■
かつて――――
夜。ベルカ自治領、とある領主の古城の地下。
鉄格子で区切られ、薄暗く、錆と黴だらけの牢屋。汚れた大気は酷く息苦しい。
――――牢獄。その二文字が、この場所のことを、どこまでも分かりやすく表していた。
雨漏りか、湿気か。水滴が床を穿つ音のみが響く部屋の中で、薄い黒のアンダーのみを着込んだ赤髪の少女が、はぁ、と白い息を吐いた。
「……寒ぃな」
ちゃき、と自らの相棒であるグラーフアイゼンを抱きしめるように蹲る。床の一点を見つめる瞳は、どこまでも機械的で無表情。
その人形のような肌が、微かに震えた。
針の如く身を刺す冷気が、長い赤髪の少女――ヴィータに、痛みという感覚をもたらす。その感覚が、ヴィータの脳内にぼんやりとした、だがしかし確かな一つの思考を浮かび上がらせる。
目の前で壁により掛かりながら瞑目しているシグナムに、ヴィータはふとその疑問を投げかけた。
「なぁ、シグナム。私達はどうして――――こんな思いをしているんだろう」
シグナムの瞳が片目だけ開かれ、つまらなさ気にヴィータを見る。
「――――何が言いたい」
金剛石のように堅い声は、感情を微塵も感じさせない。それも当然。
此処にいるのは人の形をしたプログラム。『闇の書』のページ蒐集と主守護のためだけに存在する疑似生命に過ぎないのだから。
だからこそ、ヴィータは不思議で仕方がなかった。シグナムの声が聞こえたのか聞こえなかったのか、それすら判然としない茫洋な瞳で。
「私達は何で、人間なんだろうな――――」
ずっと心の底で燻っていた瘧を口にした。
『闇の書』――――或いは『夜天の書』の力の一端である守護騎士。戦闘用プログラムでしかない彼女たちに兵器以上の意味はない。ページの蒐集と主守護という指向性を持った力の塊に過ぎない。
だが、それでは何故。
――――守護騎士に、自我があるのだろうか。
ただページの蒐集と守護を目的とするのならば、人間としての自意識など必要はない。兵器には意志も意味も関係無い。あるのは目的だけ。たった一つの指向性のみだ。
奪うだけなら、護るだけならば、自我なんて不必要。どころか、人間の形をしていることすら無意味だ。
ここで寒さを感じ、痛みを感じ、こうして自分が自分である≠アとを思うこと。
――それは矛盾だ。例えその自我がソースコードの塊で、人間の真似事だとしても、目的に対し不必要であることには変わりない。
こうしてモノを見聞きし、そして思考する。それが偽物だとしても、果たしてその意味は――――
シグナムは静かに目を伏せ、別段興味なさ気に呟く。
「……さぁな。我々が創造された時のことなど、既に忘却の彼方だ。いや、もしかすると最初からそんな記憶は無いのかもしれん。どちらにしろ、そんなもの我らには必要ないだろう。それで何がどう変わるわけでもないし、ましてやることが変わるわけでもない」
だがな、と付け加え、じろりとヴィータを睨む。……殺意すら、漲らせながら。
「ヴィータ、お前が何を考えようと勝手だ。――――だが、我らは守護騎士だ。それ以上でもそれ以下でもない。いいか、一つだけ言っておく。お前の迷いは、危険だ。事と次第によっては――――」
ヴィータはその言葉を遮る様に叫ぶ。
「わぁってる! わぁってるよ!! ――――もう言わねぇよ」
「――――」
無言でそれを見つめるシャマル、ザフィーラ。シグナムは殺気立った瞳を抑え、再び瞑目した。それ以上、何も言うことなど無いと態度が語っていた。
「……」
ぎしり。
軋む様な音が心の奥から聞こえた様な気がした。
――――そんな心、どこにも在りはしないというのに――――
「あぁ……此処は、寒ぃな」
ヴィータは肩を抱きしめる腕に力を込め、一人呟いた。
かつてのどこか。暗く、背骨が軋むような、凍結の底。
ヴィータは寒いと、一人嘆いた。
■
――――どれくらい、時間が経ったのだろう。
ゆっくりと瞳を開いていく。
空を仰ぐ。見えるのは振動する瓦礫の山と、割れた天井から覗くひび割れた黒い空。
背にある瓦礫は冷たくて、けれども流れる血は暖かくて。相反する感覚が混ざり合い、いつしか消えて無くなった。
戦況は……どうなったんだろう。
そんなことを思っていると、足音が聞こえた。何をそんなに急いでいるのか、よく分からないほどに慌ただしい二つの足音だ。
そちらに顔を向ける。それだけの行為が、とても億劫で。
――――ああ、もう本当にどうしようもないんだな。
そんな、とうに理解しているはずの思いが来て、何故か笑えた。
見下ろす二対の瞳。血と泥に塗れたバリアジャケット。そして――翻る紅い外套が視界に映った。
く、と声が零れた。思わず、この想いを口にする。
「――よぉ。やっぱりお前らか」
そうだ。この瞬間、目の前に立つのは、やはりこの二人だろうと。
作戦開始前――――いや、もっと前から、何となくそう思っていたことに気がつき、苦笑した。
10 / 我が鉄槌は全てを砕く VITA
新暦81年 七月七日 危険指定世界 黒の世界
螺旋状の階段を駆けるのは、スバル・ナカジマと衛宮士郎と衛宮鈴、そしてヴィータの四人だ。三階、四階、五階――――塔≠フ中にいるのにも関わらず、黒い影≠ェ全く出ないことを不審に思いつつも、頂上にあるはずのロストロギアを目指し、四人は走る。
不気味に脈動する、恐ろしいまでの魔力を肌に感じながら、それでも決して逃げることだけはしないと決意して。
そうして、どれだけ上ったのか、その感覚がなくなった頃。
「おぉぉおおおおぉおおおおおおおおぉぉぉ――――っっ!!」
咆吼と共に、ランサーがその魔槍と共に落下してきた。螺旋階段の中心にある空洞を、大気ごと切り裂きながら。
突然の奇襲にスバルや士郎、鈴は硬直する。それほどまでにランサーの奇襲は突然で、あまりにも威圧的だった。
だが。
――――やっぱり来やがったか!
その奇襲を、最初から想定していたヴィータだけが、止まった時間の中で動いていた。
後何人のサーヴァントが待ち受けているか知らないが、ランサーだけは間違いなく襲ってくる――――そう、寸分の狂いもなく自分を狙って。
それに理由も根拠もなかった。だが、そうなるという絶対の確信はあった。だからこそ、塔≠ノ入った直後、いや、この世界に足を踏み入れる時から警戒だけは怠らなかった。
――最初に出会った時、自分の鉄槌がランサーの宝具によって押し返された時から、こうなることは分かっていたのだから。
「グラーフアイゼン――――っ!!」
鉄槌の伯爵をランサーに向かって振り上げる。突き出された魔槍と衝突し、轟音と衝撃が辺りに散らかされる。
ヴィータとランサーは一瞬、その視線を交わし合う。
「――――」
「――――」
互いに言葉はない。ただお互いの思いが同一であることを確認すると。
同時。にぃ、とどこまでも獰猛な、酷薄な笑みを二人は浮かべた。
交わすべき言葉は無い。交わした約束もない。
二人は、ただ胸の内にある想いのままに。
――――さあ、戦いを始めよう。
◇
ご、とヴィータは思い切り放り投げられ、地面に背中を強く殴打した。床を滑り、痛みが全身を駆けめぐるが、そんなこと関係ないとばかりに立ち上がる。
ランサーにバリアジャケットを掴まれ、そのまま落下。一階まで一直線に落ちるはずだったが、ランサーは途中でヴィータを放り投げたのだ。
周りを見渡す。上へと続く螺旋階段があるだけで、開けた空間がそこにあった。ここが何階であるかはヴィータには分からない。だが、自分がやらなければならない事だけは理解していた。
「行くよ、アイゼン」
その声にいつものように応と答える相棒を手に、自らの敵をヴィータは睨む。
ランサーはゆらりと幽鬼のように、ヴィータの敵意を見下し、笑う。半身を黒に染めながら、その魔槍を構えもしない。
「てめぇ、いや、てめぇらは一体何が望みだ。世界をこんなに滅茶苦茶にしやがって」
問い殺す、と言わんばかりの殺気。
は、とランサーは息を魔獣の如く吐く。
「――――知らねぇ。どうでもいい。つまらねぇ。望みだぁ? お前がそれを知ったところで、何が変わるんだ?」
魔槍を構える。その狂犬じみた双眸が語っていた。
絶殺=B己にあるのは、その意識のみだと。
ヴィータはそれを受けて、く、と口の端を吊り上げた。
「……戦闘狂め。てめぇ、どうやらとっくに手遅れのようだな。――は、何も変わらない、か。そうだな。……どうやらその様子じゃ何言っても無駄みてぇだし。――なら」
ガキン。
カートリッジが装填され、空の薬莢が地面に落ちる。
「ぶち砕いてやるよ、ランサー!」
我が鉄槌は全てを砕く。
それこそが己の存在理由だと。
ヴィータは咆吼し、地面を踏み砕いて、弾丸のように飛び出した。
「はっはぁ、そうだ! ぐだぐだしてねぇで、とっとと来やがれ――――!」
全くの同時、ランサーも魔槍を構え、豹のように駆け出した。
コマ落ちしたかのような世界の中で、獰猛な笑みを浮かべながら。
二人は彗星の衝突の如く、その戦いの火蓋を切った。
◇
一撃。ただそれだけで、ヴィータは彼我の戦力差を理解した。
――――あーあ、こりゃやっぱ駄目だ。
突き出される魔槍。稲妻のような閃光と、自分の鉄槌が衝突した瞬間、ヴィータは心底、そう感じた。
それはあまりにも速く、あまりにも鋭く、あまりに重く、そして、あまりにも華麗で獰猛だった。
何をどうすれば、こんな一撃を放てるのか。その過程。あまりの壮絶さに目眩がする。
人間とは、ここまで強くなれるものなのか。人在らざる『モノ』でしかないヴィータですら――いや、ヴィータだからこそ、そう思った。
人を効率的に壊すだけではない、更にその上の領域。単純な破壊だけではない何か=B神域、と呼ばれる領域に存在するヒトの頂点。
偽物では決して届くことは叶わない、そんな業をまざまざと見せつけられては、正直、ヴィータは笑うしかない。
だからこその理解。自分がどんな攻撃を繰り出そうが、決してランサーには届くことはない。人形は人間にはなれない。その絶望的な差異を前に。
――――それでも、ヴィータは獰猛なまでに笑う。
「はぁ――――っ!!」
槍と鎚、ぶつかり合い、弾かれた衝撃も気にせず、強引にもう一撃を繰り出した。瞬間、第二形態に姿を変えた。
ラケーテンフォルム。ハンマーヘッドの片方が推進噴射口に、反対側はスパイクへと形状が変化。爆発的な魔力が勢いよく吹かれ、ランサーに向かって振り下ろされた。
その速度は豪速を超え、音速すらも超過する。人在らざるモノの、人在らざる一撃。
それを。
「――――ふ」
人でしかない、だがしかし人を遥かに超えた英霊は、僅かに体を反らすだけで回避した。
爆砕。巨大なクレーターが穿たれ、瓦礫が宙を舞う。
その瓦礫を縫うようにして、雷のような一閃がヴィータに向かって撃ち出される。
それに対抗するために――――
――――防御魔法。バリアタイプの一点集中、真紅の宝石の盾がシールドのように展開される。
「……っ!」
辛うじてランサーの刺突を防ぐが、それでも衝撃は相殺できない。衝突の轟音と共に、後方に思い切り吹き飛ばれる。
そして、黙ってそれを傍観しているランサーではない。
一にして十、十にして百の、雨のような刺突。にも関わらず、炸裂する衝突音は、十にも満たない。
それほどの超速で穿たれる嵐のようなランサーの槍。いかに堅牢を誇るヴィータの防御魔法でも防ぎきることは、出来なかった。
ばきん、と。ガラスの割れるような音がして、真紅の盾が砕かれた。
「くは、ははははははは――――! 漸く顔見せやがったなぁぁああああああああ!!」
「――――!?」
ランサーの左腕が、無防備な眼前のヴィータに伸び――――
――――そうして、ヴィータの顔面を中心に、爆炎の華を咲かせた。
「ぐ、――――っづ!!」
ゴム鞠のようにヴィータは地面を跳ねた。だん、と大きな音を立てる。
ランサーは全くの無傷で、それを睥睨する。先ほど爆発をもたらした左腕をぽきぽきと鳴らしながら、正しく狂犬といった笑いを浮かべる。
ルーン。書く≠アとで力を発揮する『力ある文字』。原初の十八の一つ、F≠フ文字を、ヴィータの顔面に直接刻んだのだ。
その効力は絶大だ。クー・フーリンのルーン魔術――本来ならば、頭ごと吹き飛んでいてもおかしくはないが、ヴィータは寸前で防御魔法を展開。辛うじて即死だけは免れた。
だが――――
「……く、そ。左目が――やられたか」
顔面を押さえながら、立ち上がる。ぽたり、と地面に血が滴り落ちた。
左手から覗く顔面の半分は、焼け爛れていた。すでにヴィータの左目はその機能を果たしていない。眼窩から血の涙を流している。
ぎり、と奥歯を噛み締め。
「て、めぇ……!」
ヴィータは残った右目で睨み付けた。
戯けたようにランサーは笑う。
「おいおい、たかだか左目くらいでぎゃあぎゃあ騒ぐなよ。嬢ちゃんとはいえ、此処にいる以上、覚悟はないとは言わせないぜ」
「――ざけんな。んなこと、どうでもいいに決まってんだろ。あたしが怒ってるのはな――――」
ちらり、と横を見る。そこには爆発によって吹き飛ばされ、燃え落ちるヴィータの帽子があった。
「あたしとはやての絆の象徴を――――てめぇ如きにぶっ壊されたことだぁあああああああああああああああああ!!」
灰となっていく『のろいうさぎ』の面影。ヴィータとはやてが初めて家族≠ニなった時の大切な大切な、思い出。
自分が壊されることよりも、それに手を出されたことの方が余程許せないと、ヴィータは咆吼した。
ランサーはその咆吼を受け、実に楽しそうに。
「は――ははは。そうだよなぁ、最低限その程度くらい狂ってなければ、俺の目の前にはいねぇよなぁ――――!」
そう言って、高らかに嗤った。ざ、と魔槍を再び構える。対し、ヴィータは。
「笑っていられるのも今のうちだ!」
がん、と床を踏み砕き、飛翔する。屋内とは思えないほどの広大な空間を利用し、ある程度距離が取った。
片目以前と以後の相違を計算、左眼損傷による距離感の消失を、プログラムの調節によって強引に修正する。しかし、半分になった視界だけはどうにもならない。
……ち――早めにケリつけねぇとやべぇな。けど、近距離戦じゃ分が悪い。
「――――だったら!!」
そう思考し、即座に魔力を右腕に込める。五指に現れるのは、四つの鉄球。真紅の魔力光に包まれたそれを、グラーフアイゼンで思い切り打ち付けた。
ヴィータの誇る中距離誘導型射撃魔法。大気を裂くように走る四つの砲弾。上下左右、縦横無尽、ランサーに牙を剥く。
対し、半身を黒に染める蒼黒の騎士は、ただふむ、と頷く。
噛み砕かんとばかりに襲いかかる四つの牙は、慈悲も容赦もない速度で襲いかかり。
そうして、当たり前のように躱された。
「な、――――」
ヴィータは思わず息を呑む。確かに四つの砲弾は、ランサーに直撃するコースを取っていたはずだ。
にも関わらず、少し体を揺らすだけで、その全てを回避した。牙は大地を抉り、瓦礫が捲り上がる。
「やれやれ……」
ふぅ、と息を吐きながら、ヴィータを見る。
「嬢ちゃん、俺には飛び道具は通じねぇぜ。ま、見えないぐらいの超遠距離だったら話は別だがな」
ヴィータは戦慄する。ランサーの行為。それがどれほどの神業であるか、理解してしまった故。
どんな飛び道具であろうが、物理法則に沿う以上、死角が存在する。どれほど優れた誘導装置であろうと、それは絶対だ。面を全てカバーするほどの絨毯爆撃の場合は、また別であるが、それは戦略的な話であり、戦術レベルでは有り得ない。
ランサーはその死角をヴィータがシュワルベフリーゲンを撃ち出す前に見切ったのだ。銃口から射線を読む――どころの話ではない。銃がこちらに向く前、相手の殺気・視線・筋肉の動き、それら諸々を超々感覚によって読むことによってランサーは死角を見出す。
つまり、相手が視界にある以上、ランサーには飛び道具の類が一切通用しない。それがどれほどまでの神業であるかなど語るまでもない。
――――それこそが、『矢避けの加護』と呼ばれる、クー・フーリンの戦闘スキルである。
冷や汗が流れる。このサーヴァントは、この男は、この人間は、どこまで規格外なのだと。
引き攣った笑顔をヴィータは浮かべた。
「……おいおい、てめぇの方から手の内ばらすなんて、随分豪気なことだな。それが英霊の余裕ってやつかい、ランサー」
「――――――――」
ぎし、と空気が固まった。
その言葉はランサーにとって、一線を越える何かであったと。確かにその双眸が語っていた。
「何、どうせ塩を送るなら、盛大にってやつさ。――――頼むぜ、嬢ちゃん。これ以上、俺を幻滅させんなよ?」
空気はそのまま、挑発するように笑う。
――今のお前は、つまらない。
言外にランサーはそう言っているのだ。
――――いや、なかなかどうして楽しかったわ。名前は?
あの時の炸裂を、もう一度。グラーフアイゼンの必滅の一撃と、自らの宝具の激突。そう、魂の核。
命が激震するようなぶつかり合いを、もう一度――――
つまり、命をかけろ、とランサーは語っている。
ぎし、と拳を握りしめる。その言葉はどこまでも嘲笑の類だ。
お前は何のために此処にいるのか、と。何故、手を抜いたような真似をする、と。
お前は日和った臆病者なのか――――と、その瞳が問うているのだ。
無論、ヴィータにそんな意識は無い。
自分は全力で戦っている。侮辱するつもりか、とヴィータは奥歯を噛み締めながら思う。
――私は何時いかなる時でも全力だ。はやてのためなら命すら惜しまねぇ。それが誇りだ。守護騎士・ヴィータとしての誇りだ。
それを否定することは決して許さない――――そう口にしようとして。
「――――……」
瞬間、ある言葉が脳裏にフラッシュバックし、全てが反転した。
でも、私は皆に死んで欲しくない。世界を救うために死ね、なんて言えへん。……――皆、駄目だと思ったらすぐに逃げてくれ。これは命令なんかじゃない。私個人の、傲慢な願いや
――――そんな極上の、綺麗な、綺麗な言葉。
ヴィータはふ、と力なき笑みを浮かべた。泣きたくなるような切なさが胸に溢れて止まらなかった。
「ああ――そうか。なるほど、てめぇの言うとおりだ、ランサー」
全力で戦っていた――その事実には変わりはない。だが、意識の深層では、どこか躊躇いがあったことにヴィータは気付いた。
考えてしまったのだ。この戦いの果てに待ち受ける結果――――それがどんなものか、分かっていながら。
皆皆、救われて、誰一人欠けることなく、幸せな日々を送っていける。
終わりたくないという、そんな幻想。
決して叶うことはない望み、それがヴィータの意思を僅かに鈍らせていたことに、ようやっと気付いた。
……分かっていただろう? ヴィータ、お前にそんな言葉は身に余ると。お前が抱いている、その願いは叶えてはいけないものだと。絶対に、叶えられないものだと。
こいつは、危険だ。戦えば必ず――――す。そんな奴をはやてや他の奴らに任せるわけにはいかねぇ。ならば――
は、――――面白ぇ、今度こそ砕いてやるよ。その気にくわない面を――――てめぇの槍ごと、粉々に、な
そうだ。初めから全て理解していたはずだ。目の前に立つ男は自分の敵に他ならない。相対するのは他の誰でもない。誰にも譲ってはならない。他のサーヴァントなんて視野に入らない。チップを払わずテーブルにつくなど、なんて烏滸がましい。なるほど茶番だ。そんな三流以下の人形劇、ランサーが呆れるのも無理はない。ならば賭けるチップとは何だ。聞くまでもないだろう、馬鹿かお前は。そんなものは最初から分かっているのに。
認識を変えろ。精神を引き絞れ。
そうだ。
この男だけは、こいつだけは――――私の。
分かってるよ。守ってみせるさ。――何に代えても、あいつらを、大好きな人達を、私達が
――――私だけの、敵なのだから。
私達は、守護騎士は、己の全てを賭けて、この世界とそこに生きる大好きな人達を護りきることを――――この夜に、誓う
ばつん。
小気味いい音を立てて、ヴィータは自らの髪留めを外した。たなびく赤い髪は燃えさかる炎のよう。
掌の中にあるのは夜天の誓い。ぎちり、とそれを握りしめ、離した。
護るべきはそれだ。それ以外は全部余計なことなんだ。
「そうだな、その通りだ、ランサー。何もかもがてめぇの言うとおりで、何もかもがてめぇの思うとおりだ」
選べ。主の言葉を護るか、主の守護を貫き通すか。
両方なんて選べない。選べるはずもない。現実は常に非常だ。何かを手に入れるには何かを捨てなければならない。二択、というのはそういうことだ。
なら――考えるまでもない。守護騎士として、取るべき選択肢は、たった一つしかない。
そうして、顔面に手を掛け――――
「……――――悪かったな、ランサー。これが私の全力全壊だ」
――――その『仮面』を剥がした。
殺傷許可、解放。
がきん。撃鉄が落ちて――――燃え上がるような黒い瞳が、相貌に宿った。
八神はやてを主とした時に決めていた制約。命を奪わない=B蓄積された殺すためだけの技術・その衝動≠フ封印を、今、解放したのだ。
ヴィータの体が、意識が、プログラム単位で書き換わる。魔力量が上がるわけではない、身体能力が上がるわけではない。しかし、それは戦場において紙一重以上の差となる――――
ご、と殺気が膨れあがった。まるでそれそのものが物質化したかのような圧。
砕かん、とばかりの殺気だが、しかし、ランサーはむしろ心地よいと、涼しげに受ける。
ヴィータは静かに口を開き――――
「――――行くぜ」
「――――来いよ」
戦闘再開の口火を切った。
瞬間、赤い魔力がヴィータの体が立ち上った。リンカーコアが回転する。魔力素が魔力へと変換され、全て打撃と加速に注ぎ込まれる。
爆ぜた。
宙から叩き付けるようにグラーフアイゼンが振り下ろされる。その速度、ランサーとて早々に捉えられるものではない。
しかし、それでもランサーは回避する。戦場において、捉えられない攻撃など日常茶飯事。それを凌駕してこその英霊の座である。
ばがん、という轟音と共に先ほどとは較べられないほどのクレーターが穿たれた。
振り下ろしきったその隙に、ランサーの魔槍が突き出される。閃光じみた一撃が、ヴィータの顔面に走る。
「アイゼン――――!」
無論、そんなものは読んでいる。クレーターを穿つ直前、カートリッジが吐き出され、ハンマーヘッドの後方、ブースターに火が付き、更なる加速を生む。
クレーターを穿ってもなお止まらず、そのまま地面を削り取るように回転。ランサーの魔槍を回避する。
何かに気付いたのか、ランサーはバックステップ、距離を取る。
が――――
「遅ぇええええええええええええええ――――――――!!」
咆吼一つ、ヴィータは更に加速し、その間合いを詰め、アイゼンを叩き付けるために右から左へ振り抜く。
先ほどの攻撃は避けられるということを前提にした布石だ。本命はこの一撃。刹那の動きの中で生まれたそれは、ランサーといえど躱せるものではない――――
――――そう確信した直後、ヴィータは自身の肋がへし折れる音を聞いた。
「ずっ――――!?」
吹き飛ぶ体。流れる視界の中で、ヴィータはその姿を見る。
ランサーもまた振り切っていた。左から右、ヴィータの一撃と対称となるかのような姿勢だった。
だん、と地面に打ち付けられ、激痛が走る。火花が散るような視界の中で、ヴィータは思考する。
――……この野郎、あんな短い時間で読み切ったっていうのかよ……!
布石を躱した直後、次に来る攻撃が本命と読んだランサーはその時点で防御を捨て、相打ち狙いで槍を振ったのだ。
その判断の速さにヴィータは舌打ちする。
最早ランサーの反応速度は人間のそれではない。戦うために生まれた、人の理の外にいるはずの自分と同等――どころか、既に凌駕しているかもしれない。電流を超えた超速の反応速度。
その事実にヴィータは改めて戦慄した。
サーヴァントというものは、英霊というものは、ここまで規格外なのか、と。
――――人間という存在は、ここまで強くなれるのか、と。
目の前にいる『モノ』は、人間としての可能性を、とことんまで煮詰め、高めに高めた存在だった。
人として限界まで高めた生命と、人を超えるべくして生まれた疑似生命。
だからこそ、私には相対するべき意味があるのだ――――と思い、血反吐を吐きながらヴィータは立ち上がる。
そして、それはランサーも同じだった。
「は――――なるほどな。一撃の重さはお前の方が上、か」
ヴィータと同様に、ランサーもこふ、と血を吐きながら言った。
先ほどの一撃は、やはりランサーといえども躱せるものではなかったのだ。相打ち覚悟だからこそヴィータへ一撃を見舞うことが出来たのである。
しかし、そこは英霊。直撃は辛うじて避けた。にも関わらず、骨が折れ、内臓が掻き乱されるような衝撃がランサーを支配している。
僅かに掠った程度で、このダメージ。直撃すれば、さしものランサーといえど一溜まりもない。
つまり――――これはそういう戦いだった。
スピードのランサー、パワーのヴィータ。一撃当てることが出来ればヴィータの勝利、それを捌ききればランサーの勝利。そんな単純明快な構図だった。
にぃ、とランサーは楽しくて仕方ない、とばかりに獰猛な笑みを浮かべる。
「はははははははっ! やはりお前は俺が見込んだとおりの奴だ。あらゆる壁を越え、理論を駆逐し、確率を覆し、俺の心臓に刃を突き立てる――愛しくて憎らしい怨敵様よぉ!」
笑う。嗤う。高らかに、狂ったように嘲笑う。
この状況が楽しくて仕方ない、と言わんばかりの大声で、ひたすらに。
「……――――」
ぎらぎらとしたその表情をヴィータは見た。
――――こいつ。
今の言葉は、決定的だった。漠然とした思いが、今、確信となって言葉となった。
ふぅ、と一つ、大きく息を吸って。
「お前――――本当は、狂ってなんかいないだろ?」
戦いの初めから、ずっと感じていたその違和感を口にした。
ぴたり、と哄笑が止んだ。それは正に時が凍った瞬間だった。
殺気すらも消え失せた完全な凪の時間が、二人の間に流れる。
ヴィータはズタボロの体を奮い立たせ、そして、それとは正反対な強い視線で、ランサーを見つめた。
「最初から、何か違和感があったんだ。だけど、ようやっと分かったよ。てめぇは戦いを愉しんでいるんじゃない」
手遅れだと思っていた。この男は戦いの狂騒に飢えた、これ以上ないほどのバトルジャンキーだと、確かに思いこんでいた。
だが同時に、そうだと断言するには何故か違和感が消えなかった。まるで喉に突き刺さった魚の骨のような、何か変だ――という違和感。
単なる戦闘狂とは、何かが違う――その感覚の正体が、今、はっきりと理解できた。
そう、ランサーは戦いを愉しんでいるのではなく――――
「――――誰かに、自分を止めて欲しいんじゃないか?」
そのために、狂った振りをしていたのではないか――――と、ヴィータは問うた。
元より戦力差ははっきりしているのだ。いかに一発当てれば逆転できるとはいえ、速度と技量が違いすぎる。当たらない攻撃に意味はないのだ。
にも関わらず、今、ボロボロの体を引きずって、しかしヴィータは此処に厳然と立っている。重傷であることには違いないが、今すぐ死ぬというわけでもない。
振り返ってみれば、ランサーの攻撃は、わざわざ致命傷を避けていたようにも思えるほどだ。
そして、こちらの覚悟を促すような仕草――どれも戦闘狂には似合わない。
決定的だったのは、やはり先ほどの言葉だった。
あらゆる壁を越え、理論を駆逐し、確率を覆し、俺の心臓に刃を突き立てる――愛しくて憎らしい怨敵様よぉ!
今という時において、この言葉。これではまるで――――
「まるで、死にたがっているように見えるぜ……ランサー」
どこか悲しげな顔で、ヴィータはランサーに告げた。
「……………………………………………………」
対し、ランサーは無言だ。俯き、顔は影で隠れ、ヴィータにその表情を伺うことは出来ない。
ごご、と振動が起こり、塔¢S体が震えた。他の六課隊員が今も戦っている証なのだろう。
その事実が、ヴィータには、どこか遠い世界のものとして感じられた。
幾ばくかの時間を置いて、ランサーは僅かに体を弛緩させ、口火を切った。
「……それを知って何になる。最初に言った通り、俺がその理由を口にしたところで、何が変わる?」
「そうだな。何も変わらないかもしれない。結局、戦うという結果に変わりはないのだとしたら、きっと何も変わらない。でも――――もしかしたら、何かが変わるかも知れないだろう?」
『闇の書』としてあった頃なら、こんな問答は一切無意味だと思っただろう。だが、今は違う。
脳裏に過ぎるのは、十年以上前の、とある光景だ。
――――悪魔でも、いいよ。悪魔らしいやり方で――――
苦笑する。彼女≠フ真似事をしようとする自分を、どこか滑稽と思いながら。
「――――聞かせろよ。お前の、お話を」
ランサーもまた、苦笑いを浮かべた。震える半身を、強引に押さえつけながら、その口を開く。
「ま、話す事なんて特に何もないんだがな。お前の言うとおりだよ。俺はもう、戦いたくない。疲れたんだ、色々とな」
空を仰ぐように、天井を見上げる。
「戦うことは好きだ。それがギリギリの戦いなら尚更だ。元より――俺は『死力を尽くした戦い』がしたくて、それが望みで召喚に応じたんだ。だからよ、今更それを否定するつもりはねぇ。けどよ、俺は――こんな、ただ蹂躙するだけの戦いなんて、望んでいなかった」
引き絞るようなランサーの声。ヴィータはごくりと息を呑み、問う。
「待てよ、じゃあ何だ。お前らは、サーヴァントは、自らの意思で戦っていねぇのか。ただ戦わされていると、そう言いてぇのか?」
「……ああ、その通りだ。あの王様やアサシンのように、開き直っている連中もいるがな。だが、基本的に誰も好きこのんで、こんなことやっているわけじゃねぇんだ。お前も坊主から聞いているだろう?
――――聖杯。始まりの、天の杯のことを。俺たちは皆――アレに支配されている。更に言うなら、アレに宿る、一つの意思にな」
これがその証明だ――――と黒に染まった半身を指す。
「俺たちがどんなに抗おうとも、意味はない。こうして自我こそ残っちゃいるが、架空要素で構成された体だけはどうしようもねぇ。ただ、戦え∞滅ぼせ=Aとずっと命令されている。俺たちサーヴァントは、サーヴァントである以上、それに抗うことは出来ない」
サーヴァントは令呪によって支配される。かつて衛宮士郎が体験したという、聖杯戦争のごく基本的なルール。
ヴィータは僅かに息を呑む。聖杯戦争のルールは、士郎から聞かされていた。しかし、まさか令呪というものがここまで強制力を持ったものだとは思っていなかった。
――――……これが、聖杯の力……!
その力は既にロストロギアといったレベルを超えている。超常の力と人の意識で構成されたシステム――その途方の無さに戦慄する。
「俺たちは、俺は、ずっとそんなことを繰り返してきた。数多の世界を滅ぼすために、幾万の人間と人間でないモノを殺してきた。時には真正面から、時には奇襲で、時にはだまし討ちで――――考えられる、ありとあらゆる方法で、殺しに殺しを重ねてきた。そこに俺の意思なんか、欠片ほどもなかった……! 禁戒も糞もねぇ、ただ殺し、殺されてきたんだよ。殺された、と思った瞬間、また次の世界だ。
――そうやって、もう何回繰り返したかも分からねぇ」
それは幾百か、幾千か、幾万か、あるいはそれすらも上回るか。
ただ殲滅の道具として、振るわれる力――――それが英霊というものの本質だとしても、そのベクトルは全くの逆だ。
人の世を救うための抑止力ではなく、人の世を滅ぼすための殲滅力。
今のランサーは文字通り、ある一つの意思≠フ奴隷に過ぎなかった。生涯破らぬと誓った禁戒は悉く蹂躙され、もう殺したくないと願っても殺し続け、そしてそれを見ていることしか出来ない自分。
意識を奪い取られた単なる人形だったら、どれだけ良かったのだろう。しかし、厳然として自我はあり続ける。タチの悪いことに、令呪というものは意識を支配するのではなく、体を支配するモノなのだ。
殺したくない、と思い、殺してやる、と思わされる。二つの想いは矛盾しながらも同居し続け、精神を磨り潰す。
理由もなく、自由もなく、殺したくもないモノを殺し続ける永劫の螺旋。抜け出すことは、決して叶わない。
故に――――
「――――俺は、狂いたかった。戦いを欲し、戦いに飢え、戦いに狂う、そんな戦闘狂に、俺はなりたかった。だが、それだけはどうしても出来なかった。……どうしても、出来なかったんだよ」
誇りがあった。誓いがあった。英霊としての誇りではなく、一人の人間としての誇りがあった。赤枝の騎士として、師と、友と、妻と、子と、敵と交わした誓いがあった。
いかに禁戒が破られようとも――――それを裏切ることだけは、出来なかった。
理由もなく、自由もなく、ただ殺すしかないというのなら、せめて、殺したモノの顔だけは覚えていようと思ったのだ。
「だから――――止めて欲しいと思ったのかよ。自分で止められないなら、せめて誰かに――――……」
「そうだ。俺には、もうそれしか残っていねぇ。……まぁ本来なら、あの坊主の役割なんだが、今はあの体たらくだろ」
「私は……その代わり、て訳かよ」
「……ああ。お前なら、きっと俺を殺してくれる――そんな気がしたからよ」
ごごん、とまた塔≠ェ震えた。階下、あるいは階上での戦闘は、更に激しさを増しているようだった。
ランサーの述懐は、正に懺悔だった。しかし、ここは教会ではない。決して解決されない重い独白は、澱み、空気を重くしていく。
ふ、とランサーは笑った。
「だから言っただろう? 何も変わらない、と。今も俺は聖杯の支配を受けている。何時お前に――――」
そう呟いた瞬間。
「――――……てめぇ、ふざけんなよ」
ランサーの言葉を粉砕するかの如く、ヴィータの怒りに震えた声が、空間に響いた。
拳を握りしめ、噛み砕かんとばかりに奥歯を噛み締めた。勢い余って、血反吐が口から流れるが、そんなものどうでもいい。
「要するに、てめぇは嫌々私と戦っていたってことかよ。何言い出すかと思えば、人には全力で戦え、命を賭けろ、なんて言いながら、その実、てめぇはそんななのかよ! おまけに私がエミヤの代わりだぁ? あんな突撃へっぽこ馬鹿と一緒にするなんて、ふざけんなよ!」
火の付いたようなヴィータの激昂に、ランサーは驚きのまま固まっている。
「私は嬉しかったんだ。お前は確かに人を殺した重罪人だけど、強い。強い意志と力を持った奴だ。そんな奴に騎士だって言われて、認められて――私は、嬉しかったんだ……!!」
――――お前も騎士か、覚えといてやるよ――――
自分と対等だ、と言われて、仮にそれが何気ない、遊びのような言葉だったとしても、ヴィータは嬉しかった。不謹慎だと思いつつも、その気持ちに嘘はつけなかった。
人間の頂点である英霊に、疑似生命である自分が認められた。そのことがどうしようもなく嬉しかったと、ヴィータは言った。
……あるいは、それがあるからこそ、ヴィータはランサーに固執したのかも知れない。
肋は砕け、顔面の半分は焼け爛れ、バリアジャケットなどまるで襤褸雑巾だ。それでもヴィータは力強く仁王立ちし、親指で自らの胸を指した。
「私は私だ! 他の誰でもねぇ――――守護騎士の、ヴィータだ!!」
吼える。口角から血の泡を飛ばしながら、ヴィータは自らの存在を声高々に宣言した。
「だからよ、お前もお前として、戦っていいんだよ。サーヴァントとしてじゃなく、一人の人間として、私と戦ってくれ。――――私を騎士と認めた言葉。今更無かったことになんかさせねぇぞ」
ヴィータにとって、この戦いだけは無意味なモノにさせたくなかった。
故に誰かの代わりとか、戦いたくないとか、そんな対等ではない関係など許容できるはずもない。
ヴィータは厳とした顔で、そうランサーに言い放った。
「く、くくくくく。そうか、その通りだったな……。ああ、そうだ。俺はお前のことを――確かに騎士と呼んだ」
ランサーは、その時のことを思い出していた。
戦いに倦み、諦観に満ち、最早全てが投げやりになっていた。ただ狂えないことだけが苦痛で、狂った振りをすることだけが全てで、それ以外のことはもう目に入っていなかった。
――――けれど、振り返ってみれば。
確かにあの時、自分は僅かに楽しい≠ニいう感情を抱いたりはしなかったか。
いや、なかなかどうして楽しかったわ。名前は?
果たして、あの言葉は全て偽りだったと断言できるだろうか。
一瞬たりとも戦いの昂揚を感じなかったと断言できるだろうか。
「ああ――確かに、俺はあの時、楽しかったのかも知れねぇ。そうだ、お前なら、きっと――――」
ランサーは自身の感情を探るように、目を伏せた。
そして。
「――――俺に満足な戦いをさせてくれると、そう思ったんだ」
いつしか捨て去ったはずの、そんな感情を口にした。
望まぬ殺戮を重ね続けた自分では、決して叶えられない望み。だけどランサーは、ヴィータにそれを見出したと、そう言ったのだ。
ヴィータは、にやりと笑った。得も言われぬ充足感が体に満ちあふれていくのを感じた。
肋は折れ、片目が潰れているという重傷の筈なのに、今なら何でも出来そうだと思った。
対し、ランサーもまた笑っていた。まるで小枝でも振るうかの如く、魔槍を振り回す。そうして、槍の穂先を地面に向けた。
四隅にルーンを刻む。ARGZ、NUSZ、ANSZ、INGZのルーンだ。
ヴィータは僅かに身構えるが、そこに魔力の動きは無かった。ただ変化があるとすれば。
「これはな、四枝の浅瀬≠チて言ってな。俺の故郷に伝わる、まぁ呪いみたいなもんだ」
そう口にしたランサーの半身の黒が、何かに追われるように少しずつ退いているくらいだ。
「その陣を敷いた戦士に敗走は許されず」
あるいは、これこそがランサーの刻んだ魔術の真価だったのかも知れない。
「その陣を見た戦士に退却は許されない」
ざざざ、と潮のように退いていく黒色=B
ランサーは顔を上げて。
「――――俺たち赤枝の騎士団に伝わる、一騎打ちの大禁戒だ」
聖杯戦争当時の――あるいはかつて戦場を駆け抜けた時の――十全たる体で、その覚悟をヴィータに放った。
蒼黒ではなく、ただただ蒼い痩躯。何者にも縛られない、在りし日のクー・フーリンが、ここにいた。
きっと、それは一つの奇跡だった。サーヴァントなら決して抗えないはずの令呪。
対魔術に特化したセイバーですら逆らえないその声に、ランサーは抗い、そして抑えきった。
恐らく、後数分も持つまい。しかし、確かに今、ランサーは自由だった。
ランサーの背筋にぞくぞくとした高揚感が走る。
懐かしい感覚だ。ギリギリの戦いに臨んだ時に来る、あの感覚だ。
かつて自分はこれを求め、そして結局は得られなかったモノ。
それが今、この場、この時にある。そのことが嬉しい、楽しくて堪らないと、ランサーは快活な笑みを浮かべた。
魔槍を構える。どくんどくんと主に応えるように脈動する。
「行くぜ、アイゼン」
言って、ヴィータもまた両手で相棒を構える。
応、とアイゼンも声を放ち、主に呼応する。
装填されたカートリッジが連続して音を立て、薬莢が地面に落ちていく。その数、五、六ではきかない。
耐久限界を大幅に超えた装填数に、ぴしぴしと無数のひび割れが出来ていく。
けれども、アイゼンは何も言わない。ただ主に応えたいがために、己の限界を超えていく。
その想いが分かっているからこそ、ヴィータも何も言えないのだ。
自分のことは気にするな、存分にやれ――――そんな相棒の心遣いをどうして無下に出来よう。
だから、ヴィータは想いのまま。ランサーが告げた一騎打ち≠ニいう言葉に心躍るまま。
「これでようやく、私とお前は対等だ」
ずっと待ち望んでいた言葉を放った。片目は潰れ、肋が折れ、鉄の味が口の中に絶えずある――そんな状態のヴィータだが、しかし、確かにこと此処にいたり、両者はどこまでも対等だった。
「ああ、お前は間違いなく、俺の『敵』だ。俺だけの『敵』だ」
ランサーが、その声に応じる。自分も同じように、この瞬間を待ち望んでいたと。
四枝の浅瀬≠ヘその証だ。
そして。
「我が名はヴィータ。主はやてを護る守護騎士が一人、鉄槌の騎士・ヴィータ」
「我が名はクー・フーリン。誇り在る赤枝の騎士にして、魔槍ゲイ・ボルグの担い手、クー・フーリン」
意気揚々と、高らかに改めて名乗りを上げた。
ヴィータは今まで一番の心の高ぶりを感じながら、言葉を放つ。
「……最後に一つ質問するぜ。お前達を支配している意思≠チてなんだ。聖杯に宿っているという、一つの意思≠ニは何なんだ。ソレが私達の世界を滅ぼそうとしている、糞ったれた元凶なんだろう?」
ランサーは、余分なことだと知りつつも、静かにその答えを告げる。
それは絶対悪。最も古き悪心。人に望まれ、人に拒絶された、矛盾を内包する真実の魔。救罪の反英雄。悪性の力の渦。
その名――――
「――――この世、全ての悪=B
三千世界、全ての憎悪を喰らった、世界を滅ぼすモノ≠セ」
「……」
それだけ聞ければ十分だった。
ヴィータは頷き、ランサーもまた同様に首肯した。
「さぁ、始めようぜ。クー・フーリン。私とてめぇの、最初で最後の『戦い』を」
「受けて立つ。鉄槌の騎士・ヴィータよ、お前が我が槍を打倒するというのなら――――」
クランの猛犬はその名の通り、獰猛という言葉をそっくりそのまま体現したかのような本当の笑みを浮かべ。
「恐れずしてかかってこい――――!」
塔¢S体を振るわさんと、獅子吼した。
ヴィータも同様に笑い。
「やってやるよ、ランサー――――!」
咆吼し、踊るように飛び出した。
◇
この戦いを望み、追い求めた時間は永劫。しかし、決着する時は刹那以下の一瞬だった。
それも当然。
サーヴァントの全力は宝具の解放にこそある。なれば、その決着が一瞬で着くのは自明の理。
ましてランサーの宝具は、こと対人という観点から見れば、『最強』と呼んでも差し支えないのだ。
放てば必ず心臓を穿つ魔槍。因果すらもねじ曲げる、千棘の一撃。
それから逃れる術は無く、文字通り必殺の技だ。
――故に。決着は、瞬間の一撃で、全てが決まる。
ランサーは周囲の魔力素を注ぎ込み、その槍を起動させた。留まることを知らない魔力の暴喰は、やがて一点に収束していく。
駆けるヴィータを視界に納めながら、ランサーは死を宣告する。
「――――その心臓、貰い受ける――――」
「……――――!!」
ヴィータはその宣告をも叩き壊さんとアイゼンを思い切り振り上げる。
そして行われるのは限界を超えたカートリッジの装填。それに狂ったように廻転するリンカーコアが加わり、相乗効果により、ランサーをも凌駕する莫大な魔力が生まれる。
真紅色の魔力光が、全身から飛沫いた。
描かれるベルカ式魔法陣。展開されるのは正面と、アイゼンの槌の部分だ。
限界以上の魔力が込められた体とデバイスが軋みを上げる。その様はエンジンが暴走しても、なお加速する車のようだ。
半分になった視界で、昇順を焦るかのようにランサーを見る。
すると、ランサーの口が動いた。
「――――刺し穿つ」
魔力が込められた言霊は、魔槍の真名を紐解いていく。
ヴィータもほぼ同時。
「我が鉄槌は――――」
その詠唱を告げた。全身から漏れる真紅色の光が、正面前方と、アイゼンに収束していく。
アイゼンに収束した魔力はそのまま先端に螺旋状となって物質化した。
ランサーとヴィータの視線が絡み合う。
互いの距離は既に両者の間合いの中。
永遠とも感じる、長いコンマ零秒の世界で――――
「死棘の槍=\―――!」
「――――全てを砕く=I」
斯くして、決着の一撃は放たれた。
ランサーの一撃……刺し穿つ死棘の槍=B因果逆転による必中の槍。音速すらも超過する速度で、一直線に心臓に向かっていく。
ヴィータの一撃……我が鉄槌は全てを砕く=B本来ならばリミットブレイク状態で放つ最大最強の破壊の鎚。それを強引に通常サイズで再現させた一撃だ。負担は格段に大きくなったが、面積が小さくなったことにより、一点への破壊力は増している。魔力をブースターの方へ多めに回すことにより、その速度も増す。
先に届いたのはランサーの魔槍だ。だが、その軌跡は心臓を穿つ直前、展開された魔法陣によって阻まれていた。
互いに軋みながら拮抗する槍と陣。その隙に、ヴィータは負荷によって砕けていくアイゼンを、ランサーに叩き付ける。
その時、ばきん、とガラスが割れるような音と共に、陣が砕かれた。
「っ――――!!」
阻むモノが無くなった魔槍は、そのまま一直線に伸びる。
時間が凝固していくのを、二人は知覚した。
コマ落ちしていく世界。
突き出される魔槍。
振り下ろされる大鎚。
届け、と思うのは、果たしてどちらか。
ああ――やっぱり駄目だったか。
思い、瞬間。
――――ずぶり、と寸分違わず、魔槍は綺麗にヴィータの心臓を穿った。
◇
ばぐん、と突き刺した魔槍の穂先が千の棘となり、内側から他の内臓もろとも心臓が破裂した。
血が胸から間歇泉のように噴きだし、全身の魔力が霧散。振り下ろされる大槌は途中で力を失い、だらんとだらしなく腕を下げた。
槍の突き出しと大鎚の振り下ろしでは、前者の方が速い。最短距離を真っ直ぐ来る槍に対し、大鎚は弧を描くような軌跡で来るからだ。
その時間差を、ヴィータは陣で阻むことによって、限りなくゼロにしようとした。
放てば必ず心臓を抉る一撃。それを無効化するには、自身に届く前に術者を倒すしかない。そう考えたのだろう。
恐らくは、衛宮士郎によってもたらされた情報によって、こちらの宝具のことを知ったのだろうが――目算が甘かったな。
ランサーは思い、少しだけ、残念だ、と感じた。結局、あまりに呆気ない幕切れだったな、と寂寞の思いが沸き上がる。
しかし、それも仕方のないことかも知れない。英霊たるサーヴァントに、最終兵器である宝具を使わせただけでも健闘したと言えるのではないか。
刹那の中で、そうヴィータのことをそう評し、槍を引き抜こうとして。
――――瞬間。
その腕が、全く動かないことに、ようやっとランサーは気がついた。
目を見開く。顔を上げたそこには。
血をだらだらと吐き出しながら、それでも狂ったような笑顔が――――
「捕まえた」
ぞっとする声音。
ヴィータは心臓を突き穿たれながらも。
魔槍を左腕で掴み取り、強引に固定していた。
「馬鹿な。心臓を穿たれて、何故!?」
ということは。
つまり。
何を意味するのか。
……こいつ、まさか最初から、この一瞬を狙って――――
「ぶっっっっちぬけぇえええええええ――――――――!!」
そのことに思い至る暇もなく。
ヴィータの一撃はランサーの体を、言葉の通りにぶち抜いた。
我が鉄槌は全てを砕く――――正に、宣言通りの結果だった。
◇
守護騎士は人ではない。プログラムによって形作られた人間の模倣品だ。
その体と意思は全てプログラムで制御されている。そこに人体の常識は通用しない。
故に心臓が穿たれても、なおヴィータは動くことが出来た。そして、自分が勝つとするならば、この瞬間しかないと言うことも分かっていた。
ヴィータは最初から、この結末は理解していたのだ。ランサーの宝具が何なのかを知ったときに、全てが繋がった。
――――まるで自分にあつらえたかのような敵じゃないか、という理解。
戦力差が絶望的でも、なお戦わなければならない理由がそれだった。無論、それだけではないとしても。
斯くして戦況は、ヴィータの思うとおりの結末となった。
それを勝利と呼ぶべきか、誰も分からないまま、戦闘は終わった。
振り下ろされた鉄槌。左肩から入った一撃は、単なる打撃に終わらなかった。そのまま先端のドリルによって、穿ち、肉片を巻き込み、骨を砕き、内臓をぶちまけ、サーヴァントの心臓をも壊し、それでも止まらず、床を砕き、破砕の雨が降った。。
サーヴァントとしての核を失ったランサーに、顕現し続けられる道理はない。それほどの衝撃、ダメージだった。
――ああ、俺は、負けたのか――
体が消滅していく中、漸くその思いが来た。そして思考する。
何故負けたのだろうか、と自分自身に問いかけた。
答えは、一瞬で出た。
恐らく、あの時が致命的だった。心臓に槍を穿った瞬間、自分はそれで勝ちだと確信してしまった。
それは驕りだろうか。それとも油断だろうか。だが、それら全てはランサー本人が嫌悪する負け犬の遠吠え≠ノ過ぎない。
戦場において、たらればに意味はない。戦場というものは、そういうものだ。
懐かしい感覚だ――そう思い、緩やかに笑った。
その時、ランサーの脳裏に、とある光景が過ぎ、一つの言葉が閃光のように目蓋を焼いた。
『――私は、おまえに殺してもらいたかったのかもな――』
それは影の国、一人の女の最後。師と仰ぎ、そして愛した女の最後だ。
あの女もまた、今の自分と同じように、戦いに倦み疲れていた。武芸に秀で、魔道に精通し、人と神と亡霊を切りすぎた、既に自分で死ぬことすら出来ない運命の女。
くくく、と笑った。なんて因果だ、と自嘲する。
果たせなかったいつかの悔いが、呪いとなって自分に跳ね返ってきた。
これが罰なのか、と自らに問いかけた瞬間。ランサーは、血だらけのヴィータの顔を見た。
――――お前の地獄は必ず終わらせる。だから、安心して眠れ――――
隻眼の少女の瞳は、確かにそう語っていた。
……心臓を貫かれて血まみれの女が、何言ってやがる。
ランサーはそう思うが、しかし、ヴィータの瞳は、なお雄弁に語る。
言葉ではなく、想いで。
厳然とした強い、強い意志が、そこにあった。
あまりに強いその想いが、既に消滅したはずの胸を締め付ける。
……ああ――上等だ。俺には、上等すぎる最後だ……!
最早ランサーの体は殆ど消え去っている。だが、せめてと思い、僅かに残った口を動かす。
「お前――いい女だな。じゃあ、一つ――頼むわ」
消え滓のような言葉だが、確かにそれはヴィータに届いた。その証明のように、頷き、笑みを浮かべる。
そのことに満足したのか。
――――どうやら少し、寄り道が過ぎたようだ――――
愛した女によく似た豪快な笑いを浮かべ、ランサーは完全に消滅した。
ヴィータはそれを見届け。
「は――――今更気付いたのかよ。ったくよぉ、感謝の一つもねぇのか。ありがとうくらい言えよ、馬鹿野郎が」
言葉とは裏腹な、そんな表情で笑った。
そして。
がしゃん。
ぶつん、と糸が切れたように、そのままヴィータは膝を崩し、その意識を手放した。
◇
それから、幾ばくかの時間が過ぎ――――
ごごん、という崩壊の音で、ヴィータは目を覚ました。
胡乱な瞳は、未だ夢の中に居るかのようだ。
そのまま空を見上げ、ふぅ、と息をついた。
振動は止まない。聞こえるのは壁が崩れ、瓦礫が落ちる音と、かたかたと破片が震える音だ。
塔≠ェ、崩壊を始めている。
……戦況はどうなったのだろう、とヴィータは思うと、その時、崩壊とは違う別の音を聞いた。
速く連続した音――二つの足音だ。
ヴィータは酷く億劫そうに顔を音がした方に向ける。
『その人物』を視界に捉えた途端、く、という音が喉から漏れた。
「――よぉ、やっぱりお前らか」
ヴィータは、分かっていた、とばかりに笑った。
息を切らしながら、ヴィータを見下ろす二人。
衛宮士郎と、スバル・ナカジマだった。
「んだよ、そんな顔して。お前らだって、ボロボロじゃねぇか」
「ヴィータ、副隊長……」
「……――――」
沈痛な面持ちのスバル。バリアジャケットは、その殆どが裂け、血が滲んでいる。
何より目に付くのは、左腕がないという事実だ。ジジ、と機械の断面が露出し、火花を散らしている。また右手のナックルスピナー、両足のマッハキャリバーは、共に軋み、ひび割れが走っていた。
そして。
「それが、お前の本当の姿か……エミヤ」
「……ヴィータ」
苦虫を噛み潰したような顔の士郎。その姿は、最後にみたものとは大きく変わっている。
燃え上がるようなオレンジ色の髪の所々に白髪が交じり、水分を失ったようにかさついている。身に纏うのは、黒い鎧と――紅い外套。
そして何より異常だと分かるのが――左腕と胸の部分。そこから何か、得体の知れないモノが生えている。
その姿はどこか、映像で見たアーチャーというサーヴァントに似ていた。
それが何を意味しているのか、考えて。
「――――ま、んなこと、どうでもいいか。それで、戦況はどうなった?」
棄却し、今聞くべきことを聞いた。
「……時間が無いから手短に言うぞ。――――ミッドがヤバい」
「もうこの世界は持ちません。他の人達は皆ミッドの方へ向かいました。私達も早く――」
士郎とスバルは顔に焦燥を浮かび上がらせながら、そう捲し立てた。
……どうやら、自分が思っていたよりも戦況は逼迫しているようだ。
はやてやシグナム、ナンバーズは、一体どうしたのだろうか。いかなるサーヴァントとて、あの防衛網を簡単に破れるとは思えないのだが……。
それともエミヤが危惧しているのは現在の戦況ではなく、そうなる≠ニいう確固とした予測の戦況……?
そこまで考え、ヴィータは口を開いた。
「だったらさ、早く行けよ。――私なんかに構ってなんかいないでさ」
言って、笑った。
「……っ」
士郎は息が詰まったような顔をして、拳を握った。
「なんで、そんな、こと――言うんですか……っ!」
スバルは顔を歪め、涙を浮かべていた。
はぁ、とヴィータは溜息を吐いて、二人に告げる。
「……お前らも気がついているんだろ? もうどうしようもないってことくらいさ」
視線を僅かに逸らす。そこには。
徐々に光の粒子へと還元されていく、他ならぬヴィータの足があった。
少しずつ消えていく体。もう恐らく――――
「――――恐らく、後数分も持たない。だから、行けよ」
酷く客観的にヴィータはそう判断し、告げた。
やはり心臓が無くなったのは致命的過ぎた。幾ら戦闘用プログラムといっても、ここまで破損≠オてしまえば、最早手のつけようもないだろう。
むしろ今の今まで持った方が不思議だ。まるで運命か何かが、二人を自分に会わせたようではないか。
そう思い、その考えの滑稽さに、くくく、と喉を鳴らした。
「行けよ。それとも何だ、私が助けて、死にたくないと泣いて喚けば、お前達は助けてくれるのか?」
無情なる言葉。けれども、戦場において、これほど正しい言葉もない。
だから。
「……スバル、行こう」
「士郎――――……っ!」
士郎は、ギリギリと奥歯を噛み締めながら、そう言った。
泣きそうな顔でスバルに告げる。
「やっぱりさ、あるんだよ。幾ら頑張っても、どうしようもないことはさ。今までも沢山あった。数え切れないくらい、こんな絶望を見てきたんだ。お前も聞いただろう? アーチャーの言ってた事も、紛れもない真実なんだ」
「そんな事――――……分かってるよ。けど、私はやっぱり……」
は、という音がスバルの喉から漏れる。感情を押し留めている音だ。
それらを見て、ふ、とヴィータは笑った。
「ごめんな。けどよぉ、こうなることは、最初から分かっていたんだ。だから、後悔も何もないんだ。でも、」
一拍おいて。
「……悔いがあるとすれば、リィンか。はやては大丈夫だ。きっと全部、分かっていたんだと思う。何よりはやてはもう自分の足で歩いてる。――だけど、アイツは……泣き虫だからな。だから、頼んで良いか、アイツを……私の、大事な妹のことを」
ごごご、と更に振動を強くする塔=Bもう幾ばくかも持たないだろう。
スバルはぐぃっと目尻を拭って。
「――――……はい」
と、応えた。
そうして、腕を上げ、敬礼の形に持って行き。
「今まで、ありがとうございましたっ!」
力強い表情で、そう告げた。涙は、無かった。
ヴィータは、その表情に満足したのか、応、と頷いた。
「……お前なら、きっと――なのはやフェイトより強くなれる。ま、気負わない程度に頑張れや」
「……!」
スバルは何も言わず、ば、と振り向き、駆け出した。答えずとも、その背中が、全てを語っていた。
遠ざかっていく背中を視界に納めながら言う。
「アイゼンのコア……そこにあるだろう。持って行ってくれ。――きっと、何かの役に立つと思うから」
ま、役に立たない方がいいんだけどな――と、よく分からない呟きを語尾に残して。
「ああ、分かった」
言って、士郎はそれを拾う。
ビー玉ほどの小さな球。限界を超えた運用に、外装は完全に砕け、アイゼンの意思はシャットダウンしていた。
……ありがとう。じゃあな、相棒。
口にはせずに、ヴィータはずっと共にあり続けたパートナーに別れを告げた。
大事そうにそれを握って、士郎はヴィータに背を向ける。
そして、その足を踏み出した時。
「……ちょっと待て。少しばかり、言わなきゃいけないことがある」
ヴィータの声が投げかけられた。
士郎は顔だけ振り向き、その言葉を待つ。
「――――お前、全部思い出したんだな?」
「……ああ」
ヴィータは僅かに俯き「そうか」と呟く。
思う。
ランサーは、同じ事を何度も何度も繰り返したと言っていた。世界を滅ぼすということを、精神が摩耗し尽くすまで繰り返したと。
ならば、衛宮士郎という存在もまた――――
「ランサーは、戦いたくないって言っていた」
「……知ってる」
「けど、それは止めることなんか出来なくて、狂いたかったって、そう言っていた。それでも狂えなくて辛いって、そう言っていた」
「……知ってる」
ヴィータの片目から、涙がこぼれ落ちた。
「なぁ、もうこんなことは止めてくれよ。こんな、こんなのってあるもんか。こんなの誰も救われないじゃないか。私達も、ランサー達も皆……」
何て報われないのだろう。どちらが勝っても残るモノが何もないとするならば、そこに何の意味がある。
無意味な闘争。無価値な命。永劫に繰り返される螺旋。
肩が震え、嗚咽が喉から漏れる。
士郎は知ってる、とは言えなかった。
ヴィータは俯き、声を震わせ。
「そんなの悲しすぎるじゃないか。……私はランサーと約束したんだ。終わらせるって。だから――――」
頼むよ、と口にする前に。
「俺は、もう迷わない。大丈夫だよ。
――――ヴィータの意思は、俺がちゃんと形にするから」
紅い外套を翻し、士郎はヴィータの目をしっかりと見据えて、そう言った。
「ああ――安心した」
呟き、ヴィータは静かに瞳を閉じた。
士郎はその姿を目に焼き付けるように見つめた。
そして、託された想い――その象徴であるアイゼンを優しく、しかし力強く握りしめて。
「そうだ。俺はもう二度と、迷ったりなんてするものか。して、やるもんか……!」
此処には居ない誰かを睨み、その足を踏み出した。
斯くして約束は継がれた。
故に、語るべき言葉は、もう此処にはなく、後はやるべきことをやるだけだ。
歯車は欠け、それでも世界は動いていく。
果てに待ち受けるものが、何もなくても、世界は廻り、動いていく。
◇
新暦81年 七月七日 ミッドチルダ 中央区画 首都クラナガン 時空管理局地上本部
「――――ヴィータ、ちゃん……?」
リィンは呆然と、目を見開きながら呟いた。
突如として失われたリンク――それが何を意味するのか、理解して。
「嘘でしょ、だって。だって……約束したじゃないですか、戻ってくるって――――」
そう言った瞬間。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――あ」
あることに気がつき、愕然となった。
膝から力が抜け、机の上にその小さな体がへたり込んだ。
『――――分かりました、です。でも、ちゃんと皆帰ってきてくれないと嫌ですよ?』
『ふむ、よしよし。お前は良い子だなぁ、リィン』
約束、していない。
心配するな、何とかなる――ヴィータが告げたのは、そんな言葉しかない。
つまり、最初からヴィータはこの結果が分かっていて。
にも関わらず、自分は、何一つそれに気付かず、まともに止めることも出来なくて――――
「あ、あ、あぁ、い――――やぁぁああああああああああああああああああああああ!!」
その事実に気がつき、リィンは愕然とした叫び声を上げた。
過去も、現実も、自分も、何もかもを否定し尽くす――そんな絶望しかない声だった。
そして、もう一人。
地上本部、中央タワーの一角。街を見下ろす事の出来る客室。
奇襲に備え、戦況を随時モニターしていたはやてだが、しかし、今は肩を抱き、椅子に蹲っていた。
隣に立っているシグナムは、その姿に何も言わず、ただ佇んでいる。
はやての目尻から涙が零れる。表情に刻まれているのは自嘲の笑みだ。
「酷い、女やな、私は……。こうなることを知っていて、私は何も出来ずに、ヴィータを……」
それは懺悔か、独白か。判然としない言葉を、はやては続けていく。
「分かっていたんや。私が私の夢を追う以上、こういう仕事をする以上、いつかは――こんな日が来るなんてことは。なぁ、シグナム? 私はヴィータが何をするか、どうなるか、知っていたんやで?」
衛宮士郎からもたらされた情報――――ランサーの能力と、その宝具。
戦えば、必ず命を落とす。勝っても負けても、その結果は変わらない。
ランサーの宝具とは、そういうものなのだ。
その事実を、隊長であるはやてが知らないはずがない。
そして、ランサーと戦うと言い出したヴィータがどうなるかなど、予測するまでもなかった。
「最低や。私は最低や。そうヴィータが進言してきて、安心したんや。どうなるか全部全部分かっていたのに、私は……!」
本来ならば、はやて自らがランサーと戦うべきだったのだろう。
相性など関係はない。誰も死なせたくないと望むのならば、そうするしかない。そうすれば少なくとも、自分以外の人間が死ぬ所を見ることはない。
それが単なる放棄に過ぎなくとも、やはりそうするしか選択肢はなかった。――――本来ならば。
大体、そんな死亡宣告、どう告げればいいというのだ。
お前は死ね――――そう命じるのと、何が違う。
だから、死ぬのは自分の役目だったはずだ。だが――――
「……部隊長である主が死ねば、急造の部隊でしかないこの機動六課は空中分解します」
シグナムの言うとおりだった。
元々、この再編された機動六課は酷く歪なのだ。
本来の規則をねじ曲げ、強引にオーバーSランクの魔導師を集めたしわ寄せだ。
準備も何もない。申請してから僅か一ヶ月で発足した六課に、引き継ぎマニュアルなど在るはずがない。
組織の全部を把握しているのは、はやてしか居ないのだ。幾ら隊長陣が優秀とはいえ、黒い影≠ノ対処しながら、組織をまとめあげることなんて不可能だ。
そして、機動六課が瓦解すれば、黒い影≠追うものはいなくなり――世界は滅びる。
故に、はやては死ねなかった。しかし、厳然とした事実として、ランサーとは戦わなければいけない。
ならば。
「――――それでも選ばなあかんのやったら、せめて私の家族の誰かや。その人が死んで一番悲しむのは家族の人。なら、その痛みを背負うのは」
「私達しか居ない――――。主の判断は、何も間違っていません。ヴィータもそれが分かっているから、自分から進言したのでしょう」
「……分かっている、全部分かっているんや! でも、それで――納得なんか、出来るわけないやろぉっ!」
嗚咽し、泣きじゃくりながら、はやては叫んだ。
世界とヴィータ。二つを天秤に乗せ、軽い方を切り捨てた。
ただそれだけ。ただそれだけの、簡単な話だった。
しかし、その所業の罪深さに、はやては慟哭する。
――どうして、こんなことになったのだろうか、と。
「やっぱり……私が悪いんかなぁ。私が、こんな、夢を持ってしまったから」
はやての夢。対応が遅いミッドにおいて、いつでも動くことの出来る身軽な独立部隊を作ること。
いつか夢見た理想は、こうして、ヴィータの命を奪った。
恐らく、これから先も、こういうことはあるだろう。
犠牲と結果を天秤で量り、命を記号として切り捨てる。
それは部隊長として、指揮官として、絶対的に必要な視点だ。ならばこの結果は必然であり、この先も続く苦痛である。
は、と息を吐き、体を強く抱きしめる。
「私は、皆と約束したはずなんや。皆を幸せにするって、今まで報われなかった分、目一杯幸せにしてみせるって。そう確かに私は言ったのに……。
結局、私の夢が――ヴィータを殺してしまった――――!」
かつての遠い日。もう十年以上も前の出来事。
はやては、笑顔で告げたのだ。
――――大切な家族と、健やかに、穏やかに暮らせれば、それ以上は何も望まない――――
その言葉は叶うことはなく、こうしてヴィータは死んだ。
それは理想を求めた代償。
幸せにすると口にしながらも、死地に送り出す、その矛盾。
穏やかに暮らしたい、というのならば、その通りにすればいい。けれど、そこから一歩踏み出し、管理局の魔導師となることを決めたのは、他ならぬはやてだ。
自覚していながらも、見て見ぬ振りをしてきた結末が――これだ。
「……主は、後悔――しているのですか」
シグナムは佇み、はやてに問うた。普段通り、いつも通りの表情を浮かべながら。
はやては、はは、と泣きながら笑い。
「後悔していない、っちゅうたら嘘になる。……でも、それだけは絶対、したくないって。そう思うんよ。だから――――」
そうだ。戻れる場所など、とうに過ぎ去った。
嘆き悔やんでいる暇があるならば、一歩でも前に進め。
そうでなければ、ヴィータの死が、意味のないものになってしまう。
それだけは。
「ああ、――――それだけは、許したらあかんよなぁ。なぁ、ヴィータ」
天井を仰ぎ、はやてはそう呟いた。
シグナムは、ふ、と表情を軟らかくし。
「……私はヴィータではありません。ヴィータの想いはヴィータのものです。だから、易々と貴方に出会って救われたはずだ≠ネんて言えません。けれど」
言い、掌を前に突き出し。
――――この夜に誓う――――
握った。
「少なくとも、後悔はしていなかったはずです。確かに、こんな結果になってしまいましたが――主の夢に付き合うと決めたのは、私達です。今より少しでも平和な世界を夢見て、私達が、自分の意思で、決めたことなんです。それだけは……決して忘れないで下さい」
「……そっか」
この優しい騎士は、優しいからこそ、安易な言葉は口にしない。
分かったような慰めも、決まり切った同情もしない。
ただあるがままに、はやての言葉を聞き、自分の意思を偽りなく口にする。
それがシグナムという、優しくも厳しい騎士の在り方だった。
はやての震えが、少しだけ、収まった。
「すまんなぁ。……愚痴ばっか、聞かせてもうた。気分、悪かったやろ?」
その言葉に、シグナムはふ、と笑う。
はやての方を向き、涙に溢れた瞳を柔らかく見つめる。
「また愚痴が言いたくなったら、どうぞ。――――それが家族というものの在り方でしょう?」
「……うん、そやな。ありがとう、シグナム」
自嘲ではない笑みを浮かべて、はやては感謝の言葉を告げた。
家族、とその言葉を慈しむように呟く。
大丈夫。私は、これからも頑張っていける。頑張っていけるよ。だから、私は大丈夫やよヴィータ――――
思い、綺麗な青が広がる空を、窓から仰いだ。
と、その時。
「――――主」
ドアをノックする乾いた音が部屋に響いた。
「分かってるよ。大丈夫や。……私は、機動六課の部隊長や」
無様なところは見せられない、と、ぐしぐしと目尻を拭い「誰ですか?」とドアの向こう側に問いかけた。
ドアからは、ただ一言。
「――――カリムです。開けて貰えますか」
聖王教会の騎士であり、またはやての友人でもあるカリム・グラシアの声が聞こえた。
……何やろ。騎士団のほうも、今は六課と一緒に待機中の筈や。
僅かに首を傾げるが、まずは部屋に入れることが先決だ、と思い。
「開いているから、入って貰ってよろしいですよー」
と声を放つ。
失礼、という声と共に、カリムとその秘書であるシャッハ・ヌエラがその姿を現した。
「ええと、作戦について、ちょっと聞きたいことがあって。……お取り込み中でしたか?」
カリムは手に持っている書類を示す。
「え、あ……大丈夫やよ。ちょっと待ってな」
はやては若干不審に思いつつ、席を立ち、カリムの方へと向かう。
隣に佇むシャッハは何も言葉を発さない。
正面まで来たはやてをカリムは見る。その目は、赤く充血していた。
「……何か、あったんですか?」
眉尻を僅かに下げつつ、そう問うた。
はやては奥歯を噛み締めつつ。
「――大丈夫、大丈夫や。何もない……何も。だから、大丈夫や」
精一杯の笑顔を浮かべて、返した。それが今のはやての限界だった。
これ以上不審に思わせないように矢継ぎ早に「聞きたいこととは?」と、書類を見ながら言う。
カリムは、それは良かったと呟いた後。
花咲くような満面の笑顔を浮かべて。
「ええ。我らが聖王様復活のため、死んで貰えませんか?」
朗らかに、そう言って。
「――――え、」
書類に隠していた銀色に光るナイフで、はやての腹部を突き刺した。力が抜けたように膝が崩れ、はやては地面に倒れ伏した。
そして、暴風が吹き荒れるように、シャッハがバリアジャケットを纏い。
「ある、――――がっっ!!」
目を見開いてるシグナムに、双剣型のアームドデバイスであるヴィンデルシャフト≠突き入れた。
蹌踉めいているその隙に、ばきん、という音共に、カートリッジが排出される。魔力光が溢れ、刹那の動きと共に剣閃が走り、シグナムを袈裟に切り裂いた。
血飛沫が舞い、だん、と派手にシグナムは地面に倒れ込む。
朦朧とする意識の中、はやてはその光景を見た。
見下ろすシャッハの、酷く機械的な表情。瞳の奥に宿っているのは感情ではなく虚無だ。
その足下から、どろり、と何か黒い泥のようなものが溢れた。
「シグ、――――っ!」
叫び、手を伸ばした瞬間、カリムの足にそれを踏まれる。
刺すような痛覚が脳髄に叩き込まれる中、はやてはカリムの顔を見上げる。そこには、笑みの表情。そして――ざわざわと首筋に浸食していく黒い線が見えた。
断片的になっていく意識。思いとは裏腹に、体は動かず、目蓋が下がっていく。
フェードアウトしていく視界の中。
「さぁ、始めましょうか。世界≠生け贄とする、聖王様復活の儀式を」
黒≠ノ染まり行くカリムの言葉が聞こえ。
その後方に、楽しげに嗤う誰かの姿が、確かに見えた。
誰だ、と疑問が走り。
そして、はやての意識は闇に落ちた。
→EP:11
――――Answer(Vita) /
「ああ――安心した」
言って、私は静かに目蓋を閉じた。
最早、体を維持するのも限界だった。既に下半身のほとんどが消え去っている。
だが、それは今更だ。最初から、この結果が来ることは分かりきっていた。
戦えば必ず命を落とす――――そんな奴を、他の仲間と戦わせるわけにはいかないし、仮にランサーを打ち破ることが出来るのなら、それは守護騎士の遊撃手である自分に他ならないからだ。
何よりアイツは私の一撃に耐えた。全てを砕くはずの鉄槌が、砕くことなく、押し返されたのだ。
そんなこと許せるはずもない。
この手の鉄槌ではやてを護ること――それこそが、私の誇りであり、汚してはならない夜天の誓いである。
だが、私はもう役割を終えた。エミヤに意思を託し、アイツはそれを形にすると答えた。なら、それで十分だ。
はやてと一緒にいられなくなったのは残念だけど、まぁ、しかし、それは元から叶うことはない夢だ。
はやてを護ると決めた以上、いつかこうなるとは思っていた。管理局魔導師で、完全フリーの独立部隊の指揮官という夢を持つはやての前には、それほどの危険が広がっている。
――――そう。私達、守護騎士は全員、はやての作る今よりも優しい世界≠夢見た。そのためならば、この命すら惜しくはない。
そして、その時が今来た。ただそれだけの話だ。
今までも、何度か危ない場面はあった。よく今まで保ったな、と苦笑する。
特に、J・S事件の時はヤバかった。あの時、はやてが駆けつけてくれなければ、確実に消滅していただろう。
ふ、と笑う。声は出ないので、思いの中で、笑う。
はやてと出会ってからの、この十六年。この十六年が、私の全てだった。笑い、泣き、楽しみ、喜び――その密度は『闇の書』で経た百年をも軽く上回る。
――――楽し、かったなぁ。
感慨深く、思う。嬉しいこと、悲しいこと、どうしようもないこと。それら全部引っくるめて、楽しかったと断言できる。
どうして、そこに後悔を残せるだろうか。人を殺し、殺し続けた咎人には、あまりに上等過ぎる最後だ。
生きて、愉しんで、そして――はやてを守って死ぬ。それが満足ある戦いなら最高だ。
そして、ランサーとの戦いは、十分すぎるほどの満足があった。
『人間』の頂点である英霊とは、こんなにも凄いモノなのか、と驚嘆し、それを打ち破るというカタルシス。
ニンゲンの心が理解できない『私』でも、無限の可能性を持つ『人間』に叶う――――その事が、どうしようもなく嬉しかった。
もう何も悔いはない。はやてにはまだシグナムやシャマル、ザフィーラが居るし、なのはやフェイトのような友人にも恵まれている。きっと道を違うことはなく、断たれることもなく、自分の足で歩いていけるだろう。
だが、それでも未練があるとすれば。
――――……リィン、泣くかな。いや、泣くな。泣き虫だからなーアイツは。
リィンフォース・ツヴァイ。私の妹。古代ベルカの忌まわしき意思によって生まれた私達とは違う、純粋で綺麗な想いから誕生した新訳守護騎士。
血に汚れていない無垢な――ちょっとまだ頼りない騎士。
生まれてから、まだ十年と少し。自我が完成されるのには、早すぎる。
だけども、まぁ、何とかなるだろ。シグナム達が居るし、アギトも居ることだしな。
……仮に『その時』が訪れても、エミヤに預けたアイゼンが持つ『アレ』があるなら――きっと大丈夫だろう。そこまで弱くはないはずだ。
何故ならば。
――――なんてったって、この私の妹だからな。このくらい乗り越えてくれなきゃ困るぜ。
思い、そして。
首から下が、もう殆ど消滅していることに気がついた。
完全消滅まで、あと幾ばくもない。
もう何も思い残すことはない。そう思って、私はその意識を閉じた――――……
――――瞬間。
感情が決壊し、ありとあらゆる衝動を上回る『恐怖』が解放された。
怖い怖い怖い怖い怖い恐い恐い恐い恐い恐いコワイこわい。
感情が無くなることが恐い感覚が無くなることが恐い何もなくなることが恐い存在が無くなることが恐い消失が恐いそうだ何が恐いって『私』という確固たる自我が無くなることがたまらなくコワイ壊れるくらいに――――……!!
――――そうだ、私は、死にたくな――――
ばつん、と。
まるでテレビの電源を落とすかのように、意識が落ちた。
■
「――――……あれ?」
ふ、と目が覚めた。
ぱちくりと目蓋を動いたことによって、体がある、という事実に気がつく。
私は死んだはずではなかったのだろうか。『無限再生機能』が働いたというのだろうか。あれはもう完全に壊滅したはずなのだが。
立ち上がり、辺りを見渡す。
そこには何もない。ただ真っ暗な空間があるのみだった。
体を見る。そこには怪我も何もない、いつもの私の体があった。
骨も折れてないし、内臓だって無事だ。勿論、心臓だって、ちゃんとある。
突然視界が広がったと感じた。少し思考を巡らすと、すぐに分かった。左目がある。
頭にあるものを触ってみると、『のろいうさぎ』が二つくっついてる私の大好きないつもの帽子があった。
「……?」
首を傾げながらも、とりあえずそれを抱きしめる。
何か変だなーと思いつつ、腕をグルグル回していると、あることに気がついた。
……アイゼンが無いのに、バリアジャケットを身に纏っているという矛盾に。
「あー何だ。そういうことか」
帽子を左脇に抱えて、がりがりと頭を掻く。
つまり、今、この空間は。
「――――今際の夢ってわけですか」
ふぅーと長い溜息と共に苦笑いを浮かべる。
人が最後の瞬間見るという夢。人でない自分が見れるとは思ってもいなかった。
しかし、三途の川も花畑も無いただの闇という辺り、神様は分かっていらっしゃる。もし居るならの話だが。
だとすれば、次の疑問が出てくる。
「何で、私は此処に居るんだ?」
そりゃ死んだからだ、と言われると身も蓋もないが、実際、何もすることがないから困りものだ。
……こんな夢を見るってことは、言い換えれば、まだ想っていたい≠チてことだよな?
「だけどよぉ、思う事って何だ。とりあえず未練らしい未練は無いぞ、私」
そりゃリィンのことは気になるが、こんな夢を見るほどでもない。
腕組みしながら考えるが、どうにも分からず、座り込む。
すると、ぴーんと閃いた。
「――――……もしかして、アレか?」
ほんっとーに最後の最後、意識を閉じようとした瞬間に、もうかつてないほどの感情の大きさで『恐怖』がやってきたのだ。
あれはもの凄く恐かった。
後悔や未練から来る終わりたくない≠ニいう恐怖ではなく、己の消失の不安から来るなくなりたくない≠ニいう混じりモノのない純度百%の恐怖。
身を切り裂くかのような、死の恐怖がそこにあったのだ。
しかし。
「……で、それが何だっていうのだろう?」
再び首を傾げる。確かに恐怖はあった。けれど、それが何だというのだろう。
そりゃ誰だって死ぬのは恐い。それが死の間際なら尚更だ。
ただそれだけ。ただそれだけの話だ――――……
「――――?」
そう考えた時、何か違和感があった。
その違和感に思考を巡らせていると――――
突然、座っている私の対面に、小さな少女が現れた。
『……』
少女は蹲り、何か棒状のものを抱えている。
「って、これ私じゃねーか」
気づき、声を上げる。
縛られていない赤く長い髪と黒いアンダーのみに包まれた体。そして手に抱えているのはデバイス、グラーフアイゼンだ。口からは、はぁ、と息をつき、ぎゅ、と肩を抱きしめている。
「これは――――」
確か、ベルカの女領主が主だった頃の私、か?
そう思考した瞬間、周りの闇が書き換えられ、その風景が来た。
古城の地下。黴と湿気が堆積された空間。その牢獄の中に、かつての私とシグナム達がいた。
私は鉄柵の向こうから、それを見ている。
私≠ヘ『寒ぃな』と呟いた後、瞑目しているシグナムの方を向き。
『なぁ、シグナム。私達はどうして――――こんな思いをしているんだろう』
と、問うた。シグナムは片目を開き、じろりと私≠見て『何が言いたい』と返した。
そして。
『私達は何で、人間なんだろうな――――』
独白のように、そう口にした。
「――は。そういや、んなこともあったな……」
思い出す。そうだ、私は、そのことを、ずっと疑問に思っていたはずだ。
この時代に来てから、私はずっと幸福すぎて、いつの間にか忘れていた疑問。
――――そう思っていた。
風景が変わる。
今度は、つい先ほどの光景だ。
黒の世界≠ノ乗り込む直前、シグナム達と会話した後の私≠ェいる。
私≠ヘ髪紐を解き、握りしめて、ぽつりと呟いた。
『I've Got No Strings――か。
――――なぁ、はやて。私達は、私は……人間に、なれたかな』
その呟きは、つまり。
「そうか。そうだな。――――私は、ニンゲンになりたかった」
昔、自我が何故あると疑問に思い、今、ならば自分はニンゲンになれるのかと希望を持ったということだ。
明確にそれを認識したからか、堰を切ったように私の胸から疑問があふれ出た。
人間と共に過ごし、それを幸せに思うことが出来る自分は――果たしてニンゲンなのだろうか。
フラグとアルゴリズムだけで構成される偽物。そこから溢れるこの想いは一体何なのだろうか。
――――私は人間ではない。人間にはなれない。
だけど――それでも心を求めることは。
果たして、罪なのだろうかと――――
「つまり、その疑問が、私の未練というわけか」
ふ、と溜息を吐く。
まぁ不器用だな、私も。
そう思い。
――――私は、私だ――――
瞬間、ランサーとの戦いに放った、在る言葉が、疑問と混ざり――そして弾けた。
繋がった。全てが一本の線として繋がった。
自我の証明。ニンゲンへの憧憬。――そして死の恐怖。
そういうことか。
人の気配がして、立ち上がり、振り向く。
そこには。
「……お前か。――リィンフォース」
無言で佇む、初代祝福の風の姿があった。
お迎えってわけか。
呟くとリィンフォースは眉尻を下げ、困ったような笑みをした。
「んな顔すんなよ。確かに、リィンフォースの願い通りにはならなかったけどさ。これでも私は満足しているんだぜ?」
だから、行こうぜ、と言って、隣に並ぶ。
だが、リィンフォースは首を振り、ただ指を上げた。
その先を見る。
そこには、かつての私≠ェ蹲って『寒い』と呟いていた。
「……そうだな。疑問に思ったよ。何で、自分に自我があるのかってさ。そして、そのせいでニンゲンにも憧れた。でも、もういいんだよ」
答えは、でたから。
それを聞いてリィンフォースは首を傾げる。
大きい図体をしているくせに、妙に可愛い仕草がおかしくて、私は笑ってしまう。
「きっとさ、全部、最後の瞬間にあったんだ」
どうしようもない終わりに対する恐怖。それが、この私にもあるということは。
「私も、『ニンゲン』と同じように生きているって、ことなんだよな」
私は私であり、私として生きている。
人間でもなく、人形でもなく、プログラムでもなく、ただ私が私として存在している。
例え、この命が偽りでしかないとしても――――
「――――わたしは、ここにいるよ」
自我がある理由など、それだけでいいんだ。
いる≠ゥらある=\―そんな、どこか逆説的で、酷く歪な答え。
きっと、もっと分かりやすい答えもあるんだろう。けど、私にはその歪な答えで十分だった。
リィンフォースは、その答えを聞くと、満足そうに頷き。
私の歩く先を示し、光となって消えた。
「……一人で行け、てか。たく、お前は優しいんだか厳しいんだか」
苦笑する。
そうして、「ありがとう」と一言呟いて、その足を踏み出す。
その途端、ぱりん、と音がして空間に罅が入った。
ひび割れは次々と空間に走り、そして。
ガラスが弾けたように、勢いよく闇が割れた。
その先には――――満点の星空が、あった。
あの日、あの場所、あの誓いの星空だった。
「ああ――きれいだな」
手を伸ばす。ちかちかと輝く星々は今にも掴めそうで、しかし届かない存在だった。
私は、それを、眩しいと思った。
――――だから、眩しかった。
なのはやフェイト、スバル、ティアナ、エリオとキャロ――人間というものが、眩しく、尊く、そして美しいと感じていた。
守護騎士は人ではない。人にはなれない。それ故に、人間が、とても美しいものに見えるのだ。
刹那を目まぐるしく駆け抜ける一生。その力強さ、その眩しさに――時に目を伏せることもあった。
けれど。
――――それを悔やんだことは一度もない――――
私は、あの時と同じように髪留めを外す。
しゅる、と音を立てて長い髪が風に揺れた。
プログラムには、プログラムにしか出来ないことがある。人ではないからこそ、人を守る事が出来る。
狂おしい程に愛しい主を、家族を、友達を、人間を、守ることが出来る。
それこそが。
「わたしの誇り。それこそが、私が此処にいることの証明なんだ」
髪留めが風に流れ、彼方へと消えていく。
目蓋が重い。眠ってしまいそうだ。
星々はその輝きを増し、視界を白に染めいく。
……まぶしすぎて もう なにもみえない。
何もかもが白に落ちていく世界。
けれど、確かな存在として、誰かが私の前に立っていた。
赤く長い髪をたなびかせ、赤と黒のドレスに身を包む――私とよく似て、けれども違う他の誰か。
……わたしは あなたのことを しっているきがする。
彼女は腕を広げ、目を弓にし。
――――おかえりなさい――――
と、嬉しそうに私を迎えた。
――――そのえがおが。
なんだか。
なみだがでるくらい。
なつかしくて――――
もう見えるのは目の前の少女だけだ。
……酷く眠い。
胡乱な頭では何も考えられなくて、過去と未来もごっちゃになって判別が付かない。
よく見えなくなっていく視界の中で、少女の顔は、はやてに見え、シグナムに見え、なのはに見え、フェイトに見え――私≠ノ見えた。
とりあえず何だか分からないけど。
少女の腕の中は暖かそうで、心地よさそうなのは確かだ。
だから、私は迷うことなく、足を踏み出し。
その少女の中へ――飛び込んだ。
――――さぁ、かえろう。
存在は、いつかの夜天より孵り。
最後に、いつかの星空へと還るのだ。
さぁ、帰ろう――――
「――――我が鉄槌は全てを砕く――――」
最後に、自らの誇りを口にして。
夢の終わりに、最後の挨拶を告げた。
ただいま。
/ Answer_Closed
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