駄目だ。あれは範囲が広すぎる。他の魔導師まで巻き込まれる……!」
騎士団の増援、管理局の救援。それらを以てしても、目の前の黒い影≠駆逐出来ない。どころか、ますます黒い影≠ヘその数を増やし続けていく。キリがなかった。
何より問題なのは――
「うわぁぁああああああああ!!」
「――」
――叩き付けられる魔力砲撃の悉くを弾き返す、黒き甲冑の女性だった。
直撃したはずの砲撃をモノともせずに、甲冑の女性は手に持つ何か≠振るった。
豪速。
旋風のように駆け、瞬く間に局員を切り裂いていく。
「ち――――!」
阿鼻叫喚、血の雨の中、シグナムは駆ける。相棒である剣型のデバイス――レヴァンティンを振るった。
がき、と剣戟の音が一つ打ち鳴らされた。
一合二合――持ったのは、そこまでだった。シグナムは大地を蹴り、跳躍。大きく女性から距離を取る。
(シグナム!)
「くそ――」
――まさかこんなにもやりにくいとはな。
異世界からの来訪者――衛宮士郎から聞かされたサーヴァント。その一人に、不可視の剣を持つ者が居ると聞いた。
ありとあらゆる魔法を弾き返す対魔力。見えないが故に至極間合いが計りにくい不可視の剣。馬鹿げた加速力。一撃に込められた魔力は何もかもを切り裂く。そしてそれを可能にする、恐ろしいまでに卓絶した剣術――
――それが、第五次聖杯戦争において、最優≠ニ評されたサーヴァント。剣の騎士、セイバーだった。
シグナムが離れるや否や、セイバーは直ぐさま標的を変え、他の――主にベルカ式の――魔導師達を切って捨てていく。死の恐怖に麻痺し、逃げ出す者も居た。
あまりの悲惨な光景にシャッハが叫ぶ。
「騎士シグナム!」
「分かっている! だが――」
――どうする。敵はセイバーだけではない。一対一ならともかく、周りの黒い影≠煖盾驕B絶対的に戦力が足らない。
そう思考する間も、砲撃がシグナムとシャッハに降り注がれる。躱し、一撃を叩き込む。しかし、倒した直後、また一体現れた影≠ノ舌打ちする。
どうする――
二度目。そう思考した瞬間だった。
「おらぁぁああああああああああ――――っ!」
シャマルの転送魔法で現れたヴィータが、黒い影≠数体、叩き潰した。
「三人とも大丈夫!?」
シャマルが駆けてきて、シャッハとシグナムに治癒の魔法を掛ける。
「騎士シャマル、私はいいから他の人達を……」
「シスターシャッハの言うとおりだ。大丈夫だ、私にはアギトが居る」
「分かったわ!」
周りに倒れている瀕死の魔導師の方へと駆ける。その最中にもヴィータが黒い影≠叩き潰していく。
シグナムが叫ぶ。
「ヴィータ!」
「大丈夫だよ! あっちの方にはティアナとザフィーラが行った!」
その言葉に安心する。
――これで何の憂いも無く、戦える。
シグナムはレヴァンティンを構え、セイバーへ駆けようと――
「何でだよ……セイバー。何で、お前が、こんなこと……!!」
――した瞬間、呆然としている衛宮士郎に気がついた。
覚悟は、していたはずだった。
次々とサーヴァントが現れ、世界を蹂躙を続けているのだ。セイバーだけは例外、ということはあるまい。だから、このような展開も十分に有り得るはず。
そう思っていた。が、実際目の前にすると、どうしても信じられない≠ニいう想いが先に来た。
脳裏に思い浮かぶのは、かつての記憶だ。
――シロウ=B
共に聖杯戦争を駆け抜けた騎士王の姿。士郎の作ったご飯をこくこくと美味しそうに食べてくれた姿。つい半月前まで当たり前だった光景。凛が居て、セイバーが居て――
――だが、目の前のセイバーに、そんな面影は全くなかった。機械のように無機質に、血の雨を降らす。バイザーのようなものに覆われ、双眸が見えないのも、それに拍車を掛けていた。蒼と銀に輝いていた甲冑も、今や黒一色に染められている。
――これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに契約は完了した――
黄金色の記憶――あの運命の夜が穢されたような、そんな気がして、士郎は拳を握りしめた。
「セイバー! 何でだよ! お前はそんなことするようなヤツじゃないだろ! ――頼むからさ、頼むから、そんなことは止めてくれよ……!」
気高き金紗の騎士王、その姿は、もう無い。
叫ぶ士郎の肩に、シグナムは手を載せる。
そして。
「――下がっていろ、衛宮。お前と彼女がどういう関係か、どんなことがあったのかは分からん。聞かされていないからな。だが、現実を見ろ。
―――――彼女は我らの敵に相違ない」
静かに、士郎の迷いを一刀両断した。
「っ――!」
確かにそうだった。その通りだった。目の前の光景を見れば、思い悩む必要なんか無い。
決意を、口にする。
「セイバー! それ以上、そんなことに剣を振るうなら――お前は俺の……」
言いたくなかった。こんなことは、自分の相棒に言いたくなかった。
だが――衛宮士郎は正義の味方なのだ。故に――
「――お前は、俺の、敵だ!」
涙を流しながら、士郎は叫んだ。
その言葉が、どれほどセイバーに届いたのかは分からない。しかし、ゆっくりと振り向き、バイザーに隠された瞳が士郎を見た。
だが、それは決して士郎に心を動かされたからではない。士郎を敵≠ニして認識したからだ。それほどの気概が先ほどの言葉に込められていた。
殺。
恐ろしいまでに研ぎ澄まされた氷の殺意が、士郎とシグナムに突き刺さる。
しかし、それをモノともせずに、シグナムは冷ややかな目線をセイバーに送った。
前に出る。
「……………名を、聞こうか」
「……」
その姿を黒に染める騎士王は何も語らない。ただその冷徹なる殺意が告げる。
敵は斬る、と。
「そうか」
静かに呟き、レヴァンティンを構える。カートリッジロード。獄炎の魔剣が、咆吼のように、薬莢を吐き出す。
「――アギト」
(……何だよ、シグナム。こんな時に)
裡にあるアギトに声を掛ける。これだけは、言っておかなければならなかった。
「ついていけないと判断したら、すぐに融合を解除しろ。お前が危険だ」
(な――!)
何を言っている、とアギトが言おうとした瞬間だった。シグナムは顔を覆うように、左手を掛ける。そして――
「お前には、見られたくなかったのだがな――――」
すみません、主はやて――そう最後に呟き、仮面を剥ぐように、手を振るった。
――――殺傷許可、解放――――
ごぁ、とシグナムの内面空間が変化した。それは明確なる殺意の具現だった。底知れない虚無がアギトに牙を剥く。闇一色に染められていく。
(あ、ああ)
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺――――
身を切るようなソレに、アギトは戦慄した。
自分が融合しているのは、本当にシグナムなのか、と思ってしまうほどの変化だった。
そう思うのも無理はない。
『守護騎士』がこの時代で、八神はやてを主としたときから決めていた制約。本能の内側、自身を構成するプログラムに刻んだコマンド。
主の将来を穢さぬために、人を殺すことは禁とする
『闇の書』として駆け抜けた百年単位の時間の内に蓄積された、人を殺すための技術及び衝動=Bその、解放だった。
魔力量が上がるわけではない。身体能力が上がるわけではない。だが、人を殺す≠ニいう意志。それは人殺しを常とする戦場においては紙一重以上の差になる。まして、『守護騎士』はプログラムだ。その決意は、単なる人以上に劇的である。
何十、何百と切り刻んできた血と脳漿と臓器の経験値。その業、その罪は、凡そ人知の及ぶモノではない。
シグナムの意識が、体が、人を殺す≠ニいう一点に特化されていく。
流石のセイバーも、そのあまりの殺意に身構える。
シグナムは黒い瞳で、目の前の敵を睨み付けた。
「――――さて、始めようか。我が名はシグナム。『守護騎士』が将、剣の騎士、シグナム――――!」
「――――!」
激突は閃光の如く。剣士同士の戦いが始まりの鐘を鳴らした。
「シグナム! 宝具だけは使わせちゃいけない!」
士郎は叫んだ。セイバーの持つ約束された勝利の剣=\―その真の力は、流石のシグナムとも言えど、とても太刀打ち出来るモノではない。
サーヴァントが持つ宝具の特性は伝えてあった。その鍵、『真名』の解放。それを使わせないために、シグナムは烈火怒涛の勢いで剣を振るう。
「はぁ――――っ!」
全てを裁断するが如く、剣戟の嵐がセイバーを襲う。しかしそれは悉く、真っ正面から防がれる。
どころか。
――押し返される……!
セイバーの、あまりの剣戟に、除除に押されていた。攻守が反転する。今度はシグナムが攻められる番だ。
シグナムは距離を取って闘えない。遠距離からの攻撃は可能だったが、こちらを完全に敵≠ニ認識した以上、それは悪手に他ならない。――宝具があるからだ。
士郎の言葉をシグナムは正しく理解していた。最初に聞いた時は半信半疑だったが、実際に手合わせするとそれが間違いだと気付いた。ならば、ソレは撃たせてはならないものなのだろう。撃たせては、敗北が決定する。そんな一撃を、相手は持っているのだ。
――ロードカートリッジ。更に魔力を魔剣に上乗せする。そして。
ご、と同時、二人は大地を踏み砕いた。
渾身の一撃同士がぶつかり合い、衝撃によって激震する。
「おおっ!」
「――」
その振動が収まる前に、次の振動が生み出される。音すらも置き去りにするような、その剣戟は全てが渾身。
衝撃が大地を駆けめぐり、余波で瓦礫が砕け散る。その激突は、台風さながらだった。
激突・爆音・破砕・破壊・爆砕・崩壊・壊滅・剛胆・豪放・圧倒――――!
超常を超えた頂上。剣舞の極み。一撃は全て必死。
それはどんな者にも介入を許さない、あまりに圧倒的な光景だった。
士郎はごくりと固唾を呑んだ。
剣の英霊、そう呼ばれる存在は、やはり人が届かない極みに居る。そして、それに肩を並べるシグナムもまた、人を超えていた。
人を超えた者同士の激突――それは正に記憶にある聖杯戦争の闘いさながらだった。
僅かに後方へとセイバーは距離を取る。逃さない、とばかりにシグナムが吼えた。
「――レヴァンティン!」
薬莢が吐き出され、魔剣がその姿を変える。
蛇咬の如く切り裂くもの
連結刃が展開される。シグナムはソレを鞭のようにしならせ、セイバーに向けて撃ち放つ。
更に加速する剣戟。縦横無尽にセイバーを襲うソレは、末端部においては、既に音速の域に達していた。
しかし、それでもセイバーは、事も無げに捌く。『闇の書』としての経験を総動員しても、まだ剣の英霊には届かない。
内心、シグナムは焦っていた。一見こちらが優勢に見えるが、実は逆だ。自身、最速の一撃を、あの剣の英霊は最小限の動きで捌いている。これだけの剣戟を重ねても、未だ底が見えない実力に戦慄する。
――そこに、更なる加速が、レヴァンティンに与えられた。
「! アギトか」
(へ、舐めるなよシグナム。『烈火の剣精』は、この程度で音を上げるほど、やわじゃねぇ――っ!)
咆吼する。
アギトの制御と魔力も加わり、更に速度を上げるシグナムの剣。最早視認できるレベルをとうに超えていた。さしものセイバーも、完全に捌くことは出来ないのか、甲冑が剣戟により少しずつ削られていく。
僅かに戦況は有利。此処にいたり、天秤はシグナムに傾いた。そう誰もが確信している中、士郎だけは違った。一番近くで一番長く、セイバーの実力を目の当たりにしている士郎だけが、その違和感に気付いた。
――おかしい。セイバーの剣術は、もっと力強いはずだ。シグナムの剣は確かに早いが、それに鬩ぎ負けるなんて――
そう、セイバーはシグナムの剣を全て捌いていた。時たま、捌かずに打ち返すこともあったが、どうしてもそれが本気の一撃だとは思えない。
そも、セイバーの一撃はあんなに軽くない。スキル・魔力放出。竜の炉心を持つ彼女にとって、本来攻撃のほとんどを捌くという選択肢は有り得ない。
全てを弾き返すような怒濤の剣舞は、今は鳴りを潜めている。あれではまるで放出される魔力をけちっているようにも思える。何故。
セイバーの対応。あれはまるで何かを待ちかまえているような―――
「っ―――不味い! それは罠だ! シグナム!!」
「―――何」
士郎が叫んだときには、既に遅かった。セイバーは今までとは桁違いの魔力を込めた一撃を振るう。
高らかに響く金属音。
衝撃はレヴァンティンのみに留まらず、シグナムの全身に響いた。セイバーのバイザーがかち割れ、その双眸が露わになる。生まれたのは僅かな間隙。それを狙い――
――剣に纏う風王結界≠、真下に解放した。
生み出された轟風がセイバー自身を押し上げ、跳躍――否、飛翔≠キる。何者も邪魔することの出来ない大空へ。蒼の深みに吸い込まれるように、セイバーは跳んだ。
「しまった――――っ!」
それは、誰の声か。
闘いの中で、蓄積していった魔力に、更に上乗せしていく。異常なほどの魔力が、露わになった真っ黒な黄金の剣に迸っていた。
時間が凝縮する。コマ送りの中、全てが動いていく。
未だ体勢の整わないシグナム。飛び出す士郎。目を見開くヴィータ。息を呑むシャッハ。ソレに気付かずに懸命に救出活動を行うシャマル。――踊る黒い影=B
コマ落ちになっていく視界の中、セイバーだけが一倍速で動いていた。この闘いの中、初めてその唇が動いた。
紡ぎ出されるのは絶望の刃。
星の光を結集した、しかし虚無へ堕落した黒の極光。
振るう者に必ず勝利をもたらす、幻想の頂点。究極の斬撃。
その真名――
「――――――――約束された勝利の剣=v
刹那、世界が、墜ちた。
走る極光は、文字通り全てを切り裂く。否、それは最早切り裂くというレベルではなかった。
光速で撃ち出されるソレは、大地そのものを切り裂いた。蹂躙、などでは生温い。消滅。――消滅だ。
疾駆する斬撃は、全てを滅していく。後には何も残らない。
必殺を超えた必滅の更に上――絶滅=B
星の命すら滅すとばかりに、大地をえぐり取り――結果。
――――――――その一撃は、消えることのない大断層をミッドチルダに刻みつけた。
◇
お、と風が凪いだ。
「う……」
極光の残滓が漂う中、シグナムは目を覚ました。
最初に思ったのは疑問だった。何故生きているのか=Aと。それが不思議でならなかった。
自らの状態を確認する。打ち身だらけだが、とりあえず致命傷にはほど遠い。それがシグナムの疑問を更に加速させる。
アギトは、失神していた。
彼女が自分の身を護ってくれたのか――そう思ったが、次の瞬間、それが間違いだと気がついた。
――自分の体に倒れ込んでいる襤褸雑巾のような衛宮士郎を、シグナムは見た。
「お前……」
先ほどの景色がフラッシュバックした。
セイバーから黒い極光が撃ち放たれる直前――自身に向かって走ってくる士郎の姿が、目蓋に浮かんだ。
直撃こそ避けられたものの、余波の衝撃が全身を貫き、そして吹き飛んだ。バリアジャケットのおかげでこの程度で済んだのだ。自身を守る術のない士郎は、筋肉が断線し、骨が叩き折れ、瀕死の状態だった。
それでもシグナムを守らんとばかりに、その体を今も抱き留めていた。
ぞくり。
感謝、という感情の前に、恐怖が来た。
おかしい。異常だ。確かにシグナムと士郎は顔見知りだ。だが、その付き合いは浅い。当たり前だ。会ってからまだ四日だ。ほとんど出会ったばかりの他人に、どうしてここまで命を賭けられるのか。
シグナムはその事が恐ろしかった。病的なまでの救済観念。こんな人間が存在するのか、とまで思った。正義感という単語ではとても片付けられない。その狂気に、剣の騎士は恐怖した。
――こいつは、壊れている。
恐らく、こいつには自身≠ェ存在しない。誰もが持っている自分≠ニいう天秤。それが致命的なまで破壊されている。
どのような人生を生きたらこのようになるのか。シグナムは、かつて出会ったどんな人間よりも、目の前の人間が狂っているように思えた。
だが、いつまでも考えている暇はない。動けるのならば、すぐにでも体勢を整えなければならない。
アギトが失神している今、先ほどよりも確実に能力は落ちているのだ。せめて体勢だけでも整えなければ、あの騎士王にやられてしまう。
士郎を引き剥がし、ゆっくりとその体を横たえる。シグナムには治癒魔法が使えない。早くシャマルを見つけなければ。そう思い、周りを見渡す。
酷い、光景だった。
動く者は自分だけだった。死体と瓦礫と、大地に刻みつけられた断層しかそこにはなかった。ヴィータとシャマルは余程遠くに吹き飛ばされたのか、その姿は見えない。気を失っているのかも知れない。
とりあえず念話で通信を試みようとした瞬間――その声を聞いた。
「――少し――ぎだぞ。お――には戦力調査しか――――ったはずだ」
うっすらと白煙の向こう側に二つの人影が見える。一つは自分と戦っていたセイバーのものだろう。だが、もう一つの人影は見当が付かなかった。
だが、断片的に聞こえる会話から、恐らく黒い影¢、だろうと踏んだ。
その時、つむじ風が一陣吹いた。
塵芥を巻き上げ、思わずシグナムは目を瞑る。
目を開けたとき、既に二つの人影は消えていた。黒い影≠煬ゥあたらない。とりあえず危機は脱したようだった。
だが、シグナムは安堵出来なかった。最後に聞こえた言葉が、どうしても不吉なものだったからだ。
――まだここでやるべきことがあるのでな――
鈴を鳴らしたような声。それがいつまでも耳にこびり付いて離れなかった。
◇
新暦81年 四月二十五日 ミッドチルダ 中央区画 ミッドチルダ地上本部
証言? 証言することなんて何もないですよ。記録通りです。何が起こったかなんて、この結果が全てですよ。
蹂躙、そうですね。あれは蹂躙と呼ぶに相応しかったですね。
正直、高町教導官とフェイト執務官が居なければ、こうして私が喋っていることは無かったでしょうね。流石、三英雄≠ニ呼ばれるだけはあります。
それでも、ギリギリでした。考えられます? XV級が一隻にL級が二隻ですよ? もう余程のことが無ければ、全滅なんて有り得ないですよ。それこそ次元世界を滅ぼすような戦力が無ければね。
――憎んでいる? いえいえそんなことは無いですよ。管理局の判断は正しかったと思います。居場所が割れたロストロギアの移送を、五つのルートに分けて、XV級に護送させる。ええ、十分だと思いますよ。普通は、ね。
ただ私達は運が悪かった。そうとしか言えないですね。だって、そうでしょう? あんなものが居るなんて誰も思いませんよ。
考えられますか? 一人。――たった一人だけだったんですよ。ああ、そんな顔をしないで下さい。まぁ、分かりますけどね。私だって、こんなこと人に聞かされたら、正気を疑います。
でもね、厳然たる事実なんですよ。たった一人。たった一人に、XV級一隻とL級二隻が沈められたんです。
思うに、アレはこの世界のものじゃないですね。ああ、高町教導官がね、ぽつりと漏らしていたんですよ。たまたま私はそれを聞いちゃって。フェイトさんの使い魔さんのおかげ――転送魔法ですね。あれは見事だった、ああ、すみません。話が逸れましたね。その転送魔法で何とかポートまで辿り着いたときに高町教導官が呟いたんですよ。
世界はフラクタル≠セって。
それを聞いて、ああ、と思いましたね。あれはこんな世界に在ってはならないんですよ。じゃないと、当の昔に私達の世界は滅亡しています。
世界っていうのはね、上手いこと出来ているんですよ。どうしたって世界≠サのものが壊れないように出来ている。普通に考えると当たり前のことですけどね。だって、この世にあるモノは全て世界が作り出したんですよ? まぁ神と呼んでも差し支えないですがね。
だとすれば、それを壊すような存在はいないはずでしょ? 創造物が創造主を超える、なんてことは有り得ない。そんな危なっかしい機能を持たすはずがないじゃないですか。現に私達の世界は滅びていない。それが法則だからです。物理法則を超えた法則、分かり易く言うと運命とか因果律ってものですかね。ちょっと陳腐ですけど、やっぱりそれが分かり易いんじゃないかなぁ。
でもね、あれは違う。完全に違う法則で括られているモノですよ。でないと有り得ない。あんなものを作り出す機能は、この世界には無い。
え、いやだから、アレは別物ですってば。正体とかそんなレベルじゃない。それが分かったって多分どうしようもないですよ。アレは別世界から来た存在ですよ。恐らく、私達の世界よりも上位という強固な世界からの。違います違います。次元世界という話じゃありません。それらを引っくるめた私達の世界≠ニ違う世界≠フことですよ。
ああ、大丈夫です。頭はおかしくなっていませんよ。何なら精神鑑定を受けても良いです。ですが、これだけは言っておきたい。
アレはね、あっちの世界では何でもない存在なんですよ。きっと。あのレベルがごろごろ居るんじゃないかな。それでも壊れないくらい頑丈な世界なんでしょうね。そんな法則で括られている。
でもね、こっちは違うんですよ。そんなに頑丈には出来ていない。存在としての格が、すでに上なんですよ。弱肉強食、弱いモノは強いモノには勝てません。
――だから、きっと世界はフラクタルなんだ。あの存在が証明している。本のような形なのか、それとも樹のような形をしているのかは分かりませんがね。私達の世界は、もっと大きい世界に内包されている。アレが来た世界も、勿論含まれます。で、更に大きな世界がそれらを内包しているんですよ。どこまでもどこまでも、それは続く。きっと私達の世界も何かを内包している。どんなに拡大しても、どんなに縮小しても世界の形は皆同じなんでしょうね。
フラクタル。ああ、なんて良くできたシステムと思います。これほどまでに美しい構造のものは無いでしょう。
きっとこのシステムの創造者は我々を見て笑っているんですよ。悪趣味ですよね。ああ、何て馬鹿げた話なんだろう。
私達はその掌から逃れられない。ここは神様の遊戯盤なのだから――
――XV級大型次元航行船『フローレス』の生き残り メカニック、ルノー一等陸士の証言より一部抜粋――
新暦81年 四月二十四日 第XXX管理秘匿$「界
ミッドチルダに黒い影≠ェ襲いかかると同時刻――高町なのはとフェイト・T・ハラオウンはXV級戦艦『フローレス』と共に、この世界へのロストロギア輸送の護衛に付いていた。
ロストロギアの場所のデータが、黒い影≠ノ渡った。その事実が、管理局本部の重い腰を上げた。黒い影≠ェどのようにソレを使用するか分からないが、万が一を考え、別の場所に移送することにしたのだ。
最悪、次元犯罪者の手に渡ることも考えられる。そして過去の事件を顧み、十分な護衛を付けたのだった。
外界と完全に隔絶された次元世界。XXXとナンバリングされ、極秘とされた世界に今、XV級戦艦『フローレス』とL級戦艦二隻は降り立とうとしていた。
「そっか……フェイトちゃん。管理局辞めるんだ」
「――うん。ごめんね。急にこんな話しちゃって」
「ううん。それがフェイトちゃんの決めたことなら、私応援するよ。それに素敵じゃない。孤児院ってことは、フェイトちゃんの子供が一杯出来るってことだよね。うん、それってきっと――フェイトちゃんにぴったりな、素敵なことだと思う」
「そうだよ、フェイト。私も手伝うよ。私はフェイトの使い魔なんだし」
「ありがとう、なのは、アルフ」
なのはとフェイト、そしてアルフは笑いながら、そんな話をしていた。万が一に備え、ブリッジに居たが――今のところ、何が起きるというわけではなかった。
弛緩した空気が、ブリッジに流れていた。無理もない。大量のロストロギアを輸送するという任務はあまりにも責任重大だった。その達成がもう少し、というところまで来ていたのだ。
ここまで来たら何も起こらないだろう、皆思っていた。最も危険な次元航空中を無事抜けたのだ。ここは既に管理局の管理下であり、何か危険があるのならば、直ぐさま連絡が来るはず。
――だから。
「……? 待って下さい。一キロほど前方に――誰か居ます」
「誰か、だと? ここは秘匿世界のはずだぞ。許可がなければ誰も入れないはずだ。本部からの連絡は?」
「ありません。本部の方も、あまりに小さい反応なんで見逃していたんじゃないでしょうか」
「――不審者か。黒い影≠ゥ次元犯罪者か分からんが、この三隻の戦艦を相手に一人で何が出来るというのだ」
だから、自分たちの艦隊が全滅するなど、夢にも思っていなかったのだ――
「――ふん」
三隻の戦艦を見上げるのは、黄金の甲冑に身を包んだ男だった。
傲慢不敵に口を吊り上げる。
客観的に見ても圧倒的な戦力差がある。一人の人間対三隻の戦艦、内一隻がXV級。話にもならない。
しかし――果たして。
話にならないのは一体どちらなのか――――
なのは達はそこで、その人物に気がついた。
フェイトもアルフも、他のクルーと一緒に、特に気にしていなかった。だが、なのはだけは違った。
あの少年――衛宮士郎から聞いた話の中で、最凶≠ニ呼ばれたサーヴァントが居たような―――
そこで、なのはの思考は中断される。
「この世界ならば――存分に、お前を振るってやれるな……!」
ず、と男は虚空から剣を取り出す。しかし、それを果たして剣と呼んで良いのか。それには刃がなかった。あるのは、回転する三本の円柱型の何か=B
ぞわり、となのはの背筋が凍った。あれが何なのかは分からない。だが、エースオブエースと並び称される魔導師の超感覚が告げていた。
――――あれは、全てに破滅をもたらすものであると。
瞬間、莫大と呼ぶにも馬鹿馬鹿しいほど巨大な魔力が、何か≠ノ叩き込まれた。
収束する魔力、狂ったように回転する刀身から、暴風が吹き荒れた。大地が激震し、台風の如き烈風が辺りのモノを根こそぎ吹き飛ばしていく。
「さぁ、エアよ。存分に、暴れ狂うが良い――――――――!」
それはかつて世界を切り裂いた剣。
古代メソポタミア。『剣』という概念が無かった頃に神々に創造された、名前の無い剣。
英雄王にのみ振ることを許された、時空を切り裂く乖離剣。
なのはは、叫んだ。
「皆、にげてぇ――――――――っ!!」
「天地乖離す開闢の星=\―――――――」
斬。
ソレは、文字通り世界を切り裂いた。
十六層にも及ぶシールドなど、何の役にも立たなかった。次元そのものを切り裂く斬撃に、物理的な盾など意味を持たない。
空間に大断層が生まれた。みしみしと軋みを上げ、亀裂が広がっていく。神が振るう一撃というのが存在するのならば、正にそれはその具現だった。
一隻は次元の彼方へと墜ち、一隻は斬撃に巻き込まれ、爆発四散した。だが、XV級戦艦『フローレス』だけはギリギリの所で避けた。なのはの叫びが間に合ったのだ。しかし、それはあくまで辛うじて≠フレベルを超えていなかった。船体が軋み、黒煙を上げながら大地に沈んでいく。
「ふふふ―――はぁ――はははははははははは!」
全力の一撃を振るえたことが嬉しいのか、金色の甲冑の男は哄笑を上げた。だが、それもすぐに中断される。
男の正面前方に魔法陣が展開され、船艦の崩壊から逃れた十数人――たった十数人――が現れたからだ。
「ほう……存外にしぶといな、この世界の雑種は。まぁ、上手く回避できるように加減してやったのだから当たり前か」
くくく、と楽しげに笑う。しかし対称に、その十数人――なのは達は緊張と恐怖に駆られていた。
何だ、アレは。規格外にも程がある。こんな一瞬で三隻の戦艦を沈めるなど――――!
「――怪物」
誰かが、そう呟いた。
ぴくり、と男がソレに反応した。
「怪物? 違うな。我は王だ。貴様ら、王の御前だ。傅くのが道理であろう」
貼り付けられた凄惨な笑み。絶対的殺意を放ちながら、男は言った。そこにあるのは人の形をした絶望だった。何人も逃れることを許されない。そんな、圧倒的なまでの存在感だった。
しかし、なのははそれに抗う。
「……皆は逃げて。アルフの転送魔法で、近くのポートまで、行って。私が時間を稼ぐから」
「なのは!」
「アルフ。なのはの言うとおりだよ。ここは私達が時間を稼ぐ。それしか多分、手はない……!」
十数人の生き残りは、ほとんどがブリッジのクルーだ。まともに闘えるのは、なのは・フェイト・アルフの三人しかいない。
そして転送魔法を使えるのは、アルフのみ。ならば、選択肢は一つしかない。
こちらを睨み、デバイスを身構えるなのはとフェイトを見て、男は更に笑みを強めた。
「ほう――良い目だ。良かろう、刃向かうことを許すぞ、雑種」
その言葉が、皮切りだった。
なのはとフェイトは弾丸のように飛び出した。出来るだけクルーから距離を取る。なのはは空中から援護射撃、フェイトは近接戦。これ以上ないほどのコンビネーションだった。
「――王の財宝=v
それを見ても余裕を崩さない男は、ぱちりと指を鳴らした。
背後の空間が歪み、幾多の魔剣宝剣の類が姿を現した。
それは男が生前集めた『全ての宝具の原型』。かつて古代メソポタミアに君臨した最古の英雄王――ギルガメッシュの象徴だった。
雪崩の如く、それらが撃ち出された。
「っ――!」
二人は急転換。雨霰と降り注ぐソレを辛うじて躱していく。攻撃など以ての外だった。自分めがけて飛来するソレをいなし、捌き、避けることで精一杯だった。
「そらそらそらそらそら!! 避けろ避けろ避けろ! 虫のように逃げ回るが良い!」
次々と撃ち出される宝具はそれこそ湯水のようだ。おまけに次々とその概念レベルを上げていく。
それでもなお、ギルガメッシュは遊んでいた。
あまりの実力差に二人は愕然とする。
まるで出鱈目だった。馬鹿げていた。ここまで何も出来ないことは初めてだった。
「あ、――」
遂に避けられない一撃がフェイトを襲った。それは必中≠フ概念を持った大鎚だった。咄嗟に展開させたシールドごと、フェイトが吹き飛んだ。そこになだれ込む、幾多の魔剣――
身を捩る。何とか急所は守ったものの、全身が切り裂かれ、肩を貫かれた。
「フェイトちゃん!」
そのことがなのはの心に火を付けた。足を止め、防御陣を展開。身を貫くような衝撃を受けながら、なのはは強引に砲撃を撃ち放つ。
桃色の光球が、数十もの数を以て撃ち出され、次々と宝具とぶつかりあう。程度の低い宝具であれば、砕くことも可能だった。しかし、どうしても防げないような宝具もまた、幾つもあった。防御陣を貫き、なのはの体に突き刺さる。
それでもなのはは砲撃を止めなかった。最小限の動きで、致命傷は避け、砲撃に全力を注ぐ。
ぶつかり合う宝具と砲撃。それは対人の域を超えていた。既に一対一の戦争だった。
「あああああああぁぁあああああああ――――――――っ!」
なのはが血を吐きながら、咆吼する。宝具と砲撃の中、超常的な感覚を以て、幾つかの光球をコントロールする。
雪崩のような宝具の間隙を縫って、光球が走る。それでも、その壁はあまりにも厚かった。コントロールするも、完全に避けることが出来ずに、消滅していくのがほとんどだった。
だが――たった一つだけ、全ての宝具の嵐を抜けた。それは一直線にギルガメッシュに向かい――
――その顔に、直撃した。
「ぬ―――?」
何らかの防護概念が働いているのか、顔面に直撃したのにも関わらず、かすり傷程度しか負っていない。
しかし、それでも何が起こっているのか分からない、とでも言いたげに、ギルガメッシュは、そ、と顔面に触れた。
ぬるり。
僅かな血のぬめりが、手の中に在った。
「……?」
宝具の雨が、止んだ。
突然の事態になのはは困惑した。ギルガメッシュは今、確かに隙だらけだった。これは罠なのかどうかすらも分からない。目の前の存在が何を考えているか、全く理解が及ばなかった。
だが、既に体は、血だらけの傷だらけだった。残された時間は、少ない。
そう思った瞬間だった。
「なのは――――――――っ!」
気付けば、下にアルフが居た。フェイトの元へ駈け寄り、直ぐさま転送の準備を開始する。
「他の皆は転送ポートで逃げたよ! 後は二人だけだ!」
その声に応え、なのはは全速で向かう。だが、その最中――
「――――――――貴様」
笑うことを止めた、ギルガメッシュの真なる殺意が、なのはを貫いた。
燃えたぎるような憎悪だった。顔面に傷を負わせたことが、最上の罪だと言わんばかりの瞳だった。
掌を目の前に広げる。そこには今までにないほど、殺気が込められている。
先ほどの数倍以上の宝具が展開されていた。
「間に合え……!」
なのはは必死に手を伸ばす。アルフも同じように手を伸ばした。
全てを叩き潰す宝具の嵐が撃ち出され――そして、それが直撃する寸前。辛うじて、二人の手が触れあった。
転送――――――――
宝具は誰もいない地面を抉り、蹂躙し、破壊した。
ギルガメッシュは誰もいない空間を見て、舌打ちする。
そして――――
「……その顔、覚えたぞ。雑種、貴様だけは我が縊り殺してくれる。王の顔を傷つけた罪。万死にて贖って貰おう……!」
――――酷く、残酷な、狂的な笑みを、その顔に刻んだ。
天上天下唯我独尊。
今茲而往生分已尽。
王は人の心が分からない。
――それは王が誰よりも孤独だからだ。
→EP:6
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