|L.O.B EP: 9|
 

 守りたいと初めて感じた、明日へと続くこの場所。
 舞い上がれ、僕たちの夢。

 ――――独りじゃない。

 I don't foget(わすれないよ)

 新暦81年 七月七日 ???


 全てが黒の世界の中、言峰綺礼は静かに宣言した。
 ――――コマは揃った。後はゲームを始めるだけだ、と。
 それを受けるのは七つの影。突如として次元世界に現れ、そこに生きる者を震撼させた、人にして人在らざる者――サーヴァント。
 彼らはその言葉に何の感慨も持たない。幾度も幾度も繰り返された言葉。故にそこに感慨など生じるはずもない。
 確かに、その筈だった。
 言峰は、おや、と漏らす。
「何だ……やけに楽しそうではないか、ランサー」
 くく、と口元に張り裂けそうな笑みを浮かべ、半身が黒い蒼き騎士は答えを返す。
「いや何、面白そうな奴を見つけたんでな。……アイツなら、もしかすると俺を満足させてくれるかもしれねぇ」
「ほう。それは羨ましいことだ、善哉善哉。私もそのような者と出会いたいものだ」
 同じ存在意義を持つアサシンが目を瞑り口元を吊り上げながら笑う。
 吊られた様に、言峰は不気味なくらい静かな微笑みを浮かべた。
「そうか、それは何よりだ。いつも私のやり方にケチ(、、)を付けていたお前が、そのように笑うとは思っても見なかったぞ」
「――――は。そりゃ、何時≠フ話だよ。俺が求めるのは闘い闘い闘い――闘いしかねぇんだよ。それがギリギリのやり合いだったら最高だ。最も、この体じゃあギリギリも何もあったもんじゃねぇ(、、、、、、、、、、、、、、、、)けどな」
 仮に死んだとしても、どうせ次≠ノは元通りだ――――
 ランサーはぶっきらぼうにそう言い、くつくつと狂的な笑顔で笑い続ける。
「……それでもお前は闘いを求めるか。狂っているのか、それとも――――」
 いやはや戯れ言だな、と実に楽しそうに言峰は笑う。
「――ふん。我らが歪みまでも愉悦として喰らうか。戯れ言とは笑わせる。お前にとっては、世界の全てが戯れに過ぎないだろうよ。己自身も含めて――な」
 黄金の甲冑の男、ギルガメッシュが鍵剣を弄びながら、詰まらなそうに呟く。
 言峰は薄い笑みを浮かべる。
「全ては我が戯れ言なり――――か。そうだな、その通りだ。くくく、これほど私を適切に表現する言葉は無いだろう。ギルガメッシュ、だからお前は面白い」
「は、褒められている気はせんな。……動くのか、コトミネ。前に仕込みがどうとか言っていたが」
「八割方、完了といったところだ」
「……残り二割は?」
「放置だ。不確定要素が少なすぎても詰まらんからな。――お前もそうだろう? ギルガメッシュ」
 ちゃり、と鍵剣を握りしめ、ギルガメッシュは不敵に笑う。
「そうだな。古代遺産(ロストロギア)とやらも実に詰まらんモノだった。我を楽しませるるモノが残っているとしたら……まぁ、それ(、、)しかないだろうな」
 そ、と頬を触る。そこは以前、高町なのはの砲撃により傷つけられた場所だった。か、ともき、ともつかない声を鳴らしながら、愉悦と憤怒が混じり合った酷く歪で狂的な笑みをギルガメッシュは浮かべた。
「だろう? 結果の分かりきったゲームほど詰まらんモノはない」
 くくく、と喉を鳴らしながら、言峰は闇に溶けるように姿を消し去った
 それらを睥睨しながら、アーチャーは呟く。
「――――相手の居ないゲーム(、、、、、、、、、)に存在意義を求めるか。それこそ戯れ言だぞ、言峰綺礼……!」
 言葉尻に力を込めるがしかし、すぐにそれは抜けていった。
 項垂れた様に俯き。
「……否。それ(、、)は俺か。俺たちの存在の全てが――所詮、贋作(フェイク)に過ぎない。偽物、残骸だ。俺も、お前も……そうだろう?」
 ぎちりと。
 拳を握り、微かな声を震わせた。
 それを聞き届ける者は誰もいなく、また答える者も誰もいない。
 ただ。
「――――」
 黒き騎士王の、バイザー越しの瞳が、微かに揺れた。

 存在も、その意義も、戦う理由も、何もかも。
 ありとあらゆるものは地平線――虚我の境界の彼方へ置いてきた。
 ここに在るのは全てが残滓。全てが幻想。全てが偽物。全てが虚言。
 遊戯盤で向かい合うのは、言峰綺礼と衛宮士郎。
 だが、それは崩れた。ゲームには相手が居ないと成り立たない。遊戯盤の向こうは虚我の虚空。
 衛宮士郎は既に資格を喪った。彼処にいるのは、過去を引きずる単なる愚者、残骸に過ぎない。あの無限の残骸(くろいかげ)°、と同じように。

 しかし、それでも、もしかすると――――

 ――――戯れ言だ。そんなことなど有り得ない。
 そう呟き、アーチャーは一人静かに瞑目した。
 せめて、という言葉を噛み殺しながら。



 新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対黒い影&泊煖@動六課

「……遂に来たか」
「ええ、来ましたね」
 はやてと、その従者シグナムが赤く点滅する画面を見つめながら、そう呟いた。
 画面の中に映っているのは、警告、という一文字。そして何枚かの画像。それに写っているのは、次元断層の狭間に浮いている――――黒い何か(、、、、)
 一言で言うなら、それは球≠セ。
 虚数空間の揺らぎの中、その中心に黒い、大きな球が写っている。
 それを注視しながら、はやてはぽつりと漏らす。
危険度SSS級(クラス・オールデッド)世界創世(ジェネシス)のロストロギア――――ユグドラシル=v
「それだけではないですね。この反応数値の異常な高さ……奪われた残りのロストロギアも、恐らくあの中に。それも非常に危険な状態で」
 ぎしり、と椅子を鳴らしながら、はやては口元に手を当てる。
「……臨界寸前、ちゅうことか。使えないモノは爆破させてまえ、てか? まさかこんな手で来るとは思わんかったわ」
「はい。しかし、これは妙手です。この数値の高さ――臨界を迎えれば、付近の次元世界を巻き込んで崩壊……どころかこの時空世界そのものに亀裂が入るかも知れません」
 それは致命的な損傷だ。それによって、どのような被害がもたらされるのか、とても考えたくはない。
 次元境界線が揺らぎ、全てが虚数空間の果てに墜ちていく――――即ち、時空世界の崩壊だ。
 脳裏に浮かぶのは、終末の予言。
「あっちゃあ。あれそのものがでっかい爆弾(、、、、、、)ちゅうことか。放置すれば予言の成就、かといって無策に艦隊射撃でも打ち込めば即起爆……と。アルカンシェルなんて論外。確かに、ちょう面倒やな」
 しゅぼ、とはやてはメンソール煙草に火を付ける。
 一息吸い、吐く。そして肘をデスクに付け、僅かに俯きながら思考する。
「シグナム、タイムリミットは?」
「三時間、と言いたいところですが、術式が強引です。実に効率が悪い。これでは約――五時間というところですか」
 かきん、とはやてはジッポーを鳴らす。
「この外殻は……黒い影≠ニ同じ類のヤツやな? というか世界そのものが黒い影≠ンたいなもんか。対黒い影@p(アンチ・ブラックナイト)の術式は?」
「ユーノ司書長……いえ、ユーノ考古学士の協力で、ほぼ完成しています。外殻を破るのはさして問題ではないでしょう」
 かきん。
 かきん。
「鬼が出るか、蛇が出るか……まさかこのためにロストロギアを?」
 ライダーがデータディスクを奪い、そしてギルガメッシュが奪った、大量のロストロギア。その行方。
 管理局も八方を尽くして探していたが――まさか、このような形で現れるとは、大凡誰も思っていなかった。
 所詮異世界の住人。まともに使えはしないとタカを括っていたが――――
気に入らんな(、、、、、、)
 かきん。
 はやては灰を落としながら、眉をしかめてそう言った。
「ええ、これでは――まるで気に入らないから捨ててしまえ(、、、、、、、、、、、、、、)。そう言ってるようです」
 その処理(、、)のついでに、作戦を組んでみた――そんな杜撰さが見え隠れする。
 まるで子供やな、とはやては呟いた。
 ――――かきん。
「しかし、そうは言っても、この事態は厄介です。どうしますか?」
「ふむ、陽動という線もあるな。……さて、どうカードを切るべきか」
 とんとん、と机を叩き、はやては画面を睨む。
 あちらさんはまるでゲーム感覚や。明らかに遊んでいる節がある。――ああ、あんたらがそういうつもりやったら、それはそれで一向に構わへん。けどな――――

「――――全てがあんたらの思い通りに行くと思ってたら大間違いやで?」

 かきん。

 ジッポーを鳴らし、はやては静かに宣戦布告した。

 機動六課、その反撃の狼煙が今上がった。
 戦いの唄が、今、戦場に響き渡る。

9 / 戦いの唄を響かせろ SECRET_AMBITION

 新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 北部 聖王教会

「――――お久しぶりです、先輩」

 士郎が振り向くと、そこには柔らかな笑みの間桐桜が居た。
 記憶のまま、何ら変わりない後輩の姿が、そこに。
「さ、桜……? 本当に、間桐――桜、なのか?」
 思わぬ事態に動揺する。冷静に対処するには何もかもがいきなりすぎた。
 士郎の頭の中では、あらゆる疑問が乱舞していた。
 いつから此処に? どうやって此処に? 何故此処に?
 ――そもそも本当に、目の前にいるのは間桐桜≠ネのか。
 そんな疑問を余所に、桜は微笑む。
「ええ。そうですよ、先輩。私は間桐桜。他の誰でもありません。……先輩もこっちの世界≠ノ来てたんですね」
 士郎は酷く混乱していたが、対照的に桜はずいぶんと落ち着いている様だった。
 だが、特に違和感と言うほどでも無い。記憶の中にある通りの姿が、逆に士郎の頭を掻き乱す。
「……ああ、そうだ。俺はいつの間にかミッドチルダに居たんだ。桜は? 桜は、一体どうして……」
 桜は首を捻る。記憶を探っているかのような仕草だ。
「私も――――よくは覚えていないんですけどね。いつの間にか、どこかの次元世界、確か第六十七管理世界、でしたっけ。そこで……黒い影≠ノ襲われて、大怪我しちゃったんですけど、聖王教会の人達に保護して貰ったんです」
「怪我!? 怪我って、桜……もう大丈夫なのか?」
「はい。もうすっかり。で、そのままカリムさん達に匿って貰って……それで今に至るということです。先輩は……一体?」
 行き違いになった――――ということか。
 聖王教会に保護して貰っていた桜。機動六課に所属した士郎。
 士郎はほとんど六課の隊舎で過ごすか、もしくは近くの街で買い物程度にしか行動範囲を持たない。ナンバーズを抜きにすれば、ほとんど教会との接点は皆無と言えた。
 だから……今まで気付かなかったのか……?
 理屈で言えばそういうことだ。しかし、士郎は何故か嫌な感覚が沸き上がる。じわり、と冷や汗が掌を濡らす。
 ――何処かずれている(、、、、、、、、)
 ひとまずそれを飲み込み、士郎は話を続けた。
「……俺も分からないんだ。気付いたらミッドチルダに居て、黒い影≠ニランサーが襲ってきて……。俺、どうしても止めたくって、それで機動六課に、入ったんだ――――」
 士郎は現状を話した。
 黒い影≠ニサーヴァント。それを止めるために再編された機動六課。そして民間協力、という形でそこに参加しているという現状を、一通り話した。
 桜ははぁ、と一息溜息をつき。
「……先輩、相変わらず危ないことしてるんですね。出来るだけ、そういうことは止めて欲しいんですけど……止めるつもりは、無いんでしょう?」
「ああ。俺たちが何でこの世界に来たのかを知るためにも……何よりも俺はこの世界を守りたい。無意味な殺戮も、無価値な闘争も――もう見るのは嫌なんだ。あの聖杯戦争のようなことは、もう二度と」
 喉から絞り出す様に、士郎は言った。
 先輩は「相変わらずですねぇ」と苦笑混じりに桜は返し。
「姉さんにまた怒鳴られますよ、そんな無茶ばっかりして、て……ああ――懐かしいです。皆、何やってるんでしょうね、今頃……」
 俯き、ぽつり、とそんなことを呟いた。
 は、とそこで士郎は気付いた。今まで自分が感じていたこと――それを聞くには今しかないと、そう感じた。

「桜――――お前、この世界に来る前のこと(、、、、、、、、、、、)何か覚えているか(、、、、、、、、)?」

 士郎がずっと感じていた違和感。
 ――――あやふやなのだ。この世界に来る前のことが。
 確かに聖杯戦争や、その後の一年のことはしっかりと覚えている。
 ただこの世界に来る前。具体的に言うならば、その前日だ。
 どうもその辺りの記憶が曖昧だ。
 皆で桜を見に行こう――そんな会話をしたのは覚えている。だが、その前後の記憶が、どうも霧がかかったように薄ぼんやりしている。いつものように土蔵で鍛錬をして、そのまま眠った……ような気がする、といった程度なのだ。
 不確かで、曖昧。
 もしかすると此処に、この世界に来た絡繰りが隠されているのではないだろうか。
 そう思って、どうにか思い出そうとしているのだが……切っ掛けすら掴めない状態だった。
「俺、何だか記憶が曖昧で……何かあった様な気もするんだが――――」
 その何か≠ェ分からないと、士郎は呟いた。
 桜はそんな士郎をきょとんと見つめ、うーんと考え込む。
「私も、あんまり覚えてないんですよ。ぼんやりとして、曖昧で……姉さん達とお花見に行こうって話をしたのは覚えているんですけど」
 ――俺と、一緒か。
 予想はしていたが、結局分かることはなかった。
 どうしてこの世界に来たのか、どうしてサーヴァントが現れたのか、どうして俺と桜なのか(、、、、、、)
 士郎は思い、ふぅ、と溜息を吐く。
「やれやれ……これじゃ本当にいつ帰れるか分からないな」
「でも、皆さん優しくしてくれますから。それに、大丈夫ですよ。きっとその内帰れます」
「桜は前向きだな。そうだな、こんな時こそ俺がしっかりしないと――――」
 と、そう言ったときだった。
 ばたん、と目の前の扉が大きな音を立てて開いた。
 そして――――
「士郎君っ!! サーヴァントが動き出したわ、急いで六課に戻るよ!」
 なのはが、珍しく慌てた声で、飛び出してきた。
「サーヴァントが……!? それは一体どういう……」
「ごめんね、説明している暇はないの。とりあえず転送ポートに急いで――――」
「分かりました。ゴメン、桜! 戻ってきたら、またゆっくり話そう!」
 言うなり、士郎は走りだした。聖堂教会の白亜の廊下を、来た道とは逆に、勢いよく駆ける。
 桜はきょとんとした顔で、それを見つめる。
 なのはも士郎と同じように駆け出そうとするが、一歩踏み出したところで止まり。

「――――どっち(、、、)が、貴女の本当の顔ですか」

 鉄の様な表情で、桜に問いかけた。
「……」
 桜は答えない。ただぼんやりとなのはを見つめるだけだ。
 何も知らない、とも、あえて惚けている、とも取れる様な、そんな表情。
 なのはの方も、特に返事を期待していなかったのか、僅かに桜を睨み付けた後、すぐに士郎の後を追った。
 二つの足音が廊下に残響する。それを鑑賞するかのように、静かに桜は瞑目した。
 口元に手を当てる。体が僅かに震えていた。まるで今まで笑うことを我慢していたかのような仕草だった。
 桜はそれを証明する様に。
「――――く」
 ニヤリと。
 三日月の如く張り裂けた笑みを浮かばせた。

 新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対黒い影&泊煖@動六課

「――――さて、もう皆も聞いての通りやろうけど」
 機動六課、その作戦司令室。
 薄暗い室内の中、スクリーンのみが皆を照らしている。映っているのは先ほどはやてとシグナムが見つめていた画面と同等のもの。
 黒い影=Bその本拠地だと思われる球状の世界。
 それを見つめているのは機動六課の面々だ。規則正しく配置された椅子に、機動六課の前線メンバーが勢揃いしている。ナンバーズもそれに加わり、それなりに広い室内だが、人工密度は高い。
 それらを睥睨しているのは部隊長、八神はやてだ。腕を後ろに組み、スクリーンを背にしながら、言葉を続ける。
「今までどうにも消極的やった黒い影≠ェ動き出した。どうにも強引すぎることが、ちょい気になるんやけど――それでも放ってはおけん。予言が、現実になるからな」
 世界は滅ぶ――――黒い終末の予言。
 この場にいる全員が、僅かに息を呑んだ。
 はやては手元にあるコンソールを叩き、画面を操作する。
「この黒い世界≠フ中心地点にあると思われる大量のロストロギア――その全てが今、臨界寸前や。ブラックボックスだらけのロストロギアに異常過ぎるほどの魔力を叩き込む。管理局員なら、その危険性は分かるやろ?」
 なのはが眉をしかめる。
「……なるほど。世界が滅ぶっていうのも、あながち誇大表現でもない――ということね」
 脳裏に浮かぶのは一つのロストロギア、ジュエルシード。高町なのはが魔導師になる切っ掛けの事件だ。次元振動、次元崩壊未遂――ジュエルシードだけで、あれだけの騒ぎだ。それに匹敵する様なロストロギア、それも大量に臨界寸前なのだ。その危険性は事件に直接関わったなのはだからこそ肌身に染みるほど理解出来た。
 ぎちり、と拳を握りしめる。
 はやてはそれを見て、一つ嘆息した。
「本来なら、こうなる前に何とかするべきやったのは十分分かっとる。やけど、どんな手品を使ったのか、今の今まで反応の欠片も掴めなかったんや。これは完全にこっちの手落ち……言い訳のしようもない」
 一瞬瞑目し、でも、と続けた。
「――――まだ、間に合う。そのための機動六課や」
 はやての言葉を受け、そこにいる皆が頷いた。
 隣にいるリィンも同様に頷いた後、そのまま説明を受け継ぐ。
「……はやて部隊長の説明の通り、時間はあまり残されていません。大量のロストロギアが臨界状態を迎えるまで、あと四時間ちょっと。それまでにどうにか魔力臨界を抑えなければなりません。けれど、そのためには」
「あそこにいるだろう、サーヴァント達をどうにかせねばならない――――」
 シグナムが静かに言った。
 リィンはこくりと頷く。
「大量の黒い影≠ニ八体のサーヴァントが、あそこに待ち受けている可能性が非常に高いです。今までの交戦記録から見ても、この作戦の危険性が分かると思います。それを踏まえる限り、こちらも総力で迎えねばならないのですが……それでは、ここが手薄になるのは必至です」
 あのJ・S事件。ミッドチルダ、地上本部の半壊という致命的な打撃を受けた。その原因は――思わぬ所からの奇襲。中核戦力が留守になっている、その隙を突いた戦闘機人とガジェットによる本部襲撃。今回もそうならないという保証はない。
「……同じ轍を踏むわけにはいかん」
 はやては奥歯を噛み締めながら、苦々しく呟く。
 リィンは横目でそれを見つつ、説明を続ける。
「この黒の世界≠ェ囮、という可能性も否定できないです。むしろそっちが本命、と見るのが妥当かもしれません。よって別働隊による本部襲撃も見越して、戦力を分散させます。まず本部防衛にナンバーズの皆さんとはやて部隊長にシグナム隊長、ザフィーラ、そしてそれ以外の皆さんが黒の世界¥P撃担当です」
「……襲撃部隊にはクロノ提督が率いるクラウディア艦隊もついてくれるし、本部防衛部隊には、聖王教会も参加してくれる。これで例え、サーヴァントがどう動いたとしても大丈夫なはずや」
 リィンとはやての説明を受け、全員が固唾を呑んだ。
 奇襲を用心して戦力を分散させる――――保険としては、至極当たり前の戦略だ。しかし、それは同時に一つ所の戦力がどうしても薄くなるという危険性も孕んでいる。
 つまり、襲撃担当にしろ防衛担当にしろ、分散させたことによる負担は無視できないほど大きい。はやては大丈夫というが、どうしても不安はついて回る。相手は一騎当千を凌駕する英霊、サーヴァントだ。戦力を分けて対抗できるほど生温い相手ではない。
 しかし時間があまり残されていない現状では、恐らくこれが最善。皆それを理解しているからこそ、何も言わないのだ。
 同時に、肩にかかる重さもまた十二分に理解していた。
 負けたら、全てが終わる。
 機動六課の全員は今、文字通り世界≠背負っているのだ。
 だからこその沈黙。あまりに重すぎる静けさだった。

 ――その静寂を切り裂くように、扉が開く音が室内に響いた。

「……大丈夫だよ。僕たちもいるから」
「そうそう。J・S事件の時は何も出来なかったからね。――流石に、もう黙って見物というわけにはいかないよ」
 ユーノ・スクライアとアルフが、そこにいた。
 一瞬、室内が静まりかえった。息を呑む音だけが響く。
 しかし、唯一、まるで二人がここに来ることを予見したかのように平然としている者が居た。
「ユーノ君……なるべく安全なところにいて欲しかったけど」
「アルフ、本当に良いの?」
 なのはとフェイトが、僅かに不安げに眉を下げながら、それぞれに語りかける。
 二人は、分かっている、と言いたげな顔で笑った。
「言っただろ? 僕は君を守るって。それにアルフじゃないけど、知ったからには見逃せない。これは時空世界に生きる者、全ての問題だ。
 ――だから」
「フェイト、それは今更だよ。忘れたの? あたしはフェイトの使い魔だよ。
 ――ならさ」

 自分たちが此処にいるのは必然だ――――と、同時にユーノとアルフは微笑んだ。

 その声を聞き、なのはとフェイトは、諦めた様に肩を竦めた。
 仕方ないね、と二人で苦笑し合う。はやても「すまんなぁ」と一言。
「……正直助かる。今は猫の手も借りたい状態やから……」
「それでは、ユーノさんとアルフさんは襲撃部隊の方に加わって貰います。部隊長、それでよろしいですか?」
「うん、大丈夫や、リィン。それでいこ。――――これで、例の作戦(、、、、)がやりやすくなるな」
 はやては視線を前の列に向ける。そこにはエリオとキャロが座っている。二人ははやての言葉を受けると、緊張した面持ちはそのままに、「――はい」と頷いた。
 はやては不敵に笑った後、そのまま視線を皆の方へと向けた。
「皆、ここが正念場や。恐らく敵さんも全力で来る。総力戦になることは間違いない。正直、私にも戦況がどう動くのか予測出来へん。でも、出来る限りのことはやったつもりや。前にも言ったけど、最高のスタッフと最高の機材が此処にある。負ける道理なんて無い。後は皆の心一つや――――」
 全員が、ごくりと固唾を呑んだ。室内が緊張で固まる。
 世界がどうなるか、全てこの一戦。ひいては全員の肩にかかっているのだ。固まるな、という方が無理だった。
 しかし、はやては、緊張が支配するこの空間で。
「――――でもな。ここだけの話、頑張って、頑張って――精一杯足掻いた結果、結局負けてしもうても、それはそれで良いと思うんや」
 なんて、部隊長にあるまじき発言をした。
 皆は唖然、とした顔をはやてに向けた。ただ守護騎士(ヴォルケンリッター)と幼なじみ達だけが静かに笑っていた。
「どうせ負けたら世界は終わりや。誰も責める人なんておらん。やるべき事をやって、それでも駄目だったら――それは、単純に私達の運が悪かっただけ、という話。それだけ、ただそれだけや」
 その言葉を聞いた士郎は、とある風景がフラッシュバックのように目蓋に浮かんだ。

 アンタは何も悪くないわよ。何をぐちぐち悩んでいるか知らないけど、今はやることやるだけよ。もし失敗して世界が滅んだとしても、それはアンタが悪いんじゃない。やることやって、ソレが駄目ならさ。それはさ、ただ単に、私達の運が悪かっただけなんだから――――

 そう言いながら笑う遠坂凛の姿が、見えた。
 ……何だ、これは。
 頭を振る。すると、先ほどの映像が幻のように消え去った。
 僅かな鈍痛を感じながら、士郎は困惑する。しかし、今それを追求している暇はない。
 はやては言葉を続ける。
「私らは世界を背負って此処にいる。それが機動六課の存在意義であり、意味でもある。そうして私は機動六課を再編させた。みんなを集めた。だから、部隊長の私がこんなこと言うのは間違ってると思う。でも、私は皆に死んで欲しくない。世界を救うために死ね、なんて言えへん。……――皆、駄目だと思ったらすぐに逃げてくれ。これは命令なんかじゃない。私個人の、傲慢な願いや」
 そんなことは皆、同じだ。誰もが死にたくないと思ってる。しかし逃げることなど許されない。とうにそんな地点は過ぎ去ったのだ。
 はやては、世界を守るために、皆を招集し、機動六課を再編した。それは集めた全員を死地に送ることを意味している。死なせたくないと言いつつも、死なせる様なことを強要している――故にはやての言葉は、傲慢な偽善に過ぎない。
 皆が皆、生きて再び出会う=B死地に送るはやてが、そんな矛盾を吐く。
 それは幻想。綺麗事でしかない理想論。偽善の極地。
 しかし――――
「――――そうだね。その通りかも知れない。でも、そんなはやてちゃんだから、皆ついていこうと思ったんだよ?」
 はやての言葉に、なのははそう言った。
 確かに指揮官としては失格なのかもしれない。だが、汚いことだらけの上層部で泥を啜りながらも出世して、それでも綺麗事をなお貫こうとする八神はやてだからこそ――皆、此処にいるのだ。
 それは人望、と言うにはあまりにも歪んだ絆かもしれなかった。一種の思想主義。けれど、それでも誰一人して否定の言葉を浮かべる者は居なかった。
「……こんなんだから、いつまで経っても、私は部隊長失格なんやろうね。でも、そう言って貰えると嬉しいわ」
 はやてはその言葉に、いつものような――けれど、少しだけ眉尻が下がった様な顔で、笑った。

 ――――いつか、きっとこの矛盾のツケを払うときが来る。
 その時、私は果たして――――

 そんな予感を、胸に抱きながら。

 ブリーフィングが終わり、皆駆け足で作戦会議室から出て行く中、リィンはヴィータの背中越しから、声を投げかけられたことに気がついた。
「――リィン。お前は……防衛組に回れ」
「え――――」
 思ってみなかったことだった。確かに奇襲は用心しなければならない。だが、それは保険という意味合いに近い。あくまでこの作戦の本命は黒の世界¥P撃なのだ。
 奇襲があるにせよ無いにせよ、黒の世界≠ノあるロストロギア臨界を止めることこそが最重要任務に違いはない。最初から首都防衛を想定していたナンバーズはともかく、中核戦力の一つであるはやてとシグナムを襲撃組に回さないこと自体が慎重過ぎると言っても過言ではない。
 これ以上戦力を防衛組に振り分けることは好ましくない――それは先のサーヴァント、セイバーによるミッドチルダ襲撃を鑑みても明らかだった。
「ヴィータちゃん……! それは無茶ですよ。奇襲があるかもしれないとはいえ、相手方も黒の世界≠ノは戦力をある程度以上振り分けているはずです。後方支援(ユニゾン)無しに立ち向かえるとは到底思えませんです……!!」
 守護騎士(ヴォルケンリッター)が将シグナムにして、アギトのユニゾンで漸く拮抗出来たというレベルなのだ。ユニゾン無しのヴィータでどうなるかなんて、言うまでもない。
 しかしヴィータはそんなリィンの不安を一刀両断するかの様に。

「――――あんまり私を舐めるなよ、新参(、、)。私は全てを砕く鉄槌の騎士だ。あんな連中、屁でもねぇ(、、、、)

 振り返り、獰猛な笑みを浮かべた。
「私はな、リィン。散々戦ってきた。『夜天の書』として、『闇の書』としてな。気の遠くなる様な年月の中、ただ戦い、ただ殺してきた。主のために、殺して殺して殺して殺して――殺し尽くしてきた。それが私の本質だ。私達(、、)の、本質なんだよ。ああいう化け物じみた奴も、散々相手にしてきた。今更後れを取るなんてありえねぇ」
「――――」
 そう告白するヴィータに、リィンは何も言えない。
 『闇の書』を知らず、『夜天の書』しか知らないリィンフォースUに、言えることは何もない。守護騎士(ヴォルケンリッター)の闇は、底知れぬほどに深いのだ。
 俯くリィンに、ヴィータはふ、と柔らかく笑った。
「……だから――だからさ。お前には、そう(、、)なって欲しくない。私達と来たら、一緒になったら駄目だ。お前は、ちゃんと陽の当たる場所で、はやてを支えるんだ。新しい守護騎士として、はやてを守れ。それはきっと――アイツ(、、、)が望んでいたことなんだから」
 ヴィータは一瞬だけ目を逸らし、どこか遠くを見つめる様な瞳で言った。
 リィンは悲しげに瞳を揺らす。
「――――それでも、私はヴィータちゃん達と一緒に居たいんです。そう願うのは、私の我が儘なんでしょうか」
「……そうか。ま、あんま心配すんなよ。たかだか世界の危機くらい(、、、、、、、、、、、、)、今まで何度もあったことじゃねーか。きっと今回も何とかなるさ。だからよ、お前ははやてを守れ。お前も守護騎士(ヴォルケンリッター)の一人なら――分かるだろ」
 仮に奇襲があるとして、ユニゾン無しのはやてだと若干心許ない。広範囲殲滅タイプの魔導師であるはやてと、強力な戦闘能力を有する個体――つまりサーヴァントとでは、相性は良くない。ユニゾン無しだと、更に拍車がかかる。
 つまり――主を守る守護騎士(ヴォルケンリッター)として見るならば、リィンははやての元に居なければならない。それは道理だ。覆しようもない――常識で計ることの出来ない騎士としての正論。
 だから、結局、リィンの選択肢は、一つしかなかったのだ。
 苦々しい胸中を無理矢理押さえ込み、リィンは笑った。
「――――分かりました、です。でも、ちゃんと皆帰ってきてくれないと嫌ですよ?」
「ふむ、よしよし。お前は良い子だなぁ、リィン」
「あ、ちょっと! ヴィータちゃん――――!」
 ヴィータは笑いながら、リィンを小突いた。
 ――真剣な話をしていたと思っていたのにぃ!
「子供扱いしないで下さい!」とリィンは膨れっ面で、会議室を出て行く。やれやれ、とヴィータは肩を竦めた。それは全くいつもの光景だった。
 その光景を、見ている瞳が六つ。守護騎士(ヴォルケンリッター)の面々だ。
 とうに人気が失せた作戦会議室で、皮肉気なシグナムの声が響く。
「――――屁でもねぇ、か。なるほど、確かに『闇の書(むかし)』の我らなら、そう断言できたかもな」
「嘘は言ってねぇよ。……私達が喰った(、、、)中に、サーヴァント(やつら)以上の化け物も居ただろうが」
 口元を吊り上げながら反論するヴィータに、ザフィーラがふ、と笑う。
「確かにな、嘘ではない。『無限再生機能』が在った頃、主が今とは違っていた頃の我らなら――さして問題はなかっただろう」
「そうねぇ。無限再生を前提にしたいつものやり方(、、、、、、、)だったら、まぁ少なくとも負けはないわよね。でも――今はそう言うわけにも、いかないし」
 かつて『闇の書』が誇った『無限再生機能』――――その能力。いかな攻撃を受け、仮に消滅したとしても、戦闘プログラムである守護騎士(ヴォルケンリッター)は直ぐさま再生する。
 よって、守護騎士(ヴォルケンリッター)の戦闘は死ぬことが前提として存在した(、、、、、、、、、、、、、、)。身体能力制限、魔力制限も、何も鑑みずに常に全力で闘える。守るべき主さえ無事ならば、勝てないことはあっても負けることは決して有り得ない。それこそが守護騎士(ヴォルケンリッター)最大の強みの一つでもあった。
 だが、今は、それがない。守護騎士システムが『夜天の書』と切り離されてしまった今となっては、不可能な芸当だった。
 もうリセットはない。死んだらそこで終わりなのだ。人間と同じように(、、、、、、、、)
 ザフィーラはふ、と笑う。
「……人であることを望んだ我らが――人でなかった頃を求めるか。主を守る、それだけが我らの存在意義だったはずだ。これは――――矛盾だな。これが矛盾か。人が人である故に持つ疑問――そこに我らが行き着くことになるとは、実に皮肉だ」
「『しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない』か。くくく、なるほど、これが人間か(、、、)
「は、聖書かよ。くだらねぇ、くだらねぇよ。私達は私達だから、此処に居るんだ。それに、こうなることは(、、、、、、、)分かっていただろう? あの時――初代祝福の風(リィンフォース)が逝った時に、皆覚悟していたことだ」
我思う故に我在り(コギト・エルゴ・スム)? 聖書は駄目で、デカルトは良いの? ……滑稽ね。戦闘プログラムである私達が、人間らしい存在証明(レゾンテートル)を求めるなんて」
 シグナムは遠い目をして、僅かに微笑みながら歩き出す。
「だが、それこそが、リィンフォースが我らに託した願いだ。なればこその現状――滑稽と笑うには重すぎる」
 ヴィータが、獰猛な笑みのまま歩き出す。
「そうだな。そして、だとしてもやることは変わらねぇよ。はやての、皆の行く道を塞ぐ奴は全員砕いて壊す。それ以外のことは、全部余計だ――余計なんだよ」
 ザフィーラが皮肉気に笑い、歩き出す。
「――せめて人間らしい幸福を、か。だが、それは結局の所、無理な話なのだ。初代もきっと分かってはいたのだろう。我らの手はあまりにも血で汚れすぎた。幸福を謳うのも、主と共に歩むことも――出来はしないのだ」
 シャマルは眉を下げた悲しい微笑を浮かべ、歩き出す。
「それでも、と願うのは間違いではないはずよ。彼女は、きっとそう言いたかったのだと、私はそう思う。そうじゃなかったら、あまりにも報われなさすぎる。彼女も――私達も」
 夜天の騎士達は歩き出す。人間らしい幸福を願いつつ、決してそうはなれないという矛盾を抱えながら。
「――――私達は既に古い存在なのだ。古代ベルカ、忌まわしき戦乱の時代の残滓。戦うためだけに生み出された戦闘プログラム。平和な世界に、あまりにも似つかわしくない不必要な存在――本来ならば此処にいるべきではない」
 シグナムは薄暗い室内を振り向いて、目を細めた。
 その言葉を受け、シャマルはそ、と胸に手を当てる。
「……私達のような悲しい存在は、もう終わりにしないとね。はやてちゃんも、もう十分、自分の足で歩いていける。だから――――」
「待てよ、シャマル。そいつぁ、ちっと早すぎるぜ。そうだ、まだ――何もかもが早すぎる。私達が要らない存在? ああ、そうだな。そうかもしれねぇ。だが――同じように、要らない存在があるだろう?」
 異世界からの来訪者。底なしの悪意。黒い影=\―――サーヴァント。
 ヴィータは獰猛な笑みのまま、がん、と思い切り床を踏みつける。
「終わらねぇ。終わるわけにはいかねぇよ。だろ? ザフィーラ」
「そうだな。何より、皆が生き残るのは、主はやての願いだ。我ら騎士が、それを裏切るわけにはいかない。後のことを考えるのはそれからだ」
 ザフィーラは前を向いた。扉が開き、光が四人を照らした。
 騎士達は光に向かって、足を踏み出す。
 皆笑っていた。光の中――全員が全員、自分がやることの意味を、存在の意味を、存在の証明(レゾンテートル)を、皆、分かっていた。理解していた。
 それは滑稽なものかも知れない。愚かだと笑われるものかも知れない。
 人間では無いモノが、人間であるかのように思い悩む。単一の指向性しか持たないモノが、あらゆる方向性を渇望する。希望を求める。明日を求める。
 ――――糸に吊られた絡繰り人形(ピノキオ)が、人間になりたいと涙した。
 その姿はあまりにも哀れで、世界(かみさま)ですら同情した。
 だが、それは恐らく、人ではないからこそ持つことの出来る唯一無二の――尊いナニカ=B

私達は、守護騎士(ヴォルケンリッター)は、己の全てを賭けて、この世界とそこに生きる大好きな人達を護りきることを――――この夜に、誓う

 あの時と同じように、ヴィータは髪紐を解き、それを握りしめた。
 まるで夜天の誓いを確かめる様に。
 そうして。
I've Got No Strings(もういとはいらない)――か。

 ――――なぁ、はやて。私達は、私は……人間に、なれたかな」

 寂しげに、笑った。

 予言の成就まで、あと四時間。

 新暦81年 七月七日 危険指定世界 黒の世界

 次元の狭間――虚数空間の海の中心に、それはあった。
 それは真っ黒い球の形をしていた。
 それは影であり、闇。ロストロギアによって生み出された、漆黒の世界。
 中心からは莫大な魔力が観測され、臨界寸前のそれは、文字通り一つの巨大な爆弾だ。
 XV級戦艦『クラウディア』の中から、機動六課の面々はそのあまりに不吉な黒の世界≠見つめていた。
 『クラウディア』を取り囲む様に、十二の戦艦がある。どの艦も『クラウディア』に勝るとも劣らない戦力を有している、超弩級戦艦だ。
 戦力が足りないと日々悲鳴を上げているミッドチルダ地上本部にしては、正に異常とも言うべき戦力だった。はやてがどれだけ六課再編に苦心したのか、よく分かる光景だった。
 『クラウディア』艦長、クロノ・ハラオウンは静かに黒の世界≠見つめて。
「……よし。これより作戦を開始する。対黒い影@p術式砲弾(アンチ・ブラックナイト・バスター)だ。寸分違わず、中心に当てろよ」
 そう命じた。
 瞬間、『クラウディア』の黒く、先鋭的な装甲盤の先に、巨大なミッドチルダ式魔法陣が展開された。
 魔力光が輝き、一点に集約されていく。魔法文字が刻まれたリングが出現し、その軌道を安定させる。
 そうして数瞬、光が高まり――――
「――――撃て」
 白色の光が、次元空間を照らした。
 それは空間を切り裂く様に、一直線に走り、音速すらも超える速さで、黒の世界≠ノ命中した。
 皆が固唾を呑んで見守る中――黒い外殻に亀裂が走り、剥がれる様にして、その影≠ェ砕けていった。
 無論、中心点にあるロストロギアには影響なしだ。
 黒い影≠フ構成上の脆い部分を突いた、対黒い影@p(アンチ・ブラックナイト)の術式は、サイズが大きくなったとしても、その効果は健在だった。
「……良かった。土壇場で効果無しとかだったら、どうしようかと思ったよ」
「にゃはは、だから言ったでしょ? ユーノ君が頑張って作った術式だもの。効かないはずがないってさ」
 この術式を考案したユーノは、ほ、と胸をなで下ろし、なのははそれを見て笑った。
 クロノはそんなユーノを見て嘆息する。
「おいおい。ここからが本番だぞ、安心している場合か。……見ろ」
 クロノの目線の先のモニターに映る黒の世界=B薄皮が剥がれる様にして、外殻が砕けた中から――――
 ――――大量の、と呼ぶにも馬鹿馬鹿しいほどの黒い影≠ェ現れた。
 そして、その背後。黒の世界≠フ大地は球ではなかった。惑星という体を為していなかった。ワインカップ上の大地――まるで地動説をそのまま体現したかの様な世界がそこにあった。
 瓦礫だらけの大地。その先に、二重螺旋が渦を巻いた様な異形の塔≠ェそびえ立っている。
 そこには生の息吹は全く感じられなかった。緑なんて雑草一本すら生えていない。生命の揺りかごたる海も存在しない。黒ずみ、彩度の低いダークグレーの空間が、そこにあるだけだった。
「……『時の庭園』に、少しだけ似ている――かも」
 フェイトは母親を亡くしたときのことを思い出し、僅かに目を細めた。
「黒い影=Aすごい数だ」
 エリオは、モニター越しにそれを見ながら、ごくりと息を呑んだ。
 目に映っているのは、黒い影≠フ大群。それは最初にミッドに現れた人型≠煖盾黷ホ、キャスター型≠煖盾驕B更に、それだけではなく――――

 剥がれていった黒い外殻が、そのまま艦≠フ形を取った。

 正にそれはクロノ達が率いる艦と同系統の――しかし、微妙に細部が違う黒一色の黒艦(くろふね)≠セった。
「やはり来たか。ユーノの目測通りだったな。奴らの能力は擬態≠ゥ」
 クロノはぎしりと奥歯を噛み締める。
 ユーノと局の黒い影♂析チームの結論。どうやって現れるかなど、未だ多くの謎は残されつつも、黒い影≠サのものの正体は朧気に見えてきていた。
 それは『力』の塊。黒い影=\―その正体はとある方向性(、、、、、、)を持った『力の渦』であることが、最近分かったのだ。
 人型にせよキャスター型にせよ、一つの莫大な『力の渦』から分岐した際に『型』を通すことで顕現するのが黒い影≠ナはないか――というのが、解析チームの見解だ。あたかも金属製品を作る時、溶解した金属を型番に流すことで、その形状を決定づけるかの様に。
 つまり、『型』さえあれば、どんなものにも変化が可能ということだ。あの人型≠熈キャスター型≠焉A一つの『力の渦』から派生した結果に過ぎない。
 この黒艦≠焉\―恐らくギルガメッシュが三隻の艦を落としたときに――力の渦に『取り込んだ』結果なのだろう。
 今まで出してこなかった黒艦≠ェ今、ここに現れたということは、相手も本気だということだ。
 ということは――――
「……ここが黒い影≠フ本拠地である可能性が高い。『力の渦』も此処にあるかも知れない。総力戦だ――行くぞ、皆」
 こくり、と全員が頷き、全艦隊が砲撃を始めた。

 ――――決戦の、始まりだ。

「――――で、結局、アンタも行く訳ね」
 全員が『クラウディア』艦内の転送ポートに急ぐ途中、衛宮鈴は、溜息混じりににそう言った。
 士郎はその言葉に、何の迷いもなく、頷く。
「ああ。あそこに聖杯≠ェあるのなら、俺が行かない理由なんて無い」
 じゃらり、と首からぶら下げたデバイス、ファンタズム・ハートを力強く握りしめ、「それに」と言葉を続けた。
「足手まといになるつもりもないさ。――――彼処に、アイツ≠ェいるのなら……俺にも出番はある」
 スバルの方をちらりと見ながら、士郎は更に駆ける足を速めた。
 はぁ、と鈴は溜息をつき。
「策があるって訳ね……でも、約束して。なのはさんを庇ったときの様な、自分の命をドブに捨てる様なことだけは止めなさいよ。全てを知っておきながら、私の目の前で死ぬ様なことだけは、絶対に」
 士郎はふ、と笑いながら。
「大丈夫。俺だって死にたくない。元の世界に――桜と一緒に帰るまで、死ぬわけにもいかないんだ」
 脳裏に浮かぶのは、先ほど出会った間桐桜の姿だ。自分が死んだら、それこそ彼女は何に頼ればいいのか。
 ――――大切な家族を守るためにも、今は。
「そうだ。だから、絶対に――俺は死なないよ、鈴」
「桜?」と首を捻りつつも、鈴はとりあえずその言葉に安堵する。
 ――でもコイツは、そんな口約束を守るタイプじゃない。
 自分という天秤が存在しない衛宮士郎≠ヘ人を守るためなら、平気で命を捨てる。その事が分かっているからこそ、鈴は士郎の言葉に安堵しきることは出来ない。
 だから。
「ふん、そんな言葉は、せめて人並みに闘える様になってから言いなさい。どんな策があるのか知らないけど、それでもアンタが一番ヤバイんだから、その自覚は忘れないでよ」
 ――――守ってみせる。答え≠見つけるまで、絶対にコイツを死なせたりはしないんだから。
 正義の答え――それを知るまでには、士郎を守り通すと、鈴は再度決意を固めた。
「分かってるさ、分かってる」
 士郎は、そんな鈴の姿を見ながら、そう言った。
 世界を守る。あの星空の誓いを思い出す。
 ――そうだ。俺は死ぬわけにはいかない。自分のためでもなく、桜のためだけじゃない。鈴や皆を守るためにも、絶対に――――
 この戦いを見届けるまで、決して死ぬわけにはいかないのだ、と。
 思い、拳を握りしめた。

 そうして、機動六課黒の世界¥P撃チームは、戦場に降り立った。
 転送魔法による魔法陣の輝きの中にいるのは、なのは、フェイト、スバル、ティアナ、エリオ、キャロの旧機動六課の隊員達、ヴィータ、シャマルの守護騎士(ヴォルケンリッター)、鈴を含む第1039航空部隊の精鋭達――そしてアルフ、ユーノ、士郎だ。
 全員が、目の前に広がる戦場を睥睨する。
 広すぎる大地に、地平線の彼方まで埋め尽くす黒い影=Bそして上空では、多量の黒艦≠ェ『クラウディア』艦隊と既に苛烈な戦闘を始めている。
 転送距離の問題で、ロストロギアの反応がある中心点――塔≠ニは、かなり距離が離れている。
「――――行くよ、皆。はやて部隊長の言うとおり、ここが正念場。絶対に負けるわけには行かない」
「けど、ちゃんと全員生きて帰ることを忘れないように。……これで全ての決着が着く保証もないしね」
「お前ら、今までのことを忘れるなよ。色んな死線を潜り抜けてきたお前らなら――何、あんな奴らに負けることなんてねぇさ」
 なのは、フェイト、ヴィータの隊長陣の言葉に、全員が応と頷き――――

「んじゃあ、行っくぜぇええええええええええ!!」

 ヴィータの咆吼と共に、全員が足を踏み出した。

 飛行魔導師達は空に上がり、陸士魔導師達はそのまま大地を踏み抜き、駆け出す。
 間髪入れずに襲いかかってくる黒い影≠フ砲撃。それらを躱しながら、なのはは念話で全員に語りかけた。
(まずは私とフェイト隊長で道を切り開く! 皆はその後についていって!)
 了解、と秒にも満たない時間で、答えが返ってくるのを確認すると、すぐになのははフェイトに語りかける。
「行くよ! フェイトちゃん!」
「うん、分かってるよ! なのは!」
 相棒達が、共に二人の声に応えると、そのフォームを変えた。
 レイジングハートは魔力噴出口から大きく羽を広げたエクセリオンモードに。
 バルディッシュは半実体化した巨大な魔力刃を持つ大剣、ザンバーフォームに。
 二人の魔力が同調する様に巨大に膨れあがり、足下に大きくミッドチルダ式魔法陣が展開された。
 何発もの魔力カートリッジが消費され、排出された薬莢が空から地へと落ちていく。それが乾いた音を立てる前に。
「――――全力全開!」
 なのはの咆吼が上がり、レイジングハートが、前方にバレルフィールドを展開。
「――――疾風迅雷!」
 フェイトの咆吼が上がり、バルディッシュの刀身になのはの魔力が集中する。更にそこに自身の魔力を上乗せした斬撃による威力放射。バレルフィールドそのものが一つの爆弾と化した。
 そして。

「N&F中距離殲滅コンビネーション! ブラスト……シュート――――!!」

 二人の咆吼(こえ)が重なると同時、二つの魔杖が砲撃の唸りを上げた。
 ディバインバスターとプラズマスマッシャーが、フィールド内を満たし――――

 ――――そうして、全員の視界が、目も眩む様な閃光で埋め尽くされた。

 次いで襲い来るのは、連続した耳を劈く轟音。猛り狂う爆風と共に、超々高熱が前方の空間を文字通り殲滅≠オた。
 これこそがなのはとフェイトのコンビのみが可能とする中距離殲滅魔法――『ブラスト・カラミティ』。
 オーバーSランクの魔導師同士の熟練した連携が為す超絶とも言える破壊力に、全員が畏敬と畏怖の念を覚えた。
 桃色と黄金色の爆光が渦を巻いて、次第に消失していく。
 あれだけ居た黒い影≠フ粗方が消滅し、大地に大きなクレーターが穿たれていた。
「これが……管理局、若手トップクラス魔導師の力――――」
 鈴は改めてその力を目の辺りにし、オーバーSランクという数字の意味を流れ落ちる冷や汗と共に体感した。
「呆けてじゃんねぇ! せっかく隊長二人が道を開いたんだ! とっととあのくそったれな塔≠ノ向かうぞ!」
 ヴィータの叱責する声によって、硬直が解け、全員は再び走り出した。

(なのはちゃん、あまり無茶をしないで……貴女の体は――――)
(分かってますよ、シャマルさん。ブラスターモードは本当にギリギリまでは使いません。――ヴィヴィオとユーノ君のためにも)
(……)
 ぎしり、と軋む体を押さえつけながら、なのはは空を疾駆する。
 ――ギリギリ、ね。
 シャマルは空を走るなのはを僅かに仰ぎ見た。
 ギリギリになるまでは使わないという言葉は、逆に言えば、ギリギリになれば使う(、、、、、、、、、、)ということだ。
 五年前のJ・S事件の時――あんな僅かな解放ですら、あの反動だ。ただでさえ幼少期からの無茶な魔法行使のせいで、なのはの体にはガタ(、、)が来ている。
 あの『U.T.O.B理論』も、その反動を抑えるための研究だと聞いた。しかし、結局は机上の空論に終わり、反動抑制には使えない。
 ――――もし仮に、全力全開(オーバーリミット)のブラスターモードで長時間、全力の魔法行使すれば――――
 嫌な予感に身震いしつつ、しかしそう(、、)はさせないために自分が居ると、シャマルは自分を鼓舞した。
 今は自分の出来ることをやるしかない。そう思って。

「ち――まだこんなにいんのかよ!」
 ヴィータは舌打ちしながら、自身の相棒、グラーフアイゼンで人型の黒い影≠数体まとめて叩き潰した。
 地上ではスバルがリボルバーナックルで影≠殴り倒し、エリオがストラーダで切り裂いていた。
「まだどんどん出てくる!」
「これじゃあ、キリがありませんよ! ただでさえ時間制限があるのに――――!」
 作戦を開始してから、既に一時間近く経とうとしていた。
 なのはとフェイトの『ブラスト・カラミティ』によって、相当数の黒い影≠倒したはずだが、後から後から出現するせいで、段々とジリ貧になりつつあった。
 塔≠ワで、もう目の前というところまでは来ているのだが、大量の黒い影≠ノ押され、なかなか進めないという状況だ。
 おまけとばかりに、未だサーヴァントは一体も出てきていない。かなり不味い状況になりつつあるということは、全員が理解し始めていた。
「エリオ君! このままじゃジリ貧だよ! ヴォルテールを――――」
「駄目だ! まだ早い! 今のままじゃキャロが持たないよ!」
「ちょっと士郎! 大丈夫!?」
「――ああ。くそ、こんなにも自分が無力に思えたことはないぞ。精々、敵がどこから来るのか教えるくらいしかできないなんて……!」
 エリオとキャロが、鈴と士郎が、そんな言葉を交わした、その時だった。
「――――!? 皆! 右から来る!」
 フェイトの怒号じみた言葉に反応し、全員が各々に回避行動を取った瞬間――――

 ――――白色の光塊が、視認するのも難しいほどの速度で飛来してきた。

 大地を抉り、同胞である黒い影≠もまとめて消滅させたソレは――ばさり、と大きく弧を描いて、中空に滞空した。極大の魔力が、辺りに充満する。
「……」
 無言で全員を睥睨する紫色の女性。それを見上げながら――士郎は絞り出した様な声で、その名を呼んだ。
「――――ライダーか!」
 サーヴァントの一体、ライダー。遂に現れたそれはつまらなさ気に、士郎を見下すと、じゃらりと釘剣を取り出した。
 それが投擲される瞬間。
「はぁ――――っ!」
 フェイトが豪速で飛来、バルディッシュで斬りつけた。
 きん、と甲高い金属音が響く。
「ライダー! 貴女の相手は私だ!」
 そのままフェイトは加速、天馬に跨るライダーを自身ごと地面に叩き付けた。ご、という轟音と共に、大地が捲り上がり、瓦礫が宙を舞う。
 ――ここが転換期!
 なのははそう判断、渾身のディバインバスターを前方に叩き込み、僅かに道を切り開いた。
 フェイトはなのはにアイコンタクトを送る。こくり、となのはは頷き、全員に念話で語りかけた。

(皆は先に行って! ここは私達が抑える!)

 微かに躊躇するが、全員、こくりと頷いた。
 このままではジリ貧だ。ならば、いっそ、ここで賭に出るしかない――そう判断した結果だった。
 なのははそのまま掌を中空に掲げ、魔力球(ディバイン・スフィア)を生成する。何十、何百という数の光球が辺りを埋め尽くす。
「――――アクセル、シューター!」
 一声、そう吼えると同時、なのはは掌を振り下げた。桃色の弾丸が、空間を縦横無尽に迸り、同数の黒い影≠打ち抜いた。
 そうして出来た僅かな隙に――全員が駆け出す。なのはとフェイトに何も言わず、一瞥もくれず、ただ己が為すべき事を為すために、ただ駆ける。
 ――しかし、そこに二人の例外が居た。
「フェイトさん、私も戦います。そのサーヴァントと戦うなら――私の幻術が必要になってくるはずです!」
「ヴィータちゃんには悪いけど、ここで貴女を放っておく訳にはいかないわ。なのはちゃん」
 ティアナとシャマルだった。
 なのはとフェイトの二人は、眉を下げながらも、こくりと頷く。
 最初にライダーと戦ったときも、フェイトはティアナの幻術に助けられた。ライダーの持つ最強無比の双眸――石化の魔眼(キュベレイ)≠ノ対抗するには、フェイトだけではカードが足りないのは確かなことだった。
 そして、なのはの体のことを知り尽くしているシャマルが居るならば――例えそれが気休めだとしても――全力で闘える。
 ならば、二人の判断を否定する道理はない。
 ティアナは双銃のデバイス――クロスミラージュを握り、魔力を込める。周囲に数十に至る魔力球(スフィア)を形成、ライダーに叩き込む。
 なのははそのまま、先ほど消滅させたにも関わらず、なおも周りを埋め尽くす黒い影£Bをアクセルシューターで、蹴散らしていく。シャマルは治癒魔法をなのはに掛けながら、周囲の状況を見渡し、自身はどう動くべきか思案する。
 フェイトは、ライダーから距離を取り、ティアナの魔弾と共に、砲撃魔法――プラズマスマッシャーを打ち込んだ。
 魔力光と爆音、そして瓦礫が辺りを散らす中――サーヴァント・ライダーは、ニヤリと不敵に笑った。

「お前ら、全員無事か!?」
 ヴィータの怒号に、そこにいる全員が肯定の叫びを上げる。
 目の前には螺旋の塔=B周りには夥しいほどの黒い影=B
 どうする、とヴィータは思考する。
 塔≠見上げる。うんざりするほどの黒い影≠ェ視界を染める。
 このまま飛翔し、ロストロギア反応がある頂上に直接向かったルートが恐らく最短だ。しかし黒い影≠フ砲撃を縫って飛行するのは、流石に無謀だ。陸士魔導師も混ざっている上、対策が取れたとはいえ、黒い影≠ヘ未だに脅威であることには変わりない。自殺するために皆、此処に来たわけではないのだ。
 ならば、残る方法は一つ、塔≠フ中から頂上に向かうしかない。踊らされている気もするが、それしか無いのだから仕方がない。
 しかし、このままでは周りの黒い影≠燗ッ時に入ってくるのは自明の理だ。
 残り六体のサーヴァントが待ち受けている可能性がある。ただでさえ、塔≠フ中にも黒い影≠ェ出現するかも知れないのだ。そこに周囲を埋め尽くす様な黒い影≠煢チわるとなると、勝算はぐっと下がるだろう。
 だが、制限時間もある。疲労もある。全部を相手にしている暇はない――そう辛酸をなめる様な顔で舌打ちした瞬間、第1039航空部隊のリーダー、ロイドが声を上げた。
「ヴィータ隊長……行って下さい。ここは、俺たちが食い止めます」
「ロイド、アンタ――――」
 長年のチームメイトを相手に、鈴がそう呟いた時、同じチームのタナカが肩に手を掛ける。
「……お前はアイツを守るんだろう? 同じ衛宮の名を持つ、アイツを。そうだ……今こそ、お前の悪夢を払拭する時だ」
「鈴ちゃん、行って下さい。ここが多分、私達の正念場なんだよ。でも鈴ちゃんの正念場はここじゃない。ね、せっかくの私達の見せ場を奪わないで?」
 にこりと笑うシェルドを見て、鈴は微かに俯いた。三人の手が、僅かに震えているのを見たからだ。鈴が、でも、という言葉を発する瞬間。

「――なら、任せたぜ。なのはの教導を受けたお前らだ。その言葉、信じてもいいんだな」

 鈴の迷いを両断するように、ヴィータが鮮烈なる言葉を放った。
「っ――――!」
 奥歯を噛み締め、鈴は駆け出す。スバル達も、士郎も、迷いを吹っ切る様な顔で足を踏み出した。
 ただ、鈴は去り際に。
「アンタら、死んでもいいなんて考え、私が大嫌いなこと知ってるでしょ。――――後でぶっ叩いてやるから、絶対に死ぬんじゃないわよ」
 と言い残し、他の皆と共に塔≠フ中へと入っていった。
 茶髪を掻き上げ、青のローブを翻し、ロイドは鈴の後ろ姿を横目で見た。
「ぶっ叩く、ねぇ。……そりゃあ、怖いな。アイツのビンタはオーバーSだ」
「ならば、絶対に死ぬわけにはいかないな、なぁロイド。もう一度くらいアレを味わんと死んでも死にきれない」
「ありゃ、タナカさんはどMの人でしたか。厳つい変態男なんて、最悪ですね〜。あ、半径十メートルは離れて下さい。きもいから」
 周りの黒い影≠フ砲撃を防ぎながら、三人はいつも通りの会話をした。それだけで、三人の体の震えが止まっていた。
 ふ、とロイドは笑い、周りの第1039航空部隊の面々に告げた。
「おい、お前ら、見ただろう? なのはさんの――あの力を、魔法を、砲撃を! 俺たちはあんな凄い人に教導して貰ったんだぜ? そこで、俺からお前らに質問だ」
 その時、黒い影≠フ砲撃が、ロイドの頬に掠った。血が一筋、ぽたりと落ちた。
「――――あの背中を汚すことが出来るか?」
 更に砲撃。翻るローブに直撃、一瞬で裾がボロボロになった。
「――――この誇りを汚すことが出来るか?」
 びきり、とデバイスに罅が入った。
「――――あの砲撃を……汚すことが出来るか!?」
 ボロボロの状態で、それでもロイドはニヤリと笑う。
「答えは否、否否否否否――否だ!! 俺たちは、なのはさんの教えを受けた者として、それだけは決してやっちゃいけねぇことだ! そうだろう、そうだよな? なぁ、お前ら――――!!」
 おおおぉぉおおおお――――っっっ!!と第1039航空部隊の面々は肯定の雄叫びを上げた。
 そうして全員がデバイスを八方に向け――――

「ここが俺たちの檜舞台だ。世界を背負ったこの瞬間! 俺たちみてぇな下っ端が漸く掴んだ栄光のステージだ。さぁ、俺たちも世界を救って、エースオブエース(なのはさん)みたいになってやろうぜ――――!!」

 今はまだ遥か遠い、あの背中(りそう)。しかし、この一分一秒が、確かにソレに届く道だと信じて。
 ロイド達は、自身らが持つ最強(なのは)のイメージと同調する様に、砲撃を撃ち放った。

 ヴィータの予測とは裏腹に――塔≠フ中には、ただ開けた空間があるだけだった。
 黒が支配する空間。奥に上へと続く螺旋階段があるだけだ。
 罠か、それとも――――
 何にせよ、ここで留まっている時間はない、と結論づけたヴィータは、他の皆を率いて駆け出そうとする。
 瞬間。

「■■■■■■■■■■■――――っ!!」
 
 横壁をぶち抜き、狂戦士のサーヴァント、バーサーカーが、その異常な膂力と共に、斧剣をヴィータに振り下ろした。
 間に……合わねぇ――――!?
 一瞬、ヴィータが死を覚悟した時。

「ああぁぁああああああ――――っ!!」

 エリオがストラーダを思い切り振りかぶり、ヴィータを守る様に、斧剣に叩き付けた。
 ご、という巨大な衝突音を伴い、衝撃波が辺りに広がる。白い魔力光が散り、弾ける様に両者は間合いを取った。
「キャロ――――!」
「分かってるよ、エリオ君! 行くよ、フリード! ――――竜魂召喚!」
 おぉう、と白銀の竜が嘶き、その本来の力を解放する。そして、静かに瞑目し、魔力を両の腕に込める。
 竜の巫女の莫大な魔力が、そこに注がれていく。環状の魔法陣が足下に展開され、その詠唱を始めた。
「天地貫く業火の咆哮、遥けき大地の永遠の護り手。我が元に来よ――――黒き炎の大地の守護者」
 輝く魔力が、渦巻いた螺旋の様に収束していく。
 キャロは目を見開き、前方を見据えると、右手を天に掲げる様に振り上げた。
 そして――――

「竜騎招来! 天地轟鳴! 来よ……ヴォル、テェェエエエエエエエエル――――!!」

 ――――その名を咆吼した瞬間、前方に巨大な召喚陣が出現した。
 ずずずずず、とキャロ本人の何倍もの大きさの巨躯が迫り上がっていく。真なる竜、最強の護り手――ヴォルテールの顕現だ。
 ぐるるぅ、と灼熱の呼気を撒き散らしながら、バーサーカーを睥睨する。
「エリオ、キャロ――――!」
「アルフ、始めるよ。ここからが、僕たちの本番だ!」
 ユーノとアルフの二人は言うなり、掌をバーサーカーに向け、詠唱を始める。
 バーサーカーは神をも殺すかと思うほどの殺意を漲らせ、敵意剥き出しの四人を睨み、一声吼えた。
 そんな中、ヴィータはエリオに声をかける。
「助かったぜ、エリオ。……そういえば、お前、ブリーフィングの時、何か作戦がどうとか言ってたな」
「はい、通じるかどうか分かりませんが――策はあります」
「――そうか」
 エリオの言葉に逡巡したような顔をした後。
「なら、任せても構わないな。行くぞ、スバル、衛宮、鈴」
 そんな結論を下した。
 スバルは目を見開き、若干声を荒げながら、言葉を放つ。
「そんな! ヴィータ隊長! まだサーヴァントが五体も残っているのに、これ以上戦力を分散させたら――――」
「……話してる時間はねぇ。とっとと行かねぇと、アイツが私達に矛先を向けることになるぜ」
 言うなり、だ、と階段に向かって走り出すヴィータ。士郎と鈴は迷いながらも、それに続く。スバルは一瞬だけ、エリオを見るが。
「――――」
 こくりと頷くエリオを見て、スバルは何かを決意した様な顔で、駆け出した。
 階段を上る音が響く中、バーサーカーはそれに目もくれずに。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――っ!!」
 咆吼し、全身を黒に染めた。
 それはクラススキル、狂化≠ェ発現した何よりの証。理性と引き替えに全ての能力を上昇させるスキル。黒色に揺らめく巨体は、文字通り、全サーヴァント中『最強』のステータスを誇る。
 そんな暗黒の化け物を目の前にしても、エリオは全く揺らがない。
 ストラーダを握りしめる。脳裏には、灰と煙と炎と瓦礫の山と誰かの屍。あの日、あの時、今までの日常と自分の全てが崩壊した時の光景だ。
 あの悪夢を打ち砕くときは――今しかない。
「……俺はもう、負けて這い蹲るだけの僕≠カゃない」
 呟いて、エリオは、爆ぜる様に地面を蹴り、駆け出した。

「考えてみろよ! ここに来るまで出てきたサーヴァントはたった二体だ! これだけ手間暇かけた場所にも関わらず、だ!」
 螺旋階段を駆けながら、ヴィータは吼えた。自らの思考をそのまま叩き付ける様に、言葉を続ける。
「はやての読み通りだ! 恐らくここは陽動、囮に違いねぇ。本命はやっぱりミッドチルダ! おまけにこの配置、後何人サーヴァントが待ち受けているのか知らねぇが、一度に襲うことはしやがらねぇ! ――――こいつら、遊んでやがる!」
 それはまるでボードゲームのようだ。戦略でも戦術でも説明がつかない、何か余分な遊びが見え隠れしている。遊戯盤の上で踊らされている――そんな感覚が背中をゾワリと戦慄させる。
 糞野郎が、と吐き捨て、その足を速めた。
「……!」
 鈴は息を呑む。確かにヴィータの言う通りかも知れない、と思った。
 ここが敵の本拠地だとすれば、サーヴァントが出現しなさ過ぎている。敵の攻撃こそ苛烈だが、その実、未だその戦力の核であるサーヴァントを出し惜しみしている。
 その違和感。その矛盾。ヴィータの言うとおりだった。
 この作戦を考えた者は。黒い影≠フ裏側に潜む黒幕は。
 ……管理局との戦いを遊び、楽しんでいる。
 ――――否、対象が違う。この現状、大仰に見えるが、組織を相手にしている様な感じは無い。

 果たして。

 遊戯盤で向かい合っているのは誰と誰(、、、)なのか――――

「だから、時間制限があるにせよ無いにせよ、急がなくちゃいかないんだよ! クロノの方から連絡が無いから、多分まだ事は起こってないんだろうが――時間の問題だ」
 はやては、この状況を想定して、もう既に手は打ってある。仮に残りのサーヴァントがミッドチルダに現れたとしても、十分に打倒は可能。少なくとも撃退は可能だ。
 しかし、此処に来て、嫌な感触が脳裏を浸食する。
 理由はない。理屈もない。だが、第六感じみた超感覚が、ヴィータに、鈴に、スバルに、そして士郎に警鐘を鳴らす。
 これだけでは終わらない――――そんな感覚だった。
 四人は螺旋階段を上り続ける。莫大な魔力反応、臨界寸前のロストロギアがある頂上に向かって一直線に。
 二階三階四階五階――どれだけ上ったのか、段々、その感覚が無くなってきた頃。
 突然、それ(、、)はやってきた。
「……何だ、この音」
 士郎が走りながら、怪訝に思い、その音に注意を向ける。
 おぉう、という不自然な反響音が聞こえた、その時だった。

「おぉぉおおおおぉおおおおおおおおぉぉぉ――――っっ!!」

 塔¢Sてを振るわせる様な轟音を引き連れて――――蒼黒の騎士、ランサーがその魔槍を突き出しながら、落下してきた。

「!!??」
 三人が予測もしていなかったランサーの出現に目を見開く。突然の事態に体が反応しない。
 しかし。
「グラーフアイゼン――――っ!!」
 ヴィータだけは、冷静に状況を判断。重力に任せた超々高速で落下してくるランサーに向かって飛び出し、自ら相棒である大鎚型のデバイス――グラーフアイゼンを魔槍に思い切り叩き付けた。
 上から下へ、下から上へ。魔槍と大鎚がぶつかり合い、ご、という空間を揺るがすほどの轟音が炸裂した。
 だが、重力の力も加わったランサーの刺突に、振り抜いただけのヴィータの一撃が拮抗出来るはずもなく――――
「――――!」
 衝突の衝撃によって、両腕に罅が入るかと思うほどの軋みが襲う。
 ランサーの槍はグラーフアイゼンを弾き、そのままヴィータに向かい突き出された。
 それを強引に身を捩ることで、何とか回避する。穂先が掠り、バリアジャケットが裂け、血が一筋宙に舞った。
 だが、それだけは終わらない。ニヤリとランサーの口元が三日月に裂ける。
 落下の勢いは止まらない。ランサーはヴィータのバリアジャケットを掴み、そのまま諸共、豪速で下に落ちていく。
 周りに壁など無く、足を滑らせればそのまま一階へと一直線だ。
「ヴィータ隊長っ!!」
 スバルはそれを止めようと自分も共に落下しようと足を踏み出すが――――
(来んな! お前らは六課の隊員として、為すべき事を為せ!!)
 頭に、そう念話が響き、ヴィータは階下深くに落下していった。
 士郎はただ見ることしかできなかった無力感に奥歯を噛み締めながら。
「スバル……こうなったら――行くしかない。止めるんだ、俺たちで。世界の崩壊を」
 そう苦々しく口にした。
「……」
 鈴はただ無言で走り出す。
 その表情はこうしていても意味はない。今はヴィータの言ったとおりに、為すべき事をやるしかないのだ。
 ロストロギアの臨界を止め、予言の成就を防ぐ――――それが六課の存在意義であり、ひいてはここにいる意味なのだ。
 だが。
「――それで、全部割り切れるわけ……ないじゃん」
 スバルはぽつりとそう呟き、くるりと反転、駆け出した。

「――――来るか。衛宮士郎」
 塔≠フ最上階。広く開けた空間で、アーチャーは祭壇のような場所に憮然と座り込んでいた。
 祭壇の上には、不気味に脈動しながら暗黒光を放つ巨大な球体が浮いている。
 下にいるアーチャーと較べれば、その大きさは歴然。何倍、何十倍――いや、比較することすら烏滸がましいほど巨大で禍々しい暗黒の太陽だ。
 これこそが時空世界に亀裂を入れる、予言の成就を為すモノ――臨界寸前の大量のロストロギアだ。
 超技術の塊であるロストロギアは球体に押し込められ、今は単なる『力』に過ぎなかった。
 アーチャーは顔だけ球体に向け、呟く。
「……くだらん。実にくだらない代物だが――確かに、お前にとって、いや俺たち(、、、)にとって、これほど皮肉な状況はあるまい」
 言峰め、と吐き捨てる。
 脳裏に浮かぶのは、既に擦れた記憶。だが、決して忘れ得ぬ、魂の奥底に刻まれた――衛宮士郎が死に、同時に誕生した、あの記憶。
 轟々と燃えさかる炎と、生きるために屍を踏みつける自分。そして、その姿を蔑む様に見下ろす黒い太陽――――
 それと酷似しているモノが、世界を壊す。壊そうとしている。規模こそ違えど、あの状況の再現だ。そこに立ちふさがるアーチャー。衛宮士郎にとって、痛烈なる皮肉に他ならない。
 このためだけに、言峰綺礼はこの世界を作り出したのだ。
 その手腕、その発想に底冷えがする。言峰の闇は、どれだけ底知れなく、どれほど罪深いのか。
 そこまで知っていながら、アーチャーはこの状況に抗えない。ぞわり、と沸き上がるどす黒い魔力が、右腕を浸食する。
 それに抗うように、右腕を押さえる。震えるソレを強引にねじ伏せる。
「……ああ、良いだろう言峰綺礼。お前の思惑通りに動いてやる」
 鋭い鷹の目で、前方を睨み付ける。殺気が辺りに満ち、みしりと空間が軋んだ。

「来い。貴様に――――絶望(しんじつ)を叩き込んでやる」

 衛宮士郎が虚我の境界の彼方に置いてきたモノを、再び眼前に見せつけよう――――

 ――――予言の成就まで、二時間と少し。

→EP:10

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