epilogue/

 あれから数週間。見慣れた病院の白い天井を名残惜しむことも無く、遠坂凛は無事退院した。
 「やーーーーーっと退院か。全く大げさなのよ、ここの医師共は」
 本来ならば五日前くらいには既に退院できる体調だったのに、『様子見』とかいって病室に強引に押し込められた。
 ……おかげでルヴィアゼリッタの嫌みったらしい見舞いを更に重ねることになった。
 思い出すだけでこめかみが引きついてくるのがわかる。
 『あーら、天下の遠坂凛様が身動き一つも出来ないなんて、何て珍しい!これは是非写真に収めなくてはね。おーっほっほっほ』
 ―――これが大怪我で入院している人間に言う台詞だろうか。
 翌日ご丁寧に最新式のデジタルカメラを持参してくる始末。
 Panasonic DMC-FZ30 800万画素の光学12倍ズーム、おまけに手ぶれ補正ジャイロ搭載という代物である。
 まぁしかし。
 『ほーっほっほ、メモリーカード1G分、たっっっぷりとあなたのその姿をPCに収めて、存分に楽しませていただこうかしら?』
 そういってカシャカシャとひたすらシャッターを切っていく彼女の表情を、ガンドによってデジカメを粉微塵に破壊することで歪ませ、結果私の溜飲が幾らか下がったことでまぁよしとする。
 何より私が一番許せないのは。
 「何でアンタが私より先に退院しているのよ!!」
 隣に並んでいる士郎の頭を思いっきりどつく。
 「……痛いじゃないか」
 「アンタ、腹にどでかい穴が空いときながら、何で私より一週間も早く退院しているのよ!!」
 そうなのだ。
 彼の怪我は全治二ヶ月と診断されたのにも拘らず、一週間ほどでほとんど完治。挙句二週間で退院という離れ業を見せた。
 ちなみに彼を担当する医師が一言、
 『人間じゃない』
 と漏らしたのを看護婦が聞いていたという。
 「まぁ、何だ。鍛え方が違うからな、うん」
 「……はぁ、もういいわよ」
 諦めたように嘆息えをつく。
 彼のゴキブリ並、といっていいくらいの生命力は聖杯戦争のときに嫌でも理解させられた。
 「……それで結局どうなったのよ」
 意識をスイッチさせる。あの後、結局私も気を失い―――気づいたら協会に保護されていた。
 朱美さんの遺体は協会に引き取られ、私たちは入院しているのにも拘らず連日協会から、―――煩いほどに事情聴取された。
 事情聴取といっても私たちの知っていることは少ない。
 戦況説明にしても、流石に士郎の投影、固有結界のことを話すわけにもいかず、私の研究成果である宝石剣で撃退したと話すしかなかった。
 彼女は世界の拒絶が目的で、そこに至ろうとするために私たちや他の魔術師を襲ったというしかなかった。
 士郎が会ったという黒尽くめの男や法衣姿の女性のことも話した。
 協会側の魔術師は随分驚いており―――それはこちらからは手出しできないとのことだ。
 魔術協会すら手出しできない相手。その正体には幾らか興味はあるが、今はそんなことよりも重用なことがあった。
 霧生朱美が何者で、どうしてあのような行為に至ったのか。
 それが私にとって今最も気になる件だった。
 士郎が鉛を含んだように重く言葉を紡ぐ。
 「朱美さんが『何』だったのか、正直、何もわかってないというのが協会側からの見解らしい。バゼットが言うからには間違いないだろう」
 ―――士郎曰く、体の構成は間違いなく人体のソレと同じだったという。ただ強度が一流の吸血鬼―――下手をすると真祖並だそうだ。
 それに恐ろしいまでの魔力、まるで世界から汲み取っているが如きソレは、もしかすると本当に真祖に近い生物なのかもしれない。
 ただどうしてそうなったのかがすっぽり抜け落ちている。
 「彼女の工房にもそれらしき手がかりは全く無かった―――そうだ」
 「全く、肝心の部分が抜けてるじゃない。協会側がそう判断したのなら、そう思うしかないだろうけど。で、それで?」
 私がそう言うと、士郎は歩いている足を止めた。
 今まで以上に言いにくいことなのか、まるで祈るように目を伏せた。
 重く、重く、神託のように言葉を紡ぎだす。
 ―――彼の口から語られる彼女の生涯は、悲劇だというには十分な話だった。
 一族を滅亡させられ挙句弟を殺されたた憎悪、だがその仇はすでに殺され、行き場の無くなったソレはやがて世界へと向けられる。
 つまり世界の否定だ。
 だからこそのあの能力。究極の魔術殺しを習得出来たのはその強い思いがあったからこそ。
 しかし目的は果たせない。一介の魔術師には、そんなことは不可能だ。―――それこそ魔法でも習得しない限りは。
 だからこそ望んだのか。根源へと至ることを。その思考の結果のあの凶行。
 「止められた……かな、俺たちは」
 「―――え」
 その呟きは小さいものだったが、酷く重く私の心に沈殿する。
 ―――止められた、のだろうか。その事情を知っていれば。
 否。それは有り得ない。多分事情を知って居ればこそ、余計に有り得ない。
 結果は変わらないのだ。夢幻錯綜。その在り方故に、人は譲れないモノがある。
 ならばこれは、彼の弱音だ。もしかすると救えたのではないか、というイフに縋る心の贅肉。
 彼は正義の名の下に彼女を断罪した。その傲慢に対する不安、脆弱さを漏らすということは―――それは私たちが弱いという何よりの証。
 そうだ。私たちは弱い。
 辛いことがあれば心を軋ませ、悲しいことがあれば涙を流す。
 それは全て私たちの目的には不要なもの。だけど、それ故私たちは生きていける。
 忘れてはいけない。不要だからといってそれらを無くしてはいけないということを。
 私は父親への憧憬、士郎は正義の味方への憧れ―――何れも感情からきているものだ。
 それらを忘れたとき、私たちも朱美さんのような化け物になってしまうだろう。体をともかくとしてその精神が。
 故に私たちは互いに補いながら生きていくのだ、そのことを忘れないように。
 二人で行くなら決して忘れることは無いだろう、それが例えどんなに困難な道でも。
 だからこそ、私はこう言うのだ。
 「うん、きっと何とかなったんじゃないかな」
 「……は?」
 あまりに楽観的な私の答えに呆然とする士郎。ちょっとその姿は珍しくて、思わず笑みがこぼれる。
 「あのなぁ、そんな単純に……」
 「単純なのよ。皆難しいことを考えすぎるから、物事がややこしくなる」
 するべきこと、出来ること。それらはいつも限られている。だから私たちは全力でソレをすればいいだけだ。難しいことは無い。
 「何が正しくて、何が正義なのかはわからない。でも、二人で行けばその分正解率は上がるでしょ?」
 にっかりと私は笑う。キョトンとした顔の士郎はそれを見て、笑った。
 「―――はは。そうだな、うん。そうだ、二人なら決して間違えない」
 私たちは笑いあいながら、坂を上る。
 しっかりと手を握り合いながら。
 空を見上げる。
 天候は快晴。視界は良好。
 さぁ、行こうか。
 目の前に広がる道は、まだまだ続いていくのだから―――。

『夢幻錯綜』 了


* * *

The end of beginning

 満月の下、閉じていく結界の裂け目から見える少年の背中を見ながら、法衣の女性は溜息をつく。
 「はぁ……折角現場を押さえられたと思ったら、これですか。遠野…いや今は七夜でしたか。あなたのお人好しもいい加減度が過ぎますよ。私たちが行けば、速攻で解決なのに」
 その言葉に、七夜≠ニ呼ばれた黒い男性が苦笑する。
 「何だか先輩、苦情ばかりですね。まぁお人好しって呼ばれるのはもう慣れましたが」
 「あなたといれば、苦情の一つや二つも出ますっ!彼らに決着を付けさせたい、というのは分かりますけどね。もし死んだらどう責任取るんですか?」
 「ああ、それに関しては大丈夫。彼からは全く『死』の気配がしなかったから」
 女性が腕を組む。その表情は複雑だ。
 「……あなたがそういうなら、そうなのでしょうね」
 法衣の女性は思う。
 彼の『死』に対する知覚は凄まじい。幼少のころから死が近かったせいか―――その直感は未来予知じみたものへと昇華されていた。
 殺人貴と呼ばれる彼の能力の片割れ死の嗅覚=B
 それがあったから彼をこの仕事に呼んだのだが。
 いつもは白い包帯で覆われている目は、今はその姿を現し二つの蒼い色をたたえている。
 もう一つの能力直視の魔眼=B空間の裂け目すら『殺す』それは今は少年を死地へ送り出すのに使用された。
 そんな物騒な目をそのままに、七夜と呼ばれた少年は言う。
 「それに、俺たちには別にやることがあるでしょう?
 ―――いい加減に出てきたらどうだい? 久遠寺アリス、今回の事件の張本人さん」
 最後の一言には明らかな殺意が含まれていた。
 無言で『黒鍵』と呼ばれる剣の形状をした概念武装を取り出す法衣の女性。
 それらに応えるように―――久遠寺アリスは暗闇からその姿を現した。
 ショートカットの黒髪が闇に揺れる。年は20代前半ほどだろうか、朱色が鮮やかなロングコートに黒のタイトスカートはどこにでもいるような女性のものだ。
 だが深い暗黒色をした瞳と、それから放たれる圧倒的な威圧感は常人のソレとは比べ物にはならない。
 何より目を引くのが、あるはずのものが無いというところ。
 ―――右腕が、無い。つまり、隻腕だった。
 久遠寺アリスが、投げやりに言う。
 「張本人?勘違いしないでほしいわね。私は別に何もしてないわ。これは全て彼女が望んだこと。私は関係無いわ、ただ背中を押してあげただけ」
 くすくすと笑う。
 その笑い方は年相応のそれではなく、まるで無邪気な子供のようだった。
 「……言いたいことはそれだけですか。隻腕の魔術師∞偽りの魔法使い=A久遠寺アリスあなたの思想、その技術は危険すぎる。ここであなたを排除します」
 法衣の女性が冷静に言葉を紡ぐ。そして黒鍵を各指に挟み込む。彼女にとっての戦闘スタイルをとる。
 対して七夜はナイフは握っているが、身構えているとは言い難い格好だった。
 だがしかし、放たれる殺意は尋常ではない。まるで氷のよう冷たい殺意―――
 「お前を殺す前に、一つだけ聞くよ。……アイツをどこにやった?」
 だがその殺意をものともせず、アリスは歌うように言う。
 「私が言うと思って?」
 「なら、聞き出すだけだ」
 アリスがそう話すなり―――法衣の女性と七夜は動き出した。
 女性は宙に跳躍し、七夜は地を這う様に、久遠寺アリスの下へと駆け出した。
 その速さは常人離れしたもので、常人ならば一瞬でアリスのところへ―――まるで瞬間移動したかのごとく―――移動したと認識するだろう。
 法衣の女性は黒鍵を上から投げつけて、七夜は下からまるで閃光のような速度で短刀を繰り出す。
 だがアリスはそれ以上の速度を以って、その間合いから抜け出した。
 舌打ちの声が重なる。この逃げ足のせいで何度逃げられたか分からない。
 「また逃げる気ですか?貴方は一体何がしたいのです?」
 いつの間にか屋敷の屋根に直立しているアリスは口元を嘲笑の形にし、二人を見下ろす。
 「まだ時間がかかるのよ。……そのとき≠ェ来たら貴方たちも招待するから安心しなさい」
 「―――そんな必要はないさ」
 刹那―――屋敷の壁と傍に佇む木を利用し、アリスと距離を縮めている七夜の姿があった。
 (―――速い!)
 法衣の女性はその速度に驚く。これほどの体捌き、もしかすると自分に匹敵するのではないかと傲慢ではなく客観的な視点から見てそう思う。
 (七夜の暗殺術は伊達ではないということね……)
 だがしかしその速度をもってしてでも久遠寺アリスの姿は捉えることが出来ない。
 「―――!?」
 いつの間にか七夜がさっきまで立っていた場所にアリスの姿があった。
 「私ね、隻腕の魔術師∞偽りの魔法使い≠ニかって呼ばれるの嫌いなのよ。特に後者。どう考えても良い意味じゃないよね。
 ―――刹那の魔法使い=Aそっちの呼び名のほうが私は好きだな」
 「……魔法使い?」
 法衣の女性はその単語に反応した。世界に現存する4人の魔法使い、それに彼女が匹敵するというのだろうか。
 確かに刹那のときに瞬時に移動する術の正体は掴めていないが―――
 「何、まさか自分が魔法使いだとでも?」
 「さぁね。でも多分それに近いわよ、私。『偽・真祖(デミ・アルテミス)』とでも名乗っておきましょうかね?」
 「……?」
 法衣の女性が、初めて聞く単語に眉を顰める。その単語がそのままの意味を持つとするなら―――
 「まさかお前、真祖になろうっていうんじゃないだろうな?」
 七夜は言うなり短刀を振るう。
 またもや神速の体捌きを用い、アリスへと刃を走らせるが―――
 それは先ほどまでと同じように空を切る。
 アリスは街頭が点いている電柱の上に移動していた。
 「ま、これ以上は秘密。……また会いましょ、殺人貴そして埋葬機関第七位」
 暗闇に溶けるように―――久遠寺アリスの姿は、気配すら残さず消えていった。
 法衣の女性はその目的、今回それが少し垣間見えた気がした。
 「『偽・真祖(デミ・アルテミス)』……か。やはりそのために彼女≠さらったんでしょうかね……」
 「―――アイツの目的なんて関係ない。次あったときは、必ず解体してやる」
 迸る憎悪。
 今回で彼女の移動術の正体が何となくだが、理解した。次はもう逃がさない。
 必ずこのナイフで完膚なきまでに殺してやる―――
 暗き憎悪を胸に七夜は短刀を仕舞う。
 ―――法衣の女性は満月を見上げた。
 厭な予感が全身を駆け巡る。
 今回のロンドンでの騒動、そして世界の各地で起きている事件の数々。それらが全て久遠寺アリスの手によって起きているとしたら―――
 そのときが来たら、とアリスは言った。何かしら良くないことが起きようとしているのは確実だ。
 自分はその時が来るまで、ただ事態を傍観しているしかないのだろうか……。
 頭上の月は何も応えてくれず、ただ蒼き月光を放つのみだった。

.......to be continued

next episode>>『風景残滓』 Side:月姫

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