|L.O.B EP: EX Pt-1|
 

 私達は忘れてはならない。
 この暖かな日常を。平和な日々を。夢見る明日を。

 ――――それは魂の帰るべき場所なのだから。

 Extra / そんな日々 Spiritual_Garden

 episode1:その後の話 〜鈴の場合〜

 「……おはよう」
 「――――おはよう、鈴」

 早朝、機動六課の隊舎。
 私は食堂で野菜を切っている、既に見慣れた姿の士郎に声をかけた。今日も相変わらずエプロンが似合っている。もうこれ以上はないというほどに。
 何だかなぁと思いつつ、視線を横に移した。
 「あ、おはようございますー鈴さん」
 「おお、鈴ちゃんかい? 珍しく早いね。どうしたんだい?」
 その横で士郎を手伝っているヴィヴィオと、機動六課再編に伴い、現場復帰したおばちゃんが私に話しかけた。
 私は笑いながら。
 「おはよう、ヴィヴィオ。おはよう、おばちゃん。どうですか? この馬鹿、足手まといになってませんか?」
 と、若干皮肉を込めながら、挨拶を交わした。
 ……む、と眉をしかめる士郎。ざまぁみろ。私を泣かせた罰だ。
 なんて、ちょっぴし意地悪というか理不尽なことを思う。
 「はっはっはっは、そんなことないよ。士郎ちゃんはよくやってくれてるよ。んー最初、私の代わりに下準備やるって言い出したときはどうなるかと思ったけど……ここまでやれるなんて嬉しい誤算だよ」
 がはは、と恰幅の良い体で大笑いするおばちゃん。
 「だから、士郎と私だけで十分って言ったのにー」
 と、ヴィヴィオ。
 「いやいや、機動六課も再編されて、人数も多くなったからねぇ。いつまでも休んでるわけにはいかないよ」
 言いながら、頭をぐにぐにするおばちゃん。うにーと鳴きながら、目を細めるヴィヴィオ。ああ可愛いなぁチクショウ。
 と、そこで私は先ほどのやり取りの中に、聞き流せない言葉があったことに気がつく。
 「――――士郎?」
 「うん? 士郎は士郎だよー。いつまでもさん付けっていうのも他人行儀だし」
 鼻歌を歌いながら、食器を運ぶヴィヴィオ。その様は実に楽しげだ。
 「……アンタ、まさかヤバイ趣味してるんじゃないでしょうね?」
 「何だ、その蛇のようなジト目は。ヤバイって何だよ。別にヴィヴィオがそう呼びたいって言ってるんだから、それでいいだろ?」
 ――やはりコイツ天然か。
 何だかどうでも良くなってきて、はぁと溜息を吐く。そんな私を見て首を傾げる士郎。
 とりあえず私は要件を済ませることにする。
 「ヴィヴィオー、おばちゃーん、ちょっとコイツ借りてくわねー」
 「ちょ、お前人をモノのように――――」
 と士郎は抗議するが。
 「ああ、構わないよ。ちょっと忙しいから早目に返してねー」
 「うん、いいよー生モノなので、賞味期限に注意だよー」
 「……何でさ」
 おばちゃんとヴィヴィオの爽やかな笑みに項垂れた。ああ、コイツ面白いかも。
 とりあえず弄り倒してやりたくなったが、今は用事を済ませることにする。
 「ほら行くわよ」
 「……分かったから耳を引っ張るな。痛い」
 私はぐいぐいと士郎を引っ張りながら、廊下へ連れて行く。
 あんまり人に聞かれたくない類の要件なので、すぐ近くの談話室へ入った。早朝なので人も来ないだろう。
 「で、話したい事って何だ――――よっと!?」
 私は士郎が何か言う前に、首根っこを引っ掴み。

 「昨日のことは忘れること!」

 そう言い切った。
 ――――どうして、私を独りにしたのよぉっ!!
 今思い出しても頭が痛くなる。こんな醜態は初めてだ。幾らコイツが自分の父と同じ存在だとしても、それでも別物なのは間違いない。
 それなのに、あんな言葉……そもそもコイツに当たるのは間違いなのだ。というか色々恥ずかしい。
 「ああ、そんなことか。大丈夫だ。俺はこう見えても口が硬いんだ」
 「いや、そういうことじゃないんだけど……まぁいいわ」
 にへら、と笑う士郎に何だか気力が削がれる私。こんな所まで無駄に父と似ている。ああ、憎らしい。
 ふぅ、と一息吐いて、私は腕を組む。
 「で、本題だけど……アンタに渡したストレージデバイス……F・H――ファンタズム・ハート≠セけど、返さなくても良いわ」
 「……いいのか? その、これはお前の親父の――」
 申し訳なさそうな顔。それを横目見つつ。
 「いいのよ。それはちょっと特製で、衛宮士郎≠ノしか使えない。私が持っていても仕方ないのよ。だから、アンタが持ってなさい。リンカーコアが無くても、通信や精神リンクくらいは使えるでしょう」
 ついでのように言った。
 ……デバイス、F(ファンタズム)<Vリーズは母の手製だ。母は技師ではなかったので、恐らくどこからか調達してチューンした代物だろう。私が持つファンタズム・カレイド・カスタム≠見れば分かる。この世で二機しか存在しないシリーズ……ストレージとインテリジェント、番のデバイスは、登録した人間にしか使えない。
 死の間際――母は、その登録権を娘に移譲した。きっと、母には分かっていたのだろう。私が進む道。私が、管理局に入るだろうということを予測していたのだ。それは、素直に嬉しい。喜ぶことなんだと思う。だけど……私は、そんなことより……
 いや、これ以上考えるのは止めよう。このことは散々考えたことだ。そんな今更の話をしても仕方ない。
 とにかく今は、このデバイスのことを話さなければならない。
 「アンタは魔導師じゃないから、意味ないかも知れないけど、一応話しておくわ。そのデバイス……F・H(ファンタズム・ハート)はちょっと特殊よ。本来デバイスとは魔法プログラムを保存しておくハードディスクに過ぎないわ。でも、F・Hはそれだけじゃない。そのデバイスはね、術者の身体と機械融合するの(、、、、、、、、、、、、、)。一時的に術者の身体構造を機械に組み替える物騒極まりない機能よ」
 この特性からいって、F・Hはストレージというよりもユニゾンデバイスに近い。が、しかし話はそんな単純ではなかった。
 本来、融合型(ユニゾン)デバイスとは状況に合わせて術者と融合することにより、魔力の管制・補助を行う姿と意志を与えられたインテリジェント・デバイスのことを指す。
 でも、これはそんな生易しいモノじゃない。F・Hは術者と融合し、状況に合わせて身体構造を組み替える(、、、、、、、、、、)。つまり魔法による強化とは別に、物理的に身体機能を押し上げるシステム。あまりに複雑な機構故に、AIすら組み込む余裕のない物騒なデバイスだ(厳密に言えば、身体・戦闘記録・癖・DNA・精神の動き・脳波などの登録者から転写されたパーソナルデータがAIそのものなのだが)。
 言うなれば、浸食型(イロウジョン)デバイス。
 体を機械に組み替える訳だから、無論、一歩制御を間違えれば――失明や下半身不随で済まない。心臓が停止して死ぬ可能性すらある。
 しかし、確かに父が、才能のない人間が高レベルランクの魔導師と渡り合うには必要な機能だったのかも知れない。魔法とデバイスによる二重強化(デュアル・ブースト)。恐らく、半端じゃない強度を誇ったはずだ。
 ――そして、その代償は、自分の命。
 私は静かにその事を思い、告げた。
 「いい? そんな危なっかしいデバイスだから、使用には注意するのよ? 下手なことをされれば、暴走起こして、アンタの体を飲み込む可能性があるから」
 素っ気なく私が言うと、士郎は笑って。
 「……ああ、分かった。正直、この世界の魔法≠ヘよく分からないけど……気をつけるよ。ありがとうな、鈴」
 「――――」
 そう、私の名前を呼んだ。
 ――――その笑顔が、在りし日の父と被って消えた。
 私は頭を振る。
 ……士郎は父じゃない。そんなことは十二分に分かっている。それでも……時々垣間被って見える父の姿が、私を悩ませる。
 叶わない理想を追いかける姿。自身を正義の味方と定義するその在り方が、どこまでも父と同じだった。
 しかし、違う(、、)。違うのだ。
 自分の中にある衛宮士郎は一人だけだ。記憶の中、ごめんな≠ニ言った衛宮士郎はたった一人。そして、その衛宮士郎(とうさん)は死んだのだ。もういない。
 仮に、クローン・平行世界人・異世界人、何でも良い。顔つきから爪の先まで、全く同じ存在の衛宮士郎が居たとしても、それは違う人間に過ぎない。
 死んだ人間は生き返らない。どこまでも人間というのは孤独。それはこの世界の真理で、覆せないモノなのだから。
 ――――世界はいつだって、どうしようもないことで満ちている。
 自らが探し求める答えは遥か遠く。それを手にするには、まだ私は未熟すぎた。
 だから。
 せめて、今は。
 今だけは――――
 「士郎」
 「……ん?」
 ――――今だけは、この父親と同じ香りのする青年と共にいても良いだろう。

 ――――俺は正義の味方だから。だから、俺は人を救うんだ――――

 それは喪った父の代替品のような思いなのかも知れない。父と同じ思考を持つ彼と共にいれば答えが見つかるかも知れないという打算的な思いなのかも知れない。
 だが、それでもいいと、私は思う。
 父親が何を見て、何を想ったのか。何故、あそこまで正義に固執したのか。この胸に燻っている想いの答え。
 もしかすると、それは誰にも理解出来ないモノなのかも知れない。人と人とはわかり合えない。そんなことは理解している。
 しかし、理解しようと思うことは間違いではないはずだ。
 ――きっと。この青年と同じモノを見続けることが出来たなら、いつか答えに辿り着けるかも知れない。自分が納得するに値する答えに。
 彼らが目指す、正義の味方という幻想(ユメ)。それにどんな価値があるのか、どんな意味があるのか。
 今までは嫌い嫌いと拒絶するのみだった。考えてみれば真正面から父と向き合ったことはなかった。いつも自分のことしか見えていなかった。
 父はもういない。けれど、同じ理想を夢見た青年が此処にいる。なら、一度。せめて一度だけでも。

 ――――その歪な正義の味方(ユメ)に、付き合っても良いんじゃないかと、私は思う。

 どうして、と嘆くだけじゃなく。何故、と悲しむだけじゃなく。
 大好きな母さんが許容して、大好きな父さんが目指した、その夢に――真正面から向き合ってみよう。
 その先に、自分が探し求める答えがあると信じて。
 だから、私はこう言うのだ。
 少しの間、沈黙している私を不思議そうに見つめる、その瞳に。

 「――――とりあえず、ホットミルク。暖めすぎたら承知しないんだから」

...episode1 Closed.

 episode2:その後の話 〜スバルの場合〜

 くりくりと大きい瞳が好きだった。
 ウェーブのかかった、柔らかい髪が好きだった。
 明るくて、人懐こい。けれど、トラブルメーカーな彼女のことが、私は好きだった。
 そんな彼女だから、私は笑っていられた。湾岸特別救助隊という激務の中で、少しだけ挫けそうになっていた私を支えてくれたのは、きっと、彼女の微笑みだったのだから。
 彼女の、その優しく穏やかだけど、どこか破天荒な性格のせいで、大変な騒動に巻き込まれたこともあったけれど。
 それでも、私は、そんな彼女の居る日々が、本当に――本当に大好きだった。

 ――――ねぇ、レスタ。私、レスタのことが好きだった。本当に、大好きだったんだよ――――

 曇天の空の下。十字を掲げた墓石が立ち並ぶ中で、スバル・ナカジマは立ちつくしていた。
 目の前にあるのは、一つの墓。まだ真新しい。少しだけ豪奢に拵えられた墓石は貴族の証だ。
 花々の少し上、刻まれた文字は――Foresta Exteria。
 添えられた数々の花に、スバルは自分の手にしているソレを加える。白くて、小さめの花弁が目を引く。
 第97管理外世界――――祖先の故郷で、尊い思い出(エーデルワイス)≠ニ呼ばれる花によく似ていた。
 「……これ、レスタが好きだった花だよ。私にそう言ったこと、覚えてるかな……?」
 スバルはぽつりと呟き、そして掌を合わせて、黙祷した。
 新暦81年 四月十三日――――第102管理世界にて現れた黒い影=Aそして危険戦闘個体<サーヴァント>の襲撃によって、命を落とした者達の墓が、ここだった。
 スバルは墓の下にいる同僚達、一人一人に花を手向け、祈った。そして、その行為の最後の場所が、スバルの親友であり、コンビの片割れだった(、、、)フォレスタ・エクステリアの墓だった。
 ――遅くなって、ごめん。
 スバルは黙祷の最中、静かにそう謝罪した。
 ここに来るのは、葬式以来だった。多くの被害者達の親族――その中に、貴族エクステリア家の姿もあったことをスバルは思い出す。
 あの悲痛な姿。一人娘を亡くした悲しみに、多くの人が泣いていた。人懐こく優しい性格もあり、その悲しみは一際大きかった。
 啜り泣きと慟哭が支配する悲しみの中で――しかし、スバルは涙を流していなかった。ただ沈黙して、俯くのみだった。拳を握りしめ、歯を食い縛り、心の中で謝罪を繰り返していた。
 ごめんなさいごめんなさい――守れなくて、ごめんなさい、と。
 スバルは親友が亡くなった悲しみよりも、ソレを守れなかったという自己嫌悪の方が勝っていた。
 何故、守れなかったのか。
 これは自分のせいだ。
 あの時、自分が選択を間違えたせいで。
 自分が無力だったせいで。
 ――――そして、挙げ句の果てに、自身の全てを否定された。
 同僚の死も、遺族の悲しみも、全て自分に向けられているような錯覚があった。そんなものは傲慢であると知りながらも、心が磨り減っていくのは止められなかった。
 自分は単なる傲慢者だと。皆から、そう突きつけられているようで、堪らなく恐ろしかった。
 だというのに、自分には謝ることしかできない。根幹にあるモノが砕かれ、それでも前へ向けるほど、スバルは強くはなかった。
 ――――レスタの仇も討てない、討とうとも思えない自分が、嫌いで、憎くて、情けなかった。
 そして、それを全て含めて、まるで悲劇のヒロインに酔っているような感覚が全身を支配した。そうでもしないと維持出来ない自我が、どうしようもなく許せなかったのだ。
 自己嫌悪が自己嫌悪を呼ぶ、感情の袋小路。いつしかスバルはそこに追い詰められていた。
 そんなとき――――

 ――――――――俺が、正義の味方だからだ

 衛宮士郎と、出会った。
 黙祷を終え、目を開いたスバルは静かに語り出す。
 「……ねぇ、レスタ。私、面白い子に出会ったよ……」
 暴走した自分。
 士郎との出会い。
 憧れていたなのはも一人の人間として苦悩していること、その実感。
 そして――星空に誓った、あの言葉。
 この数週間に起きた出来事を、丁寧に語る。
 今、スバルの心は凪いだ海の如く穏やかだった。葬式の時のような酷い自己嫌悪は既に無い。
 「……色々あったんだ。レスタが死んでから、本当に、色々……」
 僅かに目を伏せる。スバルの脳裏には、四月十三日からの日々が走馬燈のように流れていた。
 そして――――

 この世界を守る事を、この星空に――誓う

 あの星空が、目蓋に映し出された。
 「……私、もう迷わないよ」
 しっかりと見開いた確たる瞳を墓石に刻まれた名前に向けて、スバルはそう言い放った。
 あの星空の下で、スバルは知ったのだ。
 例え自身がどうであれ、救われた人が存在する。笑顔になった人が居るということを。
 ――――感謝されたことが、嬉しかった。
 ――――助けることが出来て、嬉しかった。
 ただそれだけ。自身に存在するのは、ただそれだけのことなのだとスバルは知った。
 「確かに、私はずっとなのはさんに自分を重ねてきた。なのはさんのようになりたいって。なのはさんに近づければ近づくほど嬉しかった。ずっとそんな自己満足で人を救ってきた」
 それは他人から見れば、酷い偽善だろう。
 憧れに自身を投影することで、悦に浸る、最低最悪の偽善行為。だからこそ、スバルはそのことに気付かないようにしていた。それは無意識下のことだったが――アーチャーの一言によって、それが剥き出しにされた。
 汚い自分。汚い信念。汚い思想。
 そう理解した途端、全てが崩れた。自分はどうしようもなく汚い人間だと、思い知ってしまった。
 しかし――――
 「でもね、彼は……士郎君は、そんな私が羨ましいって言ったんだ。私は、私のままでいいって」

 ――――それで、いいじゃないか。それだけでいいじゃないか――――

 例え、それが汚くても、人を救うという行いは綺麗なものだと、士郎は笑いながら語った。
 今まで救ってきた人達とその笑顔。
 守ってきたモノがあって、守ることの出来たモノ。
 その事実。自身が偽善(にせもの)であっても、それだけは揺らぎようのない真実(ほんもの)だ。
 それだけで良い。それだけで、自分は闘える。
 「だから、私はこれからも闘うよ。あの時、自分を助けてくれたなのはさんのように、誰かを救っていこうと私は思うんだ」

 苦しくて、悲しくて、助けてって泣いてる人を助けてあげられるようになりたいんです――――

 その信念だけは、何よりも尊く、綺麗なモノだと思うから。
 そう言った後、座り込み、目線を墓石に刻まれた名前に合わせた。
 少し眉を下げながら、そんな表情で。
 「――――私、この世界が好き。皆の笑顔を見ることが好き。その笑顔を守ることが出来る今の仕事が好き。……だから、これからも頑張っていくよ。頑張って、いけると思うんだ」
 管理局が間違っていると言われて、揺らいだこともあった。
 確かに今の管理局が全て正しいとはスバルも思っていない。しかし、そうだとしても管理局によって救われた人達が存在するのも、また事実だ。
 ならば、是非はない。誰かを守ることが出来るなら、今の世界を守ることが出来るのなら――――この拳に意味があると信じる事が出来る。その覚悟は出来ている。何があっても。
 ――――でも。

 「そこに、レスタは、居ないんだねぇ…………」

 スバルは体を抱きしめるように、蹲った。体を抱く腕が震え、堪えきれないとばかりに涙が零れた。唇が揺れ、それに連動して、吐いた息もまた揺れ動く。
 何かを堪えるように全身が蠕動する。
 「レスタ……」
 脳裏に浮かぶのはレスタとの思い出。賑やかで、暖かく、スバルが何よりも大切に思っていた日常。確かに彼女のせいで様々な厄介ごとに巻き込まれたこともあった。
 人懐こくマイペースなトラブルメーカーという気質から、割ととんでもないことになったこともあった。
 彼女のファミリーネームから取って――エクステリア事件、と名付けられたその出来事のことをスバルは思い出していた。
 「全く――レスタは、いつだって……無茶苦茶なんだから……」
 あの時も言った言葉を繰り返す。その事が、余計に喪失感を加速させ、更に震えが大きくなる。
 スバルは笑おうとしたが、口元が僅かに引き攣るだけだった。
 喪失感。虚無感。虚脱感。
 亡くした痛みに、心が震えた。
 「……フォレスタ――エクステリア――――!」
 あの優しい日常をなぞるように、スバルはその名前を呼んだ。
 そこには自己嫌悪も自己否定も自己憐憫も無かった。
 あるのは、ただ、ただ――――純粋な悲しみだけ。
 同僚であり、親友――そんな掛け替えのない存在を亡くしてしまったという無垢な悲しみだった。
 スバル・ナカジマはフォレスタ・エクステリアのためだけを思い、悼み、声を押し殺して泣いた。

 「一皮剥けた……ってことですかね」
 「――――ティアナ。それは違うわ、きっとスバルは再認識しただけよ。自分の持っているモノについて……ね」
 スバルが蹲る姿を、遠くから見ているのは、ティアナ・ランスターとギンガ・ナカジマだった。
 二人の手には花。だが、それを目的の所に添えることは無く、二人はスバルが体を抱きながら蹲っている墓地から静かに去ろうと歩き出した。
 ティアナは僅かに目を細め。
 「それも成長ですよ(、、、、、、、、)、ギンガさん。皆が皆、自分の立っている場所を知っているとは限らない。立ち位置の認識は、とても重要なことですよ。そして、それは誰かに教わることが出来ない」
 そう言った。
 ギンガはそれを受けて、僅かに笑う。
 「……流石、執務官ね。私も、かつては分からなかった。自分が――自分達(、、、)がどのような場所に立っているのかを。もし、『J・S(あの)事件』が無ければ、私も知ることはなかったと思う」
 「何年も執務官(こんなしごと)をしていれば、誰でも感づきますよ。管理局の矛盾、時空を管理するというその傲慢……あまりに歪な、その正義に。私達、管理局員は皆、柔らかい地面の上に居る(、、、、、、、、、、、)
 それを知っている人間が、果たして何人いるだろうか――――。その言葉は紡がれることは決してない。
 管理局は、正しくもあり、間違ってもいる。だが、それが無ければ世界は動かない。回らない。言うなれば必要悪だ。
 悪を背負って、正義を行う。
 ――――管理局とは、つまるところ、そんな組織だ。
 「私達は、管理局にいる者は皆――その上で理想を目指している。そして……いつか、大きな揺り戻し(、、、)が来ることも、そのことをスバルは知った。それは間違いなく前進だと、私は思います」
 罪には罰を。因果には応報を。暴力には報復を。
 管理局には、いつかきっと――――今までのツケを払うときが来る。それは間違いなく世界を殺す引き金となるだろう。
 その象徴がスバルも会った、反時空管理局組織(Anti.Administrative.Bureau)。既に銃口はこちらに向いている。
 ――――世界は滅ぶ=Bあの予言は、もしかしたら――――
 ふと、ティアナはギンガの横顔を少しだけ見た。俯き、何かを考えているようだった。
 「揺り戻し――か」
 ギンガは、ぽつりと呟いた。ティアナがそれに気付き、再び振り向く前に――

 「ティアナ。貴女には、話しておくべきかも知れない。私と……スバルに対する、いつか来る揺り戻しのために」

 決意に満ちた瞳で、そう言った。
 「揺り戻し……?」
 ティアナは足を止め、そう繰り返した。見えるのは、ティアナが先に足を止めた分、前進したギンガの背中だ。
 振り向かずにギンガは言葉を続ける。
 「いい? ティアナ。このことだけは覚えておいて。私も、スバルも――人間じゃない(、、、、、、)
 「っつ――――!」
 一気に血が頭に上るのを、ティアナは感じた。確かにギンガもスバルも戦闘機人だ。人為的に生み出された戦うためだけに存在する人型兵器。
 だが、それでも二人は人間だ。自我を持ち、感情を持った人間なのだ。喜び、怒り、泣いて、悲しむ事の出来る歴とした人間だ。ただ少し、普通とは生まれ方が違っただけの。
 何よりそれを認めてしまったら、全ての戦闘機人や人造魔導師も人間ではないということになってしまう。スバルも、ギンガも、ナンバーズの皆も、フェイトも、エリオも、ヴィヴィオも――全て、人ではない兵器へと堕してしまう。
 それは戦闘機人であるギンガも知っているはずだ。その言葉は、当事者であるギンガが最も言ってはならないモノなのだ。
 だから、ティアナは激昂した。その感情のまま、叫ぼうとする。
 ――――貴女は人間だ、と。
 しかし、その言葉が放たれることはなかった。振り向いたギンガの瞳が――――悲しげに揺れていたからだ。
 まるで全て分かっている≠ニ。そう自虐しているようだった。
 「私達はね、人じゃない。人工的に生み出された人の形をした兵器。どんなに違うと喚いたところで、その事実は変わらない――」
 言葉よりも、その瞳が哀しくて、ティアナは言葉を紡いだ。先ほど、叫ぼうとした言葉を。
 「……そんなこと、ないです。ギンガさんも、皆、――ちゃんとした人間です。だから、そんなこと言わないで下さい……っ!」
 ギンガは、その言葉を受けて、ふ、と優しく笑った。
 「ありがとう。ティアナは優しいね。でもね、その優しさが問題なのよ(、、、、、、、、、、、)。――――そう、この世界は、優しすぎる。その優しさはとても尊いモノだけど、でも、現実は何も変わらない。幾ら言葉で繕っても、私達が人外である事実は厳然として此処に存在する。私達の意思とは関係なくね」
 は、とティアナは気付いた。ギンガが何を言いたいのかを。
 「ジェイルの遺産=c…条件付けによる洗脳技術(コンシデレーション・コンソール)……!」
 「そうよ。でも、それだけじゃない。人造兵器を御する技術なんて、幾らでも存在する。私達≠フ意識は、スイッチ一つ(、、、、、)でどうにでもなるのよ。それは、J・S事件でも明らかだったでしょう?」
 六年前の事件。その時、ギンガはジェイル・スカリエッティに捉えられ、意識を改竄、洗脳され、六課と敵対した。
 「私はあの時、思い知ったわ。自分がどんなに危うい存在なのかを。私が、私達が、誰かに生み出された存在≠ナある以上、誰かに操られる技術≠ゥらは逃れられない。その――どうしようもない、現実を」
 つまりギンガもスバルも――管理局という危うい立場より、更に脆い地面に立っているのだ。例えるなら、それは今にも崩れそうな崖の如く。
 その揺り戻しは、いつか必ず自らを破綻させる。
 そんな厳然たる事実に、ティアナは固唾を呑んだ。
 「だから、ティアナ。私達――いえ、スバルにその時(、、、)が来たら――――」
 「待って! 待って下さい! そんな、そんな……こと……!!」

 「――――貴女が、スバルを殺して。せめて人間らしい死を――あの子に。これは、スバルの親友の貴女にしか頼めないわ」

 いつか巻き起こる争乱。その時、きっと管理局は形振りを構わない。そうなれば、真っ先に駆り出されるのは自分たちのような人造魔導師(へいき)だ。ここまではまだいい。覚悟の上だ。
 だが、J・S事件の時のように、自意識を狩られ、管理局と敵対する。そんな事態になれば、人としての生など望めない。J・S事件が特別だったのだ。あのような幸運、二度と有り得まい。
 今、こんなことを言うのは酷かもしれない、とギンガは今更ながらに思った。
 しかし、事態は動き始めている。黒い影≠フ襲撃による混乱の中、不穏な動きは確かに水面下で動いているのだ。
 恐らく黒い影≠ェ動いている間に何がどうなるという訳でもないだろう。しかし――黒い影℃膜盾ェ解決された、その後のことは分からない。
 半年後か、一年後か、十年後か――見当もつかないが、確実に大きな争乱は起きる。その予兆は既にあるのだから。
 ギンガはティアナの苦虫を噛み潰したような顔に目を細めた。
 「ごめんなさいね。今、こんなこと言って。……でも、言える内に言っておかないと――私は多分、後悔する。それだけは避けたいから――――」
 「……謝らないで下さい。私は、その約束は守れませんから。私は、絶対に――そんなことはしないですから……! もし、スバルがそんなことになっても、私は殺さない。止めてみせます。絶対に……止めてみせますから……っ!!」
 ギンガは、それに何も言わず、歩みを進めた。
 その背中が、約束の可否はどうでもいい。ただ覚えていて欲しい――――と語っていた。
 ――――卑怯だ。ずるい。
 そんなことを言われても、どうすればいいか分からない。そこまで自分は冷酷になれない。いや、それ以前にスバルが、ギンガが、そのような事態になるとは考えられない。二人は強い。簡単に敵に捕まるとは思えないし、簡単に洗脳を受けるとも思えない。
 ティアナはそう思うが、しかし、己の冷静な部分(、、、、、)が告げる。
 お前がどう思うかは勝手だ。しかし、その危険性は決してゼロではなく、厳然として存在しているのだ――と。
 ああ――この世界は、どうにもならないことで満ちている。
 そのことがどうしてか悔しくて、ティアナは拳を握りしめた。

 ごめんね。ティアナ。本当に――ごめんなさい。
 心の中で、そう謝罪しながら、ギンガはティアナから離れていく。
 悲しげに瞳が揺れ、風に長い髪がたなびいた。
 そんなギンガを慰めるようにブリッツ・キャリバーが輝いた。
 ちゃり、と、それを握りしめる。立ち止まり、祈るように自分の相棒を握る。
 組んだ両手を額に当て、離す。
 「そうだね、ブリッツ・キャリバー。大丈夫だよ、私も――スバルも。もう、覚悟は出来ているから」
 そう言い、掌にあるブリッツ・キャリバーに視線を落とす。
 その中にあるモノ(、、)――母親から受け継いだリボルバーナックルに思いを馳せる。

 「……スバルは強くなったよ、母さん。だから、そろそろ――――良いよね」

 ギンガはそう呟き、曇天の空を見上げた。

 ――――後年。現在よりおよそ十二年後の新暦九十三年(0093)
 二人の思いを余所に、または思い通りに、歴史上最悪の戦乱――時空戦争≠ェ巻き起こる。
 その最中、ギンガの予測通り、ティアナはその選択(、、、、)を迫られる訳だが――それはまた別の物語である――――

 ...episode2 Closed.

 episode3:その後の話 〜エリオの場合〜

 その日。夜――仕事が終わり、リラックスしているフェイトの所に、エリオがその扉を叩いた。
 「フェイトさん、今、ちょっと良いですか?」
 「……エリオ? どうしたの?」
 フェイトは制服の上着を羽織り、訝しみながら、扉を開けた。
 エリオとは、あの時≠ゥら会話もしていなかった。エリオが虚な瞳で、強くなりたいと叫んだときから。フェイトがそんなエリオを否定したときから。
 駄目だよ、エリオ。それだけは――駄目だ
 フェイトさん……貴女はいつも正論ばかり口にする。だから分からない。いつだって正しい貴女には――俺の事なんて、分からない……!!
 その事を少しだけ思い、僅かに眉をしかめた。
 そんなフェイトの瞳の先に、エリオが居た。
 エリオの体は、もう完治していた。だからこそ、こうして仕事に復帰し、自由に歩いているのだが……。
 ――――何の用だろう。
 そのことが気になった。あの時≠フ再現か、とも思ったが、エリオはもう暗い瞳をしていない。元より、エリオにはキャロが居る。一時の間違いはあるかもしれないが、二人ならば、それを乗り越えられると信じていた。だから、心配と言えるほどの心配はしていなかった。
 だとすると、今、エリオが尋ねてくる理由が見あたらない。仕事絡みかとも思ったが、ならば、通信で十分なはずだ――――
 そうフェイトが思った所で、ある事実に気付いた。
 もしかして、ストラーダのこと……?
 あの時、取り上げたエリオのデバイス、ストラーダは、未だにフェイトの元にある。あの暗い瞳をしていたエリオには、非常に危険だと判断したからだ。
 少なくともエリオが、ある程度立ち直るまで、これは預かっておこうと思っていた。
 それを返して欲しい――ということだろうか。しかし、まさかエリオが、そんな短絡的なことをするとも思えない。
 だとすれば、何なのだろう……?
 そうフェイトが疑問に思っていると。

 「――――俺と模擬戦、お願いできますか」

 そんな、予想外の言葉が飛んできた。

 夜の訓練室は、昼間と違い、利用者も少ない。夜中に利用するには申請が必要だが、フェイトほどの階級にもなれば独自の判断でパスが可能だ。
 そんなわけで、先ほどエリオが尋ねてきたときから、さほどの時間も置かず、ここにいるのだが――――
 フェイトは体をほぐしながら、同じように準備運動をしているエリオを見る。
 突然自分と戦いたいと言い出してきたエリオが、今何を考えているのかは分からない。だけれども、何かしらの強い想いがあるのは分かる。
 ならば、自分に出来ることは、それを受け止めることだけだ。
 そうフェイトは思い、バリアジャケットを身に纏った。
 「……方式は、前六課の訓練の時と同じでいいよね。仮想空間設定(フィールド・セッティング)はどうする?」
 「可視最大の障害物無し(ケース・フラット)≠ナお願いします」
 「分かった。――バルディッシュ」
 エリオの言葉を受け、フェイトがデバイスに命じた途端、二人の周りが変化した。突起物は全て白い床の下に沈み、開けた空間が展開される。
 「――――起動開始(ドライブ・イグニッション)
 エリオは手元にあるデバイスを起動させる。それは彼本来の相棒ではない。管理局から支給される極一般的な近代ベルカ式の槍型ストレージ・デバイス。出力も演算能力も、ストラーダより遥かに劣っている。
 「……本当に、良いの? エリオのデバイスは――――」
 「分かっています。それでも――俺はやりたいんです」
 エリオはそう告げ、重心を低く構える。
 
 「――――行きます」

 そして、爆ぜるように地面を蹴り、フェイトにとって意図の読めない模擬戦が開始された。


 フェイトは今回の模擬戦、あまり乗り気ではなかった。エリオはまだ病み上がりであり、そしてデバイスも汎用のものだ。非殺傷訓練設定だが、万が一のこともある。
 エリオはここ五年で驚くほど実力を付けた。伸びる年頃とはいえ、この成長速度は、それだけで説明がつかない。
 一種の天才。それは恐らくフェイト本人にも匹敵するほど――――
 だが、そうはいっても、まだ未成熟であることもまた事実だ。万全の状態でストラーダを用いても、フェイトには遠く及ばない。
 だから、怪我をさせるとしたら、間違いなくフェイトからエリオに対してだ。
 それは自惚れでも自意識過剰でもない。冷静な判断と客観的な視点から見た、厳然たる評価だ。

 ――――しかし、そんな評価は、エリオの初撃によって、全て吹き飛んだ。

 「――っ!」
 右からの横薙ぎの一撃。最初はいなして反撃、という計算は、その衝撃の大きさによって破綻した。
 ――なんて重い一撃。これが、本当に汎用デバイスの威力なの……!?
 体勢を立て直し、フェイトは真上からバルディッシュを振るう。
 風を切る音。斬撃。
 だが、そのまま斬撃は床に到達。エリオは既にいない。
 ――――警告。
 「!?」
 いつの間にか背後にいたエリオが、最も隙が少ない攻撃――突き≠繰り出す。
 フェイトはソニック・ムーブを発動、残像を残し、エリオから距離を取る。
 しかし、それを読んでいたかの如く、エリオは突きの構えそのままに雷光を纏った魔力弾を放つ。
 視認し、バルディッシュを横に薙いだ。
 綺麗に魔力弾が掻き消える。その手応えの無さにフェイトは戸惑う。
 ――斬撃に較べて、砲撃が弱すぎる。これは……!
 初撃の斬撃に対し、今の魔力弾は軽すぎた。後者は汎用デバイスに相応な威力だが、それに較べ、斬撃の威力が桁違いだ。
 その齟齬、違和感。
 ――チグハグだ。
 しかし、その思いの正体は、次のエリオの挙動によって、明らかになった。
 床を蹴り、弾けるように駆け出す。バリアジャケットを一部解除して(、、、、、、、、、、、、、、、)
 フェイトは僅かに驚きの息を呑んだ。
 ――――高町なのはのレイジングハート、フェイトのバルディッシュ、エリオのストラーダに代表される高出力インテリジェント・デバイスと、管理局汎用のストレージ・デバイスは、決定的なまでに深い断絶がある。
 まずは出力。高ランク魔導師の馬鹿げた魔力、そして無茶な扱いにも耐えきれるような対魔力フレームによる、総合的な出力の違いだ。カートリッジシステムを積んでいないことが更にその差異に拍車をかける。
 次に演算処理能力。魔法とは科学であり、同時に世界を改変するプログラムだ。故に、デバイス内のエグゼオブジェクトの実行から、現実世界に干渉処理する際に必要な演算処理能力は、両者に決定的な差を生み出す。インテリジェント・デバイスのそれに較べ、汎用デバイスは、議論するまでもなく劣っている。
 そしてAIの有無。インテリジェント・デバイスの存在理由――AI。デバイスそのものが意思を持ち、術者に合わせた最適なサポートを随時行ってくれることは戦力として大きい。咄嗟の判断が求められる戦場では尚更。
 これらを総合すると、単純なスペック比で、汎用デバイスが高出力インテリジェント・デバイスに打ち勝つことは不可能なのだ。
 無論、汎用デバイスには汎用デバイスの長所もある。インテリジェント・デバイスに代表される高価なデバイスは、その出力の膨大さにより振り回される魔導師がほとんどだ。あまりにも遊び(、、)の部分が多すぎるのだ。一定のレベルの魔法を安定して使用する、という観点から見れば、汎用デバイスのほうが余程優れている。AIがあればあればで、術者とのシンクロ率が低ければ無用の長物と化す上に、そもそも術者に合わせた煩雑な設定(チューン)が必要だ。他にもメンテナンスの簡易さ、改造のし易さなど、兵器としての運用性は汎用デバイスの方が何もかもが上。
 しかし、かといって、今のエリオがフェイトに勝てる理由にはならない。順当に行けば、間違いなくフェイトがエリオを小突いて終わりだ。かつて、元機動六課で毎日のように繰り広げられた訓練の時のように。

 ――――だが、エリオは、そんな常識(あたりまえ)を覆す。

 瞬速。そう呼ぶに相応しい速度で、エリオはフェイトに肉薄する。初めからミドルレンジでの撃ち合いは捨てている。先ほどの魔力弾も牽制程度にしか思っていない。
 そうして斬撃。バルディッシュがプロテクションを展開、重い衝撃がフェイトを貫くが致命傷にはほど遠い。そのままフェイトは腕を振るい、左からエリオを打ち付けようとする。
 ――しかし、それはエリオの読み通りだった。右足が魔力光によって輝く。同時、床を蹴る。プロテクションによって防がれた部分を起点に、エリオはデバイスの重さを利用した遠心力を使い、強引にフェイトの裏側に回る。無論、フェイトが腕を振り切った時には、既にエリオは居ない。
 フェイトの左後方に、エリオは着地する。そうしてフェイトがこちらを振り向く前に――――

 ――――バリアジャケットに回していた魔力を全て解き放ち、両足に込めた。

 空気の壁に体を押しつけているような圧力が前面に感じる。バリアジャケットによって守られていた時は感じなかった加速の衝撃が全身を貫く。
 振り向く寸前のフェイトは僅かに視界に入ったエリオを見て、なるほど、と思う。
 防御に回す魔力を極最小限にして、その余剰魔力を全て攻撃に回す。それも収束砲・魔力弾などで一度に消費するのではなく、斬撃の瞬間――それもインパクトのほんの一瞬に注ぎ込む。踏み込む足、振り抜く腕、腰回しなどの斬撃に必要な体の部位をピンポイントに強化・加速させているのだ。異常なまでの斬撃の衝撃と、瞬速の移動は、それに起因している。
 最小限の魔力で、最大限の効果を。魔法の基本にして奥義だ。
 ――巧い。
 流れるような刹那の中、フェイトは素直にその事に驚いた。
 自身のソニックフォームと原理そのものは同じだ。防御を薄くし、その分、加速と速度に回す。だが、その緻密さはフェイトのソレと比べものにならない。
 加速による身体に受ける影響を鑑みた魔力の振り分け、刹那の油断も許さないタイミング、当てられれば即アウトという防御力の致命的な低下――どれ一つ読み違えても、この戦術は成立しない。そんな綱渡りをエリオは今しているのだ。
 繊細な魔力運用が要求されるこの戦術は、オーバーSランクのフェイトにして、巧いと思わせた。そして、自身より格上の相手を打倒するエリオなりの戦術なのだろうとも。
 そうしてフェイトが振り向く前に、エリオの斬撃が来た。大上段からの一撃。雷光を放つソレは、生半可なプロテクションでは防げない。そして、硬度の高いプロテクションの展開は間に合わない。
 ――ジャケット・パージ。
 フェイトはそう判断した途端、ソニックフォームを解き放ち、エリオの斬撃よりなお速く動いた。
 当然、斬撃は空を切る。
 その後ろ姿を見ながら、フェイトは思う。
 ――私の負けだよ、エリオ。流石にこれは反則だ。
 汎用デバイス装備な上に、病み上がりのエリオに対してのソニックフォーム解放――――これは通常のインパルスフォームでは勝てないという、一種の敗北宣言だ。
 フェイトは苦い顔でバルディッシュを振りかぶり、そして――――

 ――――その苦い顔が、驚きの表情に変化した。

 エリオは読んでいた(、、、、、、、、、)。この段階でフェイトがソニックフォームを解放するということを。そして自分が勝つとするなら――この一瞬にしか勝機は存在しないと。
 それを証明するように、エリオはデバイスから、その両手を――離していた。フェイトがバルディッシュを振りかぶったと同時、エリオもまたその右手を振りかぶっていた。
 ばちり、と電撃が迸り、辛うじて両の腕に展開したバリアジャケットを吹き飛ばした。
 「ああぁぁあああああああああああ――――――――っ!!」

 ――――紫電一閃。

 咆吼と同時、雷光纏う右拳をフェイトに向かって突き出した。
 「―――!」
 戦いの本能。理屈ではなく体に染みこんだ、半ば無意識的な動作でフェイトはバルディッシュを振るう。

 ど、という激しい打撃音が室内に響いた――――

 数瞬の静寂が訪れる。戦闘によって生じた風が凪ぐまでの短い時間だ。
 何もかもが止まった空間の中――
 「あはは、やっぱりフェイトさんは強いや……」
 エリオは吹き飛ばされた格好のまま、仰向けになりながら、そう笑った。
 フェイトはバルディッシュを振り抜いた姿勢のまま、冷や汗を流しながら息を荒くしている。
 最後の一瞬――あの時、間違いなくフェイトは全力だった。今まで訓練含め、幾度もこのような模擬戦を行ってきたが、こんなことは初めてだ。
 それも、エリオは万全の状態ではない。病み上がりな上に、本来のデバイスも持っていない。
 「――強く、なったね」
 その言葉は世辞でも嘘でも偽りでもない、心の底からの言葉だった。
 エリオは上半身だけ起こした。そして、呟くように言う。
 「……強くなんかないですよ。俺は――僕は、まだまだ弱い」
 フェイトはその姿を見る。僅かに俯いた顔からは表情が見えない。今、エリオがどんなことを考えているのかは分からなかった。
 「ねぇ、フェイトさん。フェイトさんの夢って、一体なんですか?」
 エリオは俯いたまま、そう問いかけた。
 僅かにフェイトは息を呑んだ。だけども、それは一瞬のこと。
 俯き、静かに息を吸い、吐く。
 見上げた顔に浮かぶ瞳は、決意に満ちていた。
 「――――私は、孤児院を作りたい。子供達が笑って生きられる世界を作りたい。それが今の私の夢だよ、エリオ」
 エリオは黙って、それを聞いていた。
 肯定も否定もせず、ただ黙って、聞いていた。
 「……前から、思ってました。貴女には戦いが似合わないと。だから、その夢は素敵だと思います。とてもとても素敵なことだと思います。
 ――――けど」
 一旦間をおいて。

 「プロジェクトFは、どうするんですか?」

 「……」
 そう真っ直ぐにフェイトを見ながら言った。
 フェイトとエリオが生み出された元凶、プロジェクトF。その忌まわしきジェイルの遺産≠ヘ全世界に拡散、今も何処かで『それ』は使われている。
 人造魔導師。それを生み出す術。記憶転写型クローンという悲劇。世界の裏で蠢く非合法の闇の一つ。
 フェイトが執務官という職業を志したのも、元々は自身の悲劇の元凶であるプロジェクトFを叩くことが目標の一つとしてあったからだ。それが建前だとしても、だ。
 少なくとも、もう二度と自分のような子供が生まれないように、とそう願ったのは間違いのないことだ。
 確かに、ひとまずの決着は着いた。
 六年前のJ・S事件におけるドクター、ジェイル・スカリエッティの逮捕。そして――三年前のS・G事件によって。
 プロジェクトFとガジェット、そして戦闘機人に代表されるジェイルの遺産≠フ結晶――『魂魄殻機人(ソウル・ガジェット)』。
 そして遂に露わになった次元世界の闇、秘密結社『ク・リトル・リトル』。ジェイル・スカリエッティの軌跡を追っている内に、フェイトはその闇を遂に突き止めた。
 スバル、ギンガ――二人のタイプゼロ≠フ出自。『エリオ・モンディアル』を複製した組織――それら、全てにこの『ク・リトル・リトル』が一枚噛んでいる。
 戦いが、巻き起こった。場所こそミッドチルダではなく『海』の方だったが、それでもその規模はJ・S事件にも負けるとも劣らないほど大きかった。
 飛来するガジェット群。意思のない戦闘機人。――そして究極の人型機動兵器、『魂魄殻機人(ソウル・ガジェット)』。
 執務官フェイトを筆頭に、高町なのは、八神はやてら『三英雄』も参戦し、その名前を管理局中に轟かすことになった事件でもある。
 事件は『ク・リトル・リトル』の壊滅で、ひとまずの解決を見た。プロジェクトFや、ソレに付随する技術も叩き潰した。それで、フェイトはひとまず、自分の過去に対するケジメを付けた。
 ――――しかし。
 「プロジェクトFは……まだどこかで続いている。幾ら法で縛ったとしても、全世界に拡散した技術を止めることは出来ない。『ク・リトル・リトル』だって、本当に壊滅したのか分からない。それでも、フェイトさんは――その理想(ユメ)を貫くんですか」
 それはユメの代価。代償無くして何かを手に入れることなど出来ない。
 ――――何かを為すには、何かを切り捨てなければならない。そんな世界の基本法則。
 今、エリオの問いかけは、その体現だった。
 問いかけは胸を穿つ槍となりて、フェイトを貫く。
 フェイトは俯きながら、ぽつりと呟いた。
 「……私は、人形だった。依存できる何かを探し続けた、そんな空っぽの人形だったんだよ。いや、それは今でも――変わっていないと思う」
 自分が何をしたいのか分からない。
 今の執務官という立場も、誰かの役に立ちたいと思ったからだ。なのはのために、クロノのために、はやてのために、誰かのために。そうやって積み重ねてきた依存の人生。
 プロジェクトFによって生み出され、プレシアの娘として意識を刷り込まれた、その弊害。
 フェイトの中には、本物が何もない。
 だけど。
 「でも……それでも良いと思えたんだ。依存しなければ生きていけないということは、自分の中には誰か≠ェ常にいるということ。誰かを、常に背負っているということなんだ。なのはやはやて――そして、エリオやキャロの笑顔が、私の中に、確かにあるんだ。今までの私を否定すると言うことは、それを否定すること。嘘にすること。それだけは、嫌なんだ。――――嫌なんだよ、エリオ」
 可哀想だと思った。自分のような人間はもう要らないと思った。だから、二人を引き取った。
 ――無表情だった顔が、いつしか笑顔になっていた。
 空っぽな自我。誰かに依存し続ける人生。
 でも、ソレの何が悪い。こうして私は、誰かを笑顔にすることが出来る。
 だから――――
 「――――私は、これからも誰かを笑顔にしたいんだ。エリオとキャロみたいに。なのはが私にしてくれたみたいに。泣いている子供達を、笑顔にしたいって、そう思うの。だから……」
 フェイトは顔を上げた。瞳は爛々と輝き、明確な意思がそこに感じられた。
 ゆっくりと息を吐き、エリオを見据えた。
 紡がれる言葉は宣言だ。世界に対する、人形の咆吼だ。

 「だから――私は、自分の生涯を賭けて、それを証明しようと思う。こんな私でも、誰かを守れるということを。誰かを傷つけるより、誰かを守りたい、そう思うから」

 エリオは自身を見据えるフェイトを見上げながら、更に問いかける。
 「……つまり、フェイトさんは自分の趣味(、、、、、)で、今までやってきたプロジェクトFの追跡を止めるってことですか」
 それはどこか批難めいた言葉だった。
 だが、フェイトはそれに即答する。笑いながら(、、、、、)
 「うん、そうだよ」
 元々が半端だったのだ。以前、シグナムにも言われた通り――誰かを傷つけながら、誰かを守るということは相反する事象だ。
 執務官をやりながら、子供を匿い、育てる。そんなのは無茶なことだった。誰かの役に立ちたい≠ニ一心に思っていた頃は、そのことが分からなかった。
 前者か後者か。フェイトは後者を選んだ。それだけのこと。
 エリオは微笑んでいるフェイトを真っ直ぐに見た。
 そこには覚悟が溢れていた。自分が選んだ選択に対する批難も反発も全て受け入れる――そんな表情だった。
 「……やっぱり、強いなぁ。フェイトさんは。俺は駄目です。そんな風に割り切れない」
 実のところを言うと、フェイトと同じ悩みを抱えていた。
 エリオ・モンディアル≠フクローンであるエリオは、自分が何処まで自分≠ナ、何処までがエリオ・モンディアル≠ネのかが分からない。
 違うと分かっていても、完全に割り切れることなど出来はしない。思えば、魔導師になったのも、そのことが起因していた。
 かつてのエリオ・モンディアル≠ェ持っていなかったモノ――つまりフェイト・T・ハラオウンという存在に縋ることで、自己を確立させようとしていたのかも知れない。
 自分も、人形だったのだ。
 エリオはその事に苦笑する。
 だが――今は、違う。
 「なら、フェイトさんの意思は、俺が継ぎます。フェイトさんが誰かを守る人生を選ぶなら、俺は誰かを傷つける人生を選びます。そうすることで、守られるモノがあるなら――俺は、勝ち取る人生を、選びたい」
 プロジェクトF、人造魔導師、戦闘機人、魂魄殻機人(ソウル・ガジェット)、『ク・リトル・リトル』――それら、この世界の闇を叩き潰す道を、選ぶ。
 ――強くなりたい。何かを守るだけじゃなく、何かを勝ち取る強さを――
 そう願うエリオにとって、きっとこれは必然だ。
 「……大丈夫です。もう迷ったりしません。正直、今でもフェイトさんの言ったことは、分からないです。正しい強さなんて、そんなものが本当にあるのかどうかなんて分からない。けれど――――」

 あの星空に誓ったことは。

 「――――キャロと二人で行けば、きっと間違えないから」

 嘘じゃ、ないから。

 フェイトはうん、と頷いて、エリオの元へ歩いていく。
 そして。
 「それは趣味で(、、、)?」
 「そうです。趣味です(、、、、)
 そんなことを言いながら、笑い合った。
 エリオは差し出されたフェイトの手を取り、立ち上がった。
 「フェイトさん、もう自分のことを……人形と呼ぶのは止めて下さい。例えどんなことがあっても、そうやって、誰かのことを思って、誰かのために行動すること――きっとそれは人形には出来ないことだから」
 「――――そう。そう……かもしれないね」
 フェイトは少し、ほんの少しの時間、俯き、目を瞑った。
 ……きっと。強い人なんて、どこにも居ないんだ。
 人間は誰もが弱くて、悩み、苦しんでいる。エリオも私も、なのはもスバルも――皆。
 悩んで、苦しんで、それでも強くなろうとして足掻いている。
 ならば、正しい強さなんて何処にも存在しないのかも知れない。手を伸ばしても届かない星のようなモノなのかもしれない。
 それでも私達は手を伸ばす。自分のために、誰かのために、世界のために。
 そうして足掻いて足掻いて――生き抜いた結果、振り返って、誇れるようなモノが其処にあれば――――

 ――――それで、いいんじゃないか、と私は思う。

 フェイトは静かに面を上げ、エリオの手の中に、ずっと預かっていたストラーダを落とした。
 エリオはぎゅ、とそれを握り、そしてフェイトに笑いかけた。
 消灯までの少しの間、二人はそうやって、笑い合っていた。

 ...episode3 Closed.



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