「何故なのですか、御館様! 何故そのようなことをおっしゃるのですか――聖杯を、諦めるなどと!!」
 極寒の空の下、アインツベルンの城内にその声は響いた。
 絢爛豪華と呼んで差し支えない、まるで物語の中に出てくるような広い謁見の間には、だがしかし今は二人の人影しか見えなかった。
 一人は銀の長い髪をした精悍な容貌の青年。
 そしてもう一人は、銀とは違う白髪の年老いた男だった。
 いつもは厳格である顔は、今は諦観に歪んでいた。
 「リヒャルト、聞け。諦めると言ったのは冬木の地にある、あの聖杯のことだ。何も聖杯そのものを諦めるとは言っておらん。それでは千年という長い時を重ねたご先祖に申し訳が立たないだろう」
 「同じことです!! 今だ、あの地にある聖杯は機能しています。次こそ、次こそ我がアインツベルンが勝利し、聖杯に至ることが出来る! アインツベルンの悲願、『外』への道が開くことが出来るでしょう!! 
 ――なのに、何故そのようなことを!!」
 絶叫ともいえるリヒャルトの声が、空間に反響する。
 アインツベルンの城に、重苦しい諦観の空気が流れ出したのが数日前。
 現当主が出した一つの声明が原因である。
 その内容は『アインツベルンは冬木の聖杯を諦める』といった物だった。
 既に次の聖杯戦争へ向けて動いている中での、その決定。
 当然城内は騒然となった。
 何しろ次の聖杯戦争は近い。準備も佳境に入ろうか、という段階なのだ。
 しかし、その騒動は当主の鶴の一声で収まった。
 当主が持つ決定権も一つの要因ではあるが、最も重要なのはその観測結果だった。
 ――アインツベルンが捉えた冬木の聖杯の波動。それは――
 「あれは既に聖杯であって聖杯ではない。大聖杯の炉心は侵食され、聖杯としての在り方が崩壊しておる。――あれでは、開くことは出来ても入ることは叶うまい。我々は性急過ぎたのだ。いい加減そのことを理解しろ。お前は我が後継候補の一人なのだろう?」
 鷹の目のような鋭い眼光が、リヒャルトを射抜く。
 だがそれに臆することなく、納得出来ませんと首を振った。
 「開くことは可能、と仰いましたね。ならそれで十分ではないですか。入る方法など、手に入れてからじっくり考えれば良いでしょう。あと少しで悲願が叶う。ならば引く理由は何処にもないでしょう」
 リヒャルトはそう言い切った。
 アインツベルンの現当主にここまで物を言う事が出来る人間もなかなかいない。
 だがリヒャルトは、その若さと実力、そして次期当主候補という立場から、自分のことを過信する傾向にあった。
 (これさえ無ければ、かなり有能なのにのぅ……)
 白髪の翁は心中にて、溜息をついた。
 「なればどうする? 確かに今のままであるのなら、近いうち第六次聖杯戦争(ヘブンスフィール6)は起こるだろう。だがそれは本来のものとはかけ離れた、ルールが破綻した聖杯戦争じゃ。それに如何様にして勝ち残る?」
 「……私には、勝ち残れるという自負があります。御館様が、お許しになって頂ければ」
 「ふぅ。ならば好きにしろ。ワシは協力しないぞ。ただしアインツベルンに泥を塗るような行為だけは止めろ」
 「――はい。有難う御座います」
 カツン、と音を立てリヒャルトは踵を返す。
 その後姿を眺めながら、翁は一人嘆息する。
 (果てさて、どうなるか……。どちらにせよ、新たな聖杯を模索せねばならぬだろうな……)
 アインツベルンの悲願は、千年の時を以ってしても、未だ叶わないようだった。

 カツカツと長い廊下を一人リヒャルトは歩いていた。
 (御館は甘すぎる……。ここで弱腰になってはいけない。何としてでも聖杯を我が元に……)
 アインツベルンの者は例外なく、聖杯の入手≠ニいう一つの妄執に支配されている。
 リヒャルトも、その例に漏れてはいない。だが、若さゆえか、はたまた別の要因か。
 彼は焦燥感に駆られていた。
 現当主のように、長き年月を経てきた故に、物事を長いスパンで見ることが出来ない。
 こと長い歴史を持つアインツベルンにおいて、彼のように若者らしい拙速を尊ぶという人間は少なかった。
 異端≠ニいっても差し支えないだろう。
 ――そう、彼のように
 「今日は、リヒャルト。とりあえず許可を貰えたようで何よりだわ」
 「ふん、貴様か。……『アレ』の準備は終わったのか」
 勝つためとはいえ、外部の人間を誇り高きアインツベルンに招き入れるという行為を、何の負い目も無く行えるのは異端以外の何者でも無い。
 黒髪の女性は、ニヤリと笑う。
 「もちろんよ。急造だから強度は安定してないけど、戦闘力だけなら申し分は無いわ」
 「――流石だ、刹那の魔法使い=Bお前は、我々を裏切るような真似はするなよ」
 「当たり前よ。貴方がた――いえ、貴方は私に研究材料を提供する。そして私は技術を提供する。ほら、どう? 完璧な等価交換。裏切る余地は何処にも無いでしょう?」
 クク、と低い声を出してリヒャルトは暗い笑みを、彼女に返した。
 「ああ――そうだな。若し裏切りなんかしたら、これから私が彼にするような事(・・・・・・・・・・・・・・・)を君にも行わなくてはいけない。
 ――そう、衛宮切嗣(うらぎりもの)には罰を与えなければならない。末代まで念入りに、な」
 「聖杯戦争に勝つために?」
 「勿論。聖杯戦争に勝つために、だ」
 リヒャルトの目は、窓から見える雪の降る極寒の空を映す。
 その果てにいるはずの狩るべき獲物を想像して、喜悦の形に口を歪ませた。


4/
 ■届かぬ腕、刹那の夢


 「ごめんな、凛。衛宮の決着は……俺の手で着けたいんだ」
 ベッドから体を起こした士郎は、いないはずの相手に向かって、そう呟いた。
 窓を開ける。
 カーテンがはためき、風が士郎の頬を撫でる。
 ここは二階だが『強化』を使えば飛び降りるのは簡単だろう。
 だが、ここから飛び降りれば、それはある意味死刑宣告と一緒だ。
 ホムンクルスの衛宮切嗣、アインツベルンの聖杯たるリリィスフィール、未だ実力が不透明な魔術師。
 士郎は数時間前、体験した戦闘を思い出す。
 怖気が背筋を凍らせる。
 相手はどう見ても本気ではなかった。戦闘は切嗣一人に任せて、他はほとんど傍観というスタイル。
 そんな状況にも関らず、この様だ。
 士郎は右肩を抱く。
 ――もし相手が本気になったら。いや、本気でなくとも三人同時に襲ってきたら。
 そうなったら、衛宮士郎の結末は確定だ。
 この身は死で彩られることになるだろう。
 体が恐怖で震える。
 誰だって自分の命は可愛い。自らの命をむざむざ捨てる行為などは出来ない。
 (――だけど、他の人が死ぬのは、もっと許されない……)
 自分が何もしなかったせいで人が殺されるのは、どうしても士郎にとって許されがたいことだった。
 まして、それが自分にとって大事な人だったら。
 それが防げるのならば、喜んでこの身を差し出そう。
 (こんな俺を、君は『歪だ』と言うのだろうか……)
 ……次、同じことしたら、今度こそ許さないんだから
 凛の台詞が脳裏に過ぎる。
 それは本気の言葉だったのだろう。
 だがそれでも、士郎は退くわけにはいかなかった。
 それは大切な人を守るために。
 それは己の正義のために。
 それは傍らを寄り添い歩く彼女のために。
 ――それは亡くなった父親の尊厳を守るために。
 怒りがこみ上げる。
 ――――そう、君には父親を越えることなど、出来はしないのだよ
 アイツは言ってはならないことを、言ってしまった。
 うん、しょうがないなから俺が、代わりになってやるよ
 その理想を受け継いだのなら、衛宮士郎は正義の味方にならなければならない。
 親父が夢見て、それでもなれなかった正義の味方に。
 ならば、切嗣を越えることは、衛宮士郎にとって大前提の一つなのである。
 それを明確に切り捨てるために、リヒャルトはわざわざ切嗣をホムンクルスという形であれ、ここまで持ってきたのである。別の目論見があるのかもしれないが、しかし事実としてそうなっている。
 そして、父親によって這い蹲れる様を、侮蔑の目で哂っていたのも事実だ。
 そんな事実を容認できる衛宮士郎という存在ではない。
 アイツは『敵』なのだ。
 アイツを打倒しなけば、前には進めない。アイツの目の前で切嗣を倒して、越えることが出来ないという事実を否定させなければならない。
 リヒャルトは士郎にとっての『敵』であり、日常を蹂躙する『悪』でもあった。
 士郎は、自分の怒りを押さえ込み
 「凛、ごめん……」
 もう一度、凛に謝り窓から飛び降りた。

 アンツベルンの城に向かって、士郎は一人走る。
 立ち並ぶ樹の中を合間を、慣れた足取りで駆けていた。
 さっきまで体を支配していた恐怖は、不思議と無くなっていた。
 慣れてしまったのか、それとも麻痺してしまったのか。どちらにせよ助かった。恐怖という感情は戦闘において最も危険な感情。これから戦いが起き得るという状況において、それでは不味い。
 思考はクリア。身体は――左肩に多少の違和感と痛みがあるが、銃弾で撃ち抜かれたのだ。この程度で済んでいるのは僥倖と言えるだろう。問題ない。
 ――いける。
 確かに相手は強大だ。だが、全く敵わないわけでもない。
 その理由、つまるところ『油断』だ。相手は自分のことを舐めている。――自分が勝つとしたら、そこに付け入るしかない。
 まずはホムンクルスである切嗣をぶつけてくるだろう。
 確かに『固有時制御』を繰る切嗣は半端なく強い。思考も感情もない戦闘人形の正確無比な銃撃は脅威そのものだ。だがしかし、同時にそれは弱点でもある。
 正確無比な故に行動は読みやすい。冷静に対処していけば打破は可能。詰め将棋と一緒だ。状況に対して最善の手を打っていけば、導かれる答えは『詰み』。
 士郎はそう思い、駆ける足を速めた。
 ――言うなれば、それは自分との戦いだ。
 三年前の剣戟が脳裏に蘇る。一つの結末。
 つまりこの戦い、アイツとの勝負に勝った自分にとって負けるわけにはいかない。
 まずは切嗣を打倒し、その後に――あの不快な男を倒す。
 アインツベルンの魔術師とはいえ、戦闘能力に関しては切嗣以下だろう。少なくとも切嗣以上とは思えない。相手はあくまで魔術師。接近戦に持ち込めば、こちらに分がある。一対一ならば、打倒は不可能ではない。問題は――
 そこまで思考し、一つの違和感に突き当たった。
 あのリリィスフィールという少女。
 一体、何故ここにいるのか(・・・・・・・・)という疑念。
 アインツベルンが自分に執着する理由は、分かる。
 ロンドン――魔術協会で聞いた切嗣の噂。その名、世界に轟く『魔術師殺し』がある時期を境に、ぱったりと消息を絶ったというのだ。
 取るも足らない噂が飛び交う中で、一つ気になるものがあった。
 ――『魔術師殺し』衛宮切嗣はアインツベルンに気に入られ、その傘下に下ったと。
 結果、それは真実だったのだけれども。しかし切嗣はアインツベルンを裏切った。
 聖杯に手が届いたのにも関らず、切嗣は自分の判断で破壊した。それは確かにアインツベルンにとって裏切りの何者でもないだろう。
 そのアインツベルンが衛宮の名を継ぐ、更には前回の聖杯戦争の勝者である自分を排除しようとするのは分かった。むしろこの三年間、何もリアクションを起こさなかったのが不思議だ。
 そう考えると、今の状況は半ば焦燥感が先走っているように見えるが――なればこそ、余計に彼女がここにいる理由が噛みあわない。
 確かに聖杯として生み出されたリリィスフィールは強大だろう。自分がアインツベルンの『切り札』であるとも言っていた。
 そのリリィスフィールが何故この時期に、わざわざやってきたのか。目的は裏切り者の息子である自分の殺害――何故彼女でなければならないのか(・・・・・・・・・・・・・・・)
 確かにそれを言うならば、わざわざ次期当主候補が出てきたのにも疑問が上がる。だがそれ以上に違和感が強い。
 リリィスフィールはイリヤスフィールと同じように本来聖杯戦争『専用』に調整されたホムンクルスのはずだ。――イリヤスフィールの、あの全身に刻まれた令呪が如実に語っている。
 だからこそ、こんな瑣末ごとにわざわざ日本まで出張る理由が無い様に思えるのだ。こっちは未熟者とはいえ、魔術師との戦闘だ。万が一を想定しないほど、アインツベルンも愚かではあるまい。折角、用意した切り札を戦争前に無くすような愚は、最も避けるべきではないのだろうか。
 つまり、ここから推測される違和感の正体は――
 「不透明な理由の位置づけ……か」
 聖杯戦争すら蔑ろにする『何か』がアインツベルンとリリィスフィールのどちらか――両方にあるということ。三年間、何のリアクションが無かったのにも関らず、此処に来て拙速ともいえる反応を見せているのは、その理由もあるのだろう。それが何なのかまではわからないが……。
 そこまで士郎は思考し、ふと思い立つ。
 アインツベルンの理由は、まだ聖杯戦争のため≠ニ理解出来るものだ。だがもう片方、リリィスフィールの理由が不明だ。
 (イリヤスフィールの敵討ち……か……?)
 だが、その理由は弱すぎる。復讐というのは、とかく向かっていく敵意(エネルギー)が物凄い。『親の仇』なんて言葉もあるように、もし自分に向かってくるのだとしたら、ソレに気付かないほど弱い感情ではない。そもそもイリヤスフィールを衛宮士郎が直接殺害したわけではない。――防ぐことが出来なかったのは、否定のしようが無いが。
 復讐ではない。だとすれば、彼女が衛宮士郎に執着する理由とは一体……。
 思考し、その果てに――士郎は遂に其処に辿りついた。
 「もしかして、親父……アンタなのか――――」
 思えば、イリヤスフィールも自分に、どこか執着を持っていたように思える。聖杯戦争の前後のやり取りを思い出す。
 イリヤスフィールとリリィスフィール。冬の双子が衛宮士郎に執着する、その理由。
 リリィスフィールが従える、わざわざホムンクルスの源として切嗣を選んだ要素の一つ――それらが全てアインツベルンに下ったという衛宮切嗣に収束していく。
 「アンタは一体、彼女達に何を残したんだ……」
 果てぬ疑問に解は無く。
 衛宮士郎はアインツベルンの城跡に一歩踏み込んだ。

 カツン、という足音の響きをリヒャルトは聞いた。
 信じられないといった表情。目を見開き、そして顔を上げる。
 その視線の先には
 「本当に独りで真正面から来たというのか……!? ははははははははっ! まさか本当にリリィの言ったとおりになるとはな。本当に独りで来るとは思わなかった! どうかしているぞ。――ああ、認めよう。その狂人ぶりだけは父親を凌駕しているとな」
 侮蔑の視線の先には――独り臆することなく仁王立ちしている衛宮士郎の姿があった。
 「――判っているさ。だけど、それでも譲れない物があるんだ。だから俺は此処にいる……!」
 その独白とも言える台詞に、リヒャルトは大袈裟に、まるで舞台の上で演じているが如く言う。
 「その判断は正しいぞ、衛宮士郎。私は、お前の日常を蹂躙したくてウズウズしていたところだ!はははははははっ!!」
 高々に宣言する笑い声が、くすんだ城内に響く。
 ――その声を遮断するかのように、リリィスフィールと共に衛宮切嗣が、まるで幽鬼のように現れた。
 (リリィスフィール……!)
 士郎は彼女のほうを向いた。その動作にリヒャルトは不快気に眉根を寄せる。
 「リリィスフィール……お前の目的は一体なんだ。――何のために『衛宮』士郎を殺そうとする。お前と親父の間に何がある(・・・・・・・・・・・・・)!?」
 ぴくり、とリリィスフィールの挙動が、刹那止まる。
 リリィスフィールの反応に、士郎は何かある≠ニ確信した。
 「ほう。自力で其処に辿りついたか、衛宮士郎。お前もあながち馬鹿では――」
 「何も無い(・・・・)
 声を遮るように、冬の少女は断言した。決して言われたくないと、その蓋を開けてはならないという表情で。
 ニヤリ、とリヒャルトは哂い
 「さぁ、闘いを始めよう。我らアインツベルンが聖杯を手に入れんがために。過去の因縁を断ち切るために」
 一つの宣言した。
 闘いが、始まる。



 だん、と士郎は大地を蹴り出し、一歩を踏み出す。
 銃弾が身体を掠める。
 (――っつ)
 想定以上に反応が早い。やはり一度目は手加減していたか、と舌打ちする。
 自動式拳銃(オートマチック)の銃口がこちらを捉える。
 それが火を噴く前に、一度目と同じように瓦礫に身を隠す。
 だが、そのままでは二の舞だ。同じことの繰り返し。このような瓦礫では一秒とて身を守ることは出来ない。
 士郎はそのことを理解したうえで
 「同調(トレース)開始(オン)
 瓦礫に手を添え、呪文の詠唱を開始した。
 切嗣は瓦礫の壁を砕くために、銃の連射を開始する。その速度は正に神速。本来なら崩すのに秒もかからない作業。だがしかし
 壁は崩れるどころか、銃弾が貫通すらしなかった。
 そのことにリヒャルトが驚きに目を見開く。
 「『強化』の魔術……面白い芸風だな。なるほど、風変わりな『投影』といい『強化』といい真っ当な魔術師ではないということか。それが、聖杯戦争を生き抜いた要因か」
 その様は、どう見てもこちらを楽しんでいる。士郎が思ったとおり、自らはあくまで傍観者に徹しようというのだ。
 (――なら、今がチャンスだ)
 こちらの強度を読みきったのか、無駄な弾は消費しまいと銃撃を中止する。
 だが、その間隙を縫い
 「同調(トレース)開始(オン)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)……!!」
 ぎちりと並んだ十の撃鉄。それらを一斉に、落とす。
 宙に浮いた十本の大剣(バスターブレード)が、敵に向かって刃を走らせる。
 ご、と空を切り疾走する十の刃、それを
 「Singen Sie(うたえ)
 更に上回る速度でホムンクルスは回避した。
 銃口が、上がる。
 ――それを更に上回る速度で、丘から剣を引きづり出す。
 幻想し結ぶは、かつての狂戦士。圧倒的暴力を担うに相応しい、削岩の斧剣――――!
 「おおおおおぉおおっ!」
 雄たけび一つ、そのまま記憶にある狂戦士の剣戟をなぞるように、斧剣を叩きつけるように振るう。
 地面が割れる。
 砕けた破片が宙を舞う。
 かしゃん、と音一つ。最早原型を留めないほど破砕された自動式拳銃(オートマチック)が、地面に落ちた。
 同時。
 剣を振るってから、秒も経たないうちに銃声が鳴った。
 だが、士郎は既に知っていたかのように――身を捻り、斧剣を壁に咄嗟に防いだ。
 ガンという音が壁越しに士郎は聞く。音の余韻が響く前に、動いた。
 ――いつの間にか正面に回っている切嗣を、迎撃するために。
 「同調(トレース)開始(オン)
 脳裏に浮かぶ設計図は、光り輝く稲妻。フェルグス・マク・ロイが持っていたされる魔剣。

 一閃。

 硬き稲妻(カラドボルグ)≠ェ名の役割を執行しようと雷光の如く速さで切嗣へと――
 しかし残像すら許さぬ更なる速さで、回避しようと――
 (狙い……)
 ――そうして、切嗣の左手ごと回転式拳銃(リボルバー)を撃ち貫いた。
 (通りだ!)
 一連の戦闘動作が終了したとき、士郎の顔に笑みが浮かんだ。
 パチパチ、と不釣合いな拍手が城内に響いた。
 「いやいや、ここまでやるとはな。なるほど拳銃さえ破壊してしまえば、アドバンテージは消え、対等の立場になる……とそういうことか。いや、剣の投影が可能な分、君の方に天秤が傾く……」
 無手となった切嗣が、目の前に佇んでいる。
 この機会を逃さんと、士郎は両手に黒白の双剣を顕現させる。
 斬りかかろうと一歩踏み込んだところで
 「――とでも思ったのかね?」

 無理やり姿勢を変え、双剣を攻撃から防御に転化させた。

 「が――――っ」
 正拳。
 唯一視認できた事実はそれだけ。切嗣の右腕から士郎の鳩尾まで一直線に伸びるように撃ちだされた拳。衝撃は双剣を貫き、士郎へ届く。
 体勢が崩れる。
 危険と感じ、しかし五感が切嗣のスピードに追いつかない。ほとんど直感のみで、二撃目の左ストレートを防ぐ。
 ガキン、という激突音が一つ衝撃と共に響く。
 的確に急所を狙っている一撃。そして、その威力。
 (っ――冗談じゃねぇ!! あの時の朱美さん以上じゃねぇか……!)
 響く衝撃だけで、脳が揺さぶられる。直撃ではなくとも意識が刈り取られそうになる。そこに小手先の技術は皆無。純然たる暴力の塊。技術を必要とする人の身で、其処に付け入る隙間は無い。
 ピシリ、という音を士郎は聞いた。
 (やば――――)
 同時、切嗣は体を沈み込ませる。本来在り得ないはずの空白。それが意味することは――
 (い――――!)
 咄嗟に双剣を重ね、急所を守ろうと防御する。

 ――刹那。それらの防御が全て鏡のように砕け散り、拳は衛宮士郎を貫いた。

 ごほ、と嘔吐物を押し留め、それでもなお込み上げてくるモノを士郎は、血と共に吐き出す。視界が流れる。感覚がふわふわして、とても曖昧だ。
 背中を思い切り壁に強打したときに初めて、吹き飛ばされて空に浮いていたという事実を認識した。
 「ふむ。君はどうやら致命的な勘違いをしていたようだね」
 リヒャルトが楽しくて仕方が無いといった表情で、士郎を見下し話す。
 「君は勘違いしている。アレが君に対しアドバンテージを持っていた部分は、銃を持っていることと『固有時制御』が使えること。――着目するべき点はそんなところではないのだよ、衛宮士郎。ああ、それは実に致命的な思い違いだ。君とアレの決定的な相違点、それは銃を持っていることや特殊な魔術を使えることではないだろう?」
 ふらついた頭を抱え、痛む体に鞭打ち立ち上がろうとする士郎。
 四肢に力を込め、再び干将・莫耶を投影する。
 リヒャルトの戯言は続く。
 「そうだ。君は人間で、アレはホムンクルスなのだよ、衛宮士郎。それが違いだ。人では決して埋めることの出来ない絶対差――つまり『身体能力』」
 「――――っ!」
 未だ衝撃の余韻が消えないうちに、切嗣が距離を詰めていた。
 既に、状況を把握している士郎は、視界に切嗣を確認すると同時。
 白と黒の閃光を走らせた。
 「!?」
 だが、切嗣が手をかざした途端、その斬撃は止まる。まるで時間が止まったかのように(・・・・・・・・・・・・)
 (『固有時制御』!)
 振りぬこうとした運動エネルギーは而して等価に士郎の腕に還り。ぎちり、と筋肉が軋む音が内側から聞こえた。「っぁ」と思わず苦悶の声が零れる。
 その、白と黒の双剣の間から。命を刈り取る拳撃が撃ちだされる。
 頭部へと走る拳を、紙一重ギリギリで避けた。
 「こ、のぉ……いつまでも――」
 振りぬかれた拳。がら空きな頭部への守り。そこに
 「――やられっぱなしだと、思うな!」
 士郎の渾身の蹴りが入る。
 下から上へ。(テンプル)を打ち抜かれ、切嗣の頭部が跳ね上がる。
 常人ならば、そんな衝撃で脳を揺さぶられれば、気絶は必至。場合によって永久に目覚めないこともあるだろう。
 だが、そんな仮定は、この相手には通用しない。
 仰け反った、その体勢のまま。掌底を両の腕から放った。
 士郎は見る。満足に力も入らないはずの姿勢である切嗣と、そこから伸びた二撃が干将・莫耶を砕く光景を。
 ――ニヤリ、とリヒャルトが哂う。
 「遊びは」
 リリィが口元で囁く。それは呪文の詠唱。魔術を、起動させるための(パス)
 世界が歪み、法則が書き換えられ、起こり得ない現象が、此処に召喚される。
 「終わりだ」

 過ぎた刹那、体が動かないことに士郎は気がついた。

 (ぇ……)
 次いで来るのは軋みの音。体の内側から聞こえる崩壊の不協和音。
 そして、最後に襲いくるのは、
 「がぁぁぁああああああああっ!!」
 体が捻じ切れるかと思うほどの――激痛だった。
 体のあちこちが、破壊されている。秒にも満たない刹那に、一体何発打ち込まれたのか、それこそ士郎は知覚すら出来なかった。これで『強化』を行っていなかったならば、確実に絶命していただろう。
 士郎が、ぐらりと倒れる。
 ――だが、そんなものを許してくれるほど、敵は寛大ではない。
 「!」
 辛うじて急所を守るように、腕で防御する。その唯一の防御に
 再び、知覚できないほどの高速な連撃が、打ち込まれる。
 筋繊維が断裂し、骨が悲鳴を上げる。いくら『強化』を施してあるとはいえ限界がある。このままでは腕は崩壊し、そのまま頭部もしくは心臓を破壊され、いずれにしても死が確定されるだろう。
 死。
 (死? 死ぬ? 俺が? こんなところで、何も出来ずに?)
 聖杯戦争でも、ロンドンの事件でも、ここまで明確な『死』を体感したことはなかった。死が常に身近にあったとはいえ、実際に『死ぬ』と確信したということはあったか。
 否。唯一感じたといえば、あのアーチャーとの闘いのみだろう。それにしても、ここまで明確で暗いイメージは無かった。
 思い起こすは、一つの剣戟。
 (――そうだ。こんな、こんな所で、何も証を立てられずに死ぬのだけは――)
 あの剣戟に勝利した自分が、このような所で犬死することなんてことが。

 許されると、思うのか?

 「あああぁぁぁぁあああああああ!!」
 感覚を絞る。幾ら高速といえど、打ってくる拳は全て急所狙い。なら、予測することも可能なはずだ。
 時間が加速した右の拳撃。それを
 ――左の掌で、受け止めた。
 続く右の攻撃。それも予測し、がっちりと受け止める。
 一瞬の拘束。刹那の空白が生まれる。
 人外の怪力を相手の拘束だ。すぐに拮抗は破られ、防波堤は決壊するだろう。
 バキバキと骨が砕けていく。
 それでも、握った拳は決して、離さない。
 何故なら、この瞬間の硬直こそが、衛宮士郎の唯一の勝機だから――――!
 「投影(トレース)――開始(オン)
 僅か一呼吸、そう呟き。
 ――一本の歪な短刀が、姿を現した。
 切れ味が良いとはお世辞にも言えないような、だがしかし禍々さが漂う短刀。
 右手も左手も潰れている現状。その、とてもじゃないが剣など振れること出来ない状況で。
 士郎は、短刀の柄を――自らの歯(・・・・)で固定した。
 ガチリ、と強く噛み込む。まるで巨大な牙。それを、獲物に噛り付くように、振りぬいた。
 それら一連の動作は、正に刹那の時間。例え、『固有時制御』が発動している言えども反応できるものではない。
 ――相手がホムンクルスではなかったら。
 「!?」
 士郎は見た。振りぬく剣が届く前に。そんなことは許さないと言いたげな目と共に、頭突き≠放った。
 近接戦闘の極限といった現状において、最短距離で攻撃できる唯一の手段。
 時間的な加速が付加されたソレを避けれる筈も無く。
 ご、と鈍い音がして衛宮士郎の額が割れた。
 (――――っ!)
 刹那、視界に火花が散り、目の前が白い世界へと堕ちる。
 斬撃が止まる。止まって、しまう。
 全ての意識が削られ、あらゆる思考が漂白されていく。
 流れていく景色。
 あらゆる過去が瞬間の内に再生されていく。
 止まる時間、止まる思考。
 その、白い世界の中で。
 流れて、ただ一つ残った景色は
 未来の自分との剣戟でもなく
 金砂の騎士王との出会いでもなかった。
 ――それは自らの救い。自らの願い。
 ――それは借り物ではなく、唯一自らの裡から湧き出たモノ。

 ――――それは、傍らを寄り添い歩く、彼女の笑顔――――

 「お、――――がぁあああああああっ!!」
 意識に火が点る。たった一滴の燃料が、士郎の中を爆炎となって燃え盛る。
 その原動力。その根源。それは今まで衛宮士郎が欲することを自ら禁じていた感情(モノ)
 生きたいと願う、生への渇望の何モノでもなかった。
 かくして斬撃は止まらず、歪な短刀は一筋の軌跡を残す。
 それは一直線に、切嗣の首筋へと向かうモノだった。
 ズブ、という音を立てて短刀はホムンクルスの首に突き立ち、一つの戦闘がここに終結した。



 まず驚きに目を見開いたのは、切嗣とパスの繋がっているリリィスフィールだ。
 「あ、――くぅっ」
 突如パスが切れた反動に苦悶の声を漏らす。
 だが、そのことよりも驚くべきは、物理的な法則では決して切ることの出来ないレイ・ラインを断ったことだ。
 崩れ倒れる切嗣の首筋に突き立った歪な短刀を凝視する。
 ――あれは魔術殺しの剣だ。否、そんな生易しいモノではない。
 魔力で強化された物体、契約によって繋がった関係、魔力によって生み出された生命を作られる前≠フ状態に戻す究極の対魔術礼装。
 あの切嗣は分類こそホムンクルスであるが、その実、文字通りの『戦闘人形』に過ぎない。
 自己も自我もない、それどころか魂すら存在しない。故に、魔術回路こそあれ、回路を廻す魔力を自らで生み出すことが出来ない。
 大本であるリリィスフィールから魔力を供給されなければ、動くことすら不可能だ。
 故にパスを無効化(キャンセル)されてしまえば、最強の戦闘人形である切嗣であろうとも無力化されてしまう。
 元から在ったものが無くなった喪失感に身が震える。
 だがそれ以上に、彼が為した行為に対する驚愕が上回る。
 あの短刀――あれは現代にあってはならないものだ。
 感じられる禍々しさ。其れは正に裏切りの神性の具現。
 あれこそが、恐らく宝具(ノウブル・ファンタズム)と呼ばれる物質化した奇跡だろう。
 戦闘始めで投影した武具の中にも、その奇跡は混じっていただろう。
 ――なんて、異端。
 宝具という規格外の礼装を投影し、あげく特性すら模倣すらしてまうなんて。
 そんな魔術を使える人間など、彼以外には有り得まい。
 その彼は切嗣を下した今、リヒャルトを天敵が如く瞳で睨んでいる。
 リヒャルトは、そんな異常とも呼べる魔術師を前にして尚、不敵に笑みを浮かべていた。
 ――この状況が楽しくて仕方が無いと言った風に。
 士郎が、一足踏み込む。
 「投影(トレース)開始(オン)
 手に具現するは黒白の双剣。慣れた手つきで、それを構え
 リヒャルトに向かって、一直線に駆ける。
 リリィは苦痛に歪みながら、それでも速度が落ちることなく走る少年を見つめる。
 見つめて、重なるのはいつかの記憶。
 ――ああ、それなら僕は救われるのかもしれない
 重なって浮かぶのは一つの問い。
 お父さんは、裏切ってなんかいないのよ。だから、どうか恨まないで――――
 解を求める想いに、応えは無い。

 士郎は走る。
 手に馴染む双剣を持ち、『敵』へと向かって。
 ――まずはアイツを黙らせる。そして、アインツベルンの事情を、聖杯戦争の情報を引き出す……!
 思考の流れはスムーズ。切嗣との戦闘での負傷――骨は砕けかかっており腕の筋繊維は幾本か断線しているが、動く。――動くならば問題は、ない。
 ならば走れ。今はただ余計なことを考えずに、目の前の敵を打倒しろ――
 階段の上に佇むリヒャルトには――何を考えているのか――魔術行使どころか迎撃の予兆すら感じられない。
 罠か、と士郎は思う。
 それでも構わず突き進む。
 身の内に熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)≠待機させておく。仮にどんな魔術を行使されたとて、防げる自信がある。
 それに接近戦なら、並みの相手には負けないという自負がある。
 ならば、躊躇う理由が、何処にある。
 階上へ駆け上がる。
 リヒャルトを射程距離に捉えて、双剣を振るう――
 「切嗣を撃破したことは褒めてやろう。だがしかし、その行為は幾らか油断しすぎではないかね?」

 リヒャルトを基点に、赤い五芒の陣が広がった。

 (――――!?)
 一直線に振り下ろした双剣が、陣の境界を越えたとき、その軌道が曲がり――逸れた。
 そして、リヒャルトが右手を左腰に構えた。
 一閃。
 「え……」
 視界に映るのは一本の日本刀。
 「祖父が日本被れでね。嗜みとして色々やらされたものさ。――イアイ≠ニか言ったか」
 閃光痕から、血が噴出す。
 階上から、崩れ落ちいく体。力が入らず、意識が反転する。
 世界が身の裡に沈む刹那。
 「っ士郎ーーーーーーーっっ!!」
 凛の声が、聞こえた気がした。
 (凛……来ちゃ、駄目だ……)
 意識が落ちる寸前まで、自分のことではなく凛のことを、士郎は思い続けていた。

 

.......to be continued

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