■■ / ―――― EMIYA_V
新暦81年 八月一日 破壊指定危険世界 <黒聖杯アヴェンジャー=
ごごご、と軋む震動が体を振るわせた。
黒い空、黒い大地――――黒い太陽。僅かに差し込む光は血のように赤い。
――――終わっている。ここは、もう終わった世界なんだ。
はぁ、と吐いた息は焼けるような熱を帯びていた。
満身創痍。血だらけで、ボロボロの紅い外套が視界の隅に映る。
だが疲弊しているのは体だけではない。心が、とても苦しくて、痛い。
ここまで来るのに、どれだけのものを失ったのだろう。どれだけのものを手に入れたのだろう。
これから自分は、どれだけのものを失うのだろうか――――
思い、俯きそうになる顔を、それでも真っ直ぐに見つめる。
もう戻れない。戻るつもりもない。やり直しなど望まない。
これまで零れていった沢山のモノに報いるためにも――二度と、挫けるわけにはいかないのだ。
例え、この道の先に、避けることの出来ない破滅が待っているとしても、俺は――――
……それでも胸が軋むのは何故だろう。
後悔か、未練か。それとも。
「――――そう言えば、そんなこともあったよな……セイバー」
は、と笑って、目の前の黒い騎士に語りかける。
思い出す。
その――約束を。
――――春になったら、桜を見に行こう。
□■□■□
漸くこの冬木の街にも春の息吹が訪れ始めた、ある日のことだった
突然、藤ねぇが。
「花見に行きたい」
と、そんなことを言い出した。
卓を囲んで、皆で食後のお茶なんぞを啜っている時のことだった。ちなみに藤ねぇは今の今まで新しいビールのCMと最近のジャンプと株価の底割れについて雄々しく語っていた。相変わらず何でもかんでも突然な人だ。
「花見……とは一体なんですか、タイガ」
煎餅をかじっていたセイバーが首をかしげながら、藤ねぇに尋ねた。ご飯を三杯もおかわりをしておきながら、既に二桁にも及ぶ煎餅を消費するその胃袋には、相変わらず驚嘆の意を感じ得ない。相変わらずスゴイオウサマデスネ(棒読み)。
「えへへー花見っていうのはね。皆で桜の下で、美味しいおつまみとお酒を飲んでどんちゃん騒ぎすることなの。楽しいわよー」
「……藤ねぇ。教師として、その説明はどうかと思うぞ」
「サクラの下で、どんちゃん騒ぎ……?」
「きゃ、セイバーさん。何でこっち見るんですか!? しかも下から覗くように! 違いますよ、私じゃなくて桜の木、チェリーブロッサムのことですよぅ」
「――――アンタ達、何コントやってるのよ」
ずず、とお茶をすすりながら、凛が嘆息した。遠坂、と呼ばなくなって約一年。最初は気恥ずかしさが先に立ったけど、最近では慣れたモノだ。
凛はずい、と煎餅に手を伸ばし。
「花見っていうのはね、桜の木を愛でながら、春の訪れを寿ぐ日本の慣習なのよ。今じゃ、それをお題目にした只の宴会と化しているけどね。――そこの藤村先生のように」
そう言って、煎餅をかじる。ばりぼりと小気味よい音を立てて食べる凛。それにまた食欲を刺激されたのか、セイバーもまた通算十六枚目となる煎餅を手に取った。
噛み砕いて、飲み込む。その時間、僅か三秒。よく噛んで喰え。
そんな俺の注意も何処吹く風、セイバーはお茶をすすりながら、感嘆の息を漏らす。
「ほう、流石季節感を大事にする日本人ですね。その愛国心は見習うべきかもしれません」
「でしょでしょ〜。それにね、士郎と桜ちゃんのお弁当が食べ放題なのよー。ああ、舞い散る桜、美味しいお弁当に一杯の日本酒……堪らないわねぇ」
「食べ放題――――!?」
「……おい、いつ俺と桜の弁当が食べ放題になった」
ふぅ、と嘆息する。
「ええ〜いいじゃない。そうだ、藤村家の連中や弓道部の皆で一緒に行こうよ。皆にもお手伝いさせるしさ」
やれやれ。何だか大事になってきたなぁ。
苦笑しながら、桜と凛を見ると、俺と同じような顔を二人ともしていた。
――――ま、いいんじゃない?
多分、そんなことを考えている顔だ。
全く仕方がない。藤ねぇの我が儘に振り回されるのにも、もう随分慣れた。
あんなに楽しみにしているセイバーを無下にするのも悪いし、何より――それは楽しいモノだとこの俺自身が確信している。
去年は聖杯戦争の後処理でごたついていて、花見なんかしてる暇、無かったもんな。
うん。なら、いい機会かも知れない。セイバーに大事な日本の慣習を教えておくのも悪くはないかも。
ふと俺はこの一年を思った。
聖杯戦争。あの血みどろの、魔術師同士の戦争。色んなモノを失い、色んなモノを手に入れたあの出来事から一年。
我らがチャンピオン、バゼット・フラガ・マクレミッツや超絶という単語が生温いほど毒舌なシスター、カレン・オルテンシアとの強烈な出会い、などなど色々騒動はあったけれども――結果的には、実に日々は平和に流れていたと言っても差し支えないだろう。
凛が居て、セイバーが居て、桜が居て、藤ねぇが居る。ちょっと騒がしいけども、至って平穏な優しい日々だ。
学校を卒業して、そろそろ一ヶ月。俺は凛とセイバーと共にロンドンに留学する支度で日々を追われている。
俺たちだけじゃない。桜や慎二、学校の皆も、この春から新しい生活を送ることになる。……藤ねぇだけはあんまり変わらないけど。
日々は変わっていく。永遠なんて幻想で、こんな暢気な日々もあと少しで終わりを迎える。
――――けれども。
それが寂しいものだとは思わない。
そりゃあ、勿論傍らには凛とセイバーが共に居続けてくれるだろうという確信も大きいけど――――
俺はきっと。この優しい日々がある限り、寂しいだなんて思うことはないだろう。
そりゃ全く寂しくないと言ったら嘘になる。
けれど。
どんなに苦しくても。
どんなに辛くても。
振り返れば、こんなにも楽しい日々が。
本当に本当に、この世界に生まれてきて良かったと思える日々が、確かにこの胸の中にあるから。
その誇りを汚さないためにも――俺は決して寂しいなんて思ったりはしない。
此処にいること≠フ価値――それはしっかりと胸に刻まれている。
なら、きっと俺は、これからどんなことがあっても耐えていけると思う。歪むこともなく、摺り切れることなく、理想を追っていけるのかも知れない。
楽観かも知れない。ただ世界の厳しさを知らない子供の戯れ言かも知れない。
けど――俺は、きっと後悔はしない。
後悔だけは、決してしないと、俺は思う。
――さて。それじゃあ、桜の咲く季節にはちょっと早いけど、どんな弁当にするか、皆で話し合うとしようか。
それもまた、楽しい思い出の断片になるのだから。
□■□■□
さぁ、と辺りを漂う黒い燐光は桜の花びらのようだった。
「ああ――何だか、皮肉だな。お前も、そう思うだろう?」
俺はセイバーにそう語りかけるが、声はない。
当たり前だ。その視線から放たれる意思に、絶殺以外の感情なんて交じっているはずがない。
ただただ目の前にある敵≠断殺する殺戮機械。それが今のセイバーの正体だ。
「セイ、バー……」
今更な、その事実がどうしても胸を締め付ける。泣いてしまいそうだ。体が僅かに震えた。
は、と息を吐く。そして一言。
「――――体は剣で出来ている」
噛み締めるように、呟いた。
それだけで、体の震えは止まった。
行こう。全てを、終わらせよう。
両手には黒と白の夫婦剣。胸にあるのは今まで沢山の人から受け継がれた想い。
そして、脳裏に過ぎるのは、あの星空の誓い。
「さてと、それじゃあ――――」
言って、俺は一瞬だけ目を瞑って、開けた。
「――――正義の味方を、始めよう」
L.O.B ――Lyrical Over the Blacknight――
1 / 出会いは砲撃と共に Take_a_shot
■
新暦81年 四月十日 ミッドチルダ 中央区画 首都クラナガン
「――――アンタ、こんなところで寝てると風邪引くわよ?」
「んぁ?」
陽の光が目蓋を照らし、ふと目が覚めた。
――――ええと、確か昨日は藤ねぇが花見がどうとか言い出して……と。何だか考えが纏まらない。
確か、いつもの土蔵で鍛錬をしてから寝ようと――――ああ、そういうことか。
どうやら昨夜もまた土蔵で眠ってしまったようだ。最近、凛に魔術を習っているのが実になってきたのか、すこぶる投影の調子が良くて、ついつい鍛錬に力が入ってしまうのだ。
セイバーにも剣の稽古を付けて貰っている。これを続けていれば、いつかあの背中に追いつけるだろうか。
とか、ぼんやり思っていると、いつもの土蔵と感覚が違うことに気がついた。
まず背中の感触が違う。いつもは土蔵の冷たくて硬い石なのだが、今はソレがない。何だかふさふさとして柔らかい。芝の上に寝ているようだ。
そして匂いも違う。埃に塗れ、古くさいサビのような匂いが辺りを充満しているはずだが、今鼻につくのは草の青々しい匂いだ。
「……ちょっと待て。ここ、どこだ?」
がばり、と起き上がる。ぼんやりしている場合じゃない。急転直下の事態に一気に目が覚めた。
ぐるりと周りを見渡す。
青々とした草花。寝転がっていたのは芝生か。木々がその存在を主張するようにそびえ立っている。遠くには見たこともない立体的な高層ビルが建ち並ぶ。
ふと見ると、車らしきものがびゅんびゅん走り回っているが、これもまた見たことがない車種だった。
おまけとばかりに、ピクニックに来たであろう家族連れや子供達が楽しそうにはしゃいでいた。どうやらここは公園か何かの場所のようだった。
そして目の前には――――
「――――……凛?」
そう呟くと、目をぱちくりとさせ。
「アナタ、どうして私の名前を知っているの? 初対面よね、私達」
と、どう見ても遠坂凛にしか見えない少女は、そんなことを言った。
「へ――――?」
黒いツインテールに真っ赤な服とジャケット。いつもと着ている服とは違うが、それは紛う事なき遠坂凛のセンスだ。そして強気な意志の宿った瞳、声。一卵性双生児でもここまで似ないだろう。第一、凛の姉妹は桜一人だけのはずだ。これで人違いなら、ドッキリしか有り得ない。ううむ、ヤツならやりかねん。
しかし、目の前の少女を見る限り、偽っているようには見えない。というか、アレはこういう隠し事は何より苦手なのだ。ならば――――
――――あれか。世界には三人居るという、そっくりさんか。もしくはドッペルゲンガーか何かか。
と、そこで思考が中断される。
例えそうだとしても、現状を全く説明できない。遠くを見る。あの建造物の群れは一体なんなのだろうか。宙にスクリーンまで浮かんでやがる。ニューヨークの町並みに似ている気がするが、いくら何でもこんな未来ちっくな場所ではないだろう。ドッキリにしては手が込みすぎている。
――――どういうこと、だ。
あまりの出来事に閉口する。
と、目の前の凛にしか見えない少女が、ふぅと嘆息して言った。
「ここはミッドチルダ首都、クラナガンよ。そして私は時空管理局1039航空隊所属、一等空士リンよ。魔導師ランクはA。――――何よ、鳩が豆鉄砲喰らったような顔して」
「――――は?」
どうやら俺は今、人生最大の混乱の中に居るみたいだった。
◇
「で、アンタは全く別の世界から来たって、そう言いたい訳ね」
「……ああ。信じて貰えないと思うけど、そうとしか思えないんだ」
ベンチでコーヒーを啜りながら、俺は現状の説明を試みた。ちなみにここが異世界だと確信したのは、つい先ほどのことだ。
まずコーヒーを買った自販機らしきものの機械が、やけに未来チックだった。あんな宙に立体スクリーンが浮かぶ自販機など俺は知らない。
そしてその自販機に投入した硬貨が、見たことも聞いたこともないモノだったからである。ちなみにコーヒーは凛とそっくりの少女――――リンのおごりだ。情けないことに、あっちの世界でもこっちの世界でも凛には迷惑掛けっぱなしだ。
夢か幻か、とも思ったが、頬をつねっても捻っても一向に目覚めることはないので、諦めた。何らかの魔術にかかっている可能性もあるが、実際それを確かめられる術が、三流ポンコツ魔術師にあるわけもなかった。
どこぞの魔法使いが、平行世界のどっかに俺を放り投げたとでも言われた方が、よっぽど納得がいく。
で、とりあえず現状を説明しているわけだが――――
『別の世界で寝てたんだけど、目が覚めたらいつの間にかこの世界に居ました』
なんてことを、突然見知らぬ人にされたら、どう思うだろう。ちなみに俺なら通報すると思う。
しかし上手い言い訳も思いつかないし、何よりそんな小細工は苦手だ。なので馬鹿正直に、つい話してしまったのだが。
「ふぅん。どこかの次元世界から迷い込んだってとこかしらね。たまーに居るのよね。何らかの要因で、飛≠できちゃう人」
「はぁ」
何だか、あっさりと受け入れられてしまった。随分と大らかな世界のようである。ふと見ると考え込んでいるのか、眉に皺を寄せて、「古代遺産? それとも異端技術かしら」とかぶつぶつ言ってる。
とりあえずコーヒーを啜りつつ、これからどうしようかなぁとか、ぼんやり思っていると。
「あぁ、ごめんごめん。とりあえず管理局に相談しに行きましょうか。あそこはアナタのような迷子≠保護するのも仕事の内だしねー」
「迷子――――ねぇ」
どうやら、此処では日常茶飯事のことのようだ。それは俺にとって良いことなのか悪いことなのか。
紙コップをゴミ箱に投げ捨て、リンは立ち上がった。
「さて、そろそろ行きましょうか。アナタ、ラッキーだったわよ。何せここは時空管理局、地上本部だからね。すぐに元の世界に帰れるわよ」
そう言って、俺に笑いかけた。
ドクン。
胸の中で何かが吼えた。黒々しいソレは胸の中で蜷局を巻く。
――――すぐに帰れる。
その言葉に、俺は瘧めいた不安を感じて仕方がなかった。意味もなく、叫びたい衝動に駆られる。
それらをぐっと飲み込み、俺も立ち上がり、紙コップを捨てた。
リンはふと思いついたように。
「そういえば、まだ名前聞いてなかったわね」
と目線を投げかけてきた。
「ああ。俺はえみ――――」
そう答えかけようとした
瞬間。
轟音が、街を揺らした。
「っつ――――!?」
音のした方に目を向けると、火と煙がもうもうと立ち上がっていた。
次いで、ありとあらゆる方向からサイレンのような耳障りな音が響いた。見れば、そこら辺に浮かんでるスクリーンが真っ赤になっており、読めない文字が羅列されていた。
そのスクリーンは公園のあちこちに表示されており、文字が読めない俺でも、何が起きているのか理解出来た。
――――これは、『警告』か。
公園に居た人達が騒がしい。どうやらこの世界で日常茶飯事の事態、というわけでもなさそうだ。どこにスピーカーがあるのか分からないが、辺りに女性の無機質な声が響く。
『クラナガン南部に異常事態が発生しました。市民の皆様は付近のシェルターまで避難し、係員の指示に従って下さい。繰り返します。市民の皆様は――――』
爆音。上がる煙。巻き上がる炎。警告。避難。――――異常事態。
少しでも実戦経験がある者には分かるだろう。これは紛れもなく――――『何者かによる攻撃』だと。
ドクン。
思考の中で、とあるビジョンがリフレインする。
辺りを埋め尽くす瓦礫の山。未だ燻り続ける煉獄の炎。踏みつけて歩くのは誰の屍か。
地獄の荒野。見上げると、其処には黒い太陽が――――
「っつ!!」
ビジョンはスライドし、目の前の光景と合致していく。
あの光景を見たくないと。あの後悔を繰り返したくなくて。だから、俺は『正義の味方』になろうと。
衛宮士郎は、決めたのではなかったのだろうか。
「ちょっと! シェルド! 一体何が起きてるの? ……襲撃? 何処の馬鹿よ。封時結界の準備は? 範囲が広すぎる? ああもう! こんなときのための管理局じゃないの!? すぐに対応出来なくてどうするの! 全く、このままじゃ埒が開かないわ。こうなった以上、私も出るわよ。いいわね!?」
リンが腕時計らしき物に向かって何か吼えていた。どうやら誰かと通信をしているようだ。その声が終わる前に。
俺は、堪らず駆け出していた。爆音の中心。戦場の核へと。
「ああ! アンタはアンタで何勝手にどっか行こうとしてんのよ! え? 何でもないわよ!! ああもう! どいつもこいつも!」
ガン、と足下の石を踏み砕く。
そのぶつけようのない怒りの声は、もう誰にも届かなかった。
◇
崩れた建造物。降り注ぐ瓦礫。燃え立つ炎。上がる爆煙。
「くそ……酷いもんだな、これは」
離れたところでは分からなかったが、大分広範囲にやられたようだ。死体が見えないのが幸いだろうか。怪我人が救助員らしき人に助けて貰っているのに一安心する。この世界の救助組織はなかなか優秀のようだ。
だが、気を緩めている場合では無さそうだ。
遠くから再び、爆音と炎が上がった。
「チクショウ、何がどうなってやがる……!!」
「それはこっちの台詞よ! この大馬鹿!」
「――――え」
ふと声が、聞こえた。走りながら、声の発生源を探す。
と、上を向くと。
「って、えええええええええ!!!!」
さっきの遠坂凛にそっくりな少女が――――飛んでいた。文字通り、空中を、一直線に。
魔術が発動している形跡も感じられない。ということはこれはこの世界の技術≠ネのだろうか。だとしたら、全く出鱈目な世界である。
よく見ると格好も変わっている。いや色彩やセンスは変わっていないが、装飾面が凝っており、ジャケットというよりローブに近い感じだ。おまけに手に杖まで持っている。先端部に豪気に七色の宝石が納められている辺り、この世界でも遠坂凛は遠坂凛ということだろうか。
「人の姿見て驚いている場合じゃないでしょ!? アンタ無関係なんだから大人しく避難しときなさい!」
確かに、その通りだ。俺はこの世界と接点を何も持たない。
だが、確かに意志を持ち、人の形をした者が――――傷つこうとしている。それを見過ごす事の出来る衛宮士郎ではなかった。
「……お前の言うとおりかもしれない。だけど、訳分かんないこんな世界でも、非力な俺でも、少しは出来ることがあると思う。大体なんだよ、その格好。いい年して魔法少女の真似事か?」
思った通りのことを言う。少し配慮に欠けた言い方だったかも知れない。だけど、ぶっちゃけそう思うのだから仕方がない。
その遠慮のない言葉が癪に障ったのか。
「アンタ……馬鹿じゃないの! 正義の味方かなんかの真似事!? あのねぇ、それでアンタが死んだりでもしたら私の仕事が増えるだけなのよ! 足手まといの偽善は害悪にしかならないわ! あとこの格好は、この世界では当たり前の技術≠ネの! ぶん殴るわよ!」
……どうやらリンという少女は、遠坂凛よりも若干ヒステリックのようだ。アイツはこんな時でも猫を被りながら、冷ややかな顔をして心をえぐり取るような毒舌を吐きまくる。
偽善? 偽悪?
そんなことは理解している。第一、その程度のことを言われて走るのを止めるのならば――――この足は、未来の自分と剣を合わせた時に、既に止まっている。
だから、俺は不敵に笑って。
「――――んなこと、言われなくても分かってるよ」
更に、駆ける足を速めた。
「あ、この! ――――……ああ、そう! アンタ、喧嘩売ってるのね! 喧嘩! そこまで言うのなら分かったわ。手足の一本でもぶち折って、力ずくでも――――」
その罵詈雑言が、流れる体と同時、突如止まった。
何だ、と思い、足を止め、同じ方向を見る。しかし、リンは空中に浮いている。視点の角度が俺とは違う。彼女の見ているモノが俺には見えない。
「何が」
起きている、と口にしようとした瞬間。
ごごん、と。
目の前で沢山の瓦礫が吹き飛んだ。
上がる煙。残骸が辺りに散らされ、視界が覆われる。その薄いベールの果てで、何かが揺れ動いた。
ゆらり、と。
瓦礫の奥底から、現れ出でたのは――――
――――巨大な黒い影≠セった。
「何、あれ……魔法生物? でもあんなの見たことも聞いたこともない……」
不気味な影は平面がそのままそびえ立ったような、どこか不安定で、しかし確かな質感を以て其処にあった。影は、サイズこそ違うものの、人の形をしている。
「……これは」
知っている。直接見た経験などは無い。だが、確かに俺は知っている。
不気味に脈動する黒い何か=B不安定で、しかし何もかもを飲み込むような暗い虚。反転する善意。心の中にある瘧。全てを貪欲に喰らう漆黒の泥沼。神をも殺す、人の意志。あれは――――
あれは、あの黒い太陽と同一のモノだと、衛宮士郎は知っている――――!
ひゅん、と頭上を飛ぶのは色こそ違うがリンと同じような格好をした男達。陣らしきものが展開され、杖の先から光弾が発射される。何も知らない俺でも、その光にどれだけの威力が込められているのが分かる。魔力らしきもの≠フ拍動を感じるからだ。だが、根本的に違うモノだと無意識が言っていた。その光弾は、黒い影に一直線に向かい。
そして、直撃した瞬間。
光の一閃は、暗黒の中に吸い込まれた。
光弾を撃ち込んだ者達は、その事実に驚き。
そして、次の一瞬。
黒い影の放った泥濘のような光に、全て飲み込まれた。
「何だこれは――――! が」
「ぐぁ、あぁあああああ!!!」
その体が、ぐらりと崩れ、一直線に墜落した。
「おい――――!」
駆け寄る。
大した距離じゃないのが幸いした。すぐに彼らが墜ちた地点に辿り着く。
「大丈夫か、おい! おい!」
あの高さから墜落したのにも関わらず、外傷が見あたらないのに驚く。だが、問題は其処ではない。
――――……意識が、無い。
その事を証明しているように、体はぐったりとしている。
おぉぉおおおぉおおおおおおおおおおおん。
黒い影が叫んだ。途端、影の拳≠ェ平面から立体に、質量を以て具現化した。
振るう。
高層ビルが一撃にて二つに割れて、そのまま沈んだ。残骸の粒子が風と共に頬を撫でる。
「っつ……! 魔力を喰らう!? なら、これでどうよ!」
リンが七色輝く宝石の杖を立体になった拳に向け、紅の煌めきを持つ光弾を撃ち放った。
着弾、爆発。
それはリンの読み通りか、拳は爆散。そこからビキビキと罅が入り、黒い影に亀裂が入った。
ニヤリと笑う。
「随分面白い作りになっているけど、その分構造強度は脆いってわけね。これなら――――!」
「おい! 油断するな!!」
「――――!!?」
横から現れたもう一体の影。それが先ほどの人達を撃ち落とした泥濘の光を、リンに向かって放っていた。
どういう原理が働いているのか、リンは空中で強引に体を捻り、それを回避しようとする。だが、躱しきれなかったのか。
「っ!」
ちり、と頬に掠った。刹那。
ぐらり。
体が揺れた。
「おい!」
「……大丈夫よ。何か変なイメージに浸食されそうになったけど、大したことじゃない。この程度ならレジスト出来るわ」
そして再び、杖を輝かせ、七色の光を黒い影に放つ。
内部に沈む。喰われたか、と思った次の瞬間。
――――黒い影ごと、光は爆発、四散した。
「よし……! いける、いけるわ。やっぱり内部からの攻撃には脆いみたいね。私、伊達に属性の流動≠得意にしているわけじゃないわよ!」
「……全く出鱈目だな、おい」
俺の世界の遠坂凛も、機関銃のようなガンドと家をも倒壊させるような宝石魔術と色々メチャクチャだったけど、こっちはそれ以上だ。
さっきの男達も似たようなモノを使った。恐らくあれも相当な威力を持っているのだろう。俺の世界でいう魔術≠ノ値する技術だろうか。仕組みは何も分からないが、見たとこ俺の世界の魔術とは、火力が段違いだ。
その時、頭上で。ぱらり、と。瓦礫の破片が蠢いたような気がした。
見上げる。
ぐらぐらと危なげに揺れる大きな瓦礫が其処にあった。ビルの残骸に引っかかるように、瓦礫が揺れている。
ごぉん。
程なく訪れたその振動が致命的だった。
俺は逃げる間もなく、瓦礫が直上に墜落してくる。
「――――っ!」
――――……間に合わない!
刹那、本能が自動的に防衛の形を取った。撃鉄が起きる。二十七の回路が起動。魔力が体内を駆けめぐる。そして紡ぐ。呟き慣れた、その詠唱を。自らの箱庭と世界を繋げる、その言葉を。
「投影、開始――――!!」
脳内に思い浮かべるのは光り輝く稲妻、フェルグス・マク・ロイの魔剣。硬き稲妻=Bそれが今世界に、その姿を――――
――――現さなかった。
「な、に……?」
投影魔術が発動しなかった。瓦礫はそのまま俺の脳天をめがけ落ちてくる。動揺を抑えられない。
駄目だ、と思った瞬間、その瓦礫が砕け散った。
「馬鹿! だから足手まといだって言ったでしょうが!! ああもう、こちとら忙しいってのに――――!」
リンはそう叫ぶと、そのまま黒い影との戦闘に戻る。平面、立体。二つの属性を使い分ける黒い影に苦戦しているようだ。おまけに数が数だ。さっきの二体だけでなく、更に三体は増えてる。
しかし、それを悠長に眺めている場合ではなかった。
「……魔術が、使えない?」
投影だけではない。強化は勿論のこと、解析の魔術すら行使できない。
何だ? 何が起きている?
今までと何ら手順は変わっていない。感触も同じだ。なら何故発動しない? 今までと何が違う? そんなことは決まっている。――――自分が、所属する、世界だ。
だん、と地面を殴る。
「そういう……ことか……!!」
この世界には魔術基盤が無い。それは致命的な欠落だ。
俺の世界の魔術。その発動には三つの要素が必要だ。必要な魔力量・パス、呪文、コードなどのキー、そしてガソリンを魔術基盤に注ぎ込むための魔術回路。それさえあれば、魔術は起動する。だが、この世界は俺の知っている世界とは違う。法則がまるきり違っていてもおかしくはない。むしろ、それは当然のことだろう。つまり、『車』の種類が違うということだ。いつも乗りこなしている車と全く違う機構で動く車を動かせるはずがない。いや、エンジンが『車』のモノなのか、そもそも『車』そのものがあるかどうかすら分からない――――!
魔術基盤。世界に刻まれた魔術理論。そんなもの、俺がどうにか出来るレベルではない。それこそ、根源から路≠開いた魔法使いくらいでないと……。
これじゃあ、本当に足手まといだ。魔術を使えない俺など、少し体が丈夫なただの人間に過ぎない。
「――――いや、それでも。ただの人間には人間なりに、やれることがある……!」
倒れた男を背負う。せめて安全な場所まで、運ぼう。それくらい俺にだって……。
「あの馬鹿……。お人好しなのもいい加減にしなさいよ――――っ」
現れた六体目の拳を避け、振り向き様に一撃をぶつける。次いで、そのまま七つの光弾全てを撃ち込み、爆裂四散させる。
「やった!」
喜びも束の間。続けて現れた七体目が、黒い一条の光を放った。
思わず叫ぶ。
「――――リン!」
「え――――」
驚きに目を見開く。
……馬鹿野郎! 見るのはこっちじゃなくて、目の前の敵だろうが――――!
そう叫ぼうとするが、間に合わず。黒い泥濘の閃光は、リンに直撃した。
「おい!」
叫ぶ。駄目か、と思われた刹那。
――――三重の蒼き光の壁が、リンを守るように張り巡らされていた。
「おいおい、リン。相変わらずどっか抜けてるな」
「全く我らが姫様は。成績は優秀な癖に、この様か。仕方ねぇな」
「仕方ないよ〜、リンちゃんは確かに模擬戦では強いけど、実戦経験少ないもんね〜」
リンは守るように、青と黒と白のローブをそれぞれ纏った三人が。炸裂する黒い閃光の中から現れた。
ポカン、としていたリンだが。
「……ばっかじゃないの!? アンタ達、自分のポジションはどうしたのよ!!」
と真っ赤な顔して怒鳴った。
三人の内の一人、線の細い蒼いローブの優男がニヤリと不敵に笑った。
「ああ、その点は大丈夫だ。何せ――――」
厳つい黒いローブの男が話を遮る。
「おいおい。無駄話はいいから、とっとと殲滅するぞ。それからたっぷりからかってやるから」
それに、眼鏡をかけた白いローブの女性が相づちを打つ。
「うんうん。大丈夫、すぐ終わるよ。何せ〜1039航空隊の精鋭達が集まっているからね〜」
「ロイド、タナカ、シェルド……」
リンは、そのあまりの脳天気さにポカンとしているようだったが。
「あったり前よ! すぐに終わらせて、さっきの失言の分、たっぷり奢らせてやる――――!」
すぐに表情を笑みに変えた。
四人は頷くと、すぐに散開。周りの黒い影が次々に撃破されていく。そのコンビネーションには目を見張るモノがあった。平面と立体を正確に見極め、的確な攻撃を撃ち込んでいく。
ふぅ、と安心する。
どうやら何とか、この騒ぎは、すぐにでも終わりそうだな――――
「いや、それじゃ困るんだ。こっちにも事情ってもんがあるんでね」
ゆらりと。
脳天気ながらも、殺気に満ちた声が空間に響いた。
瞬間。
「が――――!!」
タナカと呼ばれた厳つい男の腹部に――――紅色の槍が突き刺さっていた。
槍はそのまま意識があるように投げられた軌跡を辿り、繰り主の元へと戻っていく。
「タナカ――――!?」
貫かれた腹部から、鮮血が吹き出し、糸が切れたように地面へと墜落していく。
「タナカさん!」
眼鏡をかけた女性が叫ぶ。
落下直前、地面に陣が描かれた。どんな仕組みかは分からないが、衝撃が緩和され、ふわりと。静かに降り立った。
「何だ!?」
「ロイド、気をつけて。何か居るわよ――――!」
……あ、れは……。
心臓が脈動する。心拍数が上昇し続ける。刻まれた感情が疼き出す。
それは死の恐怖という、原初の本能に刻まれた感情。
「よぉ――――う、坊主。どうやら今回の俺はついているようだ。この世界でお前に会うのが、俺が初めてなんてなぁ」
巨大な黒い影に比べると、ひどく矮小な体躯が影の足下から現れた。しかしあの威圧、殺気を伴う圧力は、ソレの比ではない。
それは紅の槍を携えた蒼き騎士だった。
見るからに扱いづらそうなその槍を、まるで手足の如く扱い、肩に乗せ。
「さてと。それじゃあ、いっちょ借りを返すことにしようか。他のヤツには手を出させねぇ。こいつは、俺の、獲物だ。ふ、ふふふ、は――――ははははははははははは」
その相貌に、どうしようもないほどの狂気が満ちた笑みを刻んだ。
七騎中、最速の英霊。豪放無双の槍の担い手。因果を操る者。
第五次聖杯戦争で担った、そのクラス名は――――
「――――――――――――ランサー」
真名、クー・フーリン。
目は狂気に染まり、体の半分が黒く染まっているが、文字通り自分を殺したサーヴァントを見間違えるはずもない。
ふと見れば、先ほど槍の一撃を受けた男の周辺にリン以外の仲間達が集まっていた。
「おい、タナカ! しっかりしろ! くそ、何なんだ一体……!!!!」
「動かさないで下さい! 今フィジカル・ヒーリングを行いますから……」
リンは、空中で一人、それらを呆然と見。
「――――ふざけるんじゃないわよ! アンタ、いきなり出てきて何なのよ!!」
叫び、半ば癇癪のような形で、光弾を放った。距離、約百メートル。光弾は秒にも満たない時間で、それをゼロにする。
だが。
「遅い、な」
最速の英霊は、更にその速度を凌駕する。
コンクリートを豆腐のように踏み砕き、残像すら残るのではないかと思うスピードで、光弾を避ける。一歩、二歩。たったそれだけで、彼我の距離を縮め。
飛んだ。
それは最早跳躍という枠を超え、飛翔と呼ぶ方がふさわしい。
「ひ、く」
リンの眼前に、狂気に満ちた二つの双眸が在った。ぎょろり、と視線だけで人を殺せるような、そんな威圧を以て。
それは紛れもなく恐怖の対象だ。
「――――吹っ飛べ」
豹のようにしなやかな体躯を繰り、とても空中とは思えない程の凄まじい蹴りを放った。
勿論、恐怖に固まっているリンがそれを躱せるわけでもなく。
「が――――」
蹴りは持っている杖を砕き、更にその体をくの字に曲げさせ――――そしてその衝撃によってリンを地面に叩き付けた。びくりと一度痙攣した後、微動だにしなくなった。
全てを蹂躙する圧倒的暴力。その恐ろしさ・絶望は、黒い影の何倍、何十倍以上――――いや比較することすら烏滸がましい。
其処にあるのは、一片の淀みも無い。限りなく純粋な死≠セった。
リンの仲間達は見るからに動揺し。
「おい! おい、リン! 返事しろよ……!! チクショウ、何なんだよお前! メチャクチャだよ、こんなの……!!」
「嫌……嫌だよぅ、こんなの……!」
俺は叫ぶ。
「おい! お前ら! 泣いている場合じゃないだろ! とっとと逃げろ!」
このままじゃ危険だ。ただ殺されるのを待つだけ。そんなものを看過出来るはずもない。
だが、動揺が精神を縛り、死の恐怖が彼らの体を縫い止めていた。くそ。
「無駄だね。そいつらは確かにそこそこ実力はあるみてーだが、実戦経験がなさ過ぎる。メンタル面があまりに脆い。ったく、ここの奴らはお嬢様やお坊ちゃんの集まりかよ。これじゃ全然食い足りねぇ」
ぎらり、とランサーが俺の方を向く。あまりの殺気に心が震える。だが、動けないというわけではない。
「っ!」
――――だから、何だって言うんだ……!
相手はサーヴァント。人の輪の外に存在する英霊≠ニいう規格外の存在。第五次聖杯戦争で、その恐ろしさと強大さは本能の裏側にまで刻まれている。人の身で相対すれば、そんな矮小な存在など塵芥に吹き飛ぶ。
おまけにこっちは魔術を使えない。魔術基盤が無い以上、それはどうしようもない。何故、ランサーが現界出来ているかは謎だが、それを考えている暇はない。
なら、せめて時間稼ぎをしなければ。彼らが逃げる時間を。自分が今、出来る範囲で。
「……お前、本当にランサーか? 何故お前がこんな所に居る。何故現界出来ている」
蒼い騎士は自らの槍を肩に掛け、気怠そうに答えを返す。
「――――はぁ? おいおいおいおいおいおいおいおいおい。お前、今更何言ってんだ。おまけにその構え。お得意の投影はどうした? 強化もしねぇで俺と相対しようなんざ、自殺行為だぞ。舐めてんのか?」
殺気が迸った。それだけで失神しそうになる。
だが、何とか踏ん張り。
「……お前こそ何言ってるんだよ。聖杯戦争は終わったんだ。いや、それでなくても俺たちがこの世界にいる意味なんて何処にもないだろうが。――――何故こんな、世界を荒らすような真似をする」
そう言い返した。
「何故――――だと?」
一瞬ランサーは不審気に目を細めたが、すぐに元に戻り。
「ああ、何だ。そういうことか。そうかそうか、本当にアイツの言っていたとおりだなこりゃ。てことは、お前、魔術使えねぇな? ――――面白くねぇ。ったく、借りとか言っちゃったよ俺。あーあ、恥ずかしいったらありゃしねぇ」
そして、一切合切の殺気が消えた。緩やかなその視線は、正に呆れた≠ニいう風だった。
良し。どうやら事情は全く聞けないようだが、時間稼ぎには正解したと見ていいのかも知れない。
現に、リンの仲間三人は既に撤退を開始しているようだ。
だが、そんな楽観は。
「――――じゃあ、死ねよ」
死の恐怖によって、全て塗り替えられた。
次いで、衝撃が来た。ランサーが振るった槍、柄の一撃を思い切り叩き込まれ、肋骨が音を立てた。瓦礫に背中から衝突する。強化もされていない生身の体には致命傷と呼んで差し支えない。体が悲鳴を上げる。本能が警告を上げる。
それは紛れもない生命の危機。聖杯戦争の時に何度も味わった、あの感覚。
――――死の寸前に訪れる、心臓を締め付けるような圧倒的な恐怖だ。
「う、く……ロイド、私のことはいいから、アイツを……」
リンは気絶から持ち直したのか、か細い声でそう言った。
「馬鹿! 何言ってやがる! あれは俺たちの手に負える相手じゃねぇ! アイツには悪いが―――――此処は撤退を急ぐぞ」
ああ、それでいい。それこそが求めた結果だ。
だからといって、死の恐怖が薄れるわけではない。
……俺が、甘かったのかも知れない。もしかしたら救援が間に合うと、そんな楽観を持っていた。サーヴァントと相対する危険性は嫌というほど理解しているのに。全く成長していないな、と自嘲する。
だけど、仕方がない。頭では理解できていても、体が勝手に動いてしまうのだから。
「安心しろよ。次も多分お前を殺すのは、この俺だ。怨恨も憎悪も慈悲も遠慮も憐憫もなく、痛みすら感じさせず、さっくりと殺してやるよ。
―――――それが無限地獄における、俺が与えることの出来る唯一の救いだ。じゃあな、坊主。存分に恨め」
そして何の感慨も無しに、ご、と閃光じみた速度を以て、ランサーの槍が突き出された。
俺は見る。
迫る矛先。ずぶりと胸元に沈むイメージ。手で直接心臓を抉られる痛みを幻視する。
心臓が吼える。脳みそが記憶をフラッシュバックのように目蓋に焼き付ける。
知っている。
知っている。
この光景を知っている。
これは、この光景は――――
――――自分の、死だ。
ドクン。
時が凝縮する。周囲がその密度を上げ、スローモーションのように流れる。
背景が白黒に変化する。
――――何だコレは。いったい何なんだコレは。
――――何で自分が死ななければならない。
――――どうして、何も知らずに、心臓に穴を開けなければならない。
死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死――――
馬鹿げている。何もかもが馬鹿げている。
突然この世界に来たことも。
突然この世界で殺されることも。
何もかもが、本当に出鱈目で、理不尽過ぎる。
そうだ。
――――せめて。
「俺は」
この世界に来た意味を知るまでは、死ぬわけにはいかない――――――――――――!!
――――ご。
音がした。魔力と魔力がぶつかるような、衝突音。
刹那。
紅槍が弾かれたように、軌道を逸らし、俺の頬を一文字に切り裂いた。
攻撃が、邪魔された。
しかしランサーは、その事が楽しくて仕方がないという風に口元を三日月の形に歪めて。
「はっはぁ!! これだ! この理不尽が世界の醍醐味だよなぁ! さぁて、誰だ!? 俺の敵は! あらゆる壁を越え、理論を駆逐し、確率を覆し、俺の心臓に刃を突き立てる―――――愛しくて憎らしい怨敵様はよぉぉおおおおおお!!!!!!!」
叫んだ。
その時、確かに俺の記憶と目の前の光景が合致した。
突き出される稲妻の閃光、それを弾き返す月光の銀閃。
現れ出でたのは、金色の騎士王。生涯忘れることはないだろう、魂に刻まれたあの光景。
―――――それが今、再び。目の前で、繰り広げられた。
「……どうやら、間に合ったみたいだね」
頭上から放たれたその声を、俺は確かに耳にした。
見る。上空。高さ、およそ百メートル。
白いバリアジャケット、紅玉を先端に配した黄金色の杖、たなびくのは二つに纏められた長髪。
そして何より印象に残ったのが、その表情。
何事をも受け止める。その可愛らしさとは裏腹に、そんな決意に満ちあふれるような、厳然たる相貌だった。
撤退の途中だったリンも、その光景を見て、愕然としていた。震える声は一つの言葉を紡ぐ。
「高町、なのは教導官―――――!」
なのは、と呼ばれた白い姿の女性は微笑み。
「大丈夫? ……皆、久しぶりだね。安心して。すぐにシャマルさんがこっちに来るから。……君も」
その言葉が、自分に向けられたことに気がつく。
「あ、ああ―――――っおい!」
「!!」
ランサーがこちらに一瞥すらせず、白い姿の女性に飛びかかった。
その跳躍力は彼我の縦距離―――――高さ≠キらゼロにし、そのまま全身の捻りを加えた一撃を放つ。
しかし、その一撃は白い女性がかざした掌に発生した陣≠ノ阻まれる。恐らくシールドかバリアの類なのだろう。それにしても何て強度だ。あのランサーの刺突をああも見事に防ぐとは。
だがそれの本質は、重さではなく速さだ。刺突の衝撃を上手く利用し、瞬時に体勢を入れ替える。そして上手いこと、白い女性の上を取る。それは僅かな距離だが、しかし、それは何よりも致命的な僅か≠セ。
「おおぉおおおおおおおぉあぁああぁあああああああああ!!!!!!!」
一にして十。十にして百の刺突が叩き込まれた。
「く、ぅ―――――!」
流石に耐えきれないのか、そのまま上手く槍の軌道を変えようとする。だが、それこそランサーの狙いだ。シールドで少しずつ逸らそうとした瞬間、ランサーは思い切り振りかぶり。
逸らそうとしたせいで出来た僅かな隙間、そこに全力の刺突を突き入れた。
「―――――!」
だが、それも全て、白い女性は読んでいた。ランサーの視点では右掌で隠れて見えないが、こちらからはしっかり見える。左手に掴んでいる紅玉の杖から、待ち望んでいるように迸る桃色の光が―――――遂に、解放された。
閃光。爆発。
刺突と光弾がぶつかり合い、錐もみながら、地面へと落下する。
―――――強い。
ランサーは勿論のこと、あの白い女性も相当なものだ。
彼女は元々遠距離狙撃に秀でた魔術師―――名称が分からないので、とりあえずそう呼ぶ―――なのだろう。その有利不利を理解し、不測の事態にも備え徹底的に訓練していることがよく分かる。自らの技量に溺れず、鍛錬を積み重ねた結果だ。驚嘆の意に十分値する。仮に自分が魔術を使えても、彼女にはとても敵わないだろう。
だがそれでもやはり―――――相手は英霊なのだ。人の身にして神話へと持ち上げられた化け物だ。そんな相手に―――――
「は、やっと地べたに降りてきたな。さぁ、存分に這い蹲りなぁ!!」
―――――鍛錬を積み重ねてた程度の人間≠ェ、そうそう敵うはずもない。
空中では出来なかった存分な踏み込みが、今まで以上の重さと速度を以て、一撃に与えた。
不味い。あれは、不味い。
最初からこの構図を読み切っていたランサーと、狙いを読み切れなかった白い女性では、その体勢に雲泥の差がある。既に攻撃モーションに移っているランサー、未だ体勢を整えられていない白い女性。考えるまでもない。ランサーの渾身の一撃は、間違いなく直撃する。先ほど自身を守っていたシールドらしきものが、どこまでの強度を持っているかは分からない。しかしいくら何でも英霊の全力を受けきれると断定することは出来ない。普通に考えて、そんなことは不可能に思えるくらいだ。
―――――死ぬ? 俺を助けてくれたあの人が?
俺が居たから。俺が此処の世界に来てしまったから。俺のせいで、俺の責任で―――――守ってくれた女性が殺される。
「ふ、ざけるなぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
走った。脇目もふらず走った。
在ってはならない。そんなことは在ってはならない。
間に合う? ―――――間に合わせてみせる。そんなことは何の問題にもならない。
ばきばきに折れた肋骨が痛む? 血が食道を逆流し、内臓の破損を警告している? 馬鹿か。そんなものは今すぐに飲み込め。
撃鉄を起こせ。
この身は一つの弾丸。体の全て、細胞の一つ一つに至るまで、速さを求めろ。
俺は。
俺が目指す、正義の味方は。
自身を犠牲にすることはあっても、自分のせいで誰かを殺されるのだけは、在ってはならない―――――!!
ぞぶり、と音がした。
「―――――え?」
ランサーが放った渾身の一撃は。
「やっぱ、お前……」
衛宮士郎の腹部に深々と突き刺さっていた。
びしゃり、と白い服の女性に、赤々とした色の斑が出来た。
「―――――馬鹿だろ?」
「は―――――言ってろよ」
ランサーの罵倒に笑みを浮かべてそう返した刹那。
ぐらりと。
世界の全てが暗転した。
◇
―――――アイツ、本当に馬鹿じゃない!?
リンは呆れるのを通り越して、怒りを感じずにいられなかった。
むかつく。何アレ。自分が犠牲になって誰かを助ける? それが美徳だとでも? そんなものは既に偽善ですらない。あまりにも死というものを甘く見ている。残された人のことなんて一欠片も考えていないじゃない。あまりに自己中心的。世界は自分が中心に廻っている? ―――――それは究極の独善だ。そんなものに巻き込まれる人達のことを、少しでも考えたことはなかったのだろうか。
高速で流れる怒り。それは黒々と渦を巻き、腹の底に堪っていく。
だから。
「ちょっと! リンちゃん!? 早くここから離れなさいって言ったでしょ!!」
「え……と、シャマル、先生?」
先ほどから頭に流れている警告の念話を、すっかり聞き流していた。
「ちょっと! ちょっと君! 大丈夫!?」
なのは手の中でぐったりとしている青年―――――衛宮士郎に声をかけた。
意識がない。
すぐにそう判断したなのはは、後方に跳躍、距離を取る
アクセルフィンを使い、素早く着地。ランサーもすぐに追いかけてくると、なのはは判断したのだが。
「やれやれ……そいつ、変わらねぇな。おいお前も思うだろ? 馬鹿だ、てな。
ああ―――――本当、馬鹿みてぇだ」
ふぅ―――と長い溜息を吐いて、槍を構えただけ。それだけで、その場に静止していた。
瞬間。
「っつ―――――!!!!!!!」
ぞわり、と大気が歪んだ。周囲の魔力が渦を巻いている。蒼い騎士を中心に、急速な勢いで螺旋が渦巻いている。それはあまりにも醜悪な光景だった。
法式も技術も理論も何もかも、全てを無視したような―――――それは魔力の暴食だった。手当たり次第に食い散らかし、世界そのものを咀嚼するように周辺の魔力がランサーに流れ込んでいく。
なのはは知らない。
それは宝具発動の前兆だということに。
それは最終武装にして物質化した奇跡。人間の幻想を骨子にして作り上げられたノウブル・ファンタズム。
発動すれば、止められない。圧倒的暴力の頂点。英霊が持つ究極の神秘、それが今、発動しようと―――――
「突き穿つ=\――――」
「なのはちゃん! 転移するわよ! 早く手を取って!」
「シャマル先生! この人も!」
「大丈夫、分かってるわ! 早くしないと、巻き込まれるわよ!」
―――――しようとした瞬間。上空から。
「ギガント、ハンマァ――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!」
本当に巨大な―――――巨大と称するにも馬鹿馬鹿しいほど滅茶苦茶な大きさの鉄槌、暴力の化身そのものが振り下ろされた。
「――――――――――――!」
周囲の高層ビル、瓦礫。ありとあらゆるモノを圧壊、全てを巻き込んで、爆煙と爆音を巻き散らかした。
それは巨神の大鎚。森羅万象を砕く、絶対破壊の一撃だった。耐えきれるモノなど在りはしないと誰もが確信し、畏敬し畏怖する。そんな光景だった。
だが。
その破壊の鎚の持ち主、ヴィータはそこで違和感に気がついた。
……振り下ろし――――切れない!?
破壊の鎚、グラーフアイゼンの直下、丁度人一人分、地面との隙間があった。
ヴィータは目を見開く。有り得ない。こんなことは有り得ない。
鉄槌の伯爵、グラーフアイゼンの一撃を。ヴィータが持つ最大質量の一撃を。全てを砕くはずの鉄槌を。
ランサーは。
――――たった、たった一本のか細い槍で、耐えきっていた。
そして。
静かに。
「――――死翔の槍=v
真名を、解放した。
刹那。
槍と鎚、ぶつかり合っている場所から、赤光が輝き――――
「な、んだ――――ぁ、こりゃあ」
――――あろうことか、暴力の化身を押し返していた。たった一本の槍が、その何百倍もの質量を持つ巨大鎚を。
「おらぁぁぁああああああああああああああ!!!」
ランサーが一声、吼えると更に赤光が瞬いた。
思い切り腕を振り上げる。その動きに呼応するように、巨大な鎚が少しずつ持ち上がっていく。万有引力、世界が持つ法則すらも砕かんと、空中に直上、思い切り撃ち込んだ。
ゴゴン。
グラーフアイゼンが大きく傾き――――そのままヴィータごと、完全に押し返された。
冷や汗が一筋、ヴィータの頬を伝う。
「は――――何だコレ。……本物の化け物じゃねぇか」
ランサーは直上に撃ち出され、落下してきた紅槍を掴むと、張り裂けたような笑みを浮かべていた。
「いやいや、なかなか焦ったぜ。だがなぁ、ちょっとばかり胆力が足りなかったな。ちゃんと飯喰ってるかぁ、嬢ちゃんよぉ」
元の大きさに戻したグラーフアイゼンを肩に掛け、ヴィータもまた凄惨な笑みを浮かべる。
「は、言ってくれるじゃねぇか。一体どっちが餓鬼なんだろうなぁ、この青タイツヤロー」
見上げる側と見下げる側。ランサーとヴィータは少しの間視線を交わし。
「やぁーれやれ。どうやら、ここらが引き際みたいだな。影£Bもあらかたやられたみたいだしな。嬢ちゃん、中々気に入った。俺もよ、長いこと色んなモノを見てきたけど―――――こんな馬鹿馬鹿しい武器、初めて見たぜ。
――――いや、なかなかどうして楽しかったわ。名前は?」
ランサーの足下、黒い影が突如現出し、ソレに飲み込まれながら、尋ねた。
「……主、はやてに仕える守護騎士が一人、鉄槌の騎士――――ヴィータ」
「――――お前も騎士か、覚えといてやるよ。んじゃ、またな」
まるで友人にかけるような物言いを告げると、文字通り影も形もなくランサーは消え去った。
残ったのは蹂躙された跡。住人の被害こそ少ないが、武装局員の被害は結構なものだ。
ヴィータは俯いていた顔を上げ、辺りを見渡す。
破壊の形跡。クラナガンの街の三割以上が無惨にも瓦礫の山になっていた。
これだけの被害、復旧するのにどれだけの費用と時間が掛かるのだろうか。
そして、あの男。
――――動けなかった。ヤツの眼光に晒されているだけで、微動だにできなかった。あの時、少しでも攻撃の意志を見せたのならば、あの槍でこの心臓を貫かれていただろう。
あれだけの力を見せつけていたのにも関わらず、手加減されていた。その事実にヴィータは戦慄し――――
――――同時に、凄惨なる笑みを浮かべていた。
「は、――――面白ぇ、今度こそ砕いてやるよ。その気にくわない面を――――てめぇの槍ごと、粉々に、な」
我が鉄槌は全てを砕く。故の称号、鉄槌の騎士。
ヴィータはしばらく、破壊されたクラナガンの街を、静かに見続けていた。
◇
新暦81年 四月十二日 聖王教会直下 第六十七管理世界
「それにしても酷いものだね。こりゃ」
「ヴェロッサ、不謹慎ですよ」
ざくざくと音を立てながら、シャッハとヴェロッサ、その守護騎士達が、灰に覆い尽くされた世界を歩いていた。
ここは第六十七管理世界。次元世界のあちこちに散発的に現れた黒い影≠フ集団の被害にあった世界の一つだった。同時に、聖王教会直下、管轄地の一つでもある。
そこに居合わせた教会騎士団、そして武装局員がこれの殲滅に当たったが、その甲斐もなく全滅。約十時間前の出来事である。
原因の究明。それが聖王教会本部から言い渡されたシャッハ・ヌエラの任務だった。
「シスター・シャッハ、報告することが」
「? 何か判明しましたか」
一人の護衛騎士がシャッハの元に歩いてきた。
何か少しでも分かることがあれば、と思う。この世界に到着してから今の今まで、事の詳細は何も分からなかった。正直、藁にも縋る想いだ。
「約三キロメートルほど先に、生命反応が見られます。――――敵対個体かもしれません。いかが致しましょうか」
シャッハは少し思案した後。
「――――行きましょう。念のため、ヴェロッサ、アナタの猟犬を。今は、少しでも情報が欲しい」
「了解。……無限の猟犬=v
足下に古代ベルカ式魔法陣が展開され、魔力体で構成された犬が顕現。ヴェロッサの元に跪いた。
「行け、我が猟犬達」
瞬時、猟犬達がばらけた。ヴェロッサの命を受け、指定されたポイントに向かっていく。
そして幾分か後。
「反応――――来ました。これは……」
「どうです? 何か分かりましたか?」
ヴェロッサは少しだけ目を細め。
「――――誰か、倒れています。それも非常に危険な状態です。このままだと命すら危うい」
その言葉にシャッハは息を呑んで
「まさか……生き残り!? 早く救助を! 急いで!」
叫んだ。
――――――――――――
新暦81年 四月二十日 ミッドチルダ北部 聖王医療院
全身が包帯にくるまれ、沢山のチューブに繋がれている。誰が見ても重傷な、その人物にシャッハ・ヌエラは話しかけた。
「大丈夫? アナタ、大怪我して……一週間以上も昏睡していたんですよ。覚えていますか?」
「…………………」
まるで物言わぬ屍のように微動だにしない。意識は戻っている、と先ほど担当医から説明されたが、とてもじゃないが信じられない。
シャッハは少し目を細めて。
これだけの酷い怪我だ。幾ら上からの命令とはいえ、これ以上無理をさせても不味いかもしれない。
そう思い。
――――だから最後に駄目元で、これだけは聞いておこう、と決断した。
「せめて、アナタの名前を教えて欲しい。今日は、それだけでいいですから」
だが、その問いにも目の前の人物は答えない。いや、もしかしたら答えられないのかもしれない。
そもそもこんな状態で詰問すること自体が間違いなのだ。いくら何でもこれは可哀想だ。
そう思い、席を立つ。
と、その時。
もぞり、と微かに動いた。
「――――――!」
シャッハは息を呑み、看護師を呼ぶか否か、判断に迷っていると。
屍のような、その口から。
「…………………………………………言峰、綺礼」
血を絞り出すような微かな声で、確かにそう言った。
「コトミネ、キレイ……それが、アナタの名前ですか?」
ベッドで静かにこくりと頷いた。
「良い名前ですね。ありがとうございます。―――――早く治るように、私も祈っています。どうかお大事に」
その反応に感謝し、シャッハは微笑んだ。今だけは、管理局から言いつけられた命令も忘れていた。
だから、彼女は終ぞ気付かなかった。
包帯だらけのその顔が。その口の端が。
僅かに。ほんの僅かに――――――――笑みの形に、歪んでいることを。
――――――――――――そして予言の成就が始まる。
→EP:2
Index of L.O.B
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