――何かを手にするためには何かを犠牲にしなければならない。
それが世界の真実だというのならば。
僕たちが幸せになるためには、後どれくらい傷つかなければならないのだろうか。
8 / 星空に誓う(3) Fate_staynight
父――衛宮士郎は、本当に意固地な人物だった。
過去に何があったのかは分からない。しかし、母から一度、衛宮という名前は本来の名字ではなく、父が養子に行った家のものだと聞いたことがある。
だからだろうか。父は人を助ける≠ニいうことに固執していた。いや、あれは取り憑かれていたと言っても過言ではなかっただろう。
父は管理局の魔導師だった。魔導師ランクはBにやっと届くか否か、天才と呼ばれた母に較べるまでもなく、至って凡庸な魔導師だった。なのに、父は身をわきまえない、分不相応の戦場に身を委ねた。
母とつがいのアームドデバイスを振るって、共に戦場を駆け抜けた。実際に自分はその姿を見たことがあるわけではない。人づてに聞いたことがあるだけだ。
人を助ける。そのためだけに分不相応な戦場で、分不相応な戦いをした。自らの命すら投げ出すような無茶無謀な行動。
恐らく、フォロワーの母がいなければ、私が生まれる前に死んでいただろう。
だが、母はそれを気にした素振りは一切しなかった。むしろそのことを、どこか誇りに思っていた節すらあった。
母はよく言っていたのだ。アナタのお父さんは正義の味方だよ=Aと。
幼い自分は、それに反感を覚えた。正直、今でも納得できない。私が生まれた後、私のためになるべく局の仕事を減らしてくれた母に較べ、父は一切仕事を減らさなかったから。
長期に渡る仕事も珍しくなく、よく家を空けた。
――私は、得体の知れない正義なんていう不確かな物より、家族の――私の味方でいて欲しかった。
だから、許せなかったのだ。母に苦労させ、正義なんていうワケノワカラナイモノを追い続ける父のことが。分不相応で、敵も味方もなく人を救い続ける父のことが、どうしても許せなかった。
何で? どうして?
そこまでして、追い求めなければならないものなの?
母を、私を、家族を、自分すら蔑ろにするだけの価値がそこにあるの?
だから、私はそのことを父にぶつけた。当時まだ幼かった私の、精一杯の言葉で、訴えた。
『もっと私の側にいて!』と。
今でもよく覚えてる。父は泣きながら叫んだ私の顔を見てから、困ったような笑顔を浮かべて。
――――ごめんな。
乾いた声で、そう言った。
……謝るくらいなら、止めればいいのに。
結局。
私が父の本意を知る前に、両親は死んでしまった。
始まりは、次元世界間の――戦争だった。無数に存在する次元世界では特に珍しいことではない。管理局も万能ではない。戦いを全て未然に防ぐことなど不可能なのだ。今でもどこかで小競り合いは続いている。
その朝のことを覚えている。
父は、じゃあ行ってくると、いつものように家を出て行った。私はむくれながらも、母と一緒に行ってらっしゃいと告げた。
戦いはなかなか終わらなかった。泥沼のように戦況は悪化し、最悪の硬直状態だった。それを破るためにオーバーSクラスの魔導師の投入を管理局が決定したのは、時間の問題であり自然の流れだった。結果、母――衛宮、旧姓……遠坂凛が父の待つ戦場に赴いた。
私は家政婦さんに預けられ、二人の帰りを待った。母はちゃんと帰ってくると私と約束してくれた。
あの馬鹿を連れ戻してくるから
そう言い残して。
母はどんなことがあろうとも約束を破るようなことはしなかった。私はそんな母が大好きで、憧れだった。いつか母みたいになりたいと、今でも思っている。
対照的に――父は初めから約束をしない人だった。旅立つときはいつも行ってきます≠セけ。立つ鳥跡を濁さず、じゃないけど、父は本当に何も残さない人だった。
言葉も、意志も……その心すら。本当に、何も。
私にはその事も許せなかった。一言でも言って欲しかった。赤の他人ならまだしも、子供の私にくらい心配するな。必ず戻ってくる≠ニ。それが出来るかどうかではなく、せめて誰かに心配させないようにと。そのくらい言っても、罰は当たらないと思う。
ああ、分かってる。これは私の我が儘だ。だけど、この我が儘は間違ってはいないとも思うのだ。子供に心配を掛けっぱなしの親なんて、とてもじゃないが正しいとは思えない。
だから、私は父親が嫌いだった。
――――俺は、正義の味方になりたいんだ
いつかの月夜。そう零した父が大嫌いだった。
だって正義の味方よ? 正義だなんて誰が決めるわけでもない。何が善で何が悪か、なんて神様にしか分からないモノを、父は生涯追い続けていた。
その一生懸命さは、時に眩しかったけれど――それでもやはり、娘としては自分を、家族を見て欲しかった。
だが、生涯父はそんな素振りを見せなかった。時折、父親らしいこともしてくれたけど、自分の行動を顧みることは決してなかった。
家族を顧みず。娘を顧みず。友人も、周囲も、全て見ずに、自分の信念のみを貫く。
まるで、自分にはそれしかないと言わんばかりに、他人を助け、救っていった。――そこには娘の私も、妻たる母も、そして自分すら無かった。父にとって、私達は他人に過ぎなかった。
私は思う。
周辺も含めた自分≠切り捨てて、貫き通す信念に何の意味があるのだろうか――と。
そして……何もかもを切り捨てた先、父が言う正義の果てに――死んだ。駆けつけた母と共に。
デバイスに記録された最後の映像が頭に焼き付いて離れない。
次元間戦争。第三次決戦の最中、巻き込まれた民間人を庇い、そしてそれを更に庇おうとして無茶をした母と一緒に――無惨に死んだ。
――――ごめんな。
誰に当てたかも分からない、いつかと同じ言葉を、笑いながら紡いで。
ふざけるな、と思った。
父の考えはあまりに独善的だ。何も顧みずに生きた結果が、こんなどうしようもないものなんて。残された人達のことを考えたことはあるのだろうか。
家族まで持った人間が――何故こんなことが出来るのか理解できなかった。
結局、私は一人取り残されることになった。
幸い、面倒を見てくれる人は居たので、衣食住に困ることはなかった。おかげで学校も卒業することが出来た。
だが、私の中で父への不満が消えることはなかった。むしろ不満は憎しみへと昇華していた。
父――というよりも、正義の味方なんていう偽善が私にとって一番憎むべきモノになっていたのだ。何も顧みないその信念が何より大嫌いになった。
自分を犠牲にして人を助ける。美しいと讃えられるだろう。尊いと呼ばれるかも知れない。でも、それは周りの人を顧みない行為だ。自分が死んだ時、周りの人がどれだけ悲しむと思っているのだろう。供養・葬式などの後処理も考えたら、周りに与える負担は膨大だ。
そんなことも分からず、他人のためなら死んでもいいなんて、偽善にも程がある。
だから、見返してやろうと思った。仮に自分が同じ立場になっても、必ず生きて帰ってみせると、天国に居る父に見せつけてやるのだ。
幸い母譲りの才能はあったし、やることも無かったので、何より父を見返すために、私は管理局に入った。
私はちゃんと自分のことも考える。何より最後の最後まで、生きることを諦めない。そんな、誰かのことを考えられる人になろうと決意した。
だけど、管理局の魔導師として戦場に出たとき――初めてどうしようもない現実に直面した。
何も出来ずに、ただ滅亡していく世界を見てるだけの時もあった。助けて、と呼ぶ姿を、スクリーン越しに見ているだけの時もあった。
その度に、自分の無力感に涙した。自分が飛び出しても何も出来ないことは分かっていた。しかし、どうしても心が痛んだ。お前は結局何も出来ないんだ、と突きつけられているようで嫌だった。
父はこの無力感を否定したかったのだろうか。世界はこんなにも厳しくて、冷たいモノでしかないということを、その命を以て否定しようとしていたのだろうか。だとしたら――――
――――だから、私はなのはさんに憧れたのだ。
不屈のエースオブエース。若くして高い魔導師ランクを持つ、航空部隊若手トップに。
任務は必ず成功させ、誰も死なせずに生還するそのスタイルは私の理想そのものだった。
私もあんな風になりたいと思った。周りに心配をかけることのないなのはさんに、私はどうしようもなく憧れたのだ。
自分が所属する1039航空隊に、教導官として着任したときは嬉しかった。憧れのなのはさんに近づけるような気がして、私は嬉しくて堪らなかった。
実際に目の当たりにしたなのはさんの姿は私の理想で――何より眩しく見えた。
眩しくて眩しくて、それ故に、どこか遠すぎるモノに見えて仕方なかった。
そう、人が太陽を直視出来ないように――なのはさんの背中は私にとって眩しすぎ、そしてあまりに遠かった。
その実力の様を見せつけられる度、無力感が私の中に満ちて仕方なかった。
私はその無力感を否定するため、我武者羅に生きた。人の倍努力し、人の倍任務をこなしていった。
それでも無力感は消えなかった。私の胸の中で常にそれは在った。
――――お前は何も出来ない人間だ
――――お前に父親を否定することなど出来るものか
まるで瘧じみた熱のように、それは私の中で囁き続けた。
――――お前に、正義を否定することは出来ない――――
熱は私の中で高まり続け、灼熱のように私を焼き尽くす。
お前は答えを手にすることが出来ない。正義を否定することも正義を肯定することも不可能。何かを証明するには力が必要なのだ。お前には何もかもが足りない。自分のことで精一杯のお前に――父親に否定することは出来ない。つまり――お前の人生は――――
私はようやっと悟った。
……今までの私の人生は、父の正義を否定するために積み重ねてきたようなモノ。
要するに、正義に固執していたのは――何も父だけでなく私も同じだったということだ。正義を肯定するために生きた父と正義を否定するために生きようとする私。ベクトルこそ真逆だが、その性質は同一にもの。好きと嫌い。コインの表と裏。
――――結局、父とは違う形で、私は正義に取り憑かれている。
正義を否定したくて、管理局に入った。そのこと自体がそもそも正義に取り憑かれている何よりの証拠ではないだろうか。
ならば、それは私という自意識はどこにいないことと同義だ。衛宮鈴の中身は伽藍の洞。空っぽの人形とどう違う。あまりにも馬鹿げていた。
無力感に摩耗しそうになりながらも、私は魔導師としての仕事をこなしていった。
私にはそれしかないから。今までずっとそう生きてきたのに、今更違う生き方など出来ようもなかった。
無力感に磨り潰される中で、私はあることに気付く。自分が何故、ここまで父親に固執するのか。
きっと――私は知りたかったんだろう。父が何を思い、何のために正義を執着し、そして死んだ理由を。ごめんな、と笑った父の本意を。その原点、正義という衝動の根源を。
だから父と同じ立場に立ちたかったんだ。もう父はいないから、その行動を模倣することによって、少しでも父の考えを理解したかった。優しくて大好きだった母をも巻き込んだ――その答えを、私は知りたかった。
でも分からないよ、父さん。アナタは一体、何を見ていたの――――
――――そんな時、父さんと瓜二つの彼≠ニ出会った。
そいつは特大の馬鹿だった。何の力も持たない癖に、人を助けようとして、死が踊り狂う戦場に身を投げ出した。一片の迷いもなく、だ。
結果、そいつはなのはさんを庇い――重傷を負った。下手をすると死んでいたかも知れないような傷だ。
だが、彼はそのことを全く意に介してなかった。むしろ、あろうことか安堵していた。助けられて良かった、と。そこには死に対する忌避感も恐怖も無かった。
人を助けられないことが最も恐ろしいことだと、その瞳が語っていた。
愚かだと思った。自分の命すらも投げ出すような彼の行為は、私が嫌った父親そのものだった。
そう――彼は父親にそっくりだった。否、それも間違いだ。最早、似ているか似ていないかのレベルを遥かに凌駕していた。
同一だ。
表情・感情・顔つき・挙動・概念・理想・信念に至るまで――そいつは父と酷似していた。異世界からの来訪者と名乗る青年は、正に在りし日の――或いは、死ぬ間際の父親と同じモノだった。
――――それは一体、何を示しているのか。
その事に気付いた時、私は恐ろしくなり――同時に。
ああ、きっとこれで私は答えを得ることが出来るのか。私が望む、その答えを。私が納得するに値する答えを、遂にこの手に――――
そんな、どうしようもなく下らなく愚かな、甘い期待を抱いた。
◇
新暦81年 五月三日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対黒い影&泊煖@動六課隊舎
「――――娘、だって……?」
デバイスから叩き込まれるこの世界の衛宮士郎の戦闘情報≠ノ頭を抱えながらも、士郎は驚愕する。
衛宮鈴――この世界の遠坂凛と衛宮士郎の、娘。思ってもいなかった事態に士郎は揺れた。
しかし、同時に納得の思いが胸に湧いていた。何故か名字を名乗らないリン。自分の知る遠坂凛と瓜二つの姿をしているにも関わらず、どこか違う性格。そして、衛宮≠ニいう名前を忌避するかのような、先ほどの作戦室での行動。
それら、全てに線が通った。
リンがこの世界の自分の娘だというのならば、そんなもの認めたくはないだろう。別人でありながら、しかし同一の存在。もう死んでしまった父親と年齢こそ違うが、同じ顔と同じ性格――同一の個人を持つ人間は、この世界では亡霊に過ぎないのだから。
まるで悪夢のようだっただろう。だからこそ、ずっと衛宮≠フ名を聞かず、そして名乗らなかったのかもしれない。
――そういう……ことだったのか……!
ここは士郎がいた世界とは別物だ。平行世界か、はたまたそれ以外の『世界』なのか、それは分からない。しかし同時にこの世界は間違いなく士郎の知る世界でもあった。
地球。魔法技術。衛宮士郎と正義の味方。相似する部分はかなり多い。
衛宮士郎≠ェ存在しない世界も無論存在するはずなのだ。無限に存在する世界では、むしろそれが当たり前。だというのに、此処に衛宮士郎≠ェ存在したという厳然たる証左がある。
これも――抑止力だというのか。
士郎はそう思う。衛宮士郎がこの世界に来た意味。それはもしかすると――――
「ねぇ……教えてよ。アナタは――衛宮士郎は何で自分をも犠牲にして人を助けようとするの?」
俯き、肩を抱きながらリン――鈴は問うた。
長年抱えてきた疑問。何故、父は母も自分をも放棄するような真似をしてまで人を救おうとするのか。それを知るために自分は管理局入りし、魔導師として仕事を重ねてきたのだ。
結局……無力感のみが増大していくだけだったが、もしかしたら父と存在を同じくする目の前の青年ならば、その答えを知っているかも知れない。
だから鈴は、問うた。もしかすると自身が破滅するかもしれないと思いつつも、それでも知りたいと望んだ疑問の答えを。
恐らくそれこそが――全ての始まり。あの時、彼に言葉をかけた理由なのだから。
士郎はそんな鈴を見つめながら、少しだけ目を細め。
「……鈴の父親と俺は別の存在だよ。環境が違えば、全く違う人格になる。限りなく俺と近い経験を経たとしても――それでもやっぱり俺と鈴の父親とは別人だ。――別人、なんだよ」
宝石型のデバイスを抱きしめるように握り、言った。
鈴は肩を抱いたまま、静かに零す。
「それでも……知りたいのよ。きっとそれが、私の知りたい答えに繋がるかもしれないから」
泣きそうな、擦れた声だった。
その問いに、士郎は思いを巡らせる。
自分が何故戦うのか=B
目を細める。
この世界に来てから、自らの戦う理由を聞かれることが多い。スバル・ナカジマ、高町なのは。そんなにも自分は特異なんだろうか。訳の分からない――得体の知れない化け物なのだろうか。
アーチャーの言ったとおりなのかも知れない。
――――彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う。
自分の戦いの果て、誰も理解されない死が待っているというのだろうか。アーチャーと同じように。
だが、士郎は決めたのだ。自分はアーチャーにならないと。自分には凛がいる。共に歩む人が居るということ――それは自分が一人ではないということだ。決して、孤独ではない。
いつかの凛の言葉を思い出す。
首に手綱をつけてでも、幸せにしてやるんだから――――
――――I have no regrets.This is the only path。
ならば、もう理由も意味も必要ない。
そうだ。衛宮士郎は、ただ――――
「――――俺は正義の味方だから。だから、俺は人を救うんだ」
そうあれかし。衛宮士郎という人間は、人を救う正義の味方。理由も意味も是非もない。人が生きて、死ぬように。赤が『赤』であるように。
衛宮士郎の超越的自由――『物自体』が正義の味方なのだ。そうあるように生まれ、そうあるように生きてきた。
あの時、切嗣に拾われたときから、士郎は正義の味方なのだから。
「っつ――――!」
鈴は士郎の目を見た。毅然とした、鷹の目つき。それが嘘ではないと、それこそが衛宮士郎の本質であると。
感情が弾けた。
今までずっと抑えつけていた気持ちが、その中身から溢れだす。
「そんな! そんな理由で納得できると思うの!? 自分を犠牲にして誰かを救って! そんな自己満足で周りを巻き込んで! 何で後のことを考えないの!? 周りの全てを無視して、悲しむ人がいるということを何で考えないの!? 全ての人を救うと言うのなら何で私のことは救ってくれなかったの!? 何で、何で――――!
――――どうして、私を独りにしたのよぉっ!!」
泣きながら、鈴は叫んだ。あらん限りの叫びが、管理局の廊下に響いた。
好きだった。好きだったのだ。母親は勿論――そして父親のことも、大好きで堪らなかった。
だからこそ悲しかった。父が、家族を、自分を顧みなかったことが。
父が――自分を独りにしたこと、それこそが悲しく、そして許せなかった。
ただそれだけ――ただそれだけのことだった。
「鈴……お前……」
きっと、それこそが鈴の真の疑問だったのだろう。行動の核。良識と倫理の奥底に抑えつけられた――独善的な行動論理だ。醜く独りよがりで、しかし、どこまでも人間的なその想い。
正義の味方の業。それは大切な人を赤の他人にまで落としてしまう。家族・友人・守った人々・これから守るべき人々、それらは全て等価なのだ。正義の味方にとって全ての命は等しく扱わなければ、その存在は矛盾・破綻する。
きっと衛宮士郎≠熹Yんだに違いない。家族という大切なモノを持ってしまった事。しかし、それがどれだけ大切でも他人と同じ秤で見なければいけない事を。
故に衛宮士郎≠ヘ何も残さなかった。何も出来なかった。いつ死ぬか分からない自分だから、言葉も意志も何も残さなかったのだ。それが衛宮士郎≠ノとっての精一杯の愛情だった。歪で、どこか壊れた唯一の愛情表現だった。
士郎は衛宮士郎≠ノ想いを馳せた。
彼≠ヘ確かに自分とは違うが――それでも夢見た理想は同じだった。
衛宮士郎はどこまでも衛宮士郎だった。
ならば、目の前に居る衛宮鈴という少女は、間違いなく正義の味方が背負う一つの罪科なのだろう。
この罪を贖うには、或いは背負わないようにするためには、正義の味方≠捨てなければならない。
――――駄目だ。それだけは、出来ない。
身を切るような悔しさが、士郎の中に沸き上がる。自分の娘に、こんな顔をさせてしまうことが、どうしても悔しく、悲しかった。
それでも士郎には何も出来ない。何も彼女に差し出すことは出来ない。
だから――士郎には、こう言うしかなかった。こんな言葉しか、彼女にかける言葉が無かった。そんな自分に怒りを覚えながら――――
「――――ごめんな」
静かに、そう笑った。
「あ……――」
――――ごめんな
それはあの時と同じ言葉。同じ笑顔だった。
結局は……そこに辿り着くのだろうか。理由なんて初めから無かった。衛宮士郎は正義の味方で、だから人を助けなければならなかった。
たったそれだけの真実。そこに意味を求めた自分が、間違っていたというのだろうか。ならば、自分が今までしてきたことは――――
「――っ! そんなことが聞きたいんじゃない!! 私は、私はただ……家族に死んで、欲しくなかっただけなのよぉ……」
涙が止まらなかった。鈴が納得するには、あまりに理不尽過ぎた。
父と目の前の士郎の言葉が、別の意味を持っていたとしても、結局、同じだったということ。
その事が――どうしようもなく悲しい。
士郎にはそれを見ているしか出来ない。デバイスが見せた衛宮士郎≠フ最後――子供を庇い、そしてそれを更に庇おうとした凛ごと、死んだ。
ごめんな=Aと呟きながら。
――この世界の衛宮士郎も、自分と同じだった。どんな人生を歩んできたのかは知らない。自分と同じか、それとも全く別な形で正義の味方に行き着いたのか。
それでも、二人の士郎は同一にして同質だった。正義の味方だった。きっと自分も、同じ状況に陥れば、同じ選択をするのだろう。
だから士郎に言えることは唯一つしかない。
「ごめん――ごめんな。これが、俺なんだ。正義の味方を止めた衛宮士郎は衛宮士郎じゃない。だから――――ごめん」
士郎にはそう言いながら笑うことしかできない。そのことが、どうしても悔しかった。
正義の理不尽が、限界が、悔しくて悲しかった。
――仮に自分が理想を完全に体現し、全ての命を救うことが出来ても、それでもやはり幸福になるとは限らない。
日々は続く。命を救ったとしても、その人の人生は連綿と紡がれていくのだ。
それこそが正義の味方の限界。それを知ったとしても……結局、何も出来ない自分が、鈴に謝ることしか出来ない自分が――悔しくて堪らなかった。
「だったら私は……――――私は、どうすればいいのよ。ねぇ、お父さん……!」
鈴は崩れ落ちた。ただ父親が、家族が好きなだけの少女が、正義の理不尽に嘆く。
士郎は――鈴を抱きしめた。
理由はない。これが贖罪になるとも思っていなかった。赦して欲しいなんて微塵も考えなかった。
鈴が泣いている。もう一人の自分の娘が、いつも気丈だった彼女が――凛とそっくりの少女が泣き崩れている。
理由なんて、きっとそれだけでよかった。衛宮士郎にとって、それだけで十分だったのだ。
「ごめん……本当に、ごめん」
「――謝らないでよ。私は、そんなことを言って欲しいんじゃない……!」
それでも、士郎には謝ることしかできなかった。
不器用な自分が、これしか言えない自分が、どうしようもなく悔しくて。
「……――――ごめん、な」
抱きしめている掌に力を込めた。
鈴は――その事が、堪らなく悲しくて、哀しくて。
ただ、泣いた。
◇
「エリオくん」
「――――キャロ」
夜。満天の星空の下で、エリオは寝転がっていた体を起こし、その人に目を向ける。
キャロだった。
いつもの笑顔。けれど、どこか悲しげな姿だった。
エリオは一度、キャロの瞳を見た後、その目を背けた。
「……キャロも、俺を怒りに来たのかい」
卑屈な声。エリオは自己嫌悪する。
――最低だ。キャロに当たっても、何にもならないのに。
そうは思うが、しかし、いつもの自分を装うことは不可能だった。あまりに鬱屈した気持ちを抑えることが出来なかった。
その事に、再び自己嫌悪する。自己嫌悪が更なる自己嫌悪を引き起こす、負のスパイラルだった。
そう認識しても、エリオはどうしてもそこから抜け出すことが出来ない。それがどうしようもなく悲しく、また悔しかった。
キャロはそんなエリオの姿を静かに見つめ。
「――――うん。ちょっと私、怒ってる」
そう、笑いながら言った。
「…………」
それにエリオは答えない。無言でただ俯く。
――キャロも、フェイトさんみたいな正論を言うのだろうか。我武者羅に求める強さは。この、エリオ・モンディアル≠ヘ……間違っていると。そんな正論を。
そしてそれは恐らくどこまでも正しい、とエリオは思った。
誰かを守る強さ。大切なモノを守る強さ。それこそが正しき強さであり、自分のような何かを勝ち取る≠ネんていう目標も曖昧な強さは――間違いなんだろう。
我武者羅に強くなること。強さに取り憑かれること。それ全てが愚かで、下卑たモノ。
誰がために、何のために強くなるのか
それに明確な答えを出せない強さなど、間違っている。自分を否定する強さなど存在してはならない。
きっとフェイトもキャロもそう言いたいのだろう。
だが――――それはどこまでも綺麗事だ。
理想のための強さが正しいとするのならば、自己否定のための強さは間違っているのか。そんなものは愚かで下らないものだと、皆はそう言いたいのだろうか。
理想のための強さ。誰がための強さ。そんな実感の湧かないモノが真の強さだというのか。
いや、自分もかつてはそう思っていた。フェイトの役に立ちたい、キャロを守りたい、そんな強さを求めていた。それが正しいと思っていた。
だが、現実はどこまでも理不尽だ。何もかもを守れなかった後に残ったのは自分の無力感だけ。
――――正しい強さは、圧倒的な理不尽によって蹂躙された。
ならば、それが正しいなど誰が証明出来る? それは元から強い人が抱く幻想に過ぎないのではないか? 弱い人間には一生理解できない代物ではないのか?
あるのは理不尽と必然。そう世界はいつだって――――裏切りに満ちているのよ?
疑問の果て。正しい強さを否定された先に生まれた俺≠ヘ間違いだというのか――――
「エリオくん」
エリオはふと気付いた。キャロが隣に座っていた。
「キャロ……君もフェイトさんと同じく……」
俯きながら、そう問いかけようとしたとき。
「エリオくん。――――何か、勘違いしてない?」
キャロが厳然たる笑顔のまま、言い放った。
「え――――」
星空を見上げながら、キャロは言葉を紡ぐ。
「別にね。私は今のエリオくんの想いを否定するつもりなんか無いよ。僕は俺だよ。――――強くなろうとしているその想い、私には間違いだとは到底思えない」
エリオは黙って、キャロの笑顔を見つめていた。
……何かがおかしい。何かを忘れている。
そんな違和感が、胸の中で膨れあがっていく。
ぐ、とキャロは拳を握る。何か我慢したような仕草。それでも笑顔のまま、キャロは喋り続ける。
「でもね、それでもエリオくんは間違っているんだよ。ねぇ――――エリオくん」
キャロはエリオの瞳を真っ直ぐに捉えた。そこには確かに静かな怒りがあった。悔しさと哀しみが入り交じった想いの瞳だった。
そんな複雑な笑顔のまま――
「――――私も、ここにいるんだよ?」
言葉を、紡いだ
それは咆吼だった。
此処にいると。自分はこの世界に存在していると。エリオのパートナーとして、相棒として――互いに大切な存在として。
――――いつか、共に歩んでいくと誓ったキャロ・ル・ルシエは此処にいる――――
それは狂おしい程に張張り詰めた、自己主張だった。
「あ、――――」
エリオは喉がからからに渇いていくのを感じた。胸が焼き切れるような切なさが沸き上がる。
キャロの笑顔が、歪んでいく。涙が一滴、頬を伝った。
「私、だって……悔しいんだよ。スプールスの皆を、動物たちを、大地を――――守れなかったのは、私も同じなんだよっ!」
大切な人達。大好きな動物たち。あの日、紅蓮の炎の中、全てが燃え落ちた。灰と煙と炎と瓦礫と誰かの屍。突如訪れた暴力の蹂躙に為す術もなかった。
もうキャロの顔に笑みは浮かんでいなかった。涙でぐしゃぐしゃになった理不尽に対する怒りと哀しみがそこにあった。
「何も――何も、出来なかった! ただ見ていることしかできなかった! フリードもヴォルテールも、頑張って、くれたのにっ!」
エリオは呆然とそれを見ていた。哀しみと怒り――様々な感情が入り乱れるキャロを、見ていることしかできなかった。
キャロは叫ぶ。己の全てを。今の今まで押さえ込んでいた、その激情を。自分の中を暴れ狂う感情を――そのまま、吐き出した。
「――――私もエリオくんと同じなんだよぉっ!!」
「!!」
そう――か。
エリオは漸く気付いた。
自分だけでは、なかったのだ。あの日、全てが蹂躙され、どうしようもない無力感に打ちのめされたのはキャロも同じだったのだ。
それは当然のこと。だけども、エリオは今の今まで、そのことに気付いていなかった。気付こうともしなかった。自分のことばかり。自分が強くなることばかりを考えて、いつも隣で笑ってくれるキャロのことを考えもしなかった。
――いつかの誓い。共に歩もうと、お互いに誓ったはずなのに――
「何で気付いてくれないの!? 何でずっと独りで強くなろうとしているの!? 私だっているのに! 私がいるのに!! 私は――――此処に、いるのに……!」
キャロは、哭いていた。星空の下、エリオにぶつけるように、慟哭した。
私は此処にいる、と。
存在意義の咆吼。それは何よりもエリオの胸に打ち響いた。
「キャロっ!」
エリオはキャロを抱きしめた。どうしようもなく切なくて、どうしようもなく愛おしく想った。そして、同時にどうしようもなく申し訳なく思った。
「……私は、此処にいるんだよぉ」
「――――ごめん、キャロ。……ごめん。忘れてて、ごめん」
エリオは抱きしめる腕に力を込めた。
暖かい。そのぬくもりは、キャロの存在証明だった。
泣いた。涙があふれ出してどうしようもなかった。
キャロも泣いていた。エリオも泣いた。
月明かりの下、二人は互いの存在を証明するように、抱きしめ合っていた。
「一緒に、強くなろうよ……私と、一緒に――――強く、強く……!」
「……うん……ごめんよ、本当に……ごめん……っ!!」
……強さの意味なんて、分からない。正しい強さも間違った強さも、自分には分からない。
けれど――――きっと、この腕の中の人と歩んで手に入れた強さは、間違いじゃない。誰にもそんなことは言わせない。
強さの意味。
それは今でも分からない。フェイトさんが言った正しい強さという意味も分からない。
強さは幻想でしかなく、最初から強い人間にしか現出する余裕なのかもしれない。
だけど。
それでも。
きっと――――結果に意味はなくとも、その過程には意味がある。
無意味ではあるが、決して無価値ではないのだ。
強くなりたいという原点。強くなるための足掻き。そこにこそ、是非という意味が生じるのだ。
誰のために、何のために、という言葉は全てそこに集約する。
見るべきは強さそのものではない。強くなると想ったこと。強くなろうと足掻いたこと。その経験、その過程にこそ――意味がラベリングされるのだ。
星空には決して手は届かない。
しかし、手を伸ばそうとして足掻くことは、決して――間違いじゃない。
エリオは誓う。
二人で歩いていこうと。
強さの意味は分からないけど――――キャロと二人なら、きっと間違えない。
どんなに結果が無惨でも。
どんなに結果が悲惨でも。
全てをなくして。
全てが無意味だったとしても。
その過程に一点の曇りもないのだとしたら――――
「キャロ……俺は、俺は……」
「うん……うん……!」
きつく、きつく抱きしめる。
この想いを伝えるために。今まで守れなかった全てに報いるために。
「俺は――――」
――二人で、強くなろう。
その決意。その宣誓。その制約。
この、涙を―――
「……っ――――――――僕は――――――――!」
「っつ――――、ひ、く」
この満点の星空に―――。
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
―――誓う。
二人は泣いた。星空の下、子供のように泣き続けた。
大声で、自らの無力感がどうしようもなく悔しくて、強くなりたくて、慟哭し続けた。
少年と少女は泣き続けた。
まるで、この世界に、自らを刻みつけるように、泣き叫んだ。
煌々と輝く月が、そして、瞬く星が、その慟哭を聞いた。
* * *
「―――人間とは、凄いモノだな」
シグナムは星空の下、ぽつりとそう呟きながら歩いていた。
そして、それを受けるのはヴィータだ。シグナムと同じように呟きの声を漏らす。
「……ああ。多分、フェイトは全部、分かってたんだ。エリオのことも、キャロのことも――信頼していた。だから――」
二人は隊舎に延びる道を歩いていた。
シグナムもヴィータもエリオの事が心配で、先ほどまで様子を伺っていたのだ。フェイトの言が厳しい、らしくないと思ったのは何もエリオだけではなかった。
このままでは、エリオは潰れるかも知れない。そう思ったが故の行動だった。
だが、それは杞憂に終わった。フェイトは全部分かった上で行動していた。
その信頼。エリオ――そしてキャロは、そこまで弱くなかった。
「……強いな」
「ああ――強ぇ」
二人は様々な人間を見てきた。愚かな人間も見てきた。優しい人間も見てきた。守護騎士として駆け抜けた中、本当に様々な人間に出会った。
だが――それでも、こうして意外な一面に驚くことが沢山ある。特に、主がはやてになってから、それが顕著だった。
泣いて、笑って、怒って、喜んで……様々な人間が、色んな想いを以て生きていた。
その想いは時に愚かしさもあったが――今のエリオとキャロのように、時に思いもよらない力を発揮する。
守護騎士は、人ではない。
限りなく人に近い存在ではあるが、それでも決して人ではないのだ。この時代に来てから、シャマルに人間らしくなった≠ニ言われても、それでもなお――守護騎士は主を守る戦闘用プログラムでしかない。
守護騎士システムの不調。『無限再生機能』の消失。心の何処かで望んでいた人としての生。
様々な要因が、守護騎士達を人間≠ノ近づけつつある。
だが――それは幻想だ。守護騎士は人間ではない。人間にはなれない。それは肉体的な成長や老化、寿命といった外部的な要素だけではない。
人間としての精神、それに対する深い理解。同族でなければ決して分かり得ない、ニンゲンの心。
それらが圧倒的なまでに欠落している。それを外部に悟らせないように、偽装しているだけだ。そう、プログラムされているだけなのだ。
シグナムは感慨深く呟く。
「……此処に来てから、もう十年以上か。いや、まだと称するべきか。――居心地がいいな。此処は」
あまりに居心地が良すぎて――気を抜くと、自分がニンゲンではないことを忘れてしまう。
「ああ。私も……そう想うよ。シグナム……」
ヴィータも、俯きながら、そう答えた。
「悩んで、迷って、それでも生きようと足掻く……人間とは、美しいな。私達には出来ないことだ」
主のために存在する守護騎士は、そう言った人間の成長≠ヘ存在しない。初めからかく在るべし≠ニ設定され、そのように生きてきた。
守る。
故の存在。守護の騎士――守護騎士。自分たちはそれ以上でもそれ以下でもない。
だから、眩しかった。
なのはやフェイト、スバル、ティアナ、エリオとキャロ――人間というものが、眩しく、尊く、そして美しいと感じていた。
守護騎士は人ではない。人にはなれない。それ故に、人間が、とても美しいものに見えるのだ。
刹那を目まぐるしく駆け抜ける一生。その力強さ、その眩しさに――時に目を伏せることもあった。
けれど――
「……ヴィータ」
「分かってるよ。守ってみせるさ。――何に代えても、あいつらを、大好きな人達を、私達が」
――けれど、それを悔やんだことは一度もない。
プログラムには、プログラムにしか出来ないことがある。人ではないからこそ、人を守る事が出来る。
狂おしい程に愛しい主を、家族を、友達を、人間を、守ることが出来る。
それこそが守護騎士の誇り。それが、シグナムとヴィータの胸の中に渦巻いていた。
そして、それは二人だけの想いだけではなかった。
ざり、と二人の足が止まる。
「お前ら……」
隊舎の扉の前。星空の下、シグナムとヴィータの視線の先には、シャマルと人型のザフィーラがいた。
言葉は、要らなかった。
星空の下に揃った守護騎士。その全員が、今、同じ想いを共有していた。
シグナムは緩やかな笑みを浮かべていた。
シャマルはいつもの優しげな笑みを浮かべていた。
ザフィーラは腕を組みながら、口元に笑みを浮かべていた。
「――――は」
そして、ヴィータは、三人と同じように微笑みながら、自らの三つ編みを縛っているリボンに手をかけ、それを解いた。
しゅる、と音を立てて長い髪が夜風に揺れた。
そして宣言する。この夜に誓いを立てるために、この胸の想いを、己の存在意義を、もう一度この夜に――――
「私達は、守護騎士は、己の全てを賭けて、この世界とそこに生きる大好きな人達を護りきることを――――この夜に、誓う」
それは夜天の誓いだった。
どんなに強大な敵であろうが。どんなに恐ろしい敵であろうが。夜天の騎士、守護騎士は、その全てを打ち倒す。
例え、サーヴァントという規格外の相手だとしても――――
リボンが夜空に舞った。星空と月が、静かに見下ろしていた。
それらを見届けた後、静かに笑い。
ヴィータは力強く、その足を前に踏み出した。
* * *
「君に、伝えたいことがあるんだ」
隊舎、高町なのはの部屋にいたのは、ユーノ・スクライアだった。
ユーノは椅子に座りながら、こちらを向いて笑ってる。
なのはは思う。どうして此処に、と。
確かに、何かあったときのためにユーノにはこの部屋の合い鍵を渡していた。しかし、それはあくまで何かあったときのためで、通常は通信機による連絡で十分だった。
それにヴィヴィオのこともある。今は忙しくてクラナガンの方の家には帰れないが――それでもユーノがいてくれれば、少しは安心できる。
なのに、それら一切合切を放棄して、ユーノは今、なのはの目の前にいた。
しかし、その行為を咎めるだけの力は、今のなのはには無かった。
「ごめん……ユーノ君。明日にしてくれるかな……今、私疲れてるから……」
笑おうとしたが、顔が引き攣るだけで、笑えなかった。
高町なのは≠ニしての笑顔は、昼間出会った――そういえば名前も聞いていない――あの人物に全て砕かれていたのだから。
ユーノには悪いと思うが……今は早く独りになりたかった。
「ユーノ君も明日仕事でしょ? こんなところにいないで、早く寝た方がいいよ……」
俯きながら、静かになのははそう言った。もう大声を出す気力も無かった。
ユーノはそんななのはを見つめ、そして。
「ああ、心配は要らないよ。僕、もう管理局辞めたから」
それが、何でもないことのように、告げた。
「――は? 辞めた? 無限図書の司書長を?」
これには流石のなのはも驚愕の想いを隠せなかった。目を丸くして驚く。
ユーノは煙草を取り出し、一本手に持つ。
「うん。大体の整理は終わったし、優秀な人も増えてきたしね。本当言うとね、もう二年くらい前から僕が司書長やる必要性は無くなってたんだ。で、色々準備は進めてきたんだ。後のことはデリカ――あ、なのはも会ったことあるよね? 眼鏡かけたちっちゃい女の人なんだけど、そのデリカに任せて、辞めて来ちゃった。いやぁー、辞表出す時のクロノの顔は面白かったなぁ。なのはにも見せたかったよ」
ユーノはくるくると煙草を弄ぶ。火はつけない。こうして喋るのが、ユーノの癖だった。ヘビースモーカーにとって、これが落ち着く動作なのだ。
なのはは、あまりの驚きに声が出なかった。
一口に辞めると言っても、立場が立場だ。前に会ったとき、そんな素振りは一切見せなかった。ということは引き継ぎ作業など、どんなに大変だっただろうか。それこそ、天地をひっくり返すほどの騒ぎだったはずだ。準備は進めてきたといっても、それでも限界はある。
「どう、して……?」
なのはは驚きの中、辛うじてそれだけを紡ぎ出した。
ユーノはくるくると煙草を回す。そして、一拍を置いた後、いつもの笑顔のまま言う。
「そうだね……色々理由はあるけど、考古学に集中したかったのがまず一つ。管理局の方が忙しくて、今まで本腰入れて研究出来なかったからね。今後はそっちのほうに集中したいんだ。
――でも、そんなことは、正直、どうでもいいんだ」
ぴた、と煙草の回転を止めた。
ユーノはなのはの目を真っ直ぐに見つめた。もう、笑っていなかった。
その瞳はとても真摯なもので――どうしてかなのはの胸がざわついた。
「君を、ずっと支えたいと思ったから。支え続けたいと思ったから。それが一番の理由だよ、なのは」
「――!?」
それは、或いは、なのは自身が求めていた理由なのかもしれない。
だが同時に。
――――それは高町なのはを崩壊させる理由でもあった。
ぎちり。
胸の奥、歯車が噛み合わない音がした。
「……ずっとこうしようと思っていた。こうするべきだと思っていた。今までのような中途半端じゃ駄目なんだって。だから――――」
ユーノの目は真剣だった。その瞳は、視線は、どこまでもなのはの胸を穿った。
「私、私は――――」
否定する理由など何処にもなかった。なのははユーノの事が好きだし、ずっと共に居てくれるというのならば、それに勝る嬉しさは無い。ヴィヴィオにももう悲しい思いをさせなくても済むかも知れない。
――――お前は
ぎちり。
軋む軋む。体の奥底が、行動の核が、存在意義が、高町なのは≠ニいう殻を突破して、タカマチナノハ≠ェ震撼する。
――――誰よりも孤独を恐怖するが故に
だというのに歓喜など微塵も湧かなかった。喜悦など欠片も存在しなかった。
あるのは、ただただ純粋なる――恐れ。
真摯に見つめるユーノの瞳が恐ろしくて堪らなかった。
誰よりも孤独を求めている――――
ぎちり。音がして、その闇が開いた。
「あ――――」
唐突に、理解した。
自分がこんなにも恐れている理由。ユーノの瞳が怖くて堪らない――その衝動の正体を。
つまり――――
高町なのは≠ニいう仮面の下にあるモノ≠暴かれること。そのことが、どうしようもなく恐ろしくて堪らないのだ――――
目眩がした。そうだ。自分は仮面を被っている。
タカマチナノハ≠ヘ高町なのは≠偽装しているのだ。
偽装とは隠すこと。その下にあるモノが醜くおぞましいから、他の美しい何かで隠すということ。それは何時の世界でも、何処の世界でも、変わらない。
昼間、なのはの闇を切開した人物にも見せることはなかった、闇の奥底に存在するナニカ≠ェ溢れ出すことが恐ろしかった。
ずっとそういう風に生きてきた。誰かに嫌われないように。誰かに好かれるように。良い子≠ナいるために、ずっと仮面を被ってきたのだ。
そして、今此処に――その仮面を剥がし、タカマチナノハの深奥に踏み込もうとしている存在がある。
そもそも、そもそもだ。
誰かを支え続けるように生きてきたのは、自分の方なのだ。だが、ユーノは自分を支えると宣言した。
それは立場の逆転だ。今、なのはが立っている土台。それが瓦解してしまう恐れがある。
瓦解し、崩壊した中から出てくるのは――――おぞましくて醜い、闇――――
――――それは、自分が最も避けねばならない事態だ。
「……ごめん。ユーノ君。その気持ちは嬉しいけど――私は、ユーノ君と一緒に居続けることは出来ないよ。私は今の関係が良い。ユーノ君とヴィヴィオと私。私には、今の、暮らしが――――」
――何て、私は嫌な女なんだろう。一緒に暮らしておいて、こんな物言い……。
自己嫌悪で頭が痛くなる。なんて救えない。
もしかすると嫌われるかも知れない。今までずっと嫌われないように生きてきたのに、此処に来てそれが崩壊の予兆を見せている。
でも、これがギリギリの境界線だ。そもそも嫌われない≠ニいうのは、本当の自分を見せたくない≠ニいう感情が来ている。
ずっと一緒にいて、本当の自分が露見してしまったら元も子もない。
だから、これでいい。これでいいんだ。
なのははそう思いこむ。思いこんで、正当化しなければ――立っていられなかった。
ぎちり。
矛盾が、違和感が、なのはを締め付けた。一緒にいたいのに一緒にいられない。孤独を忌避するが故に、孤独を求める。
これが、ツケなんだろうとなのはは思った。
矛盾を抱え込んで生きてきた代償。自分を偽り、周りを騙してきた――――その罪科。
なのはは泣きそうな声で。
「――――ごめん」
そう、言った。
ユーノは静かにそれを見据え、ふぅと一息、長い溜息を吐いた。
「なのはがそう言うのなら、仕方ないか……」
言いながら立ち上がり、なのはの方を向いた。
そうして、にっこりと笑い。
「でも、まぁそんなこと関係ないけどね。此処に来たのは宣言のためだよ。僕は――この生涯を以て、君を支え続ける。君の意志とは関係なくね」
なんて、とんでもない事を言い出した。
「――――は?」
今度こそ思考が止まった。管理局を辞めたと言ったとき以上の衝撃だった。
……今、何て言った?
呆けるなのはを余所に、ユーノは語り続ける。その――夢を。
「君が他の誰かを好きだとしても構わない。僕を拒絶したとしても、何の不思議もないよ。だって、僕は弱いからね。そこまで自惚れてないさ。けど、君はどうしたって無茶をする子だから、見ていて危なっかしいんだ。それは昔も今も変わらない。僕はなのはが好きだから幸せになって欲しい。だから――君が幸せになるまで、或いは誰かが君を幸せにするまで、僕が君を支え続ける。そのために――僕は此処にいる」
なのはさんは自分を切り捨てて、他人を救おうとしている――――
――――歪んだ強さはきっと……壊れてしまう
ああ、きっとその通りだよ、士郎君。
なのはを見ていて、ずっと感じていた違和感。恐らく、なのははいつか、その違和感に潰される。
だけど、それだけは避けなければならないんだ。それだけは――絶対に。
僕が支え続けることによって、なのはが壊れないなら、何の問題もない。そのためなら――このちっぽけな僕の命、生涯なんて安いものさ。
だから――――
「――――なのは、君は幸せになるべきだ。そのためなら、僕は何も惜しまないよ。何をしても、何を代償にしても、君を幸せにしてみせる。そこに僕が存在しなくても、僕はそれで十分だ」
言って、ユーノは笑った。なのはがいつも見てきたユーノの笑顔だった。
「そ、んな――――」
なのはは困惑した。それはどこまでも独善的で、独りよがりな――だけど、どうしようもなく優しい言葉だった。
初めてだった。ここまで自分に踏み込んできた人間は。
アリサも、すずかも、フェイトも、はやても――――なのはが出会い、助けてきた親友達とは一線を画していた。
なのはにとって、友達とは守るもので、守られるものではないのだ。幼い頃からそうして生きてきた。誰にも迷惑をかけないために、誰かを支え続けようと。
それはユーノも同じはずだった。目の前で笑っているこの青年も、守るべき対象だったはずなのだ。なのに――これは何だ。
このままでは、暴かれてしまう。自分の闇が。醜悪なタカマチナノハ≠ェ現出してしまう。
このままでは――――
「ユーノ君。……それは……駄目だよ。それだけは、しちゃいけないんだ」
そう。
ユーノが見ているのは、あくまで高町なのは≠ネのだ。本当のタカマチナノハ≠ナはなく、仮面の高町なのは≠ナしかない。
だから、仮面がほころんで、本当の自分が露わになったとき――きっとユーノは離れてしまう。嫌われてしまう。今はこんな優しい言葉をかけてくれるユーノが、離れてしまう。
嫌だ。それだけは――嫌だった。
なのははユーノが好きだった。好きで好きで堪らなかった。
故に、遠ざけなければならなかった。
好きだから、離れなければならなかった。
――――お前は誰よりも孤独を恐怖するが故に、誰よりも孤独を求めている――――
それはどこまでも真実だった。あの人物は、本当に的確に、なのはの矛盾を捉えていた。
だけど、なのはにそれを否定することは出来なった。そんな生き方は出来なかった。
だから、なのはは断言した。決断した。
この気持ちを、ぐ、と飲み込んで。
ユーノの目を真っ直ぐに見ながら。
「……迷惑、よ。そんな人のプライベートに踏み込むような真似……下手したら犯罪だよ。私、そんなユーノ君は嫌い。大体ユーノ君にそんな権利あるの? 私に踏み込む権利が? そんなものは誰にもないよ。私の権利は私だけのもの、私の幸せは――私が決めるのよ! ユーノ君なんかに決めて欲しくないっ! 私は今十分に幸せなの! 何で、どうしてそれを否定するようなこと言うのよぉっ!!」
そう否定の言葉を口にした。
ああ、これでユーノ君に嫌われた。流石にここまで拒絶の意を示せば、ユーノ君も分かってくれるだろう。
……結局は、早いか遅いかの違いだけだ。
今、こうやって拒絶の言葉を言うか、後々、本当のタカマチナノハ≠ェ露わになったときの、違いだけ。
どちらにせよ結果が同じというのならば――――前者の方がよっぽどマシだった。
本当の私をさらけ出すくらいなら、今此処で嫌われる事の方が、よっぽど――――
けれどユーノは揺らがない。なのはの拒絶の言葉にも、態度にも、毛ほども揺らがなかった。
ただひたすらに、なのはの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「……ならさ。何で、なのはは泣いているの?」
「え――――」
なのはは慌てて目元に手をやった。水滴が、一滴、なのはの指に流れた。
「え、あれ、あ、れ……」
不味い。不味い不味い不味い不味い不味い不味い不味い――――
偽装が剥がれ掛かっている。仮面が砕かれようとしている。
このままでは、このままでは――――タカマチナノハ≠ェ現出してしまう。
なのはは必死に笑おうとするが、涙は次から次へと流れ出て止まることを知らなかった。
ユーノは一歩踏み出して、なのはの体を抱きしめた。
「……もう、いいんだ。誰も君のことを嫌いになったりしない。だから、君はもう――――自分のために、泣いても良いんだ」
いつかの日。助けて、と叫んだ声に応えてくれた少女。
初めての空を、嬉しそうに駆け抜けた小さな少女。
しかし、いつの間にか、自分≠無くしてしまった少女。
誰かのために、と。嫌われないように、と。ずっとずっと張り詰めてた少女。
――――ユーノは、ただ見たかっただけなのだ。ここまで色んな言葉を重ねてきたが、そんなもの、どうでもいい些末な些事に過ぎない。
ユーノの願いはたった一つ。
あの時、あの場所で。初めて空を飛んだときのような。
――――あの眩しい笑顔を、見たいだけだった。
フェイトと友達になったときに見せた花咲くような笑顔。高町なのはの心からの笑顔を、ずっと見ていたい。ただそれだけだった。
純真無垢な笑顔。どこまでも澄み渡った青空のような笑みこそが――高町なのはには似合うのだから。
「例え、君が皆に嫌われたとしても――――僕がいる。陳腐な言葉だけど、世界中が君のことを嫌ったとしても、僕だけは君を好きでいる。ずっとずっと好きでいる。どんなに醜くても、我が儘でも、構わない。君が君でいる限り、僕は君を支え続けるよ。
だから、なのは。――――笑ってくれ。誰のためでもない、自分のために――――」
「ユーノ、くん……!?」
なのははユーノの腕の中で、目を見開いた。
知っていた。初めから全て知っていたのだ。ユーノは高町なのは≠フ裏側に潜むタカマチナノハ≠見切っていたのだ。
全てを知った上で――ユーノは自分を支え続けると言ったのだ。自分が何も言わずとも、全てユーノには分かっていた。
「多分、皆も薄々気付いているよ。なのはが無茶をしているって……。けど、それがなのはのやりたいことならそれでも良いと思った。なのはがそう言うんなら仕方ないって。だけど、僕にはもう我慢できない
――――君は、君はもっと自分のために、泣いても、笑ってもいいんだ! 我慢する必要なんてどこにも無いんだ!! 僕は君に、笑っていて欲しい……幸せに、なって欲しいんだ……ただ、それだけなんだよ……!!」
ユーノは叫んだ。ずっとずっと伝えようとしていた言葉を。けれど自分の弱さのせいで、言えなかった言葉を。
それはどこまでも綺麗な言葉だった。この汚いことだらけの世界で、それはもしかすると愚かしく、どうしようもなく下らない陳腐なモノだったかも知れない。
けれども――綺麗事でなければ、届かない想いもある。少なくともなのはの胸には、どうしようもなく打ち響いたのだ。
「ねぇ、ユーノ君。私、泣いても良いのかな……」
「ああ」
「私、笑っても良いのかな……」
「ああ」
「それがどんなに醜くても? 愚かしくて、どうしようもない私でも?」
「ああ」
「本当の私は、こんな良い子じゃないんだよ? 人に迷惑ばかり掛けてばっかりのいけない子なんだよ? それでも――ユーノ君は良いの?」
「――ああ。それがなのはだ。それこそが、なのはの、本当の笑顔なんだから……なのはは、それで良いんだ……!!」
「――――あ」
――助けて。
その声がきっと始まりだった。
どこか家族から浮いていた私。特技も取り柄もない私。お父さんが大怪我したとき、何も出来なかった私。そんな無力な私が、初めて頼られたあの時。
出会ったのは魔法の力。手にしたのは勇気の心。
誰かに頼られるのは嬉しかった。誰かを支えられることが、とても嬉しかった。
だけど――それは一体何のために――誰のために――――
「私……私は……」
「なのは。何度だって言う。例えこの世界の誰からも理解されなくても僕だけは君の側に居る。――何にもない空っぽだとしても」
例え、その全てが醜く。どうしようもないほど愚かだとしても。
「僕は君を――守り続ける――――!」
「あ、――――あ、う、あぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
もう堪えきれなかった。
ユーノの言葉一つ一つが、なのはの胸を打ち、その偽装を砕き壊した。
なのはは泣いた。どうしようもなく、子供のように泣きじゃくった。
そこにはもう仮面の高町なのは≠ヘいなかった。子供のように幼い、本当のタカマチナノハ≠ェいるだけだった。
「嫌なの! 誰かに嫌われるのは嫌っ! もう独りぼっちになるのは嫌っ! 要らない子だって思われるのは、もう嫌なのよ!! 私は、もう誰も憎みたくない! 嫌われたくないのよぉ!! ユーノ君、私、私は――――私の、
――――私のせいで、誰かを失うことだけはもう絶対に嫌っっっ!!」
……きっと。
これこそが高町なのはの闇なのだと、ユーノは思った。
なのはの過去に何が起きたのかは知らない。けれど、きっと――そのままの自分をさらけ出した結果、自分の我が儘を貫き通した結果、誰かを無くしたことがあるのだろう。
自分のせいで、誰かの人生を狂わせた。それは言い過ぎだとしても、自分の我が儘のせいで、在るはずだった未来が断たれたのだ。
それは一時の感情だったのかも知れない。子供に良くありがちな、激情に身を任せた行動なのかも知れない。
だが、そのせいで、誰かを傷つけて、その誰かを無くした。孤独になった。
それがなのはに歪んだ強さをもたらした――原点。それを隠したいが故の、偽装だったのだ。
ユーノはそれを知って、胸が張り裂けそうになった。
そんな、たったそれだけの、小さな事を繰り返したくないだけで――なのははここまで我慢することになった。こんな歪な強さを持つに至ったのだ。
その事が、どうしようもなく悲しくて……ユーノは抱きしめる腕に力を込めた。
始まりをくれた君に、囁く。
――――二人だけの約束を。
――――変わることのない永遠の魔法を。
例え、未来が囚われても、遠い彼方に消え去ったとしても。
綺麗に澄んだこの声が覚えている。
だから、名前を呼んで。
あの日のように笑いかけて――――
「大丈夫……大丈夫だよ、なのは。僕は何処にも行かない。僕だけは……絶対に、君の側から離れない……!!」
「ユーノ君、ユーノ――君。私、私は――――ぁ、あ、―――うわぁあああああああああああっっっっっ!!」
いつか、空を飛ぶことが好きだと笑った少女。
それを側でずっと見守り続けてきた少年。
満点の星空が、窓から覗く中。
二人は――久しぶりに、本当の再会を果たした。
* * *
「――――なのは」
部屋の外。泣き声が、微かに聞こえる廊下で、フェイトは独り呟いた。
なのはの持つ闇。何となく感づいてはいたが、結局自分はそれに踏み込むことは出来なかった。ただ何となく無茶をしているということくらいは知っていた。
が、なのはの無茶はいつものことで……大したことないかも、と思っていた。何より、なのはに踏み込むだけの勇気が自分には無かった。
自分はなのはに助けられて此処まで来た。なのはは親友だった。だからではないが――自分は、どこか、なのはを神聖視していた部分もあったのかも知れない。
なのはなら大丈夫。
なのはなら心配ない。
それらは一見信頼に見えるが――しかし、行き過ぎた信頼は、無責任な押し付けに成り果てる。自分の抱いていたソレも、恐らくそれに近いものなのだろう。
だけど、ユーノは違った。なのはのことを冷静な瞳で見つめ続け――そして、その闇、本当のタカマチナノハをこじ開けた。
その事は素直に嬉しい。これでなのはも、これからは自分の本当の姿を晒け出していけるだろう。
しかし――同時に、何故自分はもっと早く気付かなかったのか、という悔しさもあった。はやても、ヴィータも……他の皆も、きっとそれは同じだろう。
本来なら、もっと早く……なのはは、その闇から解放されたに違いないのに。
その事が、どうしても悔しかった。
そう思いながら、歩き出そうとしたとき。
「――――ヴィヴィオ?」
ヴィヴィオが、ウサギの人形を持って、立ちすくんでいるのを、フェイトは見た。
「どうしたの? ヴィヴィオ。こんな遅くに……」
フェイトは尋ねた。本来ならもう寝ているはずの時間だ。しかも、首都の家ではなく、六課隊舎にいるのは少しおかしかった。
ヴィヴィオはそんなフェイトの疑問に答える。
「うん。ずっと士郎さんのお手伝いをしていたら、こんな時間になっちゃって……今日はここに泊まろうかな、て思ったの。……ねぇ、フェイト母さん。なのは母さん――――泣いてるね」
ヴィヴィオは静かにフェイトは見つめ、言った。そこに悲しみは無かった。ただ、ただ酷く冷たい驚きのみがそこにあった。
管理局、若手トップ。不屈のエースオブエース。かつてのJ・S事件で、聖王≠ニいう呪縛から解放してくれた強い強い母。
その母が、泣いている。その事が驚きで――しかし、どこか納得出来る。そんな表情だった。
ヴィヴィオは思う。夢から冷めたようにはっきりとした意識がそこにあった。
……お母さんはすごい。格好良くて、強くて、偉くて、凄い。でも。それでも――――
――――母さんも、自分と同じなんだ。
許せないことがあったら怒るし、嬉しいことがあったら喜ぶし、楽しかったら笑うし――悲しかったら、泣くんだ。
そんな酷く当たり前な事に――ヴィヴィオは漸く気付いた。
ヴィヴィオにとって、なのはは神様のようなものだった。孤児で、聖王のクローンで、もしかすると世界を滅茶苦茶にしたかもしれないのに、それでも自分を救ってくれたヒーローが、高町なのはだった。痛くて、暗くて、怖い世界から連れ出してくれた――大好きなお母さん。
そんな幻想をなのはに抱いていた。それも仕方ないのかも知れない。ヴィヴィオの未だ短い人生。それでもそれは苛烈で辛辣なものだったのだから、尚更、なのはという人間は眩しく見えたのだろう。だが今、それは本当に幻想だったことをヴィヴィオは知った。
若手トップ、不屈のエースオブエース、そんな高町なのはも、自分と同じ人間だった。どこまでも、どこまでも人間的で、痛ければ泣いて、嬉しかったら笑う。
考えてみれば、それは当たり前だ。なのはにも母はいるし、父もいる。人並みに人生を生きて、自分と同じ年だったこともあった。
自分と同じなんだ。
夢から覚めたようだった。意識はクリアになり、世界が見違えて見えた。
なのに、その事に対する驚きの想いは無かった。むしろその事が驚きだった。驚きがないことが驚きだった。
フェイトはそんなヴィヴィオに、幾らか眉の下がった、そんな笑みを向けた。
「……幻滅した? なのは――お母さんの泣く姿は……」
フェイトには、それが心配だった。
ヴィヴィオにとって、なのはが絶対の尊敬の対象だということを知っていた。それは見ていれば痛いほど分かる。
そんななのはが子供のように泣いている。その姿を見て、まだ幼いこの子は幻滅したりしないだろうか――――
――だが、そんな心配を余所に、ヴィヴィオは。
「――――ああ。そうか。私は私なんだ。私は高町なのはの娘≠カゃなくて、高町ヴィヴィオ≠ネんだ。私は――――ただの人間なんだ」
その、真実に気付いていた。
フェイトの声も耳に入っていないようだった。ただ目を大きく見開き、その真実を見つめていた。
ヴィヴィオの脳裏に、鈴の言葉が蘇る。
あのね、驚くなっていう方が無茶よ。何たって、あのなのはさんの娘だからね
――何たってなのはさんは私の憧れなんだから
アンタなのはさんの娘でしょ! なら、もうちょっとしゃきっとしなさい! 背筋伸ばして、ちゃんと前を向きなさい!
ああ、何だ。そういうことか。
確かに私は高町なのはの娘だ。若手トップ、不屈のエースオブエースの娘だ。だけど、それだけだ。
ずっと嫌だと思っていた。学校の先生や、管理局の人達が、自分のことを高町なのはの娘≠ニしてしか見ていないことが嫌だと思っていた。
友達や母さん、そして母さんの友達はそんなことはしなかったが――しかし、それでもなお、何処へ行っても高町なのはの娘≠ニいうラベリングはついて回った。
高町ヴィヴィオという個人ではなく、ただそんなラベル、記号として見られるのが、嫌だった。
だが――今思うと、それも間違いだったかも知れない。嫌だ嫌だと思いつつも、私はその事をどこか誇らしく思っていなかったか? 私は高町なのはの娘なんだぞ=Aと、自慢していたのではないのか?
幻想が砕かれた今、酷く冷静にその事が理解できた。視界が、世界が広がった感覚だった。
そう――確かに高町なのはは偉大な母だ。その尊敬の心には一片の曇りもない。
だから、そんな母を誇りに思うことこそあれ、その高町なのはの娘≠高町ヴィヴィオ≠ニ同一にすることは在ってはならないのだ。
自分は自分。お母さんはお母さん。ただそれだけ、ただそれだけの単純な話に――どうして今まで気がつかなかったのだろう。
そうだ。
私は。
私は――――
「――――私は、私の道を、歩いても良いんだ」
高町なのはのような、フェイト・T・ハラオウンのような、立派な魔導師になりたかった。いや、なるべきだと思っていた。自分は二人の娘だから、それが当たり前のことだと思っていた。二人の意志を継ぐ、二人のような魔導師になるべきだと、そう思っていた。
周りもそれが当然だという目で自分を見ていた。だから、それ以外の道など有り得ないと思っていた。
だけど――それは違った。どうしようもなく間違っていた。
私は、私のやりたいことを、やっていいのだ。
考えてみれば至極当たり前のこと。しかし、私はそれに縛られていた。今まで。
そう。
高町なのはの娘≠ノ固執していたのは――自分の方だったのだ。
何て愚かだったのだろう。私は私だ。ただそれだけの話なのに……
一気に世界が開けた。真っさらな大地が私の目の前にどこまでも広がっていた。
未来はこうも広大で自由だ。どこへ行くのも私次第。どうやって、どこへ、いつ、全てが自由。
ああ。
――――この未来は何て――――美しいのだろう――――
「ヴィヴィオ……? どうしたの? どこか痛いの?」
自然と涙がこぼれ落ちた。そして、それを止める気も起きなかった。
自分はどうしようもなく自由で、どうしようもなく不自由ということをヴィヴィオは今知った。
自分が此処にいること。優しい母達。家族。友達。その全てが美しく、眩しかった。身動きが取れないくらいに、それはヴィヴィオの瞳を焼いた。
フェイトはヴィヴィオの頭を撫でながら、優しく微笑み。
「大丈夫。大丈夫だよ。フェイト母さんは此処にいるからね――――」
そう語りかけた。
ヴィヴィオは何故かそのことが、たったそれだけの行動が、堪らなく嬉しくて。
また一つ。涙を流した。
* * *
新暦81年。五月三日。運命の夜。物語の分岐点。
それぞれはそれぞれの誓いを胸に、歯車は此処に廻り出す。
この夜は、きっと全ての始まりだった。
物語の真の始まりは此処に。彩る全てが、この夜に出揃った。
否、まだ足りない。歯車は、パズルのピースは未だ揃っていない。
――――しかし、今。
正義の味方と傲慢者。その二度目の邂逅によって。
――――最後の歯車が廻り出す。
* * *
新暦81年 五月三日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対黒い影&泊煖@動六課隊舎 屋上
隊舎、その屋上。日付が変わろうとしていた瞬間。
スバルはぼんやりと星空を見ていた。
ここのところ忙しくて、こうやってゆっくり星を見ることは出来なかった。とにかく今は思考を纏めたかった。
これから六課で戦うために。サーヴァントと、自らを傲慢者と断じたあの赤い外套の男と、もう一度対峙するために。
……あの男は強い。その戦闘力も、精神力も桁違いだ。たったあれだけの邂逅で、自分の本質を見抜いたのだ。それは感嘆すべき事なのかも知れない。
今のままではとてもではないが、勝つことはおろか、対峙することすら不可能だった。また叩きのめされるのがオチだ。そうなったら、もう立ち上がれまい。肉体的にも――そして何より精神的にも。
だから、これからサーヴァントとの戦いに身を委ねるとしたら、あの時以上に強くなければならなかった。何のために戦うか分からない、なんてのは論外だ。話にもならない。きっと歯牙にもかけられない。
そう思うが――どうしても見いだせなかった。
今まで絶対だと思っていたあの邂逅、高町なのはという人間に抱いた想いは全て幻想だった。それは今までの自分の否定だ。
今更――それ以外の理由を見つける事なんて、出来るわけがなかった。全てが自分のエゴで、醜いものでしかなかったと知って、なお戦うことなど出来なかった。
ぼんやりと星空を見る。そこにはくすんだ星空しかなかった。あの時、なのはに助け出されたときに見た綺麗な星空は何処にもなかった。
その事が、どうしようもなく悲しかった。どうして自分はこんなところに来てしまったのだろう、と思った。
と、その時――――
「……え、と。ああ、居た居た。……スバル・ナカジマさん、だっけか。今晩は」
きぃ、と屋上の扉が開き、衛宮士郎が現れた。
「え――――」
その姿は以前、ミッドチルダにサーヴァントが現れたとき、自分が暴走したときに、よく分からないうちに言い合いをした少年の姿だった。
自分のことを正義の味方と名乗る、もしかすると答え≠知っているかも知れない少年だった。
「え、え? な、何でここに?」
思ってもいなかった出会いに思わず慌てる。ずっと話をしたくて、だけど二の足を踏んでいただけあって、スバルは見るからに動揺していた。
士郎は微笑みながら。
「ああ、何かティアナが教えてくれたんだ。スバルさんが俺に話があるって」
言って、スバルから少し離れた位置に座った。
「……ティアめ」
何だか気恥ずかしくなって、スバルはぽつりとそう呟いた。
いつもそうだった。口では突っ慳貪なことを言っても、きちんと自分のフォローをしてくれる。時にはそれが、少しだけうざったく思うこともあるけれど、それでもスバルはティアナに感謝していた。
今も、そんな気分だった。しかし気恥ずかしいのは変わらないので、後で文句の一つでも言ってやろうと思った。これでは何だか告白みたいではないか、と。
だが、士郎はそんなこと全く気にした素振りも見せず、ぼんやりと前を見つめていた。
「……戦ったんだって? サーヴァント――……アーチャー、と」
「え……うん」
スバルは士郎を見ながら、頷いた。前を向くその目つきはぼんやりとしているが、しかし確かに何かを見つめる瞳だった。
――今、士郎の視線の先にあるのは、いつかの剣戟だった。
自分の未来。理想の果て。摩耗し尽くした正義の味方。それでも、この想いは間違っていないと振るった。
あの時、アーチャーが何を思い、何を感じたのかは士郎には分からない。だが、士郎は勝ったのだ。そしてアーチャーもそれを認めたのだ。
そして今にも消え去りそうな体で、凛を救い、慎二を救い――そして衛宮士郎自身も救った。
士郎はその時、気を失っていたので、後から凛から聞いた話になるが、最後にアーチャーは笑いながら逝ったそうだ。その最後の言葉のことは聞いていないが、あの凛の嬉しそうな顔を見るに、それは酷く穏やかなモノだったのだろう。
だというのに――――アーチャーはこの世界で黒い影≠ニして人々を襲っている。正義の味方が人を殺している。その変貌、変化は著しい。
それは衛宮士郎にとって許されざる事だった。自分を、あの剣戟を、切嗣の言葉を、自分自身も、理想も、そして何より、遠坂凛の信頼、その全てを裏切っているということだ。
ぎり、と奥歯が欠けるほど噛み締めた。
どうしてかは知らない。もしかすると何か理由が在るのかも知れない。しかし――そんなことはどうでも良かった。何にせよ、アーチャーが世界の敵、悪に成り下がっていることには変わりない。
なら、それは衛宮士郎の敵に他ならない。しかし――同時にどこか引っかかっている部分もあった。スバルのデバイス――マッハ・キャリバーの戦闘記録を見た時、士郎は違和感を感じた。
――――アイツ、本気じゃない。
それどころか、一緒に居たアサシンからスバルを庇ったような節すらあった。アサシンの絶技――燕返しが発動する瞬間に、アーチャーは偽・螺旋剣≠炸裂させた。
あのまま、燕返しが発動していれば、スバルの命は無かった。確かに偽・螺旋剣≠ノよって裂傷は負ったが、燕返しをまともに受けるよりマシである。
だから、詳しく聞かなければと思っていた。あの時の状況を、戦った本人から聞くべきだと思っていた。それが何か、アーチャーの真意に繋がるかも知れないのだから。
――つまり、士郎の方も、スバルと話がしたかったということだ。
「アイツは――本来なら、そういうことはしないはずなんだ。救いのために少数の人を切り捨てることはあっても、無意味な殺戮はしないはずだ。俺は……その理由が知りたい。もしかすると、この世界に来た理由に繋がるかも知れない。だから、教えてくれ。あの時、何が起きたのかを……」
真剣な目つきを、スバルに向けた。その視線に圧倒された。
と思ったら、すぐに目つきを和らげながら、前を向いた。
「ごめんな。話があるのはそっちなのに、な。……でも、知りたいんだ。どうしても――アイツが何を思っているのか。何も理由が無いのだとしたら……俺は、アイツを許せない。だから――――」
ふぅ、とスバルは一息吐いた。士郎がそれに気づき、スバルに再び目を向ける。
穏やかな、顔だった。
「ううん。私が話したいことも――結局、同じ事だと思うから。えぇと、まずどこから話そうか――――」
そう言って、スバルは訥々と語り始めた。
「私はね、なのはさんみたいに、なりたかったんだ……」
突然の言葉に士郎は面食らうが、スバルの真剣な目つきに何となく納得した。
スバルは全てを話した。
自分の始まり――業火の中、なのはに救い出され、魔導師になろうと決めたこと。
どうしようもなく弱かった自分から、なのはのような強い人になろうと思ったこと。
なのはのように人を救おうとしたこと。
六課設立のちょっと前になのはと再会したこと。
J・S事件で起きた出会いと戦いのこと。
そこで勇気の意味、力の意味を知ったこと。
六課解散後、前々からの夢だった特別救助隊に配属されたこと。
ルームメイト、エクステリア家のご令嬢、フォレスタ・エクステリアに出会ったこと。
忙しくも賑やかで平和な日々を送っていたこと。
そして――そんな時、黒い影≠ェ現れたときのこと。
「……私、守れなかった。レスタのことも、他の皆のことも……!」
反時空管理局組織。眉唾だと思っていたその人物に管理局を否定されて揺らいだこと。
その隙に、その人を死なせてしまったこと。助けられなかったこと。
そんな時、赤い外套の男が――――
――――後悔しろ。これが愚者の行き着いた先だ
「駄目だった。間に合わなかった。……私は、遅すぎたんだ……私が迷わなければ、彼処で有無を言わさずあの人を連れ出していれば、レスタも死なないで済んだかも知れないんだ……!!」
泣きながら、スバルは語る。
あの時、もしも、ああしていれば。そんなどうしようもないイフの話を、泣きながら語った。
――――それはスバル・ナカジマの懺悔に他ならなかった。
だから、士郎にはその事に何も言えない。黙って聞くことしかできない。
話は続く。
「……皆の声が聞こえたんだ。助けて、て皆、私に叫んでいた。だから、私は助けなきゃって思ったんだ。そして――私は」
――その惨劇の舞台を目にした。
黒い影が踊り、二つの人影が血しぶきと共に舞う、そんな絶望の宴。
アサシンとアーチャー。人を遥かに凌駕した英霊という怪物。
スバルは戦った。我武者羅になって戦った。非殺傷設定なんて全く考えなかった。戦闘機人としての力、魔導師としての力、全てを込めて、渾身の想いで戦った。
誰かを救いたい、と。その一心を以て、二体の英霊に挑んだ。
だが――その壁はあまりに厚かった。想い一つで英霊、それも二体に拮抗できるほど、この世界は甘くはなかった。
それでも無心になって戦った。拳を振るった。
そして。
そうだ。この右拳を以て、相手を殺――――
その思考に至った途端、全てが終わった。
――――傲慢者
「……あの人はそう言った。気付いていたんだ、あの人は。私が、どんなに愚かで、自己中心的かを。私はただなのはさんを自分に投影して悦に浸っていただけなんだ。そんなものを理想と、夢と、ずっと思って、あろう事か誇りにまで思っていたんだ……っ!」
その事に気付いた。気付いてしまった。それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。しかし、自分の拳の意味を見失ってしまったのは事実だ。
「……私は分からなくなっちゃった。何で私が魔導師になったのか、何で管理局に居るのか――――どうして、私は此処にいるのか」
「……」
――そういう、ことだったのか。
士郎は静かにそう思った。
初めて会ったときの暴走。敵を討つためしか考えず、結果、他人を巻き込む寸前までいった。
その後、言葉を交わして――言い合いをした。
後で振り返ってみれば、暴走したときと言い合いをしたときに違和感があったことに気付いた。
大丈夫か、じゃないよ。それは私の台詞だよ。そんな怪我でどこに行こうとするの?
そんな心配の声をかけられる人間が、あんな暴走をするはずがない。その事に士郎は疑問を覚えていた。
しかし、それは今、解決された。
そんなギリギリの精神状態では――あの狂態も仕方なかったのかも知れない。無論、それで済ませるほど世界も士郎も甘くはないが、それでも納得は出来た。
そして、同時に。
――――俺と、似ている。
そう、思った。
スバルは士郎の方に振り向いた。その目には涙が溢れ、軌跡が夜の大気に散った。
「士郎君……君は言ったよね。私に、自分は正義の味方≠セって。何で、君はそこまでして人を救おうとするのっ!? どうして君は正義の味方≠ネんて曖昧な言葉で命をかけられるのっ!?
何で君は――――そんな綺麗な理想を見ていられるの!?」
――――誰かを救いたいという願いが綺麗だから憧れた。
――――故に自身からこぼれ落ちた気持ちなど存在しない。
――――偽善では、偽物では、何も救えない。
スバル・ナカジマは、どこまでも衛宮士郎に似ていた。違うとしたら、その強弱。
自身がない士郎には否定の言葉は響かない。言葉では砕かれない。是非も善悪も関係ない。体は剣で出来ているのだから。
しかし、剣ではないスバルには耐えきれなかったのだ。自身を悪だと、間違っていると否定され、それでもなお理想を貫き通せるほど、強くはないのだ。
壊れるモノが存在しない衛宮士郎と壊れるモノしか存在しないスバル・ナカジマ。差異があるとしたら、それだけだった。
―――決して、間違いなんかじゃないんだから……!
その言葉に辿り着くには、スバルは正常すぎた。
しかし、それを知ってなお、士郎はスバルにこう告げた。
「――――俺は、お前が羨ましいよ」
「え――――!?」
目を見開く。驚きに全身が凍り付いた。
士郎の言ったことは、自分の思考と何もかもが逆だった。スバルが士郎のことを、羨ましいと思ったのだ。こんな愚かで下らない想いしか無い自分と違って正義の味方≠ニいう理想を目指し続ける事の出来る士郎こそが綺麗で尊いモノなのだ。
……少なくとも、スバルはそう思っていた。
士郎はそんなスバルの想いを否定するように首を振り、立ち上がった。
視線の先にあるのは、星空。
「……俺はこう思うんだ。きっと――お前みたいな奴が、本当の正義の味方なんだって。俺は……初めから間違っているから」
そうして士郎は語り出す。
自身の始まり。
業火の中、切嗣に拾われ、そして、その意志を継いで正義の味方になろうと決めたことを。
そうして訪れた聖杯戦争。あらゆる願いが叶うと言われる聖杯を巡る、七組の魔術師と七騎のサーヴァントのバトルロワイヤル。
士郎はサーヴァント・セイバーと共に夜を駆け抜け、遠坂凛と共同戦線を張り、パートナーとしてお互いに生きようと決めた。
そして、戦争の終盤――サーヴァント・アーチャーが未来の自分自身だということを知った。
「……!!」
スバルはあまりの話に驚いた。未来の自分と邂逅し、挙げ句戦うなんて――果たして、どのような気分なのだろうか……。
士郎の話は続く。
理想と現実の狭間で摩耗したアーチャーは、自分自身の消去だけを望んでいた。そんなアーチャーが、士郎と戦うのは時間の問題だった。
ぶつかり合った。互いの存在を賭けて、士郎とアーチャーは闘った。
正義を否定するアーチャーと、正義を肯定する士郎。過去を否定するアーチャーと、未来を肯定する士郎。二人はどこまでも対極で、果てしなく同一だった。
アーチャーから叩き付けられるのは斬撃だけではない。それは自分自身の否定。どうしようもない未来の光景。これから歩むべく地獄へと伸びる茨道。やがて訪れる自分自身の破滅。
――――衛宮士郎は、その悉くを切って捨てた。
脳裏に絶望の未来を叩き込まれ、焼き尽くされそうになっても、それでも士郎は否定した。
スバルにはそれが到底信じられなかった。
自分自身の闇を暴かれ、お前は偽物だ、偽善だ、醜い、間違っていると叩きのめされても、なお理想を貫けることが信じられなかった。
スバルはその事を告げると、士郎は笑いながら。
「――だってさ。人を救いたいと思うこと。その事が間違いな筈がないだろう?」
そう言った。
それが、衛宮士郎の全てだった。
理想が偽物でも、贋作でも、人を救ったこと、救おうとしたことは決して間違いじゃない。自分は自分。理想は理想。その輝きが損なわれることは決してない。
スバルは言葉を失った。その強さがとても眩しかった。そして同時に、どこまでも歪んでいることを知った。
「……だから、俺はお前が羨ましいんだ。逆に言うと、俺にはそれしかない。人を救うことしか出来ない。正義の味方しか無いんだ。俺は、その事に嬉しさや楽しさを感じる事が出来ないんだ。俺は正義の味方だから。俺という存在の前に、正義の味方という理想があるんだ。だから――――」
衛宮士郎には自我があるにも関わらず自分が無い――――
そう告げたのは、果たして誰だったか。
人は呼吸することに喜びを感じない。人が人である当たり前の機能に楽しさは感じない。士郎にとって、正義の味方とはそういうモノだった。
士郎は自分の歪みを口にして、スバルを見つめた。
「なぁ、スバル。――お前はさ、戦う理由が分からないって言ったけど……」
柔らかな視線だった。どうしてそんなに笑えるんだろうとスバルは思った。
「――――じゃあ、お前は、何でなのはさんみたいになろうと思ったんだ?」
「っつ――――!?」
今度こそ、スバルの思考は真っさらに漂白された。
そんなこと、考えたこともなかった。
なのはさんに助けて貰ったから
それしか自分にはないと思っていた。しかし、それではおかしい。衛宮士郎に大火災という始まり≠ェあるのならば、スバル・ナカジマにも始まり≠ェ無いとおかしい。
始まりがなければ結果も有り得ない。ならば、スバルの始まりとは、原点は、一体――――
「お前は、人を助けて、人に感謝されて、嬉しかったんだろ? その事が楽しくて仕方なかったんだろう? だから、暴走したんだろ? ボロボロになってでも、人を助けたいと思っているから、戦場に出てきたんだろう?」
意識が遠くなり、視界にあの始まりの光景が映し出された。
――――私はあの時、生まれて初めて心から思ったんだ。
泣いてるだけなのも、何もできないのも、もう嫌だって。
強くなるんだ、って――――
強くなりたい、とそう思った。
泣いている自分が嫌だった。何も出来ない自分が嫌だった。
業火の中、崩れ落ちる建物の中、己の無力感が悔しかった。
……私は、誰かに、助けて欲しくて、堪らなかったんだ。
「自分自身のために誰かを救う。偽善と笑われるかも知れない。でも、俺はそんなお前が羨ましいと思う。お前のようにさ、当たり前のように人を助けたいと思って。当たり前のように、その事を喜べて。当たり前のようにその喜びを分かち合える…………それって、多分俺が持っていないものなんだ。壊れた俺なんかが持ち得ないモノを、お前は沢山持っている」
そうして、私はなのはさんに助け出された。助けて貰った。
格好良いと思った。泣きたくなるくらい眩しかった。
吹き抜ける風が優しくて、支えてくれる腕が暖かった。
ふと、空を見上げるとそこには――――
「アーチャーが言ってた正義の矛盾。破綻した理想。そんな負の側面に飲み込まれずに、お前は日の当たる場所を歩いていける。俺たち≠フように絶望しながら人を助けるのではなく、ただ希望を以て人を助けることが出来る。ならさ――――」
――――そこには、満点の星空が。
「――――それで、いいじゃないか。それだけでいいじゃないか。お前は、人を救いたいから、なのはさんのようになりたいと思ったんだろ?」
「あ――――」
ああ、何だ。
そう――だった。
私がなりたかったのは、人を救うなのはさんではなく――――なのはさんのように人を救える人だ。
あの時、私はどうしようもなく誰かに助けて貰いたかった。
そう、私が本当に救いたかったのは、あの時のような自分だった。自分そのものだった。
力が無くて、泣いていることしかできなくて、圧倒的な理不尽に何も対抗することが出来ない、かつての自分のような人を、なのはさんのように救いたかった。
ただ、それだけだった。
ただ――――それだけで良いんだ。
それが例え、偽善でも。
それが例え、欺瞞でも。
それが例え――――傲慢でも。
醜くても良い。
無意味でも良い。
汚くて、格好悪くても良い。
泥のように這い蹲って。
襤褸雑巾のように叩きのめされても。
その先。自分が歩いた理想の果てに。
誰かが笑って。
誰かが仲良くしてて。
誰かが幸せならば。
――――きっと、それで――――
「そう……だったんだ」
戦うのとか誰かを傷つけちゃうのとか、本当はいつも怖くて不安で――手が震える
だけど、この手の力は
壊すためじゃなく――守るための力
悲しい今を、撃ち抜く力――――
全ては――この掌の中に、全て在った。
今までの自分は。積み重ねてきた自分は。今まで救ってきた人達。その笑顔は。
―――それだけは、絶対に否定してはならない。
例え、始まりが間違いでも、汚くても。
それで今まで救われてきた人が居るのならば。
この拳は無意味でも――無価値ではない。
その価値のために、命を賭けられるのならば、私の人生は、私の想いはきっと――――
「――――間違いなんかじゃ、ない」
スバルは遂にそこに辿り着いた。衛宮士郎と同じ、しかしどこまでも違う、その答えに。
立ち上がって前を向く。
難しいことを考える必要はなかったのだ。間違っているとか、間違っていないかとか、偽善・欺瞞・傲慢……行動の是非なんて、どうでもいいんだ。
ただ自分は誰かの笑顔を見たいだけ。人は万能ではない。だから自分に出来ることで、自分に出来る範囲で人を助ける。それがあのときなのはさんに教わったことなのだから。
ただそれだけでいい。スバル・ナカジマはそれだけで良かった。
それだけで――自分は闘えるということを、それだけで――自分は笑っていられるのだということを、スバルは知った。
士郎はそんなスバルを見た。どこか吹っ切れたような顔だった。その真っ直ぐな強さが、眩しくて堪らなかった。
――自分も、スバルのように在りたかった。この世界を愛し、人を愛し、それを守ることを至上の喜びとする……それこそがきっと正義の味方と呼ばれるモノなのだ。
スバルは正義の味方だった。確かに――スバル・ナカジマは正義の味方だということを士郎は感じていた。スバルのような正義の味方ならば、家族に、自分の娘に、あんな表情をさせることは無かっただろう。
その事が悔しかった。自分という天秤が無いことを、これほど悔やんだことは無かった。
スバルは前を向いたまま、士郎に問うた。
吹き抜ける風。それは冷たく、しかしどこか優しかった。
「ねぇ――士郎君。この世界は、好き?」
士郎は一瞬だけ、目を見開き、そして目を伏せた。
スバルはこう問うた。
貴方が正義の味方で、人を救わなければならないことは分かった。しかし、それとは別に――この世界は好きか、と。正義の味方としてじゃなく、一個人の衛宮士郎として、この世界を守ってくれるのか、と。
士郎は正義の味方だ。だから、その問いに意味はない。世界が好きだろうが嫌いだろうが、そこに生きる人々は守らなければならない。結果は同じ。することも同じだ。
無意味な問い。
だが、士郎は静かに笑った。風が薙いで、髪が僅かに揺れる。
そして、満天の星空を見上げ――――
「――――ああ。俺は、この世界が好きだ」
そう、確かな言葉として紡いだ。
……今でも元の世界に帰りたいという想いはある。自分の家に、家族の元に、凛の元に、今すぐにでも帰りたいという想いがある。
しかし、それ以上に――士郎はこの世界が愛しいと思っていた。
出会ってきた沢山の人達。高町なのは、八神はやて、ヴィヴィオ、スバル・ナカジマ、ヴィータやシグナム――――そして他の六課のメンバーも、皆、自分に良くして貰った。
そして、衛宮鈴。この世界の衛宮士郎の忘れ形見。正義の味方の罪科。
士郎は鈴の事が、好きだった。恋愛感情とは別の暖かな何かを鈴に感じていた。
それはもしかしたら衛宮士郎の娘だからかもしれないし、遠坂凛の娘だからかもしれないし、遠坂凛にそっくりだからかもしれなかった。
しかし、そんなことは関係なかった。士郎は鈴を守りたいと思っていることこそが重要だった。衛宮士郎の自我が叫んでいたことが、何より大切だった。
きっとそれは、この世で最も大切で、清く尊いモノなんだと思った。
それを言葉にする。
……そうしたところで、やることは変わりない。正義の味方はどんな事があろうとも、人を救い続ける。だから、この言葉は無意味だ。
けれど――――
「俺は……この世界を守りたい。正義の味方として、衛宮士郎として――この世界を、皆を、鈴を、守りたいと。そう……思う」
――――無意味ではあるが、無価値ではない。
「そう……なら、私と同じだね」
言って、スバルも空を見上げた。
満天の星空。綺麗だった。まるであの時、なのはに助け出されたときと同じ空が広がっていた。
――――くすんだ星空は、もう何処にもない。見えるのは、どこまでも美しい満点の星空――――
もう迷いはなかった。否、最初から迷うことなど無かったのだ。
目指したのは強い人。
教えて貰ったのは勇気の心。
掴んだのは力の意味。
胸に宿るのは誰かの笑顔。
教えて貰った、正義の在り方。
この拳に宿るは、たった一つの誓い。
「……だから、俺は誓う」
呟き、士郎は星空に手を伸ばした。スバルも頷き、同じように右拳を伸ばした。
スバルには士郎の言おうとしていることが理解できた。それは自分と同じ事だった。この右拳に宿る意味と、全く同じだった。
その繋がりが、どこか心地よかった。恋慕でも愛情でも信頼でも友情でも無かった。言葉では言い表すことなど出来なかった。
――――歪で壊れた正義の味方。
――――どこまでも真っ直ぐで優しい傲慢者。
限りなく同一で、果てしなく遠い互いの在り方。その絆が――とても誇らしかった。
「俺は――――」
「私は――――」
声を合わせる。士郎も分かっていた。スバルも分かっていた。全て、分かっていた。
何が、という問いは不要だった。そこには何もかもがあり、何もかもが無かった。
だから、二人は口にする。
その言葉を。
――――その誓いを。
「この世界を守る事を、この星空に――誓う」
答えなど無いと知っていても、理想の果てを追い続ける。
見上げた星は美しく、今も、この先も焼き付いて離れることはないだろう。
それは黄金の輝き――――
二人は同時に拳を握りしめた。まるで彼方にある星を掴んだかのような仕草だった。
風が流れ、雲が流れる。
静謐な夜はどこまでも静かで、心地よかった。
士郎とスバルは無言で佇んでいた。
二人には、それで、十分だった。
運命の夜。
最後の歯車が廻り始めた。
■
そして真の悪意が――遂に牙を剥く。
■
新暦81年 五月四日 ミッドチルダ 北部 聖王教会
「……どうしたんですか? こんな夜中に――」
草木も眠る丑三つ時。
聖王教会騎士、カリム・グラシアは、言峰綺礼の突然の呼び出しに面食らっていた。
そろそろ仕事を切り上げて眠ろうかと思っていたところだった。だから目は覚めていたし、特に不審に思う事はなかった。
立場が立場だ。もしかしたら何か記憶を思いだしたのかも知れない。何か不安に思うことがあるのかも知れない。
確かに、言峰綺礼は不思議な人間だ。記憶を失っていると思えないほどに冷静で、どこか威圧感のある人物だった。
それでも――――人間なのだ。突然の不安に泣くことがあって、誰かに頼りたくなるときもあるだろう。
そう思い、カリムは呼び出された場所に行き、綺礼に声をかけた。
そこは厳かなる礼拝堂だった。電気の照明など一切無い。月明かりと、何本かの蝋燭で十分。
言峰綺礼が良くいる――好みの場所なんだろう――小さいけれども綺麗な礼拝堂だった。
「ああ、待っていましたよ。カリムさん」
言峰は壇上に居た。本来なら祝詞をあげる神父が立つその場所に、言峰は立っていた。
――どうしてか、カリムにはその姿が似合うと思った。まるでそうすることが天職であるように、似合い過ぎていた。
どうしてか、その違和感≠ェカリムを不安にさせた。
言峰はこつ、と音を立てて、カリムの方へと歩き出した。壇上から伸びる真っ赤な絨毯を踏みしめながら、カリムへと近づいていく。
ぶるり。
「――――え」
カリムの背筋が、何故か震えた。
その衝動が何なのかを知る前に――言峰は。
「カリムさん――――貴女は、聖王を蘇らせてみたくはないですか?」
嗤いながら、そう問うた。
それはどこまでも、どこまでも、邪悪な笑みだった。
長い髪が、微かに揺れていた。
◇
――――そして、二ヶ月の時が経った。
黒い影≠ェ現れてから、約三ヶ月の時が過ぎた。
最初の一ヶ月こそ、どうにもならないほどの痛手を受けたが、機動六課が再編されてから、その被害は少しずつ少なくなっていった。
黒い影¢ホ策が徐々に形を成していき――戦況は少しずつ六課側に傾きつつあった。だが、それが油断のならないものだということは誰の目からも明らかだった。
明らかに危険戦闘個体――サーヴァントの出現頻度が減っているからだ。
当初は一ヶ月に八体という異例の頻度で登場したにも関わらず、今ではほとんど現れなくなっていた。偶に現れたかと思いきや、まともに戦闘もせずに去っていく。
現状、最も恐ろしいのはサーヴァントなのだ。その動向はようと知れず、その目的も、行動の意味も分かっていなかった。それが不気味で仕方なかった。
不審と不安だけを魔導師達に残し、日々は過ぎていった。
そして――新暦81年七月七日。
……後に、聖杯事件と呼ばれるこの戦いの。
第一次決戦。その火蓋が切って落とされる――――
新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 北部 聖王教会
「ふぅ……ごめんね、衛宮君。ずっと此処に連れてきたかったんだけど……なかなか時間が取れなくて」
「あ、いや別に構いませんよ、なのはさん。何だかんだで皆忙しかったわけだし」
そんな会話を聖王教会、中庭が見える廊下で士郎となのはは話していた。
なのははずっと士郎をカリムに紹介しようと思っていた。それは大切な友達を紹介したかったというのもあるし、それ以上に、あの世界が滅びるという終末の予言≠直に士郎に見せたかった。
もしかしたら、何か分かるかも知れない。黒い影≠ニあの予言が何か関わっているなら、同じ世界から来た士郎にも関連性はあるかも知れない。
といっても、それはほとんど藁をも掴むような行為で、あんまり収穫は得られないだろうとも思っていた。どちらかというと、何かと忙しい士郎に休ませたかったというのが本音だったのかも知れない。
――――まぁ、私も少し休みたかったし。
そんなことを思いながら歩いていると、二人はカリムの居る部屋の前に辿り着いた。
「ちょっと待ってて。少しカリムと話をつけてくるから」
そう言って、なのはは扉を開け、部屋へと入っていく。
それを見届けた後、手持ちぶさたに士郎は窓から中庭を見た。
……花が、綺麗だな。
しばらくこんな花園は見ていなかった。物珍しく士郎は中庭を、ぼんやりと見つめ続けていた。
その時、ぽんと肩を叩かれた。
「ああ、もう良いんですか? なのはさ――――っ!!!???」
そこには――――
「――――お久しぶりです、先輩」
柔らかい笑顔の――間桐桜が居た。衛宮士郎の記憶通りの、いつもの間桐桜だった。
――――それは、花咲くような笑みだった。
→EP:9
Index of L.O.B
|