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|L.O.B EP: 14|
 
 新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 中央区画 首都クラナガン 時空管理局地上本部

 主はやてが、親友と読んでいた存在に、腹部を刺された。
 ――――カリムに、裏切られた(、、、、、)
 その事実を認識した瞬間、シグナムの意識は殺意に染まった。

「カリム・グラシアァァア――――!」

 轟、という咆吼と共に、紅い旋風が部屋を駆け抜けた。
 腹から血が吹き出すが構わない。
 己がデバイスを緊急起動させ、瞬時にバリアジャケットを纏い。
 加速し、同時、踏み込んで。
 紅い旋風――シグナムは剣型デバイス(レヴァンティン)を目の前の女性、カリム・グラシアに振り下ろした。
「――――」
 だが、カリムの顔は、微笑みのまま、微塵も揺らいでおらず。
 振り下ろされた斬撃は。
「っ――シャッハ・ヌエラ……!」
 甲高い金属音と共に、シグナムと同様、瞬速で回り込んだシャッハ・ヌエラに止められていた。
 シグナムは即座に身を回しながら、全身を加速させる。
 旋風のようにカリムの後ろ側に回り込み、そこに倒れ込んでいる自らの主を抱え。
 そして――床を砕くほどの踏み込みと同時、加速。カリムとシャッハに対し、距離を開けた。
 カリムは微笑みのまま。
「流石、守護騎士(ヴォルケンリッター)が将、紅き剣神<Vグナムですね。閃光≠ノは及ばないものの――瞬速≠フシャッハが追いつけないとは。その傷も浅くはないでしょうに」
 いつもの口調で、そう言った。
 シグナムは奥歯が砕けるほど噛み締めながら、左腋に抱えている自身の主――八神はやてを見た。
 はやての顔は青ざめており、腹部からの出血が茶の制服を赤に染めている。
 ……意識はない――か。それにこの出血量……急がなければ、命が――――。
 思った瞬間――カリムが静かに口を開く。
「逃がしはしませんよ。長たる八神はやてが死ねば、統率は乱れる。結果、六課は瓦解し、消滅はしないまでも、立て直しまで、その戦力を大きく封じ込めることが出来る。今、このミッドチルダにおいて、最も戦力がある機動六課」
 そして、
「――その六課さえなくなれば、何ら障害もなく、聖王様を復活させ、理想の世界を築き上げることが出来るでしょう。管理局を掌握するのは時間がかかるでしょうが、現状、六課さえ瓦解すれば、私達を阻むモノはいませんから」
 言いながら、カリムの体に『泥』がまとわりつく。全身に血管のような黒い筋が浮かび上がった。背後で楽しげに嗤う『女』の姿にそっくりだった。
 逃げなければ、とシグナムは思うが、カリムと、その足下から湧き続ける黒い影≠ェ、それを許してくれそうにもない。
 黒い影≠フ背後に見える出口を舌打ちと共に、見切りを付け、シグナムはカリムとシャッハ、そして背後で笑う女を睨み付けた。
「……管理局を――高町やテスタロッサ、そして主の信頼、その何もかもを裏切るというのか。……答えろ、カリム・グラシア!」
 カリムは笑みのまま、全く表情を変えず。
「ええ、その通りです。友愛も仁義も親友も友情も信頼も信用も財産も権力も魔力も――――私のこの命すらも、必要なら全て切って捨てましょう」
 べたつくような視線。自己陶酔の極み。気持ち悪い、吐き気がする。
 シグナムは眉根を寄せ、短く問うた。
「――何のために」
 応える。
「――教義のために」
 実に短いやり取り。
 シグナムはああ、と吐息した。
 理解が静かに胸に落ちる音がした。
 ――――この女は。
 既に取り返しのつかないほど壊れている(、、、、、)――――
 激情渦巻く己の中で、冷静な部分が告げる。何があった、と。自分が知っている彼女とはあまりに違いすぎる。
 いつだ、いつから『コレ』は壊れた。
 自分が知っているカリム・グラシアは、頭が固い旧派(カイゼル)の筆頭騎士とはいえ――――こんな信仰の化け物ではなかったはずだ。
 ならば。
 ――洗脳か。
 シグナムの思考を読むように、くく、と黒に犯されたカリムが喉を鳴らした。
「私は、洗脳なんかされてませんよ。支配も束縛もありません。ただ、知っただけです(、、、、、、、)
 カリムは手を差し出した。ごぼり、と粘つくような泥が溢れた。
 カリムの顔が、侮蔑に歪んだ。
「これが、こんなものが人間の本質なんて。
 醜い。醜悪の極みです。汚らしい、おぞましい。性善説、どんな人でも必ずやり直せる――そんなことを信じていた私がどれほど愚かだったのか。人間なんて悪意(どろ)の詰まった皮袋にしかすぎない。この世の汚物を濾過して凝縮したモノが人間という悪性(かいぶつ)なのです。そんなものが夥しいほど大量に、この世界で蠢いているなんて――――
 ――――文字通り、虫酸が走る。そうは思いませんか?」
 死ね死ね死んでしまえ。この世界に不必要なモノがあるのなら、排除すべき汚物があるとしたら、それは人間(わたしたち)に他ならない――――
 ゆらり、と口元が満月のように裂けた。
「そう――だからこそ、聖王様が必要なのです。汚らしい、醜い私達を導いてくれる。この悪意に満ちた世界で唯一善性を持つ存在――絶対的な(システム)に直結している、生粋の導く者(メシア)=B私達が救われるとするなら、きっと道はそれしかない。
 ――――信仰という理想論(システム)では、私達はどうにも救われない」
 嗤いながら、カリムはボロボロと涙を流した。
 シグナムは何かを諦めるような瞳で唾棄するように問いかけた。
「例えその道が、全人類の滅びを意味していてもか」
「それこそが、聖王様の意志ならば。――是非を問うことすら愚かです」
 その涙に呼応するように、カリムの背後に三日月がもう一つ浮かんだ。
 間違いない――とシグナムは断定した。
 点と点が結びつき、線と線が面を形作る。全ての疑問が一度に氷解する。
 こいつか。今、カリムの後ろでほくそ笑んでいる、この『女』こそが――――
「全ての元凶――――!」
 吼えた。
 瞬時にギアはマックス。がきん、というカートリッジが廃棄される音が蒸気と共に広がった。
 はやてを抱えた左手はそのままに、右手にある炎の魔剣(レヴァンティン)を振る。
 紅蓮の炎と共に、刃が展開された。
 蛇腹状に伸びた連結刃が、それなりに広い部屋を丸ごとを裁断するような動きで、『女』に迫る。
 吐き散らかすような蛇咬の一撃(シュランゲバイゼン・アングリフ)
 『女』は笑みのまま動かない。
 ただ。
「――――」
 瞬速の疾風が、それを全て打ち払った。
 蛇のように絡みつく一撃を、シャッハは淀みない動作で捌いていく。
 金属音が、連続して打ち鳴らされ、響いた。
 シグナムはその姿を見る。
 無機質な瞳。無機質な動き。機械のような、その心。
 どこかで見たという既視感に眉をひそめる。僅かに考えを巡らせ、一つの答えを得る。
 ……ジェイルの遺産=B条件付けによる洗脳技術(コンシデレーション・コンソール)――意識を支配された戦闘機人(、、、、、、、、、、、、)と全く同じではないか。
 つまり――――
 切っ先をゆらりと『女』に向ける。
「洗脳ではない、と言ったな。だったらシャッハのこの姿はどう説明する」
 恐らく、カリム配下の騎士達も、シャッハと同じような姿になっているだろう。
 突き刺さるような目線に『女』は何も応えず、代わりとばかりにカリムが口を開いた。
「これは私の独断です。こんなおぞましい(しんじつ)を知るのは、私一人で充分です。シャッハ達には何も知らないまま、純真無垢なまま――聖王様に救われるべきなのです」
 ……実際に『女』が洗脳したわけではなく、彼女に同調したカリムが部下に洗脳処置を施した――ということか。
 聖王教会の筆頭騎士のカリムなら、そしてこの黒い影≠フ力を以てすれば、それは難しくないだろうとシグナムは思う。聖王教会全体は無理でも、旧派――それもミッドにある教会の規模くらいなら可能だ。
 否。
 誰かを、何かを、悪意の中に取り込む=B
 恐らくは、それこそが――黒い影≠フ本質たる力なのだろう。
 その他の力など、本質から漏れ出した一端に過ぎないのだ。
「――――全ての罪は私が背負います」
 カリムは涙を流しながら静かに告げた。
 ぎり、とレヴァンティンを握りしめた。あまりの邪悪に目が眩む。
「私も長いこと()きてきたがな。お前のような純粋悪は初めて見るよ」
 シグナムの口から『女』に放たれた言葉はまるで刃のように鋭利だった。
 思う。
 ――――恐らく、この『女』は本当にカリムに洗脳などしていない。
 世の中の真実を教えただけ、というのは紛れもなく事実なのだろう。あの『泥』が何なのか――それを考えれば、必然、そういうことになる。
 ただアレ(、、)に対抗出来る人間などそうはいないだろう。幾千幾万、それすらも凌駕する三千世界全ての悪意に屈しないで、己の自我を保っていられる人間が、どれほどいるというのか。そういった意味では、『女』がカリムにしたことは洗脳と何も変わらないのかも知れない。
 だが(、、)
 きっと『女』にとっては、どちらでも良かったのだ(、、、、、、、、、、、)。カリムが人間に絶望しても、しなくても、この『女』は己の愉悦に変えただろう。
 カリムの裏切り、恭順、苦悩。それらは全て結果に過ぎない。計画性など欠片もない。ただ己が欲望のままに動いた結果が現状というだけ。
 こちらを睥睨する、『女』の視線を見る。
 喰らっている――――シグナムはそう理解した。
 奴はこの状況の何もかもを愉しんでいる。
 カリムの人間に対する絶望、裏切られたはやて、そしてそんな主を守りなければいけないシグナム。
 聖王教会の裏切りという、最大級の悲劇をこの『女』は演出し、そこから生まれた絶望という甘露(かんじょう)を貪り喰らっている。
 混じりけのない純粋悪。世界を裁断する悪意の暴威。正真正銘の世界の敵(パブリック・エネミー)=B
 壊れている、なんてレベルではない。きっと最初からそのような(かたち)を以て生まれたのだろう。
 原初の形。『魔』という概念が本当にあるのなら、目の前の存在がきっとそうなのだ。
 アルゴリズムの底で、作り物の本能(ソースコード)が警告を打ち鳴らした。
 作られたプログラムという存在の中には決して有り得ない、その(かたち)にシグナムは戦慄する。
 恐怖が、ぞくりと背筋を震わせた。
 ――――同時に。

 似たような感情を、いつか正義の味方と名乗るあの青年に抱いたことを思い出した。

「……」
 世界の敵と、正義の味方。この構図は果たして誰が意図したモノなのか。
 『女』か、衛宮士郎か。それとも何か別の――――デウス・エクス・マキナとでも言うべき存在だというのか。
 そうシグナムが思考した、その時。
「お前も――――」
 ゆらり、と『女』が口を開いた。
 瞬間。
「――――知ってみるか(、、、、、、)?」
 先ほどのカリムとは比べものにならないほどの密度と量の『泥』が、溢れ出した。
 汚泥は瞬く間に部屋を飲み込み、シグナムとはやてに迫る。
 シグナムは僅かに逡巡し、
「……っ」
 直後、レヴァンテインの展開刃を後方に鞭打った。
 机と装飾品が破砕され、ガシャンという音共にガラスが割れ、
「すみません、主。叱責は後で聞きます」
 シグナムは一言詫びて、そのまま手の中にいるはやてを思い切り放り投げた。
「……っ!?」
 動揺するカリム。それを横目にシグナムは、己が主と同じように身を投げた。
 だが、僅かに遅かった。はやてを庇うために、『泥』の直線上にいたシグナムは。
 ――そのまま黒い『泥』の奔流に飲み込まれた。
「――――あ、は」
 カリムの顔に不安と動揺と――喜悦の笑みが浮かんで消えた。
 残っている彼女の良心。かつての親友に対する想い。そしてもしかすると自分に仲間が出来るのではないか(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)、という期待の感情がまぜこぜになった笑みだった。
 『女』はそれを見て、更に笑みを深くした。カリムのその、二律背反の背徳を味わうように瞑目する。
 カリムの視線の先――割れた硝子の向こう側に『泥』に覆われたシグナムがいる。
 闇が、悪意が、シグナムの全身を浸食していく。身体も精神も、ただ『人』という極限の憎悪に染められていく。
「か、――――」
 泥が、際限なく全身を包み、舐め尽くすように心身を陵辱していく。決して拒絶することは出来ず、脳裏に焼き鏝のように焼き付けられるのは、人の醜悪さ。
 悪意の総意。悪意の創意。悪意の相違。悪意の相異。どうしようもないほどの絶望。これを見せられて性善説を唱えるのは例え聖人でも有り得まい。
 始まりの刑罰は――――
 カリムは静かに瞑目しながら、独り言のようにごちる。
「シグナム。それこそが、人の本質なのです。性善説なんて子供の戯れ言以下。理想論にもほど遠い。性悪こそが人の真実。なればこそ――人は、人自身で救われることは決してない。先ほどの私の言葉の意味が、理解できたでしょう?」
 文字通り、身に染みるほどに。
 カリムは自重するように呟き、その末路を確かめようと、面を上げ。

 ――――粘つくような悪意(どろ)を、紅蓮の炎が切り裂いた。

「人間の悪意(やみ)――か」
 目を見開くカリム。その背後にいる『女』に、シグナムは落ちながらも切っ先を向けた。

「そんなもの、とうの昔に身に染みている(、、、、、、)

 かつて。
 『闇』に身を堕としていた夜天の騎士は、ぎらつく瞳で己の敵を射殺すように睨み付けた。

 知るがいい、世界の敵よ。
 例え、お前が六十億の悪意を従えていようとも――――

 ――――この世には、それでも屈しない、唯のヒカリがある。

 『女』は、これ以上ないほどに薄く張り詰めた、最高の笑みを浮かべた。
 カリムは、笑わなかった。
 ただ身体を震わせて。
「ああ、私も――――」
 ――――アナタのように、なりたかった。
 懺悔のようにそう告白し、頬に一筋涙が伝った。



 落下しつつも、シグナムは腕の中のはやてに急いで治癒の術式を施した。
 治癒の術式は得意ではないが、『(データベース)』にアクセスすることで、その真似事くらいは出来る。といっても、止血程度ではあるが、今はそれで充分だ。
 そしてシグナムは一つの指令を、念話を通じて、全ネットワークに向けて放った。

 ――――全員、市民の避難と自己防衛を最優先としろ。
 我々は時空管理局地上本部、すなわち。
 この世界(ミッドチルダ)を放棄する――――

 それは酷く冷たい響きを以て、魔導師達に伝わった。

 直後。
 時空管理局地上本部は、黒い影≠ノ完全に飲み込まれた。

14 / おわるせかい To_the_World's_end

* * *



 さながら地獄のような有様だった。
 魔力弾とカートリッジの廃莢が飛び交う戦場。聖王教会の騎士と、管理局の魔導師が激突している音が辺り一帯に響いている。
 騎士だけではない。黒い影≠燗ッ様に――否、こちらは完全に無差別に破壊を行っている。
 しかも種類が増えている。単なる人型、キャスター型、バーサーカー型、アーチャー型、ランサー型。
 それに加え、市民の避難も最優先として行っている魔導師側は完全に対応が遅れていた。
 その戦火は首都クラナガンどころか、ミッドチルダ全体に広がっている。阿鼻叫喚、そして混迷雑然とした念話が辺りに飛び交っていた。
 聖王教会の裏切りと、黒い影≠ニの共謀――――ミッドチルダという世界は、既に、どうしようもないほど手遅れだった。
 住み慣れた世界の崩壊を、ミッドチルダにいる全ての人々が混迷と共に悟っていた。

* * *



 新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 中央区画 首都クラナガン 時空管理局地上本部周辺

 シグナムははやてを守りながらも指示を飛ばしていた。
 地上本部タワーは完全に占拠――否、取り込まれた(、、、、、、)。あそこにいた者は最早助かるまい――シグナムは冷徹にそう判断し、ボロボロに崩れた指令系統を再度構築した。
 それは黒い影≠ノ対抗するのではなく、どうやって此処から逃げることが出来るのか、という内容に特化していた。
 ――――つまるところ、魔導師は、黒い影≠ノ完全に敗北したのだった。
 それも、かつてのJ・S事件以上の災害(はいぼく)だ。局員と市民の安全を最優先に行動しなければ、何もかもが全滅する恐れすらあった。
 それだけは、避けなければいけない。
 仮に世界が滅びても、そこに生きる人々は滅びてはならない。
 シグナムは強くそう思っていた。
 そう、人々が健在ならば――どうにでもなる。人間は世界が滅びた程度では(、、、、、、、、、、)、決して屈しない。
 シグナムは、ヒトじゃない守護騎士(ヴォルケンリッター)は、人間の力を、恐らくは人間以上に信じていた。
 まずは逃げる――それだけを考える。
 本局の方に援軍を頼むという方法もあるにはあったが、この規模の争乱を抑えられるほどの部隊となると数が限られている。来る頃には、まず間違いなく手遅れになるだろう。
 皆、ミッドチルダを放棄するというシグナムの指令(ことば)に一部混乱したが、地上本部から辛うじて逃げ出していたオーリス達の迅速な判断により、それも抑えられた。
 今は一刻も早い避難ポートの確保が最優先事項として、シグナムは動いていた。
 はやてを背負いながら、周りの魔導師達に指示を飛ばしながら――ただ、どうしてこんなことになってしまったのだろうか、と。
 そんなどうしようもないことを思った。


「……ちっ」
 思わず舌打ちをする。
 状況は、言うまでもなく最低最悪だ。
 出撃前の、はやての言葉が脳裏に浮かぶ。
皆、ここが正念場や。恐らく敵さんも全力で来る。総力戦になることは間違いない。正直、私にも戦況がどう動くのか予測出来へん。でも、出来る限りのことはやったつもりや。前にも言ったけど、最高のスタッフと最高の機材が此処にある。負ける道理なんて無い。後は皆の心一つや――――
 それを叶えられなかったことを、責めることは出来ないだろう。はやての判断は決して間違っていなかった。
 聖王教会の裏切りなど、あの時点で、誰が予測できただろうか。
 確かに知ってはいた。聖王教会に身元不明、記憶喪失の人物が保護されていることを。
 だが、雑事として完全に見逃していた。この世界では――頻繁に、とは言わないが、稀にあるケースだからだ。
 ――――まさか、あんな怪物だったとは。
 思えば、高町なのはが一時期様子がおかしかったのは、あの『女』が原因だったのかも知れない――――
 と、そこまで思考を進めていた時だった。
 聞き慣れた声が頭の中に響いた。
(――――シグナム! 無事か!?)
(アギトか)
 安堵の声が向こう側から漏れた。
(ああ、良かった。お前何やっていたんだよ! 全然繋がらねーしよ! こっちは散々心配したんだぞ! はやては無事なのか!?)
(すまない、色々あってな。主は傷を負ったが命に別状はない。まだ意識は戻っていないようだが――すでに別世界へ避難されている)
(色々――ね。気になるけど、今は後だ! 現状は把握しているな!?)
 ちらりと周りを見渡して、自嘲するように息を吐いた。
(ああ。嫌というほどにな(、、、、、、、、)
(そりゃ良かったぜ。もうあっちこっちが大混乱で大騒ぎだ。地上本部が黒い影≠ノ占拠されたことに加えて、聖王教会の裏切りだ。それも奇襲という最悪な形――もう完全に戦争状態だぜ。おまけに首都防衛隊(ナンバーズ)までほとんど一瞬で瓦解したっていう報告も入っている。今、映像を送るぜ)
 シグナムに流れ込む映像。
 傷ついた魔導師達。瓦礫の下で蹲っているナンバーズ達。
 ――そして金色の異形。
(……高町とテスタロッサを退けたサーヴァントか。聖王教会の裏切りさえなければ策はあったが――この状況ではどうしようもないな)
 自分の損傷具合を確かめる。出血はとうに止まっているが、血を流しすぎたのか、僅かではあるが、手に力が入らない。
 万全ではない。だが、やるしかない。
(――――私が行こう)
 なのは達が間に合えばそれでいい。
 だが、そうも楽観視できる状況に既に無かった。
 アレが首都に進入することだけは避けなければならない。
(馬鹿! 幾らアンタでも『アレ』相手じゃどうしようもないくらい分かってるだろう!? 閃光(ライトニング)≠ニ不屈≠フ二大エースですら太刀打ち出来なかったんだぜ?)
(何、斃すのが目的でなければ、やりようは幾らでもある。烈火の将をあまり舐めるなよ)
(じゃあ、あたしも――――)
(いや、お前は其処で市民の避難誘導を続けてくれ。それが現状における最優先事項。そもそもお前の力は対人には向かん。
 ――地獄に行くのは、私だけで充分だ)
 瞬間、アギトは悟った。
 これが単なる強がりだということに。
 シグナムはただ事実のみを唯の言葉とする騎士だ。本来なら、そんな強がりは決して口にしない。
 その違和感――強い既視感(デジャヴ)がアギトの全身を総毛立たせる。
(シグナム、お前――――)
 思い出す。かつて自分の隣にいた大切な人のことを。
 断片が脳裏を埋め尽くす。
 大きな背中。拾ってくれた恩。その、どうしようもなかった最後と。
 ――――そして。
俺やレジアスが守りたかった世界――――
もし旦那の言葉を裏切るような真似をしたら――――

 一つの、約束。

 アギトの思考を読んだように、シグナムは大きく息を吐き、呟くように言葉を思った。
(結局、彼との約束は――守れなかったな)
 青い、青いミッドの空。守りたいと、そう願っていた彼の想い。
 自分はその想いを継いだはずだった。かつて彼が抱いていた空の正しさ(、、、、、)を、守り続けてみせると。
 だが、現状を鑑みればどうだ。
 見上げてみろ、この空を。
 この、黒い空(、、、)を――――

――――その時は、お前が私を――――

(――――全てが終わったら、私を焼き殺せ、アギト)

(シグナム――――!?)
 そして、シグナムは全ての念話をシャットアウトした。
「……」
 周りを眺める。瓦礫と炎と、踊る黒い影=B絶望的なまでに終わっていく世界。
 どうしようもないほどの敗北が、そこにあった。
 惨敗にして完敗、圧倒的な負けだ。
 逆転など望めないほどの圧倒的な点差。
 ――果たして主はこの光景を見て何を思うだろうか。
 決まっている。
 きっとそれでも口の端を吊り上げて――――
「――――は」
 ならば、自分がやることは決まっている。
 そのためなら、この命すら惜しくはない。
 それこそが――守護騎士(ヴォルケンリッター)の存在意義なのだから。
「姐さん!」
 声がした。振り向く。通信越しではなく、直に合うのは久しぶりだった。
 こんな状況ではなかったら、素直に再会を喜べたのに。
「――ヴァイス陸曹。無事なようで何よりだ。……妹は無事か?」
「ええ。病人や民間人の避難は最優先に行われましたから。――はやて課長のおかげっすよ。あの人が、万が一(、、、)のこの状況を想定してくれなかったら、今頃はどうなっていたことか」
 ヴァイス・グランセニック。かつて≠フ機動六課のメンバーの一人であり――――そして、数日前から今≠フ機動六課のメンバーになった男だった。
 完全な『機動六課』の復活。それを果たした直後の、聖王教会の裏切りだった。
 ――皮肉だな、とシグナムは思った。
「すまんな、着任早々――こんなことになってしまって」
「何、負け戦には慣れていますよ。二度目ですしね(、、、、、、、)。――アイツらは、無事なんですかい?」
「さぁな。知っているだろう、戦闘になれば通信に割ける余裕なんてないことを。それにこの距離だしな。
 だが、
 ――――少なくとも、ヴィータは逝った」
「……そうですかい。そうか、副隊長が……」
 ヴァイスは静かに瞑目し、天を仰いだ。
 ――結局、迷惑掛けっぱなしで礼も言えないままだったな。俺は、いつも――後悔ばかりだ。
「黙祷のつもりか? もう彼女はどこにもいないのだぞ(、、、、、、、、、、)? 元から作り物の我らに、悼む魂などないというのに。ましてや、天国など」
「――自虐のつもりですか? 姐さんらしくもない。あるかなしか(、、、、、、)なんて、決めるのはこちら側≠フ人間ですよ。そんなこと、姐さんなら、とうの昔に理解しているでしょうに」
 本当に魂というモノが存在するかどうかなんて誰にも分からない。その点でのみ論ずるならば、人間と守護騎士(ヴォルケンリッター)の違いなど、身体の構成物が肉の塊か否か――程度でしかない。
「この世もあの世も天国も地獄も精神も魂も感情も神も悪魔も――所詮、言葉に過ぎませんよ。あるかなしかなんて、どっちでもいいんです。ただ、俺は――――副隊長には魂があって、今は安らかに眠っている。そう思っているだけですよ。ただ、それだけです」
「――――そうか」
 ぎしり、と剣を握りしめ、シグナムはヴァイスに背を向けた。
 一歩踏み出す。
「なぁ、私は人間か」
 一歩。
「――――姐さんがそれを望むなら」
 一歩。
「ヴァイス、私は人間か」
 一歩。
「――――ええ。姐さんは人間です」
 一歩――踏み出した所で、足を止めた。

「ああ――そうか。
 私達は、ずっと、その言葉が欲しかったんだな」

 そう言ってくれる人達がいるから。
 そう望んでくれる人達がいるから。
 だから――『此処』はこんなにも心地が良いのだろう。
 遥か昔。もう思い出せないほどに遠い、自分達の始まりの原点(おもい)

 ――――全てはきっと、『此処』に辿り着くために――――

 守護騎士(ヴォルケンリッター)は、そのために、闇に染まりながらも在り続けたんだろう、と。
 シグナムは思った。
「ヴァイス、主を頼んだぞ。今、頼めるのはお前しかいない」
「……行くんですかい?」
「ああ。殿を勤めるのは――将の役割だ。これだけは譲れないな」
 言って、振り向いたシグナムの顔は――笑って、いた。
 ――――ああ、全く。
「……敵わねえなぁ」
 どうしようもない絶望的な状況なのに。
 もう尻尾を巻いて逃げるしかないのに。
 もしかしたら死んでしまうというのに。
 どうして、この背中は――――
 こんなにも、涙が出るくらい――格好いいのだろうか。
 暗闇の中で泥に塗れて、なお燦然と輝く強烈なる紅蓮の赤。
 それこそが、烈火の将、シグナムの在り方なのだと、ヴァイスは強くそう感じた。
 だからこそ――いつか自分が迷っていた頃、その輝きに憧れたのだ。
 故に、自分に出来ることは――――
「ええ、殿は任せましたぜ、姐さん。後のことは俺にどーんと任せておいて下さいよ」
 その憧れに、笑って頷き返すことだけだ。
 シグナムはこくんと頷いて、思い切り飛翔しようと――――

 ――――した瞬間。
 轟、と。
 眼前に黒い影≠ェ吹き荒んだ。

「姐さん――!」
「分かってるっ! お前は皆を――――!」
 黒い影≠フ()から漏れ出しているのは、圧倒的な狂気と殺意。
 これほどまでの威圧を持った存在は――――
 全てを察したヴァイスは急いで部隊を退かせ、己も転送ポートへ走り出す。ヴァイスは、決して振り向かなかった。それは紛れもなくヴァイスの強さだった。
 そのことに感謝しつつ、シグナムはレヴァンティンを構え、
 直後。
 ざり――という音が、思いもよらぬ方向から聞こえた。
 シグナムの真横から(、、、、、、、、、)――――
 闇から抜け出るように。
 闇を引き連れるように。
 男が―― ゆらり(、、、)、と現れた。
 血飛沫と、屍と、狂気を引き連れながら。
「――――貴様、何者だ」
 シグナムは問うた。
 男は嗤った。
 その問いに応えることが可笑しくて堪らないと言う風に。
 その問いの応えることが自分の存在意義(すべて)だ、と誇る風に。

「厳流――佐々木小次郎」

 幾万回も繰り返した名乗りを、男は飽きることなく静かに告げた。
 ち、とシグナムは舌打ちをした。
 裏切った聖王教会。舞い踊る黒い影=B瓦解していくミッドチルダ。死んだヴィータ。刺された主。迫る黄金の悪魔。今だ連絡の一つもないなのは達。後ろには、守るべき大切な人達――――
 どうやら状況は、考えた以上に最悪なようだった。
 それでも烈火の将は決して膝を折らない。
 長き旅路の果て、ようやく辿り着いた『此処』を守るために――――
 レヴァンティンを構える。炎が逆巻く。瞳の中に、黒が濁る。
「時間がない。
 ――――悪いが蹴散らさせて貰うぞ、サムライ」
 男はにぃ、と嗤い。
「やってみるがいい。それでも世界は何も変わらないだろうよ」
 表情とは別の、そんな諦観に満ちた台詞を放った。


→To be Continued

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