灼眼のシャナ 短編
 『決意の痛み』

 ※注意※
 「灼眼のシャナ」に関して盛大にネタバレしてます。
 15巻とかその辺読んでない人は、そのまま閉じちゃってください。









 悠二が、いなくなった。
 12月24日。クリスマス。吉田一美と私との一大決戦の日。
 悠二は何も言わずに、その存在ごと消えた。
 もしかしたら、と思っていた。いつか、こんな日が来るのではないのかと。
 悠二が代替物であるトーチである以上、消滅の危機とは隣り合わせだ。ただ、その中に『零時迷子』を宿しているというだけの、か細いミステス。
 危機など何回もあった。それでも何とかなったのは、幾十にも重ねられた偶然と奇跡の産物だ。合理と実務を真とするフレイムヘイズにあるまじき事態。
 悠二が消えて、尚更そう思う。
 ―――――あの生活は、何て幸せで、何と僥倖なモノだったのだろう。
 シャナ≠ノなる以前では、到底得られなかった感慨を、私は思う。
 「……―――――シャナ。こんなところに居ては体に悪い。今、お前に必要なのは先への思惟ではなく、心の休息だ」
 胸元のペンダント型の神器コキュートス≠ゥらアラストールが私に声を放つ。
 私は今、いつかのように悠二の家の屋根で蹲っていた。雨粒が屋根に当たって不協和音を奏でている。
 ……フレイムヘイズに体の心配など無用だ。フレイムヘイズはその存在が何らかの要因で消滅しない限り、死なない。ましてや風邪などひくはずもない。
 アラストールも勿論そんなことは十分承知している。それでも体に悪い≠ニ言及しているのは、私の精神を考慮してのことだろう。
 ああ、確かにそうだ。雨粒が当たっているわけでもないのに、すごく寒い。。
 ―――――心が凍えそうで、震えた。
 でも。
 「ごめん、アラストール。もう少し、ここに居させて」
 「……む」
 私の言いたいことが分かったのか、それきりアラストールは黙った。
 こうしているのは私の感傷だ。
 いつか、私がこうして屋根の上に居たときのように。悠二がひょっこりと現れないか、というただの期待《かんしょう》。
 あぁ、何の意味もない。そんな幻想では何も変わらない。この世≠ニいうものは、そんなに優しくはない。
 だけど、それでも。
 私は此処を動く気にはなれなかった。
 ごぞ、と懐から何か紙で出来た何かを取り出す。花のシールを貼った薄桃色の封筒……悠二に送ったラブレター、手紙だ。
 確かに悠二は消えた。この世に在ったという痕跡を全て消して、存在そのものが消滅した―――――のはずだった。この手紙を例外として。
 完全に存在が消滅したというのならば、何故少年の宛名が記されている? いや、そもそも何故これが戻ってきたのか。
 この事実。この手紙のみが、今の私と吉田一美を支える拠り所となっていた。
 「悠二は、きっと何処かで、生きている」
 口に出して、確認する。そうでもしないと、その事実が埋没して消えてしまいそうな―――――そんな不安が胸を掠めたからだ。
 その声をどう捉えたのか、胸元のアラストールが意を決して尋ねてきた。
 「……シャナ。確かに坂井悠二の名が記された手紙が此処に存在するということが、坂井悠二そのものがまだ消滅していないという暗喩になっているかもしれない。だが、お前はその先を考えたことがあるか?」
 「―――――え」
 フレイムヘイズとしての思考が、アラストールの言ったことを閃光のように結論を出す。
 「気付いたか。仮に坂井悠二が未だ消滅せずに存在していたとして、それが失踪以前の坂井悠二と同一だという保証がどこにある」
 アラストールの低い雷鳴を轟かすような声が重く重く沈殿する。
 「そ、そんなことはわかって―――――」
 「―――――ふぅ。こういう状況だ。お前が持ち直すまで口にはすまいと思っていたが……単刀直入に言おう。シャナ、お前は―――――」
 ―――――止めて。
 そう告げようとして、何かがソレを押しとどめた。
 私の心の底、深奥から、酷く冷淡に声が響く。
 お前も、本当は分かっているはず=Aと。
 それは紛れもなく、フレイムヘイズとしての私に他ならない―――――

 「……お前は、もし坂井悠二が討つべき宿敵になった時、それを実行できるのか?」

 悠二を、討つ。
 その事実、そのあるかも知れない事象が―――私の心を揺さぶる。
 いや、確かにそうだ。この状況は不可解すぎる。存在が消滅しているはずなのに、此処に手紙が存在しているという矛盾。その矛盾を考えれば、悠二が今、以前と同じ状態であるはずがないんだ。
 ……紅世の王≠ニ同量の存在の力を持ち、更に『零時迷子』というブラックボックスを抱え込む、『仮面舞踏会』に狙われているミステスが不可解な消え方をした―――――
 考えれば考えるほど、嫌な予感が降り積もる。否、確信と断言してもよい。
 何故なら、それは私が考えようとして、蓋をしていた現実だから。
 「シャナ、答えろ。お前は、坂井悠二を相手にして、フレイムヘイズとしての責務を果たして遂行出来るのか―――――?」
 あまり聞いたことのない、アラストールの半ば焦燥に駆られた怒気が身を震わせる。
 私が。
 悠二を。
 この手で―――――
 「―――――そんなこと」
 思わず出来るはずがない、と答えようとして―――――

 ―――――いつかの笑顔が、フラッシュバックした。

 ああ、あれは私が初めてこの町で紅世の王≠と討滅したときのこと。随分昔のことのようで―――その実、一年も経っていないことに驚いた。
 あの時、狩人≠ノ捉えられていた悠二の目の前に私が現れたとき、悠二は何て言った?
 私がビルから落下するとき、悠二はどんな表情をしていた?
 そうだ。悠二は、いつだって―――――
 ―――――フレイムヘイズとしての私を、肯定し続けてくれた。
 その信頼を。
 あの笑顔を。
 裏切る事なんて―――――出来るはずがない。

 「そんなこと、当たり前よ。私は、坂井悠二を―――――討つ」

 私は、フレイムヘイズだから。
 決意と共に吐き出した言葉は、大気を振るわせ、雨の中消えていく。
 だけれども、ズキリとした痛みが、いつまでもいつまでも苦みのように、心に余韻を響かせ続かせた。


 決意は何も残さず、ただ溶けていく。
 後に残った痛みも想いも全て巻き込んで。
 世界は、かく在れと叫び続け、回転を続けていく。

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