3/refusal
 落ちる。
 落ちていく。
 限りない闇の中に墜落していく―――否、それは間違いだ。
 ―――感覚が無いのだから、本当に落ちているのかわからない。
 落ちているのか、昇っているのか、それともただ漂っているだけなのか。既に定かではない。
 目に広がるのは闇、闇闇闇闇闇闇―――
何も無いだけという、正真正銘の純粋なる『虚無』。
 手足の感覚すら無いこの空間において、自らを繋ぎとめるのは確固たる自己意識のみ。だがソレすらも少しでも気を抜いたら目の前の虚無(ヤミ)に呑まれてしまう。
 どうしてこんな所に居るのか、胡乱な意識は考えようとするが、既にその意識は風前の灯だった。
 虚ろな自意識(じぶん)は、意識することも無く、目の前の闇に埋没する―――その時

 見えないはずの瞳は、一筋の、微かな光を捉えた。

 感覚がないと理解しているが、それでも必死になって手を伸ばそうとする。そうでもしないと、確実に自分の意識は四散してしまうだろう。
 ―――それは、死と同意義だ。
 光の先には何かがある(・・・・・・・・・・)
 何故か、だが確かに―――俺はそのことを理解していた。
 ならば、あの光を越えた先に、俺が求めるモノがあるだろう。
 ソレが何なのか、わからない。だが確かに『其処に在る』ということはわかる。
 ……自分の求めるモノがわからないのに、其処にあるということだけがわかるとは、なんて矛盾。―――なんて滑稽。
 だが、其処にあるのなら、掴む。それだけが、この虚無の中で唯一自らを保つ方法ならば―――
 相変わらず感覚は感じられない。
 だが、俺は我武者羅に、手を伸ばそうとする。するとその行為に応えるように、光に段々と近づいていく。
 ―――その途中、まるで剥がれていくように、自分の中の何かが削られていった。
 それが生命力なのか何かの機能なのかはわからない。恐ろしいほどの喪失感が、オレを包み込む。
 しかし、進むのをやめれば、目の前の虚無に衛宮士郎は呑まれてしまい、その意識は消えるだろう。
 ならば、為すべきことはひとつ。自分(この身)が全て削り落とされる前に、あの光に飛ぶこむしかない―――!
 それは何者でもない、死ぬわけにはいかない≠ニいう生への渇望そのものだった。
 だから、思うのは唯一つ、『到達』するということだけ。
 
 「雄雄おおおぉぉぉオオアアアアァァ――――――!!」

 ……再び闇に堕ちていく瞬間、その光の果てに―――赤い外套が見えた気がした。

 ―――その男は闇の中、純粋な『死』を引き連れて現れた。

 外灯も何も無い暗い路地裏で、一つ―――否、二つの人影があった。
 一人は法衣を着た蒼い髪の女性。凛としたその姿はこの闇の中においてなお存在感溢れていた。
 しかしもう一人の方はそうではなかった。限りなく存在が薄い。何しろ黒一色なのである。着ている服もジャケットもその髪も。
 唯一目に巻きつけている包帯の白以外は、夜の闇と見事に同化していた。
 法衣の女性が呟いた。
 「血の臭いが濃いですね。あと微かに魔力の残滓が感じられます。ここで犯行が行われたのは確実ですね」
 その呟きに返すように黒い人影が口を開く。
 「そうですね。それに『死』の気配がまだ強く残ってる。行われたのは割と最近……かな」
 「全く……協会が大人しく協力してくれれば、もう少し楽なんでしょうけど。―――人が死んでいるというのに」
 呆れたように肩を竦めた。
 それに黒い人影は苦笑で返す。もっとも目は包帯で隠れてて見えないのだけれども。
 「仕方が無いですよ。俺たちは俺たちでやるべきことをやるしかない。そのために俺を連れてきたんでしょう?」
 「はぁ……なるべくなら、あなたをこんな事に巻き込みたくなかったんですけど。だけどあなたの能力はこの任務にうってつけですし……」
 「わかってますって、先輩。それに無料(タダ)ってわけじゃないんだし。そんなに気を遣わないで」
 その返答に法衣の女性は大声で反論する。
 「だから嫌なんです!! あなたに下手なこと教えると、また腑界林(アインナッシュ)の時みたいに無茶しそうで……」
 その時のことを思い出したのか、頭を抱える。
 それを宥めるように黒い人影は話しかける。
 「まぁまぁ先輩。あの時も一人で何とかなったんだし。大丈夫ですよ。……それに、ほら、近いですよ結界。行かなくていいんですか?」
 「へ……?」
 一瞬呆然とした後、さらに声の音量を増して一喝する。
 「もう、そーゆーことは、もぅちょっと早く言って下さい!!
 ―――はぁ、その日和見主義。相変わらずですね。彼女のことで少し変わったんじゃないかと思いましたが」
 黒い人影は歩きながらも、微笑みを浮かべた。瞳が包帯で見えなくても、そうだとわかるような満面の微笑みを。
 「ええ、何も変わりませんよ。

 ―――俺は変わらず、彼女を愛しています」

 ……微笑みを浮かべたその後ろで、赤面のまま法衣の女性が固まっていた。

 「はぁはぁ……あのバカ、やっぱり―――」
 玄関の靴、居間、部屋、いつもの鍛錬の場所。とりあえず思いついた場所から片っ端から探した。
 そして自分の屋敷をあらかた探しつくした結果、私はアイツがいないことを確認した。
 ということは答えは一つである。
 アイツは夜な夜な噂の殺人鬼を探して回ってるのだ。―――私に黙って。
 多分私を危険な目に合わせたくないとか、そんな理由だろうが……。それが間違いだと、いつ気付くのだろうか。
 自惚れではない確信が私の中にある。
 ―――士郎は全く変わってない。あの聖杯戦争……いや、父親が死んで正義の味方を目指そうとした時から。
 『自分』を全く省みようとしないその性格。否、その性質。
 叶わないと知りつつも、その矛盾に心と体を痛めつけながら、それでも自らの理想へと突き進む。
 その先はもうすでにわかっている。果てにあるのは報われない死と煉獄のみ。
 
 凛―――私を任せた
 
 そうはさせない。約束した。絶対にアイツをアナタ≠ノはさせないと。あの笑顔にかけて、私は―――
 ……どうやらはっきり言ってやらないとわからないみたいだ。あの鈍感頭には。
 だがその肝心の鈍感頭がいない。いくらなんでも遅すぎる。もうすでに六時を過ぎた頃だ。いつもなら朝食を作っていてもおかしくない時間である。
 ふいに朱美さんの言葉が頭をよぎる。
 もしかすると犯人に返り討ちにあったのかもしれないという、その言葉。
 だけど、私から繋がっているレイ・ラインには変化はない。ということは少なくとも今は大丈夫ということだが―――

 被害者は生きたまま頭を食べられている

 「――――――え?」
 何かが、おかしい。あの朝の会話の朱美さんの言葉が妙に引っかかる。
 『生きたまま』頭を『食べられている』?
 ……どうしてそんなことがわかる。

 ただ、彼女は大分抵抗したようね。魔術の跡がくっきり見られるわ

 『彼女』? どうやって朱美さんはあの人ごみの中で性別を確認したのか? 人づて? だとしたら『魔術の跡』とは? 同業者があの中に混じっていた? そんな馬鹿な。 たかだか死体処理にそんな何人も人員を割くわけが無い。 何故それで『鍼使い』だと断定できる? それに――――――

 ―――そういえば、士郎君は大丈夫かしら

 何故、あのタイミング、あの時間で、突然士郎のことを『大丈夫』かどうか聞いてくるのだ――――――!?

 がたんっ!

 「!?」
 ふいに玄関の扉が開いたと思ったら、風を叩きつけたような猛烈な勢いで何か、黒い影のようなものが入ってきた。
 黒い影は嘲笑うに私の横を過ぎ去り、階段の上へと着地した。後から思えば、このとき本当に私は遊ばれていたんだと思う。だって彼女が殺そうと思えば私はこの瞬間に絶命していたのだから。
 段上の黒い影と、段下の私。そのまさに見下す側と見上げる側の構図は何か、そのまま力関係を表しているように思わえた。
 「こんにちは、凛ちゃん」
 黒い影は聞き慣れた声でそう言った。その姿は黒いローブを着ているので全体像ははっきりわからない。だが確かにその影は、私が憧れていた女性その人だった。
 「やっぱり、

 ―――今回の連続殺人の犯人は、朱美さんだったんですね」
 
 今朝の言動はどう考えても犯人しかあり得ない言動だった。
 私がそう宣告すると、にたりと連続殺人犯は笑う。
 「あなたなら、そう遠くない内に気付くと思ったわ」
 「まるで自分がわざとヒントになるようなことを言ったみたいな口振りですね……」
 「あら、私はそう言ってるんだけど(・・・・・・・・・・・・)?」
 そう言って笑う彼女の姿は、いつもと何ら変わらない。だけどあの暖かい日常は遠いところにすでにどこかへ行ってしまったんだと、そう私には思えて仕方が無かった。
 私は身構える。どんな事情であれ、この状況は至極危険な状態であることには変わりない。
 いつも携帯してある宝石を取り出す。……正直こんな代物でどうにかなるような相手じゃないような気がするが、それでも何も無いよりマシだろう。もしかしたら虎の子の宝石を使うことになるかもしれない。
 「へぇ……意外と動揺しないのね。私ってそんなにどうでもいい存在だったのかしら?」
 「いえ。そんなことはありません。私はあなたを尊敬してますし、家族同然だと思ってました。
 ―――だけどそんなことは関係ありません。私は、魔術師ですから」
 霧生朱美は目を細めると、納得したように溜息をついた。
 「やはり……あの冬木の土地を治める遠坂の血筋だけはあるわね。しっかりと教育が行き届いてるみたい
 ―――けどね」
 瞬間、朱美さんの姿が霞んで消えた。
 「―――っ!!」
 突然すぐ横に人の気配が現れ、咄嗟に振り向こうとする。だがその動作は彼女にしてみれば酷く緩慢なものだったろう。
 「あなたが本当に『魔術師』ならば、私を敵と断定した時点でどうにかしなければならなかった」
 私の腹部に手をかざすと、瞬間魔力が迸り、私の体は後方にある壁に叩きつけられる。
 「がっ!!」
 背中に激痛が走る。こんな激痛を伴ったのは聖杯戦争以来だ。……もっと体を鍛えていれば良かったと今更ながらに後悔した。
 「あなたが私を殺せなくても、私はあなたを殺すことができる。……あなたはまだ魔術師として甘いのよ」
 かつん、かつんと鳴らしながら、私の方へと歩いてくる。その目はどこか軽蔑したような、そんな雰囲気を含んでいる。
 (私が殺すことが出来ない――――――!?)
 それは魔術師たる自分へ向けての明確なる侮蔑だった。
 怒りで、奥歯をかみ締める。余計な思考は切断(カット)しろ。殺さなければ殺される。
 例え、それが如何なる相手でも、敵だというのなら躊躇は要らない―――!
 「っだから、子ども扱いはやめてって何度言ったらわかるんですか!」
 私は立ち上げると同時に、隠し持っていた宝石―――三個ほどに魔力を込めた。そして―――
 「Fixierung,EileSalve(狙え、   一斉射撃)――――!!」
 魔力の塊となったそれらを一気に相手に向けて開放した。まともに喰らえば家すらも倒壊させることが出来るほどの威力を持っいる。これを防ぐことが出来る魔術師はそうそういないだろう。
 だが―――
 「なっ……!」
 朱美さんが手を翳すだけであっけなく虚空へ霧散した。
 これほどの見事な無効ぶりは3年前のセイバーの抗魔力に匹敵するだろう。
 だがそれは有り得ない。あれほどの抗魔力は英霊という規格外の存在だから可能だったわけである。
 なら目の前のこの現象は……?
 「……! 虹色の粒子……! まさか……完全相殺物質、最上級の魔術殺し(マジック・キラー)=\――!?」
 朱美さんの体を包み込むように虹色の粒子が乱舞する。どうやらそれが私の魔術に反応、相殺、打消ししたようだった。
 その虹色の粒子の正体―――それが私の想像通りだとすれば―――
 「当たりよ。凛ちゃん。それは所謂魔術殺し(マジック・キラー)=B最強のアンチ・マジック―――どんな魔術師も魔術師である限り、私には適わない」

 魔術殺し(マジック・キラー)=B
 それは魔術の頂点の一つであり、また同時に魔術師が目指す魔法≠フ正反対に存在する技術である。
 魔術というのは一つの学問である。
 それゆえ、どんなに突飛で不可思議な現象も魔術である限りきちんとした論理(ロジック)が存在している。ならば、プラスがあればマイナスがあるようにどんな魔術でも、それが外界に働きかけるならば必ず反する属性を持つ魔術が存在するのは道理であろう。
 そして同質・同量を持つそれをぶつけるとどうなるか。
 答えは簡単、『消滅』である。
 つまりはそういうこと。魔術殺し(マジック・キラー)≠ニは瞬時に魔術の性質を見抜き、反属性の魔術を構築し衝突させ消滅させるという完全なる相殺魔術(カウンターバランス)である。
 ―――――――理論上は(・・・・)
 かつての魔術史にこの魔術を習得した者が何人いただろうか。6人……3人……いや、もっと少ないかもしれない。
 もしかすると、一人もいないかもしれない。
 何故ならば、この魔術を習得する意味が何も無い(・・・・・・・・・・・)からだ。
 魔術師は何のために魔術を学ぶのか?
 それは世界の真理を得るためであり、それ即ち道をたどり『魔法』へと至るのと同意義だ。
 そのためには一つの魔術を学び、研究し、極めることが重要な要だ。
 故に必要なのは、一つの道を極められるという器。
 ―――だから、何でも出来る『万能』という才能は、等しく何も出来ない『無能』と同意義だ。
 魔術師に求められるのは『究極』という才能のみ。断じて『器用貧乏』ではない。
 魔術殺し(マジック・キラー)≠ニは正にその器用貧乏を体現した魔術だ。
 その性質上、全ての魔術を瞬時に見抜く目そして反する属性の魔術の構築というのは、あらゆる種類の魔術に習得してなければ不可能である。
 それはそれで一つの才能なのだろうが―――だが、それはこと魔術に関していうなら不必要な才能。何かに特化した方が、その道から真理に至れる可能性はずっと高い。
 現に士郎の固有結界、私の宝石剣(まだ設計図段階だが)などが何よりの証明だ。
 おまけに彼女のソレは更に一歩進んだ―――恐らくトップレベルの魔術殺し。
 彼女の身を守るようにして乱舞している虹色の粒子、それは『完全相殺物質』と呼ばれるものだ。
 通常魔術殺しとはその名の通り魔術そのものを相殺、消滅させるものだが、元々魔術とは程度の差はあれ、その大元は魔力であることはよく知られている。
 つまり多かれ少なかれ、魔術によって引き起こされた現象には魔力が含まれているというわけだ。
 ならば、その魔力を魔術から乖離ないし消滅させるとどうなるか。
 魔術回路によって引き起こされた魔術は、魔力によって制御されている。それは私のガント撃ちなどに代表される放出系の魔術とて同じ。
 その制御されるものが消えるということは、結果として魔術は霧散ないし―――消滅する。
 つまり、
 「魔術の完全否定……!」
 そう、その魔術を起動するために必要な魔力を相殺するための、反魔力物質。それこそが『完全相殺物質』と呼ばれる虹の粒子である。
 ――――――魔術師が魔術を否定する(・・・・・・・・・・・)
 故に魔術殺しは在り方として、間違った理論とされている。
 学んだところで、ほぼ全ての魔術にある程度精通する必要があるという敷居の高さがある上に、その先に待っているのは自らが学んでいる魔術そのものの否定しかない。
 それは皮肉以外の何者でもなく、そんなものを学ぶということ自体が酷く滑稽で愚かな選択―――
 だから、魔術殺しを習得した者は魔術を否定する者≠ニいう烙印を押され、ただの魔術使いに成り下がる。
 「そう、私が目指して辿り着いた先は『根源』などではなく、むしろ最も遠いところにある代物だった」
 霧生朱美が何の感慨も無いという口振りで冷淡に呟いた。
 私はその姿に酷く―――何か絶望感のような感情を抱いた。私と士郎と3人で共に過ごした時間は何だったのか。
 何故あえて今という時期にこんな凶行を犯したのか。
 失望、絶望。そして様々などうして=Bそれらが全部ぐちゃぐちゃに混ざり混沌としたスープのようだった。
 「あなたは……一体何が目的なんです? 何で今頃こんなことを……っ!!
 ――――――いつから、いつまでが本当のあなたなんですか!!」
 初めて声をかけてくれた時。右も左もわからないロンドンを案内してくれた時。わからなくて一人唸っていた理論を丁寧に教えてくれた時。士郎と一緒に作った料理を美味しそうに食べてくれた時。
 いつの間にか、自らの抱いてるモノを思い出と一緒に吐き出していた。
 魔術師としての遠坂凛(わたし)が軋んで、砕けそうになる。
 「……あなたが魔術師ならば、そんな問答に意味が無いことくらいわかるでしょう。やはりあなたは魔術師として二流だわ。いつまでが私ですって? そんなことは決まってる」
 あくまで冷静に冷淡に、まるで感情の起伏が無くしたかのような声で、高らかに宣言した。
 
 「私は私。今までも。そしてこれからも――――――!」

 「―――っ!」
 それは最も当たり前の、何ものにも否定できない、この世の真理であった。
 魔術師というその在り方―――
 どんなことにも揺るがず、ただ己の求めるモノのために馬鹿正直に研鑽を続ける。例えソレがどんなに有り得ない、夢幻のような理想だとしても。
 それ故に魔術師は交わらない。
 それ故に魔術師は孤立しない。
 それ故に魔術師は染まらない。
 ――――――夢幻のような理想は交錯せず、ただ錯綜するのみ。
 一見すると矛盾したその在り方――――――そう、間違いなく彼女は『魔術師』であった。
 「だけど、あなたは魔術師であることを捨てた。自らの理想を追い求めた先に、魔術そのものを否定した。
 あなたは一体何を求めているの?」
 その姿を見て砕けそうな私の心を、強引に押しとどめながら言った。何故ならその姿が魔術師ならば、今の私は――――
 「わからない? 魔術師が習得する魔術は理想へと至る欠片。ならば極めたソレは、理想そのもの(・・・・・・)と言えないかしら?」
 すなわち、それは。
 「魔術の完全否定―――世界への『拒絶』……!」
 「そう、私はこの世界を、拒絶したかった」
 
 かつん、と一歩足を前に出したと脳が認識したとき。
 すでに彼女は私の背後に立っていた。

 「私は世界を拒絶するために、世界と繋がることを選んだ」
 その動き、人間というにはあまりにも速すぎて
 「矛盾しているとわかっていても、それが真理である以上私は進む」
 それは正しく、バケモノ以外の何者でもなかった。
 「―――それが彼女≠ェ示してくれた道だから―――」

 「っ!!」
 刹那、身の危険を感じて急いで身を伏せた。
 次いで、頭の上を風切り音と共に、何かが通り過ぎる。それは認識することが出来る許容量ギリギリという尋常ではない量の魔力の塊。
 「くっ――――!?」
 その圧倒的な魔力の塊が、私の頭の延長線上にあった玄関ドアに直撃・破砕する。もちろん玄関のドアを無くなったら外から丸見えだ。こうまで大々的に魔力を使えば、幾らなんでも協会も黙っていないだろう。
 そう思って、外を見ると、愕然とした。
 自分は室内にいるはずなのに、玄関ドアの先に玄関が見えた(・・・・・・・・・・・・・)
 「助けを求めようとしても無駄よ。メビウスの輪による結界……破られるはずが無いわ。魔法使いでもない限り、ね」
 「そんな……いくらあなたでもこんなことが出来るわけが無い!! 平行空間の多重起動なんて、それこそ『宝石の翁(ゼルレッチ)』でもないと不可能だわ!」
 これが彼女が幾ら魔術を使い人を喰らっても協会に察知されないという手品の種。しかしこんなことは一介の魔術師には不可能。完全に魔法の領域だ。
 彼女が例えあらゆる方面に長けていようとも、こんな芸当は出来ないはず。だったら――――――
 「朱美さん……あなた、もしかして協力者がい……」
 「それはあなたが知るところではないわ」
 「!!」
 再び知覚することが出来ない神速の速さで、私の目前へと迫り――――その人間を遥かに超えた威力を秘めているであろう拳は完全に私の頭部を捉えていた。
 (間に合わない―――!!)
 今度は先ほどとは比べ物にならないスピード。そんなのを私には避けられるはずも無く―――
 「ぐ……が……!!」
 辛うじて防御した私の右腕を無慈悲に砕いていた。
 衝撃が体を駆け抜ける。それだけで体中のあちこちが軋んで、失神寸前の痛みが奔った。
 恐ろしいのはこれが彼女にとって、何気ない一撃だということだ。私の方は魔力を込めて、全身全霊の防御でこの様。
 圧倒的な戦力の差―――私はその事実に今更ながら愕然とした。
 「理解した? これが私とアナタの差。アナタと私は決して対等ではないことを覚えておいて」
 痛みで膝を突く私を見下ろすように語った。それはまるで、私に対する死刑宣告のような―――

 「士郎……は……?」
 それは私が死ぬと認識したとき、ほとんど無意識下で吐いた言葉だった。
 「………? あなた、自分がどういう立場か分かっている? 他人のことを気にしていられる状況?」
 彼女の言っていることは分かる。今の状況では他人のことを考えている余裕など無い。
 ―――だけど思ってしまった。考えてしまった。朝の会話、そしていつまでも帰ってこないという事実。士郎の身に何か起こっていて、それに彼女が関係しているのは明白だった。
 もしかすると、彼はもう――――――
 そう考えただけで、自分の死よりも恐怖を感じる自分がいる。
 (ああ―――私はこんなにもアイツにぞっこんだったんだ)
 そうだ。だからこそ一人で事件を解決しようとすることが許せなかったんだ。アイツの思考(なか)で私は巻き込みたくない、『関係ない者』として処理されるのが堪らなく嫌なんだ。
 (私はやっぱり、魔術師に向いてないのかな……)
 こんな状況なのに、思わず自嘲し笑みを浮かべた。
 「―――……まだ死んでないわ。でも、それだけよ。今アナタが死んで、その後に彼が死ぬ。
 つまり、『死ぬ』という事実は変わりないわ。ましてや彼がここに来るなんてあり得ない。この次元とはずれた∴ハ相空間に放りこんだのだから、自力で脱出など不可能だわ。それはあなたが良く分かっているでしょう?」
 それでも、まだ死んでないことに私は安堵した。まだ死んでないのなら、希望はある。それが何億分の一であろうとも生きているのなら助かる可能性がある。今ここで確実に死ぬであろう私と違って―――
 「無意味よ。あなたが感じているその安堵感は―――偽り。断ち切ってあげるわ、その想い。あなたはここで死んで私に喰われる。それでお終い、あなたの人生も士郎君への想いも、全て」
 そう言って彼女は私の心臓に手を当て、その体を地面に押し付けた。所謂マウントポジション……逃げ場は、無い。
 (朱美さん……それを、この想いを無意味と―――偽りと感じるのは、アナタが本当の自己≠持っていない、何よりの証拠よ……それにあなたはいつ気付くの……?)
 「―――さよなら、凛ちゃん。あなたは最後まで、ちゃん付け≠フ『子供』に過ぎなかったわ」
 彼女の手のひらから魔力が迸り、遠坂凛は絶命した――――――




 ――――――はずだった。
 それはまるでスローモーションのように私の目に映った。
 朱美さんの掌から魔力を感じる一瞬、本当にわずかな、刹那の時―――世界が割れる(・・・・・・)音が聞こえた。
 次いで聞こえたのは、聞こえるはずの無い、来るはずの無い声―――それはかつての弓士を彷彿させるような―――

 ――――――偽・螺旋剣(カラドボルグ)=Aという呪文(こえ)

 そして床に這い蹲るように押さえられている私の上を―――朱美さんの右半身を貫いて<\レは通り過ぎた。
 「っぁ―――――ああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああ――――!!」
 人外の化け物そのままの絶叫、吹き出る血液と飛び散る肉片の中で、弓を番えている―――――
 
 「し……士郎……?」
 
 衛宮士郎の、姿が見えた。
 ――――彼は世界を切り裂く割れ目を背にして、ただそこに在るのが当たり前のように、立っていた。

 

.......to be continued

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