――――――その出会いは、きっと奇跡だった。

 生まれ落ちたのは、ある貴族の名門だった。
 裕福な家庭。そこで私達は至って普通に過ごしてきた。
 普通の家族。普通の学校。普通の友達。
 双子の仲だって、とっても良くって。互いに互いを尊重し合い、敬愛し合い、まるで自分の半身のように思い合っていた。
 何も問題はない生活。
 ――――――そう確かに私達は幸せだった。
 この時間がいつまでも続けばいい。幼いながらも、私達はずっとそう願っていた。
 それはたわいもない願いだ。
 誰もが一度は思い、そして持つ願い。
 そう私達の願いは。
 たったそれだけの、些細なものだったんだ。

 だけど、その願いは、文字通り炎となって、燃え落ちた。

 祖父が死んだ。
 いつもいつも私達を可愛がってくれた、お祖父ちゃんが死んでしまった。
 だけど。
 私達双子には嘆き悲しんでいる暇すらなかった。
 遺産争い。
 莫大な遺産の行方……子供だった自分にはよくわからなかったけど、それは大人達を狂わせるのに十分だったようだ。
 醜い醜い、争い。
 それは子供だった私達双子にも、無関係ではなかった。
 私達は分家だったけれども――――――何故か一番遺産の分配率が多かったのだ。
 それはお祖父ちゃんが私達を可愛がってくれた証だ、と両親は誇らしげに語った。
 だけど、その言葉とは正反対に。
 ――――――そうは思わない人たちの方が、圧倒的に多かったのだ。

 ゴォ、と目の前で火が舞い踊る。
 崩れ落ちる。
 崩れ落ちる。
 崩れ落ちる。
 大事にしていた人形も、大好きだった古時計も、友達との思い出を写した写真も。
 ――――――とても優しく、暖かだった両親すらも。
 自らを取り巻く、全てのものが――――――

 せめて、貴女たちだけは、生き延びなさい

 闇に落ちる瞬間、最後に見たのは、そう言って、崩壊した瓦礫に埋もれていく両親の姿だった。

 そうして、目覚めたときは、病院のベッドの上。
 ……私達は、全て無くしてしまった。
 いや、全てではない。
 そう。
 私には。
 ――――――もう一人の私が、居る。
 自分の半身たる彼女が居る。
 それは、この世で唯一残った、私の絆だ。
 本当に心の底から信じ合える絆……それのみが私に残った唯一だった。
 そう。
 心もない、親族に引き取られたときも、それがあったからこそ耐えられた。
 どんなに蔑みの目で見られても。家畜同然の、そんな扱いをされても。
 私達は、私達だからこそ、生きていけた。
 完全に閉じられた二人だけの箱庭世界。
 そここそが、私達が生きていける、唯一の現実だった。
 私には彼女さえ居てくれればいい。それだけで、十分幸せなのだ―――――

 ――――――――本当に、それでいいのかしら?

 赤い紅の唇。
 何もかもを飲み込んでしまいそうな黒い瞳。
 何より印象深いのは、その表情だ。
 今まで私達が向けられたどんな表情とも違う。
 嬉しい、哀しい、哀れみ、同情、蔑み。
 あらゆる感情を超越した表情―――――私達には、それがまるで―――――
 いつもそこで思考が止まる。
 彼女の表情が具体的に思い出せない。その状況がどんなのかも思い出せない。
 あれは、いつだったか。
 頭に霞がかかったようだ。どんなことかは、覚えているが、輪郭がはっきりしない。
 だが、それも仕方のないことかも知れない。
 ……あの頃の私達は、生きているか死んでいるかも分からない状態だったのだから。
 自我は消えかけ、言われるがままに動く生きた人形。時の流れから隔絶されたかのような感覚。
 覚えているのは。
 覚えているのは―――――

 貴女達が今の状況を望んでいるのなら、それで構わない。感情のない人形として生き続けてたいと願うのなら、私はそれに干渉しない。だけど、本当に、貴方達は、全ての感情を忘れているというの(・・・・・・・・・・・・・・・)

 ――――それは、天使のような笑みだった。

 ああ、そうだ。
 彼女、アリスお姉様と出会った夜。

 ―――――初めて私達が人を殺した、そんな月の綺麗な夜だった。



/Count down 1
 Side:A
 Wish ――荒野に花束を――



 「―――――Anfang(セット)……!」
 人気のない街中。呪文を呟きながら、遠坂凛は疾走していた。
 左腕の魔術刻印が起動、いつもの聖痕(いたみ)が、凛の全身を苛む。
 だが、そんなものは慣れたモノ。既に生理現象以上に、体にすり込まれた痛み。そんなものを今更気にする必要もない。
 ゴ、と風切り音と共に、ガンドが発射される。
 何か≠ノ向けて撃ち出される漆黒の呪弾。それは片手で数えられるような数ではない。十や二十を超える弾丸の雨。
 それを見て。
 「ふふ」
 二つの黒い影は、にやりと笑った。
 飛来してきた数十の弾丸。
 まるでそれに絡みつくように、全て回避した。
 「―――――っ!?」
 (なんて身軽なの……)
 傍目には当たっているように見える。少なくとも服には掠っていると確信できる。
 しかし、それでも二つの黒い影―――――金髪の双子は、服にすらその痕跡を残すことは無かった。
 迫る二体の『偽・真祖(デミ・アルテミス)』が凛に迫る。
 瞬時に、魔術を切り替える。身体強化の魔術。時間がない。拳と脚部を重点に強化。
 獣じみた鋭利な爪が二つ、夜の大気を切り裂いて走る。
 「ふっ―――――」
 それを全て、凛は両手の甲で受け―――――
 「!」
 「お姉―――――っつ!!」
 綺麗に、後方へと投げ飛ばした。
 相手の力を利用し、受け流す、合気の体術。
 基本中の基本だが、それ故に奥義ともなるこの技だけを、凛は重点的に練習を重ねてきたのだ。
 (案外、使えるじゃない……! あの馬鹿力には少し感謝してもいいかもしれないわね)
 流れる体はそのままに、双子の方へと向ける。
 双子は、自分が受けたことのない感覚にまだ振り回されているのだろう。着地はしているが、その足は覚束ない。
 そこに。

 「Funf,Drei,Vier(五番、三番、四番)……!
  Der Riese und brennt das ein Ende(終局、炎の剣、相乗)――――!」

 虎の子の宝石を三つ、更に禁呪を上乗せした、遠坂凛、最大火力といってもいいほどの魔弾が撃ち込まれた。
 その威力は三年前ですら、キャスターと撃ち合えるほどのもの。ここ三年で急激な成長を遂げた今の威力は、その何倍か。
 家一軒どころか、高層ビルすらも一瞬にして倒壊させることすら可能―――――!
 「!!!?」
 互いに鏡を覗いているような双子の顔。その顔は驚きに目を見開かれている。
 これが士郎や三年前に闘った葛木宗一郎などの武闘派ならば、こうも上手くはいかないだろう。
 だがしかし、相手は『偽・真祖(デミ・アルテミス)』とはいえ魔術師だ。
 熟練の魔術師―――例えキャスターレベルの魔術師であっても―――は、一点に特化しているだけあって、その側面を突けば脆い。
 故にこの結果は凛の計算通り……そして自明の理だったであろう。
 極壊の魔弾が双子の『偽・真祖(デミ・アルテミス)』に迫る。
 秒も経たない内に、魔弾は双子を貫き、そしてありとあらゆる破壊の痕を残すだろう。
 その確信。培ってきた直感が、凛に勝利を告げた。
 (……これで、ケジメはつけたわよ。ルヴィア、士郎―――)
 
 そして、魔弾が双子を撃ち貫こうと――――

 ――――死ぬ。
 その確信が私達を襲った。
 『偽・真祖(デミ・アルテミス)』の身体能力を以てしても、元々が低い私達では避けることが出来ない。
 主に奇襲、二人がかりでで戦ってきた私達の戦闘能力自体はたかが知れている。
 「お姉様…………!!」
 ルーツィエが不安に濡らした瞳で私を見つめる。
 魔弾が私達に迫る。
 あれの直撃を防ぐ手だては、無い。
 ――――死ぬ。
 死ぬ?
 私達が?
 あの光景が、フラッシュバックする。

 ゴォ、と目の前で火が舞い踊る。
 崩れ落ちる。
 崩れ落ちる。
 崩れ落ちる。
 大事にしていた人形も、大好きだった古時計も、友達との思い出を写した写真も。
 ――――――とても優しく、暖かだった両親すらも。
 自らを取り巻く、全てのものが――――――

 「あ、ああああ」
 また、無くすのか。
 あの時燃え落ちた全て――――そして、もう一度。
 私の事なんて、どうでもいい。
 ただ、ルーツィエ――――もう一人の私が、無くなるのだけは、耐えられない。
 ずっと二人で生きてきた。

 この理不尽な世界に復讐を=Aと。それだけを願って。

 ずっと。
 ――――ずっと。
 今の私の全て。
 そう、彼女もう一人の私なんだ。
 死にたくない。
 死なせたくない。
 ああ、そうだ。

 私達は。

 このまま。

 この世に何も残せず、死んでいくことだけは、絶対に許せない――――――――!!

 一瞬、思考が止まった。
 「――――え」
 自身最大の一撃。未だ、足下が覚束ない敵。疾駆する魔弾。
 王手、どころではない。すでにその手は駒を手に、王将へ振り下ろされようとしている段階だ。
 これを覆せる道理がどこにある?
 そう、勝利を確信した直後。

 パァン

 光が弾ける。何もかもをも覆す逆転の音を、凛は聞いた。
 現実が加速する。
 思考が追いつかない。
 意識が空白の闇(ブランク)へと落ちていく。
 凛が放った一撃必殺の魔弾。森羅万象を裁断する七色の輝きは。

 ――――全てを飲み込む、金色の闇に弾かれた。

 虹色の閃光が辺りを照らす。
 その最中、確かに凛は見る。自らが放った最強最大の一撃が、突如空間に発生した黄金の鎖によって阻まれたのを。
 双子を守るように展開されているソレ。
 そして妹を抱き、射貫くように凛を睨み付ける姉。
 その瞳の色が――――金色に変化していた。
 いや、瞳だけではない。
 髪の色、元からの金髪――黄色とほとんど区別が付かないような色が、今は文字通り、金色に『発光』していた。
 その変化。その異常。
 何よりも、ソレから漏れる極大の魔力に凛は戦慄いた。
 魔術でもない。魔法でもない。そんな人間が可能な芸当では決してない。
 『世界』の全て、数多の事象が発生する"確率"にダイレクトに干渉することができる、最強無比の能力。
 ありとあらゆる理をねじ曲げる、神域の業。人間の、遥か先に居る<モノ>が持つ創世の掌(ゴッドハンド)
 その名は――――

 「―――――――――――――――空想(マーブル)具現化(ファンタズム)

 辛うじて絞りだした声は、自分でも驚くほどに震えていた。

 衛宮士郎は、闇の中に居た。
 繰り返される煉獄。信じた人に突き立てられる刃。自身の何もかもを否定する悪夢の揺りかご(クレイドル)
 精神は摩耗し続け、その心は何も感じなくなっていた。
 ここには時間という概念は存在しない。ただただ無限の悪夢が存在するだけ。
 否、無限という表現も間違いだろう。
 有限がなければ、無限など存在し得るはずもない。だから、ここに存在するのは『精神が壊れた』という結果のみだ。人の精神を裁き、弾劾し、そして罰を与える≠ニいう絶対的な断罪。
 今まで自分が積み上げてきた罪が顕在化する空間。
 故に―――これに耐えきれる人間など、存在するはずもない。ここは人間≠ニいう種族を徹底的に破壊する、そのためだけの空間なのだから。
 風も吹かない、黒い虚無の荒野にただ蹲る士郎。結果が既に訪れている以上、それはただの抜け殻に過ぎない。
 士郎の精神は、荒野とのコントラストのように白く壊れていた(・・・・・・・・)
 傍らには、一本の剣がある。
 自らの象徴とも言える剣。名も無きただ一つの証明と名付けられたその刃は、主人の心と同じように、粉々に砕けていた。
 「―――」
 既に衛宮士郎は、『何かを考える』という行動自体が出来なくなっている。そもそも思考そのものが微塵も存在しない時点で、それはただの人の形をしたモノだ。
 このまま、体が朽ちていくのを待つ、屍に過ぎない――――――はずだった。
 「―――――」

 音が、聞こえた気がした。

 リィン、と。それはまるで鐘の音のような清冽なる響きを以て、荒野に鳴り響く。
 ここには結果しかない。
 時間も有限も無限も夢も現も進化も変化も過程も、全て存在し得ない。
 殻は硬く、破ることなど出来はしない。
 だが。もしも。
 もしも衛宮士郎の白い闇から救うものがあるとするならば――――
 ――――それは、外からの(ひびき)に他ならないだろう。
 リィン。リィン。
 響く。響く。
 それは鐘の音。
 それは光。
 それは生命。
 それは正しき祈り。
 ああ、それは――――――――――――――

 ―――――――――――――――そして、荒野に花束を。

* * *

 きぃ、と病室の扉が開く音が響いた。
 扉の横に備え付けられているプレートには、『衛宮士郎』と書かれている。
 消灯時間は既に過ぎている。この時間において、面会は許されていない。
 本人もそれは理解している。だが、それでも歩みは止まることは無い。
 コツンと。
 士郎を見つめる、その女性は、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトという名だった。
 「…………リン・トオサカ。貴女―――」
 病室は清掃され、昼間、凛を殴ったときのような惨状は綺麗さっぱり消えていた。
 殴り飛ばした本人すらも、綺麗に居なくなっていた。
 衛宮士郎が意識不明という現実に恐れて逃げ出したのか、とルヴィアは思い。
 「―――は。あの女がそんな性質(たま)ですか」
 即座に、それを否定した。
 あの女の考えていることなど、すぐに分かる。
 どうせケジメなどといって、一人で=w偽・真祖(デミ・アルテミス)』でも探しているのだろう。
 「…………なんて」
 愚かな娘なのだろう。
 ぎり、と奥歯を噛み締める。
 ―――今、貴女がやるべきことはそんなことではないでしょう。
 衛宮士郎と遠坂凛。
 この二人は恋人同士(パートナー)でありながら、両者の特性は決定的なまでに食い違っている。
 ボタンの掛け違いのようなものだ。進めば進むほど、破綻は大きくなり、修正することが難しくなっていく。
 衛宮士郎。
 愚直なまでのその精神。孤高でなければ成り立たない矛盾した理想。それは恋人・親友・肉親という特別な存在を全て『赤の他人』にしてしまうギミックだ。幾ら本人が足掻いても、決して覆せない道理。
 遠坂凛。
 紛れもない天才。それは魔術師としての資質だけでなく、その精神も同様だ。努力を怠らない姿勢。自身が一流であるという認識。それに見合った誇り。驕りもせず、だが謙遜もない、自身のもてる全てを表に現すことが出来るという実力の持ち主だ。
 だが、それ故、起こった問題は全て自己の中で完結させてしまう(・・・・・・・・・・・・・・・)。人に相談することを卑下しているわけではない。問題に対し、納得できる解答を自分で簡単に弾き出せるということだ。
 だから、彼女は間違えない。どんなときでも、いかなる問題も、彼女には問題たり得ない。
 しかし、もしその問題が正解の無いものだとしたら?
 答えなど星の数だけ存在するような、そんな問題だとしたら?
 そして、そのことを本人が自覚していないのだとしたら?
 だから、間違いがあるとすればソレ。遠坂凛は魔術師として完璧であるが故に、人間として不完全なのだ。
 人とは決して単独では生きていけない獣のことを言う。孤高で完結してしまう秀でた天才(いのう)は、人としての在り方から外れている。
 衛宮士郎と共に生きていくのならば、変化を求めてはならない。
 そう、共に生きていく=B
 その意味を。
 二人は、正しく理解する必要があり。
 そのためには、まずは目の前の問題を解決しなければならなかった。
 遠坂凛が『偽・真祖(デミ・アルテミス)』に返り討ちに遭うかも知れないという危機を。

 「――――――――士郎!!」

 ぎ、と睨み付ける。
 その目には涙が堪っていた。
 ルヴィア自身にも分かっていない感情の流れが暴れ回る。それは愛なのか恋なのか嫉妬なのか不安なのか心配なのか―――そのどれもが正解でどれもが不正解だった。
 感情は混ざり合い、化学変化を起こし、憤怒へと昇華する。
 そう、その感情は、理不尽な現実に対する怒りだ。
 思えば、何もかもが理不尽だったのだ。
 衛宮士郎が正義の味方を目指したこと。救われたこと。聖杯戦争に参加したこと。凛をパートナーに選んだこと。
 遠坂凛が天才であるということ。聖杯戦争に参加したこと。アーチャーをサーヴァントとして喚びだしたこと。士郎をパートナーに選んだこと。
 そして、何より。
 このルヴィアゼリッタ自身が、彼らと出会ったことそのものが―――――――――――――――

 「いつまで眠っているつもりなのです! 凛は今、一人で久遠寺アリスと闘っています……。なのに、どうして貴方は、こんなところで眠りこけているのですか!! …………貴方は、正義の味方のはずじゃあ、無かったの…………?」

 どうして出会ってしまったのだろう。
 どうして好きになってしまったのだろう。
 自分でもよく分からない理不尽な感情に振り回されて言葉を紡ぐ。
 涙が止まらない。
 訳が分からない。
 どうして士郎がこんなことになっている?
 どうして凛がこんなことになっている?
 何もかもが理不尽すぎる。
 どうしてどうしてどうして――――――――――――

 「――――――――――――貴方には待っている人が大勢いるのでしょう! だから、お願い。お願いだから…………」

 ありとあらゆる感情が溢れる。
 理不尽な憤怒。
 理不尽な哀哭。
 理不尽な憎悪。
 理不尽な憐愛。
 様々な想い。口から出る、現実(りふじん)に対する言い訳。正当なる理由(ぎむ)。納得できない心。
 星の数ほどの思いが炸裂し、嗚咽に近い声が空気を震わす。
 だがしかし。いかに多くの想い(なまえ)があるとはいえ―――結局の所、ソレは一点に収束していた。。
 加速する感情の奔り。
 ギアは既に全開。
 ブレーキなど最初から無い。
 限界はそこになく。
 臨界など意味を持たず。
 それは精神をも浸食し。
 ありとあらゆる感情を走破しつくし―――――――

 螺旋のように、渦巻いた、その名は。

 「――――――――――――お願いだから、目を覚まして…………!!!」

 『祈り』という、(おわり)に対する懇願(あがき)だった。 
 そんなものに意味など無い。
 終わったモノに対しての祈りなど、死者への手向けにすらならない。
 死んだモノは蘇らない。例え、それが精神の死であろうとも同じこと。
 『祈り』で救えるのは御伽噺の中だけ。
 幾らそれが綺麗なものであっても。
 幾らそれが壮麗なものであっても。
 幾らそれが清純なものであっても。
 決して死者には届かないのだ。
 ましてや、蘇ることなど有り得るはずがない。
 この世に祈りを聞き届ける神などいない。
 人々の思いが、力となる
 そんな、御伽噺は理不尽な現実では決して起こりえない。
 この世界には、ヒーローなど存在しない。人々が在って欲しいと願う、単なる幻想に過ぎない。

 ―――だが。

 もし、その幻想(きせき)が起こったとするならば。
 理不尽な現実をひっくり返せる者が居るとするならば。

 きっとその者は、人々が夢見た『正義の味方(ヒーロー)』に他ならないのではないだろうか。

 無意味な仮定――――そんなことはない。
 この世に神などいない――――有り得ないことなど無い。
 結果は覆せない――――現実が加速する。
 祈りなど届くはずがない――――メーターは振り切れ、とうに限界を超えている。
 死者は蘇らない――――想像・想念・夢想・妄想・仮想、ありとあらゆる幻想を踏み砕き、凌駕(そうは)する。
 間違いなど世界は認めない――――理不尽(せかい)が己に牙を突き立てるというのならば。
 そんな存在はあってはならない――――この世界(げんじつ)に剣を突き立てることで拮抗する。

 ――――――――其は無限の剣。
 世界に降り立つ理不尽(あく)を断罪する正義の味方。

* * *

 ―――ああ、まただ。またこの夢を見ている。

 紅蓮の炎。ありとあらゆるものを灰燼と化す地獄の釜。
 その中を、歩いている。
 どうして歩いているのだろう?
 どうしてまだ歩けるのだろう?
 既に何回も繰り返した光景を見て、それでも考えた。
 無限にして一瞬。一瞬にして無限。
 時間という概念が存在しない漆黒の荒野で、何十回何百回何千回何万回―――この光景を繰り返した。
 数えることは止めた。ここがどこかも考えるのを止めた。自分が誰なのかを考えるのを止めた。そうして、いつしか考えることそのものを止めた。
 一度止めた思考は、二度と走らない。考える事というのは全ての行動の原点。生きることの燃料に他ならない。
 エンジンは壊れ、燃料もない。それでどうして走ることが出来る?
 だが、今こうして自分は思考している。…………生きている。
 何故だろう。自分が生きているということの意味(ねんりょう)。それは一体どこから来ているのか―――

 ―――助けて。

 だが、その思考も、幾度となく聞いた怨嗟の声に阻まれた。

 ―――助けて。
 ―――助けて。
 ―――助けて。
 ―――たすけて。
 タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ―――

 何故、お前が生きている。
 何故、お前だけが動いているのだ、と。
 音無き呪いが問いかけた。
 …………そんなことは分からない。お前達に否定された自分が、こうして動いている理由など分かるはずもない。
 そう。
 俺は、いてはいけない存在なのだ。
 偽物は本物にはなれない。
 否、元々本物など何処にもなかったのだ。
 全てを救う正義の味方? そんなものが本当にあると信じていたのか?
 誰かを助けたいという想い。仮に、それが間違いじゃないとしても。
 じゃあ、どうやって誰かを助ける? そもそも助ける者をどうやって判別する?
 自分にはその境界線が分からない。理解できない。
 ああ、理解できないのも当たり前。自分という天秤がないのだから。
 命の重さというのは、自己を大切にするという認識のもとで成り立つ。
 ―――自分より他人の方が大切、なんていうヤツにそれが理解できるはずもない。
 そんなものは、正義とは呼ばない。単なるエゴだ。
 ああ、親父。アンタは正しいよ。
 その真実を知りながら、なお正義の味方を目指すのなら――――自己と天秤を切り離すしかない。
 私情を捨て、冷徹な視点を持ち、救える数のみに着目する。それで救えないと判断した者は切り捨てる。
 それこそがこの世界における正義の味方、その在り方だ。
 いつかの自分の言葉を思い出す。
 定員が決まった救いなんて嫌だ=\―――なんという独善。
 それは我が儘だ。切嗣だってアーチャーだって、そんなのは嫌に決まっている。
 どんなに道を探しても。どんなに綺麗な救いを求めても。どんなに人を殺すのが嫌だとしても。
 それでも、やらざるを得なかった。
 故に心を鉄に変えた。何事にも動じない、鉄の心を手にした。
 そこに至る仮定。どれだけの苦悩があっただろう? どれだけの懊悩があっただろう?
 そんな人たちに俺は何て言った?

 定員の決まった救いは嫌だ。
 人々を救いたいと思う気持ちは間違ってなどいない。

 …………何て我が儘。その言葉は、正に彼岸にいる者の言葉だ。何も分かっていない子供の戯れ言に過ぎない。

 ――――違う。

 夢を見るだけ夢を見て、実行手段のことを何も考えていなかった子供の思考。

 ――――違う。

 実際に彼らと同じ立場になったとき、お前はどうした? その幼稚な思考でどれだけの人が救えた? 朱美さんの時。リヒャルトの時。お前は一体、どれだけの人を救えたというのだ? 朱美さんもリヒャルトも、襲われた被害者も――――誰も救えてない。もし自分がアーチャーや切嗣のような精神を持っていれば、被害は最小限で済んだかも知れないのに。

 ――――違う。

 甘い理想では何も捨てられない。ならば、せめて精神だけでも冷徹にならなければならない。等価交換の原則。世界の真実。命の総量はいつでも神の掌の中。矮小な自分(にんげん)では誰も救えない――――――――――

 ―――――――――――――――違う!!!!

 幾度も否定された地獄の中で、心の何処か。精神の奥底で燻っている何か≠ェ叫んでいる。
 それは違う、と。それは単なる諦めに過ぎない、と。
 どこが違う? 何が違う?
 正義の味方なんていうのは愚者の夢。実際には存在しない、幻想なんだ。
 …………だが。
 お前が、その愚者の夢を語った時のことを、忘れたか―――――――――――――――

 ―――――――――――――――風景が、フラッシュバックした。

 それは原初に焼き付いた衛宮士郎の始まりと。
 目指すべき剣戟の音だった。

 「ああ――――――――安心した」

 ―――まっすぐなその視線。
 過ちも偽りも、胸を穿つ全てを振り切って、
 立ち止まる事なく走り続けた、その―――

 お前は、あの顔を裏切ることが、果たして出来るのか。
 あの二人は、そんな真実など百も承知だ。
 それでも。
 それでもなお。
 あの二人は、お前の夢を聞いて、そうであれ≠ニ願ったのだ。
 それでもお前は、ここで這い蹲っているのか――――!?
 「…………わかんねぇよ。チクショウ」
 沸き上がってきた感情に、毒づく。
 だってそうだろう?
 今更だ。今更そんなことを言われても仕方ないだろう。
 俺は世界の真実を知ってしまった。文字通り、心と体に焼き付けてしまった。
 どうしようもない。昔みたいに綺麗でいられない。
 ――――もういい。もう楽にしてくれよ。どうせ俺なんて居ても居なくても変わらないだろ?
 むしろ、居るだけで災厄を撒き散らす疫病神。
 だからこそ、わざわざ未来から未来の自分(アーチャー)が殺しに来たんだ。
 こんなヤツはいないほうがいい。いないほうが…………
 漆黒の荒野に身を投げ出して、漆黒の空を眺めた。
 意識が沈んでいく。何かの間違いか、一度蘇った意識が、再び死へと墜ちていく。
 狭まる視界。
 目を開けても、目を閉じても黒の風景。
 ああ、もう、何もかも、どうでもいい―――――――――――――

 ―――――――――――――刹那。閉じていく視界の切れ端に、見慣れた男の顔が映った。

 その男は目尻一杯に涙を溜め、表情は歓喜に塗れていた。
 生きていて、ありがとう≠ニ。大粒の涙を流し、これ以上はないほど喜んでいる男の顔が。
 あの日、あの時。憧れた衛宮切嗣が、そこにいた。
 つ、と何かが頬を濡らした。
 それが、涙≠ニいうモノであることに気付いたのは、数瞬たったあと。
 何故。
 何故、涙が溢れる。
 悲しい?
 哀しい?
 いや、違う。
 あの時、あの雨の日。
 切嗣に出会ったあの日、自分が抱いた感情は―――――――――――――――
 そうだ。
 ああ――――忘れかけていた。
 どんなに現実が不条理でも。
 どんなに世界が理不尽でも。
 切嗣が、正義の味方を諦めていたのだとしても。
 あの日、あの時。

 確かに、紛れもない、奇跡(すくい)があったんだ。

 アーチャーを自分を贋作者だと言った。
 自身には本物なんて無いのだと。全ては切嗣からもたらされたモノで、オリジナルなど存在しないと。
 ――――違う。在ったじゃないか。俺にしかない感情(モノ)が。
 嬉しかったんだ。
 助けられて、本当に嬉しかったんだ。
 救いがない地獄を歩いて、助けを求める声を踏みにじって、それでも生きていたくて。
 その声に。
 答えてくれたことが。
 本当に、何よりも嬉しかったんだ。
 涙が止まらない。
 俺は、本当に何も救えなかったのか? 救えなかったモノばかり見て、救えたモノをちゃんと見たことはあったのか?
 自身には何も残っていないと。全てこぼれ落ちてしまったと。俺は本当に、そう思っているのか?
 違う。
 それはきっと――――違うと思う。

 藤ねぇ。
 桜。
 クラスメート。
 聖杯戦争に巻き込まれそうになった冬木の人たち。
 ルヴィア。
 リリィ。
 そして、凛。
 彼らは皆、俺に笑いかけてくれたじゃないか。
 笑顔を見られたじゃないか。
 守れたじゃないか。

 それは、この現実で、この手に残った、僅かな生の証だ。

 その全てを――――裏切るというのか。
 最後まで見届けずに、ここで朽ち果てるのか。
 きっと、これからも俺は何かを失っていくんだろう。助けることが出来ずに、こぼれ落ちていくものがあるんだろう。
 だけど、それでも。
 ――――救えるモノは、確かに存在する。
 それを。見限ることが。本当に、正しいのか。
 否。
 正しいとか悪いとかじゃない。本当に俺はソレを――――許せるのか(・・・・・)

 「――――は。そんなもん、決まってるだろう…………!」

 ――――I am the bone of my sword(体は  剣で 出来ている)――――

 あの時、俺は助けられた。親父に助けられた。
 それは確かに事実で。
 この世界には、あの日の俺のような人が居るのも、また事実だ。

 ―――Steel is my body, and fire is my blood(血潮は鉄で     心は硝子)――――

 だったら、それから目を逸らすことなんて出来るわけがない。
 あの日、助けられた想いを。
 あの時の切嗣の想いを。
 『自分』が感じることが出来たのなら、それはどんなに嬉しいことだろうか。

 ―――I have created over a thousand blades(幾たびの戦場を越えて不敗). 
 Unaware of loss(ただ一度の敗走もなく、). Nor aware of gain(ただ一度の勝利もなし)――――

 そうだ。
 単純な話だったんだ。
 善とか、悪とか、その境界線とか。
 そんなものはどうでも良かったんだ。
 そもそも人の身では判断が付かない。善悪の境界線など、神の視点を持つモノにしか定められない。
 なら、それに固執することに、何の意味がある?

 ―――With stood pain to create weapons(担い手はここに独り。). waiting for one's arrival(剣の丘で鉄を鍛つ)――――

 俺は俺自身を救う(・・・・・・・・)
 いつか、あの地獄の底で空を見上げて絶望していた俺を。
 今度は、俺自身の手で、救ってみせる。
 それが自身が持つ願い。
 それこそが、俺の中にある、確かな正義(おもい)
 偽善だろうと蔑まれるだろう。
 大きなお世話だと拒絶されるだろう。
 でも、それでも――――

 ――――I have no regrets.This is the only path(ならば、   我が生涯に 意味は不要ず)――――

 ――――それが己の生きていく意味なのだから。
 胸を張って、歩いていこう。
 誇りを持って、生きていこう。
 この身は偽りなどでは非ず。
 本物の想いは、この胸に宿っている。
 さぁ。
 そう決めたのなら、ここで蹲ってる暇などないだろう?
 衛宮士郎。
 お前は。

 正義の、味方なのだから

 ニヤリ、と。
 赤い外套の男が、笑った気がした。

 「―――My whole life was “unlimited blade works”(この体は、        無限の剣で出来ていた)

 虚無の荒野は崩壊し、衛宮士郎の世界が新生した。

 「――――……は。これは一体何の冗談かしら?」
 遠坂凛は思わず、毒づいた。
 無論、目の前で起きている事態は何の冗談でもない。そんなことは既に理解している。
 しかし―――『空想具現化(マーブルファンタズム)』の行使など、幾ら何でも度を超えて異常だ。
 数ある異能の中でも、更にその上を行く異能。最強無比の能力、世界干渉。本来ならば真祖という神域にある生物のみに許された|創世の掌(ゴッドハンド)
 今、偽りの神は本物の神へと昇華した。
 その事実。正直凛は、報告書に書いてあったソレを、半信半疑の目で見ていた。
 だが、実際はどうだ。
 ――――この現実を、どうやって打倒する。
 時ここに至り、凛は自らの失策に舌打ちした。
 そもそも自分が『偽・真祖(デミ・アルテミス)』に対抗できたことがあったのか。答えは否だ。霧生朱美のときも、衛宮切嗣のホムンクルスの時も、自分は何も出来なかった。
 そう。それらを打倒し得たのは、衛宮士郎だ。
 その士郎が、今ここには居ない――――この事実を、凛は再認識した。
 (――――今更よ。士郎は居ないんだから、私が……やらないと)
 「あああああぁぁぁぁああああああ!!!」
 裂帛の気合い一つ、咆吼と共に宝石を投げつける。
 「――――Anfang(セット). Los(切り裂け) Zweihander(我が剣よ)――――!」
 宝石は光となり、瞬間、一点へと収束を開始する。
 螺旋状に収束された光が、今、双子へと――――――――

 ――――だが。そんな凡庸な一撃が。覚醒した『偽・真祖(デミ・アルテミス)』を打倒できるはずもない。

 双子の姉――――ルーツィアが、ただ手をかざしただけで、それら一切合切が、雲散霧消した。
 「っ――――!!」
 その所業に思わず息を呑む。宝石の魔弾を消し去った、その仕組み。単純な話だ。ルーツィアは二人の間に壁を発生させただけ。
 だが、凛とルーツィアにある不可視の壁は。魔力によるものでも、以前霧生朱美が行使した絶対的なアンチ・マジック――――魔術殺し(マジック・キラー)≠ナもない。
 そんな、人間が到達できる領域にある技ではない。
 (これは『確率』の壁……絶対に到達出来ない≠ニ設定された、0%の断絶領域――――――――!!)
 凛の魔弾が届く≠ニいう事象を、ある一点から空想具現化(マーブルファンタズム)によって、強引に改変したのだ。本来有り得ざる事象を発生させるということは、つまり。
 本来有り得たはずの事象を、発生させなくするということも可能ということである。
 「は、何よそれ。ほとんど、反則じゃない……!!」
 自らの思考に舌打ちする。あまりの能力差、あまりの絶望と共に。
 何をしても。何を為しても。それは永遠に、双子には届かない、という理解が、凛の思考を打ちのめした。
 こちらの攻撃は届かないのに、あちらの攻撃は易々と通る。一方的なワンサイド・ゲーム。
 逃げろ≠ニ。冷静で冷酷な、『魔術師としての凛』が囁く。
 ああ、分かってる。
 こんなのを打倒する? ――――――――無理に決まっている。
 相手は化け物。身体能力は上。合気だけでいなすのにも限界がある。こちらの攻撃は届かない。宝石の数も足りない。そもそもそれだけでは敵わない。武装が足りない。実力が足りない。魔力が足らない。
 ――――――――勝利にはありとあらゆる条件が足りない。
 それらの思考、一切合切を。

 「……だけどね。『アイツ』は、そんな戦いを何度も繰り返して……そうしていつでも勝ってきた」

 呟き一つで、全て薙ぎ払った。
 そうだ。
 アーチャーとの戦いも。
 英雄王との戦いも。
 ロンドンであった戦いも。
 朱美さんとの戦いも。
 衛宮切嗣のホムンクルスとの戦いも――――――――
 全てが絶望的な戦力の中、一縷の望みにかけて、それらを打ち砕いてきた。
 だから私も……!!
 そう凛は思うが、しかし。
 現実はどこまでも冷酷で、残酷だった。
 「あ、――――――――?」

 「――――――――回廊(リグレス)=v

 衛宮士郎の精神を打ち砕いた双子の魔術が、その視線と共に凛を貫いた。

 双子が手を取り合い、同時に瞳が輝いた。
 「……っつ」
 瞬間、膨大なる負の情報が、瞳から精神へと流れ込んできた。
 ぎち、と凛の心が軋みを上げる。
 壊される。
 壊される。
 あまりの暗いイメージに壊される。
 過去現在未来、ありとあらゆる自らの記憶が氾濫を起こし、そして自壊へと至る。
 だが。
 完全に精神が破壊される前に―――――凛は一息に宝石を飲み込んだ。
 宝石は一瞬にして、消化され、辛うじてその意識を現世につなぎ止める。
 (……予測は出来ていた。だけど、こんなに、こんなにも重いものだなんて……!!)
 そう、士郎の状況から、相手の手口は既に読めていた。
 要は精神へのダイレクト・プレッシャーだ。その人間が持つ記憶の中から、トラウマを呼び起こし、更に増幅させるという一種の干渉魔術。
 恐ろしいのは、その増幅値がどこまでも止まらないということ。
 双子という同一の波長で増幅された魔術。その性質――――無限回転≠、そのまま直接相手に叩き付ける。
 物理的な魔力、現象ならば、必ず打ち止めになる有限の壁を、精神という最大値が定まらない領域に限定することで破壊する。
 双子が忌み嫌われ、片割れは切り捨てられる魔術師の世界では有り得ない異能――――回廊(リグレス)=B
 久遠寺アリスに見出され、初めて世界に顕現したその能力は、対人という意味でなら、最強かも知れない。
 何しろ、多かれ少なかれ、人には何か忘れ去りたい過去・現在・未来(じかん)がある。感情を持つ以上、それは逃れられない必然であり――――遠坂凛も例外ではない。
 対抗手段として、凛は自らの魔術抵抗を上げることを選んだ。精神への浸食を止めるために、硬く硬く心の壁を厚くする。
 だが、それでも無限回転≠ノは対抗し得ない。上げることの出来る魔術抵抗値が有限である以上、無限にはとても敵わない。
 持って数分。その僅かな時間で決着を付けなければならない――――――――
 「――――――――Anfang(セット)
 凛は呪文を口ずさみながら、その足を踏み出し、駆け出した。
 「な、まさか回廊(リグレス)≠受けて、まともに動けるなんて――――――――」
 (全っ然まともじゃないわよ……!!)
 双子の妹、ルーツィエの驚嘆に心で毒づきながら、重い精神を引きづりながら、ガンドのマシンガンを放つ。
 狙うは背にしている建物の壁。最早呪いの域を超えた破壊力を持つソレは、呆気なくコンクリートを打ち砕いた。
 音を立てて崩れていくコンクリート。その下には、突然の事態に対応出来ていない『偽・真祖(デミ・アルテミス)』が二人。
 「く……!」
 突如降って湧いた空想具現化(マーブルファンタズム)≠フ力に、未だ振り回されているルーツィアは、さして疑問も持たずに、そのコンクリートの雨を断絶領域で受け止める。
 何もかもを押しつぶす即圧の披瀝は、塵一つも残さずに消滅した。
 その隙。僅かに空いた空白の時間に――――――――
 「――――――――もらったぁ!!」
 ルーツィアに接敵した凛が、宝石を握りしめた拳を放っていた。
 瞬間、輝きを放ち、一直線に疾駆するソレは、まるで彗星のよう。凛が持つ全魔力、それに宝石を上乗せした、最大最上級の一撃が化け物を打ち砕かんと、その小さな体に直撃した。
 ゴ、と拡散する光の波動。流れる破壊の奔流。その手応えは間違いなく、凛に勝利を確信させた。
 が――――――――

 「――――――――ああ。貴女は勘違いしているのね。道理で、こんな馬鹿げたことをしてくるわけだわ」

 凛の眼前。
 傷一つないルーツィアの顔が嘲笑に歪んでいた。
 その言葉。閃光のように流れる思考、そして結論。
 「まさか」
 「ええ、その通りよ魔術師。さっきの愚鈍な攻撃をわざわざ受け止めたのは、ルーツィエが巻き込まれることが嫌だっただけ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。貴女の魔術では、今の私には傷一つ付けられない」
 つまり。彼女は空想具現化(マーブルファンタズム)に振り回されているわけでもなく、突然の凛の強襲に動揺したわけでもなかったということ。
 冷静に見れば理解できるそのことを。凛は戦況を急いたせいで、完全に見落としていた。
 ああ。果たして。
 動揺して、戦況を見誤ったのはどちらだったのか――――――――
 「お姉様……」
 「ああ、私の愛しい半身。もう一人の私。貴女だけは、絶対に守り抜くわ」
 妹を愛おしげに抱きしめるルーツィア。同時に。
 突如、空間に発生した黄金の鎖が、遠坂凛を打ちのめした。
 「あ、あああああぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!」
 それは文字通り破壊の奔流。先ほどの凛の攻撃など比較にもならないほど、それは絶対的なものだった。
 だん、と地面に叩きつけられた凛。既にその思考からは、戦意というものが悉く削ぎ落とされている。
 「が、あ、……」
 息をするのも苦しい。呼吸するごとに灼熱のような痛みを感じる。
 魔術抵抗を上げるために宝石を使っていたのが幸いだったか、四肢は無事だった。
 だが、それを認識する感覚が、全て断絶している。
 魔術を繰るどころか、そもそも指一本すら動かない。
 更に追い打ちをかけるように回廊(リグレス)≠ノよる精神汚染が、少しずつ侵略を始める。
 「はぁ、は――――ぁ、あ、」
 「そうよ。すぐには死なせない。自らの闇に押しつぶされて廃人になったところを、私達が美味しく頂いてあげる。――――――――さぁ、その心臓を、真祖(かみ)に捧げて貰いましょうか」
 意識が暗闇へと墜ちていく。衛宮士郎が墜ちた、あの虚無の荒野へと。
 白い闇へとスライドしていく中。
 (士郎――――結局、私じゃ駄目だったよ……本当にゴメン。アンタの仇、討ってやれなかった……)
 理解できないほどの暴力。絶対的な能力の差。世界というのは本当に冷酷で、無惨で、そして、どこまでも理不尽だった。
 その事に。それがそういうものだと理解していながらも――――凛は、その理不尽を憎んだ。
 見上げた空。どこまでも暗い黒の夜空。
 星も見えないソレは、まるで地獄だった。
 アイツが見た空も……こんな空だったのかな…………
 閉じていく意識の中、そんなことを思う。

 ああ。
 だったら。
 もし私が、あの時の士郎だとするのならば。
 アイツに切嗣(すくい)が現れたように。
 私にも、誰かが――――――――――――――――

 それは馬鹿げた願い。幾ら願っても、幾ら望んでも。この世界には祈りを聞き届ける神など居はしない。死に行くモノは、ただ肉塊へと還るのみ。
 どこまでもどこまでも無情な世界。
 だが、どんなに御伽噺のような救いは無いとしても、凛は願わずにいられなかった。
 ただ、一滴の救いを=Aと。
 その願いは純粋で。
 その願いは清純で。
 その願いは、どこまでも無垢だった。
 ――――――――凛は知らない。
 祈りを聞き届ける神がいないのだとしても。
 あらゆる理不尽(あく)を断罪する、正義の味方が存在するということを。
 ならば祈れ。
 そして祈れ。
 祈りに祈った、その果てに――――――――清廉なるその想いを、聞き届ける者が現れる。

 ――――――――ハレルヤ(・・・・)

 其は無限の剣。
 理不尽(せかい)を断つ正義の味方――――――――

 「凛、ちょっと痛いけど、我慢してくれな」

 ――――――――その声は、まるで閃光のように凛の精神を明るく照らし出した。
 胸にちくりとした痛みが走る。
 それは生きているという証を刻みつけると同時に、虚無の荒野へと墜ちていく寸前の意識を現実へと引き上げた。
 目を開ける。回廊(リグレス)≠ノよる精神重圧は、綺麗さっぱり消え去っていた。
 凛は見る。
 それを為した武具の姿を。禍々しい形状をした裏切りの魔剣。破壊すべき全ての符(ルールブレイカー)=Bありとあらゆる魔術を破戒する否定の剣。究極の対魔術宝具。現代においてはありえない異端。それがどうしてか、目の前にある。
 そして、凛は遂にその背中を、その目で捉えた。

 たなびく若草色のコート。
 回廊(リグレス)≠ノよる精神摩耗のせいか、半分ほど白に侵略されている髪。だが燃えるようなオレンジは未だ健在だ。
 その手には裏切りの魔剣。世界に顕在化された宝具(きせき)
 僅かに見える首筋には、投影魔術による後遺症によって黒く焼き付いている。
 その姿は、まるでいつかの弓兵のようで――――――――同時に。
 何かが、決定的に違っている、そんな背中だった。
 呼ぶ。
 残った気力、文字通り全身全霊を振り絞って、その名前を呼ぶ。
 ……紛れもない正義の味方の名を。

 「っ――――――――士郎――――――――!!!!!!!」

 その求めに応じるように、僅かに顔を凛の方へと向け。
 「――――――――おう」
 いつもの、屈託のない笑顔を浮かべた。

 寸分の紛れもない、遠坂凛が良く知る衛宮士郎が、そこにいた。

 「シェロ! 暢気に話している場合ではありませんわよ!」
 声高々に叫ぶのはルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。
 索敵能力に薄い士郎の代わりに、彼女がここを探し当てたのか、と朧気な意識で凛は思う。
 ルヴィアの叱責が届いた刹那。
 「――――――!!」
 士郎はその足を右に、横に飛んだ。
 ゴガ、と黄金の鎖がコンクリートの地面を砕く。
 金色に光る『偽・真祖(デミ・アルテミス)』、ルーツィアが疑問の声を上げる。
 「貴方……どうして。回廊(リグレス)≠受けて、貴方の精神は破壊されたはずよ。それなのに、どうして此処にいる――――――――!!」
 否、それは疑問というより憤怒に近い。
 双子の得意技にして最大奥義、同時に自分たちのアイデンティティでもある回廊(リグレス)≠まともに喰らって、無傷―――――いや、一度精神が死んだのにも関わらず、こうして目の前に立っている。
 それは無傷という事実よりも、遥かに屈辱的だ。
 自分たちの唯一無二が、こんなにも呆気なく乗り越えられるものだと、そんなことは認められない。
 「お姉様、もう一度よ。――――あんな魔術抵抗も碌にない、三流魔術師が私達の回廊(リグレス)≠打ち破ったなんて……ただのまぐれよ。そんなこと有り得るはずがない……!!」
 「そうね、ルーツィエ。必然にしろ偶然にしろ、これで分かるわ――――――――!!!」
 双子が絡み合う。魔力が流れ、術式が回転を始める。
 有限を超えた無限の回転、それを視線と共に、士郎に叩き付けた。
 これは以前の再現。双子の回廊(リグレス)≠ノ対し、士郎は何の抵抗も出来ずに昏倒した。
 そして――――――――

 「あ、……」

 「士郎!?」
 「シェロ!?」
 今回もまた、同じように精神が虚無の荒野へと塗りつぶされた。
 俯き、項垂れる士郎の姿に、既に生気は宿っていない。
 「は……はははははははははは!! 何かの対抗策でも持ってきたかと思えば、前と何も変わらないじゃない!」
 「ええ、お姉様。やはり、私達の回廊(リグレス)≠ヘ誰にも破ることの敵わない不破の技ですわ」
 高らかなる嘲笑。
 だが、双子は気付かない。
 回廊(リグレス)≠ェ不破の技だというのならば、何故こうして衛宮士郎が此処にいるのかという根源の疑問に。
 いや、気付かないわけではない。結果が現実(かてい)を覆すものだと、頑なに信じているだけ。今、この技が通るというのならば、ソレは起きている事実に対する間違いの証明になると。
 そんなもの。この理不尽な世界において、意味があろうはずもない――――――――

 「――――――――――――――My whole life was “unlimited blade works”(この体は、        無限の剣で出来ていた)

 その呟きを。
 確かに、凛とルヴィアは聞き届けた。
 炎が舞う。
 (よる)の大気を切り裂き、炎が舞う。
 ビキリ、と虚無の荒野に亀裂が走る。
 衛宮士郎の精神を支配している荒野が、音を立てて崩れ去り。
 新たに、無骨で鈍色に光る、無限の剣が辺りを埋め尽くした。
 中心には、それらを統べる剣の担い手。
 文字通り世界の王として―――――――衛宮士郎が立っていた。
 その目、その意志。
 精神に僅かな揺らぎもなく、正義を果たすべく、厳然としている。
 「まさか……固有結界、だなんて」
 精神を汚染してくる虚無の荒野。それを更に上から、固有結界で上書きした(・・・・・・・・・・)
 双子の回廊(リグレス)≠ェ外部から内部を支配する異能だとするならば―――士郎のソレは内部から外部を支配する異常。
 ―――――――士郎は、右回転を左回転で打ち消すように、異能を異常で相殺した。
 「こんな、こんな裏技があったなんて……!!」
 双子の妹、ルーツィエが驚嘆と悲壮が内混じった声を上げる。
 それは最も。
 結局の所、自らが不破と誇るその技は、才能のない雑魚にしか効果を現さず、人を超えた存在には何も敵わないという証明が為されたのだから。
 ギリ、とルーツィアが奥歯をかみ砕く。
 「認めない……貴方のことなんか、絶対に認めるものか――――――――――!!」
 次いで黄金の鎖が現出、そして同時にその足を士郎へと踏みだし、一直線に駆け出した。
 轟、と空気を切り裂き疾駆する金の弾丸。それは正に神速。『偽・真祖(デミ・アルテミス)』を冠するのは伊達ではない。
 だが。

 「夢幻投影(トレース)開始(オン)

 神速よりもなお早く、衛宮士郎自身を体現した剣が、それを迎え撃った。
 一瞬にして無限の剣が砕かれ、士郎の手元へと収束していく。
 鈍色に光る刀身。無骨なまでに実用主義なその在り方。それでいてどこか、歴戦を潜り抜けたような荘厳さが剣を彩る。
 その名―――――――絶対存在≠フ剣、『名も無き一振りの証明(ネームレス・ワン)』。
 虚無の荒野で砕かれたはずの、この世で唯一無二の剣だった。

 「―――――――!」
 その光景に目を向くが、しかし、その速度は決して落とさない。
 幾ら固有結界を繰るとはいえ、相手はただの魔術師に過ぎない。そんなもの、真祖(かみ)に限りなく近い今の『偽・真祖(じぶん)』にならば容易く撃破できると。
 そう、確信していた。
 向かってくる法則すら駆逐する黄金の鎖と、人あらざる黄金の獣。
 それらを目の前にして、なお臆することなく。
 ―――――――衛宮士郎は、その足を、眼前に踏み出した。
 「おおおぉおおおおおおおおお!!!」
 「あああぁあぁあああああああああ!!!」
 二つの決着を望む声が吼える。
 ―――――――全てをこの一撃に=B
 まるで祈りのように潔白として純なその想い。

 互いの望みを叶えるように、世界は決着の音を響き渡らせた。

 ルヴィア、凛、そして『偽・真祖(デミ・アルテミス)』たるルーツィエですらも、味方への援護を忘れて、ただ見惚れていた。
 固有結界の展開から二人の衝突は、まるで閃光のように一瞬だった。
 刹那の時間。あまりにも圧縮された刻の流れ。
 その中で動くのを許されたのは、世界に認められた者であると。
 圧倒的に加速された現実は―――――――まるで英霊同士の戦いを見ているようだった。
 ひゅう、と風が吹く。雲が動き、隠されていた月がその姿を再び頭上へと現す。
 照らし出された世界に、決着の姿がまざまざと浮かび上がる。

 ―――――――蒼き月光を背に、正義の味方は、自らの剣の切っ先をルーツィアに向けて、厳かに佇んでいた。

 士郎の剣には、ありとあらゆる法則が届かない。それが幾ら確率に干渉するという空想具現化(マーブル・ファンタズム)だとしても。
 かくして黄金の鎖は砕かれ、ルーツィアはその身に絶対存在≠フ一撃を受けた。
 だが、それは致命傷ではない。
 最早覚醒した『偽・真祖(デミ・アルテミス)』たるルーツィアを殺すには、その心の臓に剣を突き立てるか、脳を完全破壊するしかない。
 「…………………………殺さないの?」
 士郎は切っ先を向けたまま、微動だにしていなかった。
 風が吹き、白が多分に混じった髪がなびく。
 「―――――――俺には、君のような人間を、殺す事なんて出来やしない」
 は、と嘲笑がルーツィアから漏れる。
 「人間? 今の私の姿を見て、なお人間だと貴方は言い切るの? …………甘い。甘いわね。私のような子供でも分かるわよ。貴方の言っていることが、どれだけ偽善でエゴに塗れているということが」
 批難と嘲笑に塗れた声。
 士郎はそれに――――――――笑って、応えた。
 「ああ、そうだな。これは俺のエゴだ。
 ――――――――俺には、助けを求めて、泣いている子供を殺したりなんか出来ないんだよ」
 「…………え」
 自らの頬に触れる。
 そこにはひんやりとした触感が、あった。
 何故、という疑問が沸き立つ。
 どうして、という感情がざわめき出す。
 先ほどの士郎の言葉。
 それをもう一度反芻し――――――――

 俺には、助けを求めて、泣いている子供を――――――――

 「――――――――ああ。そうだったのです、ね」
 そうして、自らの答えに行き着いた。

 「私は、きっと、誰かに助けて欲しかった」

 ルーツィアは初めて人を殺し、同時に、久遠寺アリスと出会った夜のことを思い出した。

* * *

 切っ掛けは、本当に些細な願いだった。
 いつまでも、いつまでもこの幸せな時間が続きますように=B
 妹が居て。家族が居て。友達が居て。
 本当に幸せな日々。
 誰もが一度は願う、純粋な想い。
 ―――――それが崩れて、世界への憎悪にすり替わったのは、きっと必然だった。
 妹と共に虐げられる日々。陵辱される日常。身も心も穢され、果てに残るのは伽藍洞の人形。
 私達は、あの日あの時。感情すら消えかけていたのだ。
 この身に残された唯一の絆を縁とし、絶望を終の棲家と覚悟していた。

 ――――――――本当に、それでいいのかしら?

 そんな時に現れたのが、アリスお姉様だった。
 黒い髪をたなびかせ、赤いルージュの唇を歪ませ、右腕が無いにも関わらず、それをおくびにも出さない佇まい。
 その姿は、人でありながら、人でないような。そんな矛盾した雰囲気を醸し出した。

 貴女達が今の状況を望んでいるのなら、それで構わない。感情のない人形として生き続けてたいと願うのなら、私はそれに干渉しない。
 だけど、本当に、貴方達は、全ての感情を忘れているというの?

 そんなことあるわけがない。
 誰が望んで、こんな絶望に身を落とさなければならない。誰が望んで人形のように生きなければならない。
 私達は、ただ幸福に生きていたかった。笑顔に包まれた、あの暮らしを永遠に続けることが出来れば、それで良かったんだ。
 沸き上がっていく感情。
 欠け落ちていた人として必要なモノ。
 あの日、私達の全てが燃え落ちたのだとするならば。
 この日、私達の全ては再び燃え上がったのだ。

 ならば手を取りなさい。貴女達が進むべき道を、私が照らし出してあげる―――――

 それは、まるで天使のような笑みだった。
 私達をこんな目に遭わせた、世界の全てに復讐を=B
 感情は憎悪に滾り、まずは私達を蔑んでいた人たちを殺した。
 覚えている。
 あれは月の綺麗な夜だった。
 子供のように泣き喚く大人達の手足を千切り取り、子供のように慈悲を請う大人達は顔を潰した。
 その全てを心地良いと。悲鳴とも分からない絶叫を聞く度に、ざまぁみろ≠ニ世界に勝ったような気がした。

 ―――――ああ、そんなものは偽物だ。そんな声なんてどうでもいい。ただ欲しかったのは暖かい日常(しあわせ)だけ。
 あの時、私は勘違いをしていた。否、蓋をしていた。
 それは想ってはいけないこと。この世界の真実を理解したのならば、どうにもできないと分かっている不条理なモノ。
 私が、世界に憎しみを持った根本の原因。それは―――――

 ――――――――――――誰かに、助けに来て欲しかった。

 そんな、何処にでもあるような、子供の我が儘だった。

* * *

 ぼろり、と突如、ルーツィアの腕が崩れた。
 「お姉様っ!!??」
 「はは、やっぱり駄目だったですのね…………」
 体がひび割れていきながらも、ルーツィアは自嘲した。こうなることを覚悟していたと。そんな笑み。
 対し、士郎もまた、そのことを分かっていたと言わんばかりに目を細める。
 『偽・真祖』の上位たる真祖は、そもそも世界と直結しているため、エネルギーを外部から摂取する必要はない。だが、その維持費をむりやり外部から賄おうとすると、甚大と呼べるレベルのコストではない。
 故に、『偽・真祖(デミ・アルテミス)』は存在≠糧とする。正確に言うならば、人の肉体だけでなく、その精神、その在り方―――――――生命そのものを喰らって、維持費を賄う。
 偽物ですら、それなのだ。覚醒した時、そのコストがどれだけのものに膨れあがるのは想像に難くない。
 元々真祖の力に、ただ吸血鬼化を促進しただけの人体が耐えることなど不可能なのだ。神の力は、神にしか宿らないから、神と呼ばれる。
 それはホムンクルスという人を超えた存在だった切嗣のクローンですら例外ではなく。
 ましてやただの子供だったルーツィアも、その道理から逃れることは出来ない。
 ただ、それだけの話。
 「…………一つ、聞かせて。貴方は何故、ここに来たの? 大人しくしていれば、危険な目に遭わずに、済んだでしょうに…………」
 「――――――――――――大切な人を、失いたくなかっただけだ。この道を、共に歩んでくれる人を。そして、その上で君を助けたかった」
 ふ、とルーツィアは笑う。その笑みは、花開くように可憐だった。
 「どこまでも、どこまでも、貴方はエゴイストなのね…………。だってそうでしょう? 自分の大切なモノも、私を助けた事による自己満足も得たいなんて、馬鹿げているわ」
 「そうだな。ああ、そうだ。分かっているよ。だけど、それでも俺はこのエゴを貫く。それが、俺の正義なのだから」
 あの日、あの時の切嗣のように。
 いつか、自分(だれか)を助けるときまで――――この生き方は止めない。止めるだけの理由など、既に無い。
 反省も自戒も後悔も悔恨も慚愧も道理も常識も、既に過去に置いてきた。
 これを開き直りだと笑うのなら、それでもいい。だけど、いつか必ず、あの笑顔に辿り着く。
 ――――それが、衛宮士郎の正義(こたえ)だった。
 その表情。どこまでも硬い顔に、もう一度ルーツィアは笑う。そして、妹の方へと首を傾ける。
 「ルーツィエ…………ごめんなさいね。どうやら私は、ここまでのようですわ。…………これからは、私の言うことではなく、自分自身がやるべき事をやりなさい。私の愛しい、ルーツィエ…………」
 「―――――――――お姉」
 妹の方はあまりの事態に言葉も出ないのか、ただ呆然と表情を無くしている。
 しかし、ルーツィアはそれで十分だと、再び士郎の方へと向き。
 「…………最後に、お願い。ルーツィエだけは、私の妹だけは……殺さないで。彼女は私の半身、もう一人の私。私を助けたいというのならば――――彼女をどうか」
 嘆願の、言葉を放った。
 普通なら聞き届けられる言葉ではない。
 既にルーツィアとて『偽・真祖(デミ・アルテミス)』なのだ。自分のように暴走する可能性すらあるというのに、何処の誰が放っておく。
 全てを無くしたあの日のように――――世界はそんなに言葉(いのり)など耳を貸してくれない。
 しかし。
 目の前に居るのは、不条理な世界などではなく。
 ――――理不尽から人を救う、正義の味方だった。

 「ああ、分かってる。―――――――――助けるよ(・・・・)

 士郎は笑おうとして、結局その表情は変わらなかった。
 だが、ルーツィアはそれでも。
 ボロボロに崩れていく顔で、笑い。

 「―――――――――ああ。私は、ずっと、それが聞きたかった―――――――――」

 そうして。
 『偽・真祖(デミ・アルテミス)』の少女は、塵一つ無く消滅した。
 「お姉様…………おねえさまぁぁああああああああああああああああああああ!!!!!」
 今まで呆然としていたルーツィエは、絶叫した。
 その哀哭。半身を無くした少女は、ただ泣き叫ぶことしかできない。
 「士郎…………」
 「シェロ…………」
 ルーツィエの姿を見て、言葉も出ないルヴィアと凛。その目が士郎に語りかける。
 本当に、救うことが出来るのか=Aと。
 (…………そんなこと、わかんねぇよ。そうだ。救えるとか救えないとか、そんなこと―――――――――)
 「―――――――――やってみないと、分からないだろ?」
 士郎は、そう告げると、その足をルーツィエと向けて踏み出した。
 びくり、とその体が震える。
 恐怖だ。
 目の前で崩れていった姉、全て燃えてしまったあの日。何処にもない恐怖の実像を、今、ルーツィエは士郎に向けていた。
 「…………」
 それも仕方がないことだと、士郎は思う。
 しかし、それで止まってしまっては何も始まらないとも。
 (そうだ。俺はあの日の切嗣になるんだ。…………諦めずに、俺を捜してくれた切嗣に)
 だから、士郎は。
 ―――――――――その手を、差し伸べた。

 「大丈夫だ。…………大丈夫。『偽・真祖(デミ・アルテミス)』のことも、久遠寺アリスのことも、その後のことも、全部。全部、俺が何とかしてやる……………………!!!!」
 それはまるで祈るような言葉だった。
 (アンタ、それって…………)
 助けてやりたい、などという消極的なスタンスではない。助かってくれ(・・・・・・)という悲痛な想いだ。
 助からない者は切り捨てる、というアーチャーや衛宮切嗣のような信念では、湧くことのない想い。
 恐らく士郎は、この子を助けるためならば何をモノをも犠牲にする。
 それは恐らく―――――――――
 (そっか。…………それがアンタの答えなのね。アンタが目指すのは―――自分を救ってくれた、あの日のオヤジさんということか)
 きっと、アーチャーが選んだ道よりも、辛く険しい道のりだ。
 そう凛は思うが、だが。
 (―――――――――自分で見つけた、正義の味方の在り方なんだよね)
 ならば、何を思い煩うことがある。
 自分に出来ることは、その道から外れないようにフォローしてあげること。
 そうすれば、きっと士郎はアーチャーにはならないだろう。
 だったら―――――――
 「―――――――――凛?」

 「うん。そうね。こいつだけじゃ頼りないでしょ? だから私も協力する。きっと何とかなるわ。ね?」

 そういって、士郎と共に手を差し伸べた。
 (ねぇ、アーチャー。私、これでいいのよね。これで、貴方との誓い守れるかな…………)
 想いに答える声はない。しかし、これでいいのだと胸の奥で確信が鼓動した。
 差し伸べられた二つの手を見て。
 「あ……………………」

 ―――――――――ああ。私は、ずっと、それが聞きたかった―――――――――

 「お、ねぇ、様…………」
 縋るように、その手を―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――











 ――――――――――――――ずぶり、と。ルーツィエの胸に、ナイフの刃が突き刺さった。

 「え…………」
 何が起きたか分からない。ルーツィエはそんな顔をした。
 ビキリ。まるでそこに穴が空いているように(・・・・・・・・・・・・・・・・)、亀裂が刃を中心に走った。
 全身がひび割れ、砂のように崩れていく。
 その中。先ほどの姉と、自分が重なった。
 ボロボロと崩れていくルーツィア。
 その姿。その行き先。今、姉が居るところは――――――――

 「ああ、そうか。そうだったのですね、お姉様…………。
 ――――――――()行きます(・・・・)

 そうして、満足げな顔で、姉と同じように、塵となって消滅した。


 「――――――――あ。ああ、あああああぁああ」
 崩れていく。
 崩れていく。
 幾ら、ソレを止めようと抱きしめても、掌の中から砂となって崩れ落ちていく。
 ニコヤカな笑みを浮かべたまま。
 助かるはずの少女。助けようと足掻いた少女は、今、姉と同じように死ねて嬉しいと。
 そう告げて、逝った。

 「あぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 からん。
 音を立てて、最後の砂が零れる。
 見る。崩れた砂の山の中。
 ――――――――七夜=Aと刻印されたナイフが埋もれていた。
 振り向く。
 ナイフが飛んできた軌跡。それをなぞるように、そして射殺さんとばかりに睨み付ける。
 その、先には――――――――

 蒼き目を宿した、黒き死神が、幽鬼のように佇んでいた。

 その目は当然のことをやった≠ニ。
 後悔も憂いも死への忌避もなく。
 衛宮士郎という存在を。
 正義の味方という存在を。
 救いという奇跡も何もかも全て。
 根本から否定し――――――厳然たる殺気すら載せて、士郎を射貫いていた。

 「――――――――お前」

 刹那、閃光のような早さで理解した。
 目の前に居るこの男は、自分とは相容れ居ない存在だと。
 ――――――――衛宮士郎とは対極にいる存在だと。

 そうだ。
 こいつは。
 この男は――――――――

 「―――――――――――――――俺の敵、だ」

 憎むべき、悪だ。







 ―――――――――――――――そして、対極は共鳴する。

.......to be continued

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