......Prelude of Pandra's song
Episode.3 <Side:Fate>
落ちる。落ちていく。
限りない闇へ身を埋めていく感覚が、体を満たしていく。
俺はその感覚に抗うように光に手を伸ばす。
伸ばす。
伸ばす。
伸ばした先の、光が溢れている、更にその先に――あるはずの無い赤い外套が見える。
こちら側からは、背中しか見えなく表情は確認できない。
溢れる光の濁流の中、絶対に容認できない、アイツの背中を睨みつける。
すると、視線に気付いたのか、赤い外套のヤツが振り向いた。
その表情――光の中、辛うじて視認できる口元は、まるで嘲笑うように吊り上っていた。
……ざけんな
俺の心に火が点る。それは瞬く間に、爆炎となって燃え盛る。
睨みつけた視線が交錯する。
溢れる光の逆流の中――光以外のモノが見えた。
何だ……?
その『何か』は俺の中に入り込んで、とある映像を映し出す。
――音が聞こえる。
それは、あの日の剣戟の音。
遠い遠い、記憶の彼方の――――
『―――それは、ありえない剣戟だった。
出鱈目に振るわれた、あまりにも凡庸な一撃。
しかし。
その初撃は、今までのどの一撃よりも重かった』
断片的な記憶が流れ込んでくる。
もう終わった、在り得ないはずの音が、冬の城に響く。
『―――悪い夢だ。
古い鏡を、見せられている。
千切れる腕で、届くまで振るい続ける。
あるのはただ、全力で絞り上げる一声だけ』
流れることをやめない記憶の流れの中、俺は奥歯を噛み締める。
……アイツがこの剣戟を、どう思っていたかなんて俺にはもう関係ない。
これが一体、どうしたっていうんだ……!
いや、これは在りえない記憶だ。
本来『座』に戻ったアイツには、この記憶が残っているはずが無い。
無い……のに
『――――まっすぐなその視線。
過ちも偽りも、
胸を穿つ全てを振り切って、
立ち止まる事なく走り続けた、その――――』
無いはずの記憶が、俺の脳内で再生される。
あの日あの時、アイツが感じ取った感情、感覚、全てを。
その全てが俺の中の、あの日の記憶と重なる。
少しずつ少しずつ。俺とアイツの、互いの剣戟の音が、重なり合っていく。
――剣戟が俺の中で残響する。
『胸に去来するものはただ一つ。
後悔はある。
やり直しなど何度望んだか分からない。
この結末を、未来永劫、エミヤは呪い続けるだろう。
だがそれでも――――
それでも――――俺は、間違えてなどいなかった――――』
パキン、とガラスを割るように映像が四散していく。
そこには相も変わらず光の中で、ヤツが立っていた。
その視線――嘲笑うかのような視線、その背中は、まるでこう語っているようだった。
――――ついて来れるか
ニヤリと口元が歪むのが分かる。
俺はお前には負けない。例え、今は届かなくても、いつかは絶対に届いてやる。
―――否。
ついて、来れるかじゃねぇ……
必ずお前を――――追い抜いてやる。
てめぇの方こそ、ついてきやがれ――――!
踏み出した足は、まるであの日の剣戟のようだった。
記憶に焼きついた剣戟の音。
それこそが目指すべきゴールなのだと、俺は確信した。
――道は遥かに。
遠い残響を頼りに、少年を荒野を目指す――
パンドラの唄〜前奏曲
第3話『剣戟音響』
1/
■ 因果の証明
その日、遠坂凛は、とある魔物と対峙していた。
生態も対処方法も、何もかもが分からない。
今まで、どんな敵とも勇敢に戦ってきた彼女でも――それは直視することすらままならない。
彼女にとって、途方も無い、といっていいほど目の前の怪物は複雑すぎた。
ゴクリ、と唾を飲み込む。手を冷や汗で、びっちょりだ。
その手――――遠坂の誇りを全てを込めた一発を打ち込む。
だが、その複雑さ、理解できない構造に、彼女はどこに打ち込んでいいのかわからなくなってしまう。
数秒、ソレ≠ニ睨めっこした挙句――彼女は、遂に根を上げた。
「だーーーーーっ!こんなもの出来るかぁっっっ!!」
だんっとキーボードを叩く。
……キーボードが壊れなかったのは僥倖と言えよう。
凛は、忌々しげに目の前の怪物を睨んだ。
その、パーソナルコンピューター通称パソコンという名の魔物を、
「こんなものを使わなくても、普通に紙を使えばいいじゃない、紙を! 一家に一台だか何だか知らないけど、何でこんなのに頼らなくちゃいけないわけ!?」
凛はヒステリック気味に叫んだ。
雄叫びか、泣き声か、正に竜が怒り狂ってるかと思うほどである。
もちろんその声は、近所迷惑といって差し支えないほど大きい。
「姉さん……だから、やめておいたほうがいいって言ったじゃないですか」
隣でノートパソコンにて作業していた間桐桜がそう言った。
流れるような、黒いショートカットの髪。
以前は腰まで届くかのような長髪だったが、今はその面影は無い。
だが、似合っていないというわけではなく、むしろソレは彼女の可愛らしさと淑やかさを引き立ててすらあった。
長年の付き合いか、桜は突然の姉の狂態に対しても、慣れた感じで応対する。
「姉さんは機械オンチなんですから……。姉さん、今時、魔術協会に送る書類とかも全部メールですよ。その方が全然速くて効率が良いんですから。そもそも協会に送る事務書類くらい、自分で作るって言ったの姉さんじゃないですか」
桜は慣れた風にキーボードを打ち込む。
洗練されたブラインドタッチは、凛の目には一種の魔法のように見えたに違いない。
その光景に凛は少し圧倒される。
「う……。だって
姉の言い訳染みた対応に、桜が苦笑しながらも返す。
「協会の総本山ですからね。効率よりも伝統を重んじる風潮がありますし……ていうかそもそも送る必要が無いじゃないですか。その場にいるんだし」
「ぐっ……」
痛いところを突かれたのか、凛は押し黙ってしまった。
そう、凛は機械に疎い。
魔術に関しては誰にも引けをとらない彼女だが、これだけは学生時代から、何も成長していなかった。
流石に洗濯機などの生活に関る類のものは使うことが出来るが、パソコンなどの最新機器には専ら弱いのだ。
知らないだけ、というわけでもなく、士郎が事あるごとに教え込もうとするのだが、何かしらの理由の付けて逃げてしまう。
だが、それでは『常に優雅たれ』という遠坂家の家訓に反する。
たかだか機械ごときで、あたふたするのは遠坂の人間として許されないことだった。
一念発起。それで、いつも桜が作成している協会への定例報告を、凛自ら作成することになったのである。
いきなり難易度の高い代物であったが、そんなことで遠坂凛が引くわけにはいかない。
……桜の『姉さんには、まだ無理ですよー』発言も、彼女の負けん気に拍車をかけた。
もちろん、結果は惨敗であったが。
――彼女はDNAレベルで、機械に対し、拒否反応を起こしているのだった。
「後は私がやっておきますので、姉さんは休んでいてください」
「う、わかったわよ……。んーと、そういえば士郎はどこへ行ったの?」
気付いたら朝食を摂ってから、彼の姿を見ていない。
基本的に士郎は、それほど外出をする方ではない。外出するときと言えば、食材を買いに商店街か、アルバイトくらいなものである。
彼には縁側で緑茶を飲んでいる姿の方が似合うと、彼女は本気でそう思っていた。
まぁ、あながち間違っていないのだが――衛宮士郎本人が聞くと『むぅ』と唸ること仕切りである。
「ああ、先輩は、……
何故か一泊置いて、桜はそう言った。
「――――マジで?」
「――――はい、マジです」
凛は、いつもの彼女らしくない顔をして、自らの妹に聞き返す。
その顔は――衛宮士郎に対する哀れみに満ちていた。
「士郎……骨は拾ってあげるわ」
彼女は胸で十字を切った後、目の前のお茶菓子に手を伸ばした。
――――正直なところ、いつ死んでもおかしくないと思う。
俺は本気で、そう感じていた。
「うおおおおぉおおおおおおおお!?」
車体が加速する。
鬼神のごとき加速っぷりは、皮膚が引っ張られるほどのGのおかげで、否が応にも感じてしまう。
ジェットエンジンかと耳を疑いたくなるほどの爆音が体中に響く。……これで車酔いを起こさないのは、恐らく運転手本人のみだろう。
そんな助手席に居る俺の反応を全く無視して、
だがしかし、スピードが問題なのではない。それだけでは、これだけの死の直感には程遠い。
問題は、ここが山道であるということ一点のみ……!
最初のカーブが見えた。
――冷や汗が全身から噴出す。
「ちょっと、慎二!スピード!スピード落とせって!!」
「何言ってるんだよ!衛宮ぁ!峠を制するのは、この僕だぁぁぁぁあああああっ!!」
「頼むから日本語通じてくれぇぇえええええ!!」
無論俺の願いは、叫びとなって虚しく空へ霧散していく。
そうこうしている内に、カーブが近づく。
もちろん、そのスピードは落ちることなく――慎二は、むしろギアを
「でぇええええええっ!!」
そのままカーブへと突っ込む。
横殴りの重力が、俺の頬をえぐる。
……通常この速度では、車はカーブを曲がりきれず、そのまま崖へとダイブだ。俺は地獄へとダイブ。ジ・エンドである。
だが、車は物理法則に逆らって、そのスピードのまま、カーブを曲がりきった。
「はぁーーはっはっはっは!どうだ衛宮!僕のドライビングテクニックはぁ!!」
どうも何も人間じゃない。神の奇跡か悪魔の所業か。車は横転することも無く――まぁ、半分浮いている状態なのだが――見事にカーブを攻略していく。もちろん爆速のスピードで。
下りの山道を、半ば片輪走行で下っていく暴走慎二カー。
……麓のドライブインまで無事に着いた時には、居もしない神に感謝するほどだった。
「衛宮、お前はこれからどうするんだよ?」
「……ん?」
自動販売機で買った缶ジュースを飲みながら、突如慎二はそんなことを聞いてきた。
「何だよ、突然」
「あぁ?相変わらず脳の回転が遅いな。……要するに時計塔から帰ってきた、偉大なる衛宮士郎様の今後の身の振り方を聞いていたのさ」
いつもと変わらない口調。
この嫌味な言にも、慣れれば味がある。まぁ凛は未だに気に食わないらしいが。
ロンドンへの留学を終えて冬木の街に戻ってきて一週間。
時計塔から一人前の太鼓判から貰い、工房を持つことを許された凛は、とりあえず今後のことを考えるため、慣れ親しんだこの町へと帰ってきたのである。
今後のこと――それは俺にも当てはまる。
この土地に残るか、それとも切嗣のように世界を回って、フリーランスの魔術師として生きるか。
切嗣は、より多くの人を救うために世界を回った。
だが、それは人としての能力を越えた願いだ。
過分な願いは自らに跳ね返る。
正義の味方という存在の矛盾。矛盾は切嗣に、常に願いとは正反対の選択を迫ったに違いない。
百人を救うために一人を、千人を救うために十人を。
殺し殺し、殺し続けたに違いない。
その結果の果てに、彼の心は凍てつき鉄となった。
手にしたモノに救った人々の笑顔はなく、効率的な人殺しの方法だけ。
人から見れば、それは単なるエゴ。冷徹な殺人者でしかない。
――正義の味方とは、およそかけ離れた存在。
最初は、ただ目に見える人達が幸せであったなら構わない、なんて小さな願いだったに違いない。
しだいに肥大化していく『護るべき人々』。
一人の人間の能力では、それは決して不可能な願い。
目に見える人たちだけを救うというのならば、この冬木の街に残っても、それは変わらないのではないだろうか。
自分にとって大切な者と切嗣の残した家を守り抜く。それならば、十分に出来ることでは無いだろうか。
いや、違う。それでは、切嗣に届かない。
『目に見えるもの全てを救おうとするためには、眼を細めなくてはならない』。
一種の真実。だが、それは逃げだ。救えないのなら、そもそも救う人数を限定すればいいなんて。
衛宮士郎の、切嗣が憧れた正義の味方は、その程度だったのか。
――歪んでいる、とアイツは言った。
ああ、それは間違いないかもしれない。何時までも答えの無い在り方は、きっと壊れているのだろう。
それでも、俺は憧れる。その綺麗な理想に。
(……親父。俺は一体どうしたら正義の味方になれるんだろうな……)
幼い頃から自らに問い続けた疑問。
だけど、その答えは未だに出ていない。
「僕は、この街を出る」
答えの出せない俺の迷いを払拭するように、慎二はそう断言した。
「出るって……。お前、何か当てでもあるのか?」
「無い。そんな物無くったって、僕ならどうにでもなるさ」
自信満々といった表情。
それは、気持ちの良いほどの笑顔だった。
先ほどまでの胸に溜まった、黒い感情が引いていくのを感じる。
慎二は、相変わらず自己をそうである≠ニするように其処に居た。
そんな慎二が、何故か羨ましくなって、俺は思わず微笑んだ。
「はははははっ!ああ、それは実に慎二らしい。――そういや、家を出るって言うんなら、桜はどうするんだよ?」
俺がそう言うと、何故だか慎二は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「はぁ? 何で僕が桜のことを考えなきゃいけないんだ? ――アイツはアイツだ。勝手に何でもすればいいさ」
当たり前のことじゃないかと、そう付け足した。
「お前なぁ……。ま、慎二らしいか」
随分と酷い物言いのようにも思えるが――実際その通りなのかもしれないが――慎二は慎二で桜のことを考えているのだろう。
でなければ、こんな言葉は出てこないだろう。
聖杯戦争の頃とは違う――――そう感じて何故か安堵した。
「ま、それを言うなら衛宮も同じか。別に何やってもいいけどさ、僕に迷惑をかけることだけはやめておけよ……っと」
慎二は飲み終わったジュースをゴミ箱へ向けて、放り投げた。
缶は綺麗な放物線を描き――見事にゴミ箱へ収まった。
それに満足したように目を細めると、踵を返して車へと向かった。
「ほら、行くぞ衛宮。次は首都高を攻めるんだからなっ!――ブラックバードめ、今度こそ目にも見せてやる……ふふふ」
楽しげな慎二を尻目に、やれやれと嘆息する。……正直、嘆息だけじゃなく冷や汗もダラダラなのだが。
空を仰ぐ。
目に見えるのは、泣きたくなるぐらい綺麗な、蒼い蒼い空。
其処に俺の求める答えがあるような気がして。
届かない空に、俺は手を伸ばし、掌を握り締めた。
◇
『――アメリカ、首都ワシントンD.C.において、連続変死体事件が起きました。その死体は極めて特異なもので、被害者は四名に渡ります。犯人どころか、どういう手段で殺されたのかすら不明。州警察の見解では――』
「あらあら、物騒ねー。あ、桜ちゃんおかわり」
とても食欲が萎えるようなニュースを横目に、藤ねぇは四回目のおかわりを宣言した。
……この人だけは、俺が学生の頃から変わっていないなぁと、アジの煮付けをつつきながら実感した。唯一変わったといえば、その肩まで伸びている髪形くらいだろうか。
「はい。藤村先生。それにしても本当に物騒ですよねー。こないだエジプトでも似たような事件があったじゃないですか」
おかわりのご飯を茶碗に盛りながら、桜は言った。
――エジプトだけじゃなくて、ロンドンでも起きたんだけどな。
そのことを思い出して、少し箸が止まる。
「士郎、そこの醤油取ってくれない?」
深みに入りそうになる直前、凛の声でふと我に返る。
「あ、ああ」
醤油を渡す瞬間、目が合う。
その目は考えすぎるな≠ニ、そう語っていた。
ロンドンでの朱美さんの事件から、三ヶ月が経った。
結局、彼女が何だったのかは、未だわからず。……教会が何らかの情報を隠している、という噂はあるが。
実はあの事件前後から、同様の事件が世界中で発生していることが判った。
人間でも吸血鬼でもない『何者』かによる殺人。犯人の身分や地域に類似性は見られず、唯一の共通点は殺された人たちが、そのどれもが変死体であるということだけ。
例えば、ロンドンでの頭部が欠陥した死体を皮切りに、心臓が無い死体、血液及び体液の全てが蒸発されてるように、干乾びた死体。
朱美さんが言っていたのが本当ならば、目的は『存在の略奪』ということになるのだろうか……。
今、魔術協会や聖堂教会が、その対応に追われている。
だが、それもそろそろ限度であろう。
こうして毎日のように、何らかの事件が報道されているのが現状だ。
それぞれの事件が独立していることも十分に考えられるが、だがそうではない≠ニいう『何か』がこの事件に見え隠れする。
――胸騒ぎが、止まらない。
何か、とてつもないことが起きるという、半ば確信染みた厭な予感が泥の様に思考に沈殿していった。
夕食の後の洗い物を終えたとき、凛がひょこっと顔を出した。
「ちょっと話したいことがあるから、後で私の部屋へ来てー」
「んー、了解した。紅茶でいいか?」
「今は紅茶の気分じゃないわね。日本茶でいいわ」
「わかった。じゃあ、濃いほうじ茶でも持っていく」
「よろしく〜」
ひらひらと手を振りながら、自室へと戻っていく凛。
それを見て、桜が何故かニコニコ笑っていた。
「先輩と姉さんって、何だかんだ言っても、ちゃんと恋人してますよね」
「な、何言ってるんだよ、桜」
急にそんなことを言われ、ぼっと赤面するのを感じる。あぁ、何て情け無いのだ、俺よ。
「あーぁ、私も先輩みたいな彼が欲しいなー」
更に赤面を加速させるようなことを言う桜。
先輩として忠告しておくが、こんなところで成長を感じさせるのはどうかと思うぞ。桜よ。
で、唐突に脳内に閃いたことを口にする。
それが馬鹿げていると理解しつつも言わずにいられなかった。
「……慎二とかどうさ」
ほら、家族とはいえ、血は繋がっていないし。最近ゲームとかテレビで、そういうのよく見るし。
「――――先輩、それ本気で言ってます?」
とか、そんな馬鹿発言に呆れ返る桜。
(……全くもって、この呆れ顔は俺の馬鹿な妄想のせいなのだが――)
あまりの落胆ぶりに何故か俺は慎二に哀愁を感じた。
(うん、まぁその何だ、頑張れ慎二――――)
俺は心の中で静かにエールを送った。
……その時、間桐慎二が遠くでクシャミをしていたのは言うまでも無い。
「凛、来たぞー」
いつものようにドアをノックする俺。うっかりノックを忘れてしまうと、どうなるかは既に体に覚えさせられていた。
「あ、士郎ー? 入っていいよー」
凛の了解を確認すると、俺はドアを開け凛の部屋へと、足を踏み込んだ。
この瞬間には、未だ慣れないことに情けなく思いつつ。
すると、凛は何やら書類らしきものを読んでいた。――――眼鏡付きで。
……先ほどの瞬間以上に、この違和感には生涯慣れないと、俺は確信した。
「士郎も、これに目を通しておいて」
そういうと、凛は手に持っていた書類を俺に渡してきた。
「これは――ロンドンでの事件の報告書か……いや」
そこに記載されていたのは、今世界中で起きている『何者』かによる殺人事件の詳細だった。
――その報告書の一枚に気になる記述を見つけた。
眼鏡を仕舞いながら、凛は報告書の補足するように語りだす。
「ロンドンと似たような事件が世界中で起きていることは、もうわかっているわね? エジプト、アメリカ、ドイツ……事件自体は色んな場所で発生しているわ。だけども一つだけ、他の事件とは一線を画している事件があった」
確かに、と俺は納得する。
似たような事件が並ぶ中、その事件のみが異彩を放っていた。
曰く、その事件の『何者』かは、本来なら在り得ない、世界を変貌させるということをした。
曰く、更には変貌させた世界を――――自分の意思で、捻じ曲げた、と報告書にはあった。
「――――これは固有結界……いや、違う。むしろ、これは……」
「空想具現化=Aね。正確には、その真似事みたいだけど。……これが意味していることがわかる?」
「――!」
空想具現化。
『
数多の事象が発生する確率に干渉し、本来在り得ざる現象を誘発させる、決して人の身では届かない神秘の一つ。
本来ならば、世界の触覚である精霊しか使用を許されていない現象。
そう。真祖という例外を除いて。
「……世界中で起きている事件の犯人は、真祖だっていうのか?」
「正確には、
人間が真祖になろうとしている……?
いや、それは在り得ない。
生まれたときから吸血種である者を『真祖』と呼ぶのだ。
後天的に真祖になれるはずが無い……。
――だが。
仮に後天的に真祖と同じ能力を身に付けられるとしたら。
それは、真祖と呼んでも何ら問題はないのではないだろうか――。
「おまけに、朱美さんや他の事件を見ても血を吸われたとか死者が現れたとか聞いていない。つまり、その真祖もどきは吸血衝動を持たないのよ。本来、真祖は吸血衝動を抑えるために、自らの能力を自身に対して用いてる。だけど真祖もどきにはソレが無い。……今はまだいいけど、将来真祖と同レベルのポテンシャルを持った真祖もどきが現れたりしたら――」
真祖と同じ能力でありながら、真祖以上の力をもった生物が、この世界を跳梁跋扈する。
それは、正に悪夢だ。
「けど、何故急にこんなのが増えだしたんだ。今までは全然こういうことがなかったじゃないか?」
自然的に発生するのならば、今までも同じことが起きて無くてはおかしい。
けど、こんな物騒な事件は聞いたことが無い。まして、世界中になんて規模で起きるなんて。
いや、ならば結論は一つじゃないか。
「――自然に発生しないのなら、人工的に発生させているということよ。……この真祖もどきを増やして、意図的に世界を混乱させている元凶がいるっていうこと」
「馬鹿、な。そんなことは不可能だ。単なる人間種を真祖に近づけるなんて――」
「だけど、現にこうして事件は起きている。……これは憶測だけどね。真祖も死徒も基本的にニンゲンという形を保っている。そして人間が死徒になることが可能ならば、真祖になることだって可能ということも考えられるわ……」
凛は難しい顔をしながら、そう言った。
その表情に、焦燥と絶望が垣間見えた。
世界で増えている真祖もどき。
そしてそれを実行している一連の事件の本当の犯人。
だが、正体はまるでわからず、ただ事態を傍観しているだけ。
今、この時においても、世界は少しづつ取り返しのつかないことになりつつあることを感じた。
この事件の果てに、何が待っているのか。
ちっぽけな俺達には、何も出来ず。何も判らず。
ただ己が無力感に憤りを感じて、拳を握り締めた。
◇
トントン、と野菜を刻む音が耳に心地よい。
間桐桜は鼻歌を口ずさみながら、夕食の準備をしていた。
そこで、ふといつもなら何も言わないでも、準備を手助けしてくれる青年が、何故か今は見かけないことに気付いた。
「姉さーん。先輩いないみたいですけど、どこか出かけてるんですか?」
ガサリ、と音を立てて、夕刊から覗かせた遠坂凛の顔は、何とも複雑なものだった。
「……墓参りよ。夕飯までには戻ってくるって言ってたから、もうすぐ戻ってくるでしょう」
「お墓参りって、先輩のお父さんのですか?」
桜は士郎の家の事情も知っている。
衛宮士郎という人間が今まで父の墓参りに行ったことが無いということも、勿論知っていた。
そんな彼が墓参りに行くとは、なかなかどうして思えない。
だけど他に心当たりがあるわけでは無く、そのことから生じた疑問であった。
だがその疑問は思いのほか、士郎と凛にとって重い物だったようだ。
「違うわ。……あの戦争で亡くなった少女のところよ。私達が一番無力感に打ちひしがれたあの出来事の被害者――」
凛は、その時のことを反芻するように目を閉じた。
冬木の街独特の肌寒い風を、俺は感じていた。
冬の季節が近いことを感じながら、ひたすらに森の中を歩いていく。
以前にこの森を駆けていった時のことを思い出す。
あれは聖杯戦争の最中、アイツと決着をつけに向かったときと、あの冬の少女に協力を申し込もうとしたときだ。
その時のことを思って、胸が軋む。
彼女と仲が良かったわけではない。むしろ会話したことすら曖昧だ。
それでも、あんな無力感を感じたのは、初めてだった。
ただ目の前で無残に殺されていく、まだ年端も行かない少女。
あの日、あの時俺にもっと力があれば……。
彼女を救い、聖杯戦争を乗り切れたのではないか。
あの戦争で残った唯一の心残り。それが、この先の冬の城に在った。
(ここに来るのも久しぶりなのに、結構覚えているもんだな)
正直辿り付けるかどうか不安であったが、目の前に城の壁が見えて、俺は安堵した。
(流石にここで迷うのは勘弁だな……)
この肌寒い空の下で、夜を迎えたりなんかしたら、凍え死ぬこと確実である。
そんなことを思いながらも、足は冬の城の城門へと向かっていく。
最早廃墟と化したアインツベルンの城。
ギルガメッシュとバーサーカーとの戦闘の名残が強く残っており、ここがあの美しい城だったとは誰も思わないだろう。
その機能を果たすことの出来ない崩壊した門をくぐると、其処には崩れた瓦礫が一面に広がる、荒れ果てたロビーがあった。
中心にあるのは、小さな、本当に質素な墓。
小さな墓ではあったが、しっかりと管理は行き届いている。
俺と凛が毎年冬木の街に帰ってくるたび、手入れしているからだ。
瞼を閉じれば、未だに浮かんでくる、色あせないその情景。
あの惨劇。目を斬られ、それでも己がサーヴァントを信じ駆け寄ろうとした、その姿。
悔しさや悲しさが、胸を穿つ。
判っている。
あの時、俺に何が出来たというのだろう。
英霊同士の、それも暴風のような戦闘の最中に俺が割って入っても、どうしようもない。
ただ殺されるだけだ。何の意味も無い行為にしか過ぎない。
「――――それが、一体どうしたってんだ……!」
拳を床に思い切り叩きつける。
出来ないとか、どうしようもないとか、そんなのはもう御免だ。
可能か、不可能かじゃない。
やるか、やらないか、だ。
物事の結果は、実行して初めて迎えることが出来る事象。
不可能? それはやってみないとわからない。
確率が低い? それは逃げだ。現実は一つしかない。確率が低いのなら手繰り寄せればいいだけの話。
何よりも、そんな心構えでは、正義の味方になれるはずもない――――!
切嗣があの業火の中、一つの希望に縋り、俺という救いを見つけたように。
俺が倒せるはずの無いギルガメッシュを倒すことが出来たように。
きっと、俺にも何かやれることがあったはずなんだ……。
だけども、時は決して戻らず、ただ悔恨のみが胸に刻まれる。
――その時、カランと何故か階段の『上』から、音がした。
「え、――――」
思わず顔を上げる。
こんな廃墟同然の城に人が居たのか。
その事実に俺は驚き、同時に警戒した。
例え、廃墟同然とはいえ、ここは元アインツベルン――貴族が住んでいた城だ。
一般人がこんなところにいるとは考えにくく、火事場泥棒が居てもおかしくは無い。
静かに、心の中で撃鉄を起こす。
見上げた、その先の人影を確認しようとして――
刹那。
「こんにちは、お兄ちゃん。ハジメマシテ、だね」
俺はまるで聖杯戦争のときに戻ったのような、そんな錯覚に陥った。
「イ、イリヤスフィール……!?」
階段の上に威風堂々と立っていた少女は、本来ならば墓の下に眠っている少女そのものの姿だった。
銀の髪、赤い瞳。そして、その声。
記憶の中にあるソレと全く一致する。
だが、そんなことは在り得ない。
彼女は此処で死に、その心臓は英雄王に奪われ、そして聖杯となって消えていった。
「な、何で……、お前が生きているんだ――――!?」
困惑は混乱へ変換される。
その姿が面白いのか、目の前のイリヤスフィールとそっくりな少女は、クスクスと笑って言った。
「やっぱり、お兄ちゃん、勘違いしているー。私はイリヤじゃないよ。
――――私の名前はリリィスフィール・フォン・アインツベルン。イリヤスフィールの双子の対、アインツベルンの切り札。それが私よ、理解した? お兄ちゃん」
――双子。
双子のホムンクルスがいないとは限らない。
なるほど、イリヤスフィールと瓜二つなのは納得できる。だが、ならば
リリィスフィールと名乗った少女は、俺の考えを呼んでいたように、言葉を紡いだ。
「――
裏切り者の息子でありながら、第五回聖杯戦争の勝者であるアナタを殺すためよ――――!」
ザワリ、と悪寒が背筋を撫でる。
――今彼女は私達≠ニ言った。
ならば、このままボゥっと呆けている場合じゃないじゃないか――――!
直感に任せて、横に飛ぶ。
直後、銃声が鳴ったと思うと、俺が居た場所の地面が抉れた。
(この威力……!ただの銃弾じゃない! どこから撃って来た!?)
これほどの威力の銃を先ほどの少女が撃てるはずが無く、その予備動作も見て取れなかった。
先ほどの発言からしても仲間が居るのは明白で――
「――な、何だ、と……!」
気配を感じて、俺が入ってきた瓦礫の門を見る。
そこには、居るはずの無い男が、黒いコートをはためかせ、二挺の拳銃を手にしながら、ただ其処に在るが如く立っていた。
ドクンドクンと心臓が暴れだす。呼吸が乱れる。心が騒いで収まらない。
そこに居るのは、紛れも無く、かつて『魔術師殺し』と呼ばれた魔術使い、衛宮士郎の原点――――
――――衛宮切嗣その人だった。
.......to be continued
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