|L.O.B EP: EX Pt-2|
 

 episode4:その後の話 〜なのはの場合〜

 夜、皆が集ってる、普通の局員より僅かに広い八神はやての部屋。
 テーブルの上には酒瓶とおつまみが並んでいる。席順ははやて、シグナム、対面にフェイト、クロノ、シャマル、そしてテーブル上でもみ合ってるのがリィンとアギト、と言った具合だ。
 わいわいと盛り上がっている中――その瞬間、確かに時間が止まった。
 はやてはウィスキーのロックが入ったグラスを口にしようとしてたところだったし、シグナムは丁度煙草の灰を灰皿に落とそうとしていたところだったし、ヴィータはシャワーを浴びた後の缶ビール(初めの一口)を堪能しようとしていたところだったし、シャマルはビールの泡が口周りに付いていたところだったし、リィンとアギトは最後に残ったさきいかを取り合って綱引きをしているところだった。ちなみにザフィーラは高町家に居て、士郎と一緒にヴィヴィオと遊んでいる。もしくは遊ばれている。
 更に言うなら――――
 久々の再会に一息吐いていた、現XV級艦船「クラウディア」――の改修版――の艦長であるクロノ・ハラオウンが、義妹(いもうと)であるフェイトに酌をして貰っていたところでもあった。
 全てが静止している中、フェイトだけが酒瓶片手にニコニコしている。
 その最中、中心人物であるユーノ・スクライアが何だか、非常に気まずそうにしている。その隣にいるなのはは顔を少しだけ紅潮させ、俯いていたりする。
 ユーノは、頭を掻きながら。
 「えーと、まぁ詰まるところ、そういうことなんだけど……どうでしょうか皆様」
 と、事態の中心人物の癖に、実に低姿勢な、そんな言葉を投げかけた。
 数瞬の停止した時間の中――――
 ぽん、とユーノの肩が叩かれた。僅かに顔をそちらに向ける。
 そこには、フェイトの使い魔(成人体で右手にビールのジョッキ付き)――アルフが居た。

 「――――やれやれ、鈍感無能朴念仁なアンタもやっとこさ観念したか」

 その言葉で、静止した時間が動き始めた。
 はやてはそのままウィスキーを飲み干し、シグナムはぐしゃぐしゃと煙草を灰皿に押し付け、二本目に火を付けた。ヴィータはとりあえず缶ビールを一息に飲み、シャマルはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら、鶏の唐揚げを食べた。ちなみにリィンとアギトはまだ固まってる。
 クロノは立ち上がり、ゆっくりとユーノの元へ歩いていき、そのままアルフと対称になるように左肩に手を置いた。
 事情を知っているフェイトは、ニコニコ笑って、ソレを眺める。
 「はははは、いやいや急に無限図書の司書長を止めると言ったときは何かと思ったが……そういうことか(、、、、、、、)。そうかそうか――――やるもんじゃないか。褒めてやろう、フェレット君(、、、、、、)?」
 ニヤニヤと笑うアルフとクロノに挟まれて、ユーノは憎らしげに眉を寄せながら。

 「……ああ、もう! だから皆の前で言うのは止めようって言ったんだ! こういう風にからかわれるに決まってるんだから……!」

 そんな男してどうかと思う情けない叫び声を上げた。
 先ほどユーノが言った言葉は以下である。
 ――――僕たち、結婚を前提に(、、、、、、)お付き合いすることに決めました(、、、、、、、、、、、、、、、)
 正直なところを言うと、ユーノとなのはは既に付き合っている、どころか同棲をしているというのが(当人達の意識はどうあれ)皆の認識な訳であり、詰まるところ、この発言は、私達結婚します(、、、、、、、)、とほぼ同意義だ。
 全員が「今日もお仕事ご苦労様ー。時間も都合つくし、久しぶりに皆で呑もうか」なんて状況で、突然ひょっこりと二人で現れたかと思いきやコレである。皆が固まるのは無理もない。
 そして、これに対する一同の反応は様々だったが、結論として、その気持ちは一つ所に落ち着いた。それはもう見事なまでに一つだった。
 ――――やれやれ、漸くか。
 そんなわけで、驚きの割に全員が冷静というのは、むしろ当たり前だった。
 ぶっちゃけ、この場で冷静ではないのは、そう宣言したユーノ唯一人である。
 なのははというと、先ほどのユーノの叫びを聞くや否や、頬に手を当てながら。
 「だって、やっぱりこういうのは、ちゃんと言った方が良いじゃない? せっかく皆集まってるんだし」
 と、人生ここが最高潮、みたいな幸せ顔でそんなことを言っていた。
 (……惚気(バカップル)や)
 (惚気だな)
 (――――惚気かよ)
 (あらあら、いやだ。惚気だわ……!)
 (惚気か……)
 (惚気ですぅ)
 と、見事に守護騎士とその主一行(一匹足りない+一人)は、その思考を一致させた。
 そしてアルフとクロノは、ユーノの両肩を素晴らしいコンビネーションで、がっちりと固めて。
 「……それでは君達二人に何が起きたのか、ゆっくりじっくり(、、、、、、、、)聞かせて貰おうか。気にするな。時間はたっぷりとある。何、(エイミィ)には既に了承を得ている。心配することはない。むしろこんな美味しい話を逃したとあっては、逆に怒られるだろうからね……これが僕の愛さ!」
 「歪んでる歪んでるお前その愛歪んでる、というかむしろ染められてるぞお前――――っ!」
 「はいはい、観念しなさいな。ああ気にすることはないよ、アンタと私の仲じゃないか。――ほら、一緒に使い魔同盟やってただろ? 何も隠すことはないじゃないか(、、、、、、、、、、、、、、、)
 「いやいやいや、何その突っ込みどころ満載の理論。それに片手にジョッキ持ったままで、何で僕ここまで完全に動けないの? 魔法か!? 魔法なのか!?」
 「あらあらうふふ、何だか楽しそうなことになってますねー」
 「うわぁい! ことこういうことに関しては問答無用に最強(ノリノリ)な人が来ちゃったよ――――っ!」
 ああぁああ、とエコーを聞かせながら、三人はユーノを引きずりながら部屋を出て行った。恐らく河岸を変えて呑むつもりだろう。ユーノの話をツマミにしながら。
 「……あー、一応明日も仕事あるから、ほどほどになー」
 と引きずられていくユーノを見ながら、はやてはそんな言葉を投げかけた。扉が閉まる瞬間、ひらひらと上がったシャマルの手に苦笑する。
 それらを見届けた後、ヴィータは空になった缶をぐしゃりと潰し、ゴミ箱に放り投げた。そして、冷蔵庫を眺めながら。
 「んで、どういうことだよ。なのは。――何かあったのか、と勘ぐりたいのは、あたしも同じだぞ」
 あいつらほど下世話じゃないけどな、とそう言った。
 「何、聞きたいの? ヴィータちゃん。興味津々なら聞かせてあげても良いよ? ゆっくりじっくり(、、、、、、、、)、ね」
 「……やっぱ止めとく。砂糖が何キロあっても足りそうにねーや」
 ほら、と取り出したビールをなのはに投げ渡す。ちなみに片方の手には、ちゃっかり二缶目が握られている。
 「まぁ、実際は遅いくらいやし、当然と言えば当然の帰結なんやけどなー。でも、何で今なん?」
 スモークチーズを口に運びながら、はやては尋ねた。カキン、とロックの氷が音を立てる。
 「ふむ、そうだな。黒い影≠フ動きが何故か沈静化しているが……それでも六課が再編された意味を知らぬ訳でもあるまい」
 シグナムは日本酒をとくとくと注ぎながら、咥え煙草ではやてに続く。更に言うなら大吟醸だ。目の前に並べられているのは焼きホッケと刺身。すっかり日本(オヤジ)色に染まった烈火の将であった。
 そうだねー、と缶ビールを開けるなのは。ぷしゅ、とした音が辺りに響く。
 「……今だからこそ(、、、、、、)、かな。どうにもあちら側の動きがきな臭いし、近い内、大きく事態は転がると思ってるの。多分、今は台風の目。クロノ君も漸く六課(こっち)に合流出来たし、丁度良いかなって、さ」
 さきイカを咥えながら、その足で、皆が集ってるテーブルまで行き、ソファに腰を沈める。
 そうして缶ビールを隣にいるフェイトの持っているグラスに当てた。きん、と甲高い金属音が鳴る。
 「そやなー、六課再編してようやっと思い描いていた戦力が揃ったわ。これで何とか、黒い影≠ノも拮抗できると思う。……まぁ、まるでそれが分かっているように大人しい(、、、、、、、、、、、、、、、、)黒い影(ヤツラ)≠フことが、気になるっちゃ気になるけどな」
 言って、ウィスキーのロックをがぁーと煽るはやて。伊達や酔狂でこの若さでこの地位には居ない。この程度で酔うほど八神はやては柔ではなかった。
 それを見たリィンがウィスキーのボトル――何気にヴィンテージモノだ――を、慣れたように魔法で念動操作し、グラスへと注いだ。
 注ぎながら、右手でウィンドウを立ち上げる。器用になったモノだ、とはやてはぼんやり思った
 「そうですねぇ、今まで遭遇した黒い影≠ニ危険戦闘個体、そしてエミヤさんのお話から割り出した敵の総戦力と、ハラオウン艦隊が合流したこっちの戦力は大体どっこいですねぇ――っと」
 若干注ぎすぎた――そんな表情で魔法を停止させる。ええよええよとはやては手を振る。そのままメンソール煙草に火を付け、一息吐いた。
 「でもよぉ、それってあくまでエミヤから聞いた情報が基になってるんだろ? いいのかよ、そんな個人の主観に頼ったような情報のみで採算立てて」
 アギトはむしゃむしゃとさきイカを食べながらそんなことを言った。
 「あー! アギトちゃん、何勝手に食べてるんですかーっ!」
 「うるせぇよ、こういうのは先に食べたモン勝ちだ。んで、どうなんだよ、別にエミヤのことを信用してねぇ、とまでは言わねぇーけどよ」
 飯うめーしな、と最後に付け足す。何故かそれにリィンが同意した。どうやらいつの間にか餌付けは完了しているようである。
 はやては腕を組みながら、ふむと頷いた。
 「それはそうや。その通りなんやけど……」
 「――――情報がソレしかないんだから仕方ねーだろうよ。アギト」
 二缶目のビールを早速空にしたヴィータはビーフジャーキーを噛み締めながら、冷蔵庫へと向かう。
 「……そうだね。まぁ今回は例外に例外が重なった異常な状況だし、ヴィータの言う通り仕方ないんだよね色々と。上層部(うえ)を黙らせるには必要な情報だったし」
 フェイトが赤ワインにちびちびと舌を付けながら、アギトにそう返す。
 ふん、とアギトは鼻を鳴らしながら。
 「大人の事情(、、、、、)ってやつか。あたしにゃあ、よく分からん世界の話だな」
 さきイカをごくんと飲み込んだ。う〜とそれを睨むリィンフォース。
 シグナムは黙って新しいさきイカの袋を取り出し、テーブルに開ける。途端に目を輝かせるリィン。
 現金だな、となのはは苦笑する。見るとはやてが肩を竦めていた。
 ヴィータが三缶目のビールに口を付けながら、思い出したように問う。
 「そうそうエミヤだ、エミヤ。アイツの突撃癖どうにかならねーか。べっつに現場に出てくるな、とは言わねーよ。それが取引だしな(、、、、、、、、)。けどな、ありゃ危なっかしくて見てられねぇよ。怪我人見つけるなり突っ込んでいく馬鹿は初めて見たぜ。ありゃあスバル以上だな、うん」
 あー、とシグナム以外の全員が苦笑を浮かべる。それは同意、という意味で相違ない。

 「ぃくしゅっ!」
 「あー士郎、汚ーい」
 「……風邪か? 士郎よ、それならばここに薬がある。飲むと良い」
 「いやいや、別にそう言う訳じゃない。ありがとうな、ザフィーラ」
 「ザッフィーもふもふー」
 「――ヴィヴィオ。そろそろ寝る時間ではないのか? いや別にずっとのし掛かられてて息苦しい訳じゃないからな、うん」
 「もふもふー」
 「……」
 「――お疲れ、ザフィーラ。しっかし、何だろうな、誰かが噂でもしてるのか……?」
 そんな突撃馬鹿。

 「何か得体の分からんデバイスを持ってから少しはマシになったが、アイツは魔導師じゃねぇ。リンカーコア(さいのう)すらねぇ。いくら何でもデバイスリンクと通信だけじゃ限界があるぜ?」
 ぐびぐびーと豪快にビールを胃に流すヴィータ。そして、その小さな手でツマミのピーナッツを鷲づかみにして、これまた豪快に食べる。
 「……鈴も嘆いとったな。『あたしゃこいつの子守かぁ――っ!』ってな。まぁ正直、その辺はどうしようもないような気が……」
 「あ、はやてちゃん。今、鈴にすごい似てた。超似てた」
 「――あの子とは微妙にシンパシー感じるんやよ。声似てるみたいやし。て、なのはちゃん話ずれとるずれとる」
 あははーと笑っていたなのはだったが、次第にその声が低くなっていく。めこり、とビールの缶が凹んだ。
 横にいたフェイトがびくりと震えた。
 「えーと、なのは……?」
 「……一応、いっつも注意してるんだよ? 任務が終わった後にね、毎回毎回言ってるんだよ? 『今回はサーヴァントが出てこなかったらいいけど、出てきたら士郎君をフォローしている暇なんか無い。士郎君が動かなくてもちゃんと皆助けるから。だから大人しくしてて』って。なのに、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも」
 「ああ! なのは怖い! なのは怖いよ――っ!」
 「衛宮となのはの任務後の言い合いは既に機動六課(ウチ)の名物と化してるからな……心中察してやれ、テスタロッサ」
 ヴィータはやれやれ、と肩を竦めながら、リィンとアギトを小突きながら弄ぶ。止めろ止めろ、と言いながらもじゃれつく三人。
 ふぅ、となのはは一息吐く。
 「でもね、ここだけの話――彼の言い分も、少しは分かるの」
 何となしに全員がなのはを見た。
 「彼の理想と、その信念は、きっと間違ってはいないと思う。多分、それはね、私達が忘れちゃいけないモノなんだ。――それが分かるこそ、止められない、止まらないんだろうね……」
 ぽつり、と呟き、缶の中身を飲み干した。
 ふむ、とシグナムがほっけを器用に箸を使いながら口に運ぶ。
 「信念――か。なるほど、それが奴の根っこ(、、、)という訳か。それで、なのは。奴の信念とは、理想とは一体何だ? 差し支えがなければ教えて欲しいところではあるが」
 「あー確かに気になるな。何があそこまで奴を駆り立てるんだ?」
 ヴィータがシグナムに追うように、そう聞いた。
 んー、となのはは少しだけ考える仕草をした後、苦笑しながら。

 俺が――――

 「――――正義の味方だから(、、、、、、、、)、だってさ」

 しん、と一瞬だけ静寂が訪れた。そして。
 「あっはっはっはははは! 正義の味方だって? あいつそんなこと考えてやがったのか! あははは!」
 ヴィータのそんな笑い声が響いた。
 更にフェイトの窘めるような言葉を。
 「ちょっとヴィータ。そう笑っちゃ」
 「いやいや、気に入ったぜ(、、、、、、)。ああ、まさかこんな世の中で――ああ、こんなどうしようもない世界で、そんなこと言い出す馬鹿野郎がいたなんてな」
 馬鹿だ馬鹿だ――と、獰猛なまでの笑みで遮った。そのまま曲芸のように、がーっとビールを煽る。
 フェイトがふと見ると、シグナムですら薄く笑みを浮かべていた。
 「なるほどな――ヴィータではないが、面白い(、、、)。奴が正義の味方と言うことは、ソレを擁する我らは正義の味方の味方、ということか。くくく、なるほどなるほど、悪くない(、、、、)
 くっくっく、と不敵に笑いながら、煙草のパッケージから新たな一本を取りだした。
 何だか盛り上がっている守護騎士達を横目にしながら、はやては苦笑する。
 「なんやなんや、思わぬ所で株を上げとるなぁ、士郎君。にしても、正義の味方――か。あれか? ウルトラマンとか仮面ライダーとか……まぁ間違ってはいないんやろうけどな。私らが目指すところも、詰まるところそれ(、、)やし」
 ぎし、とソファを鳴らしながら、ウィスキーを僅かに口にする。
 「私は素敵だと思うな。だって、そうなれるのが一番だもの。色々ままならないことは一杯あるけど……そうしたいな(、、、、、、)、てやっぱり思っちゃうから」
 フェイトはぼんやりとそんなことを言った。グラスの中の紅い液体がゆらゆら揺れる。
 「ふん、まぁいいんじゃねぇの。変だ、馬鹿だってあたしも思うけどさ、――――世界を変えるのは、いつもそんな変な奴なんだから」
 古代ベルカから生きる融合騎、アギトは感慨深くそんな言葉を、呟くように漏らす。
 リィンはそれらを見ながら。
 「正義の味方、ですか。リィンにはよく分かりませんが、確か借無上道――無償の愛こそこの世で最も尊い、でしたか。……うん。綺麗じゃないですか。とってもとても綺麗です。だから、それでいいんだと思います。シロウはそれで、いいんじゃないかってリィンは思うのです」
 にっこり笑って、何となしにそう言った。
 それらを眺めながら、なのはは立ち上がった。そして、誰にも聞こえないほど小さい声で。
 「……そうだね。彼の理想は綺麗で、とても尊いモノ。それは間違いなく本当のことで――でも、この世界にはそれ以外のこと(、、、、、、、)が多すぎる」
 そう語った。
 あの瞳を思い出す。
 清濁全てを飲み込むような決意の瞳。正義の味方という理念の裏側にある悪意をも背負ってみせる。そんな瞳。
 士郎に何があったのか、なのはは知らない。聖杯戦争と彼が呼ぶ戦乱で、何を思い、何を得たのか。其処に至までの人生で何を思い、何を得たのか。
 ――――何が、彼を『そう』させたのか、なんて、きっと本人にしか分からない。
 それでも、士郎は目の前に広がっているのが茨の道だということを確信している、ということだけは理解できた。
 その上で、正義の味方を名乗ったのだと。

 俺は……ただやりたいから、誰かを救いたいから。それだけなんだ。それが俺なんだ。それを止めたら俺が俺でなくなる――――

 まるで誰かを救うことを、何かの贖罪にしているようだ。
 ――――咎人。
 その単語が、なのはの脳裏に浮かんだ。
 罪を科したのも自分ならば、罰を科すのもまた自分。永遠に許されることの無い罪人。罪という一文字が魂の奥にまで染みこんだ咎人。
 それがなのはが抱いた、衛宮士郎という人間に対する印象だった。
 だが――――

 自らの罪が許されることは無いとしても。
 それでも君は正義の味方(そのみち)を行くんだね――――

 ――――士郎に対して、負の感情を抱いたことは一度もない。
 むしろ尊い、とまで思っていた。その背中は気高く、そしてどうしようもなく綺麗だった。
 ボロボロになってまで遮二無二人を救おうとするその姿に、なのははいつも圧倒されていた。
 何の力もないはずなのに。魔術を使えない只人でしかない士郎よりも、エースオブエースと呼ばれる魔導師であるなのはの方が力関係は間違いなく上なのに。
 それでもなのはは――その背中と瞳に、勝てない≠ニ思った。
 どうして正義(じしん)の闇を知りながら、そこまで真っ直ぐでいられるのかと。
 まるで真逆だ。必死に自分の闇を押さえ込もうとしていたなのはと全くの正反対だった。
 強くあろうと弱さを押し殺していたなのは。強くあろうと弱さも全て飲み込んでいる士郎。
 同一でありながら、全く真逆のベクトル。
 だから、なのはには理解できなかった。その強さが、その弱さが、その――理由が。
 だが――――
 「でも、だからこそ(、、、、、)綺麗なんだよね……」
 今は、何となく理解できる。それはきっとなのはもまた、士郎と同じく壊れた部分(、、、、、)があるからかも知れなかった。
 あの日の会話が、目蓋の裏に展開される。目の前には自らを射貫くように見つめる衛宮士郎。その口から、あの時、答えられなかった問いが、再びなのはに穿たれる。

 『――なのはさんは、どうしてそこまで――人を死なせたくないのですか』

 なのははゆっくりと、想像の中の衛宮士郎に――その答えを返した。

 嘘に(、、)したくないから(、、、、、、、)、と。

 「士郎君……私にも、あるよ。譲れない――綺麗(だいじ)なモノ」

 喧噪が、また始まっていた。
 なのはの言葉はあまりに小さくて、誰にも聞き届けられなかった。そのはずだ、となのはは思った。
 静かに歩き、手に持ってる缶をゴミ箱に向けて、放った。
 がらん、と甲高い音を立てる。
 そうして振り向く。少しだけ騒がしい日常、大切なモノが、そこにあった。
 その中で。

 「なのは。なのはは――変わった?」

 フェイトだけが、こちらを向きながら、そう尋ねた。

 ――――君は、君はもっと自分のために、泣いても、笑ってもいいんだ――――

 「……ううん。私は変わってないよ。何も、フェイトちゃんと出会ったときから、何も変わってない……私は――――」

 なのははくしゃりと、泣き笑いのような顔で。

 「――――いつだって、全力全開だよ!」

 そう、世界に宣言するように言い放った。

 ...episode4 Closed.


 ごじつだん。

 飲み屋を三件もハシゴした挙げ句、飲み足りないというアルフの一言によって自宅飲みに切り換えた、そんな翌朝。
 ユーノの叫びが、室内に響いた。
 「もぉおおおおお!! 絶対に! お前らとは飲まないからなぁああああああ!!」
 「まぁまぁ、君はもう管理局辞めたんだろ? だったら別に――――」
 「まだ引き継ぎ作業が残ってるんだよ!! うわ、酒臭! ああもうどうするんだよコレ! というか君の方こそ提督だろうが! 何でそんな余裕なんだよっ!!」
 「――――重役出勤、というのを知っているかな、ユーノ君?」
 「うわぁあああああ!! お前最悪だ――――っ!」
 「朝っぱらから五月蠅いなぁ……。飲みすぎて頭痛いんだから静かにしとくれよ。いいじゃん、別に。休んじゃえば」
 「ええい、うるさいこの万年自宅警備犬めっ!! 貴様には通勤ラッシュに揉まれるサラリーマンお父さんの気持ちなど一生分かるまい!! というかシャマルさんは!? 何処に行ったの!? 彼女、一升瓶三本くらい空けてたよね! 僕の秘蔵のウィスキーを!!」
 「あー、シャマルなら朝早く出てったよー、ちゃんと定時に間に合うように。あの人は主任医務官 C-III種(いむしつのおねえさん)だからねぇ。適当に医療魔法、自分にかけて帰ったよ。ユーノに面白い話聞けて楽しかったわ。あとお酒美味しかった≠ニ伝えてくれって言われた」
 「おもしろがってる! この状況をおもしろがってるよあの人! 全員に医療魔法(それ)かけてから帰ってくれよ! せめて起こしてくれよ!! というかアルフも起きてたなら起こしてよ!? しかもまた一つ弱み握られたし!! 会社行きたくねぇええええええええ!!」
 「はっはっはっは、ユーノ考古学士は朝っぱらからテンション高いなぁ。ほら、コーヒーでも飲んで落ち着きたまえ。僕の朝は一杯のコーヒーから始まるんだ。そして食卓から愛妻(エイミィ)が作る味噌汁の匂いが漂ってきて……ああ、よくぞ日本に生まれけり」
 「お前何人だよ! というかさり気に惚気てるし!!」
 「ユーノ、ユーノ。時間時間」
 「あああぁぁあああああ!! 引き継ぎが! 引き継ぎがぁああぁあああああああああ!!」

 その日、ユーノはモノの見事に、それはもう盛大なまでに遅刻をして、後任のデリカ(委員長属性子犬系の女の子)にこってりと絞られたとか何とか。

 おわり。

 episode5:衛宮士郎の憂鬱

 こつこつ、と向こう側から衛宮士郎が歩いてきた。
 「あ、士郎じゃないっスか。お早うっス。今日もおばちゃんの手伝いッスかー?」
 「――――今日は士郎の日か。じゃあ、食べに行く価値はあるかな。いつものご飯も美味しいんだけどね。士郎のやつはやっぱり特別かなぁ」
 「……ディエチ。お前も餌付けされてんのか……」
 それに声をかけるのは、ウェンディ、ディエチ、ノーヴェの三人だ。ナカジマ家4姉妹ユニット――通称N2Rの内の三人が勢揃いしている。
 N2Rに限らず、収監中の四人を除き、ナンバーズは全員六課に出向、という形で組み込まれていた。主な任務は首都防衛。もし六課の主要メンバーが出払ってくた時に黒い影≠ェ首都を襲撃してきたとしたら、その防衛はナンバーズによって為される。
 しかし、今のところ、そのようなことは一度もなく。ナンバーズの面々は、通常の仕事をしているか、もしくは暇している者に二分されていた。
 この三人が後者に属することは言うまでもない。ちなみにチンクはその誠実さ故か、どうせ暇なら、ということで部隊長であるはやての雑事を手伝っていたりする。
 そんなわけでナンバーズの面々は士郎と周知の仲だったりする。というか衛宮士郎の名前は、その突撃馬鹿ぶりから六課に知らぬ者はいないぐらいに広まっているわけであるが。
 「……?」
 三人の声が聞こえてるのか聞こえていないのか、士郎はそのままウェンディの前まで歩き――――
 「あ、ああ――何だ。ウェンディじゃないか。お早う、っと、後、ディエチにノーヴェじゃないか。見かけたなら声をかけてくれれば良いのに」
 と、ぼんやりそんなことを言った。
 「いやいや。さっき、お早うって挨拶したじゃないッスか。というか私ら結構大きな声で話してたと思うんスけど」
 「お前、まだ寝ぼけてんのか? 民間協力って形だろうが六課の一員であることには変わりないんだ。もうちょっとしゃきっとしろよ」
 「ノーヴェ、ノーヴェ。それ、ノーヴェも同じだから」
 言われて、士郎は漸く気付いたのか、ぶんぶんと頭を振り、僅かに微笑んだ。
 「……ふぅ、ごめん。何かぼんやりしてたみたいだ。そうだよな。ウェンディの言うとおり、しゃきっとしないと駄目だよな。皆に迷惑だ」
 それじゃ、と言って、士郎は食堂の方へと歩き出す。しかし、その足取りは重く、自分で言っていた割にしゃきっとはしてないようだった。
 俯き加減で去っていく士郎を見ながら。

 「――――アイツ、何か元気無くねぇか」

 そんなことをノーヴェは漏らし、後ろの二人がうんうんと頷いた。



 「……士郎が元気ない、ですって?」
 訓練が始まるか否か――というところで、衛宮鈴はウェンディ達にそう話しかけられた。
 「そうなんスよ。何か妙にぼんやりしている感じで、どうにも覇気が無いというか。いつものエプロン姿からは考えられないッス」
 「それで鈴なら何か知らないかな、と思って来たんだ。士郎は鈴と仲良いし。……今日のご飯はあんまり美味しくなかったし」
 「まぁ、あたしは別にアイツのことなんてどうでも良いんだけどよ。こいつらがどうしても、ていうから」
 何だそのツンデレ。というか飯=エプロン姿=士郎というイメージはどうなんだろうか。間違ってはいないが。
 そんなことを鈴は思いながら、はぁと溜息を吐く。
 「あのね。別に私はアイツと仲良いわけでもないし、保護者って訳でもないわ。だからアイツが元気ない理由なんて知らないわよ。残念だけどね」
 「その割にはよく話しているように思えるけど……」
 「ディエチうるさいわよ」
 確かに鈴と士郎はよく話すし、よく連むが、仲がよい――と言うわけではないのだ。とある事情(、、、、、)によって、士郎と鈴の精神的距離が近いだけだ。
 とにもかくにも、そういう事情なのだ。うん。
 と、少なくとも鈴はそう思っていた。
 「ふぅん。ま、そういうことにしときましょうか。鈴なら何か知ってると思ったんスけどねぇ」
 「どうするのウェンディ。……このままご飯が美味しくないのは勘弁だよ」
 「おめぇの頭には飯しかないのかよ。まぁ、こうなったら当人に聞いた方が早いんじゃないか?」
 そう提案するようにノーヴェの言葉を。
 「あ、それは多分駄目よ。アイツ、そういうこと(、、、、、、)は絶対に口にしないから」
 ばっさりと鈴は両断した。
 衛宮士郎が弱音を漏らすなんていうのは余程のことでないと有り得ない。士郎は弱みも強さも全てを飲み込む。
 ――そんな人間だ。
 こと衛宮士郎≠ニの付き合いが長い鈴は、当たり前のようにそう言った。
 「じゃあ、事情知ってそうな人間に手当たり次第、聞き込みってことッスかねぇ。これは意外と厄介なことになりそうッス」
 がくーと肩を落としているウェンディ。ご飯……と呟くディエチ。ふむ、と何かを思案しているノーヴェ。
 そんな姉妹を見ながら、鈴は肩を竦めた。
 「……ヴィヴィオか、スバルさんに聞いてみると良いわよ。あの人達、士郎と仲良いから、もしかしたら何か知ってるかも」
 「ヴィヴィオとスバルッスか。そういや、一緒にいるところよく見るッスねー」
 「――――確かに、陛下と仲良いよね、士郎。この前も一緒に遊んでいるところ見たよ」
 「陛下って呼ぶとまた嫌がるぜ、ヴィヴィオ。んじゃま、スバルをからかいついでに行くか」
 どうもッス――とひとしきり礼をした後、三人は訓練室から出て行く。
 やれやれ、と鈴が苦笑していると。
 「鈴―――っ!? 何してる、次はお前の番だぞー!」
 「分かってるから、そんなでかい声出さないでよ、ロイド!」
 そんな声が耳朶を打ち、鈴は自分の相棒(デバイス)を手に駆けだす。
 ――それにしても。
 「士郎が、元気ない……ねぇ。もしかして、アイツ――――」
 と、鈴は、ぽつりと呟いた。

 「あー、それは私達も何となく思っていたよ。最近、何か士郎、元気ないよね」
 「うん。昨日も何だかぼんやりしてたよ、士郎」
 訓練室で軽い運動をしていたスバルと、それを見ていたヴィヴィオはそんなやり取りを三人の前で交わした。
 いつの間にかスバルが士郎のことを呼び捨てにしていることに、ウェンディは首を捻りつつも質問を続ける。
 「それで、二人は何か知らないッスかねぇ? どうにもあの様子はおかしいッスよ。体調が悪い、てわけでもなさそうだし」
 「アイツ、どうにも無愛想で感情が読みづらいんだよな。むすーと押し黙ってるか、へらへら笑ってるかどっちかだ」
 ヴィヴィオは椅子に座り、足をプラプラさせながら、何か思うところがあるのか二人の言葉を反芻する。
 「そうだねぇ、士郎は分かりにくいところがあるかも。でも、よく見てれば結構分かりやすいよ?」
 「……多分、それ、陛――ヴィヴィオにしか分からないと思う……」
 「え? そう? 結構分からない――、かなぁ? ……っと」
 スバルは陸戦魔導師訓練専用のサンドバックを殴りながら、そんなことを呟く。衝撃が空気を振るわし、ガラス越しのヴィヴィオ達にもその威力を感じることが出来る。
 「――ったく、相変わらずの馬鹿力でやんの。で、どうなんだ。お前ら、何か知ってることはねぇーのかよ?」
 腕を組みながら先を促すノーヴェ。
 スバルとヴィヴィオは一瞬だけ見つめ合い、そして。
 「ううん。士郎って私達のことは、よく気にかけてくれるけど、自分から相談とかそういうのはしないから……だから、分からない」
 ヴィヴィオは少しだけ俯きながら言って。
 「……そうだね。士郎は、あんまり自分のこと話さないから……少し分かりにくい所はあると思う」
 だから、あの星空の下の会話は――本当に稀なことだったのだろう、とスバルは思った。
 同時に――だからこそ(、、、、、)、あの言葉は真実(ほんもの)だったのだろうとも。
 「――――もうちょっと、頼って貰っても良いのにな……」
 小声でそう言うなり、スバルは思い切り右腕を振りかぶった。目の前にはサンドバック。ナックルスピナーが、その回転数を上げ、唸りを上げる。そして――
 ご、と一際大きい打撃音が辺りに響いた。
 架空の敵、として設定されたソレは根本から折れ、訓練室の端まで吹き飛び、そして轟音と共に沈黙した。
 ノーヴェとウェンディはそれを見た後、互いの目を交差させながら肩を竦めた。
 「ま、何にせよ、アイツが何でしょげてるのか誰も分からないわけだ。どうするよ、ウェンディ、ディエチ。――――ぶっちゃけ、もう放っておいてもいいんじゃねぇのか?」
 「ソレは駄目。私は今すぐ衛宮特製スペシャルカレー(大盛り550円)が食べたいの」
 「……ディエチって腹ぺこキャラだったッスかねぇ? まぁそれは置いておくとしても、そうッスねぇ。たまには士郎も一人で考えたいこともあるってことッスか」
 頭を掻きながら、ウェンディはそう言った。
 「――――」
 対し、スバルは無言。確かに無理に立ち入ることではないのかもしれない。ただでさえ士郎は複雑な人間なのだ。余人が入り込む隙間は皆無に思える。
 だが、ヴィヴィオは一人だけ思案するように顎に手を当てていた。
 そして。

 「――――ねぇ、私に一つアイディアがあるんだけど。要するに士郎を元気づけたいってことでしょ?」

 なら、簡単なことだよ――――と朗らかに笑った。

 だ、と勢いよく地面を蹴る。
 流れる訓練室の白い壁。風を切る感触が、頬に伝わる。
 手には訓練用の刀剣。デバイスではない。白い木刀――という表現がしっくりくる刃の付いていない片刃の剣。
 殺傷能力はほぼ無く、純粋な剣技のみを評価したいときに使われるもの。軽く、硬く、扱いやすい。
 ――その白い木刀は、既に衛宮士郎の手に馴染んだものだった。
 「ふっ――――!」
 振るう。左から右への薙ぎ。
 士郎の視界の中心に居る人物は、それを涼しげに見つめながら。
 「……脇が甘い」
 そう呟き、士郎の剣を事も無げに捌いた。左から右へ、そして更に右へ力を受け流された士郎は、そのままつんのめりそうになる。
 しかし、それは右足を踏み出すことで、何とか堪えた。
 「っつ……!!」
 無理に運動エネルギーを殺した反動で、右足の筋肉が僅かに軋むが、構わず士郎は剣を振るった。
 急角度からの鋭い一撃。凡人相手ならば、間違いなく必中必倒の一撃。
 が、しかし、士郎が今相手にしているのは、紅き剣神。灼熱の剣を振るう、古代ベルカから生き抜く剣豪。
 ――烈火の将シグナムに、そんな凡庸たる一撃が当たるわけがなかった。
 「ふむ。悪くない一撃だが――――」
 僅かに上体を反らしながら、士郎の剣撃を紙一重で避ける。前髪が剣の先に掠り、風に揺らめいた。
 そうして出来た相手の隙。その僅かな空隙を縫うように、シグナムは士郎と同じ剣を鞘に収めるような動作で左に持って行く。
 居合いの前動作のような動き。
 その意味に士郎は気付くが、時既に遅し。
 「――――それは、あまりに凡庸すぎるぞ、衛宮」
 紫電、一閃。
 シグナムの必殺の一撃と同様の軌跡を描き、正に瞬速という速度で士郎を打ち抜いた。
 どうにかそれを受け止めた士郎だったが、体が後ろに吹き飛ぶのは止められない。受け止めた剣が振動し、その衝撃の大きさを士郎に伝える。
 思考する。どうすれば、あの剣神の上を行けるのかと。
 士郎が今まで経験してきた戦い、そして訓練。それらを統合して、最適な戦術を見出す。
 正面からは、まず不可能。シグナムの技量は、種類こそ違えど、セイバーとほぼ同等と見ていい。ならば、真っ当なやり方では打ち破るのは無理だ。
 ならば――答えは必定。
 ――――奇襲だ。それも普通では考えも付かない、飛びっきり斜め上の。
 再び地を蹴る。力強いその踏み込みは士郎に加速を与える。
 剣は右手に。目は真っ直ぐに、シグナムを射貫く。
 ……鷲か、鷹だな。
 シグナムは青眼に剣を構えながら、そんなことを思う。
 剣の間合いに、士郎は踏み込んだ。しかし、士郎はその剣を抜かない。
 僅かに訝しむ。今攻撃を仕掛けてるのは、士郎の方だ。なのに、その動作は先に打ってくれ(、、、、、、、)、と言わんばかりだ。つまり――――
 ――――何か、策があるか。
 ならば、それに乗らない理由はない。シグナムは大上段に構えた剣をそのまま振り下ろす。
 その鋭さ。その流麗さ。上から下へ、一直線に落とされるソレは、僅かもブレはない。士郎から見れば、地面へと最短距離で動いているのが分かるだろう。一度のブレもなく落とされるその一撃は、剣を嗜む者ならば息を呑んで見惚れるだろう。
 それでいて速度は今までと一切変わらない苛烈なる必倒。一体どれほど剣を振るえば、この境地に至れるのか。
 これこそが烈火の将、シグナムの神髄。古代ベルカ時代から剣を振るい続けたその経験値は、最早人の範疇にはない。
 しかし――衛宮士郎は、人の叡智を以て、それを打倒する。
 まともに受け止めれば弾かれ、受ければ昏倒。そんなシグナムの剣を。
 「――――!」
 柄で(、、)受け止めた(、、、、、)
 僅かに柄尻を上の方に持ち、そして手首を返す。柄を上に、刃先を下に。左手を刃先に添え、振り下ろされる一撃を、柄で受け止めた。
 刃先にぶつけても、シグナムの剣は僅かに逸れるか自分の剣が吹き飛ぶだけ。しかし柄で受け止めたなら話は変わってくる。
 刃先よりも広い面積を持つ柄。剣撃の重みを、丁度分散出来る地点――つまり柄の中心点に当てることにより、最小の力で剣撃を防ぐことが出来る。
 そうはいっても、簡単なことではない。広い、といっても所詮は柄。中心点から僅かにでもずれれば、結果は刃先を当てることと同じだ。成功したとしても、左手へのダメージは決して無視できないもの。腹部に当て、辛うじて衝撃を逃しているが――失敗すれば、怪我だけでは済まない。
 驚嘆するべきは、その大道芸のような技を何の迷いもなく使ったこと。ほんの僅かな迷いで破綻するような技を――何の疑いもなく、一片の躊躇もなく、衛宮士郎が使用したという点にある。
 自らの技量を信じ切った、その精神の在り様に――シグナムは僅かに戦慄した。
 士郎はそのまま、首を刈り取る様な一撃をシグナムに見舞う。
 「ふっ――――」
 静かにシグナムは首を逸らし、先ほどの様に紙一重で避けようとする。
 ……確かに、今のは予想外だった。しかし、その体勢からではどうしても一撃は軽くなる……!
 柄で受け止める、なんていう体勢からの一撃では、速度・重さ共に不十分にしかならない。その程度では凡庸にも及ばない。
 士郎の一撃では、シグナムの紙一重≠超えられない。
 所詮、大道芸は大道芸。そんなもの、紅き剣神に届く道理などない――――

 ――――はずだった。

 「!?」
 剣撃が――伸びた(、、、)
 まるでシグナムを逃さない、と言わんばかりに、軌跡が僅かに半歩分、伸びたのだ。
 その事実に、シグナムは驚愕を隠せない。
 つまり士郎は、腰の回転、全身の筋肉の動きを利用しただけでなく――シグナムの回避パターンを読み切ったということだ。
 それほどまでに、シグナムの回避と士郎の剣撃のタイミングが一致していた。
 今までの撃ち合いから得られた経験値を以て――――士郎はその紙一重(、、、)の差を埋めた。

 瞬間、打撃音が室内に木霊した。

 次いで、からん、と訓練刀を落とす乾いた音。
 無言の時が、数瞬過ぎた後――シグナムは口を開いた。
 「……最後の一撃は、肝が冷えたぞ。読み切られるまで、もう一、二試合はかかると踏んでいたが――甘く見ていたのは私の方ということか」
 純粋な賞賛の言葉に、吹き飛ばされた格好のまま、上体を少しだけ起こし、士郎は苦笑した。自身の腹に打ち込まれた衝撃に咽せながら。
 「かは、はぁは――は……。――それでも、結局一発も当てられなかったんですから、今までとあんまり変わらないですよ。途中までは、いけるかな、てちょっと思ったんですけどね」
 最後の瞬間、士郎の一撃はシグナムに届く寸前までいった。しかし、やはり踏み込み不十分な一撃よりも、シグナムの突き≠フ方が僅かながらに速かったのだ。
 結局、シグナムの紙一重≠ヘどこまでも厚かった、ということだった。
 「……分かってるとは思うが、柄で剣を受け止めるなんていう真似、実戦では使うなよ。幾ら、攻撃が通じないとはいえ、アレは流石に無茶だぞ」
 嘆息しながら、シグナムは手を差し出す。士郎はその手を取り、立ち上がる。
 「いてて……分かってますよ。何となく(、、、、)出来そうだな(、、、、、、)って思っただけですから。シグナムさんの気を少しでも逸らせれば、それで良かったんですけど……全然敵わなかった。まるでセイバーとやってるみたいだ」
 「――セイバー、というのは、お前の剣の師匠、だったか。……私と剣を合わせた、あのサーヴァント」
 シグナムと戦い、ミッドチルダに消えない大断層を刻んだ――あの黒い騎士。
 士郎はそのことを思い出し、悔しげに唇を噛んだ。
 「……アイツは、本当ならあんなことする奴じゃないんです。気高く、優しい……そして何より誇り高い強さを持っている。なのに、何で……」
 「――――そうだな。しかしお前は、それを知るために六課(ここ)に居るのだろう?」
 今、気にすることではない――そう言って士郎の肩を叩いた。
 士郎は僅かに微笑む。
 その微笑みを見ながら――シグナムは先ほどの戦闘を反芻する。いや、正確に言えば、士郎の剣について、だ。
 聞くところによれば、士郎がまともに剣を習いだしたのは一年前だという。だがしかし、最後の攻防も含め、シグナムはその事に納得がいってなかった。
 衛宮士郎の剣は――――正しく凡人のそれなのだ。直感や閃きなど、そういう才能≠ェ一切感じられない。修練を積めば誰もが辿り着ける。積み上げられた経験値(どりょく)によってのみ紡ぎ出される質実剛健、実直にして朴訥なる剣技。
 だからこそ、士郎の剣は不可思議だった。
 たかだか一年の鍛錬で――この領域にまで辿り着くのは大凡不可能だ。余程、師匠の教えが良いのか……しかし、それで全てを片付けるには不十分だ。
 そもそも――そもそもだ。多少剣を囓ったくらいの少年が、シグナムと――訓練とはいえ――真っ当な戦闘(、、、、、、)を行えること自体が不思議なのだ。
 衛宮士郎が剣の天才、というのならまだ納得も出来よう。直感と閃き、センスに任せた剣技ならば、あるいはシグナムにも届くかも知れない。
 だが、士郎の剣技は天才が振るうそれと、まるで真逆。積み上げられた修練によって為される不屈の技。
 それはまるで――――幾千もの戦場を渡り歩いてきたかの様な(、、、、、、、、、、、、、、、、、、)、そんな剣だった。
 それをたった一年の修行期間で身につけた、ということがシグナムには信じられないのだ。
 柄で剣を受けるという発想についても、大凡常人で出来るものではない。出来る技量とそれを信じられる精神――どれをとっても、二十歳前の人間が可能な領域ではなかった。
 その違和感について、シグナムが考えを巡らせていると――――
 「……で、シグナムさん。何か、あるんでしょう? シグナムさんの方から手合わせなんて、今まで無かったですよね」
 と、士郎はそんなことを言った。シグナムは一旦考えることを止め、やれやれと苦笑した。
 「――お前は鈍いのか聡いのか、よく分からんな。ふむ、確かに頃合いかもしれんな――」
 ついてこい、と片付けもそこそこに、シグナムは歩き出した。首を傾げながら、それを追う士郎。
 追いながら士郎は思考する。ぐるりと肩を回しながら、先ほどの戦闘を思い出していた。
 ……ずっと思っていたことだったけど――この世界に来てから妙に体が軽いな……
 先ほどの打ち合いを疑問に思ったのはシグナムだけではなかった。いや、先ほどの戦闘だけではない。
 この世界に来てから、体が思った以上の動きをしてくれるのだ。身体能力が上がったわけではない。それは理解できる。
 問題なのは、目の前で起きている展開が分かっているか(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)の様に体が動くことなのだ。
 元々衛宮士郎はそういう剣士だ。直感や閃きなどに頼らない、己の戦闘経験のみを以て確実な選択を行う。凡庸、しかしながら芯の通った戦闘方法。
 だから今の士郎はどこかおかしかった。聖杯戦争、そしてセイバーの特訓を経たとはいえ、たった一年でここまで動ける様になるのかと。セイバーとほぼ同じ技量を持つシグナムと打ち合えるほどに(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)
 今思えば、確かに一年間実戦という実戦は無かった。突然の実戦に対し、剣の英霊であるセイバーの特訓が、花開いたと言うことだろうか……。
 しかし――それでも違和感はぬぐい去ることは出来ない。まるで自分の体が自分のモノでない様な――そんな気持ちの悪い感覚が全身に広がる。
 それを打ち消す様に、士郎はぽつりと呟く。
 「セイバー……か」
 僅かに目を細める。脳裏に浮かぶのは、あの騒がしくも楽しい日常。
 凛が居て。
 セイバーが居て。
 藤ねぇが居て。
 桜が居て。
 そんな――暖かく愛おしい、家族達。
 「皆……今頃、何してるんだろうな――――」
 士郎は涙が出そうなのを堪えた。
 シグナムは、何も言わなかった。

 衛宮士郎は憂鬱だった。
 それは言ってしまえば何てことのない、誰でもあるような話だった。
 ――――郷愁(ホームシック)、だ。
 ただ、士郎に限って言えば、それは単なるノスタルジアに終わらない。
 つまり、何時帰れるのか≠ニいう不安だ。
 突如訪れた異世界。黒い影=B聖杯。サーヴァント。黒いセイバー。
 様々な不安要素が彼を取り囲んでいる。
 おまけに、どうやってこの世界に来たのかも、どうやって元の世界に帰るのかも、皆目検討もつかない状態だ。
 第二魔法――の線は無いとしても、聖杯が何らかの形で関わっているのは何となく分かる。
 しかし、そうだとしても、今の状況は異常である。
 ただ士郎が転移してきたというだけなら話は早い。無茶苦茶な話だが、何らかの事故か何かに巻き込まれたというのなら、そこまで納得できないものではない。
 しかし、士郎だけではないのだ。
 サーヴァント――共に歩もうと三人で誓い合ったセイバーまでもが、こちらの世界に来て、挙げ句に、暴れ回っている。
 そもそもサーヴァントとは聖杯戦争という儀式のみによって顕現する現象だ。魔術という概念すらないこの世界で、何故彼らが現れたのか。それも、第五次のサーヴァントのみが。
 何もかもが混沌としていて、今のままでは無事に元の世界に帰れるかも怪しかった。
 それどころか、元の世界が無事だという保証すらない――――
 その事が、士郎のことを苛んでいた。一向に手に入らない手がかりも、ソレに拍車をかける。
 戦うと決めた。戦いを終わらせるために、この世界を守るために戦う――その誓いは決して嘘ではない。
 しかし、それでも、自分の依って立つモノが存在しないということは、どうしようもなく不安をもたらす。
 帰れない、帰りたい。その気持ちはどうしても発生してしまう。
 あの日常に帰れないかも知れない――――その不安は、泣きそうなくらいに衛宮士郎の胸中を抉る。
 魔術も使えない自分。進んでそうなったとはいえ、戦場でお荷物になっているという現状。
 そして、どうしようもない不安と恐怖。
 それらは士郎の心を穿ち、切り裂く。独りは、こんなにも冷たいのか、と思った。
 脳裏に浮かんだのは一人の少女。いつだって自分を引っ張ってくれた、勝ち気で優しい黒髪の女の子。

 ああ……お前の声が、聞きたいなぁ。
 独りは冷たくて寒いよ。声を聞かせてくれ。なぁ、凛、――――

 吹きすさぶ寒風の中、答えるモノは誰もいない。

 シグナムについていく途中で、士郎はあることに気付く。
 言われたとおりにシグナムについていったわけであるが、どうにも見慣れた道だ。
 この先には食堂しかないはずだ。毎朝の様に通っているので、それは間違いない。
 士郎は若干冷や汗を流しながら思う。
 ……もしかして、お説教か何かだろうか。最近頭に凛達のことがちらついて、どうにもミスが多いから……遂に堪忍袋の緒が切れた、とか。
 今朝も塩と砂糖を間違えるなんてベタな失敗をしてしまったばかり。幾ら何でもあれはなかった。
 と、士郎が内心びくついていると――
 「――――開けてみろ」
 思った通り食堂の扉を前にして、シグナムがそんなことを言った。
 「……ちょっと怖いですね」
 「安心しろ。取って喰われることはない」
 ふ、といつもの笑みを浮かべる。
 そう言われるとむしろ怖さ倍増なんですけど――と、士郎はゆっくりとその扉を開けた。

 目の前で、ヴィヴィオが自分を見上げていた。

 「お疲れ様、士郎!」
 と、急に抱きついてきた。何とかそれを受け止め、見上げると。
 「お、来たッスねぇー」
 「遅い遅い。飯が冷えちまうぜ(、、、、、、、、)?」
 「……カレーよろしく」
 朝出会ったナンバーズの三人。ウェンディ、ノーヴェ、ディエチ。
 そして。
 「ああ、やっときた。いやー色々大変だったよ、皆手際悪くて悪くて」
 「セイン、その中心になっていたのはお前とウェンディだったぞ。まぁ姉は楽しかったが」
 「……久々の共同作業。私も楽しかったよ?」
 「そうだね、ディード。僕も楽しかったし……士郎には感謝、かな」
 と、セイン、チンク、ディード、オットー。
 教会組のナンバーズまで勢揃いだった。
 「ナンバーズの皆……? えっと、どうしたんだ急に……」
 そこで気付く。テーブルの上に、ずらりと並べられた料理達に。
 「これは……?」
 呟いた途端、ぽこん、と後ろから紙皿で叩かれる。
 「アンタ、鈍いのもほどほどにしときなさいよ」
 そこには呆れ顔の鈴と。
 「まぁまぁ鈴。士郎、これはね、要するにー」
 「うん。士郎君には皆お世話になっているからね。だからせめて――――」
 スバル、ティアナ。そして。
 「皆で士郎さんを労おう、ていうことですよ。ね、キャロ」
 「はい。いつも美味しいご飯食べさせて貰ってますから、そのお礼です」
 エリオとキャロがにこやかな顔で、厨房に立っていた。
 「リィンも手伝ったですよー、あ、はやてちゃん達、隊長陣は流石に参加出来なかったですー」
 「……手伝えなくてごめん、て言ってたぜ。というかリィン、お前つまみ食いばっかじゃねーか」
 「衛宮君は医務室常連だからねー。たまにはお礼しとかないと、ね」
 「――シャマル、それは皮肉か? ともかく士郎、お前は生き急ぎすぎている。たまにはこういうのも悪くないだろう」
 リィン、アギト、シャマルにザフィーラが微笑んでいる。
 今だに現状を飲み込めない士郎は、ぽかんと口を開けながら突っ立っている。
 「何馬鹿面で呆けてるんだよ。てめぇが最近妙にしょげてるから、皆こうして元気づけてやるって言ってるんだよ。企画したのはヴィヴィオ達だけどな。にしても……ビールが無いのがなぁ。ま、未成年がほとんどだし、しゃーねぇーか」
 いつの間にか士郎の横にいたヴィータが、ぶっきらぼうに言った。
 「くっくっくっく、そうは言うがな、ヴィータ。お前が一番気にしてなかったか? 料理が出来るまで衛宮の足止めをしておけ、と言い出したのはお前だろうに」
 シグナムがくくく、と喉を鳴らしながら、煙草を一本咥える。
 ヴィータは僅かに紅潮しながら、うっせーよと返す。
 士郎はまだぼんやりしている。衛宮士郎という人間は、好意を振りまくことには慣れているが、好意を受け取ることに関しては凄まじく不慣れだった。
 そんな士郎をヴィヴィオはじぃっと見た後。
 「士郎ー、ちょっと屈んでくれる?」
 「あ、ああ……」
 言われるままヴィヴィオの身長に合わせて士郎は屈む。未だに頭の中身は混乱している。
 ヴィヴィオはゆっくりとその手を士郎の頭の上に載せ――――

 「――――いつもありがとう! 士郎!」

 にっこり笑って、ぎこちなく――撫でた。
 見上げる。
 皆、笑っていた。
 ウェンディ、ノーヴェ、ディエチ、セイン、チンク、ディード、オットー、鈴、スバル、ティアナ、エリオ、キャロ、リィン、アギト、シャマル、ザフィーラ、ヴィータ、シグナム――――
 ――――そして、ヴィヴィオが、皆皆、士郎に微笑みを向けていた。
 そうである(、、、、、)、と。あるがままに、皆、笑っていた。
 「は――――はははは」
 は――何だよコレ。何なんだよコレは。

 何で――こんなに、この世界は、優しいんだよ。

 士郎の頬に、涙が一筋流れた。
 皆の前で、という考えも無かった。ただあるがまま、なすがままに――士郎は泣いた。
 自身の中にある不安と恐怖が溶け落ちていく。暖かい何かが、士郎の全身を包み込んでいた。
 何故か、そのことがどうしようもなく嬉しくて。
 士郎は、静かに、ただ静かに――泣いた。
 ヴィヴィオは僅かに眉を下げた。自分よりも大きくて強いはずの士郎が、今は何故かとても小さく見えていた。
 ……何だろう。胸が、とっても痛いよぅ。
 理由は分からない。この感情が何なのかも分からない。ただ、どうしようもなく切なかった。
 ヴィヴィオは迸る感情のままに――士郎のことをそっと抱きしめた。
 「……不安だったんだよね、怖かったんだよね。大丈夫、大丈夫だよ。皆居る。皆此処にいるよ、だから――士郎は、大丈夫」
 「――――っ!」
 幼子をあやす様に、大丈夫、とヴィヴィオは繰り返した。
 嗚咽に震える中、士郎は思う。

 ――――俺は、独りじゃない。

 何て、馬鹿だったんだろう。依って立つモノが無いなんて、嘘だ。
 誓った。誓ったはずだった。あの時、スバルと共に星空の下で、確かに誓った。
 この世界が好きだから――守る、と。
 確かに、今でも凛に会いたい。帰りたい、帰れないかも知れない、という思いは存在している。
 しかし、それ以上に、この優しさに報いたい、と士郎は思った。報いなきゃ、嘘だ、と。
 此処にいる皆に恩返しがしたい、と――心の底から、そう思う。
 この優しさを、あの星空の誓いを、嘘にしないためならば――衛宮士郎は闘える。立って歩ける。

 ――――だってそうじゃないと、お前にぶん殴られるもんな。そうだろ? 凛――――

 もう不安も恐怖もなかった。
 抱きしめてくれるヴィヴィオの横顔を見て。

 「――――ありがとう。本当に、ありがとうな……!!」

 泣き笑いの様な顔で、そう言った。
 ヴィヴィオはただ、うん、と頷き。
 頬につぅっと。一筋――――涙が零れた。

 ...episode5 Closed.

 episode6:L.O.B_Zero

■□■□

 少女は知った。この世界はどうしようもないことばかりだと。
 少女は知った。自分はこんなにもちっぽけな存在だと。
 少女は知った。この身は、ただあるがままで良いと。

 少女は知った。目の前に広がる未来(せかい)が――こんなにも真っ白で、何もない(、、、、)ということを。

 少女は――――知ったのだった。

 全ては、知ることから。
 物語はそこから始まる――――

■□■□

 そよそよとカーテンが揺れていた。窓からは雲一つ無い空と、眩しいほどの太陽が見える。
 白い基調の部屋の中心に、一つのベッドがあった。ベッドには橙色の髪をした小さな少女が眠っていた。
 それを見るのは、脇にある椅子に座っている一人の少女。
 ヴィヴィオだ。
 「……ねぇ、イクス。私、色々知ったんだよ……」
 上体を傾け、ベッドのシーツに頭を乗せる。ヴィヴィオはイクスの瞳を見つめながら、ぽつりと呟く様に語り出す。
 黒い影≠ェ世界を襲撃しているということ。
 その少し前に、変な感覚が自分を襲ったこと。
 正義の味方を名乗る、一人の青年に出会ったこと。
 ……今まで管理局若手トップ、不屈のエースオブエースとして、尊敬の眼差しで見ていた母――高町なのはも、自分と同じ人間に他ならないんだと。
 「考えてみれば……当たり前のことなんだよね。お母さんも人間で、私と同じことを考えて、私と同じような子供時代を過ごしたことがある、なんてことは」
 行き過ぎた尊敬は崇拝と同じだ。敬い、そうなりたい、そうありたいと思うのは自然だ。だが、そうあるべき(、、、、、、)という認識は間違っている。
 道は無限に広がっているのだ。たかだかそんなもので、全てを決定づけるのは勿体ない。
 ――――だけれども。
 「私は……もっとゆっくり、知りたかったな……」
 ただあるがままで良い――その認識のスイッチの切り替わりが、あまりにも早すぎたのだ。
 「急にそんなこと知っても……何をして良いか分からないよ……」
 それは悟り、一種の達観に近い。幼き身には、少し重すぎる。
 今まで高町なのは――母のように立派な魔導師になりたい、なるべきだと思っていた。でも、それ以外の道も(、、、、、、、)あるのだ。それこそ、無限に。
 経験が全くない、ということはない。確かに色々やってきた。無限書庫の司書みたいなこともやった。しかし、それは全て母のような立派な魔導師になるべく、ということには変わりない。
 陛下と呼ばれ。高町なのはの娘と呼ばれ。しかし、そんなものは幻想で。
 自分は(、、、)一体何がしたいんだろう(、、、、、、、、、、、)
 その疑問に答えられる者は誰もいない。
 ソレを知りつつも、ヴィヴィオは問う。想いが迸って、どうしようもなかった。ヴィヴィオの小さな器には、その感情の揺れ幅は大きすぎる。
 それは壊れるかと想うほどに、巨大すぎた。

 「私、どうすればいいのかな。何をすればいいのかな。ねぇ……教えてよ、ねぇ、イクス――――」

 答えるモノは。
 応えるモノは。

 どこにもいなく。誰もいなく。
 少女は未だ、黒い夜を超えられない。

 ...episode6 Closed.

→EP:9

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