―――だから、私は世界を拒絶しようと思った。
それが私に残された唯一の、生きる目的だったから。
5/nameless one
「―――凛。三分、いや一分でいい。時間を稼いでくれ」
凛は目を見開く。
あの化け物相手に秒単位ではなく分単位で時間を稼ぐなんて、相当無謀な要求だった。
おまけに先の戦闘でのダメージは残っており、凛の右腕は使い物にならなくなっている。
「はぁっ!?本気で言ってる?ソレ。まぁいいわ。士郎には何か考えていることがあるようね……」
「ああ。……正直通じるかどうか不安はあるが、大丈夫だという確信もある。少し辛いかもしれないが、何とかしてくれ」
ニヤリ、と笑ってまるで歌うように言った。
「仕方が無いわね。……片手じゃ厳しいけど一応私にも『
―――あなたの正義に、私も付き合ってあげるわよ。この馬鹿」
軽口を叩き前線に出る。
先ほどとは違う吹っ切れたような笑みが印象的だった。自分が役に立っているという充足感、そんなものを感じられるような笑みだった。
士郎は深呼吸を始める。
「―――
それは幾度ともなく失敗したはずの呪文の詠唱だった。
遠坂凛は霧生朱美と対峙した。
対峙するだけで理解できる、その圧倒的な力の渦―――絶望的なまでの死の匂い。
先ほど与えた細かいダメージは全て癒えている。
おまけに士郎が切り落としたはずの腕が見事なまでに復元している。
恐らく切り落とした腕を拾い、強引にくっつけたのだろう。
どんな致命傷も致命傷足り得ない。それは正に化け物の証明。
だけど約束したのだ。何とかすると。
だから何としてでも一分を稼ごう。私の全てをかけて。
「さぁ長い一分間が始まるわよ―――」
凛が深く息を吸い込んだのと朱美が前足を踏み出すのは同時だった。
朱美が半ば中空に浮き気味で拳銃の弾に肉薄する速度で飛び蹴りを突き放つ。
それを紙一重で何とか避ける。
蹴った足が凛がいた地面を砕く。瓦礫が宙を舞う。
今回は時間を稼ぐのが目的だ。だからまず、凛は距離をとろうとする。
―――だがそれをする前に凶刃ともいえる右手が切迫していた。
(蹴りは、フェイク―――!?)
避けきった凛の体勢では確実に彼女の命を摘み取るだろう凶刃が迫る。
だがそれを目の前に彼女の表情は恐怖に歪むことなく―――むしろ笑った。
「―――!?」
刹那、霧生朱美の視界が、ぐるんと一回転した。
次いで襲いくるのは背中への衝撃。
その段階になってようやく、朱美は投げられたのだと認識した。
「今のは、そう合気道と呼ばれるものね。あなたがそんなものを習得しているなんて知らなかったわ」
朱美の凶刃を見切って、片手と足によって力を受け流して投げ飛ばしたのだ。
体勢を立て直す。思いもよらない一撃だが、ダメージは全くといっていいほど無い。
「ま、元々はルヴィアの馬鹿力に対抗するため身に付けたものだけど、こんなことに使えるとは思っても無かったわ」
合気道とは攻撃を仕掛けるものではなく、相手の力を制するものである。
正直朱美のような化け物染みた力を打ち倒すという観点からでは何ら意味は持たないが―――時間稼ぎという一点に対してはこれほど適した方法も無い。
対して朱美には武術の心得は無い。こうして見ると状況は凛に有利のように見えるが―――
それは二人が一般人だったら、の話だ。
朱美はバチン、とまるで紙鉄砲の音を大きくしたような、常人では出せないそんな音を立てて指を鳴らした。
「っ―――!!」
凛は咄嗟に横にステップを取る。
さっきまで立っていた場所が突然爆ぜた。
朱美はバチン、バチンと連続して指を鳴らす。
連動するように凛の足元の床が次々と砕けていく。
凛はその轟音の中を走る。爆ぜた床の欠片が脚を掠った。鮮血が足を伝い脳が痛みを訴える。
しかしそんなことで立ち止まっては自分の命が無い。
(っつ―――全く冗談じゃないわよ)
痛みに堪えながらも分析する。
あの指鳴らしの原理は至って簡単なものだ。
振動の増幅=Bただそれだけ。
指を鳴らすことによって生じた空気の振動に、ある一定の指向性を与え増幅させただけの代物だ。
単なる振動を増幅するだけの魔術の初歩である。
だが問題はその元となる振動が馬鹿みたいな大きさだという点。
人外の力で行われるソレは大砲染みた威力を与える。
厄介なことに単純な故に打ち破る方法などほとんど無い。避け続けるしか選択肢は無い。
だがそれも限界がある。
「チェックメイトよ―――凛ちゃん」
「!?―――ぁ」
横に後ろに避け続けた結果―――凛は部屋の隅に追いやられていた。
(ま、ずい―――!!)
バチン、と王手の音が鳴る。
だけど凛は、それが王手だと理解しながらも
その結果―――
「っぐが―――!」
用意された逃げ道に追い込まれ、朱美は凛を組み伏せた。
「さぁ、終わりよっ!!」
朱美の凶刃は凛の首を無慈悲なまでに掴んだ。
あと何秒も経たないうちに首は無残に折られ、凛は絶命するだろう。
その死が目前に迫ったというときにも関わらず、凛は思わず士郎を見た。
こちらを、
彼が私を気に欠けていない。信じているのだ、私が必ず一分間という時間を稼げると。
だから彼は自分のするべきことをしているだけ。
そのことが何よりも嬉しくて―――同時に現段階ではこれで十分かなという妥協をした。
(朱美さん、チェックメイトをかけたのは私のほうよ―――!)
凛は背後に隠してあった『切り札』に手を伸ばした。
瞬間、魔力が爆発的に膨れ上がった。
「な、に―――?」
「っぁ、
凛の左手の先には―――一つの短剣が握られていた。
それは宝石のような刀身をしており、お世辞にも切れ味が良いとはいえなく何だか頼りない。
だが、凛が一言呪文を呟き魔力を込めた途端、それは万華鏡のように煌いた。
一閃、凛はそれを左から右へと薙ぐ。
短剣は光の軌跡を描き、朱美の腹に綺麗な線が引かれる。
「これは、まさか、宝石剣―――?」
腹部に深い斬撃痕が残る。
だが、そんなことよりも朱美はあまりの出来事に呆然としかけてまう。
当たり前だ。
宝石剣キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。かつて"月落とし"さえも食いとめたというゼルレッチの愛剣。
それはつまり未だ幼年期にある人類では届かないはるか未来の常識。
極めて高度で異質な魔術理論で編まれた第二魔法を可能とする限定魔術礼装―――!
「これは、私が時計塔の卒業研究なのよ。有難く喰らいなさい!!」
二撃目。
第二魔法により無限に連なるとされる並行世界から魔力を引き出す。
一撃目よりも更に威力を増したそれは、朱美の頬を掠るだけで避けられる。
だがその威力は本物の宝石剣より数段どころか相当落ちたものだ。
ピシっときしむ音がなったと同時に罅が入った。―――この剣はまだ未完成なのだ。
本物の奇跡に比べれば、こんなものは玩具に過ぎない。だがそれでも二年でここまで至れたのは才能の為せる業だった。
そう設計図から二年もかけて作製したが、まだ完成に至るには早すぎた。
凛は心中で毒づいた。
(ああ、私の時計塔の集大成が……。これで卒業研究はまた別なのを考えなきゃね―――)
その際生じる圧倒的な作業量を思うと今から頭が痛くなる。
そのフラストレーションをぶつけるように三撃目を放った。
「
今までとは違い、大きな斬撃が奔り―――遠坂凛の二年間の結晶かつ即席の宝石剣は砕け散った。
だがその斬撃は、一撃目と交差して腹部に大きな十字の傷を作る。
それでも彼女にとっては致命傷にはならないだろう。
ソレは雄叫びをあげる。
「くっそぉぉぉぉおおおおおおおお!!」
羨ましい。
羨ましい。
羨ましい―――――――!
その才能さえあれば、私は至れた。こんな化け物の姿に為らずとも、私は人として望みを叶えられた。
強力な妬みは憎悪を伴い、凛に襲い掛かる。
(士郎、まだなの―――?)
引き伸ばすのはもう限界だ。切り札はもう切った。魔術は効かない。私との戦いを始めたときから虹色の粒子を常に展開している。
(まだ一分経たないの?―――っつ!!)
そしてその時は訪れた。
「―――
「―――
士郎は静かに言葉を紡いだ。
内なる声が聞こえる。
お前にソレが出来るのか
声は姿となりて一人の人間を形作る。
ソレは赤い外套を着た『黒い自分』だった。
今の今まで成功しなかったやつがこの土壇場で出来ると思っているのか?奇跡でも信じているのか?お前は
そんな内なる自分の蔑みの声には以前とは違い、心乱されることも無かった。
(ああ―――お前はそんな姿をしていたのか……てっきりアイツだと思っていたけど)
余裕だな。軽口を叩きながら作業か?随分楽なものだな、おい
―――
余裕なものか。
内にある二十七の魔術回路は一斉に悲鳴を上げている。
分不相応な魔術の代償。それは自分の命だ。
だが、俺は『見た』。
あの暗闇の底。奈落の果てに―――ソレが何であるかということを。
―――
夢幻投影=B
他人の
その、正義の味方≠ニいう何事にも変えがたく、同時にはっきりとしたカタチがわからない『
それこそが切り札。俺にとってのジョーカー。
だがソレは常に危険を孕んだものだった。
『矛盾』による内界の崩壊。内界の崩壊は現実の身体をも侵す。
その危険性は常にあった。
投影するときのあの警告は常にその危険性を訴え続けた。
だが幸か不幸か―――俺はそうならずにすんだ。
だが、今回もそうならないとは限らないだろう。ましてや成功するなんてお前は本当にそう思っているのか
―――
(ああ、
―――!?
あの暗闇―――無限に続くかと思われた虚空。
あれが何だったのか、よくわからない。しかし朱美さんが何を狙っていたのかを考えると、それは自ずと浮かび上がる。
彼女は俺の『起源』を覚醒させようとした。
『起源』。
始まりの因で発生した物事の方向性である。
起源を覚醒した者は起源に飲み込まれる。
たかだか百年程度の“人格”など、原初の始まりより生じた方向性に塗りつぶされるだけだからだ。
反面、起源に塗りつぶされた肉体は強大な力を手に入れることになる。
だから俺を喰らうのなら、力は大きい方がいいと考えたのだろう。―――只でさえ俺は魔術師として素質は低い。
あの奈落は俺という存在の因、『根源』へと繋がる道だろう。
しかしそれならば、俺は戻ってこれるはずは無い。でも俺は現にここにいる。
自らの中にある、『在るはずの無い知識』。
それが答え。
―――
だから今は出来るという確信がある。
黒い自分が言う。
仮に成功したとして、その剣が本当にあの化け物に通用すると思うのか?
そう、どんな能力をもった剣を投影したところで、それが実際に強いかどうかは未知数だ。模倣するべき剣は数多に存在する。必ずしもそれらより『
俺の投影は使い勝手が悪いとされているが、夢幻投影はそれを上回る使い勝手の悪さだ。
かかるリスクの割には返ってくるものが少ない。一種の賭けのようなものだった。
だが。
(愚問だ。自分自身を投影するんだから、どんなものかは既に理解している)
ほう。大した自信だ、小僧。それなら早くしたほうがいいぞ。早くしないと大切な凛が死んでしまうぞ?
(
凛は一分を稼ぐと言った。
だから難しいことは無い。彼女は絶対に一分稼ぐ。
ただ自分のやるべきことをやるだけ。
彼女の命を自分の命ごときと同等になんて考えることは出来ないけど―――信じることは出来る。
―――
(消えろよ、俺。お前はアイツじゃない、アイツですら無い。気づいたよ、お前は俺の中の『矛盾』だ)
正義の味方が抱えている矛盾、かつて指摘されたその在り方。黒い自分は無意識下の内で理解していた、その矛盾そのもの。
いらない、そんなものは。少なくとも今というこの状況においては。
そんな矛盾なんて関係ないのだ。凛が、彼女がいてくれれば俺は正義の味方をやっていけると確信した今となっては。
俺は消えないよ、俺。お前が正義の味方をやっている限り、な。俺はお前であり、矛盾であり、業だ。
正義の味方という呪縛、その業。俺は衛宮切嗣の残した呪いそのものだ、消えるはずが無い
―――魔術回路が限界を超えて加速する。
(そうか、なら俺はお前を抱えてこの
それは決意。
自らに刻んだ、自分自身のみの揺ぎ無い
―――限界を超えた先にあるのは一つの地平、衛宮士郎が持つ只唯一の世界。
さぁこれでこのくだらない愛憎劇も
(あぁ了解だ。くそったれ)
―――その世界を、一つの形に収束させる―――
「―――
◇
炎が渦巻き、熱風が吹き荒れる。
現実を塗り替える感触が空間を満たす。
「こ、固有結界だと―――!士郎君あなたは一体!?」
霧生朱美が驚愕に身を振るわせる。
彼が『強化』に特化した魔術師だということは知っていた。
そして常識を覆すような『投影』のことも。
だが固有結界なんていう限りなく魔法に近いという禁呪となれば話は別だ。
確かにそんなものを習得しているなんて協会側にばれたのだとしたら、下手をすると封印指定だ。
結界で括っているからこそ出来る芸当。
しかしその情景を目にして朱美は驚愕の次に笑みの表情を作った。
先ほどの宝石剣といい、この固有結界といいこの子達は最高の才能を秘めている。
―――これ以上の獲物はいるまい。
同時に嫉妬と憎悪が身を襲う。彼女はその感情を決して抑えることはない。
「憎悪の炎を滾らせて、あなたのことを食い散らかしてあげるわ……」
それはとても暗くて黒い感情の奔流。
「―――!?」
凛は朱美とは別の意味で驚いてた。
以前見たアレは真名を口にした途端現界した。
だが今はどうだろう。真名を口にした今でもまだ炎は広がらず燻っている。
そもそもこれが切り札というのは―――少々弱い。
幾ら無限の剣を以ってしても、それが魔術である以上虹の粒子に対抗できるとも思えない。
いや、下手をすると固有結界そのものが否定されるかもしれない。
だが―――この状態は何だろうか。
炎は士郎の足元に燻り、周りの風景は陽炎のように揺らいでいる。
しかし固有結界は依然として展開されない。
不審が不安へと変わろうとしたそのとき―――
今度こそ遠坂凛は、本当の驚愕の表情を作った。
剣が集う。
剣が集う。
剣が集う。
内にある、世界の全ての、剣が集う。
それらが砕ける音が空間に響いた。
幾百、幾万の剣が崩れ、欠片で世界は蹂躙されていく。
無数に剣を創造して、無窮に剣を砕いていく。
創造と破壊の極北、その果てに
―――欠片は只一つの理想を創造する―――
水減しを行い、
鍛錬で鉄を鍛え、
造り込みで包み込み、
素延べして形を整わせ、
焼き入れで、その存在を為す――――-!
「ああぁぁぁぁァアアアアアアア―――!!」
錬鉄されたばかりのソレは高熱を以って、衛宮士郎の手に顕現した。
そして静かにその真名を、紡ぐ。
掲げた、その剣の名は
「―――
銘は切られ、鍛造はここに終了した。
その様を傍観していた二人は、息をすることも忘れ、ただただ驚いていた。
彼のやったことは魔術の域を超えたもの、それこそ魔法だった。
衛宮士郎の投影とは即ち剣の丘≠ゥら引きずり出されたモノで――所詮『零れ落ちたもの』に過ぎない。
そんなものに自分自身を投影する。出来るわけがない。彼は自らを細分化するなんて芸当が出来るほど器用ではないのだ。
なら夢幻投影を可能とするならば、―――
衛宮士郎独自の剣を現界させるのならば、それは
難しい筈はない。
不可能な事でもない。
――――もとより彼の身は、ただそれだけに特化した魔術回路なのだから。
ことここに至って霧生朱美はようやく思い至った。
何故今の今までそれを考えなかったのかと自分を責める。
(もしかすると、これが『抑止力』というものなの……!?)
何故衛宮士郎が起源を覚醒させたのにも拘らず、それに引き摺られていないのか
原初の疑問。この状況の根幹にある問題。
最初は単純に起源覚醒に失敗したものだと思っていた。
だけどそんなことは有り得ないのだ。
魔術師としてのレベルの格差、士郎の油断、魔眼による暗示、倒れた士郎。
―――あの状況において、起源が覚醒しないはずがない。
ならば今彼は起源を覚醒したのにも拘らず、自我を保っているということになる。
それこそ馬鹿な、だ。
『根源』という大いなる流れに対して一個人の意思など塵芥にも等しい。
自我を保つなんて芸当は不可能。
なら何故―――
朱美の表情が疑問に歪み、恐怖に歪んだ。
「朱美さん、あなたは一つ間違いを犯した」
その心中を読むように士郎は言葉を紡いだ。
「それは俺の起源を覚醒させようとしたことだ」
「っ―――何で!?あの時確かに暗示は成功した!あなたが起源に覚醒したのならば、それに引き摺られなければならない!!なのにどうしてあなたは、アナタという意思は、
―――どうしてここに存在できるの!?」
朱美は疑問を、未知の事態から来る恐怖の奔流を士郎にぶつけた。
それは初めての感情。何でもこなしてきたエリートである彼女が始めて抱いた、迸るほどの疑問という名の恐怖の奔流。
士郎は何でもないような口ぶりでそれに答えた。
たった一つのシンプルな回答を。
「単純な話です。
あなたは俺の起源ではなく、俺の中にある別の因子の起源を覚醒させた。
―――それだけの話ですよ」
「!!!!!!??????」
朱美の暗示は自らに潜行して無意識下にある『自らの構成しているモノとその根源』を探り、そこから起源を自覚しろ≠ニいう命令だった。
ならばもし、その結果に至るプロセス―――自分の構成を探る際に『自分の因とは別な因子』に行き当たったとするならば。
その『別な因子』から路を辿り、起源を拾ってきたならば―――彼の意識はそれに引き摺られることは、無い。
「馬鹿、な。それでもそれが起源である以上、アナタという意識が対抗できるはずがない!人間である以上そんな容量があるわけが無い!!」
衛宮士郎はただ静かに答えを紡ぐのみ。
「その因子の名は―――『剣』。
――――
こと剣に限って俺がどうこうなるはずが無い。
―――何故ならこの身はすでに剣なのだから―――」
「―――!!」
そうこれこそが衛宮士郎の夢幻投影の正体だった。
一つの概念世界である固有結界に『剣の起源』という方向性を与えてやれば、その形に収束していくというただそれだけの話。
その時、霧生朱美は一つの可能性を思い浮かべた。
もし彼が『剣の起源』を知覚したのならば、それそのものを投影することが―――
ゾクリ、と全身が産毛立つのを感じた。
そんなことが出来るはずが無い。そんなことは最早完全に魔法の域―――
投影した
「あなたが何者で何故こんなことをしたのか、それは分からない。でももうそれは関係ないです。決着をつけましょう」
「……っ、上出来よ、士郎君」
既に理由など関係ないところまで来てしまった。
仮に原因、理由を知ったところで何になるだろう。
どうしてこういうことをしたか納得がいかない?
それこそ欺瞞でエゴで自己中心的な考えだ。
知ったところで戦うしかないのならば―――その原因になど意味は無い。
その光景を遠坂凛は呆然と見つめていた。
もう彼女は一歩も動けないでいた。先ほどの攻防が大分体に負担をかけたようだ。
宝石剣を一撃振るうだけで腕の筋肉の繊維は断線し、既に右腕に続いて左腕も動かない。
疲労は頂点に達し、体は痛みという警告をひっきりなしに送ってくる。
おまけに魔力も底をついた。
さっきの夢幻投影で、そのほとんどを士郎に持っていかれたのだ。あれほどの術、維持するにも莫大な魔力が必要だろう。
士郎だけの魔力でどこまで持つか―――時間はそんなに無い。
そんな状況にも拘らず、彼女は笑っていた。
負けるわけが無い、と。
もうボロボロの体だけれども、信じることだけは出来る。
それが私の戦いなのだ―――と言わんばかりの顔。
だから、この言葉は、どんな魔術にも勝る、詠唱なのだ。
「―――士郎。
―――頑張って=\――」
その言葉に応えるように、士郎は駆け出した。只一つの理想を握り締めて。
朱美が身構える。
そのさっきまで恐怖に歪んでいた表情は―――笑っていた。
朱美には自信があった。
その剣がどんなに大層な代物でも、魔力で発動している以上消滅させることが出来ると。
虹色の粒子が今までの比じゃない位に朱美の周りを乱舞する。
そのいけ好かない剣を消滅させた瞬間に心臓を抉り出してやろう―――そんなことを考え左腕を突きの形に構える。
走る。決着まで後十歩。
走る。決着まで後五歩。
走る。決着まで後一歩。
「あああああああぁぁぁぁ!!」
「はああぁぁぁああああ!!」
―――そして決着は付けられた。
◇
交差は一瞬。けど付けられた決着は永遠。
流れるような剣の軌跡。
それを防ぐどころか消滅させようとする意思、虹色の粒子―――完全相殺物質が剣を絡めとろうとする。
だが―――その結果はいつまでも来ず、剣の勢いはむしろ加速するばかり。
(え、―――何で―――!!!???)
疑問が不安へ、そして恐怖に変わるころ。
衛宮士郎の剣は霧生朱美の心臓を突き穿っていた。
その能力、『揺ぎ無い信念』―――外界からのあらゆる干渉を無にする力。
衛宮士郎が信ずる理想、信念を体現させたソレは、
全ての剣の因子を含んだが故の属性『不動』『不振』、それらを内包した剣―――つまり魔術・魔法による干渉及び摩擦、衝撃などの物理法則に至るまで、あらゆる干渉を超えて、その剣はそこにあろうとする。
それが完全相殺物質≠ニいう規格外の魔術であっても例外ではない。
『絶対存在』―――それこそが
「はぁぁああああああああああ!!」
心臓を抉ったのにも拘らず、それで剣は止まらない。化け物を殺すにはまだ足りない。
剣の軌跡はそれで止まらず右半身を抉るような軌跡を描き、その勢いのまま体を一回転させ―――
遠心力をたっぷり含んだまま、そのまま頭から股下まで一直線に袈裟切りにした。
霧生朱美は、最後まで叫び声一つ上げなかった。
弟がいた。
日本の退魔における絶対的四つの名家、七夜・浅神・巫淨・両儀には及ばずとも『霧生』という血統にはそれなりの歴史があり、またそれ相応の力を持っていた。……あくまでそれなり、だが。
そんな中で私は生まれた。
私が生まれる過程で、どんなことがあったのかわからない。
私はかつての開祖すら凌駕する才能を持ちえていた。
曰く、段々衰退へと向かっている霧生の血統―――それを再び盛り返す切り札として私が生まれた、だそうだ。
まぁ実際は確かに何でも出来るけど、ある一定の境から成長できないっていう器用貧乏でしかなかったのだけれども。
そういう理由で私の後に生まれた弟なんて、一族が何の必要もしなかったのは自明の理というべきか。
弟は体が弱く、いつも寝床で伏せていた記憶しかない。
周囲の人々からも―――両親からですら―――蔑みの目で見られていた。
それがどんなに弟の体に悪影響を与えただろう。
いつもいつも苦しかったに違いない。
だから、私が守らなくてはいけないと、思った。
私は弟が好きだった。
周りはいつも才能才能と言い、私に対して血統とか歴史を押し付けてきた。
……私はそんなもの、望んでいないのに。
そんな中で弟は、弟だけは私を一人の人間として見てくれた。
純真な彼の心はささくれ立った私の唯一の支えだったのだ。
だから守った。周囲のあらゆる蔑みの声から、暴力の悪意から私の全力をもって守った。
なのに。
あの日の満月の夜。
本当にあっけなく―――霧生家は滅亡した。
たった一人の人間によって。
私は忘れない。あの光景を。
月光の下、弟の返り血を浴びて燦然と立っているあの男の姿を。
当代最強と謳われた暗殺者、七夜黄理=B
混血という異端者にとって絶対的な死神。
私が生まれた過程、自分が一体何者なのかというのは正直よくわかっていない。
だけど、それが彼らにとって非常に気に食わないものだったらしい。
だから一族もろとも殺されたのだ。……私を除いて。
私は生き残った。生き残ってしまった。
それは運命の采配だったのか、神の気まぐれなのか―――とにかく私は一命をとりとめ生き残った。
そんな私が復讐に生きるのは、まぁあながち間違いでもないだろう。
身分を偽り西洋魔術を学び、必死になって自らを磨いた。
一族なんてどうでもいい。ただ、弟が殺されたのは、どうしても許せなかった。
望まれて生まれた私とは違い、弟はただ蔑みのみしか与えられなかった。
外界のことは何も知らず、一生のほとんどを床に伏せて暮らしていた弟。
何の罪も無かったはずだ、弟には。
それなのに、ただ一族の者だというだけで無惨に殺したアイツは、―――弟のあの笑顔を奪うなんて許せなかった。
だから必死に勉強した。私には、もうそれしか残っていなかったから。
彼が、退魔の任を放棄し、挙句殺されたと聞いたのは、時計塔に入学して間もないころだった。
私は絶望した。自分は彼の死を望んでいたわけではないのだ。
私がこの手で、彼が弟を殺したように、無惨に殺してやろうと思っていたのに。
それだけが私に残された唯一の生きる目的だったのに。
何故何故何故何故―――
―――だから、私は世界を拒絶しようと思った。
要らない。こんな世界は要らない。
私が死のうなんてことは思わなかった。それは世界が私を拒絶したことになり、それは世界に対しての敗北を意味する。
この世界そのものを崩壊させる。
出来ないことではないはずだ。数多ある平行世界の幾つかの崩壊が確認できる以上、この世界≠壊すことも可能なはずだ。
それだけが、私の生きる目的。私に残された最後の憎悪。
それには『根源』に至ることが必要だった。
魔術を極めた先に見出せることが出来ると言われているそれを―――私は我武者羅に目指した。
ひたすら『拒絶』の魔術を研究し、その先に『世界の拒絶』があると信じて。
だけど、勉強すればするほど、私にはその才能が無いことを思い知らされていった。
時が経てば経つほど深まる絶望。
私にはもうそれしか残っていないのに……。
それは天使のような笑みだった。
『――力が、欲しいのでしょう?』
そう彼女は問うた。彼女が何者かどうかなど、どうでもよかった。力を与えてくれるという彼女の言葉は絶望に満ちた私にとって何より魅惑的な誘いだったのだ。
例えこの身が化け物になったとしても、これのみが私の生きる目的。
浮かべるは無垢で無邪気な天使の笑み、問うは外道の業を背負わせる悪魔の囁き。
彼女は、私に、手を差し伸べた。
私はその手を、握り返した―――
その結果私はこうして殺された。
私が手に入れたかったモノを持った、彼らに。
眩いばかりの才能を持った彼らに完膚なきまでに殺された。
どこで間違えたのだろう。
私の計算は間違っていないはずだ。
だが計算外のことが多すぎた。
殺人貴の介入、固有結界、宝石剣。数々の
それらが世界に対しての殺意を抱えた私に対する抑止力ならば。
ああ、なんて許しがたい、この世界―――
……世界への憎しみを抱いたまま、霧生朱美は絶命した。
◇
「……やったの?」
遠坂凛が不安そうに聞いた。
当たり前だ。右半身を抉られてもあれほどの戦闘力を見せた霧生朱美。
もしかすると今すぐにでも襲ってくるかもしれない。
「いや、大丈夫だろう。―――再生が止まっている」
朱美の体は人としての体とは思えないほどの無惨な状態だった。
感傷が士郎の頭を駆け巡る。
どうしようもなかったとはいえ、結局彼女は救うことが出来ず、そのことが心を軋ませた。
軋んだ心は剣の丘に新たな墓標を刻む。
自分はこの痛みを抱えて一生を生きていくのだろう。
自らのエゴが選別した『悪』を殺すたびに、痛みが増えて墓標が増えていく。
故の無限の剣製=B無限の痛みのその果てに、―――擦り切れた心が待っている。
だけど。
彼女が、凛が居てくれる。
今回得た答え。例え自らが砕けてもその
痛みを彼女と一緒に分け合おう。
救った心を彼女と一緒に喜ぼう。
彼女と一緒にこの茨の道を進もう。
ならば俺の心は擦り切れることは無いだろう―――
握った剣が刀身から砕けていく。
すでに魔術回路、魔力ともに限界を超えている。もう維持は不可能だろう。
「一つの世界を内包しているが故に、全ての干渉を無とする―――か。全くとんでもない代物ね、それ。っ―――いてて」
痛そうに体を抱く。宝石剣の行使、身体の酷使によって凛の体はもう限界である。
―――だがそれ以上に衛宮士郎の体は限界を超えてボロボロだった。
「ごめん、凛。あと……は、頼んだ……」
「―――は!?」
言うなり士郎は派手に音を立ててうつ伏せに倒れた。
「ちょっと士郎!……完全に気絶しちゃってる。まー結界も解けるだろうし、協会もすぐに駆けつけてくるでしょう……」
そう呟くと朱美の亡骸に目を向ける。
そこに浮かぶのは――哀れみ。
「朱美さん、あなたはどうしてこんなことを……」
問う言葉に応える者は既に亡く、言葉は空に霧散していく。
凛は朱美の内情は何も知らない。何が彼女を駆り立て、何が彼女の身に起きたのかは今はもう知る由も無い。
いくら何年来の知り合いだといっても他人は他人でしかない。
意味は無いと知りつつも、凛はソレがやはり知りたかった。
いや、知ったところで彼女を止められなかっただろう。あれほどの狂気に至らせるだけの理由に一体何が出来るだろうか。
でも彼女は凛の憧れであり、理想だった。
彼女を殺したこと。それが本当に良かったことなのか……。
私たちを喰らって根源へ至ると彼女は言っていた。そのために今まで生きてきたとも。
彼女は私たちが最後と言っていた。ならば私たちが黙って殺されていれば―――
いや、それは逃げだ。そう考えること自体が無意味。
様々なイフが頭に浮かび、そして消えていく。
その度に心を穿ち、痛みが走る。
矛盾、撞着。それはあたかも正義の味方という思想そのもので―――
(あなた達≠ヘいつもこんな痛みを感じていたのね……)
胸を穿つ痛み。こんな痛みを重ね続けていれば、そう選んだ自分に憎しみを持つのも無理らしかぬ話だ。
今になって彼女はアーチャーの心情を何となく理解したような気がした。
「……夢幻は交錯せず、ただ錯綜するのみ―――か」
夢幻錯綜。
それは魔術師としての在り方、
有り得ない夢幻を追い求める者は、ただ自分の内だけにそれを留め、他者とは決して相容れない。私たちは理解しあうことは決してない。そういう言葉。
他者には理解されず、我が道を追い続けるだけの者。
かつての自分がそうだった。聖杯戦争の勝利という只一つの目的のために生きていた。
そのために私は周りに壁を作って一人で暮らしてきた。
アーチャーも正義≠ニいう目的のために、心が擦り切れるまで一人で戦ってきた。
その結果がこれだ。誰にも理解されず、只一人虚しく死んでいく。
目的が幻に過ぎないというのならば、その人生は無意味に過ぎない。
目的を達成した先にこそ意味が見出せるのであって、達成できない目的になど意味は無い。
故に夢幻。目指すべき目標は、実態の無い蜃気楼のようなユメだった。
だけど。
「朱美さん、あなたは気づいていたのかしら。確かに
―――目的が意味を持たないとしても、ソレを求める過程には意味があるのよ。多分それこそが私たちの生きる
無意味ではあるが、無価値ではないという凛の言葉。
返ってくる言葉は無い。反論ももちろん無い。聞いてくれる者も、無い。
凛は何故かそのことが悲しくて、涙を流した。
.......to be continued
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