新暦81年 七月七日 危険指定世界 黒の世界 塔≠フ周辺。第1039航空隊の面々と合流した鈴は、黒い影≠片っ端から撃ち落としていた。 が、いかんせん数が違った。いくら高町なのはの教導を受けた精鋭部隊でも、黒い影≠フ圧倒的な物量が相手では分が悪い。 このままではジリ貧か――――と鈴が覚悟した瞬間だった。 「何……? 黒い影£Bが撤退していく……?」 塔≠ェ激震、頂きから黒い風が吹き荒れたかと思ったら、突如周りの黒い影≠ェ足下の影に消えていったのだ。 突然の事態に、鈴達は安堵どころか、罠かと勘ぐった。その一瞬の不意を突くように。 ごごご、と大きく軋み動く塔=B割れた巨大な瓦礫が、真上から鈴達を押し潰そうと降り注いだ。 「……っ!? 鈴――――!?」 ロイドが叫ぶ。第1039航空隊はほぼ全員飛行魔法を使い、安全域まで離脱できたが、一人だけ今だ瓦礫の影の下にいる。 鈴だ。 駆け出した瞬間、がくん、と膝が折れ、そのまま地面に倒れ込んでしまったのだ。 「っつ――――!!」 デバイスが警告を促すが、間に合わない。アーチャー、そして黒い影≠ニの戦いで疲弊した鈴の体では、回避しきることは不可能だった。 覚悟したように鈴は目を瞑る。 ロイド達が慌てて、瓦礫を撃ち落とそうと魔法を走らせるが、しかし。 間に合わず、巨大な瓦礫が鈴を―――― ――――押し潰す寸前。 「 轟、と光が幾閃も走ったかと思うと、瓦礫の全てを塵一つ残さず砕いた。 「え……」 その音に気付き、鈴はゆっくりと瞳を開けた。 そして、ロイド達もぽかんと、その光景を見る。 塔≠フ入り口。そこに。 ――――ばさり、と紅い外套を翻す、衛宮士郎の姿があった。 それは、本当に、物語に出てくる正義の味方のようで―――― 「士郎……? アンタ、その姿……」 鈴はぼんやりとそんな言葉を呟く。士郎は、そんな鈴を見ながら。 「これでも、まだ と、少し皮肉気に笑った。 馬鹿! だから足手まといだって言ったでしょうが!! ああもう、こちとら忙しいってのに――――! 初めて出会った時のことを思い出して、鈴は思わず、は、と笑った。 「何があったのかよく分からないけど……とりあえずやったのね――――って、スバル!? 大丈夫なの、アンタ!?」 ひょこ、と士郎の後ろから現れたスバルの散々な状態に鈴は思わず目を丸くする。 何せ血で染まっていない場所はほとんど無く、裂傷・火傷・打ち身・打撲など何でもござれだ。おまけとばかりに左腕が丸々無い。 それでも、スバルはにぱっと笑いながら。 「うん、私、体だけは丈夫だから。魔力はもう使い切っちゃって空っぽだけど、何とか歩けるくらいには大丈夫」 「――――それ、大丈夫って言わない。とりあえず、何があったか聞かせてくれる?」 鈴の言葉に、士郎の顔が曇る。 脳裏に浮かぶ――とある赤い少女の最後。 だが、今はそれを考える時じゃない。頭を振り、士郎は鈴に焦燥の顔で答える。 「ああ。だけど、それは後だ。今は早くミッドチルダに戻らないと。塔≠フ中はノイズが酷くて通信が……早く、皆に伝えないと。――――ミッドが危ないって」 「ミッドチルダが危ない……? 一体、どういう――――」 そこで鈴が問うた瞬間だった。 「おい! 鈴! ハラオウン提督から緊急通信だ! ……聖王教会が裏切ったらしい。そこに黒い影≠フ襲撃も合わさって……首都は大混乱だそうだ!」 ロイドが血の気の引いた顔で、迸るように叫んだ。 「え、そんなのって――――……!?」 有り得てはならない。そう言いたげな顔で、鈴もデバイスで確認する。しかし現実はロイドの言葉通りだった。 同時。 ぎちり、という拳を握りしめる音を鈴は聞いた。 「遅かった……!! くそ、結局……全部、てめぇの掌の中ってことかよ……」 ――言峰綺礼。 ぼそり、と呟いた言葉には酷く力が篭もっていた。 「士郎……」 スバルがその顔を眉の下がった顔で見つめる。事情を知ってしまったスバルは、士郎が放った名前にどれだけの重さがあるのか、理解してしまったから。 鈴はそれを横目で見ながら、一瞬瞑目して、それから。 「……もうミッドチルダの方にはなのはさん達が既に向かってる。私達はここで後始末。なるべく早く終わらせて合流せよ、とのことよ」 事務的にそう言った。 ……サーヴァントに奪われた多数のロストロギア。この世界が崩壊する前に、私達はそれらを回収しなければならない。もし回収できなければ―――― 次元の狭間へと落ち、いかなる災厄を呼ぶか分かったものではない。 それに、と鈴は思う。 ……この黒の世界≠ェ崩壊するまで幾ばくもない……! 確かにミッドチルダの状況は気になるが、しかし、この世界を支えていた つまり――崩壊は、もう始まっている。 現状、ミッドチルダはかつてないほどの危機に見舞われている。それこそ管理局設立以来――かつてのJ・S事件をも上回る規模だ。 それを鑑みれば、ただでさえギリギリの戦力を分散する余裕などないのだが―――― ……――くそったれ。これもお前の読み通りって訳かよ……! 言峰――綺礼っ。 言いようのない不安がスバルと士郎の胸中を過ぎる。 鈴はそんな二人を見て、傷つき、泥だらけの顔で、それでも笑った。 「確かに状況は芳しくないわ。次から次へと、全く愚痴を言っている暇もない。けどね、きっと――大丈夫よ。そりゃ根拠を聞かれると弱いけど……信じてるから」 鈴だけではない。ロイド達、第1039航空部隊の面々も、同じように――胸を張り、笑っている。 士郎はその顔を見て、何故だか少し羨ましいと思った。 そして、微笑を浮かべ。 「――何を?」 と、尋ねた。 鈴達はニィ、と口の端を吊り上げ。 「――――私達の先生は、怒るとすごく恐いんだから」 と、確信に満ちた笑顔で言った。 ◇ 新暦81年 七月七日 XV級戦艦『クラウディア』 『クラウディア』の一室。船を動かすスタッフ以外の、主に前線メンバーが利用する待機部屋。 無機質な白い壁の中心にテーブルがあり、それを囲うように椅子とソファがある。 座っているのは機動六課の中心たる――スバル達と第1039航空部隊を除いた――魔導師達だ。 即ち、高町なのは、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン、ティアナ・ランスター、ユーノ・スクライアとアルフの七人だ。 エリオとキャロはバーサーカー戦で重傷を負った。現在、医療のエキスパートであるシャマルも加わったスタッフ達が治療している。 疲労か、それとも別にそれぞれ何か思うことがあるのか、沈黙が部屋を支配している。 と、そんな空気を引き裂くように、シュン、と音を立てて、ドアがスライドした。 現れたのは、シャマルだ。 「……シャマル、二人は……?」 アルフが問うた。ユーノも同時、顔を上げる。 シャマルは、手に持ったボトルの水に口をつけてから。 「あの子達、大分無茶したみたいね。とりあえず峠は越えたわ。もう大丈夫だと思うけど……しばらく魔法戦は無理ね。後遺症が残らないと良いけど」 その声を聞いて、複雑な顔をするのはフェイトだ。 二人は、かなりの重傷だった。特にエリオは肉体の損傷もそうだったが、それ以上に内面――リンカーコアの消耗が著しかった。 限界を超えた強化魔法、今だ時期尚早の 四月、バーサーカーとの遭遇戦で使用したU.T.O.B理論の反動もある。 命が助かったことは素直に喜ばしいことだ。だが、何か後遺症を背負う可能性も高いと聞かされれば、自然、気持ちは沈んでしまう。 それはユーノとアルフも同じだった。いや、なまじエリオ達の戦いを――それしか方法はなかったとはいえ――ただ見てるだけだった二人は他の皆よりも心に重いモノが沈殿する。 戦いとは、つまりこういうことなのだ。 人は戦えば、傷つく。 しばらく一線から遠ざかっていたユーノとアルフは、そんな当たり前の事実を肌に実感していた。 「シャマルさん」 「ん……なのはちゃん、何?」 黒の世界≠ゥら今まで押し黙って俯いていたなのはが、顔を上げて言った。 「ヴィータちゃんは、一体どうしたんですか」 びくり、とシャマルの肩が震えた。は、と他の全員も弾かれたように顔を上げた。 静寂が再び支配する。 からからに乾いていく空気の中、ゆっくりと時間が進んでいく。 シャマルは、一つ、短く息を吐いた後。 「……――死んだわ」 と、いっそ不気味なほどに無表情で答えた。 他の誰でもない。 「そう――ですか」 分かっていた、とばかりになのはは俯いた。 なのはだけではない。唇を噛み締める、拳を握りしめる、壁を殴りつける――と所作こそ違えど、その反応は全てなのはと同じだった。 シャマルだけが淡々としていた。髪を掻き上げながら、水を飲み、腰をソファに沈ませる。 なのはは俯いたまま。 「シャマルさんは――悲しくないんですか」 絞り出すように、そう問うた。 シャマルは「別に」と口火を切ってから。 「こうなることは――分かっていたでしょう? ヴィータちゃんが、あのランサーと戦うと言い出したときから、この結果は皆覚悟していたことじゃなかったかしら?」 ランサーの宝具。因果をねじ曲げ、心臓を貫く魔槍と相対するということが――何を意味するのか。 皆知っていた。少なくとも、この場にいる全員は知っていた。 ヴィータ本人は決してその事を語らなかったが、そんなことくらい態度で分かる。全員、ヴィータの戦友であり親友なのだから。 ――――だから、特に悲しくはない。 そう、シャマルは言う。 だが。 「それは、違います。違うと――――思う」 なのははそれを否定した。 「人が死ぬと悲しいです。覚悟の有無なんて関係ない。まして、同じ仲間なら、なおさら」 「……そうね。そうだと思うわ。でも、私は人じゃないから」 シャマルは昔の私なら泣いたんだろうか、と思った。はやてと出会った頃、もしくは五年前のJ・S事件の頃の私なら。 ――昔は、自分も夢見ていた。八神はやてを主とし、共に暮らしていく中で、偽りのプログラムたる自分たちでも人間になれるのではないだろうかと。 けどそれは違った。ニンゲンと一緒に暮らせば暮らすほど、知れば知るほど、その断絶は大きくなっていく。 この時代に来てから会得した人間性――――それも所詮、学習プログラムが得た偽りの経験に過ぎない。 感情とは電気信号と脳内物質の化学反応だ。昔はそれも物珍しく、思うままに身を任せていたこともあったが、少し意識してみればどうだ。 いとも簡単に――気持ちなど制御出来る。内部のソースコードの引数を少し弄れば、そんなものすぐにでも無効化できる。 見ろ、これのどこが人間だ。 自分たちは人間の形をしただけの、ただのモノ。 ――――そう。あの黒い影≠ニ同様の、化け物だ。 「楽しさも、悲しさも、自分の中ですぐに無かったことに出来る。やったことはないけど、自分の記憶も改竄できるんじゃないかしら?」 そう言葉を続けるシャマルの顔には、やはり表情は浮かんでいない。 ――――全部なかったことに出来る、というシャマルの言葉は本当なのだ。 しかし、なのはは。 「……それは、違います。だって、今言いましたよね。シャマルさんは――悲しいと感じているじゃないですか。悲しいと思ったからこそ、それを無かったことにしようとしている――その事を、私達は、私は知っています。その事実は決して無くならない。皆が覚えてる。 あくまで、そう否定する。 他の皆も同じ気持ちなのだろう。真っ直ぐな瞳をシャマルに向けている。 だが、シャマルは、なのはだけが何を言っているのか――その真意に気付いた。 ……――なのはちゃん、アナタ………。 自分のような、偽りの生命すらも人間扱いする。 フェイト達が言うならともかく、文字通り『全て』を知ったなのはがそれを口にすると言うことは。 つまり。 ――――あの黒い影≠キらも人間扱いするということだ。 「それは……辛いわよ。アナタが選んだ道は――」 シャマルは思わず全てを言いそうになって、口を噤んだ。 なのはと自分以外、黒い影≠ェ元々人間であったことは知らないのだ。もしかしたら他に気付いた者がいるかも知れないが――それはあくまで例外である。 今まで殺してきたモノが、これから殺すモノが、かつては自分たちと同じモノだった――というのは、幾ら何でも寝覚めが悪い。 だから、なのはとシャマルはその事実を黙っていようと決めた。わざわざ士気が落ちるような事実を公表しても意味がないからだ。 それに、とシャマルは思う。 黒い影≠ヘあくまで『元』人間だ。 今は魂≠ニいうエネルギーを黒い影=\―衛宮士郎が言うところの聖杯=\―に利用されているだけの絞り滓、最早人間と呼べるものではない。 咀嚼されすぎて自我も感覚も感情も何もかもなくし、ただ喘ぐことしかできない残骸に過ぎないのだ。 そんなもの、もう人間とは呼べない。少なくとも人間の定義からは著しく外れている。 ……――自分たちと同じように。 自嘲気味に、シャマルは思う。 だが、なのははそんな『モノ』を人間として扱うと言ったのだ。それはつまり―――― ――――これから黒い影≠撃ち抜くごとに、人間を殺すことになる。 勿論、それは罪に問われない。しかし、本人がどう思うかは、また別だ。 黒い影≠ノ意志はない。投降も、鞍替えもない。 故に、ミッドチルダないし次元世界を守るなら、黒い影≠ヘ殺すしかないのだ。 そのストレスは、いかほどになるのか。 実際、事実を知ったとき、なのはは吐いた。それと同等、もしくは遥かに上回るストレスが、これから黒い影≠ニ戦う度に襲う。 人を殺すという罪。なのはは、それをこれから誰とも共有せずに、ただ一人で背負おうとしている。 それは欺瞞だろうか。偽善だろうか。 この事実は、本人が知っていようが知っていまいが、厳然として存在している。黒い影≠ェ元人間であり、それを殺すということは、その事実を罪として思う人もいるだろう。 シャマルは思う。 それを隠してしまうのを優しさと呼ぶには、あまりにも――――、と。 だから、こう口にする。 「なのはちゃんの方こそ――――悲しくないの?」 その問いの中には、様々な意味が込められていた。 なのははそれを知ってか知らずか。 「勿論、悲しいです。ヴィータちゃんは……――親友、だったんですから。私、決めたんです。もう自分を偽らずにいこうって。だから、悲しいと思うときは、素直に悲しいと思おうって。強がらずに、ありのままの自分を……――」 『仮面』の高町なのはではなく、『本当』のタカマチナノハとして――生きていこうと。 俯いた表情のまま、呟くようにそう漏らした。 シャマルは数瞬の間、瞑目して。 「――――でも、アナタ。 「……――――」 なのはは、は、と息を吐いた後、顔を上げて。 笑った。 眉を八の字に曲げた、少し困ったような――いつもの笑顔だった。 「今まで、そうやって生きてきましたから。全部、なかったことになんか出来ません。それを否定しちゃったら、 だから―――― 続く言葉は静寂の中に沈み込む。 艦の外には、ある光景が見えた。 それは一つの世界の終焉。 世界の名を――ミッドチルダと呼んだ。 ◇ 『クラウディア』の下部にある、魔導師出撃用のハッチ。 なのははそこからミッドチルダを見渡す。 破壊された都市の残骸と、逃げまどう人々。そして、ぞろりと幽鬼のように佇む、大量の黒い影=B 「……」 無言で、顔を顰め、一歩を踏み出そうとする。 その動きを。 「――行っちゃ駄目だ、なのは」 ユーノが、バリアジャケットの裾を掴むことで、止めた。 振り向く。そこには俯き、絞り出すように言葉を紡ぐ顔がある。 「……ユーノ君」 「行くんだろう、君は。『アレ』を倒すために」 ユーノの横にウィンドウが開いた。 そこには幾つかの状況が映っている。その一つに。 黄金の王、ギルガメッシュが悠然と歩みを進めている姿が映っていた。 首都周辺の情報は相変わらず不明なままだが、辛くも生き延びたナンバーズ達が伝えた情報だ。 圧倒的な殲滅力。いまだに底が見えない実力。 なのはは、今、あの男と相対するために行こうとしている。 「――うん、行くよ。ユーノ君も分かってるでしょ。アレと戦えるのは、倒すことが出来るのは、私だけだって」 「知ってる! そんなこと、誰よりも知ってるよ! だって、 「――――!」 叫び、上げた顔は眉を下げた表情だ。 「……だから分かる。これは、この状況は…… それはつまり、何を意味するか。 なのはは、そ、とユーノの頬を撫でて。 「大丈夫。大丈夫だよ。私は――絶対に、君の元へ帰るから」 そんな言葉を告げるが、ユーノは表情を変えない。 「――――嘘だよ、それは。皆が皆、君のことを信じている。必ず帰ってくると。いつだって、そうしてきた君を、不屈のエースオブエースを。でも、僕は知っている。君は―― だから、 「行っちゃ駄目だ、なのは。言っただろう、本当の君でいいんだ≠チて。……嘘は無しだよ。行くのなら、僕も一緒に――――」 その時、言葉を遮るように、なのははユーノを抱きしめた。 柔らかい感触がユーノを包んだ。 そして。 「ありがとう。――ゴメンね」 「なの――――」 ユーノの首に回した掌に、魔法陣が展開された。 閃光が走った。 「っ――――」 思考が言葉になる前に。 ばしん、と衝撃が走り――そのままユーノの意識は闇に墜ちた。 なのははユーノの体を、そ、と床に添える。 「ゴメンね。――君だけは、言葉じゃ止められないから」 こうするしかなかった、とぽつりと呟いて、なのはは降下を始めようとする。 そこに。 「じゃあ、私も止めてみる? ――なのは」 真っ直ぐに背中を見つめる、フェイトの言葉が響いた。 なのははそれに振り向かず。 「フェイトちゃんが、私を止めるなら――ね。でも頭の良いフェイトちゃんなら、この状況で、それがどんな意味を持つか、分かるでしょう?」 「そうだね。ここで仲間割れしても、こっちが疲弊するだけ損するだけだもの。そして私がなのはを手伝おうとしても、ただ邪魔になるだけ。なのはは全力で弾幕を張れないし、何より、それは既にやったこと。――今度は負けるだけじゃすまされない」 そう言って、フェイトは肩を竦めて、なのはの横に並んだ。 だから、と口にして。 「ねぇ、なのは。一つ聞いていいかな。なのはの、ちゃんと戻ってくるって言葉。それは なのははフェイトの方を見ようとせずに。 「残酷なこと聞くんだね、フェイトちゃん……」 は、と息を吐き。 「そうだよ。少なくとも、私はこんなところで死にたくないから。――帰ってきたいって、そう思ってるから」 「そう。……そうだね、なら、私もそれを信じることにするよ。私は、ずっと信じることしか出来なかったから。きっと、それはこれからも変わらないんだ」 フェイトはがちゃり、とバルディッシュを強く握る。 「なのは。――私は私の道を行く。振り返らず、ただ真っ直ぐにやるべきことをやろうと思う。今まで誰かの方ばかり見てきた私だけど。それを否定せず、捨てず、それでも、望んだものを得られる場所へ行く。 ――――だから、なのはも、自分の道を行くなら、私はそれでいいと思う」 その結果がどのようなものでも、決して悔やむことはしないから。 と、静かに、だが力強く宣言して。 「――――」 眼下の街へ、その身を躍らせた。 なのはは僅かに目を見開かせる。 ……自分の道――か。 「そうだね、フェイトちゃん。その通りだ。何てことはない。――私は、ただ自分の道を通しに行くだけだから」 なのはは振り向いて。 「そうですよね、シャマルさん」 と、扉の向こうにいる人物に問いかけた。 扉が開き、その人物――シャマルが現れた。 「……アナタの掛かり付けの医者である私としては、やっぱり止めて欲しいんだけどね。分かってるでしょ、アナタが本気を出すということ。ブラスターモードを使うということは――――」 「分かってます。でも、それはそれで一つの結果です。――私が選んで決めた道だから、後悔はしてませんし、これからもするつもりはありません」 シャマルは苦笑する。 ……これは決まっていた結末――ということかしらね。なのはちゃんが魔法を手にした時から、既に確定していた結果。なら―――― そう思い、言葉として告げようとした瞬間。 「――――!」 脳内に、あるイメージが来た。 「シャマルさん……?」 なのはが急変したシャマルの態度に眉をひそめる。 シャマルは冷や汗を流しながら。 「なのはちゃん。ザフィーラから連絡が来たわ。ヴィヴィオちゃんが危ないって……!!」 告げると同時。 「――――っ!」 なのはは苦渋を顔に浮かべて、眼下へと足を踏み出した。 『クラウディア』から大地に向かって落下する、その最中、なのはは見た。 広がる街の彼方に見えるのは、首都クラナガン。 その中心から――何か、『泥』のようなものが漏れ広がっているのを。 何が起きているのかは分からない。 ただ、思うのは。 「……ヴィヴィオ……!」 決意よりも、信念よりも。 大事なモノを救うために、なのはは滅び行く世界の空を飛翔した。 13 / 鳥の唄 NANOHA 新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 中央区画 湾岸地区 対黒い影&泊煖@動六課隊舎周辺 「おぉぉおお――――っ!」 怒号と共に鋼の拳が空を裂いた。 ぼ、と水蒸気が吹いた。音をも置き去りにする拳が――黒い影=Aアーチャー型を撃ち抜いた。 は、と断続的に息が漏れる。 「無事か、ヴィヴィオ」 そう問いかけるのはヴォルケンリッターが一人、盾の守護獣<Uフィーラだ。 崩壊した建造物。その瓦礫の後ろから、ひょこ、と小さな影が現れる。 ヴィヴィオだ。 なのはや士郎の帰りを、居ても立ってもいられずに、機動六課にて待っていたのだが―――― ――――その最中、突然黒い影≠ェミッドチルダを襲った。 ヴィヴィオがザフィーラと一緒にいたのは不幸中の幸いだった。 今、ザフィーラに守られながら、避難所――別世界への転送ポート――まで移動している。 首都はほとんど壊滅状態だった。 突如の黒い影≠ノよる襲撃と、それに伴う聖王教会の裏切り。 だが、そんな現状であるにも関わらず、一般市民にそれほど死者が出ていないのは、機動六課隊長・八神はやての手腕と言えるだろう。 八神はやては首都が戦場になると予見していた。その予見が――人々を救ったのだ。 本来ならば、十分な戦力と策はあった。黒い影=\―残ったサーヴァントが一度に襲ってきても、撃退は可能なほどの。 しかし、それは聖王教会の裏切りにより、全て瓦解してしまった。外部の襲撃は予想出来ても、内部からの襲撃は全くの想定外だ。 それでも死傷者の数を抑えているのは、はやての準備の賜物だろう――とザフィーラは思う。 同時に、しかし、とも。 ……それはあくまで一般市民向けの策だ。六課本部から避難場所は少し遠い。どうしても黒い影≠ニの交戦は避けることは出来ない……。 私に、守りきることが出来るだろうか。主でもない、この小さな存在を―――― ヴィヴィオはザフィーラを見つめて。 「……うん、私は大丈夫だよ。でも、ザッフィーが――」 そのオッドアイが悲しげに揺れた。 ザフィーラの体は、度重なる黒い影≠ニの戦闘により、傷ついていた。 肩で息をし、裂傷と打撲から血を流している。 つ、と額から一筋、赤い雫が落ちた。それでも、ふ、と笑い。 「――問題ない。大丈夫だ」 その瞳は黒く濁っている。 ―――― 「心配するな。お前は自分のことだけを考えろ」 「そうはいかないよ。だって、ザッフィーは私のために、頑張ってくれてるのに……」 ヴィヴィオは俯く。 何も出来ない自分、守られているばかりの自分が――こんなにも嫌だと思ったことはなかった。 それは物心付く前、母親に助けられた時と何も変わってはいない。 否。 ――――何も出来ない? 違う、それは―――― ぞわ、と自分の中から何か――得体の知れないモノが湧いてくるのを感じる。 ちりちりと瞳を焦がすのは、 「止めろ」 ザフィーラが真っ黒な瞳でヴィヴィオを射貫いた。 は、とヴィヴィオは我に返った。 ……今、私、何を―――― 「その力を使ってはいけない。お前の力は災厄を呼ぶ。――母親のような、優しくて立派な魔導師になるのだろう? ならば、きちんと手続きを踏め。お前には、まだ早い」 ジェイルの遺産≠ニ呼ばれる技術は、何もナンバーズに代表される戦闘機人、ガジェット・ドローンだけではない。 レリック・ウェポン。 とあるロストロギアを利用した強大無比な戦闘兵器。 ジェイルの遺産≠フ結晶ともいえる、それこそが――高町ヴィヴィオの正体だ。 古代ベルカの王、聖王としての力。 それは間違いなく災厄を呼ぶ。管理局、聖王教会、数多の魔導師と研究者達にとって、現代に蘇った聖王というのは、あまりにも魅力的だ。 下手をすればJ・S事件の再来――それ以上のカラミティが襲う。 「……うん。分かってる。分かってるけど……」 母親のような、立派な魔導師になる―――― ヴィヴィオは、その言葉を反芻し、しかし首を振る。 ……今はそんなこと考えてる時じゃないよね。 「大丈夫だ。お前は私が守る。――行くぞ」 そして、二人は走り出す。 倒壊した建物と、地面を這う黒い泥のようなモノの間を縫って。 走りながら、ザフィーラは、ふと笑った。 ……守る、か。 本来ならば、すぐにでも主はやてを探しに行かなければならない。自分の意識の底、プログラムのコアがそう叫んでいる。 今の自分は間違いなく、 ……なのに、何故だろうな。 瞬間。 「ザッフィーっ!!」 ご、と瓦礫を破砕して、黒い影≠ェ現れた。 バーサーカー型。全てが黒に染められた巨体が、音無き咆吼を上げながら、斧剣を振り下ろす。 大気が裂ける。 衝突。 だが、ザフィーラはそれをもたらした一撃を―――― みちみちと筋肉が軋む。血管が断裂して赤い液体が にも関わらず、ザフィーラは。 笑っていた。 犬歯を剥き出しにし、口の端が裂けたような強烈な笑みを浮かべている。 「ああ、 鋼の軛=B 地面から突きだした無数の杭が、黒い影≠滅多差しにする。 散った巨体の黒い燐光を弾くようにザフィーラは腕を振った。 視界の端に映る、小さな体。 ……そうだ。これが、守るべきモノだ。 義務でもなく、指命でもなく。 ただの自分、剥き出しの『俺』自身が守ると決めた――たいせつなもの。 ああ、そうか。 これが。 これこそが―――― 「――――『人間』か!」 この高揚感。 この昂ぶり。 見つけたぞ、ヴィータ。 戦う理由、戦う訳。 ああ、今、俺は確かに、ニンゲンとして生きている――――!! それこそが生きる意味であり、レゾンテートルだった。 別にそれが嫌だという訳はない。そんな感情など差し込める余地などあるはずがない。 主を守るということは息をすること同義。そんなものに是非を問うこと自体が間違っている。 だが、今は違う。 主以外の誰かを守る。守ろうとしている。 予め定められた宿命ではなく――――今まで歩いてきた道のり。 その果てに得られた人間性の証明。 自分が選んだ、大切な誰か―――― 「は、ははははははははははっ!!」 ザフィーラは哄笑を上げながら、次々と迫り来る黒い影≠撃ち抜いていく。 捌き、束縛し、引きちぎる。 獰猛な笑みを浮かべながら、正しく狼の如く駆け抜けていく。 無論、その背中を追うヴィヴィオには指一本、散り様の残滓すら触らせない。 そして、ようやく。 ザフィーラの獣の瞳が――ひとつの建物を捉えた。 転送ポートだ。 折り重なるような瓦礫の中、唯一、結界と もう既に避難は終わっているのか、辺りに人影はいない。 ザフィーラは直ぐさま、管理局からの緊急用通信チャンネルとリンクする。 念話。声なき声が、頭の中で反響する。 「……避難はほぼ完了しているようだ。あと少しだ。行くぞ、ヴィヴィオ」 ザフィーラの後ろ。 小さな体を懸命に動かし、後を追うヴィヴィオは、汗だくになりながら、こくりと頷いた。 瞬間。 ――――目の前の転送ポートが、爆発四散した。 「……っ!?」 驚きの息を吐くのはヴィヴィオだ。ザフィーラは降り注ぐ熱波と衝撃、瓦礫からヴィヴィオを守るために障壁を瞬時に張っていた。 その表情は歪んでいた。 何故、とザフィーラは自問する。 だが分からない。目の前の事実よりも遥かに感情が上回っている。 転送ポートを破壊された――そんな事実よりも、 無機質なアルゴリズムから生まれた本能というべきコア。 それが今すぐ此処から逃げろと悲鳴を上げている――――! 「ヴィヴィオ……今すぐ逃げろ」 「え――――そんな、ザフィーラを置いて……」 「いいから逃げろ――――」 そうザフィーラが叫んだ直後だった。 ――大地が揺れた。 腹の中に重々しく響いてくる重低音――がザフィーラの耳に聞こえたような気がした。 それは空想、イメージの音だ。実際には至って普通の足音。 だが、ザフィーラは体を震わせていた。一歩一歩、その音が聞こえる度に振動が体を貫く。 ……これは。 そして気付いた。 ……これは、私が怖がっているのか……!! その震えは、己の 瞬間。 「おおぉぉおおおおおおお――――!!」 咆吼した。同時、突きだした掌には魔法陣が展開。 ――鋼の軛。 炎と瓦礫を散らすように、閃光の頸木がソレ≠突き刺そうと―――― 「――――狗か」 それら全ては、刹那の時間を以て、打ち消された。 破壊され業炎を上げている瓦礫の中から――ソレ≠ヘ現れた。 男だ。黄金の髪。黄金の鎧。 手には一振りの魔剣を持っている。それが、ザフィーラの魔法を打ち消したモノだ。 男は魔剣を一瞥した後。 「……!!」 ザフィーラに向けて、投げやりな動作で放った。 真横を通り抜け、背後で魔剣は爆散する。ヴィヴィオが身を竦める音が聞こえた。 だが、その事に気を裂いている余裕は無い。 ザフィーラの頬に冷や汗が伝った。 ……このタイミングで、サーヴァントだと……!! しかもその相手が――サーヴァント中、最も戦闘能力の高い、黄金の王。ギルガメッシュだ。 ……自分には転移魔法がある。一人なら逃げることは可能だ。 ザフィーラは思う。同時に、だが、とも。 ……――今は、ヴィヴィオがいる……! 背中。ギルガメッシュの視線から逃れるように隠れている小さな体。 ――――守るべき、大切なモノ。 この状況で、一体何処までやれるか。脳内の隅で絶望的な数字が弾き出されるが、ザフィーラはそれらをあえて無視した。 守ると決めた。漸く手にした『ニンゲン』の証。 その誓いをどうして裏切ることが出来ようか―――― ザフィーラは一瞬瞑目し、そして構えた。 左半身を前にし、右の手で拳を作る。 瞳にはたった一つの意志がある。 ――守る、という意志だ。 「……ほう」 ギルガメッシュは感嘆の息を漏らした。 ザフィーラは何も言わない。ただ敵意と信念のみを瞳に乗せ、ギルガメッシュを見る。 「貴様――何者だ」 その瞳に、黄金の王は王気纏う冷徹な瞳を返した。 ……――己が、何者か――か。 刹那、瞑目し、逡巡する。 浮かび上がるのは、同胞と誓ったあの夜だ。 ……考えるまでもなかった。そうだろう、ヴィータよ。 ザフィーラは、目を開け、静かに口火を切る。 「――――騎士だ」 それ以上でも、それ以下でもない――――と、極シンプルに自分の有り様を宣言した。 く、とギルガメッシュの口元が歪み。 「なるほど、騎士か。こんな茶番劇じみた世界に――貴様のような奴がいるとはな。それが人ではなく狗というのが皮肉だが」 それはどこか、何かを懐かしむような笑みだった。 指先を上げる。 瞬間、絶対零度を思わせる威圧がザフィーラに突き刺さった。 「……」 ぞ、とした。体ごと地面に縫いつけられたかのような威圧感。 だが、それを振り払うように四肢に力を込める。 魔力が全身から立ち昇る。燐光が火花のように、ちりちりと空気を焦がした。 「忠義を見せろ、信念を貫け。でなければ、貴様が守るモノ、全て灰燼と化すと思え――――!」 パチン、とギルガメッシュが指を鳴らす。 その快音と同時。 ザフィーラは大地を踏み砕き、疾走を開始した。 ――――激突。 * * * 正直な話、私の将来は既に決まっていた。 高町なのはとフェイト・T・ハラオウン――『三英雄』とまで呼ばれる魔導師の二人が私のママ……母親なのだ。 それに周りにいる人達――お母さんの友達――も凄い人ばかりだ。 元機動六課の人達。直接の血縁がいない自分にとって、彼らはもう家族同然だと思っている。 皆皆、強くて格好良くて素敵な魔導師だ。 だから、周りの先生や友達――そして私自身すらも、将来は彼らのような立派な魔導師になる――と。 あの時、自分を助けてくれた機動六課の皆――なのはお母さんのように、誰かを助けることが出来れば、それはどんなに素晴らしいことかと。 ――――そう思っていた。 別に、それが私の将来の全てではないのに。 別に、他に誰かを助ける道はあるはずなのに。 別に、必ずしも魔導師にならなければいけない訳でもないのに―――― 未来は広大で、どこまでも 私はようやく、その事に気がついた。 なのはお母さんは偉大だ。今でも一番尊敬出来る、私の大事なお母さん。 でも、そんなお母さんも人間なんだ。 泣いて、笑って、怒って、悲しんで。 そんな当たり前のこと、どうして気がつかなかったのだろう。 高町なのはの娘≠ニしてしか見られない――――なんて。 今思えば、それは傲慢でしかない。その言葉に囚われていたのは周りではなく――誰より自分に他ならなかった。 そうだ。 夢のために目的はあって、初めて夢は夢として語ることが出来る。 敷かれたレールが目指すのは、終着駅であり、途中駅ではないのだ。 でなければ、破綻する。 手段と目的を入れ違った理想は矛盾を産み出す。そして――きっといつか自分ごと だから、私は何になっても良いんだ。私が私として誇れる道ならば、きっと皆は応援してくれるだろう。 でも――その道が私には分からない。 私は何がやりたいんだろう。何になりたいんだろう。 私に、何が出来るんだろう―――― ――――何も出来ない。 そう。 こんな時に。 大切な人が私を守って傷ついているのに――――! 「ザッフィー――――っ!!」 * * * ぽたり、と赤い雫が落ちた。 「……保った方か」 そう零すギルガメッシュの視線の先には。 巨大な瓦礫に磔にされているザフィーラがあった。 「……」 四肢を剣によって潰され、直下に血溜まりがある。 だが、その瞳は決して死んではいない。 ……あの鎧。近づけさえすれば、抜けるのだが。 いかにギルガメッシュの鎧が堅牢であろうとも、それは絶対ではない。 サーヴァントが聖杯≠ノよって まして だが―――― ……あの弾幕は。 二人はあまりに相性が悪すぎた。 近距離、防御型のザフィーラと――遠近距離、攻撃型のギルガメッシュ。 古今東西、あらゆる宝具が飛来してくる攻撃だ。いくら拳で剣を弾き、宝具・概念を ギルガメッシュの絶対領域にザフィーラは踏み込めない。 「その目……どうすれば我に拳を当てるか、どうすれば我に勝てるか――考えているな。そんな死に体で、 ず、と空間から宝剣を取り出す。 輝く刀身と豪奢な柄―――― 「これは 莫大な 斬撃を繰り出そうと、ギルガメッシュが一歩ザフィーラに近づいた。 そして。 「……――――」 剣を振り抜くための踏み込みに、もう一歩―――― ――――今だ。 刹那、ザフィーラは 「――――!」 ギルガメッシュの目が見開いた。 砕けた手足ごと物理変換、魔力で強引に補正し、文字通り狼と化したザフィーラは突っ走る。 一足で加速、二足で全力疾走だ。 ザフィーラは賭けたのだ。 弾幕ではなく、直接、ギルガメッシュが己が手で止めを刺しに来る、この瞬間に。 来るかどうかは分からなかった。危険な賭けだ。 だが。 ギルガメッシュにザフィーラは近づけない。 そして同時に、ギルガメッシュはザフィーラに、 砕き、無効化するその拳は正しく盾。故の称号、自分の在り方。 だから――読めた。ギルガメッシュの思考回路を考えれば、この瞬間は必ず訪れると。 ……そのために、四肢を犠牲にしたか! 「やってくれる――――!」 走るは蒼き疾風。僅か三足でギルガメッシュの絶対領域に踏み込んだ。 同時、 ギルガメッシュは再度剣を振りかぶり、そして。 激突した。 ぎん、と甲高い、 そして、数瞬の後、地面を擦過する音をギルガメッシュは聞いた。 振り向き、自らの魔剣を放り投げ。 「――――『牙』か」 びしり、と鎧が砕かれる音と共に、血を吹く肩口を抑えた。 地面へと落ちた刀身が二つに割れた。 掌の中の己が血を眺め、呟く。 ――惜しかったな、と。それは賛美の声だった。 ギルガメッシュの視線が動く。 鎧ではなく、首から上の生身の部分であったなら―――― ……まぁ、それでも『手』はあったがな。 悔し紛れとも言える言葉を思い、ザフィーラを見た。 その近くに、獣の『牙』がある。折れた、獣の『牙』が。 魔力の残滓が微かに、折れた『牙』から散って舞っている。 そして――ザフィーラの体を視線に収めた。 人型ではなく、獣化したその体に、三本の魔剣が突き刺さっている。 腹部を貫通し、地面に縫いつけらていた。 口の端から血を滴らせながら、苦悶の声を上げ、身を捩る。 ――この男……ただ傲慢なだけではない。故がこその『王』の名か……!! 先ほどの一瞬が脳裏に過ぎる。擦れ違った、あの刹那。 ギルガメッシュの斬撃を避け、突っ込んできたザフィーラに対し、僅かに首を捻って回避した。 それはいいと、ザフィーラは思う。問題なのは。 ――ギルガメッシュが そして交差の瞬間、 ただ用意周到では見抜かれ、ただ傲慢では役に立たず。 その両方を兼ね備えている『王』だからこそ出来た芸当だ。 「……」 じゃり、と音がザフィーラの耳に届いた。 ギルガメッシュが一歩近づいた音だ。 ザフィーラは立ち上がろうとする。が、腹に刺さった魔剣がそれを許さない。 目が霞む。意識が点滅する。 血溜まりが生まれる中、それでも動こうと身を捩る。 ぶちぶち、と腹の肉が断裂する音が響いた。 そんな状況にも関わらず――決して、その眼光は揺らいでいない。 ……――――死ぬことが恐い訳ではない。 ただ、と思う。 ――そうだ。ようやく手にした『答え』。それを失うことが。 何より―――― その瞬間、ザフィーラは、は、と顔を上げた。動きを感じたからだ。 視線の先には。 「……――――何のつもりだ、小娘」 二人に間に立ち、ギルガメッシュを涙目で睨み付けている――ヴィヴィオがいた。 ザフィーラを守るように広げている両手が、震えていた。 「ヴィヴィオ、にげ、」 ろ、と言葉を作ろうするが、食道を迫り上がってくる血がそれを許さない。 がは、と大きく吐血するザフィーラを見て。 「逃げないよ。ここで逃げても――多分結果は同じになると思うし」 周りを見る。火と煙、そして瓦礫と――遠くには影≠ェある。 そう、何をやっても『死』という結果から逃れられないというのなら。 ならば―――― 「――私はほんの少しでも、ザッフィーを守りたい。守られているだけじゃ、嫌だから」 それに、とヴィヴィオは付け足した。 手は震え、足も震え、目尻には涙が溜まっている。 だが、地面に二の足でしっかりと立ち、決して顔は俯いてはいない。 そして。 ……――それに、ここで逃げちゃったら。 き、と黄金の王を睨み付け。 「きっと 強い言葉で己を括った。 正義の味方と名乗る、自分の友達に、いつだって胸を張っていたいからと。 そう、ヴィヴィオは声高く宣言した。 涙が、きらりと空に ――は、とギルガメッシュは笑った。 「……――――茶番もそこまで極めれば一つの芸か。くくく、なるほど。 しかし、その笑みも。 遠く、地平線の中央。首都から 燐光が辺りに散り、雲を突っ切り、天に突き刺さった。その地点を中心に、『影』が、『泥』が、大気を汚染していく。 同時、吹き上がる柱の根本でも同じ現象が起きている。 天地両方から、黒い影≠ェ、世界を浸食していく。 そして――――お、という音を伸ばした嘶きが、大気を、空間を、大地を、星を、世界を揺るがした。 嘶きを聞いたヴィヴィオとザフィーラの背中に、ぞぞぞぞぞぞ、と悪寒と恐怖が迫り上がる。意味もなく逃げ出したい、泣きたい、――死にたいといったどす黒い負の衝動が一斉に全身に走った。 それは二人だけでなく、声を聞いた全員に訪れた現象だ。 だが、ヴィヴィオだけは感覚を得た。 ……これは……!? 共振とも、共感とも取れる、その感覚は。 黒い影≠ェ現れる、少し前に感じたモノだった。 そして、ヴィヴィオはそれを見た。 ――――柱の頂きにある『黒い太陽』を。 「……ち。 ギルガメッシュはつまらなさげに呟き、目の前の二人を一瞥した。 黒の嘶きによって二人は震えているが、しかし、その瞳は真っ直ぐギルガメッシュを見ている。 黄金の王は、一瞬だけ目を伏せ。 ……『コレ』らを奴≠ノ喰わせる――か。 「――気に喰わんな」 呟き、指を鳴らし、快音を生んだ。 瞬間。 背後に、ずらりと三十を超える宝具が展開された。 「……っ!」 ヴィヴィオはその壮観な光景に息を呑み。 「――――!」 ザフィーラは雄叫びと共に獣化を解き、――――腹部を貫く魔剣を強引に抜いた。 血が勢いよく吹き出るが、気にせず、ヴィヴィオを抱えようと。 「が――――っ!」 動くが、しかし、砕けた四肢と抉られた内臓が、それを許さない。 結果として、再び地面へと倒れ込んだ。血溜まりに沈む水音が、ヴィヴィオの耳に届く。 「ザッフィーっ!」 振り向き、ザフィーラの頭を抱きしめた。 ぽろぽろと涙をこぼし、懺悔のように呟く。 「ごめん、ごめんね……守られているだけで――結局、私何も出来なかった……!!」 助けてくれ、と泣き叫ぶだけことしか、今まで出来なかった。 恩があった。後悔があった。 側にいてくれた。優しくしてくれた。 だが、それらに対し、自分は何も返せていない。 ザフィーラに対してだけではない。二人の母親や他の皆に対しても、だ。 その思いが――ヴィヴィオの心に一つの言葉を生んだ。 それは助けたい≠ナも、救いたい≠ナも守りたい≠ナもなく。 ……そうだ。私は――返したい≠だ。皆から貰った言葉と、優しさに……。 なら、私が選ぶ道は―――― 瞬間、どん、と衝撃が、ヴィヴィオの体を貫いた。 「え――――」 その衝撃でヴィヴィオは我に返った。 足は蹈鞴を踏み、体が意志と反し、後方へと流れていく。 視界が来る。現実という視界が、目蓋に映る。 目の前には――こちらに掌を向け、 そして。 怒濤のように迫ってくる、ギルガメッシュの宝具が。 逃れようのない『死』が。 ヴィヴィオには見えた。 「――――」 理解した。つまり、と上手く働かない頭で言葉を作る。 ……ザッフィーは私を助けるために、まともに動かない四肢を使って―――― そして、幾ばくかの一瞬を経た後、その体は消し飛ぶだろう。 ――嫌だ。 血が、一気に頭から下がった。顔面が蒼白色に染まる。 ドクン、と心臓が吼える。恐怖と戦慄で全身が泡立った。 時間が凝固する。全てがスローモーションの彼方へと落ちていく。 コマ送りの世界。 連続性を失い、 白光に空想が映る。現実と 思考が加速する。加速する。加速する―――― そして瞬きの間に見える、その光景が――ヴィヴィオの目蓋を焼く。 魔剣が迫る。妖刀が迫る。魔槍が迫る。大槌が迫る。 串刺し、抉られ、叩き付けられ、肉塊へと変貌する己の大切な人。 苦痛に苛まれ、それでも最後まで微笑みを絶やさない。 守れて良かった、と。そう語るような微笑みをヴィヴィオは見る。 だが、それも結局叶わない。 思い、光景が加速する。 次に死ぬのは――――きっと自分。そのヴィジョンが映る。 死、死、――死だ。 その意味を考えたとき――空想が消し飛んだ。 ――嫌だ。 目の前には変わらない現実。 微笑むザフィーラ。見下すギルガメッシュ。迫る魔剣。 迫る、死。 ドクン――と心臓が再び大きく跳ね上がった。 微笑みに向けて、手を伸ばした。指の間から見える大切な人の姿が、少しずつ遠ざかっていく。 それはまるで、掌からこぼれ落ちるようで―――― ――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! こんなのって無い! こんなのって無いよ! せっかく見つけたのに。せっかく手に入れたのに。なのに、何でこんなことになってるの? 分からない、全然分からないよ! こんな――こんな! 言葉にならない言葉が加速された思考の中で乱舞する。 胸を締め付ける絶望と、全身を突き刺す疑問が、ヴィヴィオの全てを裁断していく。 泣き叫ぶ。訳も分からず泣き叫ぶ。 ――この世界の、理不尽に、泣き叫ぶ。 だが、ヴィヴィオには何も出来ない。出来る術を持ち合わせていない。 時間は秒にも満たず、奇跡は起きない。 ――――この世界に神様はいない。 そんなことくらいは理解できている。かつてのJ・S事件でそれは嫌と言うほど味わった。 けれど、叫んだ。 だから、叫んだ。 足掻くことしかできないから、精一杯に足掻く。 受けた恩。与えて貰った優しさ。教えて貰った勇気の意味。大事な友達。 それらに―― だから。 今は。 ただ求めるだけではない。 大切な人を守るための。 新しい自分を始めるための―――― ――――その叫びを。 「助けてよぉ! ママぁ――――!!」 瞬間、幾つもの流星がギルガメッシュの宝具を、全て寸分違わず撃ち抜いた。 宝具は破片となり、雪のように煌めき、そして消え行く。 呆然と――ザフィーラとヴィヴィオはそれを見つめていた。 場違いだ、と思いつつも、綺麗だという言葉が口をつく。 ギルガメッシュだけが、全てを理解していた。 奇跡はない。神様はいない。 ならば、これは必然だ。 きっと そして振り向いた。 黄金の王はニヤリと、狂的に顔を歪ませる。 そこには―――― 「――来たか。 空中から歪んだ顔を見下ろす、高町なのはの姿があった。 相棒を強く握りしめ、己に言い聞かせるように言葉を作る。 「――来たよ。もう誰も死なせない為に。私が私の道を往くために……!」 は、というギルガメッシュの笑い声と同時。 二人はその相対を開始した。 |