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 煙草、というと最初に思い出すのは親父の顔だ。

 縁側に座った親父が、月を見上げながら、紫煙を吐きだすその姿が脳裏に焼きついている。
 こちらが「健康に悪いから、止めとけ」と吸うたびに言うのだが。
 「――――今更止めても、ね」
 と苦笑いで、いつもそう返すのだ。
 その顔はどこか寂しげで、結局俺は何も言い返すことが出来なかったのだ。
 Peace=Bそう刻印された紙煙草の煙を追う姿は、まるで平和を渇望しているかのようで――――切嗣は、その煙の果てに自分の理想を垣間見ていたのだろうか。
 その姿が、どうしてか、とても似合っていて。
 ――――そして悲しかった。

 紫煙が、ゆらゆらと目の前で揺れる。
 「こぅら、士郎。煙草吸うなら、外で吸いなさい。部屋の中じゃ空気が悪くなるわよ。というか電気くらい付けなさい」
 盆に二人分の緑茶とお茶菓子を載せて、凛が部屋に入ってくるなり、そう言った。
 「……窓開けてるから大丈夫だろ。窓際で吸ってる分なら、そう問題でも無い。うん、それに今日は何だか月見をしたい気分なんだ」
 此処から縁側まで銜え煙草というのも無作法だしな。
 そう、と一言呟いただけで、凛は特に気にした様子も無く、部屋に入ってきた。
 凛は俺が煙草吸うこと自体には、とやかく言わなかった。いつも余分なことは心の贅肉と言い張る彼女が。
 その彼女は、俺の部屋の中心に陣取ると、盆を置いて、緑茶を啜りだす。
 俺はその姿を一瞥すると、再び月を見上げた。――あの頃の、切嗣と同じように。紫煙の合間に、厳かなる月光が見える。
 「……ねぇ、士郎。貴方が煙草吸いだしたのって、お父さんのお墓参りからだったわよね」
 「ああ」
 ロンドンでの事件を経て、一区切り付いた俺は――ようやく、始めて親父の墓参りをした。
 実質、やってみれば何とも無いことだ。だけども、それは。
 ――いつも隣に居てくれる、この女性のおかげなんだろう、と思う。
 「聞いていいかな。何で、急にそんなことを?」
 凛の視線を肩越しに感じる。
 それは何だか、少し躊躇しているかのようで――いつもの彼女らしくない、だけども彼女らしい仕草だった。
 ふ、と苦笑する。今更、何を躊躇っているのか。
 ずかずかと遠慮なく人の心に踏み込んでくると思えば、ここぞというときでは躊躇する。全く、凛らしい。
 「こうすれば、少しは切嗣の見えていたものが、見えるかなって。知りたかったんだ。親父の見てきたものを、少しでも。だけど、そんなことは出来ないだろ? だからこうして親父の仕草を真似すれば、少しは見えるかなって、さ」
 自分でも、よくわからないんだけどな、と付け足して俺は笑った。
 いつか越えなければいけない壁。
 赤い背中と自分の父親。
 越えなければいけないからこそ、彼らが何を思い、何を見ていたのかを、知るべきだと、俺は思う。
 「――――そう」
 ずず、と緑茶の啜る音が聞こえる。
 会話が途切れ、静寂が訪れた。
 だけども決して気まずい空気などではなく。何故か今は、とても快いものだった。
 りりり、と聞こえる虫の鳴き声。
 部屋に差し込む月明かり。
 綺麗な夜空。
 それに――――
 ああ、きっとそれは。

 ――――こんなにも月が、綺麗だからだろう。

 ふと一つの出会いが、脳裏を過ぎる。
 問おう。貴女が私のマスターか
 ……セイバー。俺、ちゃんと正義の味方、やってられてるかな。
 煙草の煙を深呼吸の要領で吸い込み、紫煙を吐く。
 紫煙は夜空に溶けていくようで、月に昇っていくようにも見えた。
 その煙の狭間に。一瞬だけ。

 ――――当たり前でしょう。貴方の隣に誰が居ると思ってるんですか

 そう言って、呆れながらも微笑む彼女の姿が――――
 「しーろう!」
 「うわ、どうした凛。近い近い近い」
 思わず煙草を落としそうになる。
 凛が、いつの間にか、寄り添うように肩にもたれ掛かっていた。
 「ねぇ、私にも一本ちょうだい」
 「おいおい。体に悪いから止めとけって」
 「む。今の士郎がそれを言うかっ。一本くらい良いでしょ?」
 まぁ確かに。灰を落としながら言う台詞じゃないな。
 そう思い、仕方なしに、くしゃくしゃになった紙パックから一本寄越す。
 「火は――――」
 「今、貴方が口にくわえてるじゃない?」
 ニカ、と笑う凛。
 ふ、と苦笑しながら俺は加えた煙草の先端で、凛の口元にある煙草に火を付けてやった。
 両者にあるのは僅か煙草二本分の距離。
 それは、まるで口付けをしているかのような――――
 「――――っつ!! げほっ! げほっ!」
 まぁしかし、そんなロマンチックな雰囲気は、咳き込む凛によって、ぶち壊されたわけだが。
 「はははははは、まぁ始めはそんなもんだ」
 「う〜〜〜〜〜〜。アンタよくこんなの吸っていられるわね……」
 そう言って、緑茶で口直しをしようとする凛。
 だが、その緑茶は、いつの間にか温くなっていたようだ。凛が僅かながら眉をしかめた。
 「温くなっちゃってるわね。しょうがない。淹れ直してくるか……」
 「ああ、俺も行くよ」
 「そう? じゃ、士郎がお盆持ってね」
 はいはい、と苦笑しながら、煙草を灰皿に押し付けて、立ち上がる。
 さて、感傷はここらで終わりにして。
 このお姫様に、飛びっきりのお茶でもご馳走してやるとしますか――――

 後に残ったのは、くしゃくしゃになった紙のパッケージと、一つの灰皿。
 パッケージに印刷された文字はLUCKY STRIKE=B
 ――――共にある彼女に、幸運あれ。

 二本の煙草が、灰皿の中で、寄り添うように、月へと紫煙を立ち昇らせていた。

 短編『Tune of Two cigarettes / op."LUCKY STRIKE"』
 ――<了>


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