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――助けて。
その声がきっと始まりだった。
どこか家族から浮いていた私。特技も取り柄もない私。お父さんが大怪我したとき、何も出来なかった私。そんな無力な私が、初めて頼られたあの時。
出会ったのは魔法の力。手にしたのは勇気の心。
それは漫画やアニメで見たような夢みたいな力じゃなかったけど――それでも確かに私にとっては素敵な、求めていた力に違いない。
君には素質がある――そう言われたときは、素直に嬉しかった。自分にしかできないモノが見つかったという歓喜と充足感が体を満たした。
だって、何にも出来ない私が、初めて手にすることが出来た確かな力だったのだから。
ずっと求めていた誰かを助けることが出来る力。
それが、この手の中にある。
だから私は我武者羅にその力を振るってきた。誰かを助けるために。誰かを救うために。
その時、私は子供だった。きっとその力は間違っていない。そう信じて――私は進んできた。
色々な出会いがあった。ユーノくんや、フェイトちゃんにはやてちゃん。
誰かに頼られるのは嬉しかった。誰かを支えられることが、とても嬉しかった。
だけど時が進んで、管理局に入って。物事はそんな綺麗な事ばかりじゃないことを知った。
世界は残酷で、とても理不尽なものだ。常に悪意は隣に居て、油断するとすぐに牙を剥いてくる。
それは十一歳の時、身に染みて理解できた。殺意の刃がこの体を貫き、私は歩くことすら危ぶまれるほどの重傷を負った、あの時に。
私は思った。
――ああ、世界って、こんなに怖い場所なんだ、と。
そして、それ以上に私は――この力を失う事が恐ろしかった。誰かを助けることの出来る力を、折角手にした��自分が生きる理由�≠�手放すことが、とても恐ろしかった。
誰かを支えることが出来なくなることが、何よりも恐怖だった。
嫌だった。あの頃の、何も出来ない無力な自分に戻るなんて、考えたくもなかった。
だから必死に抗った。偽装した。誰にも迷惑掛からないように笑顔を振りまいた。こんな醜い私を見られたくないから、必死で取り繕った。
だってそうでしょ? 私は誰かを支え続けなきゃいけないんだもの。心配を掛けるなんて以ての外。そんなこと、私はやっちゃいけない。
それから余計に誰かを救わないといけないと思った。こんなにも世界は残酷で冷たいから。人が死んだら悲しいし――何より、そんなことになったら私は皆に見捨てられる。
褒められて嬉しかったんだ。人の役に立てることがとても嬉しかった。不屈のエースオブエース。そう呼ばれることが堪らなく誇らしかった。
――英雄と。そう呼ばれることを、いつかの私は望んでいた。
だから、それが無くなるのが怖い。私は航空部隊のエースで、Sランクの魔導師。必死に足掻いて、手に入れた称号。その喪失。それは――生きる理由の消失に他ならない。
何もかもを無くした��ただの私�=Bそんな自分に、きっと皆は用がない。管理局も、フェイトちゃんやはやてちゃんだって、そんな私にはきっと幻滅する。
勿論、二人は掛け替えのない親友で、そんなことでその絆が壊れるなんて思っていないけど。それでも、やっぱり二人が出会ったのは��魔導師としての高町なのは�≠ネんだ。ずっとずっと出会ってからの私がそうなんだから。
アリサちゃんやすずかちゃんも、あんまり変わらないかも知れない。��誰にも迷惑を掛けないよい子�≠ェあの頃の私の標準だった。私は、恐らくその頃から何も変わっていない。
迷惑は誰にも掛けたくない。誰かに要らない子って思われたくない。嫌われたくない。
何も出来なくて、ただ周りに迷惑ばかり振りまく��高町なのは�≠ネんて誰も必要としてない。そんな私なんて、要らない。友達は多分そんなことはないよ、て言ってくれるかも知れないけど……。でも皆が知る��高町なのは�≠ヘそれなんだ。それが無くなったら私じゃない。皆の友達の��わたし�≠カゃない。もし私が私じゃなくなったら――それは皆の友達の高町なのはじゃない。
もっとおぞましく醜い――別の何か、だ。
皆軽蔑する。皆離れていく。折角手にした高町なのはが崩壊する。
嫌だ。そんなのは、嫌だ。
だから私は偽装する。
笑顔を振りまいて、誰かに必要とされる自分に。必死に英雄と呼ばれる私を維持し続ける。
――��タカマチナノハ�≠ヘ��高町なのは�≠�演じ続ける。
あれ? でも。
��タカマチナノハ�≠チて、一体何処に居るんだろう?
――そう言えば、最後に一人で泣いたのって、いつのことだったっけ。
噛み合わない歯車が、みちりと軋む音を私は聞いた。
膝を抱えて、部屋の片隅。
いつも不安で震えていた。
「本当」を知ることが怖くて。トビラを閉じた。
――――優しい嘘に居場所を見つけて。
夢の中に逃げ込んだ――――
7 / 星空に誓う(2) Platanus
新暦81年 五月三日 ミッドチルダ 北部 聖王教会
「ふむ。つまり貴女は、職場での人間関係に悩んでいる――ということですか」
「ええ。まぁ、大体そんなところです」
色鮮やかな花に囲まれ、二人は向かい合いながら、そんなことを話していた。
なのはは目の前の人物――居候と名乗ってはいる、どうにも不審な人物――に、今自らが抱えている悩みを、ざっと話してみた。
無論、詳細は語っていない。全ての事情を見ず知らずの人間に話すほど、そこまでなのはは無防備ではなかった。
話したのは、至極抽象的な事情のみ。部下に無茶をやる子がいて、それを止めるにはどうしたらいいのか。そして、酷くデリケートな子がいて、どのように接すれば良いのか。その程度のことだった。
しかし、決して的外れではない。なのはもこんな僅かな情報で、まともな助言が貰えるとは思っていなかったが、今は少しでも足しになる言葉が欲しかった。
機動六課が再編されるこの大切な時期。余計なもめ事は早く解決したい。
「管理局のエースオブエースにはエースオブエースなりの悩みがあるわけですね。……大変でしょう。それなりの地位にはそれなりの責任が伴う。おまけにその若さだ。かかる重圧も並のモノではない」
「……はぁ」
放たれる眼光。なのはには、それが何だか嫌だった。
何もかもを見抜くような視線。心に直接、一直線に突き刺さり、穿つ。
――ぎちぎちぎちぎちぎち。
黒々とした何かがなのはの胸に集り、強引にソレをこじ開けていく。
まるで、その中にある闇を喰らおうとしている様に。
「いやいや、なかなか出来ないことですよ。貴女のように若い女性が、英雄と呼ばれ、それに恥じないようにこうやって努力している。だからこその敬称なのでしょう」
「そんな……過大評価ですよ。私は私の出来ることをやっているだけです。英雄だなんて……」
「それは謙遜です。周りの評価を、もっと信じた方が良い」
――ぎちぎちぎちぎちぎち。
這い回る。こじ開けられる。
それを抑えるように、なのはは必死に言葉を紡ぐ。
「本当に、そんなんじゃないんですよ。現に私は二人に対して何も出来なかった。だから……こうやって相談しているんです」
幾分眉が下がった――笑顔。
それはいつもの表情だ。陰鬱な面影は見られるが、それは十分許容範囲。高町なのはの、笑顔だった。
その表情を見て。
「ふむ、なるほど」
と、なのはの目の前にいる人物もまた――笑った。
――ぎち。
「――つまり貴女は人の気持ちが分からない、と。そしてその事がコンプレックスになっているわけですね」
「え――――」
――ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち。
この人は一体何を言ってるんだろう。
なのはは、一瞬、本気で目の前の人物が何を言っているのか分からなかった。
射貫くような目線。はいずり回る何か。切開される胸の内に潜む闇。
――――高町なのはが解体される。
止めて。
「いや、正確には��不可解�≠ナはなく、��偽装�≠ゥ。人に求められる理想の具現。希求に対する自己投影――そのための足掻き……なるほど。確かに貴女は英雄だ。その在り方は常人のソレとはかけ離れている」
喉がからからに渇いていく。嫌な汗が全身から噴き出す。
何だ。何なんだ。
たかが二言三言だ。たったそれだけで、どうしてそこまで自分のことを見抜くことが出来る。
なのはは戦慄した。そのあまりの観察眼。��人を解体すること�≠ノ特化したようなその双眸が恐ろしかった。
――果たして。今までどんな生き方をしてきたら、このような瞳を出来るのだろうか。
睨めつくような視線。捉えるのは言動だけではない。
なのはの一挙一動、言葉に対する反応――筋肉の動きや視線の動き、返す言葉、その悉くを蜘蛛の糸のように絡め取る。
――ぎちぎちぎちぎちぎち。
黒い蟲が、胸の中を這い回る。
止めて。
「ああ、それでは分からないだろうな。少なくとも、そのデリケートな子とやらの悩みは分かるまい。それはあくまで人としての範疇にある。英雄たる君には理解できないだろうよ。立ち位置が違うからな」
――――皆が皆、貴女のように強いって思わないで――――
なのはの脳裏に、その言葉が蘇った。
私は自分が強いと思ったことはない。
その齟齬。違和感。周りの評価と自身の認識が、絶望的なほど喰い違っている。
立ち位置が違う。此方と彼方。あちら側とこちら側。
ああ――そうだ。私のいつものやり方を考えろ。私は、いつも、何て言って、相手と対峙する?
��お話を、聞かせて��
それはつまり――――自分では相手のことを――――
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
それは考えたら駄目なことだ。終わってしまう。
不味い。
――取り込まれている。
「……話題が、ずれてますよ。それと、人を決めつけたように言わないで下さい。――酷く不快です」
なのはは冷静に、至極無表情にそう言った。
鉄のような表情。それを崩すことは誰にも出来ない。
がたり、と席を立つ。
とてもこれ以上おしゃべりを続ける気は無かった。
「失礼します」
鉄面皮。崩れない鉄壁の仮面。
――だが。
「高町なのは。――君は、一体何のために戦う?」
その一言が、仮面の隙間からするりとなのはの中に入ってきた。
��――なのはさんは、どうしてそこまで――人を死なせたくないのですか��
どこまでこの声は、ピンポイントに私の心を抉るのか。
驚愕、驚嘆。そして――自失。
その問いは、先日衛宮士郎に尋ねられ、結局、何も返せなかったことに他ならなかったからだ。
どうして自分は戦うのか。何のために。誰のために。
なのははそれを明確に口に出来ない。形に出来ない。
それは一体――どうして。
「っ――――!」
駄目なのか。わざわざ形にしなければいけないものなのか。
ただ人を助けたいからではいけないのか。
ただ誰かを守りたいからではいけないのか。
人の役に立ちたいから――それだけで、行動してはいけないのか。
「――ただ人の役に立ちたいから、では駄目ですか」
だから、そう口にする。己の中にはそれしかないのだから。
きっとそれ以上は、破綻してしまう。
だというのに。
「まさか。貴女は正しい。それは人が持つプリミティブな衝動だ。殺人を嫌悪し、破壊を忌避する。同類を守り、子供を慈しむ。ある時は正義と呼ばれ、ある時は慈悲と呼ばれる��ソレ�=Bそれを何の理由もなく行使できる――だからこそ貴女は英雄と呼ばれる。
――だが、この世に無償の愛が存在すると思いますか?」
何故この人間は、その領域に軽々しく足を踏み込んでくるのか――――!
目の前の人物は笑いながら、立ち上がった。
なのはの瞳と同じ視点で、歌い上げるように言葉を紡ぐ。
「いやいや。もしかしたら存在するかも知れません。理由のない悪意が存在するように――理由のない善意もまた存在するというのは道理だ。見返りを求めない無償の愛。一片の濁りもないただ人を助けたいという純粋な想念を以てソレを行使する。生まれたときからこの世の悪意など知らずに、人のために行動し続ける、清く純粋で美しいモノ。しかし……おかしいですね」
謳う。唄う。歌う。
朗らかに。高らかに。大らかに。
――この世の悪意に満たされた生粋の悪が、この世の善意を語る。
「見返りを求めず、自分を鑑みず、ただ愛という名の奉仕を続ける。それは英雄と呼ばれるモノではなく――女神や天使、と称されるのが正しいのではないかね?」
「――」
意識が漂白される。全ての感覚がシャットアウトされ、目の前の人物の言葉しか聞こえなくなる。
世界が悪意に満たされる。
「戦いを以て悪意を駆逐する。しかしそれは矛盾だ。悪意と善意の境界線は? 何が正しくて何が悪いことなのか」
歌いながら、なのはの方へと足を踏み出す。
なのははふらりとよろけ、少しずつ後退する。まるで圧倒されるように。
「そもそも何故問う? 何故人に尋ねる? 自分が正しいと誰かに証明して欲しいのかね?」
一歩、踏み込む。
一歩、後退する。
止めて。
「不安? 自分では支えられない? 誰かに正当性を支えられなければ立っていられない?」
一歩、踏み込む。
一歩、後退する。
止めて。
「理由もなく誰かを助けることがそんなにも不安か。つまり――それは中身が伴っていないということに他ならないのではないかね?」
一歩、踏み込む。
一歩、後退する。
止めて。
「行動には理由が必要だ。��何故それを為したいか�∞�何故それを行使するか�=B衝動・目標・過去・憧れ・欲望・鼓舞・誇示――何でもいい。『誰かを助けたい』という行動の理由は何だ。結果の前に始まりがないと矛盾する。因と果はセットだ。無から有は生まれない。高町なのは――お前の��根源�≠ヘ何だ」
一歩、踏み込む。
一歩、後退する。
止めて。
「答えられない? 明確に形に出来ない? つまり、お前は人に支えられるために人を支えること。それこそが戦う理由であり、行動の根源だと――そう言いたい訳か」
一歩、踏み込む。
一歩、後退する。
止めて。
「ああ――そうか。要するにお前は目的と行動が逆なのだな。人を助けたいと思考するから人を助ける行為に及ぶのではなく――人を助ける行為に及ぶために人を助けたいと思考する。だから明確に形に出来ない。理由の前に行動がある。なるほど、確かにソレは正しい。英雄と呼ばれるに値する。しかし――気付いているかね?」
――ぎち。
――ぎちぎち。
――ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち。
「――――お前は誰よりも孤独を恐怖するが故に、誰よりも孤独を求めているという、その矛盾に」
「――――あ」
――誰かに、必要とされたかった。誰かに、嫌われたくなかった。
だから強くなりたいと思った。その力を手にしたと思っていた。
何も出来ない無力な私が憎くて――必死に今まで生きてきた。
誰にも迷惑掛けないように、誰にも心配賭けないように。
そのために私は笑顔でいなければならなかった。偽装しなければならなかった。
だって、本当の私は弱いんだもの。不屈のエースオブエースという仮面が剥がれれば、そこには醜くておぞましい本物が居る。
――��タカマチナノハ�≠ヘ��高町なのは�≠�演じ続ける。
でも、演じ続けるということは、それだけ本物から離れていくということだ。独りぼっちになりたくないから、私は誰にも迷惑を掛けないように生きてきた。だけど皆が見ているのは偽装された��高町なのは�≠ナあり、��タカマチナノハ�≠カゃない。
独りぼっちになりたくないがための偽装なのに、すればするほど、誰も私のことを見てくれなくなる。
その矛盾。その摩擦に――押し潰されそうになる。
��……壊れちゃいそうだよ。
ああ、誰か――――��
私は誰にも助けを呼べない。呼んではいけない。
だって、その矛盾こそが私なんだもの。それを否定したら――今までの私は一体――――
「……あえて見ないようにしていたか。矛盾を抱える強さはいつか瓦解する。中身のない正義に押し潰される。そんなもの、人が抱えられるものではないからだ。お前は正義の味方に限りなく近い存在ではあるが――――同時に、限りなく遠い存在でもあるのだよ」
「もう止めてぇぇええええええええええええええええええええ!!」
なのはは叫んだ。目の前の人物の言葉を拒絶するように。
もう耐えきれなかった。これ以上聞くと――きっと崩壊してしまう。
駆ける。拒否するために逃避する。
ただ我武者羅に、なのはは逃げた。
今までどんな相手だろうと立ち向かったエースオブエースが――初めて、誰かから逃げるということを行った。
――もう何も聞きたくない。もう何も考えたくない。もう何も……
耳を塞ぎながら、なのはは走る。
逃げる。ひたすらに、目の前の人物から、何より偽装することでしか己を保てない自分から。
タカマチナノハは拒絶し続ける。
それでも――なのはは涙を流さない。
果たしてそれは強さか。それとも偽装でしかないのか。
分からないまま、鮮やかな花咲き誇る楽園から、なのはは逃げ出した。
――――誰も知らない孤独の海を、深い蒼に染めていく――――
ひゅう、と風が吹いた。花びらが舞い、草花が踊るように揺れる。
その中で立ちながら、空を見上げている人物が一人。
不意に声が投げかけられた。
「……コトミネ。少々遊びすぎたのではないか?」
何時の間に現れたのか、白のインナーに黒のジャケットを着込んだ私服のギルガメッシュが、柱の影に寄りかかっていた。
なのはを解体し、その心の闇を露わにしたその人物――言峰綺礼は後ろを向いたまま、言う。
「思いの外、興が乗ってな。思わずつついてみたくなったのだよ。何、我らの行動に支障は出ない」
「しかし、あちらには、あの雑種が居るのだろう? もしかするとお前の存在が、あちら側に伝わるかも知れん。まぁ我には関係のないことだが、お前の楽しみとやらの障害となるのではないか?」
「仕込みはもうすぐ終わる。懸念すべき事など何もない。それにしても、珍しいことだな。ギルガメッシュ。お前が人の心配をするなど、明日は槍でも降るか」
「茶化すな。奴は我の裁定により極刑となった。だが、あまり壊されても、面白みがない」
言峰はくくく、と笑う。
「ああ――それは悪かった。何、心配するな。アレはどう転ぼうが戦場に出てくるよ。立ち直るにせよ、あのまま壊れたとしても。それしかない故にな。あれでも英雄と呼ばれているモノだ。早々簡単には壊れないだろうよ」
言峰のその言葉に、ギルガメッシュは眉をしかめる。
「そうは言うがな、コトミネ。英雄だと? あのような紛い物――いや、それ以下だな。まだあの贋作者の方が芯が通っている。人を救うなどという大言壮語を吐きながらも、その実、自分のことしか考えていない傲慢者。あれを英雄と呼ぶのは全ての英霊に対する侮辱だ。ふん、雑種にも劣る下衆の偽善。そのような分際で我の顔に傷を付けるとは……万死どころか、億回切り裂いても飽きたらん」
「いつだって世界を回すのは偽善と傲慢だよ。それはどこでも変わらん真理だ。……どうだ、ギルガメッシュ。この世界はお前が征服するに値するか?」
その言葉にギルガメッシュは一瞬目を伏せてから、腕を組んだ。そしてその口元を吊り上げる。楽しげに、言峰に言葉を返す。
「……冗談。この世界はあまりに不安定すぎる。まだかつての世界の方がマシだ。とてもではないがモノにする気が起きん。まぁ、目新しさはあるがな。くだらない玩具だが――それでも、くだらないなりに楽しみ方はある」
鍵剣を掌の中で弄びながら、くくくと抑えきれないように嗤う。
言峰も同様に口元を吊り上げる。
「英雄王ともあろう者が、まるで子供だな。だが――それには同感だ。世界、これほど弄ぶのが面白いモノはない。しかし――」
「――玩具にはいつか飽きが来る。その時は」
「ああ、その時は――」
「――ゴミ箱に、捨てるだけだ」
二人の声が重なり、空間に溶けていく。
誰にも気付かれぬまま、二つの悪意が、静かに、だが楽しげに笑い続けていた。
◇
新暦81年 五月三日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対��黒い影�&泊煖@動六課隊舎
「士郎さーん、炒飯上がりましたよー」
「はいよー、はい炒飯お待ちどおさま」
「おおー旨そうやなぁ。ほな、いただきますー」
昼というには遅すぎ、しかし夕というには早すぎる時間。機動六課隊舎、その食堂で、そんな声が上がった。
食堂。
厨房の中でぱたぱたと走り回るヴィヴィオ。ガシャガシャと食器を洗う士郎。テーブルに並べられた炒飯を見つめるはやてと、そしてラーメンを啜るシグナム、青椒肉絲定食をぱくつくヴィータが居た。ちなみにどれもワンコインでお釣りが来る、とてもリーズナブルなメニューである。
「む、この味。これただのXO醤じゃあらへんな。――特製か」
炒飯を一口食べ、はやてはそんなことを言った。
士郎は食器を洗いながら、答える。
「あ、気付きました? 別にそんな大したモノじゃないんですけどね。ちょっと馴染みがある店の人に教えて貰ったんです。……ちなみにレシピは秘密ですよ?」
「むぅ、それは残念。それにしても中々やるなぁ士郎君。この値段でこの味は、そうそう出せるもんやないで?」
それに同調するようにヴィータとシグナムが声を上げる。
「おお。結構旨いぜコレ。お前、なかなかやるじゃん。ま、はやてにはかなわねーけどな」
「ふむ。確かに専門店のものには劣るが、大人数を賄い、かつ安価な食堂で、ここまでの味が出せるのは驚きだな。料理人でも志しているのか?」
士郎はそんな褒め言葉に苦笑しながら、言う。
「いや、自炊する人ならこれくらいのことは出来ますよ。それにうち、家族多くて。こういう量の多い料理を作るのに慣れているんです。――何かやたらと食べる王様いたし。後、虎」
「?」
首を捻るはやて。
彼女達が驚いたのも無理はない。士郎の料理の腕。それにはちょっと混み合った事情が関係している。
元から自炊していた士郎だが、聖杯戦争から一年、その腕はぐんぐん伸びていた。何せ、量が量だ。桜や凛は��本当に女の子か�≠ニいうくらいに食べるし、藤村大河やセイバーは言わずもがなである。そんなわけで戦争終了後、まず士郎が頭を悩ませたのは食費だった。
幾ら大河や桜、凛がある程度入れてくれるとはいえ、およそ一度に十人分ほど消費する面々だ。光熱費・保存スペースなど考えても、なかなか馬鹿に出来ない。そんなわけで士郎は決められた金額の中で、どう節約するか、ずっと遣り繰りしてきたわけである。コストパフォーマンスを重視。それでいて料理の質は落とさない。何せ、少しでも味が下がると怒濤の如き反論がやってくる。かといって無駄遣いは褒められるものではない。
そうなってくると、もう料理の腕を上げるしかなかった。節約番組や雑誌を漁り、あの手この手で士郎はずっと遣り繰りしてきた。
いかんせんそれが楽しくなってきたのも、節約に拍車がかかった。その甲斐もあり、衛宮家の家計簿は主婦顔負けどころか、青ざめるくらいのコストパフォーマンスをたたき出している。
遠坂凛曰く、『一家に一台衛宮士郎』。そういったわけで、士郎はこの手のなるべく安く、量は多く、それでいて美味しく、な料理は得意なのである。
ぶっちゃけXO醤にしても、安物にキれた凛が��アンタに一から中華を教えてやる�≠ニ懇々と説教され、かといって高価なものを買うわけにもいかず、進退窮まった結果、中華料理店・泰山にバイト志願。働きながら味を盗んだ、という経緯がある。それを元になるべく安く作った衛宮家特製醤が、先ほどはやてが隠し味として見抜いたモノであった。
――男としてどうなんだろう、ソレ。
そんなことを士郎は食器を洗いながら、ぼんやりと思ったりする。
その時。
「あれ? 八神部隊長と――シグナム副隊長に、ヴィータ副隊長。こんな時間にお食事ですか?」
扉が開き、ティアナ・ランスターが食堂に入ってきた。
「ティアナさん!」
「あ、ヴィヴィオまで。……っと、確か――衛宮士郎君、だったっけ」
「士郎でいいですよ。え、と、ランスターさん」
「――ティアナでいいわよ」
笑いながら、ティアナはそう言った。
厨房を覗きながら、士郎に尋ねる。
「何か軽いモノ作って貰おうと思ったんだけど……流石にもう遅い?」
「そんなことないですよ。サンドイッチで良いですか?」
「ええ、お願い」
「あ、私作るよー。士郎さんはそのままお片付け続けて」
「そうか。じゃ、頼む」
そんな二人のやり取りを横目で見ながら、ティアナは水を汲み、そして隊長達と同じテーブルに座る。
はやてはもぐもぐと炒飯を咀嚼してから。
「何や、ティアナも今昼食か?」
そんなことを言った。
ティアナはそれに笑いながら返す。
「ええ。一応ブロックタイプの栄養食は食べたんですけど……どうにも小腹が空いちゃって」
はやてはことりとレンゲを置いて、少し俯いた。
「……すまんなぁ。そういうことさせないように、私ら隊長がおるのに。部下に無茶させる隊長なんて、失格やね。私」
「んなことねーよ。はやてはよくやってる」
「そうですよ。隊長達だって、こんな遅くに昼食取ってるじゃないですか。同じですよ。それに」
ティアナは一口、水を飲んでから言う。
「……こんな特殊な部隊は、管理局でも初めてですから。前の時とは状況が違いますし」
保有制限を無視した急造部隊。それに値するスタッフと隊舎。前回のコネがあるとはいえ、状況があまりに特殊過ぎた。こんな短期間でこれだけの部隊を創設する。その分、反動が大きくなるのは自明の理だ。
「フェイトちゃんに本局、なのはちゃんには教会に行って貰ってるけど。……どうにも人手が足らんなぁ。皆には悪いけど、もうちょっとこの状況は続きそうや」
はやてはそう言いながら食事を再開する。それを横目で見た後、シグナムが、だんとスープを飲み終えた丼をテーブルの上に置いた。
「――それに個々人の問題もある。エリオにリン。それにスバルもか。特にリンは酷いらしいな。今日も仕事を休んで部屋に塞ぎ込んでいるのだろう?」
「ええ、同僚のシェルドにも顔を見せないそうです。……一体どうしたんでしょうか」
ティアナは心配そうに言った。リンとは未だ話したことはないが、これから一緒に働く仲だ。こんなにしょげた姿を見るのは忍びない。
――それは士郎も一緒だった。
「――アイツ。まだ……」
あんなにも快活だった彼女が塞ぎ込んでいる。遠坂凛とそっくりの少女が。
どうしてもそのことが、士郎には気になって仕方がなかった。
かちゃり、と食器を洗う手が止まる。
そんな士郎を見ながら、シグナムは言った。
口を布巾で拭きながら、立ち上がり。
「お前が鍵だ、衛宮士郎。その名、その意味。お前が居た世界と、この世界。その差異が何を意味するのか――よく考えろ」
「名前の、意味」
「?」
自分の掌を見つめる士郎。そしてよく意味が分からず首を傾げるティアナ。
「主はやて。先に失礼します」
「あいよー。あ、これ、リィンに持ってあげて。あの子、私に昼食の時間取らせるために、ちょっと無理しているみたいで……」
「ええ、分かっています。私も、アギトに持って行こうと思っていたところでしたので」
そう言いながら、小さいお椀を二つ器用に片手で持ち、シグナムは食堂を出て行った。それを横目で見ていたティアナは、何かに気付いたように顔を上げた。
「――ごめん。ちょっと席外す。あ、すぐ戻るから、サンドイッチよろしくね」
「? はい。……行ってらっしゃい」
シグナムを追いかけるようにして食堂を出るティアナを、ヴィヴィオは疑問に思いながらも手を動かす。
それらを一瞥しながら、ヴィータはくるくると箸を回す。
「……お前らは色々面倒くさそうだなぁ。その分、あたしは単純だぜ。鉄槌の騎士は、どんなことがあろうとも――」
ニヤリと笑い。
そして、回していた箸を、ぱしりと握った。
「――ぶっ潰す。邪魔するモノは全て、な」
我が身は鉄槌。故に、その役割は敵を打ち砕くことのみ――
��鉄槌�≠�体現する騎士は、己の役目を口にした。
はやては苦笑しながら。
「……ヴィータ。食事中にそれは、流石に行儀悪いで」
――予感がした。それはきっと――
そんなことを思って、一口、ごくりと水を飲み干した。
「――スバル。アンタ、こんなとこで何やってんの?」
「ぅひゃぁ! ティ、ティア?」
ティアナに突然声を掛けられ、飛び上がるスバル。
「……意外と元気そうだな。ま、あまり落ち込んでも仕方ないことだってある。お前はお前で頑張れ」
そう言いながらスバルの肩に手を置くシグナム。そして、ひらひらと手を振りながら、去っていった。
ティアナはふぅ、と溜息を付き。
「……で。アンタはこそこそ一人で何やってたの?」
そんなことを言った。
スバルは少し俯きながら答える。
「ん。ちょっとね――」
何だか踏ん切りが付かないように、壁により掛かりながら、足をぷらぷらさせる。
「……?」
いつも物事をハッキリと言うスバルとは、かけ離れた姿にティアナは首を傾げる。
どうにも様子が変だった。
先日、五年も共にいたルームメイト、そして同僚を亡くしたばかりだ。それで相当落ち込んでいたことは知っていた。無力な自分。あまりに大きな損失。葬式の時も、声を掛けることすら憚れたほどだ。先のミッドチルダの戦いの時も様子がおかしかった。一度に沢山のことが起きすぎて、オーバーフローを起こしているのだろう、とティアナは思った。気になってはいたが、自分も局員――今では執務官。そうそう話す機会も無かった。いずれじっくり話を聞かなければならないと思っていたが――
――にしても何かおかしくない?
気持ちの整理がついたようには見えない。だが、あの時のような――絶望と虚無しかない顔でもない。
ティアナにはどこか、スバルが迷っているように見えた。
それは、一体何だ。
ティアナはふむ、と頷き。
「アンタ、何を見ていたの? んー……?」
スバルの目線をトレースするように食堂を覗く。
するとそこには――
「――士郎君?」
「ん」
――食堂で食器を洗っている衛宮士郎の姿があった。
まさか、と思うが。
「まさか――惚れてるとか?」
スバルは眉尻を下げながら、笑った。
「言うと思った。そんなんじゃないよ。そんなんじゃ――ないんだ」
視線を掌に落として、そんなことを口にする。
「まぁ、それはそうよね……」
流石にこの状況で、そんな惚気たことを言い出す子じゃない。いくら何でもそれは不謹慎だろう。
そんなことをティアナは思いながら、ならば何だろうと自問する。そして、それは自分で答えを出す前に、スバルが口にした。
「私ね――分かんなくなったんだ。戦う意味、私の存在意義。この拳の意味が」
その迷い。レスタを守れなかった。何も出来ずに、ただ無惨に殺されていくのを見ているだけだった。そして――
��――――後悔しろ。これが愚者の行き着いた先だ��
��――――傲慢者��
結果、自身は重傷となり、拳の意味を見失った。
分かっている。こんなことをしてても意味がないということに。レスタのことを、そして同僚のことを思えば、こんなことで立ち止まる暇なんてないはずだ。だが――
――どうしても分からない。何故自分は戦っているのか。何故自分は管理局入りしたのか。何故自分が――ここにいるのか。
今まで憧ればかり追っていたスバル。それが単なる自慰だと知った。そんなことのために強くなって、人を助けたいと思って――そして、最後に残ったのは人を殺す程の暴力。
そんなことで、自らの欲望のままに、拳を振るう。それは――次元犯罪者。あのジェイル・スカリエッティと何が違う。
動けない。そう思うと、どうしてもスバルは動けなかった。
そんな時――
��――――――――俺が、正義の味方だからだ��
あの背中に出会った。
「あの人は……衛宮君は、自分のことを正義の味方と言った。分かる? ティア。魔導師でもない、ただの一般人が、戦場の中で、そう断言したんだよ? 私は……それが羨ましいと思った。きっと私もそんな理由が欲しい――んだと思う。だから、もっと深く話を聞けば、何か分かるかなぁと思ったんだけど」
あの時、スバルはほとんど自暴自棄に近かった。そして――暴走。そんな情けない姿を見られた上に、よく分からないうちに言い合いをした。
それを思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。こうして仕事の合間に時間を作ったにも関わらず、全くもって情けない。
その様子をティアナはふむ、と頷き。
「ま――それだけモノを考えられるなら、もう大丈夫ね。そっから先はアンタの仕事よ。まぁ……立ち直らせたのが、私じゃなく初対面の士郎君だっていうのが、ちょっと気になるけどね。色々と」
ニヤリと笑った。
スバルは眉尻を下げる。
「立ち直った――のかな、私」
「自分じゃなくて、他人の方に意識が向いたっていうのが重要なのよ。ぐじゃぐじゃ一人で考えるんじゃなくて、少しでも自分から動くこと。でないと何も始まらない。――何も始まらないのよ」
自身の経験を振り返るように、感慨深く、ティアナはそう言った。
それをぼんやりとスバルが見ている中、くるりと背中を向け、食堂へ戻っていく。
感慨深く、その背中に。
「――ありがとう、ティア。でも、まだちょっと……勇気が、足りない、かも」
そう声をかけて、掌を見つめた。
――星空は、まだ見えない。
◇
新暦81年 五月三日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対��黒い影�&泊煖@動六課隊舎
なのはは一人、こつこつと音を立てながら、白亜の廊下を歩いていた。
仕事を終え、シャワーを浴び、遅い食事を取ったところだった。
後は寝るだけ。心身共にくたくただった。今すぐにでも倒れそうなほどだ。しかし、何故か寝付けそうになかった。
��――――お前は誰よりも孤独を恐怖するが故に、誰よりも孤独を求めている――――��
関係ない。あの場所、あの時間で起こった事は高町なのはには関係のないことだ。
高町なのはは気丈であらねばならない。人を教える立場。教導官が言葉一つで揺らいでいたら、恐らくこれからもやっていけない。その程度で高町なのはは揺らがない。
不屈のエースオブエース。例え、どんなことがあっても、どんな困難があっても、高町なのはは立ち向かわなければならない。笑顔で居なければならない。人々に、英雄と呼ばれるが故に。
だが――それは高町なのはの領分だ。
――本当にタカマチナノハは、笑っていられるの?
「無理だよ……そんなの」
ふらつく足を壁により掛かることで何とか抑える。
こうなることは、きっと分かっていた。
誰かに心配を掛けたくない。だから笑顔を振りまく。それは全て他人のためのものだ。――自分のものではない。
誰かのために笑うこと。誰かのために泣くこと。それは美しいものだし、清く尊いものかもしれない。既に高町なのはの根底にセットされた行動の源泉だ。そういう生き方をしてきた。もう他の生き方なんて出来るはずもない。
しかし人間とは綺麗なモノだけでは生きていけない。光と闇が無ければ世界は存在しない。綺麗なモノと醜いモノを両立させてこそ人間として正しく機能する。
泣くと言うこと。それは涙と共に余分なモノを体外に排出する自浄作用だ。他人のための涙は他人のもので、自分のためのものではない。
だから――いつか崩壊するのは目に見えていた。自分のために泣けない高町なのはは、余分なモノを体内に蓄積し続ける。自浄作用の壊れた生命体は、いつか必ず瓦解する。そう――元からそんなモノが存在しない機械でもない限り。
今がその時だというのだろうか。
「……違う。私はまだ――高町なのはで居られる」
ならば、為すべき事はただ一つだ。こんな迷いは今だけだ。こんなにもくたびれているから要らないことばかり考える。
少なくとも眠ることで、体は回復する。そして目覚めたら仕事をしよう。そうすれば戻れる。いつもの高町なのはに戻れる。皆が求める高町なのはに。
なのははそう思い、ぎしぎしと軋む体を引きずりながら、部屋へと向かう。ばらばらと何かが剥がれ落ちていく音を聞きながら、なのはは歩く。
――もう何も考えたくない。今はただ、泥のように眠りたい。だからお願い、私を寝させて。
――――皆が皆、貴女のように強いって思わないで――――
――――つまり貴女は人の気持ちが分からない、と――――
お願い、だから。
『――なのはさんは、どうしてそこまで――人を死なせたくないのですか』
これ以上高町なのはを掻き乱さないで――――!
「――なのは」
「え――」
その時、声が聞こえた。その声は自分を打ち壊すようなモノではなく、自然と受け入れられる。そんな澄んだ水のような響きを持っていた。
顔を上げる。いつの間にか着いたのか、自分の部屋が目の前にあった。そして――
――優しく微笑む、いつものユーノ・スクライアがそこにいた。
「君に、伝えたいことがあるんだ」
――同時刻。
「はぁ――はぁ」
息も絶え絶えに芝生に倒れ込むのはエリオ・モンディアルだ。
ストラーダを取り上げられ、まともな訓練が出来ず、走り込みなどの基本的なトレーニングしか出来なかった。
最初はフェイトやシグナムの言うとおりに、大人しく休んでいるつもりだった。体はまだ本調子じゃないし、傷も塞がっていない。しかし一人でいると、どうしても要らないことばかり考えてしまう。
動かしたい。動いて、今の自分よりも、少しでも強くなりたい。
その想いが肥大化してばかりで、止まることなど出来そうにもなかった。
こうしていても何もならないことくらい理解していた。体の傷が広がるばかりで、強くなることなんて出来るはずもないと。そう理屈では分かっていた。
だが、理屈を遥かに感情が凌駕していた。納得という正論で、行動を抑えきれないほどに。
むくり、と起き上がって、空を見上げる。
そこには煌々と光る星が無数に瞬く、満天の星空があった。
それを見ながら、エリオは三日前に、フェイトに初めて叩かれたことを思い出していた。
��そんな思いで得られる強さは――本当に正しいの?��
強さの是非。それは元から強い人間が決めるモノだ。強い人間が自分の人生を振り返って、初めて現出する��余裕�≠ナしかない。
弱い人間には、一生分からないものだ。手にしていない、手に出来ないモノの是非が分かるはずがなかった。
だから、まずは強くなる。��強さ�≠�手に入れる。そして、それから考えればいい。強さの意味を。その是非を。
なのに――それは間違いだとフェイトは言った。エリオの想いは間違いだと、真正面から切り捨てた。
「くそ……どうしろって言うんだ……」
ヒントも与えず、ただ突き放すだけのフェイトに、エリオは苛立っていた。無論、フェイトのことは尊敬している。姉として、母として敬愛している。それでも、こんなに冷たいフェイトは初めてだった。何かを教えるとき、必ず何らかの形でヒントくらいは教えてくれた。��正解を伝える�≠ナはなく��正解を考えさせる�≠ニいうこと。エリオは何度もそれに助けられてきた。こんな、ただ突き放すようなことは初めてだった。
甘えかもしれない。けど、ストラーダを取り上げたことはいくら何でもやりすぎではないだろうか。少なくとも、アレがあれば脳内シミュレートくらいできたのに。
思考が負の感情を巻き込みながら回転する。吐き出されるのは理不尽に対する怒りだ。
――何でフェイトさんはこんなに冷たいのか。
――何で自分は、こんなにも。
弱いのだろうか、と自問したとき。
「エリオくん」
その背中に、か弱いながらも、清冽な響きを持つ声が投げかけられた。
「――キャロ」
満天の星空の下、少年は強さの意味を知る。
――同時刻。
衛宮士郎は一人、自問しながら、ある部屋に向かっていた。
脳裏に浮かぶのは、遠坂凛と瓜二つの少女。
――薄々は理解していた。この世界が、自分の住んでいた世界とは別物だと知ったときに。
なるべく考えないようにしていたことだった。知ってしまったら、理解してしまったら、絶望してしまうかもしれない。この世界が完全に別物だとしたら、二度と、元の世界に帰れないかも知れない。そのことが恐ろしかった。
だが……既に事は自分だけのモノではない。
��お前が居た世界と、この世界。その差異が何を意味するのか――��
恐らくこの世界はあの世界の、平行世界か、もしくはそれに近い世界だろう。この世界は、あまりに自分の知識とかけ離れている。
自分が住んでいた冬木町が、この世界の地球に存在しないことも、魔術とは全く別のシステムが存在していることも、それで全て筋が通る。
そして――リン。不自然なまでに遠坂凛とそっくりな、あの少女。幾分か自分の知る姿とは異なっているが、それは十分許容範囲だ。
あの少女が――��この世界の遠坂凛�≠セとしたら、全てに辻褄が合う。遠坂凛と瓜二つなことも、あの時作戦室を飛び出したことも。
だとするなら、ここが平行世界だとするなら――――
――――どこかに��衛宮士郎�≠熨カ在しなければならない。
あそこまで自分の知る世界の遠坂凛とそっくりな少女が存在しているのだ。ならば、衛宮士郎もどこかに居なければ辻褄が合わない。
確かに、もしかしたら��遠坂凛�≠ヘいるが、��衛宮士郎�≠ヘ存在しないという世界なのかも知れない。そもそも自分は元々��衛宮士郎�≠ナはないのだ。あの大火災で衛宮切嗣に拾われ、衛宮の名前を貰ったのだ。そうそうあることではない。
だが、それはないと士郎は確信していた。そうだと言い切るには、あまりに不自然だった。
絞り出すような声で、呟く。
「俺は――リンの名字を聞かされていない」
リン。聞いているのは、それだけ。そして士郎も名字を名乗っていない。
何故、フルネームを名乗らない。何故、あの自己紹介の時。逃げるように作戦室を飛び出したのか。自分の前では、何故誰もリンの名字を呼ばないのか。
何かある。��衛宮�≠ニいう名前には、きっと何かが――
それは最早、理屈を超えた確信だ。
リンと��衛宮士郎�≠ニは何か関係がある。ずるずるとここまで引きずってしまったが――最早、見逃せないところまで来てしまった。
遠坂凛と存在を同じくするリンが、こんなにも塞ぎ込んでいる姿は、いかな理由であれ、無視することなど、士郎には出来なかった。
思いながら、リンの部屋へ向かう。すると――
「――リン?」
「……」
会おうと思っていた姿が、目の前にいた。角を曲がろうとした瞬間のことだったので、全く気付かなかった。
「丁度よかった。今お前の所に行こうと――」
「――知ってるわよ。そろそろ来る頃だと思っていた」
言いながら、リンは何かを士郎の方へと投げた。
「? ――っと」
いきなりのことだったので、危うく落としそうになるが、何とか受け止める。
手の中にあるモノに視線を落とす。そこには――
「――これは」
装飾を施された、大きめのルビーのペンダント。
いつか自分の命を救ってくれた、あの――遠坂凛の父親の、形見の宝石がそこにあった。
細部は違うが、確かにそれは士郎がよく知り、今も部屋の机に入っているはずの――宝石だった。
「何で……これを、お前が」
「そう。やっぱり、そうなのね。……F・H」
覚悟したように、リンは宝石に触れながら、口にする。
その呪文を。その詠唱を。
――そのデバイスの起動パスを。
「起動認証パス入力。
――体は剣で出来ている」
「な! 何でお前がその呪文を――――! っ!!」
宝石が赤く輝き、長い時を経て――真の覚醒を始めた。
認証パスと共に指先から流し込まれた魔力により、デバイスコアが起動。バイパスが瞬時に浮かび上がり、ギアの回転数を上げていく。
そして――その宝石、アームドデバイスは、自らの主人を知覚した。DNA認証とそれによる同期――その対象は。
衛宮士郎に、他ならない。
イメージが脳内にわき上がる。紅のバリアジャケットを翻し、一本の巨大な刀剣を振るう自分の姿。
違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う――――これは俺じゃない。
背丈も違うし、体つきも違う。しかし、だけれども、間違いなく自分だという確信が頭を締め付ける。
おまけに何だ。最後に浮かび上がったあの姿は。
赤い空。瓦礫の山と。屍の山。降り積もる灰。その中で。
倒れ込んでいるのは、血だらけの、自分。
――――こんなの、まるで、死に際の――――
「そう。衛宮士郎は、十年前に死んでいる」
きりきりと痛む頭の中、リンはその事実を突きつける。
「な――に」
駆けめぐる情報。圧倒的な情報の波が、士郎を襲い続ける。
ありとあらゆる情景が次々と瞬き、それでも思考する。
――――この宝石。
――――自分しか知らないはずの呪文。
――――既に死亡した衛宮士郎。
――――弾き出される享年。十年前。
――――そして、幾つかのイメージの中に映る、一人の女性と一人の子供。
「お前は、まさか」
辿り着いた答え。想像の遙か上を行くそれに、士郎は戦慄した。
リンはその姿を見ながら、俯く。顔にあるのは、信じたくなかった、という想いだけ。
つぅ、と涙が一筋、頬を伝う。
顔を上げる。そこにあるのは、感情の暴走。今まで溜め込んでいたモノが全て解放されたかのような、そんな表情だった。
爆発するような感情のまま、リンは――それでも静かに言葉を紡ぐ。
震えた声で。今にも消え去りそうなほど、脆弱な声で。
「私は時空管理局1039航空隊所属、一等空士リン。魔導師ランクはA
――――フルネームは、リン・エミヤ。衛宮、鈴。アナタの娘よ――衛宮士郎」
泣きながら、自虐のように、そう言った。
衛宮士郎と衛宮鈴。二人はここで初めて――本当の出会いを果たした。
新暦81年。五月三日。
この日は、間違いなく一つの分岐点だった。
迷い人達は、星空の下、その覚悟を誓う。
それは、運命の夜だった。
◇
新暦81年 五月四日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対��黒い影�&泊煖@動六課隊舎
隊長室。八神はやての前に並ぶのは――七人の女性達だ。
かつてのJ・S事件で、ミッドチルダ地上本部を壊滅寸前まで追い込んだ数字の名を持つ戦闘機人――ナンバーズ。
十四の瞳がはやてに全て注がれる。圧倒的な威圧。
――私は開けてはいけない箱を開けたのかもしれない
「……久しぶりの仕事が、こんなことなんて、な」
ナンバーズ五番。銀髪の少女、チンクが吐き捨てるようにそう言った。
それに同調するように、濃い桃色の髪を後ろで束ねた少女が、言葉を放つ。
「まぁ仕方ないっス。今私らは管理局に飼われてるみたいなものっスから。スバルやティアナもいるし、悪い気はしないっスけどねぇ。どう思う? セイン」
その声に、セミロング、水色の髪の少女が答える。
頭の後ろに手を組み、少し遠い目をしながら。
「あたしは別に構わないよ。――――これで、クア姉達とドクターの刑期が少しでも短くなら、どんなことだってやってやるさ」
「あまり気負うんじゃねーよ。姉様達のことはあたし達全体の問題だ」
「そうだよ、セイン。姉様達を早く解放することは、私達皆が望んでいることなんだから」
ナンバーズ九番、赤髪の少女、ノーヴェと、そして同じく十番、茶色のロングヘヤーの少女、ディエチがセインを窘めるように言う。
「それで、私達の任務は――ミッドチルダ本部の防衛で、いいのですね?」
「――ナンバーズの僕たちに首都防衛を任せる。……皮肉だね」
十二番、カチューシャを付けた茶色のロングヘヤーの少女ディードと、茶色の短髪の少女、八番オットーが、至極感情を抑えたかのような声で、はやてにそう告げた。
さしものはやても、七人が放つ殺気に冷や汗を流す。
隔離施設で、更正プログラムを受け、更にギンヤ・ナカジマを筆頭とするスバルやギンガ、ティアナ達との触れあいによって、常識や良識を学んだ彼女達とはいえ――それでも『戦闘』機人なのだ。
戦うために生み出された生命体。かつて地上本部をわずか十数分で壊滅させた、恐るべき存在であることには変わりない。
五年の時を経た今でも――猟犬の牙は健在だった。
「……そうや。��黒い影�≠フ出現範囲は広い。あちこちの次元世界に出向くことになる。その時、どうしてもここは手薄になってまう。もしその時襲撃があったら、ひとたまりもない。だから、ナンバーズの皆にはここを守って欲しい。二度と、地上本部をあんなことにさせないためにもな」
はやては十四の瞳を厳として受け止めながらも、揺らがない瞳でそう告げた。
かつてのJ・S事件の過ちを繰り返すわけにはいかない。防衛戦力の低下は出来る限り避けなければならなかった。
そのためなら――使える手札は全て切る。今度こそ、全てを守るために。
その言葉を受けて、チンクがふむ、と頷く。
「��黒い影�=\―そして危険戦闘個体<サーヴァント>か。旧、いや新六課メンバーの面々も手酷いダメージを受けたらしいな」
ディードが冷静にそれを受ける。
「データを見ましたが、確かにアレは驚異的です。現地上本部で、どこまで対抗できるか。……スバルやティアナも、何も出来ずにやられたと聞きますし」
その声を聞いたウェンディが不快気に眉を寄せた。
表情にあるのは、許せないという感情だ。
「ちょっと――そいつぁ見過ごせないっスね。任務とかじゃなく、純粋に、むかつくっス」
友達を傷つけられた。その事が許せない、とウェンディは吐き捨てた。
「だけど、アレをまともに相手にするにはあたし達でも厳しいかもね。上手いこと戦術を練らないと――」
不安が混じるセインの声。
それを一刀両断するように。
「は――知らねぇよ」
ノーヴェが言葉を放った。
「要するにアレは敵で、もしかすると此処を襲ってくるかも知れないんだろ? なら、ナンバーズがやることは一つだ」
どんなに敵が強大で。どんなに不安要素があろうとも。
目の前に障害となって現れるならば――――
「――――ぶっ潰す。ただそれだけでいい。あたし達は、それで、いい」
戦闘機人としての誇り。どんなことがあろうとも、それだけは捨てることは出来ない。
みしり、と右手のガンナックルを軋ませ、ノーヴェは呟いた。
姉妹達の想いは同じなのか、こくりと一様に頷いた。
それを見ながら、はやては思う。
――やれやれ。何はともあれ、とりあえずこれで全ての要素はクリアした。そうだ。これで。
漸く――機動六課が完全復活する。
今まで対抗することも出来ずに打ちのめされたが、これからはそう簡単にはいかない。
私は、私達は――必ずアンタ達を止めてみせる。
機動六課。終末の予言に対する、反逆の狼煙が今上がった。
→EP:8
Index of L.O.B
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