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......Prelude of Pandra's song
Episode.5
<Side : Alice>  


 ―――私は夢を見る。
 もう取り戻せない過去。
 記録された現象。
 記憶の残滓。
 私は、かつてあった事象を、夢という形で回帰する。

 そこは紅蓮だった。
 蠢く何かは人間で、虫のように這いずり呻く何かも人間だった。
 それはこの世に具現した一つの地獄。あるのは死と肉の腐った臭いだけ。
 ――ああ、巻き込んでしまった。何も関係のない人たちをも巻き込んでしまった。
 だから、これは私の責任。私が背負う業なのだ。
 そう。
 ならば。
 私がやるべきことは。
 ――――たった一つだ。

 なぁ――――魔法って、いったい何のためにあるんだろうな?

 いつかの言葉が胸を掠める。
 その問いに、私は一体なんて答えただろうか。
 それがどんなものかは思い出せないけど。
 けれども、その答えは決して、災厄を撒き散らすようなものではないはずだ。こんな地獄を呼び込むような、そんな醜悪なものではないはずなんだ。
 そんなものを誰も望んだわけじゃない。私も――――それを生み出した人類も。
 だったら、この目の前の現実は何なのだろうか。
 この地獄は。この怨嗟は。この紅蓮は。
 一体、誰が望んだモノなのだろうか――――
 だん。
 思い切り跳躍する。
 流れる風が頬を掠め、涙が雨のように落ちていく。
 眼下に見えるのは、驚きに目を見開いている漆黒の魔術師と――――長年連れ添った相棒だった。
 ――心を凍結させる。
 今よりこの身は全てを破壊する無情なる弾丸だ。
 弾丸は何も考えない。思考は必要ない。精神も必要ない。
 あるのは目標を(こわ)すという意志のみ。
 ――――遙か眼前で、人のカタチをした何かが叫んでいる。
 目を閉じる。深呼吸一つ。
 ――――何を叫んでいるか、既に聞く心は無い。
 魔術回路が作動する。世界と自己が連結する。
 ――――哀願か、説得か、憤怒か。何も心には響かない。
 眼下を見据える。身の内に沈んだ破壊の力。今、それを。

 ――――解放した。

 「あああぁぁぁああああああああああああああ!!!!!!」
 そして、魔法使いは夜に咆吼する。

パンドラの唄〜前奏曲
第五話 『夢想回帰』


 「――――ごく近代の魔術史ですか。ちょっと待ってください。今、検索してみますね」
 眼鏡をかけた司書嬢が、かたかたとキーボードを打つ音が室内に響く。
 「うん。特にここ十年の目立った事件を、なるべく詳しく記述されたヤツをお願いね」
 凛がそう言うと、「ええ、やってみます」とにっこりと司書は微笑んだ。
 それを傍目に、士郎はぐるり、と辺りを見回した。
 (……こんな立派な『図書室』が、ロンドンの地下にあるなんて。やっぱ、まだ慣れないな)
 士郎の視界にあるのは、天井近くまで高さのある本棚だ。そこにみっちりと収まっている書物は、まるで世界中の本を集めたかのごとく膨大である。はるか上方に堆く積み上げられた本をどうやって取るのか、この場所に来る度に士郎は疑問に思う。
 ここはロンドンの地下深く。魔術協会の本山である『時計塔』の一角――魔術に関する膨大な資料を保管する魔導図書室≠ニも言うべき場所だった。図書室、といってもその広さは、どんな図書館よりも広大だ。恐らく納められている書物は、十万を超えるだろう。これでもまだ、時計塔が抱える総数の半分である。残りの半数は危険極まりない禁書≠ニして、更なる地下に厳重に封印されているはずだ。並の魔術師ではお目にかかることなど滅多にない代物である。ましてや半人前の魔術使いである士郎においては言わずもがなだ。
 (まぁ……あんな物騒なものには二度と関わりたくないものだけど)
 魔導書には、ちょっとした思い出というトラウマがある士郎は、少し痛くなってきた頭を抱えた。
 「士郎! 1078-Bの棚だってさ。行くわよ……って何頭抱えてるのよ」
 士郎は笑って。
 「――――別に。俺たちって全く騒動には事欠かないよなぁって思い出していただけだよ」

 「ほら、これよ。例の、久遠寺アリスが最後に関与したと言われている事件」
 ぱらぱらと本のページを捲り、あるページでその動作を止めた。
 凛は、机の上にそれを広げ、士郎に見せた。
 そこに記されているのは、十年前に起きたある事件だ。
 『A市消失事件』と銘打たれたその事件は、魔術の隠匿を第一とする魔術世界において丸々一つの町が消え去ったという、歴史的に見ても大規模な事件だった。
 そしてもう一つ。事件の規模とは別に、注目すべき点が、この事件にはあった。
 それは、魔法使い¢桃關ツ子が関与しているというものだ。
 半径十キロメートルに及ぶ破壊の跡は、その力を大きく魔術世界にまざまざと知らしめた。
 そして、今二人にとって重要なのは、久遠寺アリスが最後に関与したと思われる事件である、という点にあった。
 「……すごいな。魔法使いっていうのは、こんなにも出鱈目なものなのか?」
 つらつらと綴られた被害の数字を目で追いながら士郎は言った。
 「士郎、魔法使いを舐めちゃいけないわ。今、確認されている四人の魔法使いは、文字通り化け物揃いよ。その気になれば、都市の一つや二つ、簡単に消し去ることも出来るでしょうね……」
 魔法使いを祖に持つ凛は、その化け物ぶりを十二分に理解しており、当たり前のようにそう返した。
 魔法。
 それにたどり着いた者達――――世界の輪の外にいるモノ≠ヘ超常の力で有り得ざる奇跡を行使する。
 その力は、ありとあらゆる世界の理論を凌駕し、駆逐し、蹂躙し尽くす。魔法という奇跡に対して、人間という種は脆すぎるのだ。そこに、人間の立ち入る隙はない。
 故に人々はあらゆる尊敬と畏怖を込めて、こう呼ぶ。
 魔法使い=Aと。
 汝、世界に異なる法則を持ち込む者なり――――
 「……これに書いてあるのは、数字の羅列だらけね。何、全然詳細が分からないじゃない……」
 ぺら、と凛が捲ると、そこは既に次の事件へと移っていた。知りたい事件に関しては、たった三ページほどしか割り振られていなかった。
 最後の一文に、詳細不明≠ニ書かれているだけで。
 士郎は、その四語が頭に残って仕方なかった。
 「――――つまりは、詳細を知っている人間は、誰一人として生き残っていないってことだろ。その魔法使いと、……久遠寺アリス以外は」
 士郎と凛がロンドンに戻ってきたとき、既に魔術協会は世界の事件に久遠寺アリスが関わっていることを突き止めていた。どうやら二人が冬木の街において、本人と出会う相当前に判明していたらしい。『偽・真祖(デミ・アルテミス)』という呼称も、それが真祖を模している『ナニカ』であるということも。
 最も、その事実は、魔術協会の機密事項(トップシークレット)で、一般の魔術師には知る由もなかったと。しかし同時に、犯人の名や名称が分かっていても、何も事件は解決しておらず、久遠寺アリスの尻尾すら掴めていないと、悔しげにバゼットは語った。
 だから士郎と凛は、自分たちが出来ることをやろうと思ったのである。
 そう、それは久遠寺アリスについて、調べること。
 例え、現在は『偽・真祖(デミ・アルテミス)』という正体不明の敵であっても、かつては協会に属していた魔術師だ。痕跡が残っていないはずがない。
 その時点で無視できない要因が――――魔法使い、蒼崎青子の名がある。
 魔法使いのパートナー、久遠寺アリス。その肩書きは、魔術協会においては有名だ。
 「アリスが消息不明になった事件を探れば、何か掴めると思ったんだけどなぁ。これじゃあ何も分からないわね」
 だがその苦労は徒労に終わったようだ。結局、分かったことと言えば、アリスが童話をモチーフとした呪術・薬学を得意とする生粋の魔女だということと、久遠寺の名と、完成された魔術師≠セということだけだ。
 『偽・真祖(デミ・アルテミス)』という技術のことや、その目的などは一切不明。
 残った希望は、アリスが消息を絶った事件の記録のみだったが――――
 「詳細を知っているのは、当の本人達だけ、か。ふん、魔法使いなんて、そう簡単に会えるわけないじゃない……―――」
 結局は何も分からなかった。
 久遠寺アリスの意図が。わざわざ士郎をロンドンまで呼び寄せた意味が。
 ――――何故アインツベルンを利用したのか。
 「……このまま、何かが起きるのを、黙って見ているしかないって言うの?」
 静かに凛がそう呟いた。
 士郎は目を細めて、詳細不明≠フ四文字を見る。
 (久遠寺アリスがその消息を不明にした事件……、そして『偽・真祖(デミ・アルテミス)』……今回の事件とそれらはきっとつながっている)
 知らず、拳を握り、思う。
 一体、十年前に何があったんだ――――と。
 確信を込めたその言葉は、しかし、ただ虚空へと消えていくのみだった。

* * *

 ―――今思えば、あの時既に始まっていたのだ。あの時、あの青年と出会ったとき、既に。
 そう。既に、崩壊は、始まっていたんだ――――

 「ふ――――」
 一息。
 深呼吸と共に体内の魔術回路が作動する。呪術による簡易な幻覚を、目の前の吸血鬼に覆った。
 だ、と吸血鬼が苦悶の顔を上げ、幻覚から逃れようと背を向ける。
 まだ若い吸血鬼には、簡易とはいえ、それなりに効いただろう。四方八方から襲い来る幻像に簡単に惑わされた。
 後方に残った唯一の逃げ道。縋るように駆けていく。
 予定調和。目の前の兎は、見事に罠にかかった。
 ぎ、と兎は気付いたようだ。
 路地の奥、逃げ道を塞ぐようにして仁王立ちしている一つの人影に。
 私はニヤリと笑い。
 「行ったわよ。――――青子」
 相棒に、そう告げた。
 「オーケィ。ちゃっちゃと終わらせるわよ。アリス」
 人差し指だけを伸ばして、掌を銃の形にするのが見える。
 あれが彼女のスタイル。文字通りソレは、何物をも破壊する銃身に相違ない。
 弾丸が、放たれた。
 ゴォ、と尋常ではない破壊力を秘めた魔弾は、その実、一工程(シングルアクション)以下の速度で生成されたもの。……彼女が破壊の魔女と呼ばれる所以だ。
 空を裂き、疾走する光の弾丸は、吸血鬼の頭部を綺麗に破壊した。否、破壊というのも生温い。吸血鬼の頭部は、その威力の元、綺麗に消失(・・)した。
 魔弾はそのまま、コンクリートの壁に着弾し、炸裂を起こした。
 私の遙か後方で熱波と白煙が巻き上がると同時。
 ざら、と吸血鬼の体が砂となり、風に流れた。
 「ふぅ」
 髪をかき上げ、一つ息を吐く音が聞こえる。
 こちらに歩いてくる彼女に、いつものように声をかける。
 「お疲れ、青子。でも、もうちょっと慎重に出来ないかしら。貴女の魔術は目立ちすぎる」
 む、とした顔を顰める青子。これもいつものことだ。
 「別にちょっとくらい派手でもいいじゃない。ちょっとやそっとで破れるような結界じゃないでしょ? 貴女の結界は。信頼してるのよ、アリスの技量を、ね」
 最後に笑って、そう言った。
 私もつられるように頬を緩ませる。
 「まぁ、そう言ってくれるのは嬉しいけどね。何事にも例外はあるのよ。魔術師――――魔法使いなら、肝に銘じておくことね」
 「……――――」
 何故か、呆と私を見つめている青子。
 「何、どうかした?」
 青子は弾けたように、ふと笑って。
 「アリス、変わったなって思ってさ。だって、前ならそんな良い表情すること、無かったでしょ?」
 嬉しそうに言った。
 「そう……私って、そんなに変わった?」
 聞くまでもない。
 以前の私なら、決してこんな表情をすることはなかった。こんな、人間らしい表情をすることは。
 それが果たして良いことなのか悪いことなのか分からないけど。
 「うん。変わった変わった。私、今のアリスのほうが好きだな」
 ――――青子が、嬉しそうだから、まぁいいか。
 「変わったと言ったら、貴女も変わったわ。……砲撃が得意な魔術師の癖に、どうしてグーで殴りに行こうとするのよ」
 彼女の得意とする魔術は基本的に遠距離戦を想定されたものが多い。だというのに、最近格闘戦を挑みに行こうとする回数が多かった。
 しかし、所詮それは素人に毛が生えた程度の技術でしかないので、死にかけたことも一度や二度ではない。
 だけど、そんな目にあっても、彼女はその戦い方を止めようとはしなかった。
 きっと彼女には、追い越すべき背中が見えているのだろう。
 青子は掌を握り、ふと笑った。
 「そうね。……変わったかもしれない。あの館での暮らしは、私たちを変えてしまった。でもね、私は、そんなに悪い気はしないわ。だってほら、―――楽しかったし、さ」
 私は青子の笑みを受けて、肩を竦めた。
 ああ、なるほど。それは確かにそうかもしれない。あの暮らしは、私にとって騒々しいものだったけど、それ以上に得難いものだったから。
 あの館での暮らし――――
 それを思い出すとき、脳裏に過ぎるのは、あの朴訥な青年の姿だった。
 「あーあ、アイツ今頃何処で何してるんだろうね」
 青子もそれは同じなのか、月を見上げながら、楽しげにそう言う。
 その顔はどこか懐かしむようで。――――そして純粋な好意に溢れていた。
 「……――――」
 ずきん、と。
 何故か。胸の奥が軋む、音が聞こえた。


 今、思えばこの時、亀裂は既に入っていたのだ。
 彼≠ニ出会ったことで私たちが変わったように。
 ――――このまま、この関係が続いていくはずもなくて。
 この世に永遠という概念が実証できないのならば――――
 そう。続いていく世界の中、変わらないものなんか、無いんだ。
 きっと、私たちに間違いがあったとするなら。
 そのことに気付かなかったこと、そのものなんだろうな、と。
 崩れいく意識の中で、そう思った。

* * *

 『ソレ』は、突然現れた。
 確かに今までも、優れた霊脈と魔法使い≠狙い、様々な魑魅魍魎が襲ってきた。
 吸血鬼、死者、悪霊、墜ちた魔術師。私たちは、その度に追い払い、撃退した。完成された魔術師≠スる私と魔法使い≠スる青子の実力は、例え二十七祖が相手でも、決して揺らぐことはないだろう。
 だが、『ソレ』は――――その『魔術師』は、違った。
 確かに実力的には、魔法使い≠スる青子には劣るだろう。しかし、実力以上に、その精神が異常だった。
 とても魔術師とは思えない精神性。自らの目的のためなら、例え魔術協会を敵にしても構わない。いや事実上、そいつは魔術師でありながら魔術協会と敵対していた。
 ――――封印指定。
 そう烙印された漆黒の魔術師は、あろう事か、私たちにとって『最大の敵』と手を組んで、この街に現れた。


 蒼崎青子の体が闇に疾駆する。その速度は既に人間のものではない。四肢を魔術で強化、そして体術による体の繰りが高速の動きを生んでいる。
 「ふ――――」
 右拳が黒の魔術師の顔面を撃ち貫かんと、空を裂いた。
 だが、それは呆気なく躱される。
 その動きは最小限に抑えた無駄のないもので、武道の経験でも積んだ者にしか生み出せない動作だ。
 しかし、青子もそんなことは理解している。
 紙一重で躱されることを予測して、既に左の掌には魔弾が準備されていた。
 放つ。
 至近距離、一息で踏み込める近さだ。いかに相手が武術の達人であっても、避けることなど出来はしない。
 しかし。
 「――――、蛇蝎=v
 その男は、武術の達人ではなく、魔術師だった。
 「な――――!?」
 男が一言呟くと、目の前に陣が形成され――――青子が放った弾丸が文字通り止まった(・・・・・・・・)
 驚きに目を見開くが、青子は構わず魔弾を次々と目の前の男へ放つ。
 だがしかし、それら全ては男の目の前で制止する。本来ならあらゆる障害物ごと貫く弾丸は、その悉くを男の結界の前に阻まれた。
 (この男の結界……生半可なものじゃない!)
 恐ろしく結界に長けている魔術師――――そう青子が思考した瞬間。
 男が掌をゆっくりと突き出した。
 「――――っ!!!」
 青子が放った全ての弾丸が、まるでビデオの巻き戻しのように、青子の元へ反射≠オた。
 着弾、爆発。
 白煙と熱波の中、青子は身を躍らす。回避運動に全てを費やすその動きは――――男にとって、多大なる隙に過ぎなかった。
 ど、と地面を蹴る音と同時、男は既に青子に拳撃を放っていた。白煙によって視界を遮られていた青子は、その接敵に反応できるはずもなく――――
 「ぐっ!!」
 ――――ぎしりという体の軋みと痛みを、その身に感じていた。
 強化した四肢において、なお骨がひび割れ、衝撃が体を貫く。
 しかし、そんなことでたじろぐ青子ではない。
 ありったけの魔力を込めて、男の腹に思いっきり蹴りこんだ。
 「ごふ――――」
 肺に溜まった息を吐き出しながら、男は一直線に吹き飛んでいく。予想外の一撃だったのだろう。男は何も――防御すら――反応できなかった。ゼロコンマという刹那の時間で繰り出された青子の反撃は、確実に男にダメージを与えた。
 少なくとも、青子には、その確信があった。
 だが――――
 「……――――アナタ、本当に人間?」
 「お前がその言葉を放つか。世界の理から外れた者よ」
 黒い魔術師が、粉塵の中、厳かなる無表情のまま、静かに佇んでいた。
 その目は、常に変わらず。苦悩が刻まれた貌は、いつでも其処にある。
 す、と目を閉じる。
 「検分は終わった。……結局、魔法は見られなかったか。だがしかし、確かにお前は、根源と直結しているようだ。流石、蒼崎の後継者というところか。
 ――――余興は終わりだ。その体、貰い受ける……!」
 「――――!?」
 言葉が終わると同時、男の体が、まるで溶けるように地面へと沈み込んだ。
 青子が驚愕に硬直している瞬間――――

 ――――男の拳が、打ち込まれた。

 「が――――」
 崩れ落ちていく体。膝を崩し、倒れ行く中、青子は見た。
 男の拳が、後方にあったコンクリートの壁から生えているのを(・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 それで理解した。この魔術の絡繰りを。男の在り方を。
 ――――その、異常な精神性を。
 (こいつ……自身をこの街と同化させ――――)
 薄れていく意識は、この世に踏みとどまろうとするが、しかし呆気なく闇へと落ちていった。

* * *

 私は走る。何か、嫌な予感が止まらない。
 それはいつもの仕事と何も変わらないはずだ。
 街の結界を敵意を持って跨いで来た襲撃者――――それに特異なものは何も見られず、だからいつものように、すんなりと事は終わるはずである。
 なのに何故――――青子からの連絡が途絶えたのか。
 今までとは何かが違う。何処かずれている(・・・・・)という違和感が体の中を駆けめぐる。その正体は分からないけれども、不安だけが募り、胸を抉る。
 ――――そうして、違和感≠フ正体が目の前に現れたときには、全てが遅かった。
 街の暗がり、深い闇夜の下――――当たり前のように、『彼女』は存在していた。
 「――――橙子?」
 蒼崎家特有の黒い髪を揺らし、黒を基調としたコートが風に靡く。
 其処にいたのは、間違いなく蒼崎青子の姉――――蒼崎橙子だった。
 それは確かな異常。考えてみれば、彼女がここに存在している(・・・・・・・・・)ということ自体が、おかしいのだ。
 だが、私はその明らかな異変よりも、青子からの連絡が途絶えたという事態のほうに気が回っていた。
 そう。今考えてみれば。
 それは、明らかな間違いだったのだ――――。

 バグン。

 「え――――――」
 何かが動く気配が、後ろから聞こえた。確認するために首を後ろに動かす。
 そして、気付く。
 そこには、在るはずのモノが――無かった。
 ドクン、と血が逆流したかのような嫌悪感と狂うかと思うほどの違和感。
 「あ、あ、ああああぁあああああああ――――――……!!!!」
 ニヤリ、と私の足下に広がる闇が嗤う(・・・・・・・・・・・・)。ぐじゅぐじゅと何か≠咀嚼する音が聞こえる。私は吐き気を抑えられない。スプリンクラーのように撒き散らされる血。違和感。喪失感。欠けた人体。ぐるりと世界が反転する。影絵の魔物が、口にしているモノは――――――
 ――――私の右腕だった。
 「すまないな、久遠寺。お前に興味はないが――――我が復讐の、贄になってもらう」
 「な……―――んで、どうして。私たちは―――」
 橙子は目を細め、愉快気に言葉を放つ。
 「友達だった? ―――は。随分と面白いことを言うな。完成された魔術師=v
 最後に私の異名を呼んだ、その唇は―――蔑みに満ちていた。
 意識が揺らぐ。
 右腕が無くなったという喪失感と出血による目眩と、橙子に裏切られたという事実。それらが全て、私を内外から責め苛む。
 くつくつと橙子が笑う。
 「―――ああ。昔のよしみだ、最後に、いいことを教えてやるよ。お前、随分自分のことを完成された魔術師≠セと、誇っていたな」
 にやりと、口が狂気に裂ける。
 それが、どうしたというのだろう。この身は完璧なる魔術師。一部の隙もない、完成された魔術師=\―――
 「お前は勘違いしている。そもそも魔術師とは定義こそ色々あれ、根本的には根源の渦を目指す者≠ノ相違ない。
 ――――それは、つまり魔法使い≠目指すことと同義だ。そら、気付いたか?」
 ドグン、と。胸の奥で、ナニカが胎動したような、気がした。
 それ以上は。
 それ以上は。
 どうか。
 ――――ゆわないで。
 「魔術の道を往き、そして魔術に没する者。永遠に「 」に辿り着くことの出来ない無能。いいか? 久遠寺。完成された魔術師≠ニはな。
 
 単なる、蔑みの言葉に過ぎないんだよ(・・・・・・・・・・・・・)

 私の中の、ナニカが、崩壊した。
 狂気に落ちていく寸前。
 意識は、斑に欠けていき、橙子の高笑いの中、無へと落ちていった。

* * *

 それらは全て既に起こってしまったこと。
 時は逆行を許さず、全ては過去という固体に凝固してしまっている。一度凝固したモノは硬く、とても硬く。決してその形を変えようとはしない。いつまでも私を苛んで止まない。
 過去は変えられないからこそ尊いのだと、誰かが言った。
 そう。変えられないからこそ――――それはいつまでも絶えることなく、私の目の前に現れる。
 夢というカタチを以て、私は過去を回帰する。
 夢想の中で、いつまでも。
 ――――その、後悔と悔恨の海に、溺れ、苦しむ。
 過去は変えられないものだとするなら、私は死ぬ直前まで、そこに留まり、そして窒息死するに違いないのだ。
 だから。だからこそ。
 せめて、抗うことだけは止めてはならない。それのみが、唯一私に出来る贖罪なのだから。
 過去の断片が、暗黒の淵から蘇る。

 ――――それから目を逸らすことなんて、絶対してやるものか。
 ねぇアリス――――

 紅蓮の光景が、目の前に広がった。
 目を背けるな。自らがそう(・・)と決めたなら、決して直視することを止めるな。
 ほら、自らの罪が、彼岸の果てから呼んでいる――――

* * *

 ――――そこは、紅蓮だった。
 蠢く何かは人間で、虫のように這いずり呻く何かも人間だった。
 ……私も、それらの仲間だ。
 右腕を喪失した違和感は未だ消えず、流した血によって、意識が白濁としていた。
 目の前には私を捕らえている黒い魔術師と――――見紛うはずもない、長年の相棒が対峙していた。
 右腕を喪って、どれくらいの時間が経ったのだろうか。意識は胡乱としていて、自分が何をしていたかもどうか曖昧だった。
 正直、何が起きているのかも理解できていない。
 だけど、これは間違いなく、事態は逼迫していて。そして、今にも私は死に落ちる直前であることは間違いない。
 ――――それでも、まだ青子が助けてくれると信じている。
 いつでも青子は私を助け、私は青子を助けてきた。今も同じようにまた、きっと私のことを――――

 ――――なのに、何故私のことを、そんなに悲しそうな目で見るの? その目は、まるで何かを諦めているよう(・・・・・・・・・・・)――――

 銃口が、ゆっくりと、私に向けられる。青子の目が、凍った。その様は感情を凍結させた弾丸そのものだ。弾丸は意志を持たない。ただ目標を貫くだけ。ならば、導かれる現実《けっか》も同時に理解できる。
 そう、私は理解した。救いはこの世の何処にも無く。信頼などという鎖は、こんなにも脆いものなのだと。
 「あ――――」
 知らず、口から声が漏れる。それは絶望の声。意識無き本能の淵から沸き上がる恐怖の音だ。
 「あ、あああああ――――」
 狂う。今まで積み上げた何かが崩れていく。
 母の顔、父の顔、生きてきた全て、思い出、橙子、青子――――ある青年の背中。
 全てがスローモーションのように流れ、消えていった。
 手の中に残ったのは、全てを放棄する、死への恐怖と――――この世にある、全てへの、憎悪と絶望。
 ばきばき。ばきばき。
 何かが崩れ落ちていく音が、身の内から聞こえる。
 ああ、世界が今、反転する――――

 ――――その時、視界の隅に、ソレ≠ェ見えた。

■□◇■□◇■□◇■□◇

 『魔法使いは夜に吠える』
Final Chapter "ただ、一輪の花のために

 「え――――」
 私は■■に■■した。■■が■■■そうと■■いる■■。■■なにも■■そうな■■■■■■理由を。
 ■■か。■■■■いつか■■■■■■■■。
 ■■■■る意味なんて、■■■わからない。だけど、私は■■■が、■■■■■■■■■■■■めに■■■ているって、■■■■■■。――――■■■■■■■■■■■■ね
 ■■■、夕焼けの中、確かに■■■ってい■■■■■■す。
 ■■■■■■■■■、初めてだった。■■■かに感謝し■■■■。■■■■■■たらせて■■■、■■■草■■■いう■■■。
 なら、こ■■■は■■■。
 そう。
 ■■■■■■、■■■■■■■、全てを■■■いうのなら――――
 ――――■■■、■■■■■■■■■いモノが、存■■■■■■。
 ■■■、例え■■■ない■■■生むのだと■■■。■■■■■■も――――そ■■■■■■ね。
 ■■■仕方■■■。
 青子。 
 私は■■■■■■■■■され■■■、■■■に悪■■■■は■■■だから。
 ■■■、■■■悔い■■■■■■。■■■■■■とが、■■■■■■■■■■■■――――

 ――――■■、■■。私は■■■■■■、■■■■――――

 ■■■■■■、■■■■■■とした、■■■■■■■■■■■■■■■■焼き付け■■■、■■■■■■■■。

 最後に一言、こう呟いて。
 「――――……さようなら」
 

■□◇■□◇■□◇■□◇

 ――――……魔法使いは夢を見る。
 もう取り戻せない過去。
 記録された現象。
 記憶の残滓。
 かつてあった事象を、夢という形で回帰する。
 それが例え、悔恨と懺悔に満ちたものであっても。

 ざぁ、と草原に風が吹いた。周りの草がざわめきだち、涼風が頬を撫でる。
 黄金色に満たされた朝焼けの中、蒼崎青子は夢から覚醒した。
 「っ――――……アリス。私は……」
 夢の中の出来事は起きたら忘れることが多い。だが、青子のソレは、一つの忘却も許さず、まざまざと目蓋の裏に焼き付いていた。
 そのことに、己の罪の業を知る。
 ふと頬に冷たさを感じた。
 ――――泣いていたのか。
 夢を見て、泣くという行為。それは現実を浸食するイメージに他ならない。
 夢とは、そもそも眠りの中だけに存在する自らの回帰現象に過ぎない。それが現実に何かを及ぼすことなど、在ってはならないことだ。
 何故ならば、自己とは裡の中に完成された箱庭であり、其処にあるモノは全て内側へと収束されて然るべきだからだ。
 幻想は幻想のままで。夢想の内に、完結させるもの。だから、持ち出してはいけない。夢から現実へ。例え、それが涙という僅かなものでも、だ。
 過去は、胸の内に留めておくモノだ。そう、何かを成し遂げたいことが、過去にあるというのなら―――僅かたりとも、零れ出す余裕などあるはずがない。
 ああ。だから、こんなにも胸が痛い。
 閉まっていたモノが、涙と共に溢れかえってしまう。
 判断が、鈍ってしまう。
 あの時誓った決意が。
 彼女を犠牲にした誓いが。
 涙という水量で、薄れていってしまう。
 もう、あんなことはしたくないと。折角、誓った決意が、軋んで揺れてしまう―――
 ―――だが。
 「……―――そんなことは、許せない」
 他でもない、この自分が許さないと、青子は心を補強する。
 ぎちり、と。無理矢理に固めた心が、軋む音が聞こえた気がした。
 それでも先に進まないと。
 やるべきことがあるなら、こんな所で立ち止まっている暇はない。
 そう。
 必要なことは。夢想によって過去を回帰することではない。それは所詮、縋っているだけだ。そんなことに、何の意味がある。
 想うだけなら誰でも出来る。後悔するだけなら誰でも出来る。振り返ることなら誰でも出来る。
 けど、そんなことでは駄目だ。
 信じた道を進むというのなら。
 犠牲にした人達に報いる術があるとするならば。
 自らの罪を贖うというのなら―――方法は一つなんだ。
 そう。

 ――――夢想を以て(・・・・・)世界を撃ち抜け(・・・・・・・)

 過去という武器を持って、理想を貫くのだ。
 それが、人間に出来る、現在という時間の中で、唯一のこと――――
 「ケジメは付けなきゃいけない。……――――そうだよね、アリス」
 ぐい、と涙を拭い、立ち上がる。
 そこにはもう過去を回帰する想いは無い。在るのは決意。現実を打倒しようとする、一つの強固な在り方だった。
 黄金のような朝焼けの中。
 彼女は、力強く、その一歩を踏み出した。
 久遠寺アリスが待っている、ロンドンへと―――……

* * *

 ゴォン、と夜の中、鐘の音が響く。
 静謐を破る音の下で、くつくつと笑い声を上げる、ナニカ≠ェ居た。
 それはまるで神に祈るように。
 それはまるで悪魔に魂を捧げるように。
 歓喜と絶望と常楽の雄叫びを上げている。
 「―――……早く。早く来なさい。青子、橙子。私は、そのためだけに今まで―――っはははは、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」
 言葉は夜闇に溶け、余韻も残さず、笑い声という雄叫びに瞬く間に飲まれていった。

 ―――久遠寺アリスは(・・・・・・・)夢を見ない(・・・・・)

 あるのは、ただ身を捩るような狂気と絶望と、そして憎悪のみだ。
 ゴォン。ゴォン。
 清冽なる鐘の音が響く。
 それは、まるで世界への警鐘のようで。同時に。
 混沌に沈むだろう、ロンドンに対するレクイエムのようでもあった。

 ――――『夢想回帰』<了>


.......to be continued

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