そうだ。こいつは。この男は――――――――

 そうだ。俺はお前の対極であり――――


 「――――俺の、敵だ」

 「――――お前の、敵だ」

 枯草色のコートをたなびかせる正義の味方。
 黒きジャケットを身に纏った蒼き眼の殺人貴。
 二人の男の在り方は、正に対極。
 自らという一を捨て、十全てを救おうとする正義の味方。
 ただ一つの貴い目的のために、十全てを切り捨てる殺人鬼。
 互いの概念は全くの正反対であるが、しかしその本質は同一のモノ。
 誰かを守りたい=Bその一念から生まれた、切り捨てる対象だけが異なる存在概念。
 故に互いは呼応する。
 衛宮士郎が正義の味方≠ニいう活人(プラス)の刃だというのならば。
 七夜志貴は殺人貴≠ニいう殺人(マイナス)の刃だ。
 +と−、互いは互いにその存在のことを許容出来ないが故に、引き合い、安定(ゼロ)に至る。
 ゼロとはつまり安定であり、消滅である。
 共鳴の果てに待ち受けるゼロ。
 ――――世界が安定を求める以上、二つの存在が激突するのは、必至。

 対極は今此処に、互いに共鳴を為した。

 ――――カチリ、と。
 カウントダウンの針がゼロを刻み。
 時計そのものが、崩壊した。


epilogue / Ground Zero "R2"
『RUTHLESS WORLD / RUTHLESS SOUND』



 こつこつと音を立てながら、志貴が士郎の元へと歩いていく。
 だが視線は士郎を見ていない。見ているのは、自らの武器、七夜のナイフだ。
 「……」
 「……」
 士郎も志貴も何も言葉を発さない。
 凛やルヴィアは、唐突に進んでいく状況に呆然としている。
 その時、確かに時は止まった。
 時間は密度を増し、あまりに濃密に凝縮されたソレは、凍り付いたといっても過言ではない。
 その凍った時間の中で。
 正と負の極地だけが、互いのことを理解し、そして行動することが出来た。
 志貴が士郎の足下にある七夜のナイフを拾い上げようとする。
 その過程。
 身をかがみ、ナイフを掴んだ瞬間。
 互いの目と目が交差した。

 「――――何故殺した」
 「――――何故殺さなかった」

 二つの声は同時、穿つように投げかけ合った。
 士郎は静かに、だが確かに怒りを込めて続きを紡ぐ。
 「彼女にはもう闘う気は無かった。救いを求めていた。ちゃんと物事を教え、きちんと教育をすれば助かる道はあった。お前は――――彼女を殺す、権利があるのか」
 「権利、だと? そんなものは誰でも持っているさ。殺す権利と殺される権利は同意義だ。それに君は助かる道≠ネんて言っているが、アレは『偽・真祖(デミ・アルテミス)』――――人殺しの化け物だぞ。敵だ。
 ――――敵は殺すしかないだろう?」
 志貴はニヤリと笑う。自虐のような笑み。
 それを聞いて、士郎は拳を握りしめた。
 「お前は、敵だったら全部殺すのか。自らの救いを求める者も、誰かの救いを求める者も、誰もかもを殺すというのか!! 己の敵≠セ、なんていうエゴで!!!」
 叫んだ。
 救える『モノ』は限られている。
 何かを切り捨てなければ、何も手に入れることなど出来ない。
 敵を殺す、ということは、つまりそういうことだ。
 『誰かを切り捨てる正義』を否定した彼にとって、志貴の言っていることを赦すことなど出来るはずがない。
 例え敵でも、殺さなければならない相手でも、手を差しのばすことこそが、あの日切嗣と約束した目指すべき正義なのだと、そう信じているが故に。
 だが、志貴は真っ正面から。
 「そうだ。俺にはやるべき事がある。助けたい人がいる。それの障害となる者は全て『殺す』。そうでなければ届かない。届くことなど有りはしない」
 ばっさりと。衛宮士郎の正義を切り捨てた。
 「――――!」

 此処に来て両者は決定的に隔たれる。

 「じゃあ、逆に聞くけど、本当に君は彼女を救うつもりだったのか。敵である彼女を、久遠寺アリスの駒を。――――世界の敵を。
 君は――――本当に全てを救う、正義の味方だとでもいうのかい?」
 「ああ。その通りだ!!」
 同時。
 ギリ、と奥歯を噛み砕く音が響いた。

 「敵を全て救うだと? それで本当に全てが救われると思っているのか!――――それは偽善だ!! そんな偽善では何も救えない!」

 「自分の目標のためなら全てを犠牲にして、本当に正しいと思っているのか!――――それは傲慢だ!! そんな傲慢で人を殺して、誰かを救うことなんて出来るものかよ!」

 偽善の極地たる正義の味方≠ニ。
 傲慢の極地たる殺人貴≠ヘ。

 「ならば、お前は――――俺の敵だっ!!」

 此処に。
 絶対たる宣誓を以て、正義の味方と殺人貴は、決して相容れることのない相手と邂逅した。

 「あら、それは駄目よ。早すぎる(・・・・)


 「――――っ!?」
 声が、した。
 そこにいる者、そのどれでもない声が。
 だが、全ての者はソレに聞き覚えがあった。
 忘れようとしても忘れられない、全ての元凶、因果の始発点。
 ――――久遠寺アリスの声だった。
 「ちゃんと順番は守らなくちゃ駄目よ。今、つぶし合っちゃ全てが台無しになってしまうから」
 ずず、と空間を割るように、徐々にアリスの姿が現れる。
 志貴と士郎の視線の先。街灯の灯りを背にし、久遠寺アリスが顕現していく。
 腕、体、顔――――現れていく姿に、違和感を真っ先に感じたのは志貴だった。
 現れる姿。
 その手にあるのは、襤褸切れのような黒い法衣を纏う女性の体。
 ソレは紛れもなく。
 「…………っ先輩!!」
 埋葬機関第七位、『空』のシエルだった。
 法衣は裂け、あらゆる傷から血が流れている。その姿は正に――――敗北者のソレに間違いなかった。
 「ああ、うろちょろしてたから片付けちゃったわよ。辺に鼻が利くのも考え物よね」
 だん、とシエルの体を投げ捨てる。微動だにしないことから、彼女には意識がない。そう、志貴達は認識した。
 ――――先輩が、負けた?
 志貴には信じられなかった。
 化け物じみた人外が集まる代行者、その中で更に狩り≠ノ特化した狂信者達の集まりが埋葬機関だ。闇の最奥、最も黒き虚に存在する異常者――――それがここまで追い詰められている。
 その事実に、背筋が凍った。
 しかし今志貴にあるのは、戦慄を超えた圧倒的な殺意だった。
 襤褸雑巾のような自らの体など鑑みず、憎悪という感情の迸りをエネルギーにし、志貴は久遠寺アリスに向かって全力で駆けた。
 ――――速い。
 アリスの出現に、様子を見ていた士郎は、弾丸のように飛び出した志貴を見て、そう思った。
 先ほどは怒りによって――――というよりそれよりも問いただすことに優先を置いた故――――見えなかった志貴の体は、致命傷には及ばないものの、相当の重傷であることには変わりない。
 それなのにも関わらず、これほどの速さだ。その地を這うような独特な体勢から、恐らく何らかの体術を用いていることが分かる。
 その姿から士郎は思った。
 (………コイツは、壊れている)
 痛みを感じる器官も。――――その、精神をも。
 (俺と、同じか)
 静かにそう呟き、士郎もまた、久遠寺アリスの足下に転がっているシエルの元へと走り出した。
 「士郎っ!!」
 「シェロっ!!」
 「分かっている!」
 呪縛から解けたような凛とルヴィアの叫びに、士郎は呼応した。
 死んでこそいないものの、あの状態は危険だ。まずはアリスを足止めし、シエルの体を確保することが最優先――――
 凛とルヴィアは呪文を口ずさみ、ガンドを放つため、アリスの方へと手を向けた。

 各々が久遠寺アリスへの感情のもと、行動を起こす。
 一対四。状況を考えれば、彼女は圧倒的に不利だ。
 だが、それこそが自分の企みだというように。
 ――――三日月のように唇を歪め、残酷極まりない笑顔を浮かべた。

 「潰れ、ろ」

 瞬間。

 大気が、圧倒的な重量を以て、潰れた。

 「―――――――――――――――!!??」

 その驚きは四人のモノだ。四人は、ご、と派手に音を立てて、文字通り地面に倒れ伏した。まるで重力が何十倍にも膨れあがったように。
 「何コレ………!? 重力圧縮の魔術?」
 「詠唱の一言も無しに、これほど広範囲に? そんな、有り得ませんわよ! 出鱈目にも程があります!」
 凛とルヴィアはあまりの出来事に声を荒げる。アリスはまるで息をするように、これほどまでに強力で広範囲な現象を発生させた。何の魔術的補佐(バックアップ)も、事前準備も無しにだ。そんな無茶苦茶な魔術などは存在しない。
 ならば――――
 「魔法、とでも言うつもりか!」
 士郎は倒れ伏した姿勢のまま、投影を行う。大小様々な刀剣を、アリスの元へと放つ。
 だが、アリスが一瞥しただけで、それは無惨に叩き潰された。
 「な――――」
 士郎は愕然とする。
 たった一瞥。たった一瞥で、幾本もの剣を粉砕した。
 「お前、何をした!!」
 志貴が叫ぶ。
 単なる魔術的な効果なら、直死の魔眼で殺せる。だが、今は全く線も点も見えなかった。ということはこの現象は、魔術よりも高位の概念に括られているということだ。
 魔法、とまでは言わないが、やはりソレに近いモノだ。
 問題はこれがどこまで強力で自由かだ。今までも、こんなことはあった。久遠寺アリスの結界内では、まるで彼女の言葉通りに事が運ぶ。
 統一言語(ゴドーワード)か、因果律操作か。いずれにしても、それは魔法か限りなくソレに準ずるモノだ。ならば、久遠寺アリスは魔法使いなのか。
 偽りの魔法使い=B数ある字の一つ。かつてそう呼ばれていたことがあったことを志貴は思い出す。
 だが――――違う。
 この事件の発端。アルクェイドの失踪。『偽・真祖(デミ・アルテミス)』。その意味。ならば――――
 「………空想具現化(マーブルファンタズム)
 魔術とも魔法とも違う、真祖が真祖たる象徴の能力。確率を変動させ、意図的に世界を改変させる創世の掌(ゴッド・ハンド)=B
 真祖。久遠寺アリスという魔術師。固有結界。言葉。世界の改変――――
 「そういう、ことか………」
 「気付いた? あなたの思い人のおかげで完成したわ。そう、これは空想具現化の亜種。魔術との混血児――――私はね、法則を作るの。物理法則も、抑止力も、私の世界には届かない。
 ――――Alice in the Wonderland。偽りたる魔法使いの、精一杯の悪あがきよ」
 アリスは目を細める。それは、どこか遠くを見つめている、そんな虚ろな瞳だった。
 だがそれも一瞬のことだ。
 す、と手を挙げる。
 「じゃあ、始めましょうか。始まりの終わりを。終わりの始まりを。
 ――――前奏曲(プレリュード)の、最後の奏を」

 パチン、と指を鳴らした瞬間。

 久遠寺アリスの結界が砕け――――黒い満月(・・・・)が姿を現した。

 シオンはひとまずレンを休ませるため、自らが宿泊していたホテルに帰っていた。
 レンは静かに眠っている。
 「――――」
 シオンはホテルへの帰路を思い出す。
 誰も、居なかった。魔術師でない人間は当たり前。
 久遠寺アリスの襲撃に備え、魔術協会と聖堂教会がゾロゾロと警邏している状態にも関わらず、魔術師すらも全く見られない。
 あのローレライすらも出張っているというのに、その存在の残り香も匂わない。
 それは魔術協会のトップクラスでも久遠寺アリスの結界を破れないということを意味している。
 どれほどの高次元の結界か。
 恐らく亜空間による歪みに放り込む――――なんていうレベルじゃない。
 平行世界への擬似的接続による通常空間への偽装。その実、位置情報は物自体(せかい)から切り離し、(うら)側へシフトさせ、かつ条件を満たした人間のみ、結界内に閉じこめることが出来る――――
 こんなものは、最早魔法の域だ。これが、真祖の力を手に入れた魔術師の力か。
 なんて化け物。なんて異端。
 ぶるり、と震える。
 「志貴――――」
 本当に大丈夫だろうか。否、あの傷で戦闘して無事なはずがない。だがしかし、この状況でレンを放置するわけにもいかない。
 不安と焦燥に駆られる。何も出来ない自分が歯がゆい。
 せめて志貴とパスが繋がっているレンさえ目覚めれば。
 ふと外を見る。
 そこにはアリスの結界によって偽装された、偽りの月が――――
 「!?」
 バキン。
 硝子が砕けたような音が、空間を振るわせ――――世界が割れた。薄皮が剥がれるように偽装空間が消えていく。
 世界の裏側から表側へと引きづり出される。
 紛れもない現実の世界がシオンの目に映し出された。

 そこには――――

 「あれは………!!! 久遠寺アリス、そういうことか!!!!」

 そこにいる全員が愕然とした。
 黒い月。其処にあるはずの月は黒く染まり、月食のように月光のみが降り注ぐ。
 月を喰らうような黒は。空を食いつぶすような闇は。

 ――――全て、『偽・真祖(デミ・アルテミス)』だった。

 その総数、幾百、幾千、それすらも超える絶望――――!

 空間が解け、突如現れたアリス達に驚く民間人、魔術師。
 全てが同時に動き、アリスを止めるためにそれぞれ行動を起こす。
 だが、何よりも、誰よりも早く――――

 「――――燃え墜ちろ」

 「止めろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」

 士郎の咆吼虚しく、その腕が振り下ろされた。
 雨霰のように魔力弾が叩き込まれ、ロンドンの街が魔術師民間人諸共、何もかもが砕け、燃え上がった。

 
 

 そして、全ての幕が上がった。

 ――――『対極共鳴』 了

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