2/time out
 人と人の出会いというものに種類があるのならば、大きく分けて二つあると、俺は思う。
 ―――その人にとって幸せな出会いか不幸せな出会いか、である。
 彼女……霧生朱美との出会いは、俺にとって―――いや俺たちにとってはどうだったんだろうか。
 最初の三年間だけをいえば、間違いなく前者といえるだろう。それはもう間違いなく。
 しかし彼女と別れたあの夜を思えば、それは不幸だといえるのではないか?
 少なくとも、彼女にとって俺たちとの出会いはそうであったはずだ。
 前日の夜。あの時、もっと彼女のことを理解していれば、あんなことにはならかったのではないかと。
 ―――あんな悲惨な分かれ方には、決して。

  十月十七日 午前一時二十六分 ベーカー街にて

 じゃり。

  「!? 誰だ!」
 突然の足音。
 思考の深きに落ちていた彼は、突然の出来事に身構える。
 そうして、足音がした方向に目を向けると、そこには、
 「や、士郎君」
 暢気な声をかけながら、いつもの姿で霧生朱美は立っていた。

 どこか、歪な笑みを浮かべながら。


 十月十七日 午前五時四十七分 ウエスト・エンド十字通りにて

 その日の明朝、遠坂凛は大英和博物館からの帰り道にあった。
 「ったく、ルヴィアのヤツ……。本一冊くらいでぐだぐだ言わないでよね。主席になんて興味は無いけど、アイツにだけは絶対負けたくないわ」
 一人愚痴る。彼女は昨晩必要な魔術書を、大英和博物館の図書館から借りようとした。
 が、借りようとした本が、主席争いしているルヴィアゼリッタと被ってしまったのが拙かった。
 主席争い、ということからもわかるように、二人の仲は犬猿というのにも当てはまらないほど最悪である。
 衛宮士郎曰く『あくまっこ仲間』。
 そんな彼女たちの言い争い、その攻防は旧ソ連の冷戦を思わせるほどの神経戦と化す。一見すると何でもないような世間話だが、ふたを開けてみると地獄の閻魔も裸足で逃げ出すような舌戦である。常人ならば再起不能になりかねない。
 夜を徹しての徹底抗戦の結果―――手元にある魔術書が証明しているように―――軍配は遠坂凛にあがったようだ。もっとも、本人は納得していない様子であるが。
 そうこう考えているうちに、いつもの曲がり角に来る。
 だが、そこはいつもの雰囲気ではなかった。
 「……? 何かしら、あの人だかり」
 不審に思い、徹夜の疲れを感じさせない足取りで人だかりに近づいていく。
 すると見慣れた顔が人だかりの中にあることに気づいた。
 「朱美さん」
 ショートの黒髪をたなびかせながら、振り向いたその人は遠坂凛の憧れ、霧生朱美だった。
 「凛ちゃん」
 凛の存在に気づくと朱美はやや沈んだ面持ちで微笑んだ。まるで、とても嫌なものを見たような顔で。
 その様子に訝しく思いながらも、その理由を凛は尋ねる。
 「一体何があったんですか?」
 最初は単なる交通事故だろうと思ったが、人々の反応からどうやらそんな単純なものではないらしい。そう、彼らは信じられないような顔で口々に話している。
 曰く人垣の中心にあるのは――――
 「聞いての通りよ。そこにあるのはまともな死に方をした人間の死体じゃないの。生きたまま頭を食べられている(・・・・・・・・・・・・・・)
 "被害者は何れも魔術師だ=@
 昨日の士郎の話を思い出す。連続魔術師殺人事件―――それに新たな死体が仲間入りしたということか。凛はそのように自分の中で処理をした。
 しかしこの件は魔術協会が隠蔽しているはずである。このように一般人に見つかる前に、何らかの対策を打つだろう。
 「協会は?こんなに騒ぎが広がったら、もう隠蔽は不可能なんじゃないですか?」
 「実は私が協会から派遣された魔術師だったんだけど……来た時すでにこんな状態だったの。もうどうしようもないわ」
 朱美は大きく溜息をついた。それを横で見ながら、凛はあごに手をやり、考える仕草をする。そしてふと顔をあげて一言、
 「被害者は特定できているんですか?」
 と尋ねた。
 朱美はそれに首を振って答える。
 「何せ首から上が無いから……。被害者の特定は、ぱっと見じゃわからない。ただ―――」
 一度言葉を切った。早く答えを知りたかった凛は、急かすように言う。
 「ただ?」
 「彼女は大分抵抗したようね。魔術の跡がくっきり見られるわ。それから察するに『鍼使い』の一派だと思うけど……」
 ―――『鍼使い』。学院が誇る魔術師の一人。本人かその弟子か―――何れにせよかなりの実力者だ。
 その実力者が抵抗したにも拘らず殺されているという事実。それは凛に寒気を感じさせるのに十分な内容だった。
 そういえば―――
 「これから一人で出歩くのは注意したほうがいいわ。あなたも襲われるかもしれないからね。
 
 ―――そういえば(・・・・・)、士郎君は大丈夫かしら……」
 
 そう、士郎だ。昨日彼はどんな顔でこの事件のことを話していただろう。
 頭に、あの決意を乗せた瞳が浮かんだ。彼が何を考えているなど、火を見るより明らかではないか―――!
 「あの馬鹿―――!」
 「早く行ってあげたほうがいいわ。無事ならそれでかまわない。だけど万が一……」
 「朱美さん!私急いでますので、これで―――!!」
 凛は続きを聞きたくないとばかりに、脱兎の如く自分の屋敷へと向かって駆けていった。
 その姿を朱美は見続けていた。
 周りの人々の狂騒の中で、一人微笑みながら。

 十月十七日 午前零時三十八分 ベーカー街にて


 「ここは……異常なし、か」
 夜の暗闇の中、外灯も碌に無い狭い路地で衛宮士郎は呟いた。
 ―――犯人は一体どういう手段で殺戮を行っているのか。
 一度、目の当たりにしたのにも関わらず(・・・・・・・・・・・・・・・・)、彼はその仕組みが何なのか、未だわからないでいた。
 昨日凛に話した噂……大方は正しいが、あれには嘘が含まれている。
 所詮噂話に過ぎない=\――これは嘘だ。彼にはただの噂話ではないことを知っていた。
 本当は話したくなかった。巻き込みたくなかった。聡明な彼女のことだ。すぐに自分が深夜犯人を探していることはわかるだろう。だが事件に遭遇してから既に三日以上経つ。話さなければ彼女が危険だ。
 そう、彼は協会ですら発見できないという犯行現場を目の辺りにしている。


 十月十三日 午後七時十二分 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの屋敷にて
 
 その日、衛宮士郎はルヴィアゼリッタの屋敷でいつものように給仕のバイトに勤しんでいた。
 ただっ広い屋敷の掃除が終わり、帰宅しようとする士郎をルヴィアが引き留めた。
 「どうした?ルヴィア。……まだ掃除が足りない場所があったか?窓の桟もきっちり拭いたぞ」
 バイトを始めたばかりの頃、姑のように窓の桟に指を這わせては文句をいう彼女を思い出す。
 何故か顔を真っ赤にして、ルヴィアはそれに反論する。
 「違いますわよっ!そんな昔のことを持ち込まないでくださいまし!!
 ―――はぁ、せっかく真面目な話でしたのに。いいこと士郎、今度から帰るときには私の従者(メイド)を護衛として連れて行きなさい」
 「む。急になんでさ?俺には護衛なんて必要ないぞ。俺の体はそんなにやわには出来てない」
 「あなたのしぶと……いえ、戦闘能力は知っていますわ。だけど事態はそれを上回っているんですの。
 ……手錬の魔術師が既に二人殺されています。私たちの力量など及ばないほどの錬達者が、魔術協会にも気づかれないほど、あっけなく」
 そこにあるのは、いつも凛と言い合っているルヴィアではなく―――宝石の魔術師ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトとしての顔があった。
 ルヴィア曰く協会でも有名な魔術師が二人、何者かに殺されたというのだ。それも極めて特異な殺され方で。何しろ首から上が丸々無いのだ。持ち去ったのか、魔術によって消し去ったのか、何れににせよその理由は分からず、ただ協会は何とか一般人に気づかれずに隠蔽はしたというとのことだ。
 「協会が管理するこの地で、その協会が気づかない殺人?そんな馬鹿な。そんなことは不可能だ」
 「だから不可解な事件ですのよ。実際真偽のほどは怪しいですし。だけどそうは言っても、ここ一ヶ月で行方の知れない人たちは確かに存在します。多分死体そのものは協会が隠蔽したから私達には伝わっていないですけど……。
 もしそれが本当でこのまま殺人が続くとしたら、それも時間の問題ですわ」
 殺人。
 誰か悪意ある者が、罪も無い人達の命を奪う行為。一方的な、傍若無人なまでの略奪行為。
 例え常に死を纏う魔術師≠ニいう罪深い者達であったとしても。
 ―――それは許される行為なのか。看過してもいい存在なのか。

 否
 
 俺の中の『何か』がそう囁く。それは多分、もう一人の自分。
 お前に選択権など存在しない。ソレが現れたのなら、お前はソレを倒さなければならない。そうだろう?

 ――――――なあ、『正義の味方』よ――――――

 そう、この身はすでに剣で(I'm bone of.......)―――

 「―――わかっているさ」
 「え?」
 ルヴィアの困惑している顔に向かって、士郎は微笑んだ。
 「大丈夫だ。確かに外はちょっと暗いけど、まだそんなに時間も遅くないし。それにここから家まで遠くない。いざとなったらここに駆け込むさ」
 「でも……」
 「大丈夫だって。襲われた二人の魔術師って凄腕なんだろ?だったら半人前の俺なんて犯人も襲わないさ」
 そう、他の人を巻き込むわけにはいかない。これは俺の役目。正義の味方の、役目。
 凛にも言えない。言えば自分も手伝うと言い出すだろう。だが彼女は、彼女だけは危険に晒すわけにはいかない。
 「……そこまで言うのなら仕方ありません。だけど何かあったらすぐに私の屋敷に逃げてきてくださいまし」
 「わかってる。……心配してくれてサンキュな、ルヴィア」
 そう言って士郎は屋敷から出て行った。
 ……その後ろでルヴィアは沸騰したように顔を真っ赤にして立っていた。

 それから数時間かけて街中を探し回るが、当然のように収穫は何も無かった。
 走り回ったせいか、息が上がっている。すでに陽は沈み、辺りは暗い闇の中。
 「はぁ――あ。やはり簡単には見つからないか」
 何しろ魔術協会ですら、魔術に関する事件であるのにも関わらず、その感知すらできないのだ。魔術師としては平均以下である自分がどうして見つけることが出来るだろうか。
 だが。
 「諦めて―――たまるか」
 ぎりっと奥歯を噛み締める。このまま犯人を放置しておけば標的が魔術師から一般人に変わることも考えられる。そうなれば被害者は今より格段に増加するだろう。
 それはもう殺人ではなく、殺戮。そんなことは絶対に許しておけない。
 だが―――
 だから殺すのか。百の人を救うために、殺人者とはいえ一人の人間を
 百を救うために、一を切り捨てる。
 それは俺が、何よりも否定したい事実だったのではないだろうか。
 結局お前は『アイツ』と同じ道を往くのか。否定したはずの存在を、今度は肯定するのか
 ―――いや。それは、違う。それだけは、出来ない。
 ならばお前はどうする?お前は、衛宮士郎(せいぎのみかた)は、一体誰を、何から救うのか(・・・・ ・・・・・・・)
 それは、未だ答えの出ない、俺自身の、矛盾(といかけ)
 「だからといって、何もしないでいられるか……!」
 悔し紛れに放ったその言葉は、力も無くただ闇に溶けていった。

 ふと人の気配がした。
 考え事をしている間に、外灯の下を女性が一人歩いている。
 よく見ると、右にあるはずの腕が無い。
 ……隻腕だ。
 だからだろうか、こんなに気になるのは。
 (犯人か……?いや、こんな簡単に見つかるのなら協会も苦労はしないだろうな。それに隻腕では犯行は難しいだろう)
 でも何故か目が離せない。彼女が隻腕だとか綺麗だとか、そういうことではない。何というか、雰囲気が違うのだ。
 士郎は直感的に、
 (この人、魔術師だ……)
 と理解した。
 ロンドン(このまち)では魔術師はそう珍しくない。何せ魔術協会の総本山である。こんな風に町を闊歩する魔術師も多い。自分もその一人である。何ら不思議は無い―――はずである。
 ―――手錬の魔術師が既に二人殺されています
 ふいにルヴィアの言葉が頭をよぎった。心臓がドクンと早鐘のように胸を打つ。
 何か嫌な予感がする。もしかすると彼女は犯人に―――
 (そうだ、彼女は殺人事件が起きていることを知らないのかもしれない)
 そのことを知らせようと士郎は隻腕の女性に近づいていく。
 が、ふいにその背中が見えなくなる。どうやら路地に入ったようだった。
 (あんな狭くて暗い路地に入るなんて……!)
 もし犯人が彼女を狙っているのなら、これほどのチャンスはなかなかあるまい。
 慌てて彼女を追って路地に入る。―――先ほど感じた嫌な予感が、どんどん膨れ上がっていく。
 「あれ?どこにいったんだ?」
 さっきまで見えていたはずの背中が、どこにも見当たらない。
 もしかすると犯人に狙われているかもしれないのに……!
 焦燥感も手伝い、慌てて路地を更に奥へと駆けていく。
 
 ずず…ぺちゃ…くちゃ…

 そのとき外灯も無い路地裏の暗闇の中から、何かを啜るような(・・・・・・・・)音が聞こえてきた。
 否―――それは確かに啜る音だった。
 鼻をつく異臭、この臭いはどこかで嗅いだことが無かったか。
 例えばそれは自分の全てを失くしたあの大火災で。
 例えばそれは三年前に起こった聖杯戦争で。
 そう、この臭いは―――屍体の臭いだ。
 理解した瞬間、ようやく暗闇に慣れた瞳が映し出したのは、犯人に脳みそを啜るように食べられている哀れな屍。
 発見された死体に頭が無いはずだ。そんなものは犯人に、とっくに食べられているのだから―――!

 カチリ、と頭のどこかで音がした。思考が過熱する。熱が移ったように瞳が熱い。目の前が紅く染まっていく。

 許せるのか?―――この光景を。
 許せるのか?―――これを為した犯人を。
 許せるのか?―――事ここに至って何も出来ない自分を―――!

 「投影(トレース)開始(オン)――――!!」
 二十七の魔術回路が起動する。迸る激情を魔力に換え、創造理念基本骨子構成材質製作技術憑依経験蓄積年月それら八節を刹那の時に、だが確かに世界に刻む。
 刻みながらも士郎は駆ける。その手に白と黒の夫婦剣が握られているとき、すでに彼は犯人に斬りかかっていた。
 だがその剣閃は空を切る。
 「くっ!」
 相手はいつの間にか士郎の間合いの外にいた。その素早い動きは獣のソレと違い、知性のある人間の動きだ。だがその行為は狂気染みていて、まともな人間には思えない。おまけに、その顔も姿かたちも黒い外套に覆われて、よくわからなかった。
 だが外套から覗かせる瞳に、怖気を感じさせるほどの狂気が宿っていることだけはわかる。心なしか自分という闖入者に驚いているようにも見えた。
 だがそんなことは関係無い。ただ今はこいつを二度とこんなことが出来ないように切り伏せる―――!
 再び犯人に向かって走り出す。だがそれを制すように黒い影は手をかざした。そして歌うように呟く。
 「―――Comme si c'est l'iris(それは  虹彩の  如く)
 「っ―――!!」
 直感的に剣を前に重ねて、盾にする。直後、虹色の何か(・・)が撃ちだされ、衛宮士郎を盾にした双剣ごと吹き飛ばし、その身体を後ろにあった壁に叩きつけた。
 「ぐぁっ!っ……ま、魔術だって……?」
 直前に口にした言葉は間違いなく呪文だった。ならば目の前にいるこいつは、魔術師ということになる。
 それなのに何故、協会は察知出来ない?自らの陣地で魔術なんて使われたら、察知出来ないはずがない。
 「っ―――結界か」
 ならば答えはひとつ。結界による魔力の隠蔽。それも極めて高度な技術の。
 黒い影は何故か士郎に手を出さず、身を翻して去ろうとする。
 (! 逃がすか……!)
 だがすでに相手は間合いの外。空手ではどうしようもない。
 
 逃がすのか?

 内なる声が聞こえる。
 『ソレ』が目の前にいるのに、お前はそこで地べたに這い蹲りながら、『どうしようもない』と言って何もしないのか
 「―――黙れ」
 『殺したくない』と。そんな言い訳(・・・)をして何もしないのか。より多くの無惨な屍が出ても構わないというのか。
 ―――ならば、お前に存在する意義は
 「黙れって言ってるんだ!!」
 思考が加速する。ここで奴を止めないと、更に被害者が出る。ならばやることは決まっているじゃないか……!
 だが、どうする。距離は四メートル。剣の間合いでは無い。干将莫耶を使うか? 否、あれは精度に劣る。足止めは不可能。ならば、精度と威力に長ける武器を創ればいい。それは何だ?
 ―――『アレ』しかないだろう。
 「――I am the bone of my sword.(我が骨子    は 捻 じれ    狂う。)
 士郎が空の黒弓を引く。否、それは間違い。そこには既に矢が番えられている。
 それは、無いだけで、そこに在る。
 魔術の起動を察知したのか、影はこちらのほうを振り向こうとする。
 だが―――遅い。
 既に切っ先は影へと向けられている。後は、真名を開放し番えている指を離すだけ。そう、その真名―――
 「疾れ、

 ――――――偽・螺旋剣(カラドボルク)=v

 瞬間、世界が停止した。錐揉みながら空気の断層を切り裂く、穿孔の矢。それは確実に黒い影を切り裂くだろう。
 距離僅か四メートル。この距離で音速に肉薄する矢を、どうして避けることが出来ようか―――!

 ―――刹那、虹色の閃光が世界に満ちた。

 「!?」
 次いで、音と衝撃が怒涛の波のように押し寄せてきた。身体を揺さぶる大気の振動と鼓膜が破れるかと思うほどの爆音。
 その最中、確かに見た。偽・螺旋剣(カラドボルク)≠ェ黒い影に命中する直前、回転する虹色の矢(・・・・・・・・)を。
 (偽・螺旋剣(カラドボルク)≠相殺したっていうのか……!?)
 その一撃、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)≠ニも呼ばれる一撃を―――ある程度手加減しておいたとはいえ―――寸分の狂いもなく破砕した。
 あの虹色の塊は、それほどの威力を持っているというのか。
 (いや違う。あれは最初からそういうもの(・・・・・・)なんだ)
 つまり『破壊』の魔術ではなく、『相殺』が目的の魔術。
 ―――まさかこんな魔術を使われるとは……!
 視覚と聴覚が復帰したとき、すでに黒い影はなく、あるのは頭部を喪った無惨な屍だけだった。
 襲い来る後悔。
 (どうして俺はこうなんだ……!)
 内なる声が、罵倒する。
 だから言っただろう? これはお前が躊躇したせいだ。何の躊躇いもなく、殺しさえしていればなんら問題は無かった。
 ―――次に犠牲者が出るのなら、それはお前が殺したも同然だ、衛宮士郎
 五月蠅い。そんなことはわかってる。だけど、お前の言うことには決して肯定なんてしない。してやらない。
 そうだ、俺がやることは只一つ―――
 「逃がした責任は俺が取る。文句なんて、言わせない。言わせるものか……!」
 鉄のような決意を瞳に乗せ、惨劇の路地を後にした。


 十月十七日 午前一時二十三分 再びベーカー街にて

 「これで、六か所目……」
 外灯の下、息を弾ませながら衛宮士郎は膝をついた。
 今晩だけで既に六ヵ所もの場所を探している。が、しかしその結果はあまり芳しくなかった。
 それも当たり前か、と士郎は思う。何しろ魔力すら感知できない相手を、勘だけで広いロンドンで探しているのだ。早々簡単には見つからない。
 だが、協会すら感知出来ない犯人を――偶然とはいえ――目撃しているのだ。これは恐らく偶然ではないという確信があった。だからこうして探していれば、もう一度遭遇することが出来る。そう踏んでの探索だったのだが―――
 「いい加減にしろよ、畜生め……」
 幾らなんでも、時間が経ちすぎだった。あの遭遇は必然ではなく、単なる偶然だったのだろうか。ならばいずれ被害者が―――凛やルヴィアが襲われる可能性も少なからずあるだろう。
 焦る。
 あの時、逃したのは俺なのだ。少なくともこれ以上の殺人を止められたはずだ。そう、何の躊躇いも無く、最短距離で急所をぶち抜いて、
 ―――相手を■してさえいれば。
 「だけど、それは」
 食い違い、撞着、合わない辻褄―――どうしようもない、その矛盾。
 脳裏にちらつく、赤い外套。
 (俺は、お前とは違う……!)
 だが、どこが、どのように違うのかわからないのが、今の彼の現実だった。

 じゃり。

 「!? 誰だ!」
 思考の深きに落ちていた彼は、突然の出来事に身構える。
 そうして、足音がした方向に目を向けると、そこには、
 「や、士郎君」
 暢気な声をかける、霧生朱美の姿があった。―――どこか歪な笑みを浮かべながら。
  その姿に、ひどく違和感を覚えた。彼女の姿はいつもと何かが違うような気がする。
 (……気のせいさ。それよりも)
 「どうしたんですか? 夜遅くにこんなところをうろついちゃ危ないですよ。朱美さんも自分で言ってたじゃないですか」
 「危ない? どうして?」
 「え? だって朱美さんも知ってるでしょう。魔術師連続猟奇殺人事件のことを。犯人に襲われるかもしれませんよ? 特に犯人は優秀な魔術師ばかりを狙っているように思えますか…ら……?」
 突然朱美の様子が変わった。俯いてるその姿は笑いを堪えているようにも見える。
 「く……くく………っあーははははははっ!! 士郎君!?
 
 一体誰が、誰に襲われる(・・・・ ・・・・・・)って!?」

 「っ――――――!?」
 爆発音のような笑い声。酷すぎるその違和感に寒気を通り越して怖気を感じる。本能が全力で警鐘を鳴らす。
 この女は知っている霧生朱美と違う、何か別の危険な代物だと―――!
 「お前は……誰だ」
 思わず心中の疑問を口にする。
 「私は正真正銘『霧生朱美』よ。ふふふ。……ねぇ私が他の魔術師から何て呼ばれているか知っている?」
 「え?」
 場違いなその質問に一瞬戸惑ってしまい、思わず本気で尋ねらたことを考えてしまう。
 そう、彼女のその称号(なまえ)は確か―――
 
 「私はね、『虹彩(アイリス)の魔術師』って呼ばれているの」
 
 あの路地裏で見た虹色の閃光。その呪文。
 「ま、さか―――そんな、こと」
 脳裏をよぎったその考えは、どこか確信じみた思考で、何よりも当然の帰結であった。
 「私はね、私が食べる人にだけ(・・・・・・・・・)こう名乗るの。
 ―――『魔術師喰い(マギウス・イーター)』と。
 魔術師という他人の存在を糧とし、自らの器を拡張させる者」
 「――――!?」
 士郎が何かを言おうとする刹那、朱美の瞳に魔力が灯る。
 (ま、魔眼―――っ!?)
 動揺していた彼はいとも簡単に、『魔術師喰い(マギウス・イーター)』の魔眼に取り込まれてしまった。
 「沈みなさい。意識の底すら越えて、自らの源流まで。そしてあなたが繋がったところで食べてあげる。
 その間に凛ちゃんでもいただきましょうか。
 彼女一人だけ残すのも忍びないからね。くすくすくす」
 (り、凛……!)
 士郎のその意思とは反対に意識は霞み、世界が暗転していく。
 ほら、だから言っただろう?
 そんな声が、自分の中から聞こえた気がした。

  ***

 夜の闇に、艶やかな紅色の唇が揺れた。
 「そろそろ、ね。ようやく『到達するべき器』を見つけたか。―――終点は近い」
 その唇が、吊り上る。この状況が楽しくて仕方がないとでもいうように。
 「だけど異端排除の埋葬機関が、その重い腰を上げた。そう簡単にいかないかもね。くすくすくす」
 おもむろに立ち上がる。彼女たち(・・・・)を見下ろすその目は、喜悦に塗れた口と裏腹に嘲弄と揶揄の色に染まっていた。
 「『死神』と『到達』……チェックメイトはどちらが早いかしら。  ―――ま、正直どっちでもいいんだけどね」
 
 翻ったその身は、瞬きのうちに消えていた。

 

.......to be continued

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