――――私には、決して消えない心の闇がある。
それは取るに足らない、他の人から見てみれば、とても些細なモノかも知れない。
けれど、私にとって、それは紛れもなく闇で。
決して拭いさる事の出来ない、罪の形だ。
私にとって、何より恐ろしいのは、それを罪として明確に形作ること。
認めてしまえば、どうしようもなく立ち行かなくなる。
そうなれば、過去の再現だ。ただ、何も出来ない無力な自分に戻るだけ。
それだけは嫌だった。
あの過ちを、あの罪を、再び繰り返すことだけは。
だから蓋をした。
仮面の下に強く強く押しつけて、決して出てこないように蓋を閉めた。
罪を罪として自覚せずに、ただ走り抜けることだけを思った。
それこそが唯一の贖罪になると信じて。
還ってくるモノが何もないとしても、そうすることが最善だと願って。
ただ、この在り方が当然だと思って――ありのままに、駆け抜けてきた。
だけど。
――――例えば。
それを全て『無かったこと』にしたいと願うことは。
果たして、正しいのだろうかと。
私は己に問いかけた。
■
「――――」
高町なのはは剣士でもなければ、拳士でもない。
二人は共に、遠くから相手を狙い撃つセンターガード。
故に――――
「分かっているようね。私と戦うということは――砲撃を競いあうことだって」
告げた瞬間。
ご、と空間が揺れ、光が弾けた。
光弾と光弾がぶつかり合い、桃色の燐光を辺りに散らす。
爆音と爆砕が重なり、大地が捲れ、破壊が連続的に起こる。
――――本来ならば。
高町なのはとアーチャーの撃ち合いは、戦闘どころか勝負にもならない。
何故ならば、アーチャー……タカマチナノハはなのはの未来の姿だからだ。中、遠距離を制すセンターガードとして、アーチャーはこの上ないほど完成されている。
エースオブエース――次元世界の英雄とまで呼ばれ得る究極の砲撃魔導師。
その溝は絶対。
アーチャーがなのはの延長線上にある存在である以上、届く道理はない。
なのはの砲撃はいまだ発展途上にある。対し、アーチャーの砲撃は、現状、誰も知れない未知の技術体系すら使われているのだ。
勝算など一分たりとも無い。
高町なのはとアーチャーでは、初撃にて、その終わりを迎える。
だというのに。
「――――あ」
アーチャーの砲撃。
アクセル・シューターと呼ばれる射撃魔法の悉くを。
「あああぁあああああああああ――――っ!」
なのはは咆吼と共に、全て叩き落としていた。
それどころか――――
「――――……!」
アーチャーの顔に驚きが刻まれる。
頬に――ひゅ、と砲撃が掠り、一文字に傷が出来た。
それは文字通り、かすり傷でしかないが――先ほどまで全く手も足も出なかった砲撃群を、なのはが全てぶち抜いたという事実に他ならない。
……一体、何故――――。
困惑するアーチャーを余所に、なのはの砲撃は更に加速する。
その威力。
一発撃ち込むごとに、少しずつ上昇している。
魔力不足により、ステータスがダウンしているとはいえ、タカマチナノハ≠フ究極形たるアーチャーと互角に撃ち合えるほどに。
……――――有り得ない。十四歳の私が、今の私を、今までの人生を覆すなんて……!!
「そんなのっ! 許せるはずがないでしょう!!」
「……!!」
きぃん、とレイジンハートの宝玉が輝きを増した。
瞬間。
同時に。
――――ディバインバスター。
無感情な機械の声が、空間に響いた。
猛る魔力の咆吼が、一直線に走り――――爆砕した。
轟音。
ディバインバスターとディバインバスターがぶつかり合い、弾け、混じり合うようにして破壊を撒き散らす。
「――――っ!」
驚き、息を呑む声はアーチャーのものだ。
今の一撃は、決して防げないものとして撃ち込んだ。
ディバインバスター。アーチャー……タカマチナノハ≠フ象徴にして、最も得意とする射撃魔法。それを覆させられるなど誰が思おう。
しかし現実に、厳然として――なのははディバインバスターを相殺し。
あまつさえ――――
「アクセル、シューターぁっ――――!」
そこに、夥しいほどの砲撃を撃ち込んでいた。
「っ――――!!」
展開させた七つのブラスタービットを前面に持っていき、アーチャーはなのはの砲撃と同量の数を撃ち込む。
ど、という音が連続して響く。
……これは……!
アーチャーは、自らがブラスタービットを使わざるを得ない状況に持って行かれた――という事実に驚愕する。
自分が人生をかけて、練りに練り上げて完成させた究極の形態――――ブラスターモード=Bその力の一端に、目の前の相手が立ち並んだこと。
それは間違いなく有り得ないことだ。しかし、目の前の自分と同じ少女は、確かな現実を以て自分と拮抗している。
薄煙が張れる。そこには――――
未完成ながらも、確かにブラスターモード≠纏う高町なのはの姿があった。
「は、ぁ――――づ」
表情に刻まれているのは苦悶だ。苦しそうに息を吐き、体が震えている。
「……」
――そう。そういうこと、ね。
それが未完成のブラスターモード≠フ反動だけではないことを、アーチャーは瞬間的に悟った。
「……アナタ――――私から引き出しているのね」
高町なのはとアーチャーは同じ存在である。全くの同質の同位体。
だが、世界に同じニンゲンは一つしか存在し得ない。
その誤差、その矛盾。
一端、外側≠ノ弾き出され、魂が人のソレとは大きく異なったとしても――その道理を完全に覆すことは出来ない。
同じ存在として、両者に互いの『根源理念』が共有される。
なのははその点を突き、未来の自分たるアーチャーから、いまだ知り得ない未知の理論、未知の技術を引き出しているのだ。
未知の技術体系とはいえ、それは今だ発見されていないというだけだ。同じタカマチナノハ≠ノ使えぬ道理はない。
効率的な魔力運用、能率的な戦闘論理――それを無理矢理、自分に適用することによって、アーチャーと撃ち合えるほどに『成長』している。
『進化』、とも呼べるほどに。
無論、本来のタカマチナノハ≠ノは到底及ばないが――マスターのいない今のアーチャーとなら互角だ。
十全以上を発揮しているなのはと、不十分なアーチャー。
本来、覆すことの出来ない両者のバランスを、強引に拮抗させている。
だとするなら――――
にやりと。
アーチャーは笑った。
「とすると、その今にも吐きそうな最低の顔。引き出したのは何も技術だけではないわね。――――見たわね、私の記憶を」
「――――っ」
……五月蠅い、分かっているなら、わざわざ言わないでよ……!!
そう。
未完成のブラスターモード=A未知の技術の反動なんかより――――
――――此の方が。
何倍も。
恐ろしい――――
なのはの脳内に染みこんでくるのは、かつての――そしてこれからのタカマチナノハ≠フ記憶だ。
アーチャーの技術と共に流れ込んでくる映像は、灰色に塗れていた。
何処とも分からない異世界で、何者かも分からない怪物に重傷を負わされたこと。
血を吐くようなリハビリ。自分を傷つけながら、それでも人を助け続けた道のり。
訪れる災厄。ジェイル・スカリエッティの反乱。出会い。別れ。
――――我が娘、ヴィヴィオとの出会い。
そして――――
「あ、――――」
ぎちぎちと脳髄が軋む。神経全てを焼き尽くすような熱が全身を駆けめぐる。
記憶が、イメージが、極彩色から――――灰色にくすんでいく。
楽しかった今までの思い出が、少しずつ、苦痛に、苦しみに、灰色に落ちていく。
幾度となく繰り広げられる戦い。休む暇もないほど、駆け抜けるように人を救い続けた。
人を殺したこともあった。一人を救うために何十という人間の願いを踏みにじってきた。踏みにじった相手を救うために、より多くの人間を蔑ろにした。
何十という人間の救いを殺して、目に見えるモノだけの救いを生かして、より多くの願いを殺してきた。
今度こそ終わりだと信じて、今度こそ誰も悲しまないだろうと願って、戦い続けた。
それでも人は戦う。どうしようもなく戦いを生み出してしまう。
その度に――――
「そう! 私は、戦いの度に自分を切り捨ててきたっ!」
砲撃が飛ぶ。――相殺する。
「エースオブエースと呼ばれ続けるために、英雄で在り続けるために! 人を救って、そのために、私はワタシ≠捨ててきた!」
砲撃が飛ぶ。――相殺する。
「悲しませたくない、皆笑っていて欲しい――そんな幼稚な願いを抱えながら、戦って、戦って、戦ってきた!」
――――その度に切り捨ててきた。
恋も、愛も、友情も、絆も、誉れも、誇りも。
人が持つ全ての幸福を、人を救う代価として、彼方へと置いてきた。
一つ切り捨てるごとに感情を失い。
全て切り捨て、人を捨てた。
その過程、あまりの壮絶さに、瞳が焼ける。
「だから、幸せになって欲しかったっ! 例え私が幸せでなくなっても、ヴィヴィオが幸せであるならそれで良かったっ!」
だから願った。
自身では叶うことの出来ない幸福ならば。
せめて。
愛する我が娘が『そう』あれば、それで十分だった。
――――高町なのはにとって。
針の筵のような人生の中で、ヴィヴィオだけが救いだったのだ。
「ただ救われたいから救う。自らの救いを誰かに求める!
そんな感情は初めから間違っているのよ! 罪悪感から来る救済観念なんて、偽善にも程がある――――っ!」
砲撃が飛ぶ。――相殺する。
びきり、と杖に亀裂が入った。
それでも、砲撃は間断無く飛び交う。その悉くを、なのはは相殺し続ける。
その度に、亀裂が走り、軋みが大きくなっていく。
叩き付けられる砲撃は、最早魔法としての体を為していない。ただ魔力を単純に撃ち付けているだけのモノだ。
八つ当たりのような砲撃は、どこか泣き声のようにも見えた。
「そう――――高町なのはにあるのは罪悪感だけ。人を救う? 笑わせないで。
自分も救えないような人間が、誰かを救うなんて烏滸がましいにも程がある。
その、偽善だらけの人生の果て、得られたモノが何だったと思う?」
歪な感情。人間として壊れた精神を持ちながら、人間を助けようとするその矛盾。
我慢も抑圧も知らず、ただ信じて駆け抜けた生涯の先は。
「死――だけよ。自分を殺して、他人を殺して、仲間を見捨て、友達を切り捨てて。
最後に、自分の娘をこの手で殺すことになったという結果だけ」
――――自分の幸せの象徴を、この手で殺したという事実だけだった。
その光景を、見せられる。
最早、見るも無惨に破壊された故郷。砲撃が飛び交い、爆炎の華を咲かせた朱い空。
瓦礫だらけの大地で、娘の亡骸を抱き、天に咆吼する――その姿。
見ろ、これがヤツの結末だ。
見ろ、これがお前の終末だ。
何もかもを切り捨て、残骸と成り果てた自己。精神は色を亡くし、灰色に摺り切れた。
かつて見た理想は遥か彼方。否、そんなものは初めから無かった。
あったのは呪いじみた救済観念だけ。
笑顔も、感謝も、栄光も、誉れも要らなかった。
ただ助けたかった。誰かを助けることで、自分を助けたかった。
何も出来ない自分が、誰かを救えるのが、この上なく嬉しかった。
罪の救済。
それが出来ているような気がして、何より喜びだった。
その歪さ。その捻れに捻れた行動理念。
――――そう。
高町なのはは――――
「そもそも――誰かを本当に救いたいなんて、一片たりとも思っていなかったのよ」
「――――あ」
ぎしり、と心臓を掴まれたような言葉。
その先は。
決して。
踏み込んではならない――高町なのはの原罪だ。
「私には、もうアナタの記憶は薄れ、ほとんど無いと言っていい。でも、それでも覚えてる。
――その、罪の形を」
ひゅ、と一際大きい砲撃が飛ぶ。
なのはは血反吐を吐きながらも、何とか相殺する。
が――それで倒れそうになる。ぐらり、と視界が揺れ、蹈鞴を踏む。
もうなのはの体内は、ボロボロだ。肉体の損傷だけではなく、内臓器官であるリンカーコアも、あまりの反動に軋みを上げている。
未知の技術体系を無理矢理適用したその反動。今だ魔力も技術も発展途上にあるなのはにとって、それはあまりにも大きい。
それでもなのはは、倒れまいと両足に力を込める。
だが、そんなものは大したことない。幾ら自分が傷つこうとも、その分、自分が頑張れば良いだけの話。
そんな体の痛みなんかよりも――――
「父親が重傷を負い、家族が必死に頑張った中で――私は何も出来なかった。それだけなら、まだ良かった。そこで終わっていれば、こんな結末にならずに済んだ」
この罪に、心が、耐え切れそうにない。
――――止めて。
アーチャーはタカマチナノハ≠断罪する。弾劾する。糾弾する。
なのは、最大の――罪の形を。
それは他人からしてみれば、取るに足らないことだ。
しかし――確かに。タカマチナノハ≠ここまで歪めてしまった原因は其処にある。
なればこその罪。なればこその救済観念。なればこその結末だ。
――――お願いだから。
それを思い出させないで――――
「生活時間が合わず、バラバラになっていく家族達。大好きな父は重傷で、大好きな母は自分たちを食べさせるために一心不乱に働き、上の兄妹達もそれを手伝った。
その中で、何も出来ない自分がいた。私は思った。何故こんなことになったのだろう。何故私はこんなに何も出来ないんだろう。どうして誰も――私を構ってくれないのだろう。
――――それもこれも全て、『彼女』のせいだと。幼き故の愛情への餓え、そして自分の無力感は、全て、『彼女』によってもたらされたモノだと、アナタは思った」
いえ、思ってしまった――――とアーチャーは擦れるような声で紡ぎ出した。
びしり、と。
心の奥底で、音がした。
タカマチナノハの闇――――
それが。
今まで仮面の下に押し込めていた、その暗黒が露わになる。
「詳しくは分からない。ただその事実だけが目の前にあった。
だから――――私は、『彼女』にそれをぶつけた。当たり散らすように、醜く、泣き叫びながら糾弾した。
別に『彼女』が悪い訳じゃない。父も母も、誰も恨んでいないし、結果的に皆助かったからそれで問題ないはずだった。でも、当たらずにはいられなかった。
それだけで、『彼女』の人生と、『私達』の人生は大きくねじ曲がった」
在るはずだった幸福の形。皆が笑っていられる光景を――なのはは自ら切って捨てた。
関係は断ち切られ、本来と違った形になってしまった。
なのはは思ってしまったのだ。『彼女』に嫌われた――と。全ての因果は自分にあると思った。
優しい『彼女』はそんなこと思っていないかも知れない。
だが、現実として、未来をねじ曲げたという事実は何も変わらない。
『彼女』と私達は家族同然の仲になっていたかもしれない。母の仕事はもっと楽になり、もしかすると兄と恋仲になっていたかも知れない。因果は因果を呼び寄せ、もしかすると家族の人数も、もっと増えていたかも知れない。
『彼女』が来ることによって――――もっと違う、別の未来があったはずだ。今よりもっと幸福な、輝かしい未来が。
それをなのはは断ち切った。自分の感情そのままをさらけ出した結果、家族の形が歪んでしまった。
在るはずだった幸福は無く、そこにいるはずだった人間がいない。
別に今が幸せでないわけじゃない。皆が皆、笑い合って、自分の人生を憚ることなく生きている。
――――だけれども、確実に、今よりもっと幸福な未来があり。
自分のせいで、それは瓦解してしまったのだと――――
「だからこそ、私はよい子≠ナあらねばならなかった。在るはずだった幸せの代わりに、その分、誰かを幸せにしなければ嘘だと思った。
無力な自分がようやく手にした人を救う力=\―だから、私はそれに縋り付いた。縋り付くしかなかった。
ほら、これのどこが正義なのよ? 英雄? 巫山戯ないで。理想というのも烏滸がましい。
アナタはただ自分が救われたいから、他人を救う振りをしているだけ。本当は人を救いたいなんて欠片も思っていない。あるのはただ罪の救済だけ。
高町なのはは他者を救いたいのではなく、自己を救いたいだけの偽善者。アナタのソレは、ただ他人に自分の罪を押しつけているだけの自慰行為に過ぎない。
なのは。――――アナタはかつて思ったはずよ」
止めて。
それは。
どうか、それだけは。
形にしてはいけないというのに――――!
「もしあの時、父親が死んでさえいれば――――とね」
そう父親が死んでさえいれば――或いは。
自分が歪むことなく、今よりもっと幸せな時間が――――
それは 高町なのはが 絶対に 口にしてはならない 言葉だった。
ばきん、となのはのレイジングハートが折れた。
砲撃に次ぐ砲撃。そして急激に成長したなのはの魔法に耐えきれなくなったのだ。
だが折れたのは、レイジングハートだけではない。
心も同時に――折れた。
膝から崩れ落ちる。最早、まともに立っていられないほどに体は傷ついていた。
あちこちの筋繊維は千切れ、骨はぎしぎしと悲鳴を上げている。リンカーコアには罅が入り、脳髄に直接焼き鏝を突き入れたような頭痛が、なのはを責める。
瞳は焼け、映るのは灰色の絶望のみ――――
アーチャーは目を細めて、何かに耐えるように声を絞り出した。
「それこそが、私達の罪よ、なのは。
その思いを否定したくて――いや、罪を罪として自覚せずに、私は走り続けた。間違っていると、どこかで知りながらも、それしか出来ないから戦い続けた。
気付かない振りをして、仮面の下に押し込めて、ただ駆け抜けた。人並みの幸福なんて自分には分不相応。そう思いこんで、そしてその思いこみにすら気付かず、我武者羅に走り続けた。
意味なんて、価値なんて、何一つ無い。かつてあったはずの幸福、その代替品を、ずっと探し求めるだけの不毛な旅路。
――――そんなもの、どこにもないというのに」
一際大きい光弾が、撃ち放たれる。
なのはは折れたレイジングハートで、なお、それを相殺しようとするが――――
瞬間、体がくの字に折れ、口から血の塊を吐いた。
着弾。
炎熱と爆音と共に、レイジングハートごと、なのはの体が吹き飛んだ。
防御の魔法陣とバリアジャケットによって、辛うじて致命傷は避けた。だが、それだけだった。
最早身を護るバリアジャケットは、あちこちが煤け、千切れ、破れており、まともにその機能を発揮していない。
魔力が残っていても、体がついていけないのなら、意味はない。
魔導師の命ともいえるデバイスは砕け、紅玉のみが、ころころと転がっていた。
満身創痍。その身の全てに疵が刻まれている。咳き込むようにして血を吐いた。
視界には、ただ赤がある。血の赤が、ただ。
――――そして、その赤色に、ばしゃんと顔面から倒れ込んだ。
「……あ」
そこでようやく気がついた。
高町なのはは、ここで当たり前のように死ぬのだと。
アーチャーは冷徹な瞳を、なのはに向ける。
嘲るように、蔑むように、灰色の瞳で、かつての自分を見下す。
突き出される魔杖。先端にある紅玉に光が集まっていく。
「アナタの人生には何もない。在りもしないモノを求め続る、懺悔と悔恨だけの道のりよ。
目指すモノが零なら、自然、得られるモノも零に過ぎない。
世界に良いように利用されていることも気付かないで踊り続ける無様なコッペリア。
――――その、罪に始まり、罪に終わる行程」
それは断罪の光。それは裁決の光。それは裁きの光。
『神なる光』と名付けられた、その光は。
「まだそれを信じ続けられるというのなら――――」
文字通り、神罰の一撃として。
「――――ここで、罰に撃たれて、処刑されなさい」
高町なのはに向けて、撃ち放たれた。
◇
そこでようやく気がついた。
高町なのはは、ここで当たり前のように死ぬのだと。
死にたくない、という思いはなかった。
本当に、ただ『自分が死ぬ』ということを酷く冷静に受け止めていた。
悲しさも口惜しさもない。
ただ漫然と、振り上げられる断頭台の紐を、冷めた目で見つめていた。
「――――なのは」
ざ、という音と共に、後ろから声が聞こえた。
衛宮士郎。その名前を思い出す。
そこで初めてごめんなさい=Aという言葉が湧き出た。聖杯戦争――それに巻き込まれる形になってしまったけど、巻き込んだのはこっちも同じだ。
初めて出会った時から、今この時においてまで、散々お世話になった。
そのお礼を、欠片も返すことが出来ずに果ててしまうことが、何より申し訳なかった。
膨大な魔力が、アーチャーの杖の先に収束していくのを感じる。
あれは、もうどうしようもない。先ほどは偶さか相殺できたが、今回はそうもいかない。
体は襤褸雑巾、頼りになる相棒も砕けた。
――――何より。
この心が、あの人には、どうあっても敵わないと諦めている――――
アーチャーの言葉。
きっと、それは全て真実だ。
知っていて、なお蓋をした、高町なのはの原罪だ。
一端、形にしてしまえば、こうなってしまうことは知っていた。
理想の正体。何故人を助けたいと願うのかという、そもそもの原因。
私の行動理念は全て――――罪と闇とエゴで満たされている。
そこを明らかにされれば、高町なのはは終わりだ。
幾らアーチャーという結末は否定できても。
原罪という、発端だけは、どうあっても覆せない。
露わになった心の闇が囁く。
これでもお前は、今まで歩いてきた道が正しいと信じ続けられるのか――――と。
笑顔があった。助けられた人がいた。これから、助けられる人もいるだろう。
それは、それだけは嘘にしたくない。例え、避けようのない孤独な破滅が待っていたとしても、それだけは否定してはならないことだ。
だけど――――それでもやっぱり始まりは、罪の意識に他ならない。
過程が正しいモノだとしても、始まりが間違っているのなら、やっぱり、その終わりもまた間違いなのだろう。
それを無かったことにしたいと、アーチャーは言っている。
どうあっても覆せない始まりならば、せめて、終わりが始まる前に終わらせようと。
これからタカマチナノハ≠ノ巻き込まれる人や、何より自分の娘を救うために。
アーチャーの記憶を見た私には分かる。
――――相対的に見るならば。
私が助けるだろう人よりも、私に巻き込まれる人の方が圧倒的に多いのだ。
ならば、私さえいなければ、少なくとも――救われる人はプラスになる。
故に。
アーチャーの願いが、どうして間違いだと断言できるだろう。
「――――ごめんなさい」
だから、そう口にした。
アーチャーは別に世界を滅ぼそうとしているのではない。ただ間違った自分を徹底的に排除しようとしているだけだ。
死ぬのは、消滅するのは、高町なのはただ一人だけ。
誰も死ぬことはない。己が消し飛ぶだけなら、それはそれで一つの結末なのだろう。
罪は、罰として還る。
それだけ、ただそれだけの話だ。
――――結局、二人には迷惑を掛けるだけだった。
巻き込んで、怪我をさせて、それでも何も出来ない自分。
つまるところ、最後まで、私は無力に過ぎなかったのだ。
衛宮士郎のように、もう一人の自分に打ち勝つことも、自分を信じ続けることも、出来なかった。
魔法の力なんて笑わせる。
私はそれに縋り付いただけで、何も変わってなんかいなかった。
そして、これからも変わることはないだろう。
――――ああ、何て弱い。
張りぼてのような、ガランドウの心。
「ごめんなさい。――私は、あの人に勝てない」
口に出来る言葉は謝罪だけ。
変わることなど出来ず、最後まで無力で弱い私のままだった。
士郎さんは、そんな諦めた私を見下ろしている。
何を言われるだろうか。
蔑みか、落胆か、失望か。
だけど、耳に届いた言葉は、そのどれでもなく。
「じゃあさ。
――――何で、お前は、泣きながら立ち上がろうとしているんだ」
そんな、有り得ないはずの問いかけだった。
そこでようやく気がつく。
レイジングハートは砕け、心は折れ、敗北を認めたのにも関わらず。
この体は、その事実を否定するように、なお立ち上がろうとしていた。
悔し涙を流しながら、それは違うと。ここで敗北を認めるのは間違っていると、頑なに叫びを上げていた。
悔し涙。
……ああ、そうか。
土下座のように這い蹲り。それでも立ち上がろうとするのは。
それは――――
「は――あ――くや、しい。私、悔しい、よ……悔しいよっ!!」
立ち上がろうとする中、私は泣きじゃくっていた。
間違っている。
アーチャーは間違っているという確信がある。
だけど、それを形に出来ない自分が。
歯が立たず、こうして這い蹲っていることが。
何より。
敗北を認めてしまったことが、何よりも悔しい――――!
「なら――俺が、お前を手伝ってやる。なのはは、絶対、間違ってなんかいないんだから」
そう士郎さんが口にした直後。
――――ここで、罰に撃たれて、処刑されなさい、と。
私を断罪する言葉と共に、神罰の一撃がアーチャーから撃ち放たれた。
◇
ずどん、と。
大きく爆発した。
それは紛れもなく、一つの裁決の音だった。
音と同時、破壊が起こる。
瓦礫は捲れ上がり、振動が洞全体を震わせた。
今の一撃は高町なのはには防げない。
先ほど以上に、アーチャーには確信がある。
だが、その手には――――慣れ親しんだ人を殺した≠ニいう感触が無かった。
「……!」
そして、突然発生した士郎でも凛でもない、第三者の魔力反応――――
「まさか、まだ仲間がいたというの?」
アーチャーの驚きの声。
同時、声がした。
「仲間じゃない――――」
薄煙が晴れる。
そこには――――
なのはと士郎を守るようにして立ち塞がる、二人の魔導師の姿があった。
その魔導師――――フェイト・T・ハラオウンとユーノ・スクライアは、声を重ねて。
「――――友達だ」
自らの存在を、静かに、だが確かに宣言した。
Index of L.O.B
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