4/at the point of language
……夢から覚めたように、目蓋を開けた。何の夢を見ていたのか、それはもう定かではない。ただ、何となくアイツ≠ェ出てきたようにも思える。
意識は、まだ胡乱なままだ。自分が認識できない。何だかふわふわして、ひどく虚ろだ。まるで胸にぽっかり穴が開いたような、空虚のみが胸を満たしている。
「やぁ、起きた?」
突如問いかける声。だが、それに反応するにはあまりにも自分は空虚で仕方が無かった。
「無理ですよ。彼はまだ『戻ってきた』ばかりなのだから、人並みの反応を期待しないほうがいいです」
今度は凛とした女性の声。だが、その言葉の中身が自分に入ってこない。ただ右から左に流れていくだけ。……
今まで何をやっていたか、そしてその前後の記憶も思い出せない。いや正確には思い出す気力が無い。自分の状態を詳しく知ろうにもまずそういう気になれない。
「ふむ。でも彼はまだ軽症だ。これなら『引き摺られる』ことも無いんじゃないかな?」
「それはそうですよ。だって彼は、自分自身の起源じゃなく――――――」
「待った。結界が新しく張られた。……まだ間に合う。急がないと、先輩」
「で、場所は……ここは、例の冬木の管理者の――――まさか狙われているのは『遠坂』の血筋?」
遠坂。飛び交う数ある言葉の中で、何故かそれだけが気になって離れない。何だっけそれは。誰だっけその人は。
それは確か護らなければいけないものだった気が―――
士郎!!
ああ、そうだ。命を懸けて護る人だ。護らなきゃいけない人だ。
頭の中を焼き尽くさんばかりの閃光が奔る―――それは彼女との思い出の数々。
自分の中の確かな想い。それは―――
「っ凛――――――!!」
「え?」
「!?」
法衣の女性と目に包帯を巻いた黒衣の男が驚いたような声をあげた。一瞬誰かと思ったがそれを詮索している暇は無い。
「こんなに早く復帰した―――?幾らなんでもそれは……」
気絶する直前のことと、先ほどの会話の内容を鑑みると自分の状態を確認する時すら惜しい。そう、自分の体のことなど関係ない。この身は既に剣なのだから。
死を纏った、黒い男が当たり前のように当たり前のことを聞いてきた。
「―――それで君は、どうするんだい?」
未だ焦点の定まらない脳髄でその問いの意味を、必死になって考える。
否。
考えるまでもない。そうだ、俺のやることなんて唯一つ。
どうするのかって? そんなことは―――
「そんなの、決まってるさ!!」
それは月光輝く空気の下、誓いのように響いた。
◇
「っぁ―――――ああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああ――――!!」
離れた弓は霧生朱美の右腕を巻き込んで胸から右を抉り取った。辛うじて心臓をはずしているが、致命傷なのは間違いなかった。
「し、士郎!? 何で、ここに―――!?」
絶体絶命だった遠坂凛が、自身の無事よりも彼の出現を驚いた。
そしてそれ以上に―――霧生朱美は衛宮士郎がここにいるというより彼が背にしている『その状態』に愕然としていた。
(
その割れ目から見える男の姿に―――いや、正確にはその『瞳』に驚愕を見せる。
(直死の魔眼!! 彼が彼女の言ってた『殺人貴』―――なるほど彼女が用心するわけだ。空間の境界すら『殺す』とは……!!)
抉り取られた右半身を左腕で押さえながらも、『殺人貴』を睨み付ける。生きているのなら神すら殺すと謳われる直死の魔眼。流石にそれと真っ向からぶつかっても、勝算は薄かった。
(やっとの想いでここまで来たのに……もう、お終いなの?)
そう、彼が乗り込んでくると思った瞬間、しかし一番恐れていた事態は起きなく、空間の割れ目は閉じていった。
衛宮士郎が言う。
「彼はただの協力者だ。これは―――あなたとの決着は俺がつける」
「は、あはははははははっ!! あなたが無事だったのは驚くわ。けど―――士郎くん、君は私を殺す千載一遇のチャンスを逃した」
そう、直死の魔眼が相手なら事態は悲観すべきものだが、彼自身には何ら脅威は無い。たとえ右手が機能しなくとも、まだ二十歳そこそこの若造が―――ましてや『人間』などが、自分に叶うはずが無かった。
衛宮士郎と遠坂凛―――二人の逸材を取り込めば、『たどり着けること』は最早自明の理。後は易かに早く食べるかだけ。
そのとき遠坂凛が今まで気付かなかった、目の前で起きている状態に愕然とした。
抉り取られた部分が物凄い勢いで『再生』している。傷口付近の血液は凝固し、抉り取られた部分を細胞分裂によって補おうとしている。これは魔術的効果とかそういうのじゃなく、純粋に一生命としての機能だった。決してそれは人間の領域ではない。
「それに先ほどのスピード……霧生朱美……あなたはすでに人間ではないのね……」
「―――人間なんていう未完成な生物と一緒にしないで欲しいわね。そしてあなたを喰らって更に上の領域を目指すのよ―――!!」
目指すは
残った左腕で凛の頭を潰そうと、振り上げ、そして―――。
小気味良い金属音と共に―――その一撃は衛宮士郎に防がれた。
「私を殺す? 士郎君!! あなたにとって私はそんなに軽い繋がりだったかしら!!」
「ああ、殺すさ!! あなたが何であれ、人に仇なす『悪』ならば、それを倒すのは『
右手の干将で防ぎながら、左手の莫耶で薙ぎ払う。だがそれは突然霧生朱美の体から湧き出た虹の粒子で剣ごと打ち消される。
「士郎!! 魔術は全て打ち消されるわ! 例えそれが幻想物でも!!」
「―――!」
大体の予測がついていた士郎だが、まさか投影した剣そのものすら掻き消すとは想像しなかった。だが、先ほど右半身を抉ったのを見ると、意識して℃gわないと意味を成さないようだった。
(ダメージは与えられるんだ。なら―――いける!!)
「
消された莫耶をもう一度投影し、対峙している霧生朱美の背後に投げた。
「!?」
「あああああぁぁっ!!」
鍔競り合いをしていた干将で、朱美の凶刃染みた手を捌く。一瞬無防備になったのを狙って莫耶が、夫婦剣の名を示すように干将に向かって飛来する。
「ちっ―――」
それに一瞥をくれると先ほどと同じように『
だが衛宮士郎にとって、その一瞥≠フ時間だけ稼げれば十分だった。
一閃―――干将による一撃が走る。胴を薙いだそれは霧生朱美の血を跡に走らせながら、楕円を描く。
(!?浅い―――!)
間違いなく致命傷になると思われた一撃は、驚異的な瞬発力によってその結果を否定された。刃が走る刹那、一瞬の判断によって後ろに跳ぶという―――それは正に『人外』の領域。
「吹き飛びなさい!」
翳した掌から衝撃波が士郎を襲った。干将を振り切った今の状態では避けれるわけもなく―――
「がっ―――!!」
―――彼は文字通り宙を舞った。
「士郎!!」
だんっという鈍い音と共に背中から落ちた。その衝撃は痛みとなって衛宮士郎の体を貫く。
だが痛みを楽しむなんて余裕は、彼にはすでに無い。
「っ!―――
「遅いっ!!」
士郎が宙を舞ったのを追撃するように、朱美はその距離をいつの間にか縮めていた。
すでに追撃の準備が終わった朱美と、今から防御の準備を始める士郎とではどちらが速いなんて、最早自明の理―――!
(間に合わない?……やられ―――)
人にはおよそ避けることは不可能と思える一撃に死を予感した刹那、その一撃は―――何故か士郎の腕を掠めて、地面を砕いた。
「な―――」
その驚きはどちらのものだったか。どちらともなく視線を向けるときにはすでに―――遠坂凛はガンドの次弾を発射していた。
「そうだったわね。『ガンド撃ち』はあなたの十八番だったものね……」
彼女が右手を一閃するだけで、ガンドは消え去った。先ほどのような奇襲でなければダメージを負うことはない。
稼げた時間は僅か。その時間で一体何が出来るだろうか。
だがしかし。
士郎が彼女の射程外に出る時間に限り、それは十分な時間があったといえる。
「―――凛、怪我はないか?」
「大丈夫よ。あなたが気にするほどでもないわ。…………」
「……何だよ。そんな睨むような目をして」
「―――まぁ、言いたいことは色々あるけど今はいいわ。目の前のことをまずは片付けましょう」
「……何か引っかかる言い方だけど、それには同意だ―――っと!!」
再び干将莫耶を両手に投影すると、神速で間を詰めてきた霧生朱美に向けて振るった。
驚く朱美の隙を突くように、凛が機関銃のようなガンドを放つ。もちろんそれは無効化されるが、だがそれによって生まれた隙を見逃すほど衛宮士郎は甘くない。
「おおぉおおっ!!」
「―――ちぃっ!」
一閃。
力の限り振るった夫婦剣は―――霧生朱美の残った片腕を切り落とした。
「くぅ……!」
「―――――
よろめく霧生朱美を、間髪入れずに遠坂凛が足で思いっきり蹴り飛ばした。
魔術強化された蹴りの威力は凄まじく、朱美を十メートルほど吹き飛ばし、その衝撃で壁が砕ける。
間髪いれずにガンドを撃ち込む。それは正に機関銃と称するに相応しい威力で、霧生朱美を周りの壁ごと撃ち貫いた。
砕けた壁は雨となり、朱美に降りかかり―――彼女は沈黙した。
「……やった…の?」
凛は蹴りの振動が体に伝わったのか、痛そうに砕けた腕を抱えた。
もう十分だろう、と凛は思った。何とか沈黙させたが、あの再生力がある限り油断は出来ない。
だけど、これ以上の戦闘は危険だ。消耗戦になったらこっちのほうが不利、何より彼女には聞くことが山ほどある。
協会に対応を任せたほうが無難であろう。そう思って、凛はただ単純に朱美を手にかけることが嫌なだけだと自嘲した。
(私も甘くなったものね……)
士郎は傷ついた凛を沈痛な面持ちで見つめ、そして決意したように朱美のほうに向きなおした。
「―――
「な……!士郎!! あなた一体何を……!?」
彼女の言葉には何も返事はせず、士郎はただ黙って矢を番えた。
鏃の先に映るのは、何物でもない、明確な『殺意』しかなかった。
「―――!?」
その行動の躊躇いの無さは、凛に酷い焦燥を与えるには十分だった。
―――この姿は、どこかで見たことが無いか―――
それは、いつかの聖杯戦争で見た、磨り減った正義の末路。
―――この姿は、どこかで聞いたことが無いか―――
それは、いつかの聖杯戦争での、無慈悲までに正義に忠実なマスターの姿。
気がつけば、痛みすらも忘れて、凛は弓を番えてる士郎の前に立っていた。
「凛……、どいてくれ」
「いいえ、退かないわ。……そのままあなたを
ギリっと強く奥歯を噛み締める音を凛は聞いた。
「凛は、お前は何も分かってない!!」
着けられたはずの決着。ソレを逃したおかげで、一人犠牲者が出た。
その時自分は何をしていただろう。
助けられるまで、道路に這い蹲っていただけだ。
なんて無様。なんて情けない。
この様で一体何が救える?
―――誰も助けられないとしたら、オレの存在意義は一体なんだ?
“ならば、お前に存在する意義など―――『在りはしない』
「このまま感傷のまま彼女を生かすなんてことをしたら、これからどれだけの犠牲者が出るか分からないんだ!―――お前だって殺されるかもしれない。
そんなのは御免だ。だから、オレは―――」
「怖いの? 自分のいる意味が無くなる事が」
「―――!?」
「―――あなたは自分の意味が無くなるのが怖いから、だから他人を助ける。彼女を生かす?犠牲者?
そんなものは関係ないわ。あなたは、ただ自分のエゴを満たしているだけよ」
「その言葉を―――凛の口から聞くことになるとは、ね」
士郎は自嘲気味に呟いた。だが弓を引く力が弱まる気配は微塵も無い。
「それも全部理解してるさ。だけどそんなことは―――」
「だったら私も殺す?」
「―――っ!!」
突然凛が番えられている矢を掴み―――自分の喉に押し付けた。
「さぁ、早くその指を離しなさい。そうすれば、
矢の先端をあてた喉の皮膚から一筋の血が流れ落ちる。
確かに彼が指を離したら、霧生朱美に止めをさせるだろう。今このときも再生を続けているだろう彼女を完全に消滅させることができる。
―――遠坂凛の死を以って。
「そ、そんなことができるわけ―――」
「
否。正義の味方である以上それは出来なければならない。しなければいけない。
世界の敵が悪ならば、それの打倒を邪魔する者もまた悪であろう。
正義の味方が駆逐するのは悪である。
ならば、この引き金は引かれなければいけない=B
それは単純な
世界が
―――彼女が指し示す選択肢。それは彼の矛盾の側面の一つ。
「これがあなたの望む姿なの?救うために救わない=Bならば、救われない者は誰であろうと切り捨てる。
―――あなたはそんなくだらないものになりたいの?」
くだらない。
思い描いたその姿は綺麗なもので、だからこそ憧れた。
だけどそれは理想の中だけで輝くもので実際にはただのエゴイスト。醜悪でくだらないものでしかない。
「だけど……オレは捨てることは出来ない!!この理想はオレがオレである為の存在意義なんだ。これを捨ててしまえば、オレは―――」
―――その時凛の肩越しに見える瓦礫の合間から、吊り上った口元が見えた。
嘲笑だった。
次いで感じた気配は凛の背後で蠢く『何か』。その『何か』を認識したとき―――すでに彼は動いていた。
「それは違うわよ。例えその理想が無くてもあなたには―――」
「凛っ!危ない―――!!」
「え――――――」
―――そこからの一連の動作は、まるでスローモーションのように凛の目には映った。
生暖かい感触、上がる血飛沫、倒れ行く体、赤い風景、腹部から突き出る『何か』―――耳障りなけたたましい哂い声。
凛の視界が真っ赤に染まる。
士郎の腹部から突き出したソレは―――切り落とした霧生朱美の左腕だった。
赤黒い血が士郎の口から漏れて、凛に降りかかる。そしてそのまま凛に覆いかぶさるように倒れた。
それは衛宮士郎が遠坂凛をかばって起きたことであることは、誰の目から見ても明らかだった。
「っっっ士郎ぉーーーーーーー!!」
「が……油断しすぎていたか……」
「はははははっはははは!甘い!甘すぎるわよ二人とも!! 両腕が無くなって瓦礫の山に埋もれた? たかが
嘲りの声が空間にこだまする。
それはまるで人在らざる者が勝利宣言をしているようだった。事実パワーバランスは圧倒的に変化している。
―――衛宮士郎の傷はどう見ても致命傷だった。
ガンっと霧生朱美が瓦礫を踏み砕く。
「腕なんていくらでも後から生えてくる。それにね私、
足癖の方が悪いのよ―――」
右足で思い切り踏み込む。
踏みつけた地面が瓦礫ごと爆ぜた。それは圧倒的な速度を朱美に与えたという何よりの証拠。
迫る死の危険に気づかない凛は、ただ目の前の事態に慟哭する。
「どうしてよっ!どうしてあなたは私のことを見てくれないの!!あなたにとって、私は―――」
凛のその感情は悲しみでも恐怖でもなく―――紛れも無く彼に対する怒りだった。
子供のように泣きじゃくるその姿は普段の気丈な彼女からは考えられなかった。
その姿に士郎は一瞬思考が止まる。
だがしかし全ての事態が飲み込めている彼にとって、そんな時間は死と同じで、そのことを認識する前に体は動いていた。
―――それは正義の味方として生きてきた彼にとって最早体に染み込んでいる思考回路。
だからそんな彼にとっては左手の一撃を受けたときにこの瞬間が来ることの理解など、当たり前の事象だった。
「――――
身の裡に用意していた宝具。この瞬間のために投影、待機しておいたある宝具を解除する。それは衛宮士郎が唯一具現できる盾―――
「
弾丸のごとく突き出される脚。それを突然空間に現れた四枚の花弁が如き守りが受け止める。
驚愕に見開かれる目。止めだと思って全開の力を籠めて放った蹴りだ。人外の自分が放つソレをどうやって止めることが出来るだろうか?
だが衛宮士郎が顕現させたソレは何人たりとも防げなかったというギリシャの大英雄ヘクトールの投槍を防いだ盾だ。
英雄ですら貫けない盾を、どうして一介の化け物が破れるというのか―――!
「っ―――凛!今だああああぁあああ!!」
左手で腹を押さえ右手で盾を展開しつつ、血反吐を吐き散らしながら士郎は叫んだ。それが現状打開の最善の手だからだ。
半ば茫然自失だった凛はこの一言で平常心を取り戻す。
この辺りの感情のコントロールは流石魔術師の名門『遠坂』だと頷けるものだった。
「っ!!この大馬鹿ーーー!」
叫びながらガンドを撃ちだした。ソレを朱美は咄嗟に掻き消そうと虹色の粒子を噴出させる。だが、消えたのは
軌道を変えて霧生朱美の頭上にある天井に直撃していた。
「!?」
崩れいく天井。だが崩れたはずの天井からは天井しか見えない。この結界の効力は消えてはいないのだ。
だが崩れた天井の瓦礫が消えたわけではない。崩れた瓦礫は雨となって朱美に降りかかる。
その雨の中、朱美は士郎を抱え逃げる凛の姿が見えた。
舌打ちするその音は瓦礫の雨に紛れて消えた。
◇
落ちている。暗闇の底へ落ちていく。
だが、『あの時』の限りなく落下していく感覚ではなく、今は自分の中だけへ落ちていくという自覚―――確信があった。
つまりは、気絶しているという認識。
自己へ限りなく埋没していく―――そんなことをしている場合ではないのに。
早く目を覚ませ、と思えば思うほどに衛宮士郎の意識は更なる深みに落ちていく。
止まれよ、こんなことをしている場合じゃないんだよ、朱美さんを止めないと、凛が危ないんだよ、頼むから―――
―――止まってくれ―――!
ストン、と永遠に続くかと思われた落下は、本当に呆気なく停止した。まるで誰かに抱きかかえられたように。
「―――え、」
いや、それは違った。何も無い空間に突然出現した腕に本当に抱きかかえられていたのだ。
それはとても暖かいもので。
それはとても優しいもので。
それはとても懐かしいものだった。
その驚きは抱きかかえられたという事実より、その腕が見せる懐かしさに対してのものだった。
「っまさか、―――」
空間から腕だけが突き出しているという半ばホラー染みた光景だが、不思議と恐怖は沸かなかった。
むしろ抱く気持ちは懐古感。
「……これは……?」
差し出されたその腕には、一本の剣が握られていた。
無骨な両刃の剣。何の特徴も無く、何の装飾も無く、ただ剣としてそこにあった。
刃は所々欠け、ボロボロだった。
こんな剣はオレは知らない、見たことも無い。
否。
知っている。俺はこの剣を『識』っている。誰よりも何よりも俺はこの剣を理解している―――
その剣を、そっと、手渡された。
それがどういう意味を持つのか、オレは瞬時に理解した。
「大丈夫だよ。オレはもう理解したから」
何故か、『彼女』が微笑んだ気がした。
「セイ、―――」
最後に名前を呼ぼうとして、急に意識が引き戻された。
◇
目蓋を開けると、涙で頬を濡らしている凛の姿が映った。
「……いつから、お前はそんなに泣き虫になったんだ?」
皮肉気味にそう言うと、返ってくるだろう反撃を予想し身構える。
だがその反撃はいつになっても来なかった。
不審になってふと顔を上げると、涙でくしゃくしゃにした遠坂凛の姿が見えた。
「もう……目を覚まさないかと思ったわよ……この馬鹿…」
苦笑が漏れる。そんなに泣くほどの傷か?と思った途端、腹部に激痛が走った。
「っーーーーーーーー!!」
視線を下げると、なんだか生きているのが驚きなほどの惨状になっていた。
一応の応急処置はされているが、周りに散らばる夥しい血液から、常人ならば最早手遅れな致命傷なことはわかる。
当たり前だ。腹部を腕で貫通させられたのだ。挙句『盾』の投影なんて万全の状態でも負担が大きい術なのに。
よく生きていたものだ、と自分の生命力に素直に感嘆しておく。
「で、現状はどうなってるんだ? ここは―――屋敷の地下室か」
なるほどここならば早々見つかることも無いだろう。元々この屋敷は俺たちが暮らしている場所。地の利は俺たちにある。
遠坂に現状確認をしてみる。あの程度で朱美さんが諦めるはずも無いだろう。
おまけにあの再生力では、先ほど与えたダメージも完治しているかもしれないとも思う。地の利はこちらにあるとはいえ、この怪我では確実に俺たちのほうが不利だった。
だがまだ切ってない切り札がオレにはある。
「その前に―――」
凛は涙をぐしっと袖でふき取ると―――
「この大馬鹿者ーーーーーーーーーーーーっ!!」
思いっきり衛宮士郎を張り飛ばした。
腹部とはまた別な痛みが脳天を駆け巡る。天地が揺らぎ、再び気絶するかと思うほどの激痛だった。
「な、何するんだよ凛―――!?」
―――そこで凛がオレに縋り付いて泣いていることに気がついた。
「どうして、あなたは私のことを、いつまでも『他人』と思っているのよっ」
「―――!?」
「私の存在なんて、只の『他人』でしかないの―――?」
「そんなことは―――」
ない、と言いかけて思い至った。
俺は自分の命を救うべき対象≠ノ入れていないと、かつて言われたことがある。
当たり前だ。正義の味方とは自分の命すら省みないで、人々を救う存在だ。
だから目の前の人に悪意ある攻撃があれば、それを庇う。
そこのどこに自分の命が入り込む隙があるだろうか。
偽善と呼ぶ人もいるだろう。だが、それは最早思考回路以前に体に染み込んだ行動概念。
例え、どんな人物であろうと命を失うのを黙って傍観するなどできはしない。
だからこそ、凛は先ほど俺が庇ったというその行動を嘆いているのだ。
仮にあそこにいた人物が凛ではなくて、名も知らぬ少女だとしたらどうだろう。
―――それでも俺は同じ行動をとっただろう。
それが正義の味方。自分の命を代償にした無償の奉仕。
彼女にはそれが悲しいのだ。だから怒っている。だから悲しんでいる。
俺が彼女の命と対等に思っているのならば、
だけど俺にはそれが出来なかった。
ならば彼女という存在は赤の他人とどう違うのだろうか……。
正義の味方という呪縛。
それが大切な人という存在を赤の他人と同等までに下げてしまうのだ。
「凛、俺は―――」
「二人で一緒に行こうよ……」
凛は搾り出すように声を紡いだ。
「私はアナタ≠ニ約束した。士郎をアイツ≠ノはさせないと。
―――だけど私がどんなに努力しても、それを無視して士郎はどんどん先に行ってしまう。それが私には怖い。何れ士郎はアーチャーになってしまうってことが―――!」
その話はどこか矛盾している。
俺はアイツになる。
それはまず間違いなく起きることだ。
この世界は常に結果に向かって進んでいる。
ならば、その結果が先にあるのならばそれになるのは必然。
数ある可能性の中で俺がアイツになる可能性というのは、今このときでも常に孕み続けている。
だけど俺はそれに抗い続けている。
俺の中のアイツと戦うことで、アイツにならない世界へと―――至ろうとしている。
だから。
「―――俺はアイツにならないよ」
「え―――」
何度も自分に言い聞かせた言葉。以前のそれはまるで子供の駄々のようで―――。
だけど今は違う。
はっきりと理解できた。
俺とアイツの明確で、決定的な違い―――
「だって君が泣いてくれるじゃないか」
「っ!―――」
「凛は俺が傷ついて泣いているんだろう?思ってくれているんだろう?なら、十分さ。
俺は世界に絶望しないで、きっと正義の味方をやっていける」
例え俺が死んだとしても、俺が護ったその心には俺の意思が宿る。
かつて俺が親父に助けられて、正義の味方を目指したように。
俺が護ったことによって、その命に、心に、何かが残ったなら俺の命は無駄じゃない。
そうやって俺の意思が連綿と紡がれていくのならば、こんなに嬉しいことは無い。
何かを残すために戦う
それこそが、戦う理由なのだ。
俺が助けることによって、そこに点る想い。
例え、この身が偽者であっても。
その想いだけは、本物だ。
凛の涙がその証明。
もしかするとそんなことは偽善だと、誰の心にも何も残らないのかもしれない。
でも目の前のこの涙だけは嘘じゃない。
正義とは。善と悪の境界線とは。
それが何なのかまだ俺にはわからないけど、俺が信じる正義の味方になろうとすることで人の心に何かが残せるなら、それは決して間違いじゃない。
「凛、君がいるからそれが実感できる。だから凛と一緒なら俺はアイツにはならない。アイツは正義の味方に存在意義を見出せなかった。でも俺は見出せる。君がいることによって。それこそが俺の存在意義なんだ」
「し、ろう……」
「だから―――」
激震。耳を劈く轟音。
そして。
突然扉ごと壁面が崩れて―――霧生朱美が姿を現した。
「だから、あなたを止める!その結果殺してしまうことになってしまおうとも―――。
それが俺の『正義』だ!!」
見下ろす彼女は何も言わず、只人在らざる殺意を放つのみ。
言葉は要らない。ならば後に残るのは戦いだ。
さぁ、決着をつけよう――――
.......to be continued
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