|L.O.B EP: 3|
 新暦81年 四月十一日 ミッドチルダ 中央区画 ミッドチルダ地上本部

 生存者、四名。たったの四名だった。
 画面の中で、親友フェイト・T・ハラオウンが泣き晴らしているのを、なのはは見ていた。
 「私がっ! 行ったときには、もう二人とも、血、だらけで倒れて、て、――――だから、私! 早く助けよ、うと思ったんだけどエリオの左腕が、ぷらんぷらんて――――あ、ああああああああ!!!」
 「フェイトちゃん! 落ち着いて! 仕事が終わったら、私も本局(そっち)に行くから……」
 取り乱すフェイト。それに応対するなのは。
 なのはにはどうしようもなかった。仕事がまだ残っているし、そうそう簡単に離れる事の出来る立場でもなかった。
 だから、なのはに出来るのは、ティアナに任せることくらいだった。
 「ティアナ。フェイトちゃんを、お願い」
 「ええ、分かっています。フェイトさん、行きましょう……今はあの子達の前に居てあげないと……」
 画面からフェードアウトしていく二人。
 なのはは思う。ティアナが居てくれて良かったと。
 つい最近執務官になったばかりだが、今でもティアナはフェイトの補佐をしている。少しでも恩返しがしたい、とのことだったが、側にいてくれて本当に助かった。今ははやてもその守護騎士達も他の任務に就いている。六課の皆も同様にバラバラ、今のフェイトを支えられる人は少なかった。
 「で、どうなんですか。エリオとキャロの容態は? 一体何が起きたんですか?」
 そして聞いた。生存者四名――――その惨事における全容を。
 画面に映るのはレポートを手にした局員の女性だ。その陰惨たる内容を告げるのが辛いのか、眼鏡をかけ直し、一拍をおいてから話し始めた。
 「ええ。詳細はもう少し調べなければ分かりませんが、辛うじて口がきける局員の言と――――モンディアル一等陸士、ルシエ二等陸士のデバイスが記録した内容である程度は判明しています。まず、モンディアル一等陸士とルシエ二等陸士の容態ですが――――」
 エリオとキャロの傷は、酷いモノだった。二人とも今は手術中。本局の治癒専門魔導師がフル動員し、集中治療を行っている。特にエリオは見るも無惨な状態だった。人工臓器・人工筋肉の使用、細胞のクローニング、手段は選んでいられない。一歩間違えれば確実に死ぬような重傷だ。
 特に酷かったのが、リンカーコアの破損だ。何をどうしたのかはよく分からないが、一時的に膨大な魔力が注ぎ込まれることによる負荷によって、リンカーコアは酷い損傷を負っていた。恐らく、これ以上の魔力負荷がかかっていたならば、粉々に砕けていただろう。
 つまり、魔法が使えなくなる一歩手前の状態だったということだ。
 「――――そう」
 なのはは一言。その一言だけを呟いた。
 その顔を静かに衛宮士郎は見ていた。ドサクサに紛れて、なのはの後を追っていた。何が起きているのか知りたかった。
 「以上が、現在の二人の状況です。それで、全治するのに必要な日数ですが――――」
 更に二人の怪我についてレポートする局員。被害者がなのはの身内だからだろう。その言葉には単なる報告以上の気持ちが込められていた。
 だが。
 「いや、もう結構です」
 高町なのはは、それを切って捨てた。
 「それより現場の状況をもっと詳しく教えて下さい。今の私達には、そっちの方が重要ですから。そうですよね、クラウン三等陸佐捜査官」
 表情変わらず。冷徹な相貌のまま言う。
 クラウン、と呼ばれた妙齢の女性が、ソレを横目で見。
 「その通りです。高町一等空尉。先の事件と此度の事件……何かの繋がりがあるのか、あるとするのならば早急に関連性を調査しなければ」
 静かに告げた。
 クラウン三等陸佐。どれくらい偉いのかは士郎に分からない。けれども、なのはの態度から、きっと上官なのだろうと思った。
 恐らく此度の事件の担当官だ、と当たりを付ける。
 スクリーンの中の女性が。
 「は、はい。それでは――――」
 と少し動揺しながら、語り始めた。
 現れた黒い影。燃え上がる爆炎。キャスター、バーサーカー。限界を超えた魔法行使。残ったのは瓦礫の山と屍のみ――――
 それは陰惨たる内容だった。はたから聞いている士郎ですら――いや、彼だからこそか――聞くに堪えないほどに悲惨だった。人が記号に押し込まれ、純粋な数字へと変貌する。何人の死傷者。何人の重傷者。死亡の原因。頭頂部からかち割られ、心臓と内臓に魔法が叩き込まれていた。至極客観的なレポートはそのことを、淡々と告げていた。
 ――辛い。
 士郎は素直にそう感じた。
 なのはにとっては酷な話だ。何せ被害者は身内なのだから。
 知っている人が、どのように打ちのめされ、あのような傷を負ったのかを克明に聞かされること。それは若い彼女にとってあまりに重すぎる話だろう。
 それなのに。
 「……そうですか。クラウン捜査官、どうします。私も動きましょうか?」

 ――――どうして。
 その瞳は、そんなに冷たい温度をしているのか――――

 「今はまだ情報が錯綜している段階です。貴女は貴女の仕事をしていて下さい」
 なのはは静かに目を細め。
 「分かりました」
 とだけ言い、扉に向かった。
 その変わりない表情に、場が少し凍った。
 扉が開く音。いつもと変わらない足取りのまま、なのはは部屋を退出した。
 「おい、ちょっと待ってくれよ!」
 士郎は慌ててその後を追う。
 場に残されたのは四人。スクリーンの中の女性とクラウン捜査官とその部下の二人。
 スクリーンの中の女性が言う。
 「……流石は航空隊のエースオブエースですね。こんな大惨事に身内が巻き込まれたというのに眉一つ動かさない」
 クラウン捜査官は、ふぅと一つ溜息を吐き。
 「あれはそういうものよ(、、、、、、、、、、)。彼女は不屈のエース。故に、こんなことで止まることなど許されない」
 静かに、そう言った。
 目線はなのはが去っていった扉の向こう。クラウン捜査官は静かに見つめていた。

 「おい! 待ってくれ! なのはさん!」
 白を基調にした通路の中、士郎は叫んだ。
 コツコツ、と機械のような足音が止まる。
 「事情はよく分からないけど、奴らにやられたのはアンタの身内なんだろ? なのに、どうして
 ――――どうして、そこまで冷静でいられるんだ」
 異常だった。
 この組織が士郎の知る軍隊と同一のものであるかどうかは分からなかったが、それでも知り合いがあそこまで重傷なのを見て、眉一つ動かさないなんてことがありうるのだろうか。
 仕事と私情は別、といったレベルではなかった。全くの赤の他人ならともかく、あの聞くに堪えないよう惨状を直接聞いたのだ。仕事を投げ出してでも駆けつけたいに決まっている。少なくとも気になって仕事どころじゃないはずだ。スクリーンに映った、なのはがフェイトと呼んだあの金髪の女性のように。しかし、なのはにそんな挙動は見られなかった。ただ淡々と――――まるで機械のように状況を判断し、思考を巡らせているようだった。
 本来ならばあるはずの感情の揺らぎ=Bそれが今のなのはには全く皆無だった。
 「どうして? そんなこと、決まっているじゃない」
 ゆっくりと、高町なのはは振り返る。
 そこに刻まれた表情は――――

 「――――こういう仕事を選んだのが私だから。その事だけは、決して裏切れない」

 眉尻を僅かに下げた静かな――――本当に静かな微笑みだった。
 その笑顔を見て、士郎は直感した。
 この人は、とても強い。初めて会った時に思った通りだ。この世の理不尽も汚れも不幸なことも全てを飲み込むような強さだ。
 だけど――――

 ――――歪んでいる。

 その歪な強さを、士郎はどこかで見たような気がした。


3/この拳は何のために The_meaning_of_Right_arm


 模索するということは、正しく意味を理解するところから始まる。


 新暦81年 四月十三日 ミッドチルダ南部湾岸地区 湾岸特別救助隊宿舎

 エリオとキャロは、無事なんだろうか。
 部屋の中、机に立てかけられた六課集合時の写真を見つめながら、スバル・ナカジマはそう思った。
 機動六課解散から五年。スバルは特別救助隊員として、順調にその実績を伸ばしていた。六課での激務を経て得た一等陸士という階級と、救助を続けている内にいつの間にか習得していたAAAランクという評価。救助隊という性質がスバルに合っていたのだろう。異例、といっても差し支えないスピードで、スバルは特別救助隊の中で地位を築いていた。
 順調な日々だった。しかし、そこにいきなり降って湧いたのが、今回の事件だった。
 突如ミッドチルダ首都に現れた黒い影。現場で救助を担当していたスバルは、それを見ていた。直接の交戦よりも民間救助のほうを優先していたので接敵回数こそ少ないが、それでも。
 アレは異常だと。そう理解するには十分だった。
 そして――――
 「キャロとエリオ……一命は取り留めたってなのはさんは言ってたけど」
 続く事件で六課のライトニングチームの二人が、似たような事件に巻き込まれ、酷い重傷を負ったという。
 心配だった。
 二人に会って、一年と五年。スバルにとって、二人は最早弟や妹に近い思いを感じている。その二人が、今大変なことになっているのだ。気にならないはずがない。
 だけども、自分には仕事がある。湾岸特別救助隊というのは、その担当する範囲の広さ故、激務で有名なのだ。そうそう会いに行けるわけもなかった。そもそも二人は今、面会謝絶である。会いに行ってどうにかなるレベルはとうに超えていた。
 だが、それでも気になるモノは仕方ない。
 「スーバル! どうしたの? 一人で黄昏れちゃって」
 「レスタ……」
 陽気にスバルに声を掛けてきたのは、スバルの同僚、フォレスタ・エクステリアだ。くりくりと大きい瞳と、ウェーブが掛かった栗色の髪。仕事が終わり、シャワーを浴びてきたのか、紅潮した頬が愛らしい。明るく人なつこい女性だった。
 丁度今、スバルの部屋に泊まりに来ていたところだ。スバルとは何故だか気が合い、今では親友と言っても差し支えのない仲だった。
 フォレスタは机の写真を覗き込み、少しだけ眉をひそませた。
 「――――やっぱり気になる? そうだよね、弟や妹みたいなものだもんね……」
 「あ、いや。うん、気になりはするけど、そこまで深刻じゃないよ。だから、あんまり悲しい顔しないで。ね?」
 同僚が暗い顔をしていることに気付いたスバルは慌てて笑顔でそう繕った。
 確かに気になる。心配で心配で仕方ないが、しかしそれで周りの人達を落ち込ませてどうする。心配だからと言って沈んでばかりいたら、チームの士気にも影響する。
 「スバルがそう言うのなら仕方ないけど……大丈夫? 無理してない?」
 「うん。大丈夫。エリオもキャロも、私もこういう仕事だもん。心配は心配だけど、覚悟はしているから」
 ――――果たして、それは一体何に対する覚悟なのか。
 一瞬、そんな疑問がフォレスタの頭を過ぎったが、あまり引っ張りすぎるのもスバルに悪いと思い。
 「そっか。ねぇ、スバルもシャワー浴びてきたら? もうそろそろ就寝時間だし」
 と笑顔で言った。
 「レスタ……うん。そうだね、行ってくるよ」
 同僚の気遣いに感謝しつつ、スバルは椅子から立ち上がる。
 と、その時。
 耳をつんざくような、緊急収集の音が辺りに響いた。
 「スバル!!」
 「うん、分かってる!」
 特別救助隊、通称『特救』では、その性質故休みというものが原則存在しない。人を助けることが主眼の部隊で、今回のような急な収集は珍しくなかった。
 スバルは、すぐに相棒であるデバイスを手にし、扉の向こうに駆けていく。
 残されたディスプレイに刻まれた、その文字は。

 『――――黒い影が出現した』

  新暦81年 四月十三日 第102管理世界

 そこは地獄のような場所だった。

 「っつ――――!!」
 スバルの部隊含め、全部隊が息を呑んだ。
 一面に広がる瓦礫と炎と――――屍としか思えない、微動だにしない人の群れ。見ると局員だけでなく、一般人なのか、服装がまったく違う人物も見えた。
 「酷い……」
 部隊の誰かが言った。
 周りを見渡す。まずは情報収集からだ。
 黒い影は見あたらない。もう退いたのだろうか。
 スバルはそう思い、声を上げる。
 「のんびり見ている暇はないよ! 早く救助を!」
 怒号じみたその声に、部隊が応と返す。
 救助隊に入って五年。様々な現場を見てきたが、ここまで酷いのはスバルにとっても初めてだった。
 これではまるで。
 「――――戦場のようだ」
 誰かが呟いた。

 結論から言えば、助かった人もいたし、助からなかった人も居た。
 即死としか思えない斬撃の後や、心臓を一直線に撃ち抜かれた死体もあった。手足がぐちゃぐちゃになりながらも生きている人が居た。助かった、と笑顔する者などおらず、何故死んでいないのかという呆けた顔しかそこには並んでいなかった。
 その事が、どうしてもスバルの胸を抉る。
 もう少し早ければ、と。
 特別救助隊は性質上、どうしても後手後手に回ざるをえない。こんな規模の被害は初めてだったが、救えない命もスバルは沢山見てきた。
 いつか六課の部隊長八神はやてが零していたことを思い出す。
 はやてが夢見る理想の部隊。どんな事態であっても、誰よりも早く駆けつけ、犯罪や災害を未然に防ぎ、命を助ける部隊。管理局≠ニいう枠組みに捉えられない限りなく自由な独立部隊。
 確かに、それは理想に過ぎない。しかし、その理念はスバルにとって十二分に理解出来た。
 全てを救おうなんて大それたことは考えたことはない。ただ泣いている人を救いたいだけだ。あの時、高町なのはに救われた自分のように。
 しかし、次第にその欲求が肥大化していくのが自分でも分かった。
 一人を助けたら、次は十人救いたいと思った。十人助けたら、次は百人救いたいと思った。なら、次は一体何人だろう?
 右腕からこぼれ落ちていく命。それが、どうしても悲しかった。
 ――そうだ。
 私は。
 スバル・ナカジマは。
 一体、あと何人救えば、あの人のようになれるのだろうか(、、、、、、、、、、、、、、、)――――
 「スバル!」
 は、と呼ばれてスバルは我に返った。一通り救助が完了し、少し安心したからか、ふと思考の内側に沈んでいた。
 「ごめん、レスタ。どうしたの?」
 フォレスタは足下にミッドチルダ式魔法陣を形成させていた。要救助者がいないか、最後の確認だろう。いつもの手順だ。
 「この先、一キロ地点に生命反応があるわ。すごく弱い反応だから、本隊の方も見逃してたみたい。この様子から見て、そんなに時間がないわ!」
 「――――!」
 考えるのは後だ。今は目の前にあることだけを考えろ。そうだ。自分は誰かを助けるために、魔法の力を習得したのだから。
 スバルはそのことを聞くや否や、すぐさま飛び出した。マッハキャリバーが唸りを上げ、ローラーブーツが火花を上げる。その加速力は、特救内でも随一のモノだ。こういう時は大抵スバルが救助に向かう。
 炸裂する。
 爆発的な運動量が叩き込まれた両足のローラーが、スバルを目的地へと導く。
 他でもない、スバル・ナカジマの信念が故に。

 「特別救助隊です! 声が聞こえてたら返事を!」
 そこは白い建物だった。白を基調としたその建造物は、紛れもなく管理局の支部だった。
 以前は静かで落ち着いた佇まいだったのだろうが、今は見る影もない。壁は瓦礫と化し、建物中に亀裂が入っていた。あちこちで火花が散り、小規模であるが火災も起こっていた。災害を沈静するために機構も全てダウンしており、いつ倒壊してもおかしくはない状態だった。
 「火の手が強くなってきた……これはちょっとヤバイかな」
 バリアジャケットを装備しているスバルにとって、この程度の炎は何ともないが、中に居る人はひとたまりもあるまい。
 急がねば、と思い、更にローラーが回転力を増す。
 道を防ぐ瓦礫や壁は右拳で破壊する。倒壊を速める危険性もあるが、今は速度を優先すべきだ。方法を選んでいられない。
 一階。二階。三階。
 声を張り上げながら、スバルは進んでいく。
 すると、目の前に扉があった。それもかなり強固な。
 「ここか……!」
 恐らく防火扉の類だろう。炎をシャットアウトするために作動させたが、システムがダウンしてしまったので出られなくなってしまったのか。
 拳を振り上げる。
 フォレスタから送られる位置情報では、この先、この分厚い扉の先に、要救助人がいるはずだ。
 みしり、と拳が軋んだ。
 ――――カートリッジロード。
 右拳のリボルバーナックルが回転数を増す。
 「おおっ!」
 リボルバーキャノン。
 スバルの声を張り上げると同時、衝撃波が右拳と共に叩き込まれた。
 ご、という轟音。
 防火扉という外部から身を護るための盾。普通の魔導師では傷一つ付けられないソレは、しかし。スバル・ナカジマの拳の前には紙切れ同然だった。
 扉は瓦礫の山と化し、スバルの視界が開けた。
 そこは白い空間だった。半径五百メートルほどの広い球状のドーム。多分訓練施設かその類のものなのだろう。白亜の壁が少しばかり遠くに見える。
 が、しかし今そこは炎と瓦礫に塗れていた。あちこちに亀裂が入り、天井が崩れたのか黒煙に染められた空が見えた。
 その端。入り口にいるスバルと対称な場所に、その男はいた。
 髭面だが、見た目より若い。恐らく三十代前半くらいだろう。ごつごつと隆起させた筋肉と引き締まった顔面は歴戦の勇士を思わせる。
 しかし、そんな男も今は単なる負傷兵にしか見えなかった。
 血だらけで傷だらけ。バリアジャケットを装備しているが、あそこまでボロボロならば、その意味も無いだろう。ストレージデバイスだと思われる杖は粉々に砕け、何より両足が砕けていた。よく見なくても重傷だ。
 (要救助者を発見。保護します。合図をしたら転送を)
 スバルは直ぐさま念話を送る。あの傷では急がないと不味いことになる。
 (了解。……スバル、気をつけるんだよ。貰った情報から推測するに、もう持たないよそこ)
 フォレスタからの忠告。分かっている。この様子では、あと二十分……いや十五分持てばいいところだろう。
 急がなければ。
 「湾岸特別救助隊のスバル・ナカジマです! アナタを助けに来ました。もう大丈夫ですよ」
 言いながら、スバルは駆けた。その男を助けるために。
 だが。
 「――――来るなっ!!」
 その助けの声を、男は切って捨てた。
 「!?」
 思わずスバルの足が止まる。
 驚愕に見開いた目が男の姿をしっかりと捉えていた。
 ぎらり、と俯いた顔から覗かせる男の目は、ある感情が渦を巻いていた。
 ――それは、憎しみ。
 救助を断るどころか、スバルに対し恨みの感情を向けていた。こんなことは初めてだった。
 戸惑う。
 「ど、どうしてですか! その傷じゃあ、早くしないと死んじゃいますよ!」
 「うるせぇ。特救ってことは、お前管理局の人間だろう? ……糞が。てめぇらに助けられるくらいなら舌噛みきって死んでやるよ。お前らに助けられるよりはマシだからな(、、、、、、、、、、、、、、、、、、)
 男は憎悪が滾った瞳で、スバルを睨む。
 意味が分からなかった。
 「それってどういう意味!? そんなこと言っている場合じゃないんだよ! この建物だって、もう保たない! 早く脱出しないと死んじゃうんだよ!?」
 一歩足を踏み出す。
 だが、そんなことは許さない、と男は怒号を上げる。
 「来るなっつってんだろうがぁ!」
 びくり、と足が止まる。何をそんなに意固地になっているのか。このままでは男の絶命は絶対だ。特救として、何よりスバルの信念がそれを許さない。
 ――こんなとき、なのはさんならどうするだろうか。
 決まっている。
 『お話を聞かせて貰う』しかないだろう。
 「っつ――――アナタは何故、そこまで助けを拒むの? どうしてそこまで管理局を恨むの? アナタは管理局の人間じゃないの?」
 こんなことは初めてだった。助けに来た人に、拒絶されるなどということは。
 そもそも何故こうも簡単に命を放棄する。何者なのだ、この男は。
 疑問がスバルの中で渦を巻き、口をついて溢れる。
 男は、は、と笑い。
 「やっぱり末端は知らねぇのか。どうやらあの憎たらしい黒い影が現れたせいで、本局の方も情報が錯綜しているらしいな。くくく、じゃあ教えてやるよ。俺が何者なのかということを」
 バリアジャケットに貼り付けられたエンブレムを引きちぎり、スバルの方へ投げた。
 ひらり、と投げ出されたソレに刻まれている名称は。
 「A.A.B……? これって、まさか……」
 Anti.Administrative.Bureau―――反時空管理局組織―――だった。
 「そうだ。この次元世界で最初にどんぱちやってたのは黒い影なんかじゃねぇ。俺たちA.A.Bと管理局の奴らだよ。それが黒い影のせいでうやむやになっちまった……くそが」
 悪態を吐いて男が笑う。それは自嘲の笑みだった。
 確かに、噂には聞いたことがあった。
 時空管理局の現状の体制に納得出来ない過激派組織が存在し、今でも紛争に近い小競り合いを続けていると。
 だが機動六課に所属していた時も特救に所属している今も、そんな組織は聞いたこともないし、管理局のデータベースにもそのようなものは存在していない。正直、眉唾ものだった。
 そも現状、時空管理局の体制で上手く世界は回っている。『海』と『陸』との対立、慢性的な人手不足など確かに問題は少なからず存在しているが、それでもわざわざ反旗を翻すほどではない。
 そうスバルは思い、そのことを口にする。
 だが、男は。
 「世界は上手く回っているだと? 確かにそうだ。奴らは自身の障害を悉く叩き潰しているからな。表面上では、そう見えるだろうよ。ああ、いいだろう。ここで会ったのも何かの縁だ。
 ――――お前に一つ、呪いを遺してやるよ」
 燃え墜ちる世界の中、どうすることも出来ない呪いを口にした。

 「お前はおかしいと思ったことはないか? 質量兵器の禁止、管理という名目でのロストロギアの収集……これらのことから一つの事実が見えてくる。管理局の一元支配――つまりは独裁さ。誰でも使用できる質量兵器を禁止し、選ばれたモノだけが使える魔法を流通させることによって、反抗を起こさせなくする。少なくとも誰でも簡単に力を持つことは不可能になる。魔法は『クリーンなエネルギー』だなんていうお題目でな。は、何がクリーンだ。何かを壊す力に是非は無い。止めとばかりにロストロギアさ。お前も管理局の人間なら分かるだろう? あれがどんなに危険な代物なのかを。そんなものが管理という名目上、局に大量に保管してあること自体危険ということが何故理解できない。……ほら見ろ。この時点で、ほとんどの人が逆らえないようにシステム構築されていやがる。アレを持ち出されたら一巻の終わりだ。おまけに慢性的な人手不足ときたもんだ。六年前のJ・S事件だって、元々は『海』に対する高ランク魔導師の一極集中が原因だろう? それで人手不足とは笑わせる。そも一つの組織が数百に及ぶ世界を統括・管理すること自体が不可能なんだよ。理想ばかり追いかけて、風呂敷を広げすぎた組織。それが時空管理局の正体だ」
 時空管理局の側面、抱える矛盾。ソレはスバルも含め、局員達もうっすらと感づいてはいた。
 しかし、それでも。
 「――――確かにアナタの言う通りかも知れない。だけど管理局が無かったら、次元犯罪を取り締まる人が居なくなっちゃうじゃないか。問題は沢山あるかもしれないけど、一つずつ解決していけばいいだけの話だよ。反管理局組織なんて……徒に争いを広げるだけじゃないか」
 そこまで管理局を拒絶する理由にはならない。確かに現状では独裁と取られても仕方のない事かも知れない。だがその理念は次元世界全体の平和だ。植民地、圧政などという暴力的な考えは存在しない。
 そうだ。
 管理局が間違っているというのならば。
 今まで振るってきた拳の意味は――――
 「は――――はははははははははははは!!」
 男は笑った。スバルの考えを嘲笑うかのように男は笑った。
 「ああ、それがお前の考えか。それは彼岸にいる者の思考だ。対岸の火事を呆と見ているだけに過ぎない。いいぜ、教えてやるよ。俺が反管理局に入った理由を。
 ――妹が殺されたんだよ、管理局の奴らになぁ!!」
 「――――!?」
 男は語る。
 「妹は天才だった。十三歳という若さでオーバーS……管理局でも有数のエースだったよ。だがなぁ、アイツはそれでもまだ子供だったんだ。天才だろうがエースだろうが、んなものは関係ねぇ。学校もまだ卒業してない、背も低い可愛いやつだった。
 ――――そんな子供を、奴らは容赦なく戦場に送り込みやがった。知ってるか? 『海』のほうに高ランク魔導師が集中している理由を。それはな、『海』では絶えず世界の危機≠ェ頻発しているからだ。今こうしている間にも世界が滅びようとしているんだぜ。笑っちまうよな。奴らは正義の使者を装い、その実、魔導師ランクが高いなんていう理由で、子供を一番きつい戦場の前線に立たせているんだよ。管理局の奴らはそのことをひた隠しにする。魔法はクリーンなどと隠れ蓑にする言い訳を利用してな。たまに英雄と呼ばれる天才だけが大々的にプロバガンダとして利用され、死んでいった子供は闇に葬る。士気に影響するとか、そんな理由でなぁ!!」
 その時、スバルの脳裏に浮かんだのは、ある一人の少女の姿。
 九歳にしてAAA。大規模収束魔法すら軽々操るエースオブエースの姿を。
 「妹は死んだよ。一つの世界と引き替えにな。天才だったが英雄ではなかったんだ。管理局の奴らは何て言ったと思う? 妹さんは立派に世界を救ってみせましたよ(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)、だ。ふざけんじゃねぇ!! 俺の妹は、アイツは、お前らの生け贄なんかじゃねぇ!!」
 男は天に向かって咆吼した。
 どうしようもない憎しみ。ソレが達成できない世界の理不尽に対して、男は涙する。
 「そんな組織が正しいと思うか? クリーンだか何だかよく分からない理由で、子供を危険な戦場に立たせる、こんな組織が正義を名乗るのか!! 人手不足だと! そんなもの奴らが自分で招いた事態じゃねぇか!! いいか、予言してやる。これは絶対だ。絶対に的中する予言だ」
 口にする。
 男の言葉は予言であり、同時にどうしようもない呪いだった。

 「――――こんな歪んだ組織は、近いうち必ず滅びる。他ならぬ自分たちのせいでなぁっ!!」

 スバルには、何も言えなかった。
 管理局入りしたときから、それは当たり前の光景だったから。気付いたらティアもキャロもエリオも居た。そのほかにも、自分と同じ年の子が沢山いた。
 だから気付かない。だから気付けない。
 気付いたとしても、きっと何も出来ない。何て無力な自分。
 確かに男のソレは私情だろう。理屈が通っていない感情論。だが、それは自分が彼岸に立つ者だからだ。
 思い描いて見ろ。もし同じような理由で、親友が死んだ時。
 ――――お前は、今と同じ事を吐けるのか?
 スバルの胸の内に、じわりと不審の思いが広がった。管理局は間違っている――そんな思いだった。
 男は、尋ねる。
 「お前は何故特救に入った。何のために拳を振るう」
 いきなりの質問に、スバルは戸惑う。
 けれども、確とした顔で、その質問に答えを返す。
 「助けてくれた人が居たから。その人に憧れて、その人みたいに強くなろうと思ったからだ」
 男はそれを聞いた途端、くく、と笑った。
 「ああ――何だ。お前はそんなことで、戦場(ここ)に立っているのか。こりゃ傑作だ」
 「……!」
 ひとしきり笑った後、男は言った。
 「お前なんかに、俺は助けて貰いたくねぇ。とっとと帰れ」
 スバルは、激昂した。
 「っつ――――!! アナタが何を言おうと、私が特救で人を救うことを生業としていることは変わらない!! 私の目の前で、誰かが死ぬところなんて見たくないよ!」
 叫ぶ。
 管理局が正義だなんて思ったことはない。自分が正義と思ったこともない。ただ憧れの人がそこにいて、人を助ける仕事がそこにあったから、スバルはここにいるのだ。
 その是非を、他人に決めて欲しくなかった。
 「管理局に捕まったら最後だ。確かに死ぬようなことはないかも知れない。だが、変な更迭プログラムでも見せられて人格矯正させられるのがオチだ。そんなのは、この俺が許さねぇ。
 ――――俺は俺だけの憎しみを抱えたまま死んでやる。これだけは誰にも邪魔はさせない」
 ごごん。
 崩落が、始まった。
 「……させない。そんなことは絶対に! 死んだ方がいいなんて絶対に間違っているよ!」
 スバルは駆ける。もう迷っている時間など無い。
 そうだ。この右拳は人を救うために存在する。
 ならば、このまま見殺すなどという選択肢が在っていいはずがない――――!
 「止めろ……俺の最後の、希望を。じゃましないでくれ……」
 男にはもう舌をかみ切る余力すら残されていなかった。
 だらりと四肢を投げ出し、ただ泣くことしかできない。
 ――死んだ方が良い? そんなこと……絶対に間違っている!
 スバルはそう信じていた。生きていれば必ず希望は見いだせる。生きている意味を実感出来る。そう考える。考えなければ足が動かなかった。それがスバルの世界の全てだった。
 ――間違ってはいない。間違ってはいない。私の想いは間違っていない。
 だけど、それは――――正しいのか。『間違っていないこと』と『正しいこと』は、本当に同一のものなのだろうか――――

 一瞬、そんな疑問が首をもたげた。

 「ふん。救う≠アとと生かす≠アとは必ずしも同一であるとは限らない。お前のソレは――単なるエゴに他ならんよ」

 その隙に。
 男の眉間に剣が突き刺さった。
 男は少しの間、目を見開き。

 「ああ――感謝する」

 そう言って、安らかな顔で逝った。
 「―――――!?」
 スバルは誰だ、と思う前に、何故、という疑問が先走った。
 救えなかった。
 結局救えなかった。
 誰かを救う。なのはさんのように誰かの笑顔を守りたいという信念。
 それを証明することが出来なかった。
 
 びきり。

 ――――スバルの世界に、亀裂が入る。

 涙が一滴、頬をつたった。
 スバルは、ゆっくりと振り返る。視界が僅かに涙で滲んだ。
 蜃気楼のような景色の中、一人の男が、厳然として立ちはだかっていた。
 「――――」
 ばさり。
 爆炎と振動で翻るのは紅い外套。褐色の肌。擦れきった白い髪と、全てを諦観したような瞳。引き絞った筋肉と黒い甲冑。
 睨んだ。どうしようもない激情がスバルの身を包んだ。それは理不尽ともいえる感情だった。憎しみ、怒り……言葉でくくれるような感情ではなかった。
 頭にあるのは、どうして、という言葉だけだ。
 叫び出したい衝動に狂うかと思った。激情が全身の血を沸騰させ、毛穴が全開になったような感覚だった。
 目の前の男が誰かなんて関係なかった。
 ああ。
 どうして。
 どうして。
 この男は。

 ――――私に、あの人を救わせてくれなかったのか(、、、、、、、、、、、、、、、、)――――!

 「あ、あぁ――――あぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 コンクリートを蹴り出す。加速。拳を振り上げる。距離は約五百とちょっと。数秒もかからない。カートリッジロード。視界に映るのは赤い外套の男と。

 「スバル! 何やってるの! もう倒壊がはじ――――!」

 そして、たった今転移してきたであろう親友が――――

 「――――後悔しろ。これが愚者(おまえ)の行き着いた先だ」

 男が腕を振り上げる。魔力反応。上を見上げる。そこには空を覆い尽くすような刀剣の山が。
 「あ」
 声を上げる暇もなく、倒壊寸前の建物に、無数の剣が叩き込まれた。

* * *

  ――――始まりは、あの赤い光景だった。

 燃えていた。煌々と辺りが紅に照らされ、黒い煙と炎がダンスを踊っていた。
 苦しい。熱気が肌を焼き、肺を焦がす。心細かった。お姉ちゃんもお父さんも、どこにもいなかった。
 ふらふらと辺りを歩く。自分の泣き声と瓦礫が崩れる音しか聞こえなかった。
 私はただ泣くことしかできなかった。弱い自分が悔しかった。
 痛くて熱くて悔しくて――――どうしようもなく惨めだった。
 爆風に吹き飛ばされる。
 痛かった。
 助けて欲しかった。
 誰でもいい。誰かに助けて欲しかったんだ。
 炎の中心、女神を象った像が私を見下ろしていた。
 どうして私がこんな目にあっているのかが理解できなかった。せめて祈った。助けてくれと。あの暖かい家に戻してくれと。
 みしり。呼応するように像が軋んだ。
 助けてくれ、と投げかけたソレが、私を嘲笑うかのように倒壊した。
 迫る女神像。子供にはどうすることもできないほど巨大な石塊。
 その時、子供心に何となく悟った。
 ああ――私はここで死ぬのか、と。何もかもに見放された自分は惨めだった。
 痛いのは嫌だった。血を見るのも嫌だった。せめてと思い、目を瞑った。自分が死ぬ所なんて見たくなかった。自分が死ぬなんて信じられなかった。死ぬのが、堪らなく怖かった。
 だけど、いつまで経っても、痛いのは来なかった。

 『良かった。間に合った。――助けに来たよ』

 目を開けると、そこには本当の女神様が居た。
 ふわり、と舞い降りた白い服を着た優しそうな女の人。御伽噺の中で見るような紅玉の杖。
 広がるピンク色の羽。なんてキレイだろうと思った。
 そして、それから放たれたのは救いの光。
 神罰の一撃(ディバインバスター)
 全てを貫くその砲撃に圧倒された。何よりも頼もしいと思えた。
 気付けば、抱えられて、夜空を飛んでいた。
 吹き抜ける風が優しかった。
 支えてくれる腕が暖かった。
 ふと、空を見上げた。

 ああ――――なんて綺麗な星空。

 多分、その光景を私は一生忘れない。
 あの時、確かに私は生まれ変わった。
 弱くて惨めな、守られるだけの私とさよならして。
 ――あの人のような、強くて優しい、誰をも救う人間になろうと思ったんだ。

 あれ?
 でも。
 私が本当になりたいと思ったのは。
 私が本当に憧れたのは。

 誰をも救う人間なのか(、、、、、、、、、、、)
 それとも、
 なのはさんそのものなのか(、、、、、、、、、、、、)

 果たして。
 一体どちらなのだろう――――

* * *

  「う……一体、何が……」
 がらり、と瓦礫の中からスバルは這い出た。
 危ないところだった。倒壊する建物の瓦礫はともかく、突如雨霰のように降り注いできた刀剣が不味かった。
 何せ障壁を貫くような威力が込められている刀剣が数本混じっていたのだ。その事に気付き、ギリギリの所で避けたのが幸いだった。
 何本かは体のあちこちを切り裂いたが、致命傷にはほど遠い。魔導師ランクAAAは伊達じゃない。
 「……そういえば、レスタは?」
 建物が吹き飛ばされる瞬間、確かに同僚で親友の顔が見えた。恐らくあまりに遅いから心配して様子を見に来たのだろう。あの外套の男は見あたらなかった。あれは一体何だったのだろう。
 「レスタ……? レスタ!」
 辺りを見渡す。見えるのは瓦礫と建物を倒壊させた無数の刀剣のみ。
 瓦礫、剣、瓦礫、剣、瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫瓦礫――――手。
 「――――え」
 その時、確かにスバルの目は捉えた。戦闘機人。常人よりも遠くを見渡す事の出来る瞳が、確かに。

 コンクリートの破片の下から這い出ている、見慣れた、その手を。

 「レスタぁ――――――――っ!!」
 ご、とマッハキャリバーが辺りの瓦礫を散らしながら、スバルは駆けた。
 防火扉すら軽々砕く、その腕力を以て、白いコンクリートに下敷きになっている――――フォレスタ・エクステリアの体をゆっくりと引き吊り出した。
 「――――あ」
 瞳孔が引き絞られていく。全身が冷や水を浴びせられたように、ぶるぶると震えた。血の気なんて全く感じなかった。
 世界が反転していく。本能が、体が、目の前の現実を拒絶する。ネガのような白黒の視界の中。

 全身が剣に貫かれた、ぐちゃぐちゃの肉塊が、其処にあった。

 ――――後悔しろ。これが愚者(おまえ)の行き着いた先だ

 「は、ぁ……ぅううううううあ――ああぁぁああ、うわあああぁぁぁあああアアアああああぁぁああああァァあああああアアアアアアアアアアア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ア嗚ああ呼嗚AA呼嗚呼あああAAAAAアアAAAaaaaaaa嗚呼aaaaaあああああaaAAAAAaaaaaaaaaa!!」

 叫んだ。それは絶叫に近い咆吼だった。スバルは天を仰ぎ、獣のように泣いた。
 ――――――――――助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった助けられなかった。
 ――助け、られなかった……!!
 何故だ。何故こんなことになった。笑っていた。何時間か前、フォレスタは笑っていたんだ。エリオとキャロのことで落ち込んでいた自分を気遣ってくれたじゃないか。五年間もずっと一緒だった。優しかった。友達だった。なのに、何で、こんなことに。
 誰だ。誰が悪いのか。あの外套の男か。それとも反管理局組織の男か。のこのこと現場にやってきたフォレスタ自身か。否、そんなことは有り得ない。誰が悪い? そんなことは決まっている。
 ――自分だ。
 あの時、あの反管理局組織の男の話なんか聞かず、さっさと救助すれば良かったんだ。元々舌をかみ切る余裕なんて無かっただろう。そうすれば良かった。何の問題もなかった。私は帰れた。管理局に不審なんか感じずに、いつもの日常へと帰れた。
 もう、戻れない。
 ――――お前に一つ、呪いを遺してやるよ
 あの言葉は本当だった。男がこの事態まで見越して言ったとは到底思えないが、それでも確かに、呪いは今ここに形を為した。
 ぐちゃぐちゃに泣きながら、フォレスタの亡骸を抱きしめた。流れ出る血と脳漿が無闇に暖かった。その熱はまるでスバルを責め立てているようだった。
 「ごめん……ごめんね、レスタ。ごめん、本当に……ごめんなさい――――!!」
 誓ったはずだった。誰をも護る、救う事の出来る人間になると。なのはさんのように強く優しい人間になると。
 この拳を、誰かの笑顔のために、振るうと――――――――

 (スバル――――――――助け)

 その時、誰かの念話が頭に響いた。それが自分が所属する部隊のものだと気付くのに数瞬を要した。
 「え――――――――」
 顔を上げ、見渡す。遠くの空が燃えていた。
 ――あそこには、確か。私の仲間達がいた、ような。
 ふらり、と立ち上がった。フォレスタの屍を名残惜しそうに見つめた後、マッハキャリバーに命じた。
 ローラーが回転を上げ、スバルは駆け出す。その表情はまるで幽鬼のように揺らいでいた。それでも、いつもと変わらない速度で、赤い空の下へと向かう。
 最早、スバルに残されたのは、いつか見たあの星空だけだった。誰かを救う。なのはさんのように。この身は救わねばならない。そのために今まで頑張ってきたのだから。
 それが無意味だとするならば。何も救えないのだとしたら。

 この拳は何のために――――――――

 体を突き動かすのは信念でも理想でもなかった。
 誰かを救わねばならない(、、、、、、、、、、、)
 そんな執念じみた強迫観念だった。



 そうして、その赤い空の下に辿り着いた時。
 スバルが目にしたのは。

 黒い影が踊り、二つの人影が血しぶきと共に舞う。そんな絶望の宴だった。

 さっきの赤い外套の男が舞っていた。撃ち出される砲撃魔法など意にも介さず、どんな魔法なのか刀剣を射出させ、宙に浮かんでいる魔導師達を撃ち落としていた。
 もう一人。艶やかな着物を着込んだ優男が、馬鹿みたいに長い刀を以て、地上の魔導師を切り刻んでいった。どんな仕組みになっているのか、瞬間移動したとしか思えない足運びで、あらゆる魔法を回避し、一撃の下に首を切り落としていった。
 踊る踊る。黒い影を観客に、二人の死神が絶望を舞う。
 現実感など皆無だった。
 恐ろしい勢いで絶命していくのは、スバルのよく知る人達ばかりで、今日も笑顔で話しかけてくれた。まるで夢のようだ。こんなことが現実に在って良いはずがない。こんなことが。

 ごろん。

 切り落とされた首が放射線を描き、スバルの足下に――――――――

 「あ――――――――」

 ――――そして。
 彼女は正しく拳の意味を知る。

  スイッチが入り、スバルの目の色が変わった。水色の瞳が黄金色に瞬いた。
 戦闘機人モード。タイプ:ゼロ≠ェ鼓動を開始する。何人をも絶殺する、『戦闘鬼』がここに顕現した。
 「ああぁああああああ――――――――っ!!」
 咆吼。
 立ち昇るのは魔力だけではない。
 魔法だけではなく戦闘機人として力をも併用し、通常の数倍の出力を持つソレが、弾丸のように飛び出した。
 カートリッジロード。
 「――――――――ほう」
 着物姿の男が、突然の乱入者を見て、ニヤリと笑った。面白い、と。
 拳を振り上げる。手首付近にある高速回転する歯車状のソレ――ナックルスピナーが狂ったように音を立てる。加速された魔力はまるで暴風のようだ。全てを裁断する絶対的破壊の力。
 だが、いかんせん隙が大きすぎた。拳を振り上げ、下ろす。
 そんな大振りが、この見切りを得意とする剣鬼――

 アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎に通用するわけがなかった。

 ふ、とスバルの目の前からアサシンが掻き消えた。速い、という次元ではない。限りなく洗練された、優雅とも言える足運び。瞬時に相手との間合いを詰め、相手の死角に入り込む体捌き。まるで風のような、その歩法は。
 ――縮地と呼ばれる奥義の一つだった。
 拳が空を切る。それは致命的な隙だ。
 一閃。
 その長さをモノともしない流麗な一刀が、スバルの首を落とそうと放たれた。
 しかし。
 「!」
 振り下ろした拳の勢いを全く落とさず、そのままスバルは縦に一回転した。
 ぐるんと視界が回る。ち、と振り下ろされた白刃が髪を掠める。着地。勢いは止まらない。飛び込んだ速度を殺さないよう、慣性のままにスバルの足が円を描いた。アサシンの追撃。下からの振り上げ。拳が突き出される。たっぷりと勢いを溜めたソレは飛び出したとき以上の速度を以て――
 ――き、と火花を散らし、刃と拳が擦れ違った。
 一瞬の交差。逆転する位置。背中合わせ。振り返る。
 ば、とスバルの右肩から血が噴き出た。アサシンの右肩がみしりと軋みを上げた。
 前者は冷や汗を流し、後者は笑っていた。
 奇襲に近かったスバルの一撃だったが――それでもこの初撃のみに限って言えば、二人は対等だった。スバルは知らない。人を超えた存在であるサーヴァントと、一瞬だけでも対等になれたことが、どれだけ有り得ない奇跡なのかということを。
 しかし。
 ――強い。
 流れる血を左手で抑えながら、純粋にスバルは思った。たった一撃。それのみで理解してしまった。気付いてしまった。
 目の前の男は、自身を遥かに超えた技量を持っている――――
 すぐに追ってくるとスバルは判断し、身構えるが、アサシンはしきりに右肩を撫でているだけだった。
 そして、左手を顔面に掛け、天を仰いだ。
 「く――くくくく。面白い、面白いぞ娘よ。この世界に来て私に一撃を与えたのはお前が初めてだ。飛び道具ばかりの腰抜けや、棒立ちの案山子しかいないと思っていたが。何、存外に楽しませてくれるではないか」
 指先から覗く瞳は狂気に彩られていた。対等の殺し合いが堪らなく愉快だと、静かな狂気が告げている。
 「……あまり熱を入れると、足下をすくわれるぞ。アサシン、我らの目的を忘れたか」
 いつの間にか側にいた赤い外套の男が嘆息した。
 「お前こそ何を言うアーチャー。我らの目的など、在ってないようなモノだろう? この世界の戦力調査など虚飾に過ぎない。私が求むのは、ただ強者との死合いのみ。――――ならば、この好機、存分に楽しまなければ損であろう」
 アサシンはそう言うと、ぶらりと四肢の力を抜いた。無形の位。実戦剣術の型としては最上級の難易度であり、同時に奥義でもある。いつ斬りかかってくるか、予想もつかない。
 だが、スバルの感覚は文字通り人を超えている。『戦闘鬼』の超感覚は、敏感にソレを捉えた。
 ――来る。
 思った瞬間、アサシンの姿が消えた。ひゅう。風切り音が微かに聞こえる。
 「っ――――!!」
 右側から首を落としに来た一撃を、スバルは辛うじて防いだ。かつてヴィータの鉄槌をも防いだ障壁だが、いかなる原理か、たかが細い刀での一振りに、もう悲鳴を上げていた。
 二撃、三撃、何とか防ぐ。不思議な太刀筋だった。武闘というよりも舞踏に近い。その体捌きは水の如く揺らいでいるが、その剣閃は烈火の如く激しかった。至極、読みづらい。
 そして見た目以上に一撃が重かった。障壁が保たない。一撃は何とか堪えられるが、二撃目で粉砕される。回避など愚の骨頂だ。それは急所を狙ってくる斬撃に対して気を緩めろと言っているのに相違ない。フェイントや急所外狙いの攻撃が混じっているのならば、まだ隙はあろう。しかし、アサシンの攻撃は全て首元の一点を狙った急所攻撃。それは常時フルドライブで障壁を展開しなければ、スバルの首が飛ぶということを意味している。
 ――隙がない。
 一撃二撃を覚悟して良いのならば、拳をぶち当てることは可能だ。しかし一撃が必死ならば、その仮定は無意味である。
 アサシンの必勝の型。かつても今も、それは難攻不落の剣術だった。拳士は剣士に敵わない。絶望的なリーチの差。
 ――しかし。
 「マッハキャリバー!!」
 スバル・ナカジマは、その常識を覆す。
 ウイングロード。アサシンを取り囲むように形成されたソレに、右足を載せる。ローラーが回転する。右足が加速する。
 通常、重心の移動、踏み込みという手順が必要な蹴りという攻撃。それは人が人である以上、逃れられない一種の掟。
 だが、スバル・ナカジマは。人を超えた戦闘機人は。その手順を限りなく省略することが出来る。
 近接戦。その常識をぶち破る攻撃が、スバルの右足から放たれた。
 「――――なんと」
 無論、渾身とは言えない一撃。人間の構造上、全身の力を込めるには、踏み込みと重心の移動が不可欠だ。しかし、それでもローラーの加速は十分なほどの威力をスバルの蹴りに与えた。
 めきり。
 骨を軋ませる音と共にアサシンの脇腹にソレが叩き込まれた。
 ご、とその体が、勢いよく地面に叩き付けられた。
 「――――!」
 未だ数人の魔導師と戦闘中の赤い外套の男……アーチャーが目を見開いた。
 あの剣鬼が地面に膝をついたなどという、およそ優雅とかけ離れた姿を見るのは初めてだった。
 アサシンの戦闘スタイルは一言でいうのならば一撃必殺の型。それは逆に一撃必殺で倒されるという危険も内包している。純粋な技量では防げないような大火力。それこそがアサシンにとっての天敵なのだ。しかし今は違う。確かにスバルは技量で上回っているわけではない。英霊の座はそこまで甘くない。アレは一種の絡繰りを用いた常識外というの奇襲だから成功したのだ。技量と呼ぶにはほど遠い。
 ――しかし、それでもサーヴァントという規格外の存在に一撃を与えたことには変わりなかった。それは素直に驚嘆すべきことだった。
 だが、そんなこと……スバルにとって何の意味も持たない。
 「はぁ――はぁ――はぁ――」
 三分にも満たない攻防で、心身共に疲れ切っていた。一歩間違えるだけと即死という極限の状況は、たかだか二十歳とちょっとの小娘にとって、あまりに酷だった。
 しかし。
 「うわぁぁああああああ――――――――っ!!」
 今のスバルにとって、そんなことは関係なかった。全身を貫く怒りに似た激情は、まるでそれ自体が意志を持つように体を動かした。
 そのまま拳を振りかぶり、アーチャーへと突撃していく。
 「……来るか」
 アーチャーの両手、それぞれに白と黒の中華風の短剣が出現する。夫婦剣、干将・莫耶であった。
 それを見ても真っ直ぐ向かってくるスバルが、アーチャーの視界に入った。スバルは怒っていた。正しい怒りだった。それは大切な人を亡くしたという悲しみもあったが、それ以上に自らの手で守れなかったという後悔が表情に強く刻まれていた。理想の瓦解。ソレに対する必死の足掻き。
 アーチャーは、その顔を――どこかで見たような気がした。

 その思いは、決して――――

 ナックルスピナーが回転数を上げ、火花を散らし、スバルの拳が撃ち出され――――

 「どこを見ている。お前の相手は私のはずだろう?」

 ――――る前に、アサシンの剣が一閃した。
 「!?」
 ――復帰が速すぎる――
 戦闘機人特有の超運動神経を誇るスバルも、ソレに反応することは出来なかった。辛うじて首を引っ込め致命傷は避ける。しかし、剣閃は首より下を駆けた。
 鮮血が、宙を舞う。
 「く―――!」
 背中をばっさり斬られたスバルだが、勢いは止まらない。そのまま意地でも拳を当てようと、アーチャーに撃ち放つ。
 「――ふ」
 だが、そのような意地が、アーチャーに通じるはずもない。紙一重でスバルの拳を避け、そのまま干将・莫耶、その二刀を擦れ違い様に振り下ろす。
 だん、とスバルは地面に倒れ込んだ。後ろに一撃、前に二撃。――致命傷だった。
 ――これで、終わり……?
 だらだらと地面を赤く染める血液。意識が白濁し、落ちそうになる。楽になれ、と本能が告げていた。
 もう無理だよ、と悪態を吐きそうになる。体を駆けめぐる激情が段々と冷めていくのが分かる。
 ――しかし、それでも。
 薄く白に濁る視界、その彼方から声が聞こえる。

 ――――フォレスタ・エクステリアの無惨な死体と、助けてと叫び死んでいく同僚が、スバルに倒れることを許さなかった。
 
 「……もう終わりか。筋は良かったが、あまりに周りが見えてなさすぎた。久しぶりに楽しめそうだったが、所詮小娘ということか」
 アサシンは、ぴっと刀に付いたスバルの血を振り落とす。その表情が、至極残念だと告げていた。
 アーチャーはそれを見て。
 「――は」
 と笑った。
 「何を笑う、アーチャー」
 む、とした顔。
 それに肩を竦め。
 「いやいや、周りが見えていないのはどちらか(、、、、、、、、、、、、、、)、と思ってな」
 「――何」
 アサシンは刀身に向けていた瞳を起こす。視界が前方に開かれた。見えるのは死体と首と瓦礫と――――

 ――――仁王立ちしているスバル・ナカジマだった。

 ボロボロだった。背中も前も引き裂かれて血まみれだった。動いている方が不思議だった。スバル・ナカジマの体は死んでいるも同然だった。
 しかし。
 その双眸だけは、決して死んではいなかった。
 「マッハキャリバー、モードギア・エクセリオン=\―解放」
 左足にはめ込まれた宝玉が輝いた。ばさり、と両足から羽が広がる。
 蒼い羽は、スバルがいつか見た憧れのようだった。夜空に浮かぶ昴のような色だった。
 壮絶・壮麗・壮観――――
 両足から羽ばたく翼。朱に染められた女性特有の流麗な体。整った顔から滴る血液。そして、不屈の意志が宿った金色の瞳。
 ――致命傷を受けて、なお立ち上がる不屈の意志(すがた)
 「――美しい」
 アサシンはそう呟いた。表情にはどうしようもない喜悦が浮かんでいた。
 「くっくっくっく。なるほど、節穴だったのは私の方か。ああ、謝罪しよう。アレを小娘呼ばわりしたことは訂正する」
 言うと、だらりと投げ出していた四肢に力を込め、静かに――構えた。両手を刀に添え、右肩より少し上に持って行く。
 構えるということ。無形の位を持つ剣客にとって、それは何の意味も持たない。何せ、どんな構えからも必殺の一撃が放てるのだ。わざわざ攻撃の幅が狭まる型を取る必要は無い。
 ――だが、それは、通常の剣客にとっては、だ。

 ここに存在するは執念の鬼。剣客ではなく、剣鬼。ただ斬ること≠ノ一生を賭けた、剣の鬼――――!

 ご、とコンクリートを踏み砕いて、スバルが加速した。
 駆ける。一直線に。冗談みたいな豪速だった。
 呟く。
 「IS――――振動破砕=v
 足下に不規則な幾何学模様が出現、蠢いた。加速した魔力が生み出す超振動を相手に叩き込む術式振動破砕=Bそれは事実上、あらゆる物理防御を無にし、あらゆる物質を粉砕する『絶対破壊』の拳だった。
 ――それは間違いなく、相手を必殺するという、スバル・ナカジマの意志の現れに他ならなかった。

 「さぁ! 来るがいい!! 美しき破壊の獣よ――――!」

 ――――ご、と。
 爆音が辺りを揺らし、世界が崩壊した。

* * *

  流れる視界の中、私の友達の首を切り捨てていった男が見える。
 視界が狭まる。世界が凝縮する。時間が遅滞する。どろどろの空気の中を突き進む。
 拳を握る。カートリッジロード。薬莢が宙を舞う。
 相手は静かにこちらを見つめている。妙な構えだが、あんな体勢から撃つ一撃など防げる。簡単に軌跡が予想できる。ならば、こちらの勝ちだ。この『絶対破壊』の一撃を防げる手段など存在しない。
 全てを奪っていく相手に躊躇する必要など無い。
 殲滅殲滅殲滅――殲滅だ。全力で相手を壊せ。
 私から日常を奪っていく奴らをぶち抜け。
 そうだ。この右拳を以て、相手を殺――――

 瞬間、脳裏に、あの星空が過ぎった。

 ――――弱くて惨めな、守られるだけの私とさよならして。
 あの人のような、強くて優しい、誰をも救う人間になろうと思ったんだ――――

 「あ――――」
 視界が、ぶれた。
 相手を殺す? 本当に? 私の理想は、私の拳は、人を救うために、なのはさんみたいになりたくて――――

 「――――秘剣」

 結局誰も救えなくて。あの人のような力はなくて。
 ただ私に在るのは、人を殺す力だけということなの?
 ならさ。
 私が今まで頑張ってきたことは。
 私が見た星空は。
 ――――この拳の意味は。

 一体、何だったのだろう――――

 「偽・螺旋剣(カラドボルグ)=v

 突然割り込んできた何か≠ェ、私の目の前で炸裂・爆発した。私の体が冗談みたいに吹き飛ぶ。
 「アーチャー! 貴様、死合いに水を差すとは――――!」
 爆煙の彼方で、何か言っているのが聞こえる。けど、もうそんなことは関係なかった。
 突き刺さる衝撃は痛くて、身を焦がす炎はとても熱かった。
 吹き飛ぶ体を押さえる事は出来なくて、流れる血は止まらなくて。
 ――もう歩けない。
 いつの間にか、私はなのはさんに助けられる前の、何も出来ない惨めな自分に戻っでいた。
 何だかもう頭の中がぐちゃぐちゃで。体は体でとっても痛くて力が入らなくて。もう何が何だか分からなくなっちゃった。

 あれ? そういえば 私は 一体 何になろうと / なりたいと 思ったんだっけ?

 誰か教えてよ。誰でもいい。誰か、助け――――

 ――――その時、煙の向こう側。黒い弓を手にした赤い外套の男と目があった。
 男は、ふ、と笑い、口を動かした。
 聞こえない。何も聞こえない。爆音が辺りを散らし、音すらも消し去っていた。だけど、分かった。理解してしまった。あの男が何を言っているのかを。

 ――――傲慢者(エゴイスト)

 ああ。
 そうか。
 私は。
 誰かを救いたいとか。
 誰かを守りたいとか。
 そんなんじゃなくて。

 ――――ただなのはさん(あこがれ)に自分を重ねて、悦に入っていただけなのか――――

 なのはさんに褒められて嬉しかった。
 なのはさんと共に戦えて嬉しかった。
 なのはさんのように強くなれたことが嬉しかった。
 なのはさんのように誰かを救えることが嬉しかった。
 なのはさんのように誰かを守れることが嬉しかった。

 なのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさんなのはさん――――
 
 結局、ただそれだけ。自己を他人に投影することによって満足を得ていた自己中心的思考。そうしなければ保てない貧相な自我。
 理想なんて高尚なものじゃない。信念なんてカッコイイものじゃない。偽善・欺瞞ですらない。
 自分がやってきたこと。それは――――単なる、自慰(エゴ)に過ぎなかったのだ。

 ああ、馬鹿じゃん。私。

 崩れていく自分(せかい)の中、私はこの拳の無意味さを知った。

 もう、星空は、どこにも見えない。

* * *

  「貴様、どういうつもりだ」
 「何、お前があまりにも、ちんたらやっているのでな。思わず、手が出てしまったよ。許せ」
 睨むアサシンを飄々といなすアーチャー。もう彼らに敵対する者はいなかった。全てが沈黙していた。
 ひゅ、とアサシンの刀が風を切った。
 「――――次に同じような真似をしたら、貴様の首を貰う」
 突きつけられた刃先に、肩を竦めて。
 「怖い怖い。精々、気をつけることにするよ」
 皮肉気に、笑った。
 ずぶり。
 二人は直下に出来た黒い影に沈んでいく。
 「ふん。まぁ、いいだろう。この世界にも、あのような者がいるということが分かっただけ、僥倖かもしれんな」
 アサシンは刀を納め、くつくつと笑いながら消えていく。
 それをアーチャーは見届けた後、振り返り。

 「さて――――このまま愚者として潰れるか、それとも英雄と成りうるか。見届けさせて貰おう――――名も知らぬ女よ」

 贋作者は何も語らず。ただ闇に落ちていった。


EP:4

Index of L.O.B