* * *
Dreams(1)
「子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた」
今わの際、親父は確かにそんなことを言った。
体は窶れ、老人のような体躯には、かつての面影は既に無い。
だけど縁側に座り、月を見上げるその姿は、とても穏やかなものだった。
「うん、残念ながらね。ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ。そんなコト、もっと早くに気がつけば良かった」
俺にとっての正義の味方の何者でもない親父が、自らを蔑むように言った。
――そのことに、とても反感を覚えたのを覚えている。
だって、そうじゃないか。
正義の味方が、目の前で、自らそうでは無いと否定しているのだから。
だけども納得はした。
切嗣がそう言うのならば、そういうものなのだろうと。
――だから。
「うん、しょうがないなから俺が、代わりになってやるよ」
だから、俺は切嗣の後を継ごうと思った。
親父が夢見て、それでもなれなかった正義の味方を、せめて俺がなることによってカタチにしたかった。
それは一つの誓い。衛宮士郎にとっての出発点。
その宣誓を――彼はどう思ったのだろう。
無謀?愚か?悲しみ?それとも嬉しい?
けれど、口にした言葉はどれでも無く。
「――――ああ、安心した」
それは安堵だった。
最後の言葉、最後の表情。
穏やかな顔のまま、親父は逝った。
――その光景を、未だ鮮明に覚えている。
どうして俺の拙い言葉で、そこまで安堵したのかと、ずっと思っていた。
もっと他にかける言葉はあったと思う。
俺が言ったのは、単なる宣誓。切嗣のほうに言ったわけじゃなく、あくまで自分のほうに向けた、一方的な決意の表明。
――何が、そんなに彼を安心させたのだろう。
長年の疑問。だけど、それはいつの間にか氷解していた。
二人で一緒に行こうよ……
ロンドンでの事件の最中、凛は泣きはらした目で、そう言った。
いつか俺が、あの赤い騎士のようになってしまうのが怖いと。
俺の腕の中で、そう泣きじゃくった。
その時、思ったのだ。
だって君が泣いてくれるじゃないか
それが答えだったんだ。
正義の味方とは自己の為ではなく、他人に何かを残す者。
まだ、それにどうやってなるのかはわからない。
けれども、目指すべき、その姿は確かに理解できた。
凛の涙。
それこそが、俺という意思の欠片が、彼女に宿った証拠だ。
――だからこそ、切嗣は安堵したのだ。
俺が代わりになってやるよ
あの日、あの時。切嗣の中の正義は俺の中に宿った。
そのことに安堵した。
かつて自分がしたことは全て無駄だったんじゃないかと、多分切嗣はずっと思っていたに違いない。
だって、彼がしたことは想いとは裏腹の、単なる殺人の積み重ねなんだから。
けれど、切嗣の行為は、決して間違いじゃない。俺という存在を救ったのは、間違いの無いことなんだから。
そのことを確認したから、親父はあんなに満足気に逝ったのだ。
だから、俺もそうなりたいと、切にそう願った。
何かを残すために闘う。
その方法は、まだわからないけど。
この先、俺が死んだとき。
あんな顔をして逝くことが出来たのなら、それはどんなに幸せなことだろう――――
理想は遥か遠く。
尊ぶべき最後はその胸に。
――少年は荒野を目指す。
2/
■果てある正義、果て無き理想
肌寒い風が吹く空の下、アインツベルンの城において。
衛宮士郎は、目の前の光景が信じられなく、呆然と固まっていた。
「お、親父、だって……? 何で……」
荒廃した城門跡に立ちそびえている、その姿は死んだはずの衛宮士郎の養父――――衛宮切嗣に他ならなかった。
ボサボサの頭に、どこか虚ろな瞳。そして真っ黒なコートに二挺拳銃。
生前そのものの姿で、衛宮切嗣が立っていた。
「驚いたかな? 衛宮士郎君。光栄に思うがいい、これは君のために用意した余興なのだから」
階下から声がした。
その声は、あからさまに士郎を蔑んだものだった。
(三人目……だと……? 一体どうなっている……!?)
イリヤスフィールと瓜二つの少女。
死んだはずの衛宮切嗣。
そして現れた三人目は――
「
長い髪の青年だった。その色は勿論、銀。
整った顔立ちは、正に美形という言葉を体現している。
銀色の髪に銀色のコート。
――まるで切嗣と正反対だ。
士郎は素直にそう感じた。
「……お前が黒幕か。これは一体どういうことだよ。俺に何か用なのか、いや、それ以前に何故切嗣がここにいるんだ……!」
士郎は動揺のせいか、声を荒げて凄むように言った。
銀色の青年は、その様に満足したのか、口を笑みの形に変えた。
そうして馬鹿丁寧に、慇懃無礼なお辞儀をした。
「私の名前はリヒャルト・フォン・アインツベルン。アインツベルンの次期当主だ。それに私達の目的ならば、既に言っている。リリィが言っていただろう?
――お前を殺すと」
微笑のまま、表情は変えない。
だが、そのことが一層、士郎の恐怖心を煽った。
「アインツベルンが、俺を殺す……? 何故だよ、今の俺はマスターじゃない。いや、そもそも聖杯戦争はもう起きない。俺と凛が聖杯を破壊したからな」
「聖杯を……破壊した、だと。は、はははははっ! こいつは傑作だ!! その程度でよく聖杯戦争の勝者などとのたまわれるな!」
リヒャルトと名乗った青年が、甲高い声で笑い嘲る。
――不快だ。
士郎は笑い声に酷く嫌なものを感じ、だけどもそれに耐えて問うた。
「どういうことだ。聖杯は確かに、セイバーが破壊した」
「はっ、お前が破壊したと思い込んでいるソレは、聖杯であって聖杯ではない。元々の根源である大聖杯は、未だ健在だ。それを破壊しなければ、聖杯戦争は止まらない事は無い。そんなことで戦争が終わるならば、十三年前に
士郎は、知らず息を呑む。
聖杯が、未だ存在する。
その事実は、かつて衛宮士郎と遠坂凛、そしてもう一人の相棒とも呼べる人物がやり抜いたことが――全て無意味だと、否定されたと同意でもある。
(――何だ、それは)
それは、あの金砂の騎士王の信頼を、裏切ることになるのではないか。
その事実に気付いたとき、士郎急激には頭に血が上っていることを自覚した。
「……大聖杯とやらはどこだ」
「――何?」
「その大聖杯が、どこかと聞いているんだよ……!」
「君は少し思慮不足みたいだな。その程度で、どうやって聖杯戦争を勝ち残ったのだか――まぁいい。君が今大聖杯を破壊したところで、もう遅い。聖杯はもう起動しつつあるんだ。
――今、聖杯を破壊してみろ。カタチになっていない魔力の渦が溢れ出して、ここら一帯全て消滅するぞ。
君が体験したあの火災以上の煉獄だ。分かるだろう?」
ぐ、っと言葉に詰まる士郎。
あの火災以上の煉獄――そんなものが許されるはずが無い。
ならば、残る手段は一つ。
キチンとしたシステムに則り、これから巻き起こるだろう聖杯戦争に勝利し、それを破壊すること――――
「ち、よく調べてやがるな。頭に来るぜ」
「光栄だ。そう、君の事は何でも知っている。十三年前、第四回聖杯戦争で起きた火災時に、衛宮切嗣に助け出され、同じく第五回聖杯戦争で、セイバーを呼び出し、これに勝利した者。
――――だが、いくらサーヴァントに恵まれたとはいえ、どうして凡才の魔術師以下である君が、聖杯戦争を勝ち残ったのか分からない。立ち回りが上手かったのか、それとも誰か協力者がいたのか、私が知る及ぶところではない。しかし勝ち残った以上、何らかの要因があるに違いない。……排除させてもらおう。今度こそ、我がアインツベルンが勝利するために……リリィ」
今までずっと黙っていた階上にいた少女が、一歩ずつ踏みしめるように階段を下りていく。
膨れ上がっていく魔力は、それこそ際限を知らず。
その魔力が全て門のところに居る切嗣に流れていくのを感じる。
コツ、と俺の目の前に冬の少女が立ち、
「――やってしまいなさい。我がアインツベルンの
まるで歌う様に言葉を紡いだ。
瞬間。俺の意識の外――
切嗣が、いつの間にか、目の前に少女を守るように現れていた。
「な、――――!?」
スピードが速いとか、目線を逸らしていたとか、そういうのではない圧倒的な違和感が身を包む。
本当に切嗣は、その場所に最初から居たように現れたのだ。
それは恐らく俺の知覚の外。
そんなものに――すぐさま反応できるほど、人間はよく出来ていない。
「ぐ―――――っっ!!」
吹っ飛ばされながら、見たその光景――切嗣は『蹴り』の体勢になっていたことから、初めて蹴られたと理解した。
だが、俺はそんなことよりも、少女が言った言葉が気になっていた。
――ホムンクルス。
彼女は確かにそう言った。
流石に背中から落ちるわけにもいかず、受身を取る。
衝撃に貫かれた腹部に、痛みが走る。
俺は形振り構わず、叫ぶように問うた。
「……ホムン、クルスだと。何か変だと思っていたが、その切嗣はホムンクルスなのか!?」
少女は何も返さず、代わりにあの銀髪の不快な男が答えた。
「そうだ。何のためにアインツベルンが恥を忍んで外部の血を取り入れたと思っている。
口元を吊り上げ、嘲笑するリヒャルト。
こいつは、心底この状況を楽しんでやがる――――
切嗣の血を、衛宮の血を、こんなことに利用する。
それは切嗣が守ったものに、泥をつけることではないか――――!
――こいつだけは許しておけない。
ガキン、と撃鉄が上がる。
魔術回路が目を覚ます。
俺は感じる怒りのままに、リヒャルトを睨みつけた。
だが。
「……
まるで俺の視線から少女と銀髪の男を守るように、切嗣が立っていた。
例え、その身が人あらざるものでも。
俺と切嗣が敵同士として対峙することなどあるとは思ってもみなかった。
そんな俺の動揺が楽しいのか、リヒャルトは楽しげに切嗣へと命令する。
「さぁ、もういい加減絶望を知っただろう? 衛宮士郎。君も切嗣の後を追うが良い。
――切嗣の手によってな」
敵意どころか感情すら感じられない切嗣の形をしたモノは、それでも二挺拳銃を俺に向ける。
(くそっ! 覚悟を決めろ衛宮士郎。あれは切嗣じゃないんだ……。 今を生き延びることを考えろ――)
意識をスイッチさせる。
目の前のいるのは敵だと、自分に言い聞かせる。
(落ち着け。相手は拳銃だ。このまま立っていても的になるだけだ)
流石に拳銃の弾は止めようも避けようも無い。
そう考えると、この瓦礫だらけの場所は障害物があるおかげで、こちらに分があるがようにも思える。
「くっ!」
来るであろう銃弾から身を防ぐために、大きな瓦礫の後ろに隠れる。
(よし、これで少しは時間が――)
ガン、とすぐ横から音がした。
(――え)
つぅっと頬に一筋の
それが銃弾が通り過ぎたと理解したとき、直感に頼って俺は地を蹴った。
重く響く銃声が、続けざまに聞こえた。
次の瞬間、今まで頼りにしていた一際大きい瓦礫が、直ぐに小さな飛礫となった。
(っ冗談じゃねぇ!! 流石ホムンクルス、といったところか)
通常の人間では、あれほどの大口径の銃を片手で撃ったりしたら、反動で人間なんかの腕は筋や骨がズタボロだ。
ホムンクルスという人間外の強度だから出来る芸当。
それに加えて、恐らく銃弾への魔術付加もあるだろう。
だからこそ、この威力を持つこと出来る。
ただのコンクリートの瓦礫など、時間稼ぎにもならない――――!
(とりあえず今は逃げることだけを考えないと……)
あのリヒャルトとやらの言葉からして、俺だけじゃなく遠坂も危ないだろう。
今後のことを考えても、一度遠坂と合流することが最善の策だ。
――違うだろう? 衛宮士郎
否。決してソレは
このまま逃げ切れたとして、それでこの相手が諦めるはずが無い。
その事実は同時に遠坂だけではなく桜や藤ねぇまでも巻き込む可能性だってある。
――それだけは絶対に避けなければ。
ならばこの、衛宮士郎のみにターゲットを絞っている状況は僥倖ともいえよう。
つまり、ここでいう『最善』とは。
――ここで切嗣を打倒することに他ならないのだ。
「
思考がその答えを導き出したとき、体は応えるように呪文を紡いだ。
打倒しろ。
相手が何であれ、それが守るべきモノを脅かすならば。
それは排除するべき敵なのだ。
「――――憑依経験、共感終了。……
相手は銃だ。
人を殺す≠ニいう一点のみに特化した、文字通りの殺人道具。
その一点にかけては、魔術すら凌駕する。
幾ら魔力で強化したところで、回避することなど、まず不可能。
出来ることなど、せいぜい撃たれる前≠ノ銃弾の軸上から急所をずらすくらいだ。
そうなれば、後はジリ貧だ。相手の銃弾が尽きる前に、こちらの命が尽きるだろう。
ならば好機は一つ。
瓦礫を壊すために使われた銃弾を補填する一瞬に、攻撃を集中することのみ――――!
「
走る。一対の干将莫耶を投影し、投擲。
切嗣は銃弾を装填しようとシリンダーを開ける。動作は滑らかにして神速。この速さでは、残り時間は僅か。急げ。
「
走る。再び干将莫耶を、投影。投擲。
一度目の投擲が避けられる。避けながらも装填作業は中断せず。その速度は変わらない。
「
走る。三度、投影。敵を中心に交差するように投げる。
二度目の投擲も避けられる。予測範囲内。
「
立ち止まる。投影。魔術回路が軋む。警告。――遮断。夫婦剣を上に放る。
三度目の投擲。跳躍して避けられた。宙に浮いたことで時間は稼げる。予測範囲上方修正。
「
「――!?」
少女の呟き。それが聞こえた瞬間、既に敵は装填を完了していた。
――予測範囲、大幅に下方修正。否。予測範囲は崩壊、現状認識のみで対応。
向けられた銃口と視線が交差する。
一瞬の停滞。
破るのは、同時。
「っ
そして俺は、最後の一対の剣を投擲する――
引鉄に手が添えられ――
「――――八葉=v
引鉄が引かれる前に、先に
「――!?」
「――!?」
困惑が、向けられた切嗣以外から聞こえた。
投擲した四対八本の干将莫耶が、瞬間の内に停止。切嗣を取り囲むように――否、実際ソレらは取り囲んでいた。
上下左右、三百六十度取り囲むように停滞していたソレらは。
一斉に中心へ向けて、動き出した。
幾らスピードが速くても、逃げ場が無くては――避けることも叶うまい。
(やった……か?)
白と黒の短剣が迫る中、切嗣は動けないのか動かないのか、微動だにしない。
勝ったと確信する直前。
「
先ほどの時と同じように、少女がそう口にした瞬間、圧倒的な魔力の流れが切嗣に流れ込み――
――切嗣に迫る四対八本全ての夫婦剣が、速度が緩やかになり、遂には停止した。
切嗣は苦も無く、空中に停滞している剣を全て銃弾で打ち落とす。
「え、――――!?」
俺は目の前の光景が理解できなく、一瞬挙動が止まった。
そんな決定的な隙を、敵が見逃すはずが無く。
ドン、と重い銃声の音が広場にこだまする。
辛うじて急所は外れたが、撃たれた反動で肩ごと体が吹っ飛んだ。
「ぐぁ――っ!!」
積み上げられていた瓦礫に背中を強く殴打する。
だが、その痛みは左肩の激痛によって無視された。
「ぐ、ずぁ……」
――ち、脱臼してやがる。
左腕が全く動かない。動かそうとすると狂ったような痛みが全身を貫く。
その威力のためか、銃弾は肩に残らず貫通していたのは、不幸中の幸いといえるだろう。
だが、この出血量は無視できない。血が腕を伝って、雫が落ちる。左腕が朱に染まる。
「っつ!!」
そんな事情はお構いなしに、次々と銃弾を放っていく切嗣。
二発目。辛うじて軸線を外す。左腕にかする。
三発目。回避が間に合わない。全力で右に飛ぶ。――それは次弾のことを何も考えていない行動。
――その事実は、四発目で王手という解を指し示していた。
「チェックメイトだな、衛宮士郎」
不快な声が、響く。
コツ、とリヒャルトが一歩ずつ歩き出してきた。
「一瞬、ヒヤッとしたがな。所詮は人の身だ。我がホムンクルスに叶うはずが無い。おまけにそいつは『魔術師殺し』だ。君に打倒できるはずがない。
――――そう、君には父親を越えることなど、出来はしないのだよ」
――親父のユメは、俺が――
それは、どんな侮蔑の言葉よりも――俺の心を穿った。
俺には切嗣を越えることが、出来ない。
その言葉は。
ああ――安心した
あの切嗣の穏やかな微笑みを裏切ることに他ならないのだ。
「て、めぇ……! もう一度言ってみやがれ……」
「その体たらくで粋がるか。……全く、愚かだ。どうして君などが聖杯戦争を勝ち残ったのか、本当に疑問だ。余程の幸運だったのだろうな。――ふん、こんなわざわざ極東の島国に来ることでもなかった」
まるで処刑台の断頭台のように、リヒャルトの右腕が上げられる。
いや、それはまさに
(……ざけんな)
こんなところで、終わっていいのか。
何も救えず、何も残せず。
正義の味方という唯一無二の理想。
――それを果たせないということは、衛宮士郎が生まれてきた意義が全て無意味に成り下がるということに他ならない。
断頭台の刃が振り下ろされ――
「士郎!!」
突然、門の瓦礫を砕いて銀色の車体が突入してきた。
「!?」
俺を含め三者三様それぞれの反応で驚く。
当たり前だ。
この状況下で、突如爆音で車が進入してきたら、誰でも驚くだろう。
だが、急転直下の状況に慣れているせいか、俺は誰よりも早く状況を把握した。
迫る車。
そこから覗かせる顔は、見慣れた顔だったから。
「く――――!」
無我夢中で差し出された手を掴む。
俺の体は強引に車内へと引きずり込まれた。
「慎二! 逃げるわよ!! ああもう、さっさとする!」
「言われなくても、こんな危なっかしい場所はご免だよ!」
「ま、待て……凛。今、逃げるわけには――」
左肩を庇いながら、俺は凛に抗議した。
どうして凛がここにいるのかという疑問は、撤退するという事実に打ち消されている。
「うるさいっ! そんな体で文句言わないの!!」
その反論も凛の怒声によって掻き消された。
逃がすまいと銃弾が走る。
だが車体を穿つだけで、車そのものを止めるには至らない。
「あああああああ……。僕の愛車がぁ……。衛宮! 絶対に弁償してもらうからな!」
慎二が嘆きながらも、車を思い切り旋回させ――出口である森へとアクセルを踏んだ。
その刹那、リヒャルトがそっちがそう出るのなら、こっちはもう手段は選ばないぞ≠ニいう目をしていたのが、印象に残った。
「――ふん。リリィよ。何故『アレ』を使わなかった。みすみす逃すとは何を考えている」
リヒャルトは冷たい目で、リリィスフィールを見る。
おくびもせず、リリィは答える。
「『アレ』は他に働きかけるのはともかく自己に作用させる場合は、崩壊を早めることにも直結するわ。ただでさえホムンクルスは寿命が短いのに、あまり乱発しないほうがいい」
「……全くお前は、祖父の前とは態度がまるで逆だな。次期当主に対しての敬意は無いのか?」
「次期当主候補≠ナしょ。言葉は選んだ方がいいわ、リヒャルト」
含みあるリリィの言葉に不快を覚えたのか、リヒャルトは僅かに怒気を含んだ瞳で階下の少女を睨む。
「道具風情が良く言う。忘れるな、お前とそこに突っ立っている木偶の坊は同じ物だということを」
道具と蔑まれた事に対し、彼女は何ら反論も反感も湧かなかった。
――だって、本当のことだから。
彼女は心中でそう呟いた。
この身は聖杯を降ろすだけの道具。イリヤが失敗したときの保険でしかない。
生まれたときから、ずっとそう言い聞かされていた。彼女にとって、ソレは常識に過ぎない。
今更、何を思うことがあろうか。
「ならばどうする? こちらから攻め入って、彼の日常ごと粉砕するか。――ああ、それも良い」
ニヤリ、と口元が描くのは愉悦特有の形。
衛宮士郎の日常を蹂躙していく情景を夢想しているのか、彼は至極楽しそうに呟いた。
その様を眺めていたリリィは不快気に眉根を寄せ、士郎が去っていった方角に目を向けた。
「心配しなくても、エミヤシロウは此処に来るわ。……彼がエミヤの業を継いでいる限り、ね」
その瞳は、どこか悲しげに冬の空を映した。
.......to be continued
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