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|Ash 10-3|
 

 「Ash / staynight」
 10日目(3)『Ash like snow』


 ――――この世界に神様は居ない。


 今、凛の脳裏にあるのは赤い光景だ。
 それはアーチャー――英霊タカマチナノハが世界に取り込まれた時の記憶。
 見慣れた海鳴の景色。それら、全てが焔の中に飲み込まれていた。
 通った学校、住み慣れた家、家族、親友、戦友――その全てが燃え墜ちる絶望が目の前で繰り広げられていた。
 ――――第二次時空戦争。
 ありとあらゆる次元世界を巻き込んだ、歴史上、最大最悪な闘争だ。
 その最終決戦の地が、第97管理外世界地球≠セった。
 地上では管理局自ら禁止と定めた質量兵器が乱れ飛び、オーバーSクラスの魔導師が血肉を削って争っていた。遥か上空、大気圏の彼方では、XV級の戦艦が次元を振るわすほどの砲撃戦を行っている。
 地球側も黙ってそれを見ているはずもない。生物兵器、化学兵器、核兵器――ありとあらゆる兵器が駆り出され、世界は泥沼の闘争に墜ちていく。
 滅びの光景。戦争で踏みにじられるのは、いつも何も知らない民間人だ。それはここ、海鳴の地でも変わらない。

「――どうして」

 なのははそこで親友の亡骸を抱きしめながら蹲っていた。
 涙は出なかった。あるのは絶望と喪失感。激情の果てにある虚無だった。
 口をつくのはどうして、という疑問。
 訳が分からなかった。
 否、理屈では理解できる。次元世界という桁違いの規模の戦争に、このちっぽけな故郷が巻き込まれた。ただそれだけのこと。至極単純で明快な構図だ。
 だが、理屈ではなかった。感情が理解を許さない。
 振り切れる計測器。崩壊していく自我。干上がっていくのは世界か自分か。
 ――ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 じゃり。
 誰かの足音。何もかもが終わった世界で、その音は何よりも鮮烈になのはの耳に届いた。
 感情が乾ききったような顔を上げる。
 ――――瞬間。
 文字通りの無表情が、そこで初めてぐにゃりと歪んだ。

「ヴィヴィオ」

 ノイズが走り、視界がフェードアウトしていく。
 残されたのはどうしようもない虚無。
 ――――結局。
 遠坂凛は、最後の最後。己がサーヴァント――タカマチナノハが自ら口にするまで、彼女の望みは分からなかった。


 柳洞寺の地下。聖杯戦争――その始まりの地、地下大空洞。
 この世、全ての悪(アンリ・マユ)≠ェ浄化され、本来の願望機としての性能を取り戻した大聖杯が白く輝き、大空洞を明るく照らしている。
 その輝きを背に――サーヴァント、アーチャー。真名タカマチナノハが、なのはの前に立っていた。
 脈動する大気の中、もう一人の自分をなのはは見つめる。
 摺り切れた襤褸切れのような全体的に灰色のバリアジャケット。手にしているのは紅玉を先端に配した、なのはもよく知る魔杖、レイジングハート。
 だが、なのはの手にあるソレと違い、形状がかなり先鋭化されている。
 幾分か白髪の交じる、水分が抜け落ちたような髪。かつてあっただろう、彼女の象徴たるツインテールはそこには無く、肩に届く髪が風に揺れる。
 ――そして乾いた笑顔。
「そこをどいて! 私は、それを破壊しなきゃいけないの!」
 未来の自分に向かって、若干十四歳のなのはは叫ぶ。
 辛かった。こんなにも窶れ、ボロボロになった未来の自分を見るのが、何より辛かった。
 その存在が、その乾いた笑顔が、こう告げている故に。
 ――いつか、お前も、こんな惨めな姿になるぞ、と。
「……貴女なら分かるでしょう? 私は一度こうと決めたことは絶対にやり通す。それが無茶でも無謀でも……いつだって、私達は全力全開で生きてきたのだから」
 ふぅ、と溜息を付きながら、まるでその行為こそが悪だと言わんばかりにアーチャーは告げた。
 耳朶を打つその声には、見ため以上に疲労が感じられた。その事が、どうしてか、なのはには悲しくて仕方なかった。
「っ――! アーチャー! アンタは一体何がしたいの! 私やセイバーを裏切ってまで……そこまでして願う、アンタの望みって一体何なのよ!?」
 凛が叫ぶ。自らのサーヴァントに対する、結局終ぞ分からなかった、その疑問を。
 しかし、その問いの咆吼に反応したのはアーチャーのナノハではなく、横にいる未だ少女の高町なのはだった。
 びくん、と肩を震わせ、口から僅かに息が漏れた。
 浮かんでいる表情は――怯え。なのははその体を抱きしめているように震えている。
 アーチャーはそれを眺め、静かに、言う。
「……そうだよね。怖いよね。――自らの終わりを聞くことなんて、普通の人間なら耐えられない」
 一度目を閉じ。そして。
 ニヤリと。

「けど、だからこそ(、、、、、)言ってあげる。私の願いは、私を殺すこと。
 ありとあらゆる並行世界と次元世界における全ての高町なのは≠ニいう存在を消去する現象になること。それこそが、私の願いよ」

 乾いた笑顔を狂的に歪ませて、そう言った。それが、アーチャーが初めて見せた、鮮烈なる感情だった。
「――な、そんなことが」
 可能なのか――。凛はそう言おうとして、その瞳に気がついた。
 アーチャーの、自嘲に満ちた瞳に。
「不可能かも知れない。でも、世界に穴≠開ける願望機の特性と、世界の抑止力たる英霊の特性を合わせれば、あながち不可能でもないようにも思えない?
 過去の改変ではなく、私が望むのは現在の粉砕。僅かに英霊の特性さえ変えられれば、それで十分なのよ。例えば、抑止力として現出する世界を、高町なのはが存在する世界に限定するとかね。
 ――――私はね。『タカマチナノハ』という愚かな人間を殺し続けることが出来れば、別に何でも構わないのよ」
「――っ」
 何だ。何だコレは。
 本当にコイツは英霊と呼ばれる存在なのか。
 目の前の存在は、本来あるべき英霊の姿とかけ離れていた。
 清廉にして高潔、潔白にして廉潔。それこそが人々に崇め讃えられた英霊と呼ばれる存在のはずである。
 だが、アーチャーの瞳の下に渦巻いているのは狂気に満ちた憎しみ。それこそが英霊タカマチナノハの全てと言わんばかりの双眸だった。
 反英雄、と呼ぶにしても、あまりに歪んだ存在だ。
 英雄でもなく、反英雄でもない――境界の中央に立つモノ。
 ただ復讐のみを糧とする、世界の奴隷。
 それこそがアーチャーの本質にして、真実だった。
「――」
 なのはは愕然とした。足が震え、立っていられなかった。レイジングハートを抱きしめるように蹲る。
 これが、こんなものが、将来の自分だというのか。
 笑い、見下し、憎しみに満ちた姿。何もかもが乾き、その果てに自分自身を殺し続けることを望む歪んだ存在

 ――――これが、こんなものが。
 高町なのはという人間(わたし)が行き着く結末なのか。

 アーチャーは天を仰ぎながら言う。その懺悔を。
「……私は、ずぅっと人を助けてきた。疑うことなんて微塵も思わず、ただ人を助けたい≠ニいう願いだけを以て、突き進んできた。世界を幾つも救ったよ。
 助けて、と叫ぶ人間を助け、
 滅べ、という敵も全て蹴散らしてきた。
 地球も救ったし、ミッドチルダ、本局も救った。その結果、世界に認められて英霊になった。
 ――――でも。本当は英霊になんて、なりたくなかったんだ」
 蘇るのは、灰色の雪と赤い光景。
 目蓋を焼くのは、愛しき己が娘の姿だった。

「……私はね、自分の娘を、この手で殺したんだ――」

 アーチャーは語る。
 高町なのはという存在の、終焉を。
 懺悔のように。


「ヴィヴィオ」
 目の前にいたのは、黒い甲冑を身に纏った自分の娘――ヴィヴィオがそこにいた。
 しかし、その姿は以前のようなものではない。
 聖王教会によって強引に覚醒を促された、正真正銘の聖王だ。その瞳に感情は無く、ただ機械的に人を殺していくだけの、暗黒の聖王(、、、、、)
 この、あまりに馬鹿げた戦争の始まり。聖王教会の裏切りの象徴が、そこにいた。
「――――」
 ヴィヴィオは何も言わず、手に持った聖剣を掲げる。
 あまりに膨大な魔力がそこに収束していき、大地が鳴動する。
 振り下ろされる剣は、何もかもを切り裂く必滅の一撃だ。こんなちっぽけな世界など、吹き飛ぶほど巨大な力。
 黒い光。星砕きの一撃。

 瞬間、脳裏に思考が走り――――

 ――――そして、閃光。

 ひゅう、と風が吹いた。
 僅かな刹那(じかん)。それで全ての決着が着いていた。
「ヴィヴィオ」
 もう一度呼んだ。愛しき娘の名前を。
 ヴィヴィオは、つぅっと。
 一滴、涙を流し。

「――ママ」

 そう呟き、地面に倒れ伏した。
「――――」
 なのはは無表情なまでに、それを見る。
 ヴィヴィオの心臓に穿たれた空虚を眺め、自身の手を見つめた。

 砲弾を撃った後特有の、魔力の残滓が、そこにあった。

「――あ」
 ヴィヴィオを、殺した。自分の娘を、この手で。
 そうだ。あの時、一体何を考えていた。
 聖剣を掲げたヴィヴィオ。それを見つめる空っぽになった自分。
「――ああ」
 一瞬の空隙。自分の娘を助けたいという想いはそこになく。
「あ、あぁ、あ」
 ただ思ったのは。
「あ――――っ!!」

 『早く目の前の相手を殺さなくては、きっと誰かに迷惑がかける』ということだけ――――

「ああぁぁぁあああああああああああああああぁぁあああああっ!!」

 気付いた。この土壇場になって気付いてしまった。
 自分が何故今まで人を助けたいと想ってきたのか。何故魔法使いになったのか。何故管理局の魔導師になったのか。
 それは別に崇高な想いがあったわけではない。気高い理想があったわけでもない。
 ただ。自分はただ――――

 ――――他人に、要らない子だと思われたくなかった。

 ただ、それだけだった。
 誰かに必要として欲しかった。嫌われるのは嫌だった。何も出来ない自分にはなりたくなかった。
 お父さんが怪我をしたときのような、あんな無力感だけは、もう二度と――――

「ああぁああっ!! ああぁあああっ!! ああぁああああ――――っ!!」

 あるのはそれだけ。自分の娘を思いやる気持ちより、自分が要らない子だと。英雄だと呼ばれなくなることのほうがよっぽど恐ろしい。
 人を助ける? 違う。助けられているのは自分の方だ。
 自分を助けたいから、人を助ける。嫌われたくない≠ニいう一念を以て、自我を保存し続ける。
 その結果がこれだ。夢もあっただろう。輝ける未来がきっと存在しただろう。しかし、今、誰在ろう母親であるなのはによって、無惨にも死体と成り果てた娘に、その未来は訪れない。
 物言わぬヴィヴィオの屍。それは紛れもなく、高町なのはという存在の罪科だった。

「ぁ、ああああああああああああああああ――――!!」

 真っ赤に彩られた空の下。降り積もる灰色の雪の中。全てが終わっていく世界で。
 高町なのはは、慟哭し続けた。
 やり直したい、と思った。出来るならば、自らという存在を消し去りたい、と願った。
 願う。摺り切れるような痛みを胸に抱きながら、この灰色の夜に願う。
 誰でも良い。何でも良いから、自分の娘を、ヴィヴィオを救ってくれ、と。
 だが――その声を、その想いを、その願いを聞き届ける者など居ない。言葉にならない絶叫と、喉がすり潰れるほどの泣き声と、摺り切れるような切なる痛みを以てしても、何も変わらない。何も変えられない。
 なのははそこで悟った。いや、そんなことは初めから認識していたことだ。ただ実感が伴っていなかっただけで、世界は初めからこう(、、)なのだ。
 そう。
 ――――この世界に神様は居ない。
 願いを叶えるのはいつだって人間なのだ。そこに、他の意志が介入することなど有り得ない。そうやって、自分は生きてきた。
 ならば、どうするべきか。ヴィヴィオを殺した罪を。自らのエゴのため、幾人ものを巻き込んだ罪を、どう贖えばいいのか。
 このままではヴィヴィオは無駄死にだ。だからせめて。
 せめて……この戦争を終わらせよう。それがきっと何よりの弔いになると信じて。
 だから――――

 ――――我が死後を預けよう。

 ……結果。
 高町なのはは地球を救い、我が子を手に掛けることで、歴史上最悪の戦争を沈めた悲劇の英雄として、時空世界の歴史に刻まれた。


 返す言葉は無かった。
 ただ静寂と振動のみが大空洞に響き、誰も彼もが無言だった。
 その中で、ただ一人。アーチャーのみが語り続ける。
 レイジングハートを抱くように蹲り、肩を振るわせているかつての自分に向けて、侮蔑の視線を投げかけながら、乾いた灰色の声を紡ぎ続ける。
「分かった? 私と貴女は、世界に存在してはいけないものなのよ。
 嫌われたくない、要らない子だと思われたくない――たったそれだけで、周りを巻き込み続けるだけの自動機械。それが私達の正体。
 気付かなかった? ――――貴女という存在が、どれだけ周りに影響を与えているか」
「もう止めてぇっ!!」
 なのはは、顔面が涙でぐしゃぐしゃになりながら叫んだ。あまりに酷い現実。自覚していなかった自らの闇。果てに待ち受ける終焉。
 自分の醜い結末(、、、、、、、)
 それを知って、崩壊しない人間など、どこにも存在しない。
 アーチャーは憎悪に滾った狂気はそのままに。高町なのはの泣き顔を見下し、笑う。
 止めて――という懇願の声を、嗤う。
「いいえ、止めないわ。この世界に願いを叶えてくれる神様なんていないのよ。
 いいこと? 高町なのはという存在は居るだけで癌なのよ。無節操に笑顔を振りまき、他人を巻き込んで、救って、結果、世界すらも巻き込む異形の怪物。……なまじ絶大な力を持っていることが仇となった。英霊になって、よく分かったわ。高町なのはは英雄となるべくして生まれたということが。
 おかしいと思ったことはない?
 何故、魔導師が生まれいずるはずのない世界で、たった九歳の少女がAAAランクほどの力を持っているのか。
 何故、何百何千に及ぶ次元世界の中から、ジュエルシードなんていう巫山戯たロストロギアが地球に落ちてきたのか。
 何故、宛がえたように、フェイト・テスタロッサという同年齢の少女が立ちふさがったのか。
 何故、そんな幼稚な技術で、思想で、挫折も屈折も何もなく罷り通ってきたのか。
 あまりにも出来過ぎていると思わない? あまりにも都合が良すぎるのよ。まるで高町なのはを中心にして世界が動いている(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)かのように。その違和感。その齟齬。気付いた? 私達は。高町なのは≠ニいう存在は。

 ――――初めから『世界を救う』という役割に押し込められた存在なのよ」

 凛はごくりと固唾を呑んだ。
 聞いた、ことがある。
 英雄と呼ばれる存在の一つに、抑止力の後押しというものがある。世界に後押しされた一般人が滅びの要因を排除し、結果英雄となる。
 だが――この世界には、初めから英雄≠ニして生まれる存在があると聞く。
 その人間を英雄に至らせる≠スめに、初めから強大な力を振り分け、その人間に都合の良いように世界が動き、成長させる。何もかもがその人物を中心にして動き、人々を助ける≠ニいう指向を持つように設定≠キる。
 その存在の全てが、アカシックレコードに刻まれた世界の破滅を回避させるためだけに存在する。
 正真正銘、一部の隙もない救世の権化。
 正しく導かれるモノ(メシア)
 それが目の前の、高町なのはという、僅か十四歳の少女だというのか。
 アーチャーは乾いた、しかし憎悪に滾った声で言葉を紡ぐ。
「馬鹿げているわ。そんなもの世界の都合の良い駒でしかない。高町なのはは自分の娘よりも破滅の回避という救済を優先して動くように設定≠ウれている。そのために何人もの人生をねじ曲げ、起こさなくて良い戦乱を起こし、生きるべきだった命を握りつぶす。あの最悪の戦争だって、もしかしたら世界≠ェ私≠フためだけに引き起こしたのかも知れないのよ。結果、私は娘を殺し、世界を救った。何者にも憚ることのない英雄に、私は成った。
 でも、そんな存在に何の価値があるというの?
 ――――私は、ただヴィヴィオに笑っていて欲しかっただけなのにっ!」
 きっとそれが、アーチャーの、タカマチナノハの真の願いだったのだろう。
 疲れ切った顔に浮かんだ涙。灰色の慟哭。
 殺したくなかった。例え世界が滅んだとしてもヴィヴィオには生きていて欲しかった。
 だが、結局。その願いは嫌われたくない≠ニいう原初の衝動によって塗りつぶされてしまった。
 そのことがどうしてもアーチャーにとって許せない。そうやって自らを設定≠オた世界が、そうやって何も知らずに生きてきた自分が、許せない。
 ――――だから。
「私は、私という存在を殺すためだけの現象となる。他者を巻き込み、世界を巻き込み、挙げ句自分の娘を殺す、高町なのは≠ニいう存在を消去する。他ならぬ、高町なのはの手で。
 いつか必ず私≠ノ巻き込まれる、ヴィヴィオを救うために」
 それは歪みに歪んだ、自分の娘への愛情表現だった。別の世界、別の存在としても、ヴィヴィオには生きていて欲しい。そんな、どこか矛盾した願望。
 それが、自己嫌悪に磨り潰された、とある魔法少女の成れの果て(ざんがい)だった。
 アーチャーは背を向ける。聖杯を手にするために、己が願いを叶えるために。
「……――――」
 止める者は誰もいない。なのはは未来に絶望し、ただ涙を流すだけだ。本来御すべきマスターである凛は、あの英雄王を倒すために令呪を全て使い果たしている。
 止めることは――出来ない。
 つまり、これが此度の聖杯戦争の結末だ。
 全てのサーヴァントは聖杯の中に吸収され、アーチャーの勝利にて聖杯戦争は終結した。
 定められたルールに従い、聖杯は勝利者の願いを聞き届けるだろう。
 英霊タカマチナノハは高町なのは≠殺すためだけの現象と成り果て、今、凛の目の前にいる僅か十四歳の少女を殺し、そして別の世界へと転移し、そこでもまた高町なのは≠殺す。
 殺し、殺し、ひたすらに自分≠殺し続ける。永遠に購えない罪を背負いながら、タカマチナノハは高町なのはを殺し続ける。
 人を助け続けた優しき魔法少女の旅路の果ては、そんな摺り切れた灰のような結末だった。
 それが正しいか間違ってるかなんて――――多分、誰にも分からない。
 ただ愛しき我が子のために。ただそれだけを思い、タカマチナノハはその手に聖杯を受け取ろうとする。
 願いは自らの手で叶えなければならない。切なる願いを聞き届けるほど、世界はそこまで優しくない。
 この世界に、神はいないのだから。
 ――――だが。

「てめぇ、言いたいことはそれだけか」

 正義の味方は、此処にいる。

「――――!」
 静寂が打ち破られた。今まで無言だった衛宮士郎が、ここで初めて言葉を放った。
 凛が、アーチャーが、なのはが、それを見た。
 士郎の顔にあるのは、ただ一つ。
 許せない(、、、、)
 そんな、怒りという感情だった。
「分かるなんて言わない。お前の言いたいことも、やりたいことも、やり直したいって気持ちも、全部お前のものだ。お前にしか分からない。
 ――――けど、それは絶対に求めちゃいけないものなんだ」
 赤い空。黒い太陽。燃え燻る大地。助けて、と呼ぶ誰か。
 色んなモノを犠牲にして、大切なモノを切り捨てて、例え皆に嫌われたとしても。
 それでも――守りたい、モノが。
 守らなければいけないモノがあるから――――
 そのために、衛宮士郎は否定しなければならない。アーチャーの、タカマチナノハの願いを。
「……何を言ってるの? 私の願いの是非、それを君に決める権利があるの?」
 アーチャーは大聖杯を背に、自らに反逆する士郎を睥睨する。
 圧。
 あまりに圧倒的な殺意が、衛宮士郎に牙を剥く。次元世界そのものを救った英雄。文字通りのエースオブエースの、実力に裏打ちされた膨大なる殺気が士郎に突き刺さる。
 常人ならば卒倒しかねない、その重圧の中、士郎はその一歩を踏み出す。

「お前は、人を救ったんだろう?」

 一歩。

「お前は、沢山の人を、友達を、家族を、世界を救ったんだろう?」

 一歩。

「世界がどうとか、お前がどう思ってたかなんて関係ない。お前が行動した結果、沢山の人が救われた。何故それを誇りに思わない」

 一歩――踏み出した所で、アーチャーの光弾が、目の前に着弾。爆発した。

「……ふざけないで。そのために、私は自分の娘を殺したのよ。そんなことを誇りに思えるはずが無いでしょう?」
 煙が晴れる。それでも士郎はその場を微動だにせず、アーチャーを睨んでいた。
 紡ぐ。
「そんなことは関係ない。答えろ。お前は、救った全ての人達を、これから救うべき人達を、その全てを否定するというのか」
「っ――――! 黙りなさいっ!!」
 撃ち出される幾つもの砲撃。大地が捲れ、瓦礫が宙を舞う。
 それでも士郎は歩き続ける。決して折れない不屈の精神を持っているが故に。
 ――体は剣で出来ている。
「俺が、許せないのはな。アーチャー」
 ざり。
 立ち止まる。魔術師見習いとサーヴァント。天と地ほども開いている二人の実力差。けれども確かに、今、士郎とアーチャーは対等な存在だった。
 咆吼する。例え自分はここで死んでもいい。ただ自分を曲げることだけは。

「お前が背負った誰かの笑顔をっ! 全て無かったことにしようとしていることだ!!」

 ――――それだけは、決してしてはいけないことなのだから。

 誰もが笑っていられる世界を。
 そう願う少年にとって、タカマチナノハの願いは決して容認してはいけないものだ。
 タカマチナノハが今まで救ってきた誰かを否定することは、これから高町なのはが救うべき誰かを否定することと同じ事。
 それは、それだけは、衛宮士郎にとって決して許されざる事なのだから。
 なのははその背中を見た。
 正義の味方の背中を。あまりに尊く、そしてあまりに美しい、その理想を。
 救われた人がいた。自分が救った人もいた。出会った人や悲しい別れもあった。
 ユーノ、フェイト、アルフ、クロノ、はやて、ヴォルケンリッター、そしてこの手でその命を絶ったリィンフォース――沢山の笑顔と涙が、今もなのはの胸の中にあった。
 それを否定することが出来る道理が、この世のどこにあるというのだろう?
 ――――世界で最も、美しく、清い何か。
 この切なる想いを切り捨てること。それだけは決してしてはいけないことなのだ。
 涙が、落ちた。全身に力が戻ってきた。
 立てる。握れる。
 ……――私は闘える。闘えるん、だ。
 ああ、そうだ。
 例え、嫌われたくない≠ニいうみっともない理由でも。
 例え、自分の娘を手に掛けるような事態が訪れたとしても。
 救えるモノが。救えたモノが。
 此処に、この胸の内に、確かに存在する。
「そう……だよね。士郎さん」
 立ち上がる。
 始まりはどうあれ、誰かを救える力を自分は持っているのだ。
 なら、戦っていける。この道の先に、誰かの笑顔が待っているのならば。
 例えこの身が破滅しようが――――高町なのはは進んでいける。
 高町なのはは、戦える。誰かの笑顔のために立ち上がることが出来る。
 ……そのために、きっと。私は魔法を覚えたのだから。
 ――――魔法少女に、なったのだから。
 だから宣言する。故に咆吼する。
 その想いを――その決意を。
「アーチャー、貴女の言う通りかも知れない。これから先、私は色んな人を巻き込んで、迷惑を掛けるかも知れない。もしかすると自分の娘も手に掛けるかも知れない。でも! それでも! 私は後悔なんかしない! 全てを無かったことになんかしようと思わない!

 ――――人を助けたいと想うこと。その想いは、決して間違いなんかじゃないんだからっっっ!!」

 目に一杯の涙を浮かべながら、なのはは叫んだ。泣きながら、それでも精一杯の声を上げて、叫んだ。
 時は戻らない。死者は決して蘇らない。だからこそ、皆精一杯生きている。
 理由はどうあれ、その事実を否定することなんて出来はしない。させてはならない。
 だから――――
 アーチャーは、なのはを、士郎を見て、盛大に溜息を付いた。
「……酷い偽善だわ。貴女もいつか、私に追いつく時が来る。どうしてそれが分からないの?」
「分かるわけがない! 私は、絶対に貴女なんかにはならない! 全てを無かったことにしようなんて絶対に思わない!」
 なのはは未だ涙を浮かべつつも毅然とした顔で、アーチャーを睨み付ける。レイジングハートを掲げ、魔法陣を展開させる。
 そして。
「――そうだ、なのは。こいつはお前じゃない。お前は絶対に誰かの笑顔を否定するような人間じゃない。そのことを――アーチャーに見せつけてやれ」
 士郎はなのはにそう告げ、両の手に干将・莫耶を投影した。
 思い出すのは、もう一人の自分、キャスターのことだ。まさか自分と同じような戦いが繰り返されるなんて――士郎は思っていなかったし、そしてキャスターも思っていなかったのではないだろうか。
 ……否。もしかすると、アイツは――全てを分かっていたのかも知れない。
 そう士郎は思考するが、しかし、それは今考えることではない。
 士郎はこちらを睥睨するアーチャーを睨み付け、夫婦剣を構える。
 そして、戦闘準備を始めたのは士郎となのはだけではない。
「アーチャー。アナタには同情する。けど、冬木の管理人として、魔術師として、遠坂の娘として――何よりマスターとして、アナタがやろうとしていることは容認できないわ。残念よ――アナタのことは、好きだったから」
 凛もまた、手に宝石を構え、アーチャーを見据えた。
「そっか。これだけ言っても分からない……か」
 アーチャー、英霊タカマチナノハは静かにそれらを見渡し。

「――――じゃあ、少し、頭冷やそうか」

 そう言って、巨大とも呼ぶにも烏滸がましい、世界そのものを震撼させるような超魔力を解放した。

 聖杯戦争は終わった。勝者はアーチャーで、願いを叶える聖杯は彼女の手に渡った。
 だから、これは単なる私闘だ。願いも、誇りも、比べるべきものは何一つない、無価値な闘争。
 しかし無価値であっても、無意味ではない。
 戦うは自分。敵もまた自分。
 これは、高町なのはという存在を賭けた、たった一人の生存競争。
 全てを救う魔法少女と、全てを救ったかつて魔法少女だった者の、闘いだ。
 それが今後、世界にどのような変化をもたらすのか。
 今はまだ誰も知らない。

 迷いは要らない。
 ――――戦うと決めたから。


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