|Ash 10-4|
 


 ――――その最後を知るものは誰もいない。


 夢を見ている。
 白でもなく蒼でもなく赤でもなく――――灰色の夢を。
 遠坂凛は見ている。

「なのは――どこへ行くの」
 ひゅう、と風が吹いた。からからと枯れ木が流れていく。
 視界一杯に広がるのは、荒れ果てた荒野だ。
 夕の太陽が、大地を暁に染めている。
 中央には人影が二つ。
 長い金の長髪を風に揺らす女性。襟元に豪奢な毛をあしらえた白のジャケットを羽織り、黒の制服にタイトスカートを着込んでいる。手足に装着されているのは甲冑だ。夕の赤光を照り返す銀が、がちゃりと音を立てた。
 右の腕甲冑の先には――杖≠フようなモノがあった。形状は鎌に近い。ただ先端は折りたたまれ、穂先の中央にある金色の――瞳のような――宝石が微かに煌めいていた。
 金髪の女性の赤い双眸は、もう一つの影を悲しげに見つめている。
 その人物――灰色の女性が僅かに振り向き、口を開いた。
「……別に言わなくても――フェイトちゃんなら、分かっているでしょう? 私のメモを見たんだから。あの断片的なメモだけじゃ、普通私の目論見には気付けないはずだけど……流石は閃光≠フ魔導師――執務官の長、フェイト・T・ハラオウンと言ったところかな」
 肩胛骨まで伸びる長髪が、風になびく。
 くすんだ茶の髪に、くすんだジャケット。くすんだインナーに、くすんだスカート。そして――くすんだ黄金の杖に、乾いた両の瞳。
 全体を構成する色は白と蒼と黒と茶と金、のはずだが、その全ての色彩がくすんでいるため、印象は既に別物だ。
 灰色。
 そう表現するしかないような姿だった。
 フェイト、と呼ばれた金髪の女性が、なのは、と呼んだ灰色の女性に返す。
「まだ――誰にも言ってないよ。だから考え直して。今、この世界は不安定ながらも、ちゃんと平和への道を歩いている。それは少しずつだけど……でも、確かに前進はしているんだ。なのはのおかげで……なのはが――あの戦争を終わらせてくれたから、世界は今、平和になろうとしている。
 ――――それなのに」
 どうして。

「どうしてそれを――――わざわざ、自分の手で壊そうとするのっ!?」

 風が凪いだ。咆吼が、荒野にしんしんと響き渡る。
 灰色の女性――歴史上最悪と呼ばれた時空戦争を終結させた次元世界の英雄。
 高町なのはは、ふ、と乾いた笑みを浮かべた。
 そして、ぽつりと。
「疲れちゃったんだ」と呟いた。
 振り向く。くすんだ灰色の瞳が、フェイトを見つめる。
「疲れたの。戦うことも、人を救うことも、もうどうでもよくなった。確かに、あの最悪な戦争を終わらせたのは私だけど――それは別に、やりたくてやったわけじゃないしね。どうせこれから、うんざりするほど人を救う羽目になるんだし」
 ……うんざりするほど――人を救う?
 フェイトは僅かに眉をひそめた。
 だが、それも一瞬。すぐに顔を上げて。
「やりたくて、やったわけじゃないって。なのは、それは一体どういう――――」
 言った直後だった。
 あははははははは、という哄笑が、フェイトの言葉を遮るようにして辺りを震わせた。
「はははははっ! フェイトちゃん、それ本気で言っているの? アナタなら分かるはずでしょう? いいえ、分からないはずがないわ。もう一人の母親(、、、、、、、)たるアナタに――分からないなんて言わせない」
 なのはの言葉に、フェイトは、は、とする。
 苦々しく唇を噛み締め。
 ぽつりと。
「――――ヴィヴィオ」
 と絞り出すような声で呟いた。
「そうよ! あの戦争を終わらせたのは、ただそれだけ! ヴィヴィオの死を無駄にしたくないから! ただそれだけなんだよ! フェイトちゃん!」
 笑いながら、歌うように、なのはは叫んだ。
 そして、ひとしきり笑った後。
 諦観に満ちた瞳で――ふぅ、と息を吐いた。
「私にとって、こんな世界は何の意味も持たない。ヴィヴィオが居なくなった世界なんて……ヴィヴィオを私に殺させた(、、、、)世界なんて……消えてしまえばいい」
 全ての感情が抜け落ちた、そんな表情で、なのはは告げた。
 泣きそうになる衝動を抑え、振り絞るようにフェイトは「それはっ!」と返す。
「それこそ、ヴィヴィオの死が無駄になっちゃうよ、なのは。ヴィヴィオはそんなこと望まない。ヴィヴィオの死を――本当に悼むのであれば、世界を壊すなんて言っちゃ駄目だ。そんなの、何の意味も無いじゃない……!」
 言葉を受けるが、しかし、なのはは平然とした顔で。
「――――フェイトちゃんが、それを言うわけ?」
 唇の端を吊り上げて、笑った。
「一つだけ、最後に教えておく。それは――偽善(きれいごと)だよ。フェイトちゃんはいつもそうだよね。いつだってフェイトちゃんは正しくて、綺麗で、品性高潔で――まるでお人形さん(、、、、、)のように空っぽ。アナタの言葉に、どれだけの重さがあるの?
 ……ヴィヴィオを殺したことのないフェイトちゃんに、一体何が分かるというの?」
 そして。
「死者は何も望まない。死者は何も喋らない。死んだ人は――絶対に蘇らない。この世界の絶対的真実が分からないとは言わないよね。他ならぬ……フェイト・『テスタロッサ』なら」
「……!」
 雷に打たれたように、ふらりとフェイトは蹈鞴を踏んだ。
 ざ、となのはは足を一歩踏み出し。
「アナタの偽善を――――私に押しつけないで」
 フェイトの瞳を見ずに、そう告げた。
 なのはの歩みは止まらない。その瞳に何も映さず――ただ歩く。
 ぎり、とフェイトは奥歯を噛み締め。
「――――そのやり方で、私を救ってくれたのは、なのはなんだよ」
 俯き、言うが。
「――――昔と今は違う。私達はもう魔法少女じゃないんだよ。夢を見ていられる期間は、終わったの」
 そうして、二人が擦れ違う一瞬。

「私は滅ぼす。この世界をぐちゃぐちゃに、滅茶苦茶に――完膚無きまでに破壊する」

 ニヤリと。
 薄い薄い薄い――薄氷の笑いを浮かべた。
 ばぎん。
 奥歯が噛み砕かれる音共に。

「なのは――――っ!!」

 フェイトが黒い鎌のような杖≠振り抜き。

「フェイトちゃん――――っ!!」

 なのはがくすんだ黄金色の杖≠振り抜いた。
 瞬間。
 桃色の魔力光と金色の雷が激震し、世界をも砕く勢いで、大気に煌めいた。
 かつて魔法少女だった二人は――今、互いに変わり果てた姿となり、激突する。



 そして――――――――――

 ざぐん、と肉を切り裂き骨を砕く感触が――フェイトの掌に来た。
 ライオットザンバー――雷の大剣の先が、ちりちりと火花を散らしている。
 高町なのはの血を、滴らせながら。
「なの……は……?」
 応えるように、ごぶ、と血の塊をなのはは吐いた。
 その腹部には――フェイトの杖=Aバルディッシュ・ザンバーの雷刃が深々と突き刺さっている。
 肉を、骨を、内臓を、全て貫き、背中から刃が突き出ていた。
 吐血を繰り返すなのは。その表情には――笑みが刻まれていた。
 対し、フェイトは愕然としていた。その口が「どうして」という形を作る。
 どうして。

「最後――わざと、私の刃を受けた……の?」

 は、という吐息が、なのはから漏れた。
 なのはの体は、今、フェイトに正面からもたれ掛かっている格好だ。呟く声は、まるで囁いているようだった。
「最初に……言ったでしょう? 疲れた(、、、)、てさ」
 は、とフェイトは目を見開き。
「そ、んな――そんな、ことって。なのは、まさかアナタは――――
 ――――最初から、このつもりで……!?」
 なのはは何も言わなかった。
 肯定も否定もせずに、ただ「ふふ」と笑った。
「勘違いされると嫌だから言っておくけど。……私の言葉は全部本当だよ。撤回も言い直しも謝罪もしない。私が世界を滅ぼそうとするのは――多分、間違いないし。そう、今の私は――本当の悪魔なんだよ、フェイトちゃん」
 だから。
「私に――止めて欲しかった、の? わざと私にメモを見せて……私だけに気付くような仕掛けをして――そうまでして、なのはは」
「だからさ、そんなんじゃないって。私は要するにさ――八つ当たりが、したかっただけなんだから」
 にゃはは、と昔のようになのはは笑った。
 フェイトの手が、震えていた。愕然とする中、それでも魔導師の性として、状況を脳内で整理していく。
 ……今のなのはと、まともに闘うことが出来るのは――管理局でも殆どいない。その誰もが会うのに困難な人達ばかり――……だけど、執務官の私は、その人達より――ほんの僅かだけど――自由だ。
 八つ当たり≠ニいうことなら、きっと一番向いている……!
 その思考に至った瞬間、ふるふるとなのはは首を振った。
「そんなんじゃない。そんなんじゃないってば。私はさ、ただ単純に――――」
 息を吸って。
「親友でもう一人の母親≠セったフェイトちゃんに、私を殺して貰いたかっただけ」
 と嬉しそうな声で告げた。
「そ……んな」
「気付かなかった? 気付かなかったでしょう? フェイトちゃんは、これからこの罪を背負うことになる。親友を殺したこと、次元世界の英雄を殺したこと――人を殺したという十字架を、これから一生背負っていく。……これはさ、この世界の『タカマチナノハ』≠ニいう存在を殺す儀式と同時に――――ヴィヴィオが死んだとき、その場にいなかったフェイトちゃんへの、断罪」
 そう告げる声が、吐き出される息が、脈動が、少しずつ小さくなっていく。
 生命が終わっていく。
 からん、となのはの掌から杖が落ちた。
「な、……のは」
 フェイトの生気が抜け落ちたかのような瞳を、横目で見ながら。

「じゃあね、フェイトちゃん。縁があったら――――どこかの滅びで、また会おうね」

 にぱっと、いつもの無垢な笑顔で――高町なのはは絶命した。
 がくん、とフェイトの膝が崩れ落ちた。
 全身が震え、赤の瞳から涙が零れた。
 そして。
「あ、あ、あ、ぁああああああああああ――――――――――――――――――――っ!!」
 笑みの表情のまま固まっている――高町なのはの屍を抱きしめながら、悲嘆の声で絶叫した。

 ――――それが、英霊タカマチナノハの最後の瞬間だった。

 遠坂凛は夢を見る。
 白でもなく蒼でもなく赤でもなく。
 灰色の夢を、遠坂凛は見る。
 歴史の裏に葬られた、一つの出来事を、遠坂凛は見る。

 それは最終決戦の日――サーヴァント・アーチャーがマスターを裏切る、十日目朝の出来事だった。

 「Ash / staynight」
 10日目(4)『Golden Starlight』

「――――じゃあ、少し、頭冷やそうか」

 アーチャーは言うが早いか、手に持った杖=\―レイジングハートを三人に向け。
 その莫大な魔力を撃ち放った。
 ず――という震えの後。
 目も眩むような破壊が来た。
「――――っ!」
 アーチャーの『元』マスター遠坂凛と、両手に干将・莫耶を握る衛宮士郎と、そして異世界の魔導師高町なのはは息を呑み、同時に散開した。
 桃色の流星が走る。――着弾、爆砕。それが繰り返される。
 大地が捲り上がる音が連続して響く。
 その破壊の中、三人は駆ける。
 瓦礫が体を擦過し、爆音と衝撃が各々の体を貫いた。
 士郎が思わず声を上げる。
「っっっっ! これがマスターのいないサーヴァントの魔力かよ! 幾ら何でも無茶苦茶だ!」
 ぼふ、と爆煙を突っ切り、横を走る凛が大声で返す。
「馬鹿士郎! 事前に言ったでしょうがっ! アーチャーは、魔力だけで言うなら――アンタのセイバーをも上回るって!」
 際限なく降り注ぐ魔弾。
 本来ならば正規のマスター――つまるところ魔力供給源を失ったサーヴァントは、直ぐさま消え去る運命にある。それはサーヴァントというシステム上、どうしても逃れられない弱点だ。
 だが、今三人の目の前で砲撃を放つアーチャーにその気配は見られない。
 それはアーチャーの固有スキル、単独行動≠熨蛯「に関係しているが――それ以上に、アーチャー・真名タカマチナノハの強大過ぎる魔力量が原因にあった。
 ……何てったって、この私の魔力量を以てしても、アーチャーの最大には届かなかったんだから……!
 一流の魔術師たる凛がマスターとして魔力を供給しても、アーチャーはそのスキルの全てを使用することが出来なかった。タカマチナノハの十全を発揮するには、一般魔術師の遥か上を行く凛の魔力量を以てしても、不十分だったのだ。
 その底知れぬ魔力量。それが今――令呪によって満たされている。
 ギルガメッシュ戦から既に一時間以上が経過しているが、その魔力が尽きる気配は無かった。
 無論、ギルガメッシュを打倒するにおいて、かなりの魔力量が消費されているはずだが、それでも、こうして単なる射撃魔法を撃ち放つ程度には残っている。
 そしてアーチャー……タカマチナノハには、その程度≠ナ十分だった。
 現界さえしていれば、聖杯は願いを叶えてくれる。彼女にとっては、それだけで、十分なのだ。
 今こうして掃除≠しているのは、ただ単に士郎達が邪魔なだけ。同時に、タカマチナノハを消去するというアーチャーの本来の目的故に、だ。
 それだけ。ただ――それだけだった。
「邪魔はさせない。私の願いは、この願いだけは――誰にも邪魔させない」
 アーチャーは酷く冷淡な声で呟き、機械的に砲撃を撃ち続ける。
 それに。
「こ……のぉ――分からず屋ぁ――――っ!」
 十四歳の――現在≠フ高町なのはが、同じように砲撃を撃ち放った。
 ディバイン・バスター。
 なのはの杖、レイジングハートの無機質な声が響き、アーチャーと同色の魔力弾が大気を疾駆する。
 が。
「分からず屋は――どっちのほうかな?」
 アーチャーはソレを、ただ指先から放った掌大ほどの魔力弾だけで――相殺した。
 どころか。
「っ――――!」
 なのはのディバインバスターを――真正面からぶち抜いた。
 爆砕。
「なのはっ!」
 士郎と凛の声が、同時に響いた。
 瞬間、煙の中で――きん、と桃色の光が瞬いた。
 ぼ、となのはは灰色の空気から飛び出した。その両足には両翼がはためいていた。
 フライヤーフィン。レイジングハートの穂先に吐いている宝玉には、そう書かれていた。
 しかし。
「残念。――――アナタの動きは、手に取るように分かる(、、、、、、、、、、)
 アーチャーは、く、と指先を曲げ――なのはの後方に飛ばした数個の魔力弾を射出した。
「ディバイン――シューター」
 言葉と同時、お、という音が伸びて。
 魔力弾の全てが、なのはに着弾し、爆ぜた。
「ぁうっ!」
 短い悲鳴と共に、全身に衝撃が走り。
 思い切り体が大地によって横殴りにされた。
 吹き飛び、砂埃を上げながら、地面に強く擦りつけられていく。
 白く輝く聖杯を背負い、アーチャーはかつての自分(、、、、、、)を見下して。

「これで――お仕舞い」

 ストレイト・バスター。
 くすんだ金色のレイジングハートの声が響き。
 止めとばかりに、数個に枝分かれする直射砲を撃ち放った。
 その寸前に、士郎と凛が、なのはの元へと駆け出し――――
 炸――裂。
 魔力が魔力に反応し、連鎖爆裂を起こした。
 ごごごごごごご――――と地下大空洞が悲鳴を上げるように、その身を軋ませる。
 ずどん、という音が連続して響き、天井から瓦礫が落下、爆ぜるように砕かれた。
 アーチャーは灰色のバリアジャケットを翻し、聖杯へ向いた。
 ……十四歳当時の私≠カゃ、今の砲撃は防げない。ま、当然の結末だよね。
 『高町なのは』の究極たるアーチャーに、今だ道の途中にある現在のなのはに叶う道理はない。
 仮に『高町なのは』が、生まれたときから世界を救う∴子を持っている生粋のメシアだとしても――その道理は覆すことは出来ない。
 高町なのはの相手もまた――高町なのはなのだから。必ず困難を突破する≠ニいう概念は、世界でただ一人、この相手にだけは通用しない。
 勇気や希望、気合いや根性――主人公(せかいからの)補正という、いかなるご都合主義(よくしりょく)も、タカマチナノハには届かない。
 ……だけど。
 と、アーチャーは思い。

 ――この悪寒は、一体――――……!

 自らに走る直感に従って、勢いよく振り向いた。
 そこには。
 大気を疾駆するディバインバスターと。
 それに重なり合わさるように絡み合った三つの宝石弾と。
 両翼から迫る干将・莫耶が。
 目前に――――
 ……!!

 破壊。

 白く輝く聖杯の下、耳を劈くような爆音と、先ほどまでのアーチャーを上回るほどの破壊が起こった。
 大地が蹂躙され、大気が焼き付き、暴れ狂い、音と衝撃が辺り一面に踊る。
 圧縮された空気が空間を駆け上がり、破裂した。
 破壊の音の後に、破壊の音が鳴り、更にその後に破壊の音が鳴り続き――――
 柳洞寺地下の大空洞が、広大な大地のソレが、大きく抉れた。
 その破壊を以てしても、しかし、アーチャーは健在だった。
 聖杯の目前に穿たれた巨大なクレーターの底で、環状の魔法陣を展開させながら、苦々しく歯を噛んだ。
 ……なるほどね。()≠フ私が、未来()≠フ私を倒すとするなら――それしか方法はない、か。
 単純な話だ。
 十四歳のなのはもアーチャーも結局は高町なのは≠ネのだ。その技量はいつか届くモノ≠ニいう延長線上にある。ただ単純に現在≠フ高町なのはでは、足りていない≠セけ。
 ならば、それを他から補うことが出来れば――――現在≠ナも、未来≠ノ並びうるかもしれない。
 そんな小学生でも出来る――単純な計算だった。
 だが。
 ……残念。サーヴァントでも居れば別かも知れなかったけど――只人である凛と士郎を足したところで、私には届かないよ。
 十四歳の高町なのはに――魔術師という種類ではあるが――ただの人間が何人合わさったところで英霊に届くはずもない。
 ニヤリと笑い、今だ粉塵晴れないその場所を見やる。
「少し驚いたけど――でもやっぱり、アナタは絶対に勝てない。魔法少女でしかないアナタが――魔法少女の上の存在である私には、絶対届かない。
 ――――アナタのそんな甘っちょろい偽善では、私の願いは止められないっ!」
 言って、レイジングハートの穂先を向ける。
 きぃん、と光が走り――周囲に数個の魔力弾が顕現する。

 放った瞬間。

 煙が晴れ。
 アーチャーの笑みの瞳を射貫くように。
 衛宮士郎の鷹の目が――――

「――――てめぇの方こそ、頭冷やしやがれ」

 偽・螺旋剣(カラドボルグ)=B
 お、という音が伸び、捻れた剣が、黒い弓から射出された。
 限界を超えた投影を行ったせいか、その瞬間、士郎の全身の血管が千切れ、鮮血が飛沫(しぶ)いた。
 だが構わないとばかりに、螺旋剣が大気を捻殺しながら突っ走る。
 魔力弾と、激突すらしなかった。
 拮抗もない。相打ちもない。相対すら――無かった。
 魔力弾を捻じ殺し、偽・螺旋剣(カラドボルグ)≠ェアーチャーに向けて一直線に走る。
「っ!」
 アーチャーに初めて――――驚愕、そして焦りという表情が浮かんだ。
「レイジングハートっ」
 応、という――どこかひび割れたかのような無機質な声が響くが。
 時既に遅し。偽・螺旋剣(カラドボルグ)≠ェアーチャーに直撃し、爆ぜた。
 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)=B
 空間が砕ける。衝撃の音がする。
 アーチャーの放った魔力弾は大きく逸れ、三人の後方で――爆発四散する。
 数瞬の凪の後――ばきん、と手にした弓が割れて、士郎は膝を崩した。
「士郎さんっ!」
 ……やっぱり無茶だったんだ。この作戦は……。
 アーチャーの砲撃によって摺り切れたバリアジャケットと、骨折・裂傷などの激痛に耐えながら、なのはは思った
 なのはは魔導師だ。魔術師ではない。だから士郎がどれほど無茶をしたのか。どれほどの奇跡を行使したのかは、よく分かっていない。
 だが、結果として士郎は、この短時間で有り得ないほど疲弊し――血を流していた。
 その事実が、なのはの心を軋ませる。
 凛はそんななのはを見やると、にぱっと笑った。
「気にすることはないわよ。なのはが囮で、アタシが策謀、――んでコイツは無茶やる係なんだから。いつもそうだったでしょ? 第一、アーチャーを倒すにはこれくらいしか策がなかったんだし」
「は、ぁ――っ! いや、言うことは間違って、ないけど、な。遠坂、労いの言葉――の一つもないのかよ」
 汗と血で塗れ、魔術回路が焼け焦げ、抉るような痛みが全身を駆け抜けている中、士郎は凛に言った。
 凛は士郎の頭に手をやり。
「――――いいこいいこ」
「犬かよ、俺は……」
 そんな二人を見て。
 ――……確かに士郎さんって子犬系だよね……。
 なのはは微笑した。
 士郎は横目でなのはを見やり。
「ごめんな、なのは。結局――アイツを、アーチャーを救ってやることが、出来なかった」
 苦しそうに蠕動しながら、言った。
 なのはは「ううん」と笑って首を振り。
「――多分、これが最善だったんだよ。あの様子じゃあ、話なんて、とてもじゃないけど聞いて貰えそうになかったから。――全く、自分事ながら呆れるほどにガンコなんだから」
 と、少し口を尖らせながら、応えた。
「今≠フアンタも筋金入りの頑固者だからねぇ……なるべくして、というのが正直な感想ー」
「……凛さん、それちょっと酷くない?」
「お前ら……暢気にしてるけど――俺たちはこれで打ち止めなんだぞ……」
 血を流しながら息を吐く。
 すでに、そのなけなしの魔力は空っぽだった。魔術回路は焼き切れて、しばらくは使い物にならない。
 凛も先ほどの宝石弾と投影のバックアップ――そして自身の強化により、虎の子の宝石は全て使い切っていた。
 まともに戦闘という戦闘が出来るのは、なのはしかいない。しかし、なのはではアーチャーには敵わない。
 相対する敵もまた、高町なのはなのだから。
 それでも凛はひらひらと手を振りながら笑い。
「大丈夫よ。コイツのアレをまともに受けたのよ。十全な状態ならともかく、マスター不在で魔力供給もままならない今のアーチャーじゃ――これ以上立ち上がることは出来ないはずよ」
「馬鹿――お前、そんなこと言ったら」
「――――え」
 凛がぼんやりと、そんなことを言った瞬間だった。

「ざーーんねーん。古今東西、そう言って本当に倒れた悪役がいた?」

 声が響いた。
 煙が晴れ、明確になったその場所に――アーチャーが厳然として立っていた。
 凛が顔に手をやり「あっちゃあ」と呟いた。
「……直撃は――したと思うんだけどね。じゃあ何? アンタはアレを――耐えきったって訳?」
 アーチャーは髪を掻き上げながら笑い。
「うん、危ない所だったけどね。この子達≠フ発現が後コンマ一秒遅かったら、流石にやばかったかな」
 す、と手を横に振った。
 すると背後から――七つのくすんだ金色が現れた。
 それはアーチャーが手に持つレイジングハートのミニチュア版のような機械だ。一つ一つに紅の宝玉が添えられており、桃色の燐光を散らしている。
 偽・螺旋剣(カラドボルグ)≠も受けきった、その宝具の名は。
「ブラスター――……ビット」
 唖然、とした体で、なのはは呟いた。
「ああ」とアーチャーが素っ気なくソレを見やる。
「そういえば十四歳って言ったら、コレ≠フ制御に四苦八苦している最中だっけ。懐かしいなぁ、本当に懐かしい……」
 ぼんやりと昔を懐かしむように言い、そして。
「本来のブラスターシステム……完成された5thモード≠ネら、こんなもんじゃないんだけどね。ビットの数はざっと百と少し――今の魔力量じゃ、七つが限界だけど、それでもアナタ達を相手にするには十分すぎる。凛なら分かるでしょう? この――絶対的戦力差が」
 刻まれた笑みと相反する、圧倒的な殺意を放った。
「確かにね」と凛は冷や汗を流す。
 脳裏に浮かぶのは対ギルガメッシュの光景だ。
 あれは正に――圧倒的だった。
 六対の翼に、黄金に輝く歪で醜悪、だけれども美しさと壮麗さを兼ねたレイジングハート。発せられる魔力量は竜の炉心を持つセイバー、半神であるギルガメッシュをも大きく上回る。そこにいるだけで世界を激震させ、大地を揺らす、その姿は正しく規格外。
 その魔力量の四割以上も使って放たれる――英雄タカマチナノハの究極の一撃は、ギルガメッシュの天地乖離す開闢の星≠ニも拮抗した。
 時空世界の英雄――魔導師の頂点。歴史上、片手でしか数えられなかった魔神領域(SSSランク)――無限光<アイン・ソフ・アウル>≠ノ辿り着いた受け入れし者=B
 世界に選ばれ、世界に導かれた生粋のメシア。救世の権化――それこそが英霊タカマチナノハの真の姿である。
 それから見れば、マスター不在の今の状態が、いかにアーチャーが脆弱であるか分かるだろう。
 が。
 ……だけど、やっぱり、私達が勝てる相手じゃ――ないってことか。ま、元から勝率なんてゼロに等しかったんだけど……見積もりがちょっち甘すぎたかなぁ。
 仮にもアーチャーは、セイバーとの連携があったとはいえ、英雄王ギルガメッシュの乖離剣(エア)≠ノ拮抗し、あまつさえそれを打倒した化け物だ。
 異世界の魔導師――異端の、規格外の英霊。凡百たる人間の凛達が敵う道理など、初めから無かった。
 士郎がぎり、と奥歯を噛み締める。横目で凛を見るが、眉尻を下げて軽く息を吐き「お手上げ」と言いたげに両の手を持ち上げた。
 血に塗れたその体で「くそ」と悪態を吐く。
 ……こいつは、こいつだけは――倒さなくちゃいけないのに。
 士郎は思う。
 キャスターの想いを受け継いだ自分が――キャスターを否定した自分が――救わなければならないのに。
 ――どうして、こんなに自分たちは無力なんだ、と。
 だが、士郎のそんな諦観を吹き飛ばすように。

「――――なのは」

 高町なのはが、アーチャーを見据え、一歩前に踏み出した。
 士郎と凛は、その背中から放たれる声を聞いた。
「ありがとう、士郎さん、凛さん。でも、やっぱりこれは――私の、闘いだから」
 言って、レイジングハートを構える。
 と『その通りです、マスター』と無機質な声が応えた。
 アーチャーが眉根を寄せ、不快げに、かつての自分を見やる。
「おかしいなぁ。これだけ言っても、これだけ見せても、まだ分からないのかなぁ。そこまで私――馬鹿だったかなぁ」
 きつく絞った瞳から放たれるのは、正しく殺気だ。殺さん――とばかりに放たれるソレは、びりびりとなのはの体を震わせる。
 圧倒しそうな中で――なのはは。
「――――ふ」と笑った。
 恐怖するでもなく、戦慄するでもなく、絶望するでもなく、悲観するでもなく、諦観するでもなく――ただ笑っていた。
 最早そこには、先ほどまで泣いていた少女はいなかった。
 絶望に枯れ果てた灰色の自分を前にしても――高町なのはは、揺らいでいない。
「ねぇ、私=Bそんなことも忘れちゃったの? ――私っていう人間は、どうしようもなく単純で馬鹿なんだよ?」
 笑い、髪を掻き上げる仕草はアーチャーに似ていた。
「私は馬鹿だから。アリサちゃんやすずかちゃん、フェイトちゃんやはやてちゃんみたいに器用じゃない。――頭が悪くて不器用なの。そんな私に出来ることなんて――――たった一つ。いつだって、たった一つ。
 ――――全力全開で相手にぶつかっていくことだけなんだから」
「その生き方が――間違っているというのよ」
 ぎしり、とアーチャーはレイジングハートを握りしめた。
「それは偽善の押し付けでしかない。アナタのソレは相手の思想や信念を蹂躙し砕く暴力でしかない。そんな子供の言い訳で、どれだけの人が巻き込まれ、迷惑したと――すると思っているの? 人だって沢山死んだ。私達≠フその思想は、どうしようもなく人を殺す。未熟で不完全で、害悪でしかない。そんな偽善で何を救うというの!? ――――いや、何を救うかも定まらない! その結末は、見ての通り(、、、、、)。アナタは自分の愛する娘を――殺すことになる。灰色の結末を迎えることになる。
 ――――アナタはそれでも、その生き方を貫き通すの!?」
 対し、なのはもレイジングハートを握りしめる。がしゃん、とカートリッジが廃莢される。
 そして――ばさり、と桃色の羽根が瞬いた。
 エクセリオンモード――出力リミッターの解除である。
「じゃあ、やっぱり私とアナタは違う存在だ。私は、後悔しない。何があったって後悔だけはしない。全てを無かったことにしようなんて絶対に思わない。
 助けたいと思って。
 そうして助けることが出来て。
 沢山の人と出会って。
 沢山の笑顔があって。
 沢山の、涙があって。
 それは全部全部――確かにあったことで」

 今まで救ってきた人達。
 これから救っていく人達。
 ボロボロで、歪な道のりだけど。
 歩いた先に、歩ききったその先に――誰かの笑顔があるのならば。

「私はそれを――嘘に、したくない。
 ――――この想いは、決して間違いなんかじゃないんだから」

 なのはは噛み締めるように、そう宣言した。
 アーチャーは低く唸るような声で問う。
「つまり、アナタはその押し付けで――自分の娘を殺しても構わないというのね? 誰かが笑っていればそれでいいと。自分さえ良ければそれでいいと、アナタはそう言うわけ?」
 響く声に込められているのは、狂気に満ちた憎悪だ。
 なのはの言っていることは――どうしようもなく偽善で、押し付けだ。いかに結果が綺麗でも、その始まりはアーチャーにとって、唾棄すべき偽善に他ならない。
 ただ嫌われたくない一心で。ただ良い子≠ナあろうとする一心で。
 人を救い、人を殺す。
 自分の娘――ヴィヴィオすら手にかける。
 それが偽善でなく何なのだろう、とアーチャーは思う。
 これはタカマチナノハ≠ノとって、どうしようもない結論だ。
 かつて自分も同じように考え、生き抜いた結果に得た答えが――ソレ≠ネのだ。
 魔法少女の人生は――灰色の結末を迎えることになる。それは絶対の真実、一足す一が二になるように、実に当たり前な正答だ。
 だが――なのはは溜息を吐き。
「あのね、何だか散々当たり前のように語ってるけどさ。ソレはアナタの結末≠ナあって、私の結末≠ナはないでしょう? アナタは――諦めた。否定した。今までの人生を、タカマチナノハ≠フ道のりを――人を救う魔法少女を止めた。その時点で、私とアナタはもう違う者(、、、)なのよ。確かに最初は騙されちゃったけどさ――でも、士郎さんが気付かしてくれたから」

 ――お前が背負った誰かの笑顔をっ! 全て無かったことにしようとしていることだ!!――

 ……そうだね。その通りだよ、士郎さん。
「だから、私はもう迷わない。もう泣かない。私はこの生き方を変えない。誰かを救おうとすることは止めない。でも、自分の娘も殺さない。私は誰も殺さない。いつだって、どこだって――私はハッピーエンドを目指す。自分が納得できる、皆が笑って生きていられる大団円に――全力全開で、突っ走る」

「私だってっ!」

 アーチャーが叫んだ。乾いた言葉に――感情が迸っていた。
「私だって――そうだった。ハッピーエンドが欲しかった。でも結局は、駄目だった。果てに待っていたのバッドエンドだった。沢山の人が死んで、救った人も、救えなかった人も、皆皆死んだ。ヴィヴィオも死んだ。私のせいで死んだ。どうしようもなかった。私はそんな結果を迎えるために――魔法少女になったわけじゃないっ! アナタのその生き方の――私の生き方の結果がソレなの! それでどうして――諦めない、なんてことが出来るのよっ!
 アナタのそれはどうしようもないほど偽善――都合の良い理想論に過ぎないの!」

 は、という息が断続的に響く。その視線には、憎悪・諦観・悲嘆といった負の感情が絡み合っている。
「……そうだね」
 ふ、となのはは目蓋を閉じた。
「もしかしたら、きっと、そんなこともあるかもしれない」
 目を開く。

「でも――――」

 失ったモノがある。
 失おうとしているモノがある。
 あの痛みも。
 あの孤独も。
 あの寒さも。
 あの恐怖も。
 多くのモノを無くして、沢山のモノを零してきた。
 それでも――何もかもを無かったことにしてしまえば。
 一体、奪われた全ての想いは――何処に行ってしまうのだろう。
 だから。
 例え、どうしようもなくみっともなくて。
 例え、避け得ない孤独な破滅が待っていても。
 例え、何もかもを失って。

 ――――みんなにきらわれることになったとしても――――

「この道が。――今までの自分が、間違ってなかったって信じてる」

 嘘に(、、)したくないから(、、、、、、、)――――

「――――っ!」
 アーチャーが初めて――蹈鞴を踏んだ。その場から一歩も動かなかった足が、動いていた。動かされていた。
 なのははしっかりとアーチャーを見つめて。

「ねぇ、私。アナタは本当に――諦めた≠フ?」

 本当に。
 心の底から。
 タカマチナノハ≠ヘ誰かを救うことを――――
 がぎ、と奥歯が砕ける音がする。
「――諦めたに、決まってるでしょ! この姿を見ても、まだ気付かないの!?」
 なのはは「そう」と呟いて――フライヤー・フィンを展開した。
 両の足からそれぞれに二対の翼が現れる。
「なら――私は絶対にアナタを認めない。アナタが私の結末だというのなら、悉くを凌駕して、その存在を叩き落としてみせる」
 アーチャーは顔を歪ませ、狂的に笑い。
「よく言ったわ。私の砲撃に――――ついてこれるかしら!?」
 けれども、なのはは取り乱すことも、泣くこともせず、厳然と前を見つめ。
「ついてこれるか――じゃないよ」
 一息に。

「アナタのほうこそ――ついてきて」

 レイジングハートとレイジングハートが互いに煌めき。
 高町なのはとタカマチナノハが互いに魔力光を迸らせ。
 それらを静かに見ていた正義の味方が。
「そうだ。なのは――――そんなヤツ、ぶっ飛ばしてやれ」
 笑い、砲撃の音が大空洞に響いた。

 ここに。
 全てを救う魔法少女と。
 全てを救ったかつて魔法少女だったモノの。
 高町なのは同士の、その存在を巡った――たった一人の生存競争が開始された。

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