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 「――――何だ?」

 凛と別れた直後、士郎は気付く。
 何か、どろりとした感触が寒気と共に身を包みこんでいるのを。
 そして、瞬間。
 今までの経験、その幾度もくぐり抜けた死線で鍛え上げた、その直感が。
 
 ――――警告を、鳴り響かせた。

 「っつ――――!!??」
 闇がある。
 闇がある。
 夜の色よりも深い、漆黒の闇がある。
 直後。
 士郎の死角から、その――――蠢く闇が飛び出した(・・・・・・・・・)
 一直線に狙うのは、首筋。急所。
 鋭利な何かは刃じみた獣のような爪。
 速度は豪速。
 小柄なソレは、正に弾丸と化して、士郎に襲いかかる――――!

 「――――投影(トレース)

 瞬間、投影した双刀の夫婦剣で、弾丸を受け止めた。
 月光の下、乾いた金属音が鳴り響く。
 ギチギチと軋みながら、鍔競り合いが続く中で。
 士郎は見た。
 目の前の襲撃者が。
 (……子供?)
 まだ幼い、小さな少女だということに。
 ――――ドクン。
 (止めろ)
 視界が現実と乖離する。夢を見ているようだ。先ほど、レンに見せられたイメージのように、士郎の目には視神経から入ってくる情報と違った風景が映る。
 それはまるでスライドショーのように切り替わっていく。
 まず来たのは、夕方、暁の中で倒れているレンの姿だった。
 傷つき、倒れている小さな体躯。
 (凛にも言われたじゃないか。俺は過去を見過ぎていると。未来ではなく、悔恨によって摩耗していくと)
 次に来たのは、聖杯戦争のころ。もう一人の相棒の姿だ。
 気高き騎士王。だが、その小さく可憐な姿は、自らを守るために傷ついていく。
 何度後悔したか分からない、その映像が再び、視界を焼く。
 そして。
 (分かってる。分かってるんだ。だから――――)

 あの赤い光景が、来た。

 燃えていく家々。全てを奪い去っていく紅蓮の焔。
 死んでいくのは、命だ。そこに年の差なんて関係ない。人種の差なんて関係ない。――――命の差なんて関係ない。
 生命と。その名前を持つモノが、全て死んでいく。
 その中で、一人歩いているのは、紛れもなく自分、衛宮士郎だ。
 助けてくれと言ったのは誰か。
 女か。男か。少女か。少年か。老人か。子供か。
 否。
 全てだ(・・・)
 そこにある全ての命が、自分に対して助けてくれと、叫びを上げていた。
 その声を、無視し、生き長らえたのは、一体誰か。
 (――――だからさ)

 ああ――――

 ……それは呪いよ。貴方のお父さんが残した、たった一つの過ち。子供を気遣って、想って、ずっとそれを続けてきたのに、最後の最後で、本心を晒け出してしまった。その、たった一言だけが、貴方を今も縛り付けている

 ――――安心した

 当然のように、最後に見えたのは、自らの、始まりだった。
 ……あの時。
 自分は何を願って、何を為したいと思ったのか。

 (……止めてくれよ。結局、俺は何も救えないと、言われているようで――――)

 ――――所詮は偽物だ。そんな偽善では何も救えない――――

 そう言って、衛宮士郎を罵倒したのは、一体誰だったか。
 理想を抱いて溺死しろと。そう言ったのは、一体――――

 その迷いが。
 予断を許さない戦闘という空間で。
 一瞬の、弛緩を生んだ。

 ずぶり、と。腹の下から、そんな嫌悪感を生む音が聞こえた。

 「え――――」
 見る。
 そこには、腹に突き刺さった、獣のような爪が――――
 「よくやったわ、ルーツィエ。流石、私の妹ね」
 「嫌だわ姉様。この程度、賞賛を受けるほどのことじゃないですわ」
 爪の先には、自らと鍔競り合っている少女とは別の、しかしよく似た少女の顔があった。
 (っ――――もう一人、だって!?)
 ルヴィアからの電話を思い出す。確かに、あの時、『偽・真祖(デミ・アルテミス)』は二体現れたとそう言っていた。ならば、その二体目が目の前の少女だというのか。
 思考し、そしてそれを維持しながらも、体を動かす。
 まず動いたのは足だ。腹の怪我などお構いなしに、力の限り踏み込む。
 その力を全て、両腕の双刀を振り抜くために注ぎ込んだ。
 生まれた力は互いの天秤を崩し、目の前の少女を弾き飛ばす。
 キン、と一音甲高く鳴り響き、少女は後ろへと飛ぶ。
 だがしかし、士郎の体は止まらない。
 そのまま腰を旋回させ、腹を突き貫ぬいているもう一人の少女を狙う。
 干将を、薙ぐ。
 「――――」
 少女はニヤリと笑い、士郎から離れる。
 ミドルレンジの距離。届かない。
 士郎の一撃が空を切った。
 同時にバックステップ。
 今の一撃は逃げるためのものだ。息を整え、体調を確認するための。
 ――――そう、それだけの、はずだ。
 (……降りかかる火の粉は、払う。なのに)
 突然暗闇から襲ってきた、よく似た容姿の二人。
 久遠寺アリスの結界こそ見られないが――――確かに、この二人は『偽・真祖(デミ・アルテミス)』なのだという直感がある。
 ロンドンで再び起こった殺人事件。その犯人が、この少女達なのだろう。
 それは確信だ。故に。
 久遠寺アリスを止める。
 そう言ったのならば、目の前の少女達は敵だ。それに異論も反論もない。
 だが。
 どうして、自身は目の前の敵を斬らなくて良かった≠ニ安堵しているのだろう――――
 焼き鏝を押されたような灼熱の痛みの中、士郎は自問した。
 答えは、出なかった。
 「あら、今回は上手くいかなかったわね。ルーツィエ」
 「御免なさい、ルーツィアお姉様。……この人、まさかお腹刺されても平気で立っているとは思いませんでした。頑丈なお人ですわ」
 くすくすと笑う少女達には邪気が無い。殺気というには柔らかすぎ、しかし無邪気というには黒すぎる。
 残忍な殺意。
 それがどうしてか頭に張り付き、士郎はその不安を払拭するように、強く双剣を握りしめた。
 「生憎と、腹に何か刺されるのは慣れていてね……。こういう状況も一度や二度じゃない」
 皮肉じみた言葉を投げる。だが、言葉とは裏腹に表情には苦悶が刻まれていた。
 まるでアーチャーみたいだな、と。
 そう士郎は思った。
 「それは羨ましいことですわ。私達、そんな醜い姿になったことないから」
 「ええ、痛いのなんて大嫌いですもの。血を流すなんて以ての外。まぁ、見るのは好きですけど」
 す、と双子は両の掌を合わせる。絡み合うような体はしかし、視線だけは士郎の方へと向いていた。
 (――――何だ?)
 と思った時は既に。

 「――――幾ら体が頑丈でも、心のほうはどうかしらね」

 ――――衛宮士郎の意識は、既に事切れていた。
 月下、響くのは二つの笑い声。
 重なったソレは、綺麗なハミングのようで。
 まるで自らの勝利を祝福しているように、鳴り響いた。


/Count down 3.
 Recalling ―貴女と笑う世界の唄―


 夜、黒の色に、激音と火花が荒々しく散った。
 「ふ――――!」
 「――――は」
 埋葬機関第七位は、夜の中、踊るように舞い、黒鍵を投擲する。
 その数は、一振りにして二桁にも届く量。正確な数は人の目では補足できない。付与された豪速は、人という種の知覚の外にあった。
 それを――――
 「あぁあああっ!!」
 裂帛の気合い一つ、バゼットの拳が全て打ち砕いた。
 火花が散る。
 閃光と激の音が、辺りに連続して響き渡る。
 その音は、まるで一つの旋律のようだ。
 続く。
 投擲される黒鍵は、その数、限界を知らず。
 正に雨霰。速度と威圧から感じられる数は、千を超絶したものだ。
 否、未だに回転数は上がる。ならば、その圧、万を超えるだろう。
 既にその攻撃は点ではない。
 ありとあらゆる死角をカバーした精巧無比な黒鍵の撃は、逃すことを許さず。
 つまりそれは、迫ってくる壁と何ら相違ない。回避など、そもそも思考するだけ愚かだ。
 肉の一片すら許さないような、そんな攻撃。
 ――――だが。
 「……は」
 バゼットは。
 構わずに、目の前に一歩踏み出した。
 ゴガン!!、とコンクリートが砕ける。
 強化された全身――――そして拳に付与された魔術が、唸りを上げる。
 全身の捻り、踏み出した右足。文字通り、全身全霊。

 刹那。
 ありとあらゆるものを裁断する万撃は。
 たった一撃で粉砕された(・・・・・・・・・・・)

 薙ぎ散らされた黒鍵が、辺りに飛び散って、舞台を砕く。
 「――――化け物め」
 「貴女がそれを言いますか。生粋の代行者が」
 互いに笑いながら、二人は思う。
 こんなものは遊戯に過ぎないと。
 こんなことを続けてもいても、決着など付くはずもない。
 埋葬機関の代行者と、封印指定の執行者。
 その戦いは、既に人を超えた領域にある。
 故に。
 勝敗が決する瞬間があるとするならば、それは。
 ――――互いの、切り札の撃ち合いであると。
 両者は理解していた。
 お、と風が辺りを凪ぐ。
 一瞬の静寂が、空間を満たす。
 それを破ったのは、まずシエルだった。
 「……貴女が何故、そこまで彼に拘るのか。私には理解できませんね。遠野志貴と貴女は、何の関係も無いでしょう」
 当然の疑問だ。
 遠野志貴とバゼット・フラガ・マクレミッツの両者に接点は皆無に近い。少なくともシエルは、そう理解している。
 そして、それに間違いはない。
 だが――――
 「確かに、彼と私に関係は無い。そう、関係は無いが。
 ――――私は、もう一度闘ってみたいと思う。彼が何のために、誰のために、その刃を振るうのか。それが知りたい。知りたいと――――そう、私は思います」
 夢がない自分。
 今まで流されるままに愚直に鍛錬を繰り返してきた自分。
 努力を続ければ、いつかきっと何かを掴めると信じてきた自分。
 ――――そんな自分が、一体何に本気になれるのか。何を為したいのか。
 その答えを知りたいと。
 バゼットは、そう言った。
 「……」
 対するシエルは無言だ。
 自分が何を言っても無駄と考えたが故。
 無言で己が切り札、第七聖典を構える。
 シオンとレンは、その場で動くことが出来なかった。
 人を超越した戦闘。それに見惚れるだけ。
 ただ、シオンは。
 実際バゼットと志貴が、再び戦闘になったとき、自分はそれを止められるのだろうか、と。
 それだけを思い、そして。
 (――――多分、無理でしょうね)
 と、哀しげに目を細めた。
 静寂の凪ぎは続く。
 停滞する空気は、その硬度をゆっくりと上げる。
 しかし、バゼットは、それを良しとしないと言わんばかりに。
 
 「後より出でて先に断つもの(アンサラー)=v

 呟いた。
 背負ったラックから、古びた石球がバゼットのもとへと、飛び出し、停滞する。
 宝具、斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)=B
 バゼットの切り札たるソレが、遂に姿を現した。
 言う。
 「――――私は彼を追い、そして闘います」
 言う。
 「――――私はそれを許しません。彼を追うことも、そして闘うことも」
 宣言のような二つの声。
 バゼットとシエルの視線がかち合い、静寂の空間が割れていく。
 びきびき、びきびき、と静寂が崩れていく。
 そして。

 「故に――――貴女は此処で果てろ」

 重なった声が、遂に空間を破壊した。

 ガン、とコンクリートの地面が爆ぜる音が二つ。同時に響いた。
 シエルとバゼットの全霊の踏み込み。それは神速と呼ぶに相応しい速度を生む。
 お、と風切り音。
 シエルが片手で器用に第七聖典を持ち、バゼットへとそれを薙いだ。
 防ぐ。
 ぎ、と金属音を打ち鳴らしたのは、斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)≠セ。
 バゼットに絡みつくように宙を旋回していた石球は、シエルの攻撃に反応し、それを防いだ。
 斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)≠ノよる自動防御。故にバゼット本人は。
 「――――は」
 一息に、その拳を乱打した。
 上下左右正面。一にして十。十にして無数の拳撃がシエルへと撃ち出される。
 何物をも砕かんとするそれを、シエルは第七聖典を振りかぶったまま姿勢のままで。
 ――――全て、受け流した。
 駒のように自身を旋回させる。それは横方向。そして――――縦方向にも、だ。
 両腕。第七聖典。両足。全身を使って為される三次元的な動き。
 魔術による補正、そしてロアを追い続けてきたという、長きに渡る戦闘経験があって初めて為せる動きだ。
 回る。廻る。さながら風が球状にまとわりついているようだ。
 更に、受け流しながらも、シエルは第七聖典を振るう。
 それを石球で防御しながらも、更なる追撃をバゼットは振るう。
 両者の攻防は続く。その速度は留まることは知らず、加速を続ける。
 シオンはそれを見、思う。
 ――――これが。これが本当に人間同士の戦いなのかと。
 吸血鬼や真祖ではない。単なる人間のはずだ。両者とも、間違いなくそのカテゴリに属する生物のはずだ。
 なのに何故、こんな動きが出来る。
 視認どころか、己が高速思考すら追いつかない。
 仮にも錬金術師たる自身の、積み上げた業。それが目の前の両者には、何ら通用しないという事実。
 介入など、最早思考するだけ愚かだ。
 (……やはり、志貴との闘いでは手加減していたのですか)
 アレが本気で殺意を持てば、恐らく敵うものなど、ただの人間では有り得まい。
 そんなシオンの思考すら刹那の時間。
 しかし、既にバゼットとシエルの攻防は、何十合、何百合を超えていた。
 まだ、加速は終わらない。
 「――――!」
 「――――!」
 だが限界は近い。
 上り詰める速度は、決して天井知らずではなく、限界は必ず存在しているのだ。
 ――――そして、恐らく決着が付くならば、その時だろうと。
 そう、二人は理解していた。
 バゼットの切り札――――斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)=B
 究極の迎撃兵装であるソレは、ありとあらゆる切り札を無効化し、抉る。
 両者の切り札の性質だけを考えれば、バゼットの勝利は間違いない。
 だが、問題は、発動タイミングにある。
 性質上、斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)≠ヘ相手が切り札を撃たなければ発動しない。
 そして同時に、宝具である以上、真名を解放しなければ、また発動しない。
 二つの発動条件。
 既に神速の領域にある、この闘いで、それらを揃えるには、タイミングが肝要だ。
 一瞬でも遅ければ、幾ら逆行剣といえど発動せず、バゼットはそのまま死ぬだろう。
 つまるところ、この勝負の行方は。
 バゼットが斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)≠放つ、そのタイミングに全て収束しているのだと。
 ――――互いに、そう理解していた。
 「……!!!!」
 一瞬、バゼットが息を呑んだ。

 ――――来る(・・)

 刹那の攻防の中で、バゼットの拳を受け流すのではなく、避けた。
 出来た空白。
 その時間で、シエルは両手で第七聖典を構えていた。
 神速の空間の中で、更に速くバゼットの思考が駆け抜ける。
 (魔力は既に込めてある。なら――――今しかない)
 口を開く。
 「斬り抉る(フラガ)=\―――」
 三音。その僅かな時間にも、第七聖典はバゼットに向かって奔る。
 (間に)
 残す三音。
 (、合え――――!!)
 それを――――

 「戦神の剣(ラック)=\―――!!!!!!」

 バゼットは、文字通り必殺の一撃として、放った。
 
 直後。
 斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)≠ェ、沈黙した。

 「な――――!」
 バゼットの目が見開かれる。
 シエルは、己が切り札である第七聖典を――――両手から放していた(・・・・・・・・・)
 慣性の法則が働き、勢いよくバゼットへと射出されるが、しかし攻撃は届かず、第七聖典は虚空へと疾駆する。
 それは攻撃のキャンセルだ。
 斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)≠ヘ、相手の攻撃に反応するモノ。それはつまり、攻撃されなければ発動しない(・・・・・・・・・・・・・)ということをも意味している。
 バゼットの、切り札による攻撃が遅いか速いか、という思考の更に上。思考の範囲外の行動を、シエルは行っていた。
 無論、バゼットがその行動に反応できるはずもない。
 「――――」
 シエルが嘲笑うかのように右腕を振る。
 その五指には、黒鍵が握られていた。
 (こっちが、本命――――!!)
 黒鍵が投擲される前の僅かな時間。そう思考が走るが、しかし、体は反応できずに。

 バゼットは、突き刺さった黒鍵と共に、コンクリートの壁まで吹き飛ばされた。

 破砕音。それはまるでバゼットに対するシエルの勝利宣言のようでもあった。

 月光の下、一つの勝負が決着した。
 「が……」
 吐血一つ、呻いただけで、バゼットは沈黙する。
 体は黒鍵によって貫かれ、血まみれだ。
 「あ――――」
 それを見て、シオンは戦慄する。
 封印指定の執行者。その実力は、共に闘ったからこそ、十分に理解している。
 バゼットが敗北したという事実。
 それは瞬時に。
 ――――殺される。
 自らの死というイメージに直結した。
 悪運(バッドラック)すらも砕く彼女の拳が、あの相手には通用しなかったのだ。
 自分が、どう足掻いても、敵うことなど有り得るはずがない。
 埋葬機関第七位。
 それは決して、肩書きだけの存在では無かったのだ。
 「――――く」
 脳裏にこびり付く死の恐怖。
 直ぐさま、それを払拭する。
 死ぬわけにはいかない。
 まだ、この身には、やることがあるのだ。
 それを為すためには、まだ、死ぬわけにはいかない。
 ――――そう決意した瞬間。

 シエルが、ふらりと、蹈鞴を踏んだ。

 「……貴女…………!!」
 睨み付ける。
 その視線の先には、瓦礫に埋もれたバゼット。
 ニヤリと。いつものように不敵に笑っていた。
 (届いていたのか……彼女の、拳は……)
 黒鍵によって撃ち貫かれる、その刹那。
 右の脇腹。
 シエルが右腕を振りかぶることによって出来た僅かな隙間だ。
 そこに、入っていたのだ。バゼットの左拳が。
 それは所詮苦し紛れの一発だ。
 踏み込みも完全ではなく、腰の振り抜きを満足に行えていない。
 ――――それでも、バゼットの拳は。シエルの肋骨に深刻なダメージを与えていた。
 ごがん、と派手に音を立てて、バゼットが立ち上がる。
 全身は血まみれだが、それでも、その表情には笑みが刻まれている。
 「まだ、やりますか?」
 そして、放った。継続の問いを。
 逃げるのではなく、続ける意志の現れだ。
 この状況下においても、あえて真正面から打ち砕くことを選ぶ。
 それが、バゼット・フラガ・マクレミッツという人間の性質だった。
 そのことに何かを感じたのか。
 「……止めときましょう。久遠寺アリスが動き出そうとしている、今という時において、これ以上疲労するわけにはいきません。どのみち」
 ざ、と踵を返す。
 その鋼のような意志を見せる背中から。

 「――――どのみち、彼と会ったところで、何がどうなるというわけでもないでしょう」

 そう、予言じみた言葉が放たれた。
 「……」
 不安が、シオンの脳裏に、泥のように沈殿、瘧めいた熱を以て焼き付いた。

* * *

 /interval Level "3"

 昼。
 真上に昇った太陽が、燦々と下界を照らす。
 ――――When you wish upon a star
 Make no difference who you are
 Anything your heart desires
 Will come to you――――
 いつもの歌が、楽しげに鳴り、その旋律を終える。
 そして。
 「――――今日は、いい天気だね」
 「そうですね。絶好の洗濯日和です」
 二人の声が、はためく白の布の背後から響いた。
 黒髪の青年と、褐色の肌を持つ長き髪の女性、サラだ。
 「……怪我、大丈夫ですか? まだ寝ていた方が――――」
 覗き込むような表情。それから感じられるのは、心配という感情だ。
 彼の怪我を介抱して数日。まだまだ傷は痛むはずだ。
 「大丈夫大丈夫。ずっと寝たきりよりも、少し動いた方が体にもいいさ。痛みもそれほどじゃないし」
 黒髪の青年が、笑いながら答える。
 一瞬頬を緩ませる。そして。
 「……まだ、何も思い出せませんか。名前分からないと、呼びづらいんですけど」
 茶化すように、黒髪の青年に告げた。
 それに女性の優しさを感じながら、黒髪の青年も、ふと笑った。
 「うん。非常に申し訳ないけど、何も思い出せない。自分がどういう人間で、どういう経験を積んできたのか、どんな名前だったかもね。全く、どうなってるんだか――――」
 ぽりぽりと頭を掻きながら、青年は告げる。実際の言とは違い、重い感情はない。
 そのことが、何だか可笑しくて、くすくすとサラは笑う。
 「暢気ですね。普通もっと怖がりませんか?」
 自分がないということ=B
 それは、自分が考える以上に、恐ろしいはずだ。
 サラは考えるが、しかし。
 「――――うん。そうだね、実際その通りだ。何でこんなに暢気なんだろうなーとか自分でも思う」
 青年は真っ直ぐにサラの瞳を見つめ。

 「でも、それはきっと、君のおかげなんだろう。サラ、ありがとう。君が助けてくれなければ、どうなっていたか分からなかった」

 自分を助けてくれたのが、サラで良かったと。そう言って、笑った。
 その笑みが、何だかとても眩しくて。

 何故だか、涙が頬を伝った。

 いつか君にも分かるときが来るよ――――

 ――――ああ、こんな私にも、救えるものがまだ在ったんだ。

 自分は嫌なことから逃げ出した。何かを成し遂げようとしても、結局何も出来ずに逃げ帰ってきた。
 そんな私でも、こうして感謝されている。
 それがとても嬉しくて。
 (この人と一緒なら、私は感じられる。自らの意味を。こんな私でも、何かを成し遂げられる。その、確かな感触を――――)
 だから。
 「――――ありがとう。貴方を助けられて、本当に良かった」
 感謝の言葉を、青年に贈った。
 サラは思う。
 ――――いつか出会った彼は眩しくて。困っている人を助けるという生き方が眩しくて。自分はそこに惹かれた。
 今はもういない彼。助けられることが出来なくて、その仇を討つことも出来なくて。自分は、一体何のために生まれてきたのかも分からなくなった。
 だけど。
 こんな自分でも、確かに救える存在があったんだ。
 そうきっと。
 どんな人間でも。自分の生き方が分からないような人間であっても。
 誰でも、彼のような、眩しい人間になれるんだ――――
 いつか君にも分かるときが来るよ=B
 ああ、きっと、彼はそう言いたかったのだろう。
 自分の理想は決して特別なものではなく、誰でも出来ることで、何でもない簡単なことだと。
 だから、それが間違いだとかは関係がない。
 例え偽善と罵られても――――確かに、自身には救えるモノが、存在する。
 実感できたのは、目の前の青年のおかげだ。
 それが堪らなく嬉しくて、涙を止めることが出来なかった。
 「――――そう言ってくれると俺も嬉しい。色々ありがとう。面倒かけて、すまなかった」
 穏やかな笑みを浮かべ、青年はその足を外へと向けた。
 「え、ちょっと何処へ……」
 「こうやって動けるんだから、いつまでも迷惑かけるわけにはいかないだろ? まぁ、何とかなるよ」
 微笑みながら歩き出す。
 サラはそれを引き留める。
 「何を言ってるんですか! 貴方、記憶が無いんですよ! 行く当てもないのに、何処へ行くって言うんです?」
 「何とかなるさ」
 「怪我だって完治しているわけじゃないんですよ?」
 「何とかなるさ」
 「……此処に、居たくないからですか」
 「――――そんなことはない。そんなことはない。うん。だからこそ(・・・・・)さ」
 感謝しているからこそ、此処には居られないと。迷惑をかけるわけにはいかないからだと。
 青年は、そう言って、片手を上げた。まるで、別れを告げるように。
 ――――それが堪らなく嫌だった。
 だから。

 「私が、此処にいて欲しいと思ってる。――――それだけじゃ、駄目ですか」

 抱き留めた。
 そうだ。認めよう。
 私は彼に居て欲しい。彼と一緒に居たいと、そう思っている。
 ハリーのことは、まだ胸の中にある。それでも。だからこそ。
 彼が言ったように、私にも救えるモノがる。救えたモノがある。
 ――――それを手放したくない。
 自分にも救えたモノがあったと。その証明を、最後まで見届けたい。
 そして、それ以上に。
 生きる一つの意味を教えてくれた彼と、一緒に居たい。
 そう、簡単な話だ。

 ――――私は彼のことが好き。だから共に居たい。

 ただ、それだけの話なのだと、サラは暖かな背中を感じながら思った。
 「……」
 青年は、目を見開かせながらも――――
 ――――どこか酷く冷めた視点で、それを見つめていた。

 「ああもう、私の馬鹿……!!」
 遠坂凛は夜の闇を走っていた。
 久遠寺アリスが今、ロンドンで動き出そうとしている。
 その証左として、現に『偽・真祖(デミ・アルテミス)』が二体も現れている。発覚のタイミング・結界が見あたらないことから考えて、どうやら久遠寺アリスは此処には居ないようだが――――
 それでも、『偽・真祖(デミ・アルテミス)』は動いているのだ。それも二体も。
 今士郎を一人にするのは危険すぎる。
 あの時は思わず激昂してしまったが――――それはどう考えても失策だ。少なくとも、今が言うときではなかった。
 「……結局、何も成長してないってことか」
 聖杯戦争から三年。色々なことがあって、様々な出会いがあった。
 それでも自分は、何も変わっていないのだ。
 いつもここ一番で失敗する悪癖。治そうと思っても、いつまでも変わらない。それはまるで何も成長していないことの証明のようで――――
 「今は、そんなこと考えてる暇はない……!!」
 振り切って、一直線に駆け抜ける。
 ただ今は、士郎の安全を確かめる。そのことだけを考えろ。
 そう自分に言い聞かせ、足を動かす。
 角を曲がる。直後。

 ――――最も見たくない光景が、視界に来た。

 意識が無く、血まみれで倒れている士郎の胸を、二体の『偽・真祖(デミ・アルテミス)』が同時に抉ろうとして――――

 「あ――――ああぁあああああ!!」
 何かを考えている暇はない。
 最速で自身の魔術回路を作動させることだけを思考しろ。
 回路、オープン。ありったけの魔力を刻印に流し込む。瞬間的に魔術を構築。それはいつも慣れ親しんだ術式。北欧のガンド。全て刹那の内に――――
 そして、ガンドは撃ち出された。
 ひゅ、という風切り音。拳銃の弾丸よりも更に速く、士郎を救わんと疾駆する。
 「お姉様!」
 「――――!」
 一体の『偽・真祖(デミ・アルテミス)』がそれに気づき、もう一方は構わずにその爪を振り下ろす。
 だが、士郎の胸に届く寸前に、ガンドは爪に直撃した。
 砕くまでには至らない。が、爪は弾かれ、その腕は宙を舞う。
 凛はすかさず、ガンドを連射する。
 その連射数、四半秒にも満たない時間にも関わらず、既に二桁を超えている――――
 「――――っ!」
 堪らず、双子の姉――――ルーツィアと呼ばれる少女が飛び退く。
 走る。
 そして間髪入れずに凛は、ポケットから虎の子の宝石を取り出し――――何の躊躇もなく撃ち出した。
 ごぉ、と宙を突き抜けるように疾駆する、極大の魔力塊。例え魔術師であっても、この短時間で無力化するのは不可能。
 その事実にルーツィアは舌打ちし。
 「一度退くわよ、ルーツィエ!」
 「もう、いいところだったのに!」
 そのまま、夜の空へと溶けるように去っていった。
 破砕音。
 路地裏だったのが幸いだったが、それでも破壊の跡は凄まじい。
 (っ……派手にやりすぎたか。結界も張っていない今の状態じゃ、すぐに人が来る)
 それでは不味い。直ぐさまここから離れなければならないと思い、士郎の元へと駆ける。
 だが。
 「大丈夫!? 士郎、早くしないと人が……!!!」

 それら一切合切の思考が、士郎の顔を覗き込んだとき、全て吹き飛んだ。

 「え、士郎? ちょっと、じょ、冗談でしょ……――――士郎!!!!」
 凛の顔から、さぁと血の気が失せる。
 息はある。呼吸もある。心臓も動いている。出血は酷いが、すぐに治療すれば問題無いレベルだ。
 しかし。
 「――――嘘」
 士郎の意識――――脳は、その全ての行動を停止していた。
 植物人間。廃人。
 それが今の士郎の状態だった。

 「あ、ああ、ぁ――――い、嫌ぁあああああああああああああああああああ!!!!!!」


 月光、慟哭と悔恨の中。
 カウントダウンの針が、また一つ、カチリと廻る。

...Count down Start "3 to 2".

* * *

 /――――

 過去が来る。
 過去が来る。
 未だ知らない過去が来る。

 自身に何があったかは思い出せない。
 だがしかし、確かに目の前には、過去の闇(・・・・)が広がっている。
 恐らく一歩踏み出せば、全てが元に戻る。
 しかし――――

 ――――止めろよ

 それは闇なのだ(・・・・・・・)
 漆黒ではない。ありとあらゆる色彩を混ぜた、原罪という名の闇。
 それがとても恐ろしい。
 何故かとても恐ろしい。
 自分が何をしていた人間なのか。
 自分がどういう人間なのか。
 自分が――――どんな罪を背負っているのか。
 それを直視することが、恐ろしい。

 ――――頼むから、止めてくれよ

 深い深い闇。自身を喰らおうとぱっくりと口を開いている。
 それは苦痛だろう。
 自分が何をしていたかは分からない。
 だが――――多分、碌でもないことをしていたのは確かだ。
 思い出せば(・・・・・)戻れない(・・・・)
 地獄というのも生温い煉獄に身を浸すことになる。
 せっかく平穏を手に入れたのだ。
 恐らく、自分が長年望み――――手に入れたかったモノ。それが今、確かに掌の中にある。

 ――――俺はこのままでいい。このままで……

 記憶が無いことなんて、きっと些末なことだ。こうして普通に生活している分には問題ない。
 最初は確かに恐ろしかった。自分が無いということ。過去がないということ。思い出せないという恐怖は何物にも勝る感情だった。
 しかし、実際、過去を目の前にしてみて、どうだ?
 本当にお前はこれ(・・)が欲しいのか?
 思い出せば、死ぬ。
 それは恐らく比喩ではない。生命ではなく、人間としての自分が終わる。
 その予感。その恐怖。その忌避感。
 だから、今のままでいい。
 彼女も自分を受け入れてくれた。今の生活を続けて何の支障もないはずだ。
 そして自分もそれを続けたいと思っている。
 だから。
 だから――――

 『本当に、それでいいのか? ■■■■?』

 ――――五月蠅い。

 『全てを忘れて生きる? そんなことが許されると思っているのか?』

 ――――五月蠅い。

 『この過去を背負って生きるのがお前の業だ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。それを忘れて生きるというのならば――――』

 ――――だから。

 『その罪は、いつかきっと己を裁くだろう。その時お前は果たして――――』

 五月蠅いって、言ってんだろ――――!!

 慟哭する。
 逃れられない(・・・・・・)
 何も分からない闇の中。
 その確信が哀しくて、独り涙した。

.......to be continued

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